あなたの人生、本にします

「あなた、またブツブツ歌ってたわよ」
 妻にそう言われ、遠藤はハッとした。
「ああ、そうか。すまん」
「悩みごとなの?」
「えっ、どうしてわかった」
「やっぱりね。だって、あなたが『迷子の迷子の子ネコちゃん』って歌ってる時は、大抵そうだもの。どうしたの。また、変なサイトに引っかかったんじゃないでしょうね」

 一か月ほど前のことである。遠藤は、ネットでショートショートを募集をしているサイトを見付け、《入賞作は雑誌に掲載します》という文言に惹かれ、興味半分で投稿してみた。すると、数日後に次のような通知のメールが来た。
《惜しくも次点でした。但し、少し手を加えれば掲載できます。ついては、編集費を電子マネーで振り込んでください》
 大した金額ではなかったため振り込んだところ、次に来たのは、《イラストを付けるのでその費用を振り込んでください》という内容のメールだった。
 さすがにこれは怪しいと思って様子をみていると、次々に督促のメールが来た。少し恐くなって、すべて無視していたら、いつのまにかメールは来なくなった。
 だが、ホッとしたあまり、つい妻に経緯をしゃべってしまい、散々怒られたのだった。

「いや、違うよ。今回はネットじゃない。リアルな出版社なんだ」
 遠藤は『あなたの人生、本にします』という折込みチラシを妻に見せた。
「どうせサギまがいの商法じゃないの」
「そんなことないだろう。その出版社の住所を見ると、ウチから歩ける距離なんだよ。たまの休日なのにやることがなくて退屈してたから、散歩がてら行ってみてもいいかなと思ったんだ。覗いてみて変なところだったら、すぐに帰って来るからさ」
「まあ、ちょうど掃除がしたかったところだから、出かけてくれると助かるけど。ホントに少しでも怪しかったら、何もしないで帰って来てよ」
「わかってるさ」

 自宅から20分ほど歩き、ちょっと黒っぽい外観の雑居ビルに着いた。案内板を確認し、エレベーターに乗って13階で降りる。廊下の突き当たりまで歩き、金色のプレートに『ルシフェル出版』と書かれたドアをノックした。すると、中から「カムイン」という返事があった。
(外国人なのか)
 遠藤がためらっていると、少し外国語なまりの日本語で「どうぞ、お入りください」と聞こえた。
「し、失礼します」
 おそるおそる中に入ると、想像以上に広い事務所であった。しかし、中は正面の大きなデスクに男が一人座っているだけだ。髪も瞳も黒いが、どことなく日本人離れした顔立ちをしている。男は白い八重歯を見せてニッコリ笑った。
「出版希望の方ですね。どうぞ、その椅子にお掛けください。ちょうど皆出払っていて、何のおもてなしもできませんが」
「あ、いえ、あの、ちょっとお話だけ聞こうと思いまして」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「ええと、自分の人生を本にする、というのは、自分史的なことでしょうか。そういうのはあまり得意じゃなくて。ぼくは主にフィクションを書いているんですが、そういうものも対象になるんでしょうか」
「もちろんですとも。どういうものを書かれるにせよ、それはあなたを表すものです。あなた自身が本になるのです」
 男はニヤリと笑った。
「はあ。あ、それと費用なんですが」
「ご心配なく。これは自費出版ではありませんよ。我々は本から利益を得るだけです。但し、ちょっとした契約を交わしていただく必要がありますが」
 男はますます八重歯をむき出した笑顔になり、ちょっと古めかしい契約書のようなものを取り出した。普通の紙ではなく、羊皮紙とかいうもののようだ。
 その時、遠藤のケータイにメールの着信があった。
「あ、ちょっと失礼します」
 見ると、例の投稿サイトから、《入賞作・次点作がまとめて本になりました。あなたの作品も掲載されています。出版費用の100万円を至急振り込んでください》というものだった。
「の迷子の」
「えっ、何ですって?」
「あ、すいません、つい」
「なるほど。『オー、マイゴッド!ノー!』それがあなたの返事ですね。わかりました」
 残念そうに言うなり、男は紫色の煙になって消えてしまった。
(おわり)

あなたの人生、本にします

あなたの人生、本にします

「あなた、またブツブツ歌ってたわよ」 妻にそう言われ、遠藤はハッとした。「ああ、そうか。すまん」「悩みごとなの?」「えっ、どうしてわかった」「やっぱりね。だって、あなたが『迷子の迷子の子ネコちゃん』って歌ってる時は、大抵そうだもの…

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-07

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