「記憶ノ守の──」 第二話

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第二話 「事件発生」


1 千夏とストーカー騒動

 私が通っている学校は、専門学校だ。通信やソフトウェアなどの情報処理を専攻する学校で、NIITという名前で呼ばれている。こう言うと生徒としてどうなんだ、と怒られるかもしれないけれど、何の略だったかは覚えていない。和訳をすると確か“最新情報工学専門学校”……だったように思う。
 ……ちなみに、読み方はエヌ・アイ・アイ・ティという事を付け足しておきたい。

 私の、学校での成績は上。素行は下。理由は単純で、出席日数がギリギリだからである。成績のお陰で講師からの心証は悪くないようだが、授業どころか学校にもあまり顔を出さないので、友人が少ないのもまた事実だ。
 成績が上なのは、まあ大学を卒業してから通う程なのだから、当たり前と言われたらそれまでだ。その癖、出席日数がギリギリなのは、基本的には仕事を優先しているから、である。
 でも、その事に触れると、「お金が勿体ない」とか「職に就く為の勉学なのに、本末転倒だ」などと言われたりする。“情報収集手段の一つとしての投資”と考えている私にとっては、見合った価値だと思っているのだが……。
 そしてその事に触れると、今度は「子供らしくない」とか「達観しすぎ」などと言われてしまう。私から言わせれば、十七歳にもなって子供とか言われても腹立たしいだけであるし、それだけ人生を送っていれば物事の一つや二つくらい達観していても良さそうなものである。
 ──まったく。
 卒業や単位そのものは、私にとってはどうでも良いと言ってしまえば身もフタもないのだが、同級の友人がいる建前上、それは言えない。結果、“成績優秀・素行不良”あたりに落ち着いた、という訳だ。
 八月現在、学校の方は夏休み中である。だが、登校日という理解に苦しむ行事があって、ついでに言うと履修申請なるものをする必要もあるので、行かなければ九月からの講義を受けられない事態に陥ってしまうという用意周到ぶり。それが今日この日。
 学校は、周囲を高層ビルに囲まれていて、校舎自体も高層ビルに紛れ込んでいるくらいの街中にある。一応、敷地を囲うように低い煉瓦仕立ての塀があり、その中に十階建ての、商業ビルよりは若干洒落た校舎が三つほど、文字通りそびえ立っている。

 相変わらず、猛暑の続く朝。学校の敷地手前に車を止めて貰い、私は車外へと降り立った。そして、アスファルトからビル風に巻き上げられた埃と排ガスの匂いに、少し眉をしかめる。
 今日は、水色のキャミソールに短めのスカート、サンダルといった軽装にしてみた。でも、それだと少々露出が気になったので、白い薄手のボレロを上に羽織っている。
『キャン』
 ドスンという派手な音と共に、目の前を歩いていた女の子が突然、顔から転けて変な悲鳴を上げた。
 唐突に、話を数少ない友人というところに移してみよう。
 私にも話をしたり、お茶をしたりする相手がいる。“遊び”というものを最近していない気もするのだが、遊び相手といっても差し支えない相手の事だ。
「ぁぃたたた……」
 その一人が目の前で、何もないところで転けるこの女、“十和(とおわ) 千夏(ちなつ)”である。
 ──顔から転けたのだから、そりゃあ痛いでしょうよ。
 最早、彼女を知る周囲や私にとっては日常茶飯事な“何もないところで、転けた事”は完全にスルーして、私は彼女に手を差し伸べた。
「ほら、ボ~っとしているからそんなところで転けるのよ。毎日そうやって転けていると、そのうちその鼻が潰れてしまうわよ?」
「あら、茉希ちゃん。おはよう」
 どうやら、ギリギリで地面との正面衝突は避けていたようだ。彼女はその場に座り込んだままで、私の声に振り返る。そして、落ちた眼鏡を掛け直すと、ほんわかニッコリ笑って挨拶を返した。丸い眼鏡が、相変わらず凄く似合っている。
 千夏は、とても美人だ。背は、私と同じくらい。整った瓜実の顔と少し大きめの優しげな目は、女の私から見てもつい可愛いと思ってしまう。……セットメニューのような天然な性格を除けば、ではあるが。
 指通りの良い細くストレートなロングの黒髪は、本当に羨ましい限りだ。そしてその髪は、今日はおさげな感じでテールに括られていた。
 今日の服装は、萌葱色のブラウスに薄地のデニムとスニーカー。白い麻地のトートバッグは、何時も何を入れているのだろう? と思うくらい膨らんでいる。
「……おはよう」
 私は、彼女のほんわかした笑顔に場違い感を覚えながら、挨拶を返す。
「それは、困るなあ」
 ワンテンポ遅れて、私の掛けた声に返事を返す千夏。夏休み中であっても マイペースさは相変わらずだ。
「だったら、ちゃんと足下にも注意して歩く事ね」
「……茉希ちゃんのイヂワル」
 千夏は拗ねた表情で私に視線を向けてから、胸元に手を当てて言い訳じみた台詞を付け足した。
「でも、足下って歩いてると見えないんだもの」
「それは……私への当て付け、かしら?」
「?」
 悪気はなくても殺意を覚えるその台詞に、私は思わず苦虫を噛み潰したような笑みで突っ込んでしまったのだが、当の本人にそんな自覚はもちろんない。
「……いえ、何でもないわ。忘れて頂戴」
 少々苛立つ話ではあるが、気付かれるとそれはそれで分の悪いやり取りになるので、私はこの話を早々に切り上げる事にした。
「立てる?」
「うん」
 私の手を取りながら千夏は頷き、足下の埃を払って立つ。そして、私の右横に並んで校舎の方へと歩き始めた。
 登校する日は、大体こんな感じのやり取りが為されている。
 ──まったく。世話の焼ける娘だわ。

   ◆◆◆
 登校すると、私たちはいつも決められたホームルーム教室へ向かう事になっている。そこで出席チェックやら連絡事項やらの事務手続きを済ませる事になっているのだ。でも特に、全員集合して何かをする、という訳ではない。

 差ほど広くもないオフィススペースのような部屋に入ると、私と千夏は事務の人に学生証を提示した。そして、置いてある機械にそれを通して“登校の出席”をチェックする。それが終わると、事務の人から履修申請の手順が書かれたプリントを一枚受け取り、私たちは部屋を出た。
 ホームルーム教室に居る時間は、この一瞬だけだ。もちろん、事務の人に挨拶したりする社交辞令の時間くらいは滞在するのだが、そういうのを差し引いて、という意味でだ。
 他にも数名居た学生に混じって廊下を歩きながら、私は隣にいる千夏を見る。いつもなら、この辺で世間話をしてくるタイミングなのだ……が?
「千夏?」
 いつもよりも大人しい千夏の様子に、私は彼女に声を掛ける。が、返ってきたのは小さな溜め息の音。
「千夏」
 声が届いていない様子に、私は少し強く声色を変えて、彼女に声を掛け直した。
「あ、ゴメンなさい。ちょっとボーッとしてた、エヘヘ」
 やっと気付いて、彼女は何時もの愛想良い微笑みを浮かべながら、私の方を振り向いた。
「なぁに、茉希ちゃん?」
「別に何がって訳でもないのだけれど。元気がないのね、何かあったの?」
 普段気兼ね事とは縁がなさそうな、と言えば失礼かも知れないが、千夏の憂う表情など見た事がない私は、心配になって問うた。
「うーん。近頃、外を歩いていると何か誰かにつけられているというか、視線を感じるというか──」
「え……? ストーカーとか!?」
 驚いて聞き返す私。
「なのかなぁ? それで落ち着かなくって。少し、寝不足気味なのよねぇ」
 内容は只事ではないにも関わらず、他人事のように話す千夏の口調に私も少し和んでしまい、少し悪ノリをしてみる。
「身近な話題だと、私も警察とかいうのに似たような事をされたけれど、確かに落ち着かないわね……」
 ──強いて言えば、執事の斉藤も姿を見せない辺り、近いものがあるかしら?
「え……?」
 思い返しながら呟いた私の台詞に、今度は千夏が驚いた顔をして私を見つめ直す。その圧力に耐えきれずに、私は彼女から視線を逸らして言い直した。
「いえ、何でもないわ。忘れて頂戴」
「茉希ちゃん、また何かやらかしたの?」
 既に手遅れよと言わんばかりに、千夏は私の方へ躙り寄ると、ジッと覗き込み詰問した。こうなると何か答えてやらないとこの視線からは逃れられない事を、私は知っている。
「“また”とは何よ、失礼ね。やましい事は何もしていないわよ?」
 平然とそう言いはするものの、その瞬間、私の脳裏にまとわり続けるあの無精髭が横切る。私は思わず嫌気を感じて、ほとんど無理矢理、千夏の話題に話を振り戻す事にした。
「それよりも、千夏は平気なの?」
「え? 何が?」
 私の事に気を取られて、自分の話題を既に忘れていたのか、キョトンとして聞き返す千夏。
「え? じゃないでしょう。ストーカーよ、ス・ト・ー・カ・ー」
 私の問いに、彼女は腕を組みながら右の人差し指を口元にあてて、悩むような仕草をする。
「そりゃあ、平気じゃないけど分かんないしぃ。それに実害と言っても──」
 と、言いかけて「あ」と千夏は声を上げた。
「部屋に誰かが入ったような形跡があった事くらい、かなぁ?」
「不法侵入じゃないの。立派な犯罪じゃない。立派に実害じゃないの!?」
 強いて言えば、相手の精神的苦痛を省みないストーキングをするような輩の存在自体、罪と言ってやりたいところである。
「それは、マンションの管理人さんに言って、確認して貰ったのだけど、セキュリティには異常がなかったから気のせいかなぁ、とか……」
「それは、一応警察やら役所に届けた方が良いんじゃ?」
「んー。でもさぁ、警察とかもずっと見てくれている訳じゃないでしょう?」
「そりゃあ、そうだろうけれど……」
 ──私の場合は二十四時間、家の前を監視されていた気もするけれど、ね。でも、まあそれは事件の規模が違うから仕方がないのかな……?
 自分の件に自問しながらもその事は口には出さず、私は千夏に忠告めいた口調で届けておく事を勧める。
「でも、届けておくだけでも、しておいた方が良いとは思うわよ?」
「そうねえ……」
「そうしなさい」
 千夏の思案しつつも頷く姿に、私も満足げに頷いたのだった。

 指定された教室で履修申請を済ませると、私と千夏は少しお茶をしようと、隣の校舎一階にある喫茶室へ向かう事にする。結構賑やかに混み合っている教室をすり抜けるようにして廊下に出て、私たちはエレベーターの方へと歩き出した。この調子だと、下りのエレベーターも混んでいるかもしれない。
「そう言えば、茉希ちゃんはコンタクトしないの?」
 予想に反して、私たちだけしか居なかった一階へ向かうエレベーターに乗り込みながら、千夏が唐突に問うた。
「私? 私のは伊達だよ? 折角だから、一応OAフィルターにもなってるものを使っているのだけれど」
「そうなんだ。何時もしているから、てっきり目が悪いものだとばかり……」
「視力は、両目共に1.2あったと思う。外に出る時に、掛けるようにしているのだけれど……。ほら、私って目つきがキツイじゃない?」
 そう言いながら、私は眼鏡を外して千夏の方を見る。千夏は私を見て、少し首を傾げた。
「そうかな? 言われてみたら……そう、かも?」
「以前、眼鏡をしていた方が印象が良いよって言われた事があってから、そうしているだけなんだけどね」
 へラッと笑って、私は言葉を濁す。
「ふぅん」
「千夏は、コンタクトにしないの?」
 今度は、私が彼女に聞き返してみた。眼鏡を使っていると分かるのだが、案外重いので常用するならコンタクトレンズの方が便利だと思うのだ。
「私は眼科に行ったんだけど、涙の量が少ないからダメって言われちゃった」
「ふうん」
 ──色々と理由があるのね。
 その話題はそれで終わり、私は眼鏡を掛け直そうと視線を少し落とした。
 丁度、一階についてエレベーターの扉が開き、待っていた学生の一人と視線が合う。眼鏡を掛け直しながら、私は視線を逸らして、心に呟いた。
 ──やっぱり、人を直視するのは好きじゃないな。

 校舎を出て、私は上に手をかざして強い日差しを遮りながら、眼を細める。景観を調える目的で植えられた敷地内の並木道を、木陰を選んで歩き、西隣の校舎を目指しながら、私は思い至ってふと呟いた。呟いてしまった、と言った方が良いかもしれない。
「しかし、何で専門学校なのに夏休みなんてあるのかしら……? 中途半端に登校させるくらいなら講義しなさい、って言いたいわ」
 目を丸くする千夏の顔を見て失言だった、と思いはしたのだが、言ってしまった以上答えを求める事くらいは許して欲しい。
 一瞬間を置いてから、彼女は吹き出すようにカラカラと笑う。
「あははは。茉希ちゃんらしいけど、そんな事言っちゃったら、周囲の反感買っちゃうよぉ?」
「別に、構わないわよ? この学校で私が関係する周囲なんて、千夏くらいのものだし」
 喫茶がある校舎の自動ドアをくぐり抜けながら、平然とした口調で私は言葉を返した。そして、視線がある方向で凍り付き、動きを止める。
「ひどぉい。茉希ちゃん、私の事はどうでも良いんだ!?」
 少し後ろをついてきている千夏が抗議の声を上げたが、私はそれどころではなくなっていた。
「千夏」
 視点は硬直したままで、私は千夏に声を掛けた。そんな私の変化した声色に気付いて、彼女が答える。
「ん? どうしたの?」
「お茶、今度で良いかな。火急の急用が出来てしまったわ」
「えっ……と?」
 私の宣言するような口調の通達に、彼女は戸惑いの声を上げて説明を求めた。が、私は特に説明をする訳でもなく、謝罪と命令の言葉を彼女に返したのだった。
「近いうちに、埋め合わせするから。はい、回れ右!」
「え? え? あ、うん」
 釈然としない様子で、私に言われるままに、今入ってきたばかりの入り口に引き返す千夏。私はその後ろ姿を見送り、それから大きく息を一つ吸った。

 ホームルーム教室がある校舎の西隣には、レクリエーション関係の施設が収容されている。一階と二階は喫茶と食堂になっていて、三階はエクササイズ施設、四階と五階は体育施設といった感じだ。一番上の階には、飛び込み台付きのプールまである豪華ぶりである。
 まあ、施設説明はこの辺りにしておいて、取りあえず私が肩を怒らせて向かっているのは、一階入り口を入ってすぐのところにある喫煙コーナーである。主に教職員が使う為に設置されているので、そんなに広い訳ではない。
 引き戸を引くと、喫茶コーナーから漂ってくる香ばしい香りの空気が、視界を白く遮る煙ったものへと一変する。そして、私はそのままツカツカと奥へと入り、壁にもたれて隣の教員と和(わ)気(き)藹(あい)々(あい)と談話している無精髭の前に立ったのだった。
「何で、あんたが居るの!?」
 唐突に私は声を掛ける。もちろん、苛立ちの色を含んだ声で、だ。
 ──しかも、何で周囲に溶け込んでいるのかしら!?
「おう、嬢ちゃんか」
 最早、理解不能な存在となった無精髭が、視線を私に向けてニヤリと笑った。
「嬢ちゃんか、じゃない!」
 苛立ちを露わにした声で、私は恫喝する。私の声に夜淵は驚いた顔をするが、すぐにすました顔に戻り、咥えた煙草をそのままに両手を挙げた。
「何でって、そりゃあ……仕事だからだろう?」
 ──コイツは、絶対に分かって言っているに違いない!
「~~~!! ちょっと来なさい!」
 苛立ちMAXな私は、彼の手首を力一杯に掴んで引っ張り、喫煙コーナーを後にした。
 ……ちなみに隣の教員は、申し訳ない事に、私の剣幕に完全に圧されて引いていた。

   ◆◆◆
 本当は千夏とする予定だったお茶を、私は無精髭……もとい、夜淵としている。
 学校の喫茶だと目立つので、私は夜淵を引っ張って、隣のビルにある少し長居しても煙たがられなさそうな店を選択した。とは言え、客足の回転を重視してか座席は寛ぐには少々狭い。
 まあ、オフィスビルが建ち並ぶ中にあるのだから、仕方がないと言えばそれまでではあるのだが。
 ──まったく。休憩どころか、無駄に疲れるハメになったわ。
 注文したアイスコーヒーと紅茶を、夜淵がカウンターで受け取り、席へ着くのを確認すると、私はまずクレームを突きつける。
「学校にまで警護に来る必要はないって、言ったでしょう?」
「別に、学校だから安全という訳でもないだろう?」
 紅茶を私に給仕してから、彼はアイスコーヒーをひと口含み、そう言って抗弁した。彼の言葉を聞きながら、私はその手元に蜂蜜をたっぷりと掛けたシフォンケーキがある事に気付く。その事にも触れたくなったが、取りあえず言いたい事を言っておく事にする。
「そもそも、どうやって学校の敷地内に入った訳? その上、何で朗らかに教員と会話してるのよ!?」
「どうやっても何も、普通に正面から……なんだが?」
 顔を紅潮させている私を前に、夜淵は涼しげに、真面目な顔で説明する。もちろん、そんな説明で私のイライラが収まるわけでもなく、責め苦は続く訳ではあるのだが。
「信じられない! 何で、こんなに怪しい無精髭が呼び止められない訳!?」
「おいおい、酷いな。一応、警官だぞ? 正義の味方ってヤツじゃないか」
「法の味方であって、別に“正義”ではないでしょう?」
「……ごもっとも」
 ああ言えばこう言う。そこに至って、彼も私の怒りを収めない事には、私が話をまともにする気がないと気が付いたようだ。
 半ば呆れて、半ば私の剣幕に観念した様子で、夜淵は両手を挙げて降参を宣言する。
「まあ、あれだ。怪しまれずにってのは、特技なんだよ。それに、正面から堂々と来る分には、案外ノーチェックだったりするしな」
「どんな特技よ、まったく……」
 私は溜め息を吐いて、苛立ちをやっと収める。何処まで追求したとしても、きっとこの無精髭は何処か人を食った感じの口調で、受け流し続けるのだ。
 私が一方的に疲れるだけで割が合わない事は分かっているのだが、それでも言っておかなくては気が済まないという事だってある。これはその類だ。
「ところで……貴男って、確か警部補だったと記憶しているのだけれど、こんなところで油を売っていて良いの?」
 ふと沸いた疑問を、私は夜淵に投げつけた。何処か収まらない苛立ちが、悪戯をしたのかもしれない。しかし、そんな私の悪意を含んだ言葉に、彼は笑って答える。
「警部補、だからさ。現場を取り仕切るったって、普段は部下が走り回ってるからやる事が、ない」
 右手にフォークを持ったまま、両手を大きく開いてそう宣い、彼は片目を瞑った。 
 ──そこは胸を張るところじゃあ、ないでしょうに。
 そう思いながら、私は額に手をやって、文字通り頭を抱える。私のツッコミを知ってか知らずか、彼はフォークを手元のケーキに突き刺しながら、
「だから、こうやって仕事をしながら部下の報告やらを待っているのさ」
 と、言葉を続けた。
「……ケーキにフォーク突き刺しながら言っても、説得力に欠けるわよ?」
 私は気力なく視線だけを彼に向けて、戯けた彼の言葉にツッコミを入れた。煙草を吸う癖に、甘いものも食べるとは、どこまでも理解不能な男である。
「宮勤めは、お気楽ねぇ」
「宮勤めには、宮勤めの苦労くらいあるさ」
 私は腹いせに揶揄を飛ばしたが、彼はそれを受け流すように軽く笑う。
「あ、そ」
 その言葉を、私は悔しがる訳でもなく聞き流して、この話題を終えた。

「しかし、嬢ちゃんもしっかり学生してるんだな。何か安心したぜ」
 シフォンケーキがなくなった皿の上にフォークを置いて、夜淵が言った。
 ──“も”?
 彼の台詞に他の学生と何処か区別された感じを受けて、私は聞き返す。
「……どういう意味かしら?」
「だって、そうじゃないか。俺は、事情聴取で警察に一人で担架切る胆力を見せつけられて、その上仕事をキッチリこなしているところしか見ていないんだぞ?」
 ──つまり、私が学生らしい事しているところを見た事がない、と言いたいのかしら? 回りくどい説明などせずに、素直にそう言えばいいのに。
 何処か捻くれた夜淵の物言いを腹立たしく、つまらなく感じながら、私は冷めた紅茶に口を付けた。それから、徐に彼に問う。
「事情聴取に至るまでに、色々調べていたんじゃないの?」
「調べるには調べていたが、どうにも本人だけは姿を見せなかったじゃないか」
 両肘をテーブルに着き、組んだ両手に顎を乗せて、夜淵は私を見据えながら問うように話した。
「まあ、ね」
 同意するように私は頷くが、「詮索はするな」と言わんばかりに視線を逸らす。
 当時。あ、当時というのは、警察と今回の契約を交わす前の、事情聴取に至る日々の事だ。私は自分の能力を使って、家の周囲で警察が張り込んでいる事を知っていた。故に、交代の時間などのタイミングを見計らったり、彼らの監視カメラに細工をしたりして、目的が分かるまで、監視の目を誤魔化していた事がある。
 まあ、当時の監視カメラは自宅のセキュリティ用に、内緒で今も美味しく使わせて貰っていたりするのだが。
 ──カミングアウトするには、色々と問題があるわよねえ……。
 そんな事を思い返している内に、私はふと思い立って夜淵に視線を向け直す。
「そう言えば、貴男も警察の人間だったわね……」
 私は、藪から棒にそう言って笑みを浮かべた。
「なんだ?」
「丁度、部署も擦ってそうだし──」
 不思議そうな顔をしている彼であったが、次の瞬間に放った私の言葉に、顔を強張らせる事になる。
「ここまで警護に来る程なのだから、チョット手伝いなさい」
 思い立った事──そう、千夏に纏わり付いているストーカーを退治するのだ。



2 ストーカー退治

 私が千夏と出会ったのは、専門学校に入学する少し前の話になる。確か、二年前の十一月。NIITの中央校舎にある総合受付に願書を提出に行った日の事だ。
 私の大学卒業は既に決まっていて、その頃から仕事をしていた。その客先帰りにNIITの敷地手前に車を止めて貰い、車外へと降り立ったところで、同じく願書を出し来た千夏に声を掛けられたのだ。
 冬……と言える程にはまだ寒くはなく、マフラーもコートも必要のない午後の穏やかな日差し。最初に交わした会話は、こんな感じだ。
「あのぅ、ちょっとスイマセン……」
 不意に掛けられたおっとりした声に、私は振り向く。そこには、深緑色のブレザーに身を包み、丸眼鏡を掛けた女子高生が必死な表情で立っていた。あの頃は、髪をポニーテールに括っていたと思う。
「ん? 何かし──」
「NIITの総合受付に、連れて行って下さい!」
 ──ら?
 私の返事を聞く前に、彼女は大きな声でそう言った。話の展開が分からず、私は目を大きくして対応に困った。
 普通は“何処にあるのか”と、聞くものだ。それをいきなり“連れて行って”と、言われたのである。
 最初は変な勧誘かと思った。だが話を聞くと、どうやら願書を出し来たのだが案内を持ってくるのを忘れたらしい。それで、詳しい場所が分からなくて、校内をウロウロする勇気もなくて、人に聞こうにも恥ずかしくて途方に暮れていたと分かった。
 そこに、スーツ姿で車を降りた私を見つけて、学校関係者と思ったようだった。
 ──でも、流石に初対面で“連れて行って下さい”は、ないわよねえ。
 今思い返しても、思わず笑ってしまいそうな、可笑しな出会いだと思う。だが、出席番号が続きだった事もあってか、彼女とは入学以来、友人として付き合っている。
 ちなみに、千夏の方が二つほど年上だ。

   ◆◆◆
 八月半ばの土曜日。
 私は、現在上機嫌である。従って、鼻歌だって歌う。
 ここは、とあるマンションの二階にある一室だ。隣の部屋には、千夏が一人で暮らしている。私の後ろでは、開け放たれた玄関を機材を搬入する業者が往来していた。リビングではエアコンがフル稼働している筈なのだが、玄関で作業をしていると、流石に汗を拭うタオルが手放せない。
 あまり詳しい事情を聞いた事がないのだが、彼女の実家は愛知らしい。都心の一等地で普通に家族が生活出来そうな4LDKのマンションを、学生一人暮らしの為に買える程には、裕福な家庭であるようだ。しかし、その両親が離婚した事を私は以前、彼女から聞いた事があった。
 そんな千夏にまとわり続けているストーカーを捕まえる為に、私はこのマンションの一室を購入し、その準備をしているという訳だ。
 ──それこそ贅沢、と言う事なかれ。これは、これこそ持てる者の権利と義務というヤツなのだから。
 隣だったのは偶々だけれど、仲介をお願いした先が、案外気を利かせてくれたのかもしれない。ちなみに、彼女には監視の許可は取ってあるのだが、ここに部屋を買った事実はまだ告げていなかったりする。

 この準備をするにあたって、千夏に不審者が侵入した時の状況を詳しく聞いた。どうやら侵入されたのは、週末に所用で三日ほど家を空けた時のようだった。
 最初に、閉めた筈の玄関の鍵が開いていて、不審に思ったらしい。次に、玄関の電気を点けると物音がして、用心しながら奥の部屋を覗くと窓が開け放たれていた、と言うのだ。侵入者は玄関の鍵をこじ開けて中へと入り、彼女の帰宅に慌てて窓から逃げた、といったところだろうか。
 エントランスにはオートロックと監視カメラが付いていて、管理会社の人間が常駐している。エントランスのオートロックを解除すると、家の中でインターホンが鳴り、監視カメラの映像が確認出来る仕組みだ。そんなマンション二階の、彼女の部屋に侵入するのは、正直容易な事とも思えない。家の中は、特に家財に手を付けた様子もなく、床も汚れていなくて土足という感じでもなかったという。
 ──侵入者の目的は分からないけれど、入り込んだ事に関しては、案外抜け道みたいなものがあるのかもしれないわね。

「あ、そのPCは、入って左手の窓のない部屋にお願いします。そこに積んであるスイッチング類は、リビングの方へ」
 自宅よりも手狭な玄関先の下駄箱で、脚立の上に乗っかりながら、私は手元でLANの配線作業をしつつ、機材を搬入してきた業者にテキパキと指示をする。ニッパーを右手に持った状態で、Tシャツにデニムを穿いた姿は、まるっきり日曜大工をするお父さんといった感じだ。
 上機嫌な理由は、別に新しい機材がイッパイで弄り放題だから……という事ではない。私はそこまで機械オタクではないし、これは必要な準備というだけの話だ。
 理由は一つ。無精髭を顎で使える事。
 ただ付き纏っているだけなら鬱陶しいだけなのだが、使えるとなれば話は別である。
「ふふ、こき使ってあげるわ!」
 私はそう呟きながら、拳を握り身を震わせた。そんな私の後ろでビニール袋の鳴る音がして、タイミング良く低い声でツッコミが入る。──いや、タイミング的には悪いという表現が正解だろうか。
「おい。心の声が、口から筒抜けだぞ」
「! あら、お帰りなさい。買い出し、ご苦労様」
 振り返りながら、特に悪びれた気持ちすら持たず、私は労いの言葉を夜淵に投げ掛ける。
 煙草特有の匂いが私の鼻腔を微かに刺激して、彼が恐らく外で一服してきた事を知らせてくれた。
「使うったって、もっと上手な人の使い方ってもんがあるだろうに」
「そうかしら? 私的には、かなり妥当な使い方をしていると思っているのだけれど?」
「この買い出しが、か?」
 夜淵はそう言って、両手に持っているビニール袋に入った二リットルのペットボトル水を、ドサッと玄関口へと置いた。私は彼の言葉に手を休めて、脚立の上でクルリと彼の方へと向き直る。そして、玄関に置かれた機材の方をニッパーで指しながら、したり顔でこう問うた。
「じゃあ聞くけど、機器をラックに据え付けて、LAN配線と機材の設定をお願いしたところで、貴男に出来るとでも?」
 私の言葉に、彼はその機材の山を見つめる。
「……買い出しか、掃除で良い」
 しばらくの沈黙があった後、彼からそんな予想通りの答えが返ってきた。

「しかし、どうやってこの部屋を買い取ったんだ?」
 気を取り直したらしい夜淵が、話題を変えて私に問うた。その問いに私は、配線作業を再開しながら軽い口調で答える。
「あら、知らないの? お金を支払って買ったのよ?」
「そんな購買という行為についての、常識的な説明を聞いている訳じゃない」
「あら、そう。じゃあ後学の為に、もう一つ教えておいてあげるわ」
「……期待せずに、聞いてやる」
「世の中、お金とツテがモノを言うのよ?」
「即金で任意の部屋を購入する非常識さを無視して、よく言う。何事にも限度ってものがあるだろうが」
 私がまともに答える気がないと思ったのか、彼はそこで首を横に振って、玄関口に置いたペットボトル水を持ち上げた。
 ──結構、真面目に答えたつもりなのだけれど、ね。
 そして、彼が部屋の奥へとそれを運んで行こうとしたところで、気付いた私は大きな詰問の声を上げる。
「あー! 何でビールが混じってるのよ!?」
「水ばっかりじゃ、味気ないじゃないか」
 夜淵は立ち止まる訳でもなく、私の方をチラッと見ただけで、軽い口調で抗言する。
「私は未成年よ!? せめてジュースとか、気を利かせなさいよ」
「俺が、後で飲む為だ」
「……請求書は、ちゃんと回しておくわね」
 譲る気のない返事に、私は宝刀の如き一言を通告した。
「必要経費……という事ではダメなのか?」
 苦笑いを浮かべて、彼は私に同意を求めようとするが、私も最早譲る気はない。
「そんな訳ないでしょう!?」
 笑みを浮かべた私の、容赦のない強い即答に、少々勢いづいていた彼の肩がガックリと落ちた。
 ──まったく。油断も隙もないとは、この事だわ。
「この際──」
 更に、ここで確実に相手の戦意を喪失させるべく、私は言葉を続けようとする。だが、残念な事にダイニングの方から、私に別の声が掛かってしまった。
「あのう。ブレーカーの増設工事終わりましたので、確認とサインをお願いします」
 私は仕方なく、既にキッチンの方へと姿を消している夜淵に声を掛け直したのだった。
「この件は、後でキッチリと話を着けるわよ!?」

   ◆◆◆
 翌、日曜日の夜。時刻は二十一時を過ぎた辺り。
 千夏の部屋周りに設置した監視カメラの設定や配線が終わり、私も一段落着いて、監視カメラの映像を映す為の大きな液晶モニターが四枚置かれたリビングのソファーで寛ぐ。もちろん夜淵もする事はなく、待機行動となって仕事……という時間でもなくなっていたので、既に軽い晩酌を終えて寛いでいた。
 私は、ボーッとモニターに映る監視映像を見つめて、時折足下に置いてある大きなペットボトルをそのまま左手で掴み、口元に持って行く。テーブルの上には、まだ半分以上残っている宅配ピザが二枚ほど乗っかっていて、流石に冷めてしまってはいるが、部屋中がチーズの匂いで充満していた。
 夜淵の方は暇を持て余して煙草の箱を弄っていたのだが、ついに中の煙草本体を一本引っ張り出して、クルクル回したりトントンと中の葉を詰めたりし始めた。それが少し気になって、私は彼にチラッと視線を投げ掛けて注意を促す。
「排煙機がないから、吸うならベランダでお願いね」
 そう言われて、彼は少し煙草を見つめる仕草を見せたが、すぐにまたクルクルと回し始めた。
「で、どうするんだ?」
 夜淵が私に問うた。
「どうするって、何が?」
「どうやって、嬢ちゃんの友人に付き纏っているストーカーというか、不法侵入者を捕まえる気でいるのか? って事だよ」
 彼の問いに、私は腕を組んで少し考え、頷く仕草をする。そして、準備した仕掛けについて、簡単に説明をしておく事にした。
「彼女の部屋周辺に、それとは分からないように、小型の暗視可能なカメラと赤外線センサーを取り付けたわ」
「で?」
「センサーが侵入を知らせたら、取り押さえてミッションコンプリートよ! その為に、千夏には金曜日から月曜日まで自宅を空けるように言ってあるわ」
 つまり、現在隣の部屋は無人と言う事である。私はモニターにセンサーの状態を表示しながら、やや熱を帯びた口調になっていた。だが、どうにも冷めた夜淵の、話に乗ってこない様子に、私は少々苛つきを感じ始める。
「このタイミングで、また来るとは限らないじゃないか。ただの物盗りの類だったら、どうするんだ? 無駄骨じゃないか」
 ──まったく。小娘の道楽とでも思っているの?
 そんな彼の言葉に、私は腰に手をあてコメカミに手をあてて、今度は状況の確認をする事にする。
「千夏の話を聞いて、気付かなかったのかしら?」
「何が、だ?」
「以前、侵入された時に彼女は、不在だった」
 しかも数日空けていたので、人気がない事くらいは、ストーカーのように付き纏っているような侵入者になら、入る前から分かる筈だ。
「にも関わらず、家財が持ち出された痕跡もない。仮に、侵入した直後に千夏が帰って来て逃げたのだとしても、窃盗目的なら何かしら行動を起こしていた筈だわ」
 私の言葉に、夜淵は腕を組んで無精髭に手をあてた。私は言葉を続ける。
「つまり、侵入者は千夏の部屋自体には用がなかったにも関わらず、更に千夏が居ないのも分かっていたであろうにも関わらず侵入した」
「じゃあ、何が目的なんだ?」
「だから、よ。だから、同じように千夏が居ないと確実に思える状況をまた作れば、目的は私も分からないけれど、侵入するに違いないと思うの」
 ──或いは、居ない事を確認したかった……?
 そんな憶測がふと私の頭を過ぎったが、居ない事を確認する理由の方が分からず、私はすぐに首を横に振った。
「その読みが、外れたら?」
 否定的な彼の言葉に、私はフゥと溜め息を一つ吐く。そして、漏らす一言。
「それならそれで、良いじゃない」
「え?」
 彼は驚いた声を上げて、目を見張り、私に答えを求めた。
「普通、大切な友人に何か起こって欲しいと思う訳?」
「あ、いや。そう言う訳では、ないんだが……」
「何もなければそれで良いのよ。それはそれで、再度侵入される可能性は低いと分かるのだし」
「しかし、お前。そうなったら、この部屋を調達した事自体が無駄になるじゃないか」
 夜淵の呼び方に、私の眉がピクリと跳ね上がった。それから、私は彼の眼前に顔を近づけて声を上げ、強く指摘をする。
「お前呼ばわりしないでよね」
「ああ、スマン」
 彼が殊勝に謝罪の言葉を口にするのを聞いて、元の姿勢に戻る私。
 ──まったく。すぐに馴れ馴れしくするんだから。
「でもまあ、そうなるわね」
 私は気を取り直して話を元に戻し、彼の言葉を肯定した。
「だろう? 素直に全てを警察に依頼した方が良かったんじゃないのか?」
「腰の重い警察なんて、端からアテにしていないわよ。侵入者が現れた時に、確保さえしてくれればそれで良いわ」
 それを聞いて彼は、「俺も警察だぞ」と小さく呟いて、肩を竦めた。
「やれやれ、こんな捻くれた娘に育てた親の顔が見てみたいね」
 その声に反応して、私は抗議の声を上げる。
「そこで、親は関係ないでしょう!?」
 それに、そこそこまともなつもり……なのだ。
「そう言えば、嬢ちゃん。家族はどうしてるんだ?」
 夜淵がふと質問を変えて私に問うた。その台詞に、私は少々鬱な気分になる。
「確か、両親や姉妹(きようだい)は、存命だろう?」
 私は、深い溜め息を一つ吐いた。
「肉親、と言う意味では……そうね。姉の方は、何処をほっつき歩いているのかは知らないけれど、妹はたぶん……今でも実家に居るでしょうね。でも──」
 私の表情の陰りと言い回したような返答に、彼は戸惑いの表情を浮かべた。
 更に、テンション低く声色低く、私は確認するように言葉を続ける。別に怒りがある訳ではないのだが、この手の話題はどうも苦手だ。
「いくら金持ちだからって、広い家に一人暮らしをしているような状況を見て、貴男は私に家族と言えるような代物があると思っていたのかしら?」
 昏い気持ちを抱いたまま、私は彼を見据えた。
「あ……と、スマン。深く追求するつもりは、なかったんだ。話の流れというかなんというか……」
 流石に踏み込みすぎたと思ったのか、彼はバツ悪そうに視線を逸らして、素直に謝罪の言葉を述べる。
 ──まったく。デリカシーの欠片もありはしないわね。
 私は再度気を取り直して、話を元に戻す事にする。
「でも……そうね。二週間くらい様子を見て、何もなければ撤収、かな」
 そうして訪れた一瞬の静寂。その重みを帯びた静寂を、携帯の着信音がアッサリと切り裂いた。
「あら? こんな時間に仕事のメール?」
 私は音色から、そのメールが仕事を斡旋してくれているKからのものと知る。携帯のメールに注意が行き、私はテーブルの上に放り出すようにして置かれている自分の携帯に手を伸ばした。
 私が携帯を取るのと、ほぼ同時だったと思う。警報と言うには少々小さい音量で警報音が鳴り、設置しているモニターが一斉に切り替わる。
 モニターはセンサーが感知した箇所を映し出し、その画面の一つに深々と帽子を被った男性らしき不審者を捉えていた。様子を見るに、まさに千夏の部屋の前で、扉を開けているところのようであった。
「嬢ちゃん、名探偵になれるんじゃないか?」
「そんな話は、侵入者を捕まえてからにしてよね」
 夜淵の揶揄を含んだ声をあしらい、私は彼に発破を掛けた。
 ──でも、今鍵を普通に開けていなかったかしら……?
 こじ開けているようにも見えたが、私には扉を開けるまでにそんな時間を取っていなかったように思えた。その事に気付いてか気付かずか、夜淵の方は暇だった分、気合いが入っているようだ。
「仰る通り、ここからは警察の仕事だな」
 彼はそう言うと、携帯で待機をしている周辺の警察に連絡を入れながら、背広は羽織らず、ワイシャツ姿のままで玄関から飛び出して行った。
 暫くして、隣の部屋で大きな物音がする。その音はすぐに収まったのだが、更に少し経ってから窓を力強く開けるような音がして、リビングの窓越しに人影が下に落ちて行くのが見えた。
 私は驚いて、リビングからベランダへ出ると、階下を覗き込むようにして確認する。
 そんな私の視界の横から、落ちていった人影を追いかけて、勢いよくワイシャツが宙を舞って落ちて行った。
 ──ここ、二階よ!?
 いくら下に植木がある事が分かっていても、下手したら怪我では済まないかも知れない高さだ。しかし、人影とワイシャツが下の植木のところで揉み合っているのを暗がりの中に確認すると、私は少し胸を撫で下ろして揶揄の声をワイシャツに飛ばす。
「お願いだから、ちゃんと捕まえてよね!」
 声が届いたのか、彼は侵入者を取り押さえながら、右手を挙げて反応したのだった。
 差ほど間を置かずに、周囲から応援らしき人影が見え、状況はどうやら収束に向かっているように見えた。
「さて、と」
 一部始終を見届けて、私はリビングへと戻る。そして、大きく息をして気分を切り替え、先程届いたメールの事を思い出した。
「ああ、そうだ。メール、メール」
 私はそう呟きながら、手元にもった携帯のディスプレイをスライドさせた。そして、メールの中身を確認して、その内容に驚く事になる。
「え……?」

From:Agent K
件名:「サイト改ざん予告に対する緊急事案」ケースAの指名オファーについて
本文:担当顧客から“ネット・ウィッチ”に対する指名オファーがありましたので、内容の確認をお願いします。状況はイエロー、信頼確保を最優先でお願いします。契約内容、および報酬等詳細は、添付の資料を──

「まったく……。何て事なのかしら!」
 このメールによって、夏休み中の比較的ゆったりとする筈だった私のスケジュールは、大きな変更を余儀なく迫られる事となる。そして、それは同時にMAXIに関わる長い事件の始まりでもあった。


第二話・終

 「記憶ノ守の──」 第二話

引き続き、手に取って読んで下さり、ありがとうございます。

 「記憶ノ守の──」 第二話

舞台は現代・日本。 記憶を保ちながら転生を続ける過去見の少女・寺島茉希。 MAXIなる存在を探し求める中、彼女は事件に巻き込まれ、あるいは首を突っ込みながら、付き纏う刑事に信頼を寄せていく……。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-23

Copyrighted
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