昇華(size)

文藝部楓

 アパートの2階、よくあるワンルームの僕の部屋。暑くなって開けた窓から⒓月の冷えた空気が入り込んでカーテンが揺れる。僕だけしかいない部屋。ベッドには彼女だったものが横たわっている。誕生日に僕がプレゼントしたチェックのマフラーが首に深く巻き付いている。もう死んでいる。さっき殺した、僕が。
 僕は冬の空気が入りこむ部屋の中での唯一の熱源だった。全力疾走したあとのような汗をかき、時折自分自身の息遣いが感じられる。視界が揺らぎ歪んだ思い出が蜃気楼のように目の前に映し出される。
『別れようって言われたんです』 
 昨日会った時の、彼女の嫌そうな、面倒くさそうな、少し申し訳なさそうな、顔。それが一度に僕に向けられたのは初めてで、どうしたらいいのかわからなかった。
『浮気されてたんです』
 しばらく会えない日が続いていた先月のある日、街で彼女を見つけた。けれど隣に知らない男が居て、その時点から必死に僕の思考は否定をしていた。彼女がその男と手を繋ぐところを見るまでは。彼女は笑顔を見せていた、その男に。久々に見る彼女の笑顔。実際には見ることのできない僕の歪んだ顔。同じ顔のしわに雲泥の差があった。
 激しくなった呼吸に気づいて僕の意識は部屋に戻っていた。冷たい空気が胸に突き刺さる。沸騰した汗は肌を焼き、空気は肌に染みる。震える手で、昔のように彼女と手をつないだ。だけどあるはずの返す感触がなく、温もりも与えてくれない。彼女の体から消えた生命を埋めようと僕の手のひらから熱を奪っていく。
 昇華なのだ、ドライアイスが液体になることなく気化するように愛情という状態はいともたやすく憎悪に変わる。だがそのエネルギーはあり余って僕に牙を向ける。後悔、罪悪感、喪失感、それらが一気に襲い掛かる。
『だから殺しました。誰かに奪われるくらいなら』
 強すぎた愛情は少しベクトルがずれるだけで大惨事となる。好きの反対は無関心であって嫌いではなかった。愛と憎しみは近いベクトルだったのか、それとも憎しみも愛の一部なのか。
『彼女を失った僕は死んだも同然、死刑でも構いませんよ』
 すっかり外と同じ温度になった部屋と彼女。愛情の対象を失った僕の体温は熱いままだった。

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2015-06-15 「温度差」

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-16

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