君をディナーに

君をディナーに

1. シェリダンとスタンレイ

「人間って、食べることが好きだよね。朝だろ、ランチだろ、そしてディナー。
 その間にお茶の時間と称して、また何か飲んだり、食べたりするし、夜食まで食べる時がある」
 シェリダンは、椅子にまたがるように腰掛けて、ベッドにいる双子の兄のスタンレイを見た。
 顔色は良くないし、茶色の目はうつろだ。シェリダンの方を向いているが、彼が話していることが解っているのかどうかも怪しい。
 一年前、スタンレイはシェリダンにとって難しすぎる病名の病に侵され、以来、ベッドに臥せったままだが、悪くなる一方というわけでもない。
 良くなったり、悪くなったりを繰り返していた。
 シェリダンは、疲れさせるので入ってはいけないと言う親の言葉を無視して、ときどき人目を盗んで、今のように見舞いに訪れるのだが、今日のスタンレイの具合はとびきり良くない。
 だが、シェリダンはおかまいなしに喋り続ける。
「僕は、小食な方だと思うよ。君は本当によく食べる。少しは節制した方がいいのにさ。
 以前とは違うんだ」
 シェリダンのセリフとは裏腹に、スタンレイはひどくやせているし、誰が見ても不健康そうだ。
 スタンレイの目が、少し悲しそうに見えた。少なくとも、シェリダンが言うほどは食べていまい。
「僕はスタンレイがねたましいね。何でも食べられてさ。甘い苺もケーキもクッキーも、それにママが作ってくれるオムライスもおいしいだろ? 
 僕だって、我慢しているんだぜ? だけど、どうしようもないってこともあるのさ。
 とびきりのワインを飲みに行こう」
 シェリダンがそう言って、ニッと笑うと、スタンレイの白い顔が恐怖にひきつった。
「何て顔するんだよ。今日はディナーに行く約束だったろ?」
「いやだ……」
 スタンレイはかすれた声を絞り出したが、シェリダンは薄ら笑いを浮かべたままベッドに近寄って来る。
 所詮、シェリダンには逆らえない。
 その誘いが、甘さとおぞましさを秘めたものであることをわかっているが、嫌悪の抵抗力はスタンレイの理性以上に脆いのだ。
 そんなスタンレイの心の揺れなど一顧だにせず、シェリダンはスタンレイの細い手首を乱暴に引っ張った。
 立ちあがったスタンレイは、自分の体が羽のように軽く、力がみなぎっていることに気付いた。

 だが、ひどく空腹だ。
 これを満たさねば……。

 殆ど本能のおもむくままに、ごちそうのある場所を求めて部屋を出る。
 今夜は半月ぶりのディナーだ。思う存分食べよう。

 あまり上等なディナーではなかったが、スタンレイは我を忘れて貪るように食事をすすめた。

 シェリダンが笑う。

「いいかげんにしろよ。肥満になっちまう」
 シェリダンは名残惜しそうなスタンレイを、無理矢理立たせた。
「やっぱり僕の方が小食だろ? それに元気になっただろ?」
「出て行けよ」
 スタンレイは、泣きそうな顔でつぶやき、手の甲で口許をぬぐった。

 真っ赤な汚れが頬にのびる。まるで、ケチャップをべたべたにつけた料理を食べたようだ。

「ああ、そんな顔で帰ったら、ママが驚いちゃう」
 シェリダンに言われて、スタンレイは鏡をのぞきこんだ。
 そこにはシェリダンがいた。いや、スタンレイだけしか映っていなかった。シェリダンはもういない。
 満足して帰ったのだ。スタンレイだけを残して…。
 スタンレイは手と顔を洗い、食事で汚してしまった服と食べ残しを火にくべた。


 明日、ベッドに横たわるスタンレイを見て、母親は喜ぶだろう。「今日は顔色がいいわ」
 そして、スタンレイは答える。
「昨日、シェリダンが来たんだ」
「あら、また空想のお遊び?」

 ――シェリダンはいない。

 初めからいない。

 半年前、病気になってから、食事の嗜好が変わった。その言い訳に作りだした幻。
 何を食べても、どんなに食べても、空腹感は満たされない。
 唯一、空腹を満たしてくれるものを食べる時、罪悪感から逃れるすべが、シェリダンなのだ。
 彼に誘われるから、ディナーへ出かける。
 スタンレイは、人肉を食み、血をすするグール(食人鬼)になってしまったのだった。

2. シェリダンと日常

「で、スタンレイはどうなったんです?」
 青年は、革張りの椅子にゆったりと身を沈めてこちらを見つめるドクターに続きを求めた。

 ドクターと言ってもまだ若い男だ。胸につけたネームプレートには、ドクター・オストヴァルトとある。
 ここは騒々しい都会から隔絶された、豊かな自然が残る広大な敷地に建てられた私設病院だった。
 今の時代、見渡す限りの自然は最高の贅沢で、しかも中世の城のように壮麗であり、病室は客室を改造して、限りなくくつろげるように配慮されており、病院ということを忘れそうな場所である。
 そのうえ手厚くゆきとどいた看護が期待できるとなれば、生活に疲れた金持ちたちがこぞって療養に訪れそうなものだが、病院側はそんな連中を決して相手にせず、財産の有無を問わず、院長が選んだ患者だけに最高の治療が約束されていた。
 ありふれた病や、町なかの病院でも治療可能と診断された患者は、丁重に、他院への紹介状を持たされて去ることとなるのだ。
 この優美にして豪華、そして院長が患者を選ぶという不思議な病院を取材するために、青年は何度も何度もインタビューを申し込み、今日はやっとそれが叶えられたのだ。

 そして、青年の前に座っている医者がその院長なのである。
 その容貌は二十代前半、悪くすれば十代にも見えるが、銀縁の眼鏡のむこうの瞳は、多くの歳月を数え、多くの死を見つめてきたように静かで深かった。
 一点の曇りもないアラバスターの肌、クセのない漆黒の髪と闇色の瞳、花が色を落としたような朱のくちびるは、どこか、性別を越えた美しさを感じさせる。

 そのくちびるの両端を上げて、白衣をまとった医者は微笑んだ。
「随分とよくなりました。入院して長くなりますが、食生活の改善と精神面での治療に重点を置いたのがよかったようです。
 そう、ここに収容されている患者は、皆、恐ろしい孤独感と罪悪感にさいなまれている。
 まず、それをぬぐってやるのが私の務めです。そして、長年のライフスタイルの放棄」
「でも、よくなった暁には罪を償わねばならないでしょう?
 こういう考え方は危険かもしれませんが、再び罪悪感を背負って罪を償うのが未来なら、このままでもいいのではないかと思います」
「罪を償う?」

 医者は嘲笑めいた笑みをうかべ、青年をじっと見つめた。レンズの奥の双眸が、一瞬、鋭いものに変わる。

「償うのは彼等ではなく、彼等を日常から不適応な存在にしてしまった社会です」
 青年は、えもいわれぬ迫力に言葉を失い、苦労して唾を飲みこんだ。

 手のひらがじっとりと汗ばむ。

 何か、おかしい。

 今、自分の中にあるのは、正体不明の恐怖だ。だが、ここは病院で、目の前にいるのは医者で、自分はしがない三流雑誌の記者で、インタビューしているだけではないか。

 青年が全身で緊張しているのを見て、医者は椅子から立ちあがった。
 そして、青年の後ろにまわり、軽く両肩に触れる。
「リラックスして下さい。別に貴方に責任を問うているわけではないのですから。
 それに、世間を震撼せしめた事件を起こした患者も、ここにはやってきませんよ。
 スタンレイのその後を話しておきましょう」
 青年は微動だにできず、ただ、首を縦にふった。心臓の鼓動が頭で響いている。

 無意識にそれを数えてみた。

 どっくん…… 、一つ。

 どっくん…… 、二つ。

 胸のポンプはいつもより早いスピードで、大量の血液を全身に送っている。
 急に、それがとても大事なことに思えた。

 遠い所で、医者の声が聞こえる。
「…、以来、スタンレイはシェリダンを実在の人物だとわかるようになったんです。
 スタンレイの姿を借りていた別人だとね」
「え?」
 その部分が切り取られたように、青年の頭に届いた。
「シェリダンは、スタンレイが考え出した空想の存在でしょう?」
 上ずった声が滑稽に聞こえたが、もうどうすることもできない。

 医者はクスクス笑うと、愛撫するように両肩をそっと撫でた。
「シェリダンはここにいるじゃありませんか」
 全身が凍り付く。青年は勇気を振り絞って、恐怖を遠ざけるために、同意を求めるようにして言葉を舌に乗せる。
「スタンレイは、現実と空想が区別できなかったんですよね?
 だから、助けてくれるドクターを罪悪感から逃れる存在に…」
 落ちつかなげに視線を窓との外にむけると、夕やみをバックに黒々とした森が見え、そのシルエットが夜に対する原始的な恐怖を呼び起こす。

 医者は、少々イラだったように眉をひそめた。

「物分かりの悪い人ですね。いいでしょう、所詮貴方がたには理解できない問題だ。
 私も、つまらないインタビューを早く終らせて食事をとりたいのでね。
 スタンレイは正真正銘のグールです。ほかにヴルコラカス(人狼)やヴァンパイアもここにいます。彼等は誇り高い種族の血を引きながら、日常に埋没し、人間としての生活に馴染みすぎてしまった。
 だが、ある日本能に目覚める。血に飢え、殺戮を求める行動は、社会においては狂人でしかないのです。
 今の世界は、闇の眷族にとって住みにくくなりすぎました。
 私は、人として生活していくがゆえに狂気の烙印を押された彼等を探し出し、人の血に埋もれていた闇の本能を取り戻させてやるのが仕事です。
 おいしい食事が罪ではないことをね。
 私はスタンレイを誘い出し、彼の肉体が求める食事を取らせてやったのです。
 ただ、おのれの本性と向き合わねばならない彼は、精神が不安定だった。それが、私を兄弟と思った混乱部分です。
 少しはわかっていただけましたか?」
 医者…シェリダンは眼鏡をはずすと、それを胸ポケットにおさめ、明らかに恐怖に震えている青年のうなじを優しく指先でたどった。
 指の下の動脈は、力強く、せわしなく脈打っている。
「では、ディナーをいただきましょう」
 シェリダンは無邪気に笑うと、青年の首に深々と牙を立てた。

君をディナーに

10年以上昔に書いたものです^^; お試しで投稿。
当時、友人たちとテーマを決めて短編小説を薄い冊子にして出しておりました。
このときのテーマは「おいしい生活」

何が美味しいのかは、読んでいただければ。

君をディナーに

微ホラー超短編

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-06-14

Copyrighted
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  1. 1. シェリダンとスタンレイ
  2. 2. シェリダンと日常