カイビト

①発生

なんだこのイキモノは。見たことがない・・・!
男は久々の珍魚に興奮していた。男は熱帯魚を飼っていた。
それはもうありとあらゆる熱帯魚を飼っていた。
欲しい種類がどんなに遠いところに生息していても足を運んだし、
熱帯魚を入手するためならどんな手を使ってもよいという考えの持ち主であった。

そんな男のお気に入りは、東南アジアから仕入れた、赤くててらてらとしている熱帯魚であった。
大きな口を上下に動かし、呼吸をしている。毎朝この愛魚にムカデを与えることが、男の日課であった。
魚は、匂いを感知して獲物を認識する。そこで男は毎朝、熱帯魚に餌を認識させるために朝からムカデをすりつぶしていた。
すずめがチュンチュンとさえずる、さわやかな朝である。

いつもムカデを入れているタッパーの蓋を剥がし、乳鉢に移す。
上から押しつぶすように擦る。乳棒を三本の指でつまみ、ゴリゴリと擦っていく。
男は何も考えない。不快感も憐れみもない。彼は熱帯魚にしか興味がない。
熱帯魚以外の生物は、彼にとって生物ではなく、静物、であった。
彼の手によって、ムカデは餌になった。餌が入った乳鉢を運ぶ。
大の大人が二人組でやっと抱えきれるほどの水槽には、大小さまざまな熱帯魚がヒレを靡かせ
泳いでいた。アイスクリームを食べる時の透明でちゃちなスプーンでムカデを掬っては水槽に入れる、
そして水槽をパチパチと指ではじく。
そんなことはせずとも熱帯魚は餌を認識するのだが、餌を投入したことを知らせることは、彼なりの愛情表現のひとつであった。
指はじきを三回ほど繰り返した頃であろうか。

男は水槽の中に、明らかに魚ではない動きをするものを発見した。
うろこがないのである割に、つやつやとしている。目鼻は一切なく、全身がのっぺらぼうのようだ。よくみると、標識の中に描かれているような棒人間の姿をしている。魚肉ソーセージのような色をしたその生き物は、人っぽい動きをしていた。
指で水槽をはじくたびそれは、人でいう耳の辺りをふさいでいるのである。

なんだろうか。

見たこともない生物を見た男は、自然と息が荒くなった。
一度、水上にあげてみよう。そう思った男は、水槽を掃除する際、熱帯魚を移すため用いる網を手に取った。
そして慎重に網を水中に入れていく。網はすぐ水になじみ、すばやく未確認生物を捕獲した。網の中の生物は非常に小さく、抵抗もしなかった。耐熱ボウルの中に水を張り、どろっとした水色のカルキ抜きを加えた。生物を網からそちらへ移動させようとすると、抵抗した。じたばたと。網にしがみついて離れない。水から引き上げてしばらくしてもなお網に必死にしがみつく姿をみて、男は考察した。

こいつ、陸でも呼吸できるのかもしれない。
そこで一旦、普段使っていなかった小さな立方体の水槽の中に入れて、様子を見ることにした。それは始め、新しい環境に戸惑っていたようだったが、呼吸はできるようだった。しかしすぐに、次の変化が起こった。紅潮しているのである。人間にあたる胸周りの部分や下半身を必死に隠しているように見える。恥ずかしがっている…?裸が嫌なのか…?こいつは服を着る生物なのか…?いろいろ考えながらも、彼はハンカチをそれに与えてみた。それはハンカチを器用に体に巻きつけ、ホッとしたようにみえた。女なのだろうか。

男は新生物に対してあまりにも興奮していたため、図鑑などで生物名を調べるという行為が全く浮かばなかった。人のような生物ということがとりあえず分かり、ひと段落したところで男は、生物が何者なのか調べることにした。男の曾祖父は戦前帝国大学の生物分野の教授をしていたこともあり、男の家には祖父から譲り受けた珍奇な生物を調べるための珍奇な図鑑が、山のようにあったのだ。中には曽祖父の調査に基づいて作られた手書きの図鑑も存在した。

日焼けして色あせたケースには、生物図鑑大全と旧字体で書かれている。ケースから図鑑を取り出し男は、生物の様子から生物の名前を調べることにした。読者はご存知ないかもしれないが実は、ヒトというのも、犬でいうダルメシアンやマルチーズのような言語や肌の色で分けることのできない、細かい分類が存在するのである。テレビの芸能人を見ているとふと、知人に似ていることがある。それはもしかすると、同じ種類のヒトかもしれない。

裸であることに恥じらいを見せた生物、仮に彼女としておこうか、彼女はヒトと同様二足歩行をしている。言葉は使わない。二足歩行をする無言語の生物…

図鑑によると彼女はどうやら、コビトヒト科の亜種であるようだ。現代の新常用漢字に訳すと以下のようなことが書いてある。

エラも持ち、肺も持つが、耳鼻、目はなく、口のみがついている。全長15-20センチ程。生まれた時から二足歩行をする。言語は持たない。歯が生えていない小さいうちは粥や汁など、消化に良いものを与えること。大きくなるとヒトと同様の食べ物を消化できるようになる。賢いため、オウムやサーカスの象のように曲芸も覚える。これは

これはの続きは、インクが滲み、しみになってしまっていて読めなくなってしまっていた。無理もない。70年以上も前の書物である。食べ物が分かれば基本困りはしない。これから育てていけば図鑑よりも詳しいことが分かるはずである。そう思い男は早速、鍋に米をいれ粥の仕込みを始めた。こうして男の飼育が始まった。
毎朝のムカデをすりつぶす日課に、朝粥をこしらえるという日課が追加されたのだ。ムカデと違い、粥や汁なら男の朝ごはんにもなる。一石二鳥である。
歯が生えないうちは、綿に粥を吸わせたものを与えた。シーシーと音を立てながら両手に綿を持って吸う様子は赤子のようで、目鼻は無いがそれなりに男は愛着を持ち始めた。ヒトより成長が早いようで、育てて三週間で歯は生え、喃語を話すようになっていた。

②発覚

その頃男には、熱烈に入手したい熱帯魚がいた。
東南アジア原産で、国外持ち出しを禁じられている希少種である。希少種であればあるほど、コレクター魂は燃え上がるようで、男はあらゆる手段を使って手に入れようと必死になった。しかし、どんなベテランの闇斡旋業者も今回は、首を縦に振らなかった。もう潮時だ。やめたほうがいい。そんなのわかっている。違法行為なのだ。だがしかし、今の男の欲求を満たせるものはただ1つ、その熱帯魚なのであった。ペットショップ、現地のハンターなどに何度も何度も掛け合ったが、しつこいと警察に疑われて足がつくと言って怒鳴られた。

そんな時、男の家のチャイムが鳴った。
ドアの穴を覗くと、見覚えのない男が立っている。
上手い話を持ってきた業者かもしれない。そう思い開錠し、ドアを開けた。するとその男は密猟や違法取引に関する捜査を進めている警察官ヤマグチと自らを名乗った。思ってもみなかった展開に表情こそ変えないが男は焦った。なぜだ。誰かが密告したのだろうか。あらゆる可能性を考えたが、もう遅い。気づかれないことを祈るしかない。

何食わぬ顔で部屋に通した。たくさんの水槽を見てヤマグチは、眉をひそめて手帳を開いた。水槽の中へつながるパイプを通る空気のカプガプという音だけが部屋に流れている。男は手の汗をヤマグチに知られないように拭いながら、彼の開いている手帳を後ろから盗み見た。カタカナの羅列がちらりと見える。何かのリストのようだ。恐らく、国外持ち出しを禁じられている魚類のリストであろう。

男は少し落ち着きを取り戻しつつあった。リストであれば分からないだろう。いちいち魚に名札はつけていないのだから、名前が分かっても見た目だけでは、熱帯魚が違法取引ののち男の部屋にいるのか、ペットショップで購入されて男の部屋にいるのか、素人には皆目見当がつかないと踏んだのだ。

お茶でも飲みます?心に余裕ができたためか、男は水槽を凝視するヤマグチに対してお茶をすすめた。ヤマグチに背を向け、ダイニングへ向かう。そこには彼のカバンと書類が置いてある。少し大きく分厚い茶封筒の中から、ハガキ大と思われる写真が少しだけ見えた。よく男が目を凝らすとそれはどうやら、男のお気に入りの赤い熱帯魚と同じ種類の写真であるようだ。あの魚も正規ルートを通過せずに男の家にいる魚のひとつだ。写真と水槽の魚を照合する気だ。いよいよ男は追い詰められていることを自覚した。ヤマグチを振り返ると、いまだ水槽と手帳とを交互ににらめっこしている。やつは俺の動揺に気づいてない。悟られる前に何とかせねば。封筒を隠すか。用事をこさえて外出するか。どうしたらやつの気をそらせるだろうか。男は考えた。その時であった。ヤマグチがこちらに向かってきたのである。おそらく茶封筒を取りに来たのだろう。写真と水槽の魚を照らしあわせるつもりなのだろう。

しかしヤマグチは携帯を取りに来ただけであった。そして再び水槽の部屋へ移動し、こそこそとどこかに電話を始めた。応戦か。逮捕状が出るのか。前科のない男にはこの警官のすべての挙動が恐怖でしかなかった。ヤマグチは無駄口を全くと言っていいほど叩かないかない男のようで、あいさつとお茶がいるか以外に声を出さなかった。

ヤマグチからは自分が置かれている状況に関する情報が全く入ってこない。自分はなぜ疑われているのか。これからどうなるのか。何もわからないまま立ち尽くしている。ピキィィィーというやかんの音が聞こえ、男は我に帰った。とりあえず電話が終わったら、お茶を出そう。まだいるようなら、買い物があるとか色々言って外出しよう。そうこうしているとヤマグチの電話が終わったようだ。こちらを振り返り、歩いてくる。
「あなた、違法取引でこの魚そろえたでしょう。」

③発見

なんてあっけないのだろう。
どうやら写真の登場もなく、バレてしまったようだ。非常にあっさりとしていた。刑事ドラマのような派手な展開も、手錠も登場しない。ヤマグチは淡々と事務的な話ばかりするものだから、自分がムショ行きなのかもはっきり分からない。彼の話からは、事情聴取を行う警官が今からくるということだけが分かった。

刑期や罰金の内容はわからないが、もうすぐ愛魚達が連れて行かれてしまう。それは男には何よりも耐え難い罰であった。なんとかそれだけは免れないか真顔でヤマグチに懇願したが、それを取り締まるためなのでの一点張りである。当たり前だ。因果応報である。男の頭にはもう愛魚のことしかない。見逃してくれと頼み込んでいると、もう一人の警官がチャイムも鳴らさず入ってきた。鍵をかけていなかったようだ。

片手にたたんで持っていたダンボールを手際よく組み立て、ナップザックからビニル袋を取り出した。どうやら今日全ての魚を差し押さえるわけではないようで、とりあえず違法国内持ち込みの疑いが最も濃厚と言われる種類を一匹、研究所にもっていき調査するらしかった。しかし男は許せない。愛魚には指一本も触れさせはしない。するとダンボールを持ってきた男が、コビトヒトの存在に気が付いた。

コビトヒトは、自分を観察している人間が、飼い主以外の人間でないことを肌で察知したようで、ティッシュペーパーの箱でできた寝室に姿を隠していた。みたこともない珍奇な生物に警官は魅了されたようで、ビニル袋に酸素を詰めながら、箱の向こうの生物に対し好奇心を一心に傾けていた。

コビトヒトは密輸していないが、興味本位でこいつらに連れていかれてしまうのではないかと男は不安になった。自分の子供を目の前で誘拐されそうになっているとしたら、親はどうするだろうか。男はとっさの乳鉢を手に取り、振りかざしたかと思うと、警官の頭上に向けひといきに振り下ろした。

④発憤

硬いもの同士が互いにぶつかり合う、ごッ、ごッという音が響いた。
男は警官が倒れても、乳鉢で彼を殴打し続けた。
突然の出来事にヤマグチは気が動転したが、さすがは警官ホルスターからピストルを取り出し、抵抗すれば撃つと男に伝えた。

ここで抵抗すれば、逮捕は免れない。そうなったらこの子たちは誰が育てる。男は自分に問い、愛魚と自分、両方助かる最善の方法はないか、乳鉢を持ったまま考える。

次の瞬間、ヤマグチの頭にガラス製のごつい灰皿が直撃していた。ヤマグチは膝から崩れ落ち、ピストルは手から離れて床に落ち、カツリと無機質な音を立てた。

ガラスの灰皿はさっきまで、水槽の横に置いてあったはずである。
男が手に持っているのは乳鉢である。いったい誰がヤマグチを殴打したのか。困惑と安堵がまじりあって複雑な表情になった男は、コビトヒトの無事を確認しようと水槽に近づいた。そこで、男は後頭部に強い衝撃を覚え、意識が途絶えた。

⑤疑問

それから四日後、ある事件が新聞をにぎわせた。
『警官含む三人、密室で不審死』


2015年10月14日午後4時頃、春田市内のマンションの一室から、三人の遺体が発見された。警察は数日前から行方が分からなくなっていた警官二人とみて捜査を進めている。もう一人は連絡の取れない部屋の住人と見ている。三人は同室で折り重なるように集められ、棒のようなもので殴打されたとみられている。警察は殺人事件としての操作を開始したが、事件当時玄関は施錠されていた。


遺体発見現場となった男の部屋に手を合わせる刑事がいた。
ヤマグチの同僚、オオヤマ刑事である。変死した男を、ヤマグチが捜査していたことは知っていた。
部屋は密室、男は乳鉢で警官を殴ったようで、警官の頭蓋骨の陥没跡と乳鉢の形状が一致した。ヤマグチはピストルを取り出していたが発砲はしていなかった。
もう一つの凶器となったであろうガラスの灰皿からヤマグチの血痕が検出されたが、男の血痕も検出されている。しかし、指紋は出なかった。
三人は殺害されたあと、わざわざ中心に集められ、パイプで殴打されていた。殴打、というよりは、突かれていた・・・・?パイプと床が擦れて出来たたくさんの傷が痛ましい。パイプは水槽に空気を送り込むために使うものである。凶器にしても致命傷を与えることはできない。極めつけは、犯人が部屋にカギをかけて逃走していることだ。犯人はカギを持っていたのか。カギの場所を知っていたのか。なぜカギをかけたのか。

ヤマグチの無念を晴らしたいオオヤマは必死に考え、ヤマグチが置かれた状況を想像した。
オオヤマの足元には、コビトヒトの巣であったティッシュの箱が破かれて転がっていた。

⑥戦前

男は、帝国大学で生物を専攻しており、世界中の珍奇な生物を捕獲しては、生態を調べる研究を行っていた。

1941年3月28日 コビトヒトの生態に関する報告

エラも持ち、肺も持つが、耳鼻、目はなく、口のみがついている。全長15-20センチ程。生まれた時から二足歩行をする。言語は持たない。歯が生えていない小さいうちは粥や汁など、消化に良いものを与えること。大きくなるとヒトと同様の食べ物を消化できるようになる。、目鼻はないが感覚器官において独特の発達を遂げている。賢いため、オウムやサーカスの象のように曲芸も覚えるようである。これは育った環境を観察し、自分が最も自然界で生き残れると本能で感じた技能を身につけることが、脳内に刷り込まれているからではないかと考察する。

男はそのあと、イリエワニに育てられたアフリカ産コビトヒトの入った檻の前に立ち、鶏肉を与えた。コビトヒトは鶏肉をかごに引きずり込んだ。コビトヒトは檻の隙間から本物のワニのように大きく口を開け、成人男性の親指ほどの大きさのある牙を、鶏肉を持った男の手に突き立てた。持っていた棒でとっさに目をついたことでなんとか事なきを得たが、男の血が飛び散り、作成中の図鑑が汚れ、生態に関する部分が読みにくくなってしまった。
しかし、内容はある程度記憶しているし、食べる物が分かれば基本困りはしない。これから育てていけば図鑑よりも詳しいことが分かるはずである。そう思い男は、残りの鶏を捌くため台所へ戻った。

カイビト

カイビト

熱帯魚マニアの男はある朝、水槽の中に棒人間がいるのを見つけて、飼育を始めます。それがおもわぬ密室殺人に発展します。事件には戦前、男の曽祖父が著した図鑑が大きく関わっているようです。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-06-12

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  1. ①発生
  2. ②発覚
  3. ③発見
  4. ④発憤
  5. ⑤疑問
  6. ⑥戦前