夢に棲む天使

少女、夢をみる

 夢、泡沫の夢。その夢が大好きだ。眠りに着く前の少しの時間がなんともたまらない。
 中国の偉人が言った。「蝶の自分が人としての夢を見ているのか、それとも自分が蝶の夢を見ているのか」と。
「おはよう」
 一番嫌な言葉だ。泡沫の夢から現実に連れ戻される。
「もう少し、寝る」
 もぞもぞと布団に潜り込むのは止められた。
「阿呆、今日くらいはさっさと起きろ。ねぼすけ」
「え~~~」
「お前なぁ……兄貴帰ってくるときくらい、起きて出迎えろ」
「お兄ちゃんなら寝てたほうが納得すると思うけどなぁ」
 げし、と容赦ない拳骨が飛んできた。
「……お前が年上なのが納得いかねぇ」
「お母さんたちにそのうち文句付けに行けば?」
 年子の弟はこういうときなおさら容赦はしない。また拳骨が飛んできた。
「か弱い乙女をそこまで殴る!?」
「『か弱い』から程遠いやつが言うな。この間柔道の有段者殴り倒した女が」
「あれはあっちが弱すぎ。それに、私は悪くない!」
「弱かったのかは謎だが、せつに非はないな」
「でっしょ?」
「でもやりすぎ。正当防衛取れただけましだと思えよ」
 親友を無理やり力ずくでナンパしようとしていた馬鹿男を思わず殴った。それに対して相手が逆切れしたため、いろんな意味で再起不能まで持ち込んだだけである。
「カノちゃん、可愛いからね」
「お前ら……仲いいのは良いが、俺が帰ってきたのに気がつかないのはおろか、客人放っておいて良いのか?」
「カノちゃんいらっしゃーい。んで、お兄ちゃんお帰り」
 実の兄貴に「んで」かよ、という弟の突っ込みは無視してやっとの事でベッドからはいでた。
「せつちゃん、お着替え終わったら一緒に買い物行かない?」
 カノは可愛いし、一緒にいて楽しい。ただ、これが面倒であるが。
「お、いいなぁ。俺も車だしがてらついて行くか」
「お兄ちゃん、下心見え見え」
「馬鹿な事言ってないでさっさと着替えろ。でないと、本当に俺が買い物に付き合うぞ?」
 夢の世界に戻りたかったが兄に負けた。

 車の中で友人をほったらかしで眠る妹が可愛いと思うが……。
「兄貴、そろそろこの寝ぼすけ起こしていい?」
 助手席に弟、後ろに妹とその友人だ。
「もう少し寝かせておけ。せつは寝るのが仕事だ」
「兄貴、甘やかしすぎ。何だってあんな風になったんだ?」
「お前も知らんか。しゃあないだろ。せつは人の数倍寝て初めて人並みに動けるんだ」
「は?」
「飯はほとんど食わなくていい。せつは、睡眠も食事の一種なんだよ」
「兄貴、その冗談いい加減にやめてくんない?」
 いや、事実だし。
「……あの……」
 妹の友人カノが口を開いた。
「何か?」
「いえ……今の話って」
「あぁ、カノさん、気にしなくていいよ。兄貴の戯言。寝ているせつを起こすたびに言うんだ」
「……そうですか」
 初めて会ったが引っ込み思案な子だな。
「……くる」
 せつの声が響いた。
「……まずいな」
「兄貴?」
「テン、カノさん連れて降りろ。まずい」
 妹が起きる。
「は?」
「寝ぼすけの寝起き暴れがあるかもしれない。さすがにカノさんにはきついだろ?」
「……だな」
 そういうことにしてもらうか。

 弟と妹の友人が降りたのを見計らって急いで車を発進させた。
「……さっきの場所に戻るか」
「戻らなくていい」
 せつの中にいる別のモノが言う。
「さっきよりも美味そうなのがいる」
「俺はせつに……」
「貴様が言うか?それを」
 その言葉に黙るしかなかった。
「私を妹に憑けたのは貴様だ。己の不注意で死にかけた妹を救ってと懇願したのは貴様だ」
「うるさい!!」
「ならば私はこの身体を脱ぎ捨てるまで。それで良いのか?」
「……やめてくれ」
 それはせつの死を意味する。
「ならば黙れ。私は私が食べたいもののところへ行く」
 選択肢はほとんど残されていない。

夢に棲む天使

夢に棲む天使

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-09

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