「記憶ノ守の──」 序、第一話 

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 十二歳、秋。風の強かったある夜……京都にある実家の屋敷が、燃えた。
 夜、屋敷に戻ってきた私が気付いた時、火は出たばかりで、出火は火の気がない筈の、当時私が使っていたラボからだった。
 まだ消防車も到着しておらず、私は妹の亜(あ)紀(き)を探して、火に包まれ始めた屋敷の中を走り回った。
 一フロア回ると大人でも五分以上は掛かる三階建ての洋館を一階から順に探し、三階の書斎から続く屋根裏の書庫でやっと彼女を見つける。
 九歳になる妹は、それこそ何処にでも場所はあるだろうに、屋敷上の、屋根裏部屋の、更に隅っこの、薄暗い明かりが何とか届く場所で、捨て置かれた人形みたいな格好で、お気に入りのウサギのぬいぐるみを抱いて、隠れるように本を読んでいた。

「亜紀。お屋敷が火事なの、すぐに出ましょう」
 私は屋根裏に上がる梯子から頭を出して、亜紀に声を掛ける。だが、反応が無くどうやら没頭してしまっているようだった。仕方なく屋根裏に上がり、彼女の手を引く。彼女は驚いて顔を上げ、
「お姉様、いきなり何をなさるの!? 折角、気分良く浸っていたのに──」
 と、苛立ちの声を上げた。
「火事なの。逃げないと!」
「え……?」
 そう言って、私は強引に彼女の手を引く。
「痛い!」
 引っ張られるようにして、もう一方の手でぬいぐるみを引きずりながら、彼女は私の後ろについて階下へと降りて行った。
 書斎へ戻ってくると、周囲は火が回り始めていて煙が上がってきていた。酸味を帯びた、噎せるような炎の臭いに、私は持っていたハンカチを亜紀の口元に中てて、外を目指す。

「あ……」
 玄関が見える正面階段で、亜紀が手に持っていたぬいぐるみを落とし、彼女はそれを取り上げる為に、数歩戻ろうとした。
 一階は既に火が回っていて、周囲は木の爆ぜる音がしていた。私は、彼女に急くように注意を促す。
「亜紀、急いで」
「分かってはいるけど……」
 そう言った矢先、彼女の横にあった柱の一部が燃え落ち、倒れ掛かってきた。
「亜紀!!」
「キャアア! 熱い、助けてっ!」
 私の叫びが届いたから彼女は九死に一生を得たのか、間に合わなかったから左腕に大火傷を負ったのか──今となっては確かめようもない。
 ともあれ、私はぬいぐるみを片手に、火傷で気を失った亜紀を背におぶり、灼熱の屋敷をなんとか這い出たのだった。

第一話 「魔女の礼節と本音」

1 茉希と小太郎

 家の前庭に深緑が茂り続け、東京の強い日差しが止まぬ八月初めの朝。時刻は、九時を回ったところだろうか……?
 私は、眼を覚まし、身を起こす。そして、寝起きのボーッとした頭に手をあてて、色の薄いショートの髪をクシャッと掴み、周囲を見渡した。
 約二十畳ほどはある白を基調としたフローリングの私室には、大した物は置かれていない。今、寝転がっている中央に置かれたクイーンサイズのベッド以外には、壁に据え付けられた大きなクローゼットとドレッサーがあるのみで、大凡十七の娘が生活をしているとは思えない風景だ。きっと誰が見ても殺風景だ、と言うに決まっている。
 窓に取り付けた白いブラインドが外の光を遮蔽していて、部屋は薄暗いままではあったが、既に外が炎天下である事を蝉の声が伝えていた。
「九時……」
 ──起きなきゃ。
 短く独り言を呟き、それからまたしばらくボーッとする。次に壁に掛けられた時計の時刻を目に入れた私は、ハッとしてベッドを飛び出す事になる。
「九時半!?」
 ──お昼前に、アポイントがあったのだわ。
 そこから、私はシャワールームへと飛び込む為、着替えも持たずに慌ただしく家の中を二階から一階へと横切った。そして、歯ブラシを咥えながら、脱衣所で寝間着や下着を投げるようにして脱ぎ、軽く寝汗を流す。さっぱりしたところで湯を止めて、軽く身体を拭くと、少々広い家の中を今度は小走りに歩いて部屋へと戻り、億劫ではあるが身支度を始めたのだった。

 空色のチューブトップとショーツを穿き、私はふと思い出して、ベッドの上に放り出されたノートPCの電源を入れる。
 ──場所と時間を一応、再確認しておかなきゃ……。
 内心でそう呟きながら、クローゼットから白のブラウスを引っ張り出し、用意して貰ったベージュのスーツに身を包む。鏡で自分のスーツ姿を確認した後、私は休止(レジユーム)状態から立ち上がったノートPCの画面を覗き込み、指紋認証を済ませてアポイントの場所と時間を再度確認した。
 ふと視線の端に92%と言う数字が横切る。画面の端に、電気予報と表示された項目だ。現在の値は78%となっている。
 ──今日も、結構暑くなるのかしら? でも、取りあえずサーバーの電力供給は、特に対応しておかなくても大丈夫そうね。
 慣れたとはいえ、毎日不安定な電力供給を気にするのは煩雑な事だ。が、文句を言っても何が変わるわけでもないし、仕方のない事でもある。
 私は、しばらく画面を眺めていたが、気を取り直してノートPCを休止状態にすると、ドレッサーの方へと戻った。
 鏡に映る、まだ眠気を残した顔を見つめて、私はその両頬を叩く。そして、端麗ではあるがキツイ印象を与えている顔の輪郭と目尻を更に引っ張るようにして、気合いを入れた。ショートとはいえ少々目にかかる前髪をヘアピンで留め、軽く化粧を済ませる段取りへと遷る。

「……よし」
 私は満足な声を上げてから、ドレッサーの上に置かれた名刺入れを手に取り、“寺(てら)島(しま) 茉(ま)希(き)”と書かれた名刺の枚数を確認する。最後に、赤縁の眼鏡を掛けて鏡で確認すると、外見的には十七歳にも、学生にも見えぬであろうキャリアな感じのOLが完成していた。
 身支度を終え、同じくドレッサーの上に置かれた携帯を手に取って、私は寝室のある二階から一階へと降り、奥の書斎へと足を運んだ。

   ◆◆◆
 この家の構造は、少々複雑だ。
 二階の三部屋は空き室で、もう一部屋が先程いた寝室。そして、クローゼットの奥にもう一部屋あったりするが、普段は出入りしていない。どれもだいたい二十畳程度の広さで、クローゼット奥にある部屋以外は、別々の廊下から階段で一階のリビングへと繋がっている。
 リビングは長方形で四十畳ほどあり、キッチンやダイニングからは両面ハッチのカウンターで仕切られているだけで、見渡せる感じだ。五十インチ大の液晶テレビに、ホームシアターシステム。その中央に六人掛けのソファーが、フローリングの上に敷かれた絨毯の更に上に置かれていて、一応寛げるようにはなっている。

 カウンターの前を通り抜ける際、用意されていた作りたてのサンドイッチを一つ摘んで口に放り込み、私は玄関とは逆にある奥の廊下へと進んだ。
 ──ツナの量が、今日は少し多い。後で言っておかなくては。
 そんな、誰かが聞けばどうでも良さそうな詰まらぬ事を考えながら、廊下を歩く。途中客間が三つほどあるが、今日は客が居るわけでもないので、そのまま素通りして、私は突き当たりにある書斎の扉を押し開けた。
 書斎は、壁一面が情報処理に関する専門書で埋め尽くされていて窓もなく、少しカビっぽい匂いが鼻腔を刺激した。
 結構頻繁に空気の入れ換えはしているつもりなのだが、窓がないので書斎と繋がっている隣部屋の窓を開く必要がある為、どうしても空気は籠もりがちだ。
 取りあえず、空気の入れ換えは午後に来る家政婦に任せる事にして、私は書斎の奥にある机へと向かう。そして、机の横に置いてあったファイルケースを上に置き、そこに置いてある書類を挟んだファイルごと詰め込んだのだった。
「準備OK、っと」
 時刻は、十時十五分。
 ──時間は、まだ大丈夫。
 私は、壁に掛けられた時計で時刻を確認して一人頷くと、ファイルケースを手に持ち、残ったサンドイッチを処理すべくダイニングへと戻る事にした。
 ダイニングに戻ってくると、私はポットに入れられた温かいコーヒーをマグカップに注いで椅子に腰掛け、二つ目のサンドイッチを手に取る。それを口に頬張ろうとした時、インターホンの鳴る音が私の動きを制止した。それから、近くの壁に設置してあるモニターを覗き込むようにして訪問者を確認する。
 ──まったく、五月蠅いったらないわね。
 モニターに映ったむさ苦しい雰囲気を纏う見知った人影が、剪定の行き届いた前庭に縫うようにして敷かれた階段を上がってくる様子に、私は鬱な気分になって心で呟く。そして仕方なく席を立つと、玄関へと出迎えに向かった。

   ◆◆◆
 剃り残しが目立つ無精髭に、櫛を軽く通しただけのボサッとした頭。それから、こんなに日差しが強い朝だというのに、どんよりとした眠そうな眼。そのくせ、奥に潜む光は鋭い。そして何よりも、恐らく徹夜でもしたのであろう、皺の寄ったスーツに私は眉をしかめる。靴も、少し煤けているのが目に留まった。
 夏の、それでなくても蒸し暑い朝に、そんな暑苦しい人物が家の玄関先に今立っている。名を“夜(や)淵(ぶち) 小(こ)太(た)郎(ろう)”という。確か三十一歳で既婚、だったと思う。職業は公務員。故あって、私に付きまとっている警察の人間だ。
 別に、ここに来る前に軽くシャワーを浴びて、奥さんに着替えを貰ってくれば良いだけの話なのに……。これが付添人かと思うと、本当にウンザリするわ。
「よう」
 無精髭が柄の悪そうな低い声で、私に声を掛けた。自分でも憮然としていると分かる表情で、私は頭一つ分高い位置にある彼の顔を見上げる。
「……」
「どうした?」
 睨め付けるような私の視線に耐えきれなくなったのか 彼が問うた。
 ──おはよう、程度の事は言って欲しいものなのだけれども。
 どうやら、彼にとって挨拶というものは、朝も昼も関係がないようだ。
「……何でもない。おはよう」
 私は夜淵から視線を逸らして、「何でもない」と言った傍から矛盾した台詞を吐く。
「別に、家まで来なくても」
「そういう訳にも、いかない。情報は生き物だし、何時やってくるか分からないからな。毎日だってしぶとく顔を出すさ」
 得意げな様子で高説を垂れる彼の顔に、私は再度視線を向ける。
 ──まったく以て、ウンザリだわ。
 私が呟いた心の声を知ってか知らずか、夜淵はニヤリとして私の服装を値踏みするように眺めてから、私に今日の予定を聞いた。
「で、今日は何処へ行くのかな?」
「……ただの仕事。ついて──」
 ──来ない訳がないか。
 最後まで言葉を紡ぐ事なく、私は途中で諦めて項垂れる。そんな私の様子に、満足げな声が追い打ちを掛けてくれた。
「嬢ちゃんも、そろそろ分かって来てくれたようで、助かるね」
 分かりたくもない。
 私は、益のない会話に時間だけが無為に過ぎゆく事にも飽きて、溜め息を一つ吐くと、気を取り直して夜淵に聞いた。
「出掛けるまでもう少し時間あるから、コーヒーでも飲む?」
「馳走してくれるのか? 有り難いね」
 ──このまま素直に帰ってくれる相手なら、喜んで追い返しているわよ。
 そんな心の言葉は表に出さず、代わりに無言で身を翻し、私は家の中へと入っていった。そして、ダイニングへ向かって歩いている時にふと思いついて、期待はせずに夜淵に聞いてみる。
「ちなみに、車で来たの?」
「いいや、歩きだ。庁舎は、すぐそこだしな」
 彼は、親指をクイッと表に向けて指しながら答えた。その指先にある廊下の窓から、高層ビル群の天辺が遠くに見えた。
 ──まったく……。少しくらい気を回しなさいよ。
 返ってきた予想通りな彼の返答に、私は内心で悪態を吐き、左ポケットから面倒臭そうに携帯を取り出す。それからディスプレイをスライドさせて内線を呼び出し、しばらくして出てきた声の主に、短く用件を伝えたのだった。
「斉藤。車を一台、玄関前に回して頂戴」



2 契約

 私が夜淵と、正確には警察と関係を持ったのは二ヶ月ほど前の、六月の話だ。
 “MAXI関連”。彼らは、そう呼んでいるらしい。事件そのものは、個別の、直接的には関連がないものばかりだ。
 例えば、官僚の裏金取引。例えば、省庁関連の施設建設におけるプロパガンダ疑惑。例えば、公共事業企業の癒着、等々……。中には、爆破予告的なものもあったりする。
 しかし、関連がないと言いながらも共通している事はある。それは、“国家や公共に関係するものが、その大半を占めている”という事であった。
 それと、もう一つ。MAXIなる人物が関与しているらしいという事である。故に、“MAXI関連”と呼ばれているそうだ。
 ハンドル名、MAXI。これらの事件が明るみになった背景には、全て“彼”からのリーク情報があるのだ。ネットの匿名掲示板を介して情報が公開され、未だにその人物の特定が出来ていない。情報のソースは、主に写真・書類データ・通信ログの三つで、何れもガセと言うにはあまりに辻褄が合い、反論出来ない事実に裏付けられている。そして、そのほとんどが事件として成立した。
 ニュースを聴くに、事件そのものは淡々と処理をされているとの事だ。だが、本来入手すら困難な類の情報を第三者に公開されている現状を警視庁が重く受け止めた、という事らしい。事件の裏で、このMAXIなる人物を特定すべくプロジェクトが組まれた、というのがこの状況の発端である。
 そして、一介の学生である筈の私、寺島茉希が「何故、このMAXI関連について事情に通じているのか?」というと、私もずっと探しているのだ、そのMAXIを。

   ◆◆◆
 警視庁の一室。机が一つと椅子が四つ置かれた、他には何もない部屋。
 何もない、というのは若干語弊があるかもしれない。天井には監視カメラやマイクがあったし、壁には交通安全強化月間だか何だかのポスターが貼ってあったのを覚えている。でも、まあ取り留めて何があるというわけでもない部屋だった。そこで私は、ある事件についての事情聴取を受けていた。携帯の表示時刻は、二十一時を回ったところであった。
 丁度、コンビニに買い出しに出たところで夜淵という刑事に声を掛けられ、同行の同意を求められたものだから、服装も赤とネズミ色のチュニックにレギンスといった家着状態で、羽織ったベージュ色のカーディガンにクレジットカードの入ったカードケースを持っているだけだった。靴に至っては、サンダルだ。あと、伊達なのだが、外に出る時は何時も掛けている赤渕の眼鏡をしていた。
 私がMAXIを探し回っている事を警察が嗅ぎつけ、監視し、私に事情聴取の任意同行を依頼した、というのが経緯ではあるのだが、拒否をしても堂々巡りになりそうだったし、こちらとしても新たな情報源が欲しかったという事も手伝って、私はその事情聴取に同意したのだ。
「寺島茉希、十七歳。旧財閥の流れを汲む寺島家の次女で、専門学校NIITの二年。十二歳で大学検定合格後、京都の大学を卒業して……また、専門学校なんだ?」
 向かい側の席に座ったスーツ姿の若い男が、私の経歴を確認するかのように質問する。
 ──刑事職の人だろうか? でも、家まで調べてどうするつもりなのだろう?
 意味のない詮索というヤツだ。
 まあ、どういうつもりにしても、どうでも良い相手に、こう高圧的に聞かれたのでは、良い気分はしない。
「……その質問は、事情聴取に何か関連があるのでしょうか?」
 私は少々気分を害したが、素っ気なく、感情を出来るだけ乗せない声で、目の前にいる若い男(恐らく刑事だろう)をジッと見据えて聞き返す。
「いや、その……。特にはないんだが、一応の身元確認みたいなものだ」
 若い刑事は返答に窮して言葉を濁した。
 身元確認というのなら、学生証や免許証の類とかで良いだろうに……。
 彼の反応をただ観察していただけなのだが、冷静な視線がどうやら相手を気押してしまったようだ。が、流石に視線までは怯まなかった。
「そうですか。では、早く本題をお願いします」
 相手を気遣う必要も義理もないし、状況を有利に進められる方を優先する事にして、私は続きを催促する。
「あ、ああ。そうだな」
 そうして、彼の本題とやらが始まった。
「MAXIなる人物とは、知り合いなのかい?」
「いいえ」
「MAXIの存在をどうやって知ったんだい?」
「ネットの情報で」
「何故、キミはMAXIを探しているんだい?」
「自分の身を守る為」
「それを詳しく教えて欲しいんだが、難しいのだろうか?」
「言葉通りの意味、なのですが……?」
 自分で催促しておいて何なのだけれど、今更過ぎる質問が投げ掛けられ、私は思わず溜め息を一つ吐いてしまった。
 ──やれやれ。全くどうして公共に携わる人達というのは、物事一つ聴くにも回りくどい人種が多いのだろうか?
「逆に、私からも聞いてもいいでしょうか?」
「期待に添えないかもしれないが、構わないよ」
「貴方がたは、MAXIがどういった存在かすら把握出来ていないのですか?」
 私の投げかけた質問に、若い刑事は咄嗟に捲し立てるように声を返す。
「MAXIは危険な人物なんだ。下手に関わらない方が良い事くらい──」
「そちらにとっての危険であって、私にとって、ではないのですけれども。勘違いなさらないで下さいな」
 私は、素っ気ない口調で彼の主張を躱す。私の言葉が、彼の顔を紅潮させていくのを、私は手に取るように感じた。
 そう、反社会的、もしくは反政府的なリーク行為は、私にとっては極論を言えば、どちらでも良い事なのだ。例え、MAXIという存在が法を犯していようが、だ。しかし、具体的な回答がないというのは──。
「キミは、反社会的な行為を繰り返す輩に、何を頼みたいと言うのだね?」
 私の思考を遮るように、苛立ちを含んだ詰問が飛んできた。私もその言葉が含む棘に、些か苛立った言葉と視線を返す。
「何時、私が“頼みたい”と言いましたか? “探している”と言ったのですけれども?」
「あ、ああ。失礼」
 私の言葉に、若い刑事は勢いを削がれて、口をどもらせながら訂正の言葉を述べた。そのまま、今度は私が切り込んでみる。
「それで、質問の答えは“把握出来ていない”という事なのでしょうか?」
「え……と」
 言葉を完全に詰まらせてしまった若い刑事に、私は二つ目の溜め息を吐いてしまった。

「ふう。全く、話にならないわね」
 そう言って、私はカーディガンのポケットから黒く鞣された革のカードケースを取り出し、名刺を机の上に指で止めて一枚置く。
「私は、寺島茉希。一応最低限、素性については調べているようだけれども。……ダメダメね」
「なっ!?」
 私の言葉に、若い刑事は苛立たしげな視線を向けた。それから机の上にある白い紙片に目を落とす。
「セキュリティ、コンサルタント……?」
「家は、全く関係ないわ。個人でやっているの。と言っても、必要に応じて人は募るし、業者を使う時ももちろんあるんだけれど、ね」
 彼の疑問に、私は自分の経歴を少し付け足した。
「私がMAXIを探しているのは、私自身の身を守る為に必要だからよ。これについては、今のところ詳細を語るつもりはないわ。でも、そちらがMAXIを捜索してくれるというのであれば、協力を拒否する理由もない。そこで……」
 そう言って、先程なされた詰問に答え直した上で、更に付け足す。
「この件について、技術支援あたりで契約をして頂けるのであれば、私が持っている情報を継続的にお渡しする、というのはどうかしら?」
「おい、警察を何だと──」
 ようやく気勢を取り戻した様子で、若い刑事が口を開いた。が、そこは既に譲る気はなく、私は席を立った。
「だって、もっと何かを掴んでいるかと思っていたのに、全くお話にならないのだから仕方がないわ。他人に頼る情報は──」
 自分の年齢に似合わぬ視線を彼に落として私は口上し、途中で一端止める。彼の瞳が怯むのを確認すると、私は満足して一歩前に出て片手を机につき、身を迫らせて続けた。
「タダじゃあ、ないのよ?」

   ◆◆◆
「お前の負けだな、磯村」
 完全に押し切った私と押し切られた若い刑事の舞台に、別の男の声が飛び込んでくる。視線を上げると、差ほど広くもない部屋の、一つしかない入口に、その男は立っていた。がさつな印象を受ける三十代くらいの、無精髭が気になる、ついでにスーツの皺も気になる男だ。そして、確か私に声を掛け、任意同行を求めた人物でもある。
「夜淵警部補……」
 先程まで私に事情聴取をしようとしていた若い刑事は、情けない声をあげて彼をそう呼び、彼は謝罪の言葉をまず口にした。
「一応、コイツの上司なんだ。部下が、不作法で申し訳ない」
「……そうね。そこいらの家出娘と同じ扱いをされるとは、思ってもみなかったから。挨拶すらなっていないなんて──」
 彼の言葉に、私も大人げないとは思ったが、体裁上言いたい事は言い放つ。
「論外だわ」
 それから、少し頭を冷やして一礼し、言い過ぎた事を謝罪した。
「でも、少し言葉が過ぎました。申し訳ありません」
「ほら。お前も、非礼はお詫びしておけ」
 夜淵と呼ばれた男が仲裁をして、磯村と呼ばれた若い刑事は席を立ち、一礼をして私に非礼を詫びた。そこから話は本題へと戻り、今度は夜淵と呼ばれた男が私に質問をする事になった。
 私は席に再度座ると、赤渕の眼鏡を少しズラして、改めて向かいの右手に座っている夜淵という男をジッと見つめる。
 ──夜淵小太郎。三十一歳、既婚。階級は警部補。警視庁のサイバー犯罪対策課勤務。現在は、MAXI関連プロジェクト専任、か。
 どうやら役職や名前は本物らしい事を、私は再度認識した。
 これは別に、彼の身上調査をした、という訳ではない。かなり不思議に思うかも知れないが、私には少し変わった特技というか、能力があるのだ。感覚的には、本に書かれた文章を目で見て読み解くように、対象に刻まれた情報を読み取る……といったところだろうか。意識を集中すれば、特定条件下にある対象の過去を深く識る事も出来る。が、今はそんな事をする必要もない。そして、他人のプライベートを覗き見る趣味もない事だけは、この事を知る者には分かっておいて欲しいところでもある。
 私は夜淵警部補から視線を逸らすと、中断していた話を進めた。
「で、今具体的に欲している情報というのは、何ですか?」
「もちろん、ホシの居場所」
 私の聞き直しに、ニヤッとして夜淵警部補が答えた。
「そんな情報があれば、私が先に向かっていますよ」
 少々ムキになって答える私。──少し子供じみた切り返しだ。
 そんな私の答えに夜淵警部補は両手を挙げて、「冗談だよ、すまない」といった様子で言い直す。
「先程の話を聞くに、まあその通りだろうな。なので、居場所や人物特定に繋がる情報かな」
 私は少し思案を巡らし、過去探った中で、特定に至る情報がなかったかを確認し直す。が、思い当たらず首を振った。
「そういえば、“身を守る為”と言っていたかな?」
「え? あ、はい」
 不意に聞き直された事柄に、私は慌てて返事をする。
「具体的には?」
「その言葉のまま、なのですけれども……」
「何かから身を守る為、とかかな?」
「そんなところです」
「……まあ、いい。取りあえず、犯人……と言っても差し支えはないだろう? を捕まえる事自体には、協力頂けるみたいだし」
「そう、ですね。持っている情報は、提供させて貰います。継続的に、と言われると私にも仕事や学校がありますし、先程の技術支援契約の話を考えて貰えないか、という事になるのですが」
「ふむ」
「で、提供頂ける情報というのは、何かな?」
「彼らが、ハッキングに使っているプログラムについて」
 私の言葉に、夜淵警部補が動きを止めて反応した。そして、顔から余裕のある笑みが消え、私に質問をする。
「何故、そんなものの存在を知っているのか、から伺っても良いかな?」
「仕事柄、偶然と言ったところでしょうか。偶々……と言っても私も追いかけているので、その捜索上で、というのが正しいのですけれど」
 彼の言葉には、重箱の隅に残飯があれば即突いてきそうな重圧のようなものが追加されてはいたが、私は事実を事実として淡々と伝える。
「なるほど。で、そのプログラムが使われたという証拠的なものもあるのかな?」
「ええ。詳細を警察で捜索されるというのでしたら、この事が私の持っている情報、という事になりますね。プログラム本体のコピーも含めて、経緯や詳細の情報もお渡ししますよ」
 夜淵警部補の顔に、探していたものをようやく一つ見つけたような喜びの表情を垣間見るが、私は更に言葉を続けた。
「ですが、その他の痕跡捜索やら証拠提出に継続的に協力、という話であればコストも掛かりますし、そこまで私が手を尽くすという話も可笑しいですから、仕事としての契約なり見合うお約束がない限りは、お断りさせて下さい」
「なかなか、上手いねえ。しかし、な──」
 私の言葉に、彼は椅子の背にもたれ掛けて上を向き、少し唸りながら声を漏らす。
「未成年を巻き込むほど、人材に不足しているわけでもないしなあ」
「そこは、仕事と割り切って法人同士の契約をして貰えれば、問題ないと思うのですけれども? 実績という意味でしたら、裏家業というわけでもないですから、そちらでもすぐ調べはつくでしょうし……」
「ふむ……」
 私が足した言葉に、今度は少し下を向き、思案する様子を見せた。
 その様子をしばし眺めてから、これ以上話をしてもすぐには進まぬ事を予想して、私は彼らに伺いを立てる。
「すぐに判断がつかないというのであれば、これで失礼させて貰っても? これ以上聴かれても提供出来る関連情報もなければ、協力できる事柄もなさそうですし……」
「そう、だな」
「警部補、良いんですか?」
 夜淵警部補が頷くのを見て、磯村と呼ばれた若い警官が聞き直す。
「ん? お前は何か聴いておきたい事があるのか、磯村?」
「いえ、自分もないですが……」
「俺も、今のところはなくなっちまった」
 夜淵警部補はそう言って、軽く笑ってから私の方を向き直って声を掛ける。
「そうだな。時間も時間だし、お嬢さんを自宅まで送るとしよう。また、聞きたい事が出来たら、協力を仰いでもいいかね?」
「もちろん、構いませんよ」
 彼の言葉に、私は笑みを浮かべて軽い調子で答えた。

   ◆◆◆
「なあ、教えてくれないか?」
 帰りの車内で、夜淵警部補が運転をしながら、私に問うた。私は、少し身構えて聞き返す。
「何でしょう?」
「警戒されてるねえ。あんまり緊張しなくても良いさ」
 軽く笑って彼はそう言い、その気遣いに私は「ありがとう」と答えてから、言葉を足した。
「茉希、でいいですよ」
「どうして、快く情報を提供してくれたんだ?」
 聞き方を考えていたのだろうか? 少し間があってから、彼は私に質問を投げかけた。私は迷う事もなく、その答えを彼に返す。
「簡単な事だわ。私にとって、警察が追いかけている“MAXIなる人物”というのに興味がないから、よ」
「でも、追いかけているんだろう? ネットの匿名掲示板や情報屋あたりを、熱心に探しているそうじゃないか」
 私の答えに彼は驚いた様子を見せるが、私も彼の言葉に目を大きくしてみせた。
「よく私と特定出来ましたね、感心します」
「まあ、それはそれとしてだ」
 彼は、「はぐらかさないでくれ」といった感じで咳払いをして、言葉の真意を問い質すように視線を私に送り、続きを促す。
「私の目的は、“MAXIなる人物”に会う事、だからかな」
 少し遠い目を、私はしてみる。
「会う事?」
「そう。encounterでもいいし、meetでもいいの。会えれば、それで……。欲を言えば、話が出来ると一番良いのだけれども」
 ──そう。後は、自分の能力で探ればいい。
 軽い出会いを求めるような口調の私に、彼は片手を額にあてて説明を求める。
「相手は、テロリストみたいなものなんだぜ? いや、実際にそうなのかも知れない。単に会いたいとか、そんな理由を納得しろってか?」
「契約書か誓願書あたりに、明記してもいいわよ?」
 更に笑って言葉を足した私を見てから、彼は顔を覆って理解不能な様子を言葉に出した。
「何だってんだ?」
 それ以上、車内で彼との会話はなく、私は自宅へと帰り着いたのだった。

 翌日、警察から情報提供を目的とした支援契約の連絡が、私の携帯に入ってきた。



3 ネット・ウィッチ

 ネットワークは、今や生活基盤と言って過言ではない。何キロメートルにも渡る銅線や光ファイバー、無線による通信網が社会の神経であり、循環システムそのものなのだ。故に、企業にとって、自社内のネットワークを構成するリソースを死守する事は、生死を分かつ命題の一つと言えよう。
 認証、暗号化、防火対策等々。様々な技術・手法がネットワークに応用され、セキュリティという分野で活用されている。
 同時に機器の高性能化に伴い、これらの脆弱な部分を狙った破壊・不正侵入(クラツキング)行為が高度化している事実もまた否めない。まさにイタチごっことも言える。

 話は、八月の朝に戻る。私と夜淵は自宅を後にして、執事の斉藤が手配した車で、客先へと向かっていた。
 その車内の後部座席で、私は助手席に座る夜淵に苛立ちながら、ひたすら抗議をしていた。……出来れば、仕事についての話をしたかったのだが。
「だぁかぁらぁ。どうして、そうなるのよ!? 一時間くらいで終わるから、外か車内で待っていてくれればいいの!」
 読み終えた新聞を丸めて、彼の方に突きつけながら、私は声を大にしてそう主張した。
「何度も言っているだろう? 警護だって。それに、同行しても支障なんてないじゃないか」
 ──警護なんて、要らないのに。
「私の仕事なのだから、邪魔をして欲しくないだけよ」
「するわけないだろう? 俺も仕事、だ」
 ──既に、そのだらしない格好からして邪魔なんだけれども?
 それに、先日別の客先に同行された時も、サーバールームで足にLANケーブルを引っかけて、ちょっとした騒ぎになってしまったのだから、信用がならない。
「それに──」
「それに、契約事項を遵守しているだけだぜ?」
 私が更にひと言付け加えようとしたのだが、空々しく奏上された夜淵の鋭い一言に、逆に頭を抱えて私は黙り込んでしまった。

 六月にあった出来事の後、七月に私が警察と結んだ技術支援の契約は、大きく二つだ。
 一つは、MAXIに繋がる情報収集の支援で、能動的な情報の収集と何か掴んだ場合は速やかに提供する事。もう一つは、アプリケーションやログ解析などの技術支援で、こちらについては実費を伴う場合、別途請求できる事となった。契約期間は一年間。以降の契約は、必要に応じて更新する事になっている。
 私が厄介だと思っているのは、付随する契約のほうだ。私もMAXIを捕まえる事が出来た場合、その人物もしくはその首謀者に聞き取りをさせて貰う事を盛り込んでいるのだが、警察の方は情報入手の精度向上と協力者(つまりは私の事)の安全を理由に、警護を一人付けたのだ。
 もっとも、護衛というのは建前で、実質監視に近い。現に今も、私は夜淵に付きまとわれ続けているのだから。

「なら、最低限の身嗜みくらいは、調えておいてよね」
 私は憮然としたまま開き直り、遠吠えのような口調で、夜淵に注文を付けた。だが、彼は不思議そうな顔で、少し困った顔をして聞き返す。
「これじゃあ、不味いか?」
「……」
 もはや基準の違う価値観を議論したところでどうにもならないという事を、この時私は理解した。
 私は何も答えず、彼を背中越しに睨め付ける。そうして会話が途切れ、不意に車の風を切る音だけが車内に流れた。
「……スマン」
 しばらくして返ってきた彼の短い謝罪に、私は窓の外に視線を移してから、仕方なく譲歩の言葉を投げつける。
「もう。ついてきて良いけれど、大人しくしていてよね」
「分かってるよ」
 ──どうだか。
 嬉しそうに相づちを打つ夜淵の声に、私は諦めの声の代わりに疑問の声を一つ上げたのだった。
「どうして、こんなのと夫婦(めおと)になる女性が居るのかしら……?」

   ◆◆◆
 時刻は、十一時半を少し越えたところ。訪問した先はとある商社で、この数ヶ月に渡って私が仕事を手掛けてきた顧客(クライアント)である。
 水色のカーペットを敷き詰めたOAフロア。ブースに仕切られた打ち合わせコーナーで、私は出迎えてくれた若い男の人に、持って来た資料を手渡す。隣には、もちろん夜淵が座っている。
「一部、“通信出来ない”などの問い合わせはありましたが、事前に頂いたマニュアルのおかげで、端末ハードウェアの不良トラブル以外は混乱もなく、業務にも支障はありませんでしたよ」
 向かいに座った若い男の人が朗らかに笑って、昨日終わった社内ネットワークの切替について、問題がなかった事を告げてくれた。田中さんといって、今件の窓口担当者だ。身長はそんなに高くはないが、精悍な顔立ちで好感がもてる青年といった感じの人である。
 私は、渡した資料の写しを手元で確認しながら、要点を掻い摘んで説明をする。
「仕様書の通り、社内のネットワークにおける通信は全てサーバー・クライアント間で暗号化され、各接続ポートは認証がなければ通信が出来なくなっています。通信内容については、通信記録サーバーで確認出来るようになっていますが、有事の際に解析を行うには、詳細な情報を取得出来るようになった分だけ、時間が掛かるようになった旨はご了承下さい」
「それは、了解しています」
「あと、社内ネットワークの高速化も終わりましたが、契約頂いた条件の通り、帯域の約40%が暗号化や認証などのセキュリティ関連に使用されている件もお忘れなきよう」
「その辺りも、問題なく。契約前に、上への説明はきっちり通しておきましたよ」
「なら、良いのですけれども」
 少し憂う表情で私が相づちを打つと、田中さんは少々気になるといった様子で、確認を取ってきた。
「……良く揉めるのですか?」
「説明は御社の場合と同じように行ってはいるのですが、再確認が必要な事も多い事項でして」
 私は、控え目な表現で返答する。何処であっても問題が起きれば、立場の弱いところへ可能な限りしわ寄せが行くのは世の常だ。これは、その類の保険といったところ。
「大変ですね」
「まあ、仕事ですから」
 彼の労いには、笑って答えながら軽く流し、私は話題を先へ進める。
「問題がないようでしたら、最後に現状の設定データを、私の方でも取らせて貰って良いですか? 各業者(ベンダー)の最終検収を上げるのに、提出された資料との整合性確認が必要なもので」
「ええ、いいですよ。では、サーバールームの方へどうぞ」
「有り難うございます。先程お渡しした資料に問題がなければ、これから頂く設定データと仕様の整合性が確認でき次第、プロジェクトの検収を頂いて、この案件は終了となります。……たぶん、明日には提出出来ると思いますので」
「分かりました。前回同様、寺島さんの仕事は早くて我々も助かります」
 席を立ってサーバールームへ私たちを案内しながら、彼は私の話を了承した。
「スケジュール通りですよ。それに仕事ですから、少なくとも費用分の働きは、させて頂こうと心掛けておりますので」
「ご謙遜を。九月前に終われて本当に助かっているんですよ。ああ、そうだ」
 そう言ってから、彼は思い出した様子で私に問いかけた。
「今度、打ち上げに行きませんか? うちの部門長も話をしたがっていましてね」
 ──付き合い、か。あまり気乗りはしないけれども、この規模の案件だと断るわけにもいかないわねえ。
 少々打算的な思案が私の中を走り抜け、私は笑みを浮かべて返事をする。営業スマイルというヤツだ、他意はない。
「お酒ではなくて、ジュースになってしまっても良いのでしたら」
「そう言えば、未成年でしたね。ついつい忘れてしまって、すいません。もちろん、大丈夫ですよ。むしろ飲ませたら、後ろの方に怒られるだけではすみませんし、ね」
 田中さんには、別件で警護の為に警官が一名同行している、という旨を一応伝えてある。彼は右手を頭にあてて、苦笑いを浮かべるのだが、夜淵の方も視線を浮かせて、反応に戸惑っている様子だった。
「ふふふ。でも、どうして九月前なのですか?」
 話題を少し前に戻して私が問うと、彼は何気ない口調で事情を話してくれた。
「ああ、異動関連ですよ。うちは二月と九月に異動が多いので、アカウントの整理やら何やらでバタつくんです」
「なるほど」
「九月末になったら、今度は決算でバタつきますからね」
「予備の日程に滑り込まなくて、幸いでしたね」
「ええ、本当に」
 私の相づちに、彼も同意の声を上げたのだった。
 程なく、人一人が通れる程度の認証ゲートへと辿り着き、私はそのままサーバールームの中へと向かう事にする。流石に、ここから先に夜淵は入れない。
「では、二十分ほどだと思いますが、作業させて貰いますね」
「管理室に居ますので、終わったら声を掛けて下さい」
 それから、私の少し気が緩んだ口調に気付いたのか、彼は「他の作業はありませんから、急がなくても大丈夫ですよ」と、付け足してくれた。
「夜淵さんも、こちらへ。席を用意しますよ」
 二人が管理室の方へ向かうのを見届けると、私は設定データを取る為に、サーバーラックが立ち並ぶ摂氏十八度の部屋の中へと入っていった。

   ◆◆◆
「真夏にホットドリンクとは、理解が出来んな」
 真夏の環境からすれば極寒とも言えるサーバールームと、客先から解放された私は、近くにある喫茶店で冷えた身体をホットのカフェ・オレで暖めていた。店内の気温は二十四~五度といったところだろうか。エアコンの風が直接あたる場所なら、体感はもう少し低いかもしれない。
「貴男も、サーバールームに三十分以上籠もってみれば、私のこの行動に深く共感する筈よ?」
「出家もしていないのに禅修行をする人間の心理並に、理解が出来ん」
 満足げにカフェ・オレを喉に通す私の言葉を、夜淵は一蹴した。意味が分からず、私は思わず聞き返す。
「何よ、それ?」
「わざわざ、共感するつもりなんてないって事だよ」
「じゃあ、素直にそう言えばいいのに」
 ──無駄な事を聞いてしまったわ。
 彼の言葉に呆れて、私はカフェ・オレをもう一口喉に流し込む。
「本当に、普段は一人でやってるんだな」
 唐突に、彼が私の仕事について感想を述べる。特に話したい話題も他に浮かばなかったので、私は若干の訂正をする事にした。
「完全に一人ってわけじゃないわ。仕事は、基本紹介されてやっているだけだし、必要に応じて人も雇っているわよ」
「紹介?」
「斡旋みたいなもの。私の名前や業績が登録されているのよ。そこが必要に応じて、私を紹介する仕組み」
「色々あるんだな」
 物珍しいといった様子の声を彼は上げていたが、私の感覚だとまるで逆である。
「そう? 昔からある仕組みだと思うのだけれど。私から見れば、安定している今のこの国の就業制度の方が、余程不思議だわ」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
「それでか……。嬢ちゃん、寺島茉希と言えば、業界では有名なんだってな」
 ──“嬢ちゃん”呼ばわりされる覚えは、ないのだけれども?
 ……まあ、“寺島さん”とか呼ばれても、気持ち悪いのだけは確かだ。
 続く単語も易く想像出来たが、先に回り込んだ会話をしても詰まらないので、一応会話のキャッチボールというものをやってみる。
「気に掛かる言い方ね」
「ネット・ウィッチ」
 夜淵は、そう言った。私は、一呼吸置いてから、その単語に対する感想を答える。
「その呼び方は、好きじゃない」
「どうしてだ? 格好いいじゃないか」
「犯罪者みたいじゃない」
 子供じみた感想ではあるが、からかわれて使われた状況を想像してみて欲しい。どう転んだって、褒め言葉には聞こえない。
 私は、彼の瞳を直視して、力説する。
「自慢じゃないけれど、生まれてこの方、やって来た仕事に関して、法律スレスレはあっても越えた事はないの。“魔女”なんて、失礼な話だわ」
 彼のキョトンとした反応があり、それからしばらくして一言だけが返ってきた。
「……威張れる事か?」
「う……」
 あっさり言葉を返されてしまった事に、続く言葉を詰まらせて、私は顔を紅潮させた。その様子を、彼は冷めた視線で観察している。
「とにかく! その呼び名では呼ばないでよね」
「わ、分かった」
 彼の視線に耐えきれず、私は声を荒げて気勢で押し切ると、残りのカフェ・オレを喉の奥へ一気に流し込んだのだった。
「この話は終わり!」
 捨て台詞を吐いて、飲み干したマグカップをテーブルの上にあるトレイに置き、私は携帯の時計に視線を送る。
 ……もう少しゆっくりしていても、大丈夫かな?
「腕時計、してないのか?」
 ふと気付いた感じで、夜淵が私に聞いた。その問いに、私は?杖をつきながら答える。
「あるにはあるのだけれど……。ほら、機材を運んだり作業とかするじゃない?」
「それが、関係あるのか?」
 私が投げかけた言葉の意味を、彼は良く分からないと言った様子で問い返し、私は続きを説明する。
「自分の所有物じゃないから、傷を付けたりしないようにって、やっぱり気を遣うのよ。そうしたら、普段もあまり身に付けなくなった……って感じ?」
「なるほどな」
 今度の話は、納得してくれたようだ。彼が頷くのを見て、私は満足感を得る。それから、空のマグカップを乗せたトレイを整理して、彼に声を掛けた。
「そろそろ、出ましょうか」

「あ、そうだ」
 店を出る時、ふと思い至って、私は夜淵に話しかけた。その声に、横を向いていた彼の視線が、私の方へと向く。
「明日は学校だから、警護も必要ないわよ」
「……そうか」
 少し間はあったが、彼から返事が返って来たのを、私は確認する。私の素直な想いは、こうだ。
 ──学校まで、付きまとわれてたまるものですか!



 第一話・終

 「記憶ノ守の──」 序、第一話 

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 「記憶ノ守の──」 序、第一話 

舞台は現代・日本。 記憶を保ちながら転生を続ける過去見の少女・寺島茉希。 MAXIなる存在を探し求める中、彼女は事件に巻き込まれ、あるいは首を突っ込みながら、付き纏う刑事に信頼を寄せていく……。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-23

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  1. 第一話 「魔女の礼節と本音」