闇に受け入れられなかった人
お題サイト「サディスティックアップル」 http://loose.in/sadistichoney/ より
shortお題 「たくさんの人がいたこの星で」
喧しい金属音で、朝を知る。
目が覚める、ことはない。
「またかぁ」
ストレスなのだろうか、酒の飲みすぎだろうか、それとも、この部屋が悪いのか。
ここ最近、眠れない。寝られない。
気休めに飲んでみたホットミルク3杯、ふかふかの羽毛布団の中での難しい本、目を閉じて暗闇を見ながら数える羊のどれも効果がなくて、ホットミルクはトイレを近くしただけだし、難しい本は目をとても疲れさせたし、羊は刈られて毛糸玉になるし。
……その時点で、俺は夢を見ていたのだろうか。
しかし、眠った実感がなければ意味がない。疲れも取れないし、何より布団の中で過ごす8時間が苦痛だった。
今日も重い体を起して、スーツを着込み会社へと向かう。
「佐々木さん、クマが凄いっすよ」
おはよう、という挨拶の前に言われるこの一言。
いや、分かってるんだけど。
言われるの、嫌なんだけど。
「ああ、最近寝れなくってなー」
あはは、と何時ものように笑って、(それでもちょっと元気がない)、後輩に手を振ってオフィスへ向かう。
喫煙室から香る煙草の匂いとか、
給湯室から漂うコーヒーやお茶の香ばしい匂いとか、
女性たちがカーディガンを羽織るほど冷房の効きすぎた
オフィスの寒さとか、音とか。
その五感を刺激するすべてのものに対して、
体が鈍感になっているのが身にしてわかった。
「んん」
伸びをして、腕時計の時間を確かめた。もうすぐ12時で出会いそうな長針と短針。隣の同僚をちらりと見ると、そそくさとスリープモードの準備をしていた。
「佐々木、マック行こうぜ」
「ああ」
新田ははつらつとした顔をしながらも、あくびをしていた。
「なんだ? 疲れてるのか?」
おもむろに俺が聞くと、少し笑って、お前が言うなと言われてしまった。
「秋が近づいてるだろ、だから睡眠の秋かな、なんて」
「そんな秋ねぇよ」
いいじゃねぇか、なんてまた笑いながら、マックの列に並んだ。
「お前、頼みすぎじゃね? おごってくれんの?」
「ちげぇよ。全部俺の分」
メガマックとポテト(M)とドリンク(M)のセット。それにクーポン(常備品)を使って、マックフルーリー、サンデー。ちょっと店員に驚かれたけど、知らない。トレーにのったそれらを見て、客がこっち見てるとか、知らない。
「よく食うな。そんなに腹減ってたのか?」
「うん、まあ、そんなとこ。最近、腹減るんだよね無性に」
上から潰したメガマックを左手に、マックフルーリーのスプーンを右手に持ちながら、俺はバキュームカーかってぐらいの勢いで栄養摂取を続ける。
「お前の細い体のどこにそんな量が入んだよ」
呆れた面をしながら、新田がチーズバーガーにかじりついた。かじりついた、というかついばんだ、というか。ちなみに、新田は小食だ。
「ごちそうさま」
「早い!」
何ともいえない柔らかな日差しのさす午後は、だらしなく船を漕ぎだすやつが増えだす。
そんなやつらを目ざとく見つけては、部長がその社員の頭を小突いた。新田も例外ではなく、小突かれてデスクトップに頭をぶつけた。ばーか、と口だけ動かして、目をしょぼしょぼさせている新田を笑った。
三時過ぎ。
女子社員が自販機のあるところで飲み物片手に話をしたり、カフェに行っていたりと、自由な会社である。まったく。俺はパソコンに向かいながら、左手にスティックケーキを携えているのだが。引出しの中にその他、大好きなハリボーのお菓子が入っているのは秘密。
「よく食うよな、マジで」
「ふむ」
コーヒーをすすりながら、こっちを見てくる新田。
「そんなに体にエネルギー貯めてどうすんだよ。デスクワークだってのに」
「悪いかよ」
「らくだ? お前らくだなのか?」
「は」
「冗談だよ、そんなに怖い顔すんなって」
「お前、何勝手に俺のグミ食ってんだよ」
「あ、そっち?」
袋ごと奪って俺の大事な食料を食っていた。
「返せ――」
途端に襲った、奇妙な倦怠感と
瞼の重さ。
「お、おい、佐々木」
手を伸ばした格好のまま、俺は盛大に椅子から落ちた。
「なんだ、どうかしたのか」
その音を聞きつけて、部長がこっちに歩み寄ってくる。薄れゆく意識の中、とてつもない眠気に襲われていることに気がついた。
「……う」
柔らかい光が眼に差し込んで、いったんギュッと閉じた後、もう一度開いた。霞んでいる視界が晴れてくると、自分に毛布が掛かっていることに気づく。そして、此処は見慣れた自販機のある部屋だった。俺はソファーに寝かされている。はてさて、俺はどうしてここにいるんだ?
腕時計を見ると、三時半だった。
こうしていたのは、十分だけだったのか。やけに痛む顎とひじをさすりながら、起き上がってみる。ガラスに映った俺の姿は、髪にいくらか寝癖がつき、ワイシャツもくしゃくしゃ、ネクタイは曲がって、とても上司には見せられないような無礼な格好だった。
「うっへぇ」
「あ、起きたのか!?」
入ってきた新田が持っていたものを落とし、声を裏返らせながら俺の目の前に立った。
「あ、ああ。俺、なんかした?」
「覚えてないのか?」
心配したんだぞ、と肩を揺さぶってくる。揺らすな揺らすな、頭が痛い。
「たった十分寝てたぐらいで何言ってんだよ」
「十分? お前一日寝てたんだぞ?」
一日?
三時半だから、え、と。
「今日は、二十、五日?」
「それ、昨日」
新田は、俺がいきなり倒れて、今日まで寝ていたことを話した。揺さぶっても、叩いても、つねっても起きないから、死んだのかと思ったらしい。しかし、呼吸もあるし、心音も聞こえるし、とりあえず寝かせておいたのだそうだ。
……それってどうなんだ。
「なんで、だろうな」
「ここ最近寝てなかったんだろ? だからそれがたたったんじゃないか?」
「ああ……。でもそんなことあるか? 一日中寝るとか、いくらなんでも起きるだろ」
それもそうだよな、と頭を抱える新田。頭を抱えつつ、さっき落とした物資を拾い、テーブルに置くと、俺に水を買い与えた。冷たい水を口腔、喉、腹に流し込むと、目が覚めた。
「冬眠」
新田がぽつりと呟く。
「冬眠じゃないか、それ」
「熊がすることだろ」
「そうだけど」
新田は淡々と言葉を紡ぐ。顔はどこか嬉しそうなんだが。
「最近、寝てないだろ? 腹減るだろ? 冬支度なんじゃないか?」
「どうも短絡的な気がするんだが」
下唇を噛んで、出ない答えに苦悶する。
どうしてこうなった? どうしたらいい?
「とりあえず、起きてる間に出来ることしろよ」
新田は俺を立たせると、オフィスへと連れて行った。
部長は少し怪訝そうな顔をして、大丈夫か、と聞いてきた。
「はい。大丈夫ですから、俺に仕事を沢山下さい」
やることないし。
仕事しかないし。
「おお、わかった。じゃあ、これ頼む」
動揺を隠しつつ、俺に山積みの資料を渡した。
「まとめといてくれ」
「ええ、冬までには」
その後、俺は春夏限定の有能社員としてヘッドハンティングを何回もされた。
冬眠休暇なんて、特別な休みをもらって、それまでは寝ずに仕事をした。
(ぼくはくま、なんて、皮肉にもならない)
闇に受け入れられなかった人
ずいぶん前に書いた作品を少し手直し。