陳暦(ちんごよみ) 第4章  卒業写真がない、3年制中学誕生

昭和初期10年生まれまでの人は幼い頃の写真はなかったとゆうのが当たり前の時代。
カメラが持てない、から写真館で撮るが、高いのでなかなか撮れない。
当たり前の「みんなが貧乏」だった。
現在中学は3年制で当然、前の中学と新制中学との違いはと問はれれば教科書の違い
と答えます、戦前の中学教科書は広島師範学校制の教科書でした。

卒業写真がない。

私には小学校の卒業写真はない、のではなくその日写真撮影日の檀上に上がらなかった
からである。

今日卒業写を撮撮するとゆう日になぜか「写真なんか撮るものか、嫌だ」と思った、な
ぜなのか自分でも理由がわからない、何故か、どうしてかは今まで考えることはなかっ
た、地元を離れると同級生との交流もなくなるからだ。

がふとその時を思い起こすと「反抗」期だったのではないか、何故反抗期だったのか、
それは継母のせいかもしれない。

母が33歳で昨年亡くなったし、悲嘆の挙句その年に継母が11月に突然やってきたか
らなじめない日々が続いたのも無理はない。

しかもその継母は口うるさかった、「靴は脱ぎっぱなし」「服は汚す」「家の中でうる
さい」とかつねに独り言のようにつぶやいていた。
本人はそれほどの意味もないのだがつぶやかれた子供には一言一言が気にさわって聞こえた。
近所では「やはり継母だ」と云った囁きがきかれたが噂だけが独り歩きしていた。
今でゆう「ストレス」だが言葉では片づけられない時代でもあった。

或る日、
「ラジオのスイッチは聞かなければ切っておけ」
と散々文句を言われた、おまけに今までの愚痴まで散々ぶちまけられた。
「お前なんか、死んじまえ」
と、ゆうなりばちっと手が耳のあたりに飛んでいた、ぐきっと鈍い「歯」の折れる音がした。
「あっ」と思ったがすでにすべてが終わっていた、これがもとで
「殴られて歯が折れた」
と顔を合わせるたび言い続けられた。
卒業式の写真は友達「丹羽信夫」のアルバム
から写し取ったものが有る。
写真は昭和5年、東京深川で5人家族が幸せな顔で写っているもの以来昭和27年新聞記者
の時の写真と昭和30年東京見物に行った時に撮った写真がある。

「マミヤX」で撮った写真で銀座、松坂屋前と浅草大門前の提灯が写っている写真があるく
らいで私達の結婚写真もない、とゆうよりカメラのない時代だからやむおえないことだろう。

3年制中学誕生。(昭和17年)

昭和17年4月、中等学校は従来5年卒業だったが4年になり、突然のようにその年3年の実
業学校が誕生したのもこの年である。

維新、名古屋工業など新中学校が名古屋市内のへんぴな所へ新設された年でもある、どれも3
年終了の実業学校で6年卒業生65人一組で5,6人だった中学進学生が倍くらいになった。
御剣小も5組あり一組で12人が中学へ進学した、組一番の出来のいい子でも中学まではとゆ
う時代で、高等小学校へ進学した、中野君と云って昼の弁当のおかずは毎日「めざし」だった、
それでも中学へ進学したい子は1年、2年行っても再度中学進学するとゆうこともあったから
年も一つ、二つ上なので勉強の出来もよく級長だった。

鉄道学校をすべった(弱視)私は第一工学校へ入学した、あくまで父の進言で、嫌とも言えず
第二志望の学校だった。

学費は親がだすのだから親のゆうまま、戦争も激しくなって「機械科」の需要が多くなるから
「機械科」を選んだ、まして「職人」にはさせたくないと考えたからだった。

初めて「コンパス」「T定規」「皮靴」「下げ鞄」「ゲートル」「市電定期」と持つものすべ
てが新鮮だった。しかし皮靴も次に買うときは「豚皮」の靴で牛皮の匂いと一寸違う匂いで表
面のブツブツぼ少し大きかった。。

「ラッパ吹ける者はいないか」と副校長が叫んだ、とっさに「はい」と手を挙げていた。

小学校からラッパの特意だった私は、出征兵士の見送り時にはなくてはならない子供だった。
隊列を組み100人くらいが出征兵士を先頭に神社へ武運長久の祈りを含めてお参りする。
学校ではトテチテタで構成された「陸軍のラッパ譜」で日頃の練習をした、学年担当の「牛田」
先生は「ラッパなど辞めとけ」と目を合わすたび言われた、が行軍では一番先頭だったので休憩
の時は多く休むことが出来た、何故か、それは一番前に休めがかかると一番最後が休む時間10
分位は余分に休めるからだ。

初めての進軍ラッパを吹いたのは小牧飛行場を作るため勤労奉仕をした一週間だった。

それ以来戦況も慌ただしくなったのでラッパを吹く機会はなくなった、成人して自分の「歯」が
人より大きく虫歯で困ることがたびたびで、これもラッパを吹いたせいかと思ったが後の祭りでした。
2年生初夏から「工廠」「大同工業」へ勤労奉仕が続き学校へいくのはわずかだった。

当時学んだ英語、幾何、製図、微分積分など未だに頭には多少残っている。

陳暦(ちんごよみ) 第4章  卒業写真がない、3年制中学誕生

まだまだ続きます、引き続きお読みください。

陳暦(ちんごよみ) 第4章  卒業写真がない、3年制中学誕生

戦前、戦後を記憶のままに綴っています。 一部記憶違いもあるかと思いますので、ご存知の方はお知らせ下さい。

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  • 青春
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-23

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