夏に囃子

夏に囃子

泡沫 丙

 遠くの方から祭囃子が聞こえる。一際太鼓が響き、それが夜の冷たい空気を震わせている。
 本城奈津美が暮らす、神楽市の夏祭りだ。
 熱気と人々の喧騒で辺りはごった返している。
 周りから匂う屋台の香りと、祭りの騒ぎが本城を包む。立ち止まって辺りを見回した。一本道の両端には屋台が並び、少し開けた広場がある。ここからが遠く見えないが、多分広場では子供たちが練習した盆踊りが披露されているのだろう。屋台の周りは森が囲っていた。全体の構造は空から見ると、光る鍵穴のような形になっているはずだ。
 人の往来が激しく、道の真ん中に立っていると邪魔になると思い、どこか避難できる場所はないかと辺りを見回す。
 すると、近くで賑わっていたくじ引きの屋台とフライドポテトを売っている屋台の間に、何処かへ続く小道があった。夏祭りの明るさから森に守られ、そこだけが洞窟のように暗い口を広げているようにも見えた。
「奈津美!」
 声がした方を向くと、クラスメイトの風石信子が綿菓子を片手に走ってきていた。着物の裾を汚さないようにするためか、少し覚束ない足取りだ。
「はい!これ」
「ん、ありがとう」
 渡された綿菓子を頬張る。口中に甘い砂糖の味が広がる。
 慣れない環境と辺りの五月蝿さに辟易した本城は、屋台が並ぶ通りを逸れ、風石と共に暗い小道に入った。
「盆踊りしてるのあっちだよ?」
 風石が首を傾げる。
「私はいいの。賑やかなのは……少し、苦手だから」
「行けばいいのに、奈津美の彼氏もいるだろうし」
「ああ、まあね」
 言葉を濁す。本城にとって風石はとても親しい間柄だ。しかし、親しくなればなるほど、相手の嫌な部分は目立つ。
 風石の場合、それは相手に対して過干渉なところだ。天真爛漫で優しいのだが、その性格故か、自分に関係ないことでも積極的に関わろうとするのだ。何よりも厄介なのは、
「どうしたの? 浮かない顔して、もしかして彼氏と上手くいってない?」
 『ありがた迷惑』まさに風石の事を表した言葉だ。
「別に……彼氏とは上手くいってるけど……」
 現在、いつまで経っても自立の出来ない彼氏に別れを告げ、口論の末、付き合ってるのか付き合ってないのか分からない、有耶無耶な関係であることなど、風石に言う勇気は、本城にはない。
 気付けば道は途切れ、神社へと続く階段が現れた。
 夏の夜の程良く冷えた空気が、風と共に頬を撫でる。祭りの場所から離れたせいか、祭囃子が微かにしか聞こえない。少し標高が高くなっていて、眼下には屋台の通りが見える。
 通りは光の道となっていた、此処とは対照的に明るく暖かそうだ。
「奈津美はさ、考えすぎなんだよ。きっと」
「え?」
「例えばさ今奈津美は向こうの屋台の通り見て、温かそうだなとか思ったでしょ」
「……うん」
「んで、『私には似合わないー』とか、『自分がいて良い場所じゃないー』とか、考えたんじゃない?」
「……」
「少しさ、楽に考えなよ。奈津美はさ、多分自分の心に線引きしてるんだと思う」
「線引き?」
「奈津美は表面的には親しくしてても裏では嫌がってるってことあるじゃん」
「それは……」
 無いとは言えなかった。今も風石を心のどこかで忌避している部分がある。
「気に病む必要はないよ。そういうの、私にもあるから」
「え? そうなの?」
 初耳だった。風石は幅広く人と接し、表裏のない性格だと思っていた。日頃から誰に対しても分け隔てなく、誰にでも笑顔を向けることが出来る。その性格を、羨ましい、そう思っていった。
「ないわけないじゃん。私だって嫌いな人間でも親しくするように頑張ったりするもん」
 そう言うと風石は持っていた綿菓子を食べ尽くした。
「もしさ、何か嫌な事があってもあまり深く考えちゃだめだよ。時々は馬鹿みたいに騒いでさ、考えることをやめなよ。少しは、楽になるからさ」
 そう言って、風石は笑った。夜を背景に、その笑顔はより一層輝き、まるで太陽のようだった。
「じゃ、私はもう一度屋台を回るよ。奈津美はどうする?」
「私はもう少し、夜風に当たるよ」
「そっか。じゃあ、またね」
 本城は階段に座り、風石は元来た道へと歩いて行く。
 と、風石が何かを思い出したように足を止め、振り返った。
「そういえば、祭りの後クラスのみんなで肝試しするんだけど、行く?」
「肝試し?」
「そう、確かあそこらへんにある誰も住んでない大きな屋敷」
 風石が指さした先にあるのは高級住宅街が広がる一帯だ。
「でも、あそこって子供が一人消えたり、その子供の幽霊が出るって問題になった所じゃない」
「そんなのただの噂だよ。それと肝試しは幽霊に会いに行くんじゃなくて――」
「――男といちゃいちゃするイベント。でしょ?」
「分かってるじゃん!」
 本城は溜息をついた。
「でも私はパス。男ならいるし何よりも――」
「――そういう賑やかな場所が苦手、なんでしょ?」
「……分かってるじゃん」
「まぁみんなには伝えておくよ。奈津美は幽霊が怖くて来れないってさ」
 そう言って風石は笑った。一緒に本城も笑う。
「私は盆踊りの広場の方にいるから。何かあったらそこに来てよ。ばいばい」
 風石はそう言って暗い小道へと消えて行った。
「良い人……なんだろうなぁ」
 呟く。口から出た言葉が夜の空気に霧散する。
 風石信子は、良い人間なのだ。ただ、正義感か、同情か、とにかく、人にとってあるべき良心は、時に他人を傷つける。
 これは本城の持論だが、特に同情と呼ばれるものは、質が悪い。
 それは、悪意ではないからだ。善意の悪戯。本城はそう呼んでいる。
 その悪戯には無邪気が内在する。無邪気に人の内面に踏み入り、無邪気に人の心をかき乱す。
 本城は自身を卑屈だと自覚している。だからこそ、風石の気遣いもそう捉えずにはいられない。
 心からの親切も、何か企みがあるんじゃないかと疑ってしまう。
 その度に本城は自己嫌悪に陥る。
 いつも本城は、何かにつけ中途半端なのだ。こればっかりはどうしようもない。性格なのだ。
 風石が人との距離を気にせず踏み込む人間なら、本城はその逆だ。
 本城は人との距離を推し量る。さらに何か行動する直前、自分のメリットとデメリットを考える。それだけならまだしも、本城は、最終的には誰かがやってくれるだろうと、行動する意思を放棄してしまう。
 慎重な癖に、他力本願。
 それが本城なのだ。どうしようもないほど臆病で、どうしようもないほど真面目なのだ。だからこそ、考えずにはいられない。だからこそ、勘定せずにはいられない。損得を考えずにはいられない。そして、何も行動をせず、時が片付けるのを待つ。
 風石は一方的に働く。本城が何も考えなくても、困っているときには助けてくれる。待っていれば善意を差し伸べてくれる。
 分かっている。人の善意は汲むべきだ。
 分かっている。自分が一番駄目なのだ。
「分かっている? 本当に?」
「え?」
 突如、何処から声が聞こえた。幼い少女のような声だ。静かな森に木霊する、凛と響く綺麗な声だった。
「誰?」
 周りを見渡しても、誰も居ない。夜の闇が包む林が広がっているだけだ。
 ふと隣に財布が落ちているのを見つけた。ピンク色の派手なデザインの長財布だった。本城のではない。
「あ、信子の……」
 拾い上げ懐に入れた。正体の分からない声を探すよりも、友人を追いかけるほうが良いと判断したのだ。
「受け入れるべき自分に目を逸らして、友人に羨望の眼差しを向けるよりは、自分の本質を受け入れる方が良いと思うけれど?」
 踏み出しかけた足を止めた。
 声のする方へ振り返ると神社へと続く階段に、黒猫がいた。じっと、本城を見つめている。
「さっきの声は、あなた?」
 二つの黄色い眼が夜を背景に爛々と光っている。風石が太陽なら私を見つめるこの黒猫の瞳は二つの満月だな、と本城は思った。
「そんなわけないよね……これ、いる?」
 本城は手に持っていた綿菓子を黒猫に向けた。
 半分以上残っている綿菓子を、じっと見つめた黒猫は本城に背を向けた。
「あ、待って」
 その時、何故、本城は猫を追いかけようと思ったのかは分からない。
 ただ、あの黒猫を追いかけなければならないという強迫観念めいたものが本城に芽生えた。
 漠然と、あの少女のような声の持ち主は、階段を登っていくあの黒猫じゃないかと思ったのだ。
 馬鹿げていると思いつつも、追いかけずにいられない。黒猫は階段の奥へと消えていった。
 本城も普段着ることの無い着物で階段を登るせいか、何度も足を踏み外しそうになりながらも何とか登り切った。
 目の前に、古くボロボロになった神社があった。誰も世話をしていない地面には、敷き詰められるように落ちている落ち葉の間から雑草が生い茂っている。明かりも当然無く、朽ちた神社を囲む林が、夜風に揺れ、まるで闇に蠢く怪物のように見えた。
 雨や風に晒されたせいか、全体を支える柱は腐り、神社自体が斜めに傾いている。割れた賽銭箱が神社の不気味さをより、煽っている。
 時の流れに晒された神社に、唯一それに抗うように真っ赤な鳥居が建っていた。
 その鳥居は、仄かに光っていた。月明かりが照り返すような光ではなかった。鳥居自体が、赤く、淡く、光っているのだ。その鳥居の下には、風に飛ばされたのか、柱と柱の間を結ぶように、注連縄が落ちていた。
 そして、少女はそこに居た。
 優しく光る赤い鳥居の手前に、少女はいた。
 夜色の服を身に着け、漆黒の髪を夜風に靡かせている。ともすれば忽然と、夜に闇に溶けていってしまうような、そんな儚さがあった。
 その少女は本城に背を向け、鳥居を見上げていた。辺りには先ほどの黒猫の姿は何処にも居ない。
「ねぇ、あなたは本当に、自分自身の姿を自覚しているの?」
 少女はそう言って振り向いた。
 階段の下で聞いた声の持ち主だ。まず目に入ったのは綺麗な瞳だった。夜の闇に輝く不思議な魅力を持った瞳だ。薄い眉が少女に神秘的な表情を与えている。整った鼻筋に、薄く微笑んでいる唇が目立つ。
 少女の妙に大人びた顔立ちは、少女自身の幼さを無くしている。
 子供特有のあどけなさを持ち合わせておらず、振り向いた際に見せた微笑みは、魅せ方を分かっている大人の微笑みと同じに思えた。
「本当の……姿?」
 呆然としつつも、本城が言った
「そう、案外人間は自分というものを分かってない。ありふれた価値観と照らし合わせ、自分の姿を隠している。それも、自覚無しに」
 少女から発せられる言葉は、子供らしからない。
「見せてあげる」
 そう言うと、少女は呆然とする本城に近づくとその手を握り、引っ張った。
「え! ちょっと!?」
 されるがままに引っ張られた本城が赤い鳥居を潜り、注連縄を乗り越える寸前、前を進んでいた少女が闇に溶けるように消え、それと共に本城の体も消えた。

 落下する感覚が本城の身を包んでいた。手を握っていた少女は何処かへと消えている。
 辺り一面が真っ白な空間だった。上か下かもわからない。
 落ちている。その感覚だけが、本城の体を支配していた。
 地面は見えず、このまま死んでしまうかもしれないと薄っすらと死を考えると、意識が遠のいた。

 瞬間、本城は地面に倒れていた。

 草が頬を撫でている。
 目蓋を開けると、日の光が差し込んできた。
――さっきまで夜だったのに……
 数度瞬き、起き上がる。本城は辺りの景色に目を疑った。
「何処よ……此処……」
 雲ひとつない空と緑の絨毯を敷いたかのように広大な草原があった。
 日差しはそれほど強くなく、心地良い。何処だか分からないがひどく綺麗な場所だった。
 時折、爽やかな風が吹いてくる。
 見回しても、あの少女の姿はなかった。
「――――」
 清々しい風と共に何処からか声が聞こえた。
 その声はしっかりと聞こえたわけではなかったが、自分を呼んでいるような、そんな気がした。
 聞き覚えのある、しかし思い出せない。そんな居心地の悪さがあった。
 とりあえず、本城はその声がする方へと足を踏み出した。
 白昼夢を見ているようだった。
 リアルではあるものの、妙に現実感のない感覚。
 食べかけの綿菓子や、夏祭りのために用意した着物姿のまま、本城は声の方へと歩く。
 声、とは言うものの言葉として聞こえるわけではなかった。形容するなら、獣の唸り声のような、街頭で聞こえる耳障りな喧騒のような、とにかく、人間から発せられるものだとは考えられない音だった。
 しかし本城には、漠然と、自分の事を呼んでいるように聞こえるのだ。
 本城は歩き続ける。ふらふらと、声のする方へ足を運ぶ。
 何時間も経った気がするし、何分も経ってない気がする。時間の感覚がないからだ。太陽はいつまでも落ちないし、風景も変わらない。
 前に進んでいることさえ忘れてしまいそうになる。
 こんなに歩き続けたのは、初めてだった。
 日頃外に出ることが少ない自分が、夢とはいえ、果てしない草原を歩いている。
 楽しかった。
 開放的な場所というのは気が引けるが、その広大な場所には自分以外に人は居ない。
 寂しさは無かった。
 勿論、夢だということが分かっているからこそだ。
 ずっと歩いていた本城だが、ふと、この夢はいつまで続くのか疑問を持ち、立ち止まった。
 すると、唐突に、前触れも無く声が消えた。
 風の音以外に聞こえるものがなくなり、辺りが静まった。
 胸中に不安が広がる。
 唯一の目標のようなものだった声が無くなった。本城は不安を振り払うように首を振り、辺りを見回した。

「それ」が地平線の淵に在ることに気がついた。

 すると、世界に変化が起こった。
 まず、足元の草が徐々に消え、その下に広がる地面が露わになった。
 その地面さえも、本城を中心に、真白な床のようなものへ変貌を遂げた。フワフワとした土の感触が消えた。踵で確かめてみると、大理石のようなもので出来た、白く硬い地面だ。
 見上げると、すでに青は無く、何処までも白い空が続いていた。
 地平線の境目が無くなり、遠くに見える「それ」が、浮いているように見えた。
 呆然としていた本城は、それに向かって歩いた。興味本位だった。今見ているのは紛れもなく夢なのだ。危険はないし、周りを見渡しても、「それ」以外に何も無い。なら、近づいて、その正体を確かめるのも悪くない、そう思った。
 遠くに佇んでいた「それ」も、こちらに気づいたのか、本城に向かって動いているように見える。
 近づくほどに、その異様な姿が鮮明になった。
「それ」はとても醜かった。初め、影のように見えたが違った。「それ」自体が黒く、焦げたような肉を携えていたのだ。
 全体的に、人のような形をしているが、時折、表面の肉が溶けるように蠢き、形が定まらず、不安定だ。まるで、子供が粘土で作り上げた泥の人形が崩れていくのを、再生と逆再生で見ているかのようだった。
 口のような場所から溢れ出る液体は、白い地面を溶かし、汚く並んだ歯の間には、何か肉片のようなものが挟まっている。顔の横には手の平ほどに大きな耳が在った。
 黒く蠢く肉の表面には様々な所に目玉があり、そのどれもが禍々しくぎらついている。
 目玉を包む皮膚も荒い呼吸をするように、ぶよぶよと気味悪く動いている。
 そして、それらの目玉が全て、本城の方を向いていた。
 不気味で気味の悪い、生き物なのかすらも分からない存在が目の前にいる。しかし、本城は本能的に、その怪物が人間に思えた。
 逃げ出したい衝動に駆られたが、逃げようにも行き先はなく、夢から覚めるのを祈るばかりだった。
 ただ、その存在はどこか懐かしく、既視感がある。此処から逃げたいとは思うものの、恐怖などはなかった。
 そして何よりも本城は、その怪物が人間に思えて仕方が無かった。
 分かっている。これは怪物だ。悪夢のような怪物なのだ。
 そういった考えが頭の中を駆け巡る。反対に、表面の怪物の姿の裏に、人間がいるんじゃないかと本城は思っていた。
 根拠などはない。ただ、そう感じただけだ。
「あなたは、誰?」
 気づくと、本城は口を開き、疑問を投げかけていた。
「私を呼んでいたのはあなた?」
 返事は無い。依然、「それ」は本城を見つめるだけだ。
「これは、何だと思う?」
 音も無く現れた少女が隣で本城を見つめていた。少女の前には黒猫が座っており、その猫は隣の怪物の方を見上げている。
「あ、さっきの……」
「何だと思うの?」
「何、と聞かれても、これは……」
「これは?」
「醜い」
 事実、人の姿をした怪物にしか見えない。しかし、本城は、心のどこかでこれを人間だと主張する自分を否定できないでいた。
 でも、と本城は口を開いた。
「知っている。私はこの怪物を知っている」
 少女は笑顔で黙っている。
 本城は怪物に触れようと手を伸ばした。怪物も、手のようなものを本城の方へ伸ばしてくる。
 怪物に触れる寸前、両方の手が止まった。それ以上前へ進めない。見えない壁が両方を隔てるように触れるか触れないかの寸前で、手は止まった。
 それはまるで、本城と怪物の間をガラスが隔てているようだった。

――ああ、そうか

「これは、鏡像ね」
「正解」少女は短く、そう言った。
 突然、怪物が泡立ち始めた。表面の肉が溶け、所々から湯気を出した。湯気が散り、その中心には本城がいた。
 着物姿のまま、片手に綿菓子を持った本城の姿を映し出していた。。
「鏡は映ったものの裏を移す。これは、誰の心の中にもある鏡。自分が認めたくなくて隠したその人の本質を映す。さっきの怪物があなたの本質、そして、認めなければならない事実でもあるの」
 鏡に映っていたはずの黒猫は消え、そこにも少女がいた。鏡の中の本城を見つめ、微笑んでいる。
「あなたは一体?」
「さあ? わたしも知らない。ただ、私は何処にでもいて何処にも居ない。留まることの出来ない存在。様々な場所に行けるけれど、ひとつの場所に長くはいれない。あなたが瞬きをした瞬間に、私は消えているかもしれない。現れる場所を、私自身が選べるわけじゃないの」
 だから、と少女は続ける。
「探している。自分が何者なのか、私は私を探しているの。私と違って、あなたには『自分』がある。そんなあなたに、自分自身の姿を誤魔化してほしくない。自己嫌悪が出来るぐらいには、あなたは自分自身を分かっているじゃない」
「私は……」
「受け入れて。自分を。目を逸らしては、だめ」
 すると、鏡の中の本城が、ドロドロと溶けるように泡立ち始めた。
「……受け入れるよ」
 鏡の中の溶けかけた本城の姿が止まった。
 中途半端に醜い本城がそこに在った。
「私は……私を受け入れる。どんなに本質が醜くても、どんなに性格が歪んでいても、受け入れる。でも……多分…………それでも、私は、私自身を好きにはならない」
「どうして?」
「受け入れることは出来ても、好きになることは難しい。受け入れるということは、自分の欲や、負の感情さえ認めることでしょう。ただでさえ、それを認めて、その上好きになるなんて、出来るわけが無い。誰しもが自分のことを好きになることはない」
 鏡の中の本城は、元の姿に戻っていた。
 それを見届けると、少女は少し悲しげに口を開いた。
「今はそうでも、時間が解決してくれる。人間はそうやって生きていくんでしょう? いつまでも嫌いな存在が傍にいて……いいえ、内面に存在しているから離れることも出来ないわ。そんな存在とこれから付き合っていくことになる。どれだけ好きになれなくても、人間の一生の時間が自分と自分の本質の溝を埋めてくれる。一生の時間があれば、受け入れて、好きになるまでいかなくても、嫌いにはならないでしょうね」
「そう、かな?」
 一理あるようにも思えたが、結局、本城には答えが出なかった。
「さぁ、そろそろ時間よ。表の住人は、此処に長くは居られない。出来ればもう少し話していたいけれど、駄目ね。どうせ、もう会うことも無いでしょう」
「私はどうしたら」
「とりあえず、笑っていたら? 自分の醜さを受け入れて、それでも笑って生きていく。それが人間でしょう?」
 少女はそういうと、本城が瞬きした瞬間には、黒猫の姿に変わっていた。黒猫はじっと本城を見つめている。ただ、その視線は本城自身に注がれるものではなく、本城が持っている綿菓子へ向いていた。
 本城は無言で綿菓子を差し出すと、黒猫は器用に割り箸の部分を銜えた。その黒猫は本城に向かって会釈すると鏡の中へと消えた。
 すると、黒猫が消えた辺りの鏡が割れ、そこから出来た亀裂が四方八方へと伸びた。瞬間、鏡は大きな音をたてて割れた。ほとんど、爆発のような割れ方だったが、それに圧倒され、倒れると、視界が暗闇に包まれた。

 目の前に割れた賽銭箱があった。
 本城はあの神社に戻っていた。
 着物についた汚れを払い落とし、本城は起き上がった。辺りを見回しても、これといって変化はない。さっきの夢を見る前に見た風景と変わらない。微かな祭囃子の音が聞こえ、それほど、時間が経っているようにも思えなかった。
 夢を見る前と違うのは本城が持っているものだった。
「綿菓子……」
 本城の手には何もなかった。果たして気を失った時に何処かへ飛ばされてしまったのかは分からない。
 周りを見渡してもそれらしいものはない。
「あ、そうだ。財布……」
 懐から風石の財布を取り出した。
 風石に渡すため、本城は階段を下りる。途中、背後から視線を感じ、振り返って見たが何も無かった。視界の隅に黒猫が居たような気がしたが、気のせいだったらしい。
「あ、奈津美!」
 階段の先に声を上げ、手をふる風石がいた。
「奈津美、何処行ってたの? 屋台で物色してたらさ、財布が無いのに気づいて慌てて元来た道を辿ってたんだけれど、此処に着いたら奈津美がいなくなっててさ、探してたんだよ」
「ごめんごめん。ちょっと、ここら辺散歩してたのよ」
「散歩って……ここら辺には何も無いでしょ。あるのは寂れた神社くらいよ」
「そこに行ってたの」
「えー! よく行けたね、あんな場所に」
 風石はそう言うと、身震いしながら神社の方を見上げた。
「行ったことあるの?」
「うん。だってあそこ、肝試し候補の一つだったもん。でもあそこ不気味だし、怪しげな雰囲気の神社でしょ? マジでヤバイ場所は流石に怖いからね。結局、肝試しの場所は、あの幽霊屋敷になったけれど」
「へーそうなんだ」
 言いながら、本城もあの神社の方を見上げた。
 奇妙な夢を思い出す。妙に現実な夢。事実、綿菓子は消えていた。
「あ、手に持っているの私の財布じゃない?」
 風石は本城が持っているものを指差した。
「階段の前に落ちてたよ」
「ありがとう!」
 そう言って財布を受け取り、風石は笑った。
 暖かい微笑みを浮かべる風石を忌避する自分が恥ずかしかった。自分を嫌い、友達である風石をも嫌おうとしている自分があまりにも醜いと思った。あの夢の中の『鏡』に写った怪物のように。
 本城の目には涙が浮かび、衝動的に目の前の風石を抱きしめた。
「え!? ちょ、ちょっとどうしたのよ奈津美!」
 そう言いながらも、突き放すことなく、本城を受け入れるように抱きしめていた。
「何があったのか知らないけど、私に協力できることなら何でもするよ」
「ううん、いいの。ただ、ちょっと悲しくなっただけ」
 夢で見たあの怪物を思い出していた。今更、自分の本質を変えられるとも思わない。ただ、目の前にいる親友だけは嫌いにならないようにしたい。そう思った。
「私は肝試しに行くけれど、奈津美はどうする?」
 本城の目から零れる涙を肩で受け止めながら、風石は言った。
「私も……行こうと思う。賑やかなのは苦手だけれど…………たまにはそういうのも悪くないと思う」
「じゃあ彼氏も呼んでさ、行こうよ!」
 ほら元気出して、と本城の背中を叩き、離れた。
「急がないと間に合わなくなるよ」
「わかった」
 手を繋ぎ、風石と本城は祭りをやっている通りへと足を踏み出した。
 歩きながら、視線を感じ、本城は後ろを振り返った。すると、林に囲まれた小道の先に、あの少女がいた。暗い闇の中でも尚、存在感のある少女が、綿菓子を片手に、こちらに向かって手を振っている。
「ありがと」
「ん? どうしたの?」
「なんでもないよ。ただ、大切なことを教えてくれたお礼を言ったの」
「大切なこと?」
「うん。自分自身を受け入れなければいけないということ」
 あの時のことは、夢じゃなかった。漠然と、そんな気がしていたけれど、事実、少女は居た。
 するとあの鏡に写ったように、もしかしたら、自分の内面は怪物のようなのかもしれない。
 でも今は、その醜ささえ自分なのだと受け入れることが出来る。
 笑って、受け入れる。
 段々と開けていく道と、眼前の明るい祭りの灯を見つめ、本城は笑った。
 大丈夫。大丈夫だ。
 自己嫌悪に陥るのも、自分の本質を認めるのも悪くない。
 今はまだ、自分の全てを好きになるとは思わない。
 ただ、あの時教えられたことぐらいは、心の中に留めておこうと思った。

 祭囃子に包まれながら、本城は暗い森を抜け、明るい屋台の通りへと入っていった。

夏に囃子

如何だったでしょうか。如何だったでしょうか。
初めての作業で、見直すととても拙く、顔が真っ赤になるほどの文章力なのですが、とりあえず踏み出すべき一歩としてはこんなものではないかと思います。
これから少しずつ自分の頭の中の妄想を書き起こしていきたいと思います。
自分の妄想にまたお付き合いくだされば泣いて喜びます。

夏に囃子

少しネガティブな高校生の本城奈津美は、友達の風石信子と共にきた夏祭りの中で、黒猫と出会う。 猫を追いかけ辿り着いたのは寂れた神社。そこに一人の少女が佇む。 少女の声、白昼夢、綿菓子。たった一夜の不思議な話。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-13

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