地球の裏側の人、聞こえますか?
「あなた、ゴロゴロしてる暇があるなら、庭の草むしりぐらいしてよ」
「ああ」
庭付きの家を買ったのが八木の秘かな自慢だったが、特にこの季節には、どうしてこんなにと思うぐらい草が生えてくる。しかし、子供がまだ小さいので、除草剤をバンバン撒くわけにもいかない。そこで、休みのたびに草をむしるのが八木の役目となった。
軍手をし、麦藁帽を被ると、八木は庭に出た。次々に草をむしっては、ゴミ袋に入れていく。端から始めて中央に差し掛かったところで、その穴に気付いた。
直径50センチぐらい草のない部分があって、その真ん中にちょうどゴルフのカップぐらいの穴がポッカリ開いている。そういえば、先週子供と庭で遊んでいる時、この部分だけ草が生えていないので、ミステリーサークルみたいだねと話したのを、八木は思い出した。
「こりゃあ、モグラだな」
そうつぶやいた時、八木がサボっていないか様子を見に来たらしい妻に声をかけられた。
「あなた、どうしたの?」
「これ見てくれよ。たぶんモグラの仕業だと思うけどね」
「まあ、どうしたらいいのかしら」
「さあ、モグラ対策なんて考えたこともないし、ちょっとネットで調べてみよう」
「いいけど、そのまま草むしりから逃げ出さないでよ」
「わかってるさ。それにしても深そうな穴だな」
八木は家庭菜園用の緑色の支柱を一本、穴に入れてみた。すると、1メートル以上ある棒がスッポリ入っても、まだ底に着かなかった。
「何だ、こりゃ。モグラって、こんなに深く穴を掘るものかね」
「わたしに聞かれたって、知らないわよ。そういう種類もいるんじゃないの」
その時、子供が小学校から帰って来た。
「ただいま、パパ、ママ。何やってるの」
「見てごらん。ヒロくんが先週見つけたミステリーサークルに穴が開いたんだよ」
「へえ。じゃあ、ミステリーホールだね」
「すごいな、ヒロくん。英語も知ってるのか」
「えへへ、まあね。でも、何の穴だろう」
「モグラだと思うんだけど、すごく深いんだよ」
「それじゃ、もしかして、地球の裏側まで続いてるかなあ」
「そうかもしれないぞ。うん。よし、やってみよう」
二人のやりとりを横で聞いていた妻が、「なるべく小さな声でお願い」と言ったが、遅かった。
「おおおーいっ!地球の裏側の人、聞こえますかあああーっ!」
「もう、あなた、やめてよ。ご近所さんに聞こえるわ」
「これぐらい、大丈夫さ。えっ?」
いたずらっ子のようにニヤニヤ笑っていた八木の表情が凍りついた。
穴の奥の方から、「オーイ」という声が聞こえたのだ。
「今、何か聞こえなかったか?」
妻もちょっと震えていた。
「え、ええ。でも、あの、ほら、木霊とかじゃないのかしら」
だが、今度はハッキリと「オーイ!」と聞こえてきた。
「ど、どうしよう。ウチの地下に誰かいるぞ」
両親のパニックをよそに、子供は嬉しそうに笑っている。
「パパ、違うよ。地球の裏側の人だよ」
「う、うんうん、そうだね」
子供の頭をなでると、八木は厳しい顔で妻に向き直った。
「とにかく、ヒロくんを安全な室内に避難させて、警察に通報しよう」
ところが、穴からはさらに「ボア・ノイチ!」と聞こえてきた。
「ほら、パパ、やっぱりだよ。『オイ』というのは『やあ』、『ボア・ノイチ』というのは『今晩は』っていう意味だって、博士が言ってたよ」
「え、何だって。それは何語なんだい?」
その返事は、意外なところから聞こえてきた。
「ご主人、それはポルトガル語じゃ。つまり、ブラジルの言葉じゃな」
そう言いながら、家の門扉を開けて入って来たのは、白髪で白衣の老人だった。
「失礼ですが、どちら様でしょう?」
「怪しい者ではない。この近くに研究所を構えておる古井戸じゃ」
八木はピンと来ないようだったが、妻が「まあ、あの、有名な」と声を上げた。
「申し訳ありません、こんなむさくるしい家にお越しいただいて。よろしければお上がりください。紅茶でもお淹れしますわ」
「いやいや、奥さん、お心づかいは無用じゃ。実は、わしとヒロくんは友達なんじゃよ」
両親とも驚いて子供を見た。
「うん、そうだよ。学校の帰りに時々遊んであげてるの」
ますます恐縮して「どうかお茶でも」と言う八木の妻を、博士は押しとどめた。
「そんなことより、今はこっちじゃ」
博士は庭の穴の所に行くと、何やら機械のようなもので調べ始めた。
「うむ、間違いない。ここに逃げておったのか」
八木は博士が事情を知っているらしいと思い、尋ねてみた。
「あの、すみません。これは何ですか?」
「ああ、これかね。これは時空に開いた穴、つまり、ワームホールじゃ。例えば、そうじゃなあ、お、ちょうどいいものがおる」
博士は庭を這っていたアリを捕まえると、ポケットからA4サイズの紙を出して、その上にのせた。
「いいかね。アリが這ってこの紙の真裏に来るのは、結構大変じゃ。だが、こうすると、どうじゃ」
博士は、ペンで紙に穴を開けた。すると、アリはその穴を通って、すぐに紙の裏側へ行った。
「ええと、つまり、この穴は、本当に地球の裏側につながっているということですか?」
「そういうことじゃ。スペイン語ではないから、ブラジルのどこかじゃろう」
「でも、どうしてウチの庭にワームホールなんてものができたんでしょう?」
博士はすまなそうに、頭を下げた。
「申し訳ない。わしがちょっと目を離したスキに、逃げ出したんじゃ。だが、心配ご無用。捕獲機を持って来たでの」
何が逃げ出したのか八木が聞こうとした時には、博士はその虫カゴのような機械のスイッチを入れていた。ちょっと、耳を塞ぎたくなるようなキーンという音が響く。すると、穴の中から、何か虹色に輝く虫のようなものが飛び出して来て、カゴの中に吸い込まれた。
「よし、これで大丈夫じゃ」
八木は好奇心に駆られ、聞いてみた。
「あの、すみませんが、それは何ですか?」
「これは『時空かじり虫』じゃよ。ワームホールの原因虫じゃ。ちょっとずつ、ちょっとずつ、空間や時間をかじって穴を開けるんじゃ。一か月前、たまたま捕獲できたので、ペットとして飼っておったんじゃが、一週間ほど前、カゴから逃げ出したんじゃ。後から考えたら、どうも、ヒロくんの服にくっ付いて行ったようなんじゃ」
「なるほど、そうなんですね。ところで、もう大丈夫でしょうか」
「時間や空間にも自然治癒力のような性質があるから、放っておいてもじきに塞がるよ。まあ、今回はまだ幼虫で、空間しかかじらないから、影響も少ないじゃろう。脱皮して成虫になると、時間もかじるようになって、始末に困る。いずれにせよ、今回は迷惑をかけてすまなかったのう。何か困ったことがあったら、いつでもわしに相談してくれたまえ。じゃあ、ヒロくん、またな」
「うん、またね」
しばらく唖然としていた八木も妻も、とりあえずホッとした。
数日後、庭の別の場所に開いた穴から、またしても声が聞こえてきた。
「やあやあ、遠からん者は音にも聞け。近くば寄って目にも見よ。われこそは…」
(おわり)
地球の裏側の人、聞こえますか?