WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(6)
六 北の大地とジャングル
右目は、人が住んでいたのに、住めなくなった街を去り、更に北上した。北に行けばいくほど、寒かった。道がある限り、転がっていった。行き止まりになった。そこは、半島の先端だった。半島の先には、島が見えた。右目が住んでいた島と比較すれば、巨大な大陸に見えた。
「あの島に行ってみたい」
周囲を見回す。先端の丘から周囲を見渡すと、近くに列車が走っていた。列車は、北上していた。このままのスピードで走ると、目の前の島まで海を渡ってしまいそうな勢いだ、だけど、橋はない。列車が先端まで行くと姿が見えなくなった。海の中に落ちたのか。そんなまさか。
右目は列車の行き先を確かめるために、丘を降り、列車が消えた辺りに向かった。謎が解けた。列車はトンネルに入ったのだ。暗いトンネル。入り口から覗いても、出口は見えない。暗闇の粒子が蛍のように漂っている。
このトンネルは、向こうの島につながっているのだろうか。右目は戸惑った。遥か彼方から気笛が聞こえる、気笛がだんだんと近づいて来る。列車だ。列車がやってくる。どうする、あの列車に飛び乗るか、それとも、このまま、生まれた島に帰るのか。
考える暇はなかった。もう目の前を列車が通り過ぎようとしている。
ええい。右目は列車の車輪の隙間に飛び付いた。入った。体を中に入れる。車輪の空間に身を寄せ必死でしがみついた。列車の車輪は車輪の円周が見えないほどの勢いで回転している。もし落ちれば、死だ。列車が止まらなければ、降りることはできない。右目は必死の思いで、なれるものなら自分の体を車軸の一部にしようとした。
列車がトンネルの中に突入した、周囲が全て暗闇に覆われた。右目は何も見えなかった。ただし、ごおごおと耳をつんざくような音だけが聞えた。列車は間違いなく走っている。列車と一緒に、あの新天地に向かっているという思いだけが、右目の心を強くさせた。
「これは何だ」
左目は驚いた。左目は大都会に別れを告げ、大陸を南下し、熱帯の木が生い茂るジャングルに突き当たった。左目は松林や森は見たことがあったが、これほど奔放に、自由に枝や葉が生い茂っている植物を見るのは初めてだった。本当に、木や草が生きているという感じがした。
植物は地面から動かないけれど、枝は同じ木から分かれたのにも関わらず、互いに競うように伸び、葉は太陽を我が物にしようかと広げる。光を吸収するというよりも、光を食い尽くすかのようだ。
左目は、初の入り口で、生々しい勢いに圧倒された。だが、この目でジャングルを確かめたかった。足下に落ちていた葉に飛び乗ると、ジャングルを流れる川を遡っていった。
何だか、一寸法子の気分だ。鬼が出るか、蛇がでるか。宝物はどこだ。
最初は、おどけていた左目だったが、密林の奥に進むにつれて、空気を切り裂く獣の咆哮や突然に降り出す痛いほどの雨、川の下を泳ぐ、これまでも見たことがない巨大な魚などに遭遇する度に、不安になり、生きた心地がしなかった。
だが、今さら後には戻れない。突き進むだけだ。無理やりに自分を鼓舞し、木の葉をマーメイド号と名付け、更に、奥深く密林を突き進んだ。
少年は、小学校を卒業し、中学生になっていた。引き続き、少年は、瀬戸内海の小島にいながらも、右目と左目から入ってくる情報のお陰で。世界と交信ができた。ただし、今住んでいる島の暮らしについては、知らないことが多かった。島にいながら、自分だけが置いてきぼりをくっているような気がした。
列車がトンネルを抜けた。右目は暗闇の世界から解放された。右目の前には、平野が広がっていた。北の大地だ。
ここでは、自分が住んでいた島のように家と家との間に塀はなく、しかもひっついておらず、全てが開放的であった。広々とした草原や畑、その間に、人が生きていることを証明するかのように、ぽつんぽつんと家があった。
また、道は終わりがなくどこまでも続き、今も、伸び続けているかのように思われた。遥か彼方には山々が見えた。広すぎる。でっかいどう。これが、右目の北の大地に対する第一印象だった。
列車は、広大な大地を縫うようにして走り、いくつかの街を抜けた。やがて、砂漠の中に突然現れたオアシスのように、その巨大な大地に建ち並ぶ高層のビルが見えてきた。
大きな駅に止まった。右目は飛び降りた。この街は、右目が旅してきた街に比べて、決して負けないくらいの大きさだった。人も大勢いるが、何故か、ゴミゴミとした雰囲気も慌ただしさもなかった。空気は乾燥し、気温は涼しかった。
右目は、しばらくこの街に住もうと思った。これまでは、街を見て回ろう、調べてやろう、という意気込みだったが、この街は、訪れた人をゆったりとさせる雰囲気があった。よそ者を排除するのではなく、訪れた人を全て受け入れてくれる懐の深さがあった。
「ここで、しばらく、暮らそう」
右目は、早速、仕事を探した。
左目はジャングルの更に奥地を突き進んだ。うっそうとした木々の葉がなくなると、空が見えた。その先に、巨大な宮殿があった。宮殿は多くの石が積み重ねられていた。見上げる。高い。石段の数を数える。いち、にい、さん、百、もう無理だ。途中であきらめた。数を数えるのが無理ならば、登って確かめるしかない。
左目は宮殿を登り始めた。石段は左目の背丈よりも高い。まともには登れない。ところどころ崩れかかっている場所を探しては、転がり登っていく。
「よいしょ。よいしょ」
駄目だ。風化しているのか、石が崩れる。元の場所にずれ落ちる。それでも、何回も昇ることに挑戦し続ける。やっと、ひとつの石段を登りきった。頂上を見上げる。まだまだ先だ。
いち、にい、さん、百。石段の数を数える。だが、数えると逆に、あまりの遠さに登るのをやめたくなる。左目は目の前のひとつの石段だけに意識を集中させた。ひとつずつ、ひとつずつ。うわ言のようにつぶやきながら、石段を登って行く。
「ふう。ひと休み」。左目は動きを止めた。再び、見上げた。遠い。まだ、まだだ。後ろを振り返る。高い。ここまで登って来たんだ。
宮殿の下にはジャングルが宮殿を包むように広がっている。そのジャングルの中心にいるのが宮殿だ。宮殿がジャングルを束ねているのだ。
「あそこだったかな」左目は自分の出発点を確認した。遥か彼方だ。やっとの思いで、ここまで来られた。少しの自負心。だが、見上げれば、ゴールの遠さに呆然とする。あきらめたくなる。だが、もう少しだ。
頂上に行けば何があるのか。何があるのかわからない。わからないのにお前は登るのか。登ってみたい。登って確かめたい。何もなければ労力が無駄に終わるぞ。無駄でもいい。頂上で確かめたいんだ。自問自答を繰り返す左目。
再び、登り始めた左目。時間を忘れ、ただひたすら目の前の石を登ることだけに集中した。
あとひとつ。あとひとつ。どれくらい時間がたったのだろう。
頂上までの石段は残りひとつだった。登りきる左目。「やったあ」やっと頂上に到達した。頂上は、何かの儀式をするのに最適な広さだった。
左目は、中央の祭壇と思われる場所に行った。そこから四方を見渡す。ジャングルがあり、遥か彼方に山並みや水平線が見えた。地球の中心がここにある。自分もここにいる。
日は落ちかけていた。空が赤い。夕日に染まる空。その下では漆黒の帳がいつ降りて来ようかと待ちかまえている。左目は、宮殿の頂上で夜を明かすことにした。闇の始まりと明の始まりをこの目で見たかったからだ。体で感じたかったからだ。
左目は暗闇のなかで、空から降り注ぐ星の光を浴びながら、今日までの苦労と明日からの希望を感じながら眠りについた。
少年は高校受験に向けて、日夜、勉強していた。目が不自由なため、学校の授業は点字で習った。また、先生の授業を耳から聞いて、頭に叩きこんだ。自分の住んでいる場所は、鼻で匂い、耳で聞き、口で味わい、手の触感で確かめた。そして、いなくなった両眼で、世界を感じた。
WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(6)