White Blood ~アリスは電気兎の夢を見るか?~ (3)
Episode.3 逃走
「あのアマめっ!殺してやるっ!」
ジャックは転倒したヴァンから這いずり出るやいなや、悪態をついて思いきりゴミ溜めに置いてあったゴミ箱を蹴飛ばした。
ゴミ箱は甲高い音を立てながら宙を舞い、辺り一面に生ゴミを撒き散らした。
ジャックに続いてキングが、部下の一人であるクインの肩を担ぎながらヴァンから出てきて、喚くジャックを静止した。キングの額からは地が滲み出ていた。
「よせジャック。気持ちを切り替えて直ちに“小包”を追跡する準備を整えろ」
「運転手とスペードマン、それにクラブが死んだ。あの小娘、車内で閃光弾を爆破させるなんて完全にイカれてやがる…」
最後にヴァンからエースが出てきて、そういった。
「エース、大丈夫か」
クインが聞いた。
「あぁ、だがあばらを何本かやられた。それに銃をなくしちまったらしい…くそったれめ」
エースは苦痛に満ちた表情でヴァンに腰掛けて、気持ちを落ち着けるためにタバコを取り出したが、マッチが見つからなかった。
「くそっ」
そんなエースを尻目に、キングは通信回線を開いた。
「キングよりジョーカー、まずいことになった、オーバー」
『こちらジョーカー、何があった?オーバー』
キングは一瞬ためらったが、そんなことをしてもどうにもならない事は知っていた。諦めて、ありのままを話した。
「“小包”が不意をついて逃走。その際の混乱で3名の死者が出た。遺体の回収を求む。我々はこれから“小包”の確保に向かう、オーバー」
少しの間。
『…了解した。作戦を継続せよ。捕らえたら知らせるんだ。アウト』
ジョーカーは何もいわず無線を切った。それがかえってキングには心地悪く感じられた。だが仕方がないことだった。完全に油断していたのだ。こちらのミスで引き起こした事態だ。しかしあの小娘があんな動きを見せるとは誰が予想しただろうか…。
「よし、お前ら、準備はいいか。標的はそこまで遠くへは逃げていない。周辺をくまなく探せ。見つけても殺すな。それから、今度はちゃんと手錠をかけるんだ。」
改めて士気を高めるために、キングは語気鋭く言い放った。
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アリスは暗い路地をひたすら走った。
降りしきる雨は冷たく、奪った拳銃は思っていた以上に重たかった。
アリスは拳銃を無意識に左右の手で持ち替えながら走った。
走る途中で、幾度となくこれまでに起きた出来事がフラッシュバックした。
目覚めた時に見つめた手。
青い大きな瞳。
男の死体。
黒ずくめの男たち。
転倒するヴァンからの脱出。
―――それはな、アンタが人を殺したからだよ、お嬢ちゃん…。
アリスはついに足を止めて、その場に膝まづいてしまった。
『アリス、しっかりしろ。頑張るんだ』
ヴァンから脱出した時からずっと横に並んで走っていた白兎がいった。
あまりにも多くの出来事が短時間で起こりすぎていた。
身も心も疲れきったアリスは動こうとしなかった。
『…仕方がない。少し休もう』
二人は、誰も住んでいないであろう廃墟に入った。
廃墟の3階、アリスは部屋の隅に置いてあったダンボールを解体し、それを床に広げ、即席の絨毯を作った。
彼女はそこに腰を降ろすと同時に、肩を震わせて静かに泣いた。
『アリス…』
白兎もそっとアリ隣に座った。
アリスは顔を伏せてしばらく泣いたあと、白兎に問いかけた。
「ねぇ、うさぎさん。さっきの話本当なの…?」
『さっきの話?』
「あの男が言ってた。わたしが人を殺したって」
白兎は少しためらいを見せたが、『そうだ。確かに君はあのホテルで中年の白人男性を殺した。だけど君はあの男に乱暴されかけたんだ。正当防衛だ。殺らなきゃ、君はもっとひどい事をされていたかもしれない』
「殺したあと、わたしはどうしたの?」
『気を失った。男を殺した直後に。記憶も、その時のショックで一時的に失っているのだろう』
アリスは膝を抱え、しばらく考え込んだ様子だった。それから、恐る恐る自分の考えから導き出された結論を述べた。
「わたしは、娼婦なのね」
『ああ。認めたくはないだろうがね』
「あなたはそれを知ってた。でも、言おうとしなかった」
『目覚めた時から、君は既にパニック状態だった。何から何まで教えてしまうと余計に混乱し、君のことをより傷つけるだろうと思った。だからこうやって少しづつ話をして、君自身の頭で考えて結論を出してもらったほうが、心へのダメージは少ないだろうと判断したんだ。今みたいにね』
アリスは弱々しく微笑んだ。ホテルで目が覚めて以降、初めて見せた笑みだった。
「…優しいのね。でもあなたはどうしてわたしを助けてくれるの?」
『それが僕の使命だから。君も気づいているだろうが、僕は君以外の人間には見えない』
白兎が他の人間に見えていないことはヴァンに乗った時からわかっていたが、アリスはそれを心底不思議に思っていた。
「どうしてわたし以外の人には見えないの?」
『君の脳には機械が埋め込まれている。僕は君の脳をハッキング…えぇと、簡単に言ってしまえば、遠い場所から、コンピューターを使って君の頭の中の機械に侵入し、話しかけているんだ』
「じゃあ、今見えている兎さんは…」
『幻だよ。もちろん僕は人間で、今もコンピュータで君と話をしている。これはいわばアバターみたいなものさ』
「なぜわたしの脳には機械が…」
アリスが言いかけたその時だった。
『しっ、誰かこの建物に入ってきた』
白兎は語気鋭く言った。
わずかながら、一階から物音が聞こえる。
何者かが一階をくまなく捜索しているらしい。
「恐らくさっきの連中だ。もう態勢を立て直したのか」
「どうするの…?」
アリスは身をこわばらせた。
『やり過ごせるならそうしたいが…見つからない確率は極めて低い。恐らく戦わなきゃここから出られないだろう』
「た、戦うって…?」
アリスの目には涙がうかんだ。
白兎はアリスを見つめ、励ますように微笑んだ。
『大丈夫だ、僕を信じて』
White Blood ~アリスは電気兎の夢を見るか?~ (3)