アポトーシス

アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死。-wikipedia

自慰行為のようなお話です。

怠惰女の夢の東京

生理直後が安全日だということを、私の中に出したあの人はいつ覚えたのだろう。

そんなこと知りたくもないのに、街ですれ違ったり、ネットやらで目に入ってくる美人にいちいち嫉妬を燃やし、余計なことばかり考えてしまうのは、私がものすごく暇になったからだろう。

会社を無断欠勤して、今日で3日目だ。

東京に来れば、すべてが解決すると思っていた。

私が生まれた場所は電車も通っていないようなものすごく辺鄙な田舎で、大自然といえば聞こえは良いが、人が暮らす場所としては、難題が多々あると考えていた。

どこに行くにも車がないと生活できないし、人々の関わりが密接で、良く言えばあたたかいのだろうけど、長年住んだ私にはそれが鬱陶しかった。

夜中電気を点けっぱなしで寝てしまった日には、近所の人から眠くないのかと聞かれたり、私の車が自宅の駐車場にあるかないかで、外出しているかどうかわかってしまう。
気にしなきゃ良いのだけど、引きこもったりしたら近所にわかってしまうし、行動が筒抜けというのは、なんだか監視されているみたいで気持ち悪かった。

それに田舎では仕事が選べない。
介護か農家か、工場の作業員、もしくは事務。
高卒の私がそのどれかに就職できたらありがたいことだけど、私は東京に行って、もっといろんな人と関わりながら、広い世界を知りたかった。

それにやはりいちばんの願望は、一年前、インターネットで知り合った東京に住む私の大好きな人に、すぐに会いにいける距離にいたかった。

それらの私のうわついた願望は、東京に来たことで間違いなく解消されるはずの距離に位置しているはずなのだ。
しかし、上京してすぐさま登録に行った派遣会社でゲットした事務の仕事を私は本日サボり、会社からの連絡に怯え、一日中部屋に閉じこもる始末である。

好きな人との関係は、数100km離れた田舎から会いに行ってた時と変わらず、毎回セックスだけはしっかりするが、恋人にはなっていない。

ろくに干していない湿った布団に朝からへばりつき、日付が変わろうとする時間に、ようやく重い腰を上げる。
徒歩30秒の場所にある牛丼屋が私を呼んでいる。

カンジタの恐怖に勝るもの


布団から頭を離してから、ずっとクラクラしている。

一日中寝ながらスマホばかり見て過ごしているのだから無理もない。
ふらふらの頭で、キムチ牛丼を食べる。
辛さがよくわからないのは、この頭のせいだろうか。
舌まで、イカれたのだろうか。

財布からお金を出して店員に渡す時、数枚の千円札を見て、数日前に実家に一時帰省した際に祖母から受け取ったものだということを、あのしわしわの手と一緒に思い出す。
少し泣きそうになって、ひとすじのあついお湯を喉に流されたみたいに苦しくなる。

散歩をしよう。
きっとこのふらつきも、少し歩けばおさまるだろう。

それに今はここにいたくない。
自分が招いたすべてのことから、逃げ出したい。
だけど、行くあてなんてあるわけじゃない、ほんとうに、どこにもない。

空を見上げると、端を空に齧られた、ほんの少し満月に足りない月がにじんでいた。



田舎を出て、東京ではシェアハウスに住んでいる。
インターネットでシェアハウスを探してみるもののなかなか決められず、ネットサーフィンをふらふらしていたら、シェアハウスを運営する社長のインタビューに行き着いた。
なんでも、学生時代に南米を放浪した経験があるらしく、そのエピソードに惹かれその社長の運営するシェアハウスに決めた。

木造の一軒家で、私を含めた5人で生活しているのだが、私は部屋に閉じこもって出てこない人として定着している。
風呂、トイレ、洗濯機、台所が共用なのだが、そのどれもを、同居人に会うことを避けることで満足に使用できないでいる。
そのせいもあり、上京してすぐカンジタになり、初めて行った産婦人科があんなに屈辱的なものだとは思いもせず、おっさん医者にいろいろ処置をされ、だいぶ嫌な思いをした。

どうしてそんな思いをしながらも誰もいない時にしか共用スペースに現れないような、人を避ける行動をするのか考えてみたら、おそらく、田舎で働いていた会社での経験だろう。

もともとは私のミスだった。
会社の金庫からお金を立て替えるよう社長に頼まれ、そのお金の催促をするのが遅くなってしまった。
70を超え、物忘れの激しい社長は、私に既にお金を渡したと言い放った。
それを機に、社長の娘である経理の態度はあからさまに冷たく、罵声や嫌味を言われたり、細かな過去の失敗を、誰もいない時に延々と叱られたりするようになった。
自分で蒔いた種であり、自業自得であるが、きつい経験だった。
毎日体がぐったりしていて、家に帰ってからは食事もせずに横たわっていた。
家から一歩出た世界のすべてが、大嫌いだった。

乙女は単純


ろくに働かない頭で、次に進む道を決める。
どこにも行かなくて良いならば、少しでもきれいな方へいこう。
街灯がまっすぐに並んだ道。
ツツジが満開のマンションの脇道。
光の多い、高速道路へ続く道。
歩く速度は遅いのに、クラクラ治らない頭で、スピードがびゅんびゅん出てるように見える。
細い通りの居酒屋から、笑い声が漏れている。

私にはこの世界が色褪せた、悲しいものにしか見えない。
東京にきたらもう少し、ましになるはずだったのだけど。

でもきっとまだ私は何もしていないから。
まだ可能性があると思いたい。
何も知らないっていう可能性を。



あの人は今ごろ、何してるのだろう。
私の大好きなあの人は。

その思考にたどり着いたら、この道が好きな人でいっぱいになった。

この月を、あの人も見ているのかな。


急速に会いたくなる。
寂しそうな横顔を思い出して、子宮がうずく。
会いたい。

スマートフォンの地図で、現在地を確認する。
彼のマンションまで、そう遠くない。
行く当てもなかったのろい足取りが、急に軽やかに早くなる。

光まとう人

横断歩道を渡って、道路の反対側にあるコンビニの脇を入れば、もうすぐそこ。
彼のマンションまで、あとわずかのところだった。

横断歩道で、青を待っていた。
ものすごく待ちどおしくて、足踏みしそうなほど、私のテンションは高まっていた。
コンビニの自動ドアが開いて、中から人が出てきた。
そこには見慣れた黒い作業ズボンと、黒くて重そうな斜めがけのショルダーバックを担ぐ、彼の姿が見えた。

心臓がとまりそうなほどうれしくなって、彼の注意を向けようと片手を挙げようとしたその時、彼の隣に、スカートを履いて、長い髪の毛をなびかせた女の人が、彼と顔を合わせ、笑いながら出てくるのが見えた。

品の良さそうな人で、全身から細かな光がこぼれているように見えた。
彼を見つめる瞳はどこか儚げで、か弱そうだけどしっかり意思をもっていそうだった。
とてもきれいな人だった。
何日も風呂に入らず服も替えない私とは、全然違う。
無口で、それが持ち前の色気を増し、男性的な落ち着いているけど力強い雰囲気をもつ彼に、すごく似合っていると思った。
二人はこちらに気づかず、彼のマンションの方へ消えていった。

私は全力で、その場を走り去った。

泣きっ面に蜂

私の大好きな人に、ブスと言われたことがある。

彼がウィスキーをたくさん飲んだ日のことだった。
二人で布団に入り、事に及ぼうとした時、彼の男性自身が戦闘体制になれず、中断した。
彼にとってその経験は初めてだったらしく、すごく落ち込んで、背中を向けて泣き事をぶつぶつやっていた。
そのつぶやきの中で、聞こえた言葉がこれだった。
「そもそもブスが好いわけじゃないから、こいつとセックスしても泣きっ面に蜂って感じがする」

耳を疑って、彼に、今なんて言った?と確認したが、言葉を濁されるばかりで、はっきりともう一度言うことはなかった。

それを忘れて私はのうのうと彼に会いセックスして、3日前くらいには中出しされまくり喜んでいるバカである。

ほんとに、バカじゃねえ?

恋人になれないということがすべてじゃないと思っていた。
恋人という形が彼にとって窮屈なのではないかと、勝手に深読みして。
ただ、選んでもらえないだけだということを、もっと早くに自覚すべきだった。
自分で、わかっていたと思ってた。
愛されていないこと、いつかこういう日が来ること、
わかってたはずなのに、
実際こうなると、だめだ、きつい。
全身をびりびりに剥がされそうなくらい、痛くて、苦しい。

苦しい。

走りながら、繰り返す嗚咽に吐きそうになる。
涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は無様だろう。
さっき彼の横にいた女の人はきっと、こんな風に泣かないだろうな。
すべてがきれいだった。

うつくしい人
私の憧れ
うつくしい人
私の醜さを際立たせるもの
うつくしい人
私から大切な人やすべてをうばうもの
うつくしい人
この世の不条理、呪い、不平等。

死にたい。

目の前にあった横断歩道橋の階段を駆け上がる。
もう何も見たくない。
すり鉢で身体をごりごり削られるみたい。

苦しい。誰か、助けてよ。

手すりに股がると、彼が出したところがあたった。
消えたい消えたい消えたい

手すりを離し、軽くなった身体が、ものすごい速さで地面へ向かっていく。

白い雨上がり


目を開けると、真っ白い天井と、真っ白い布団に包まれていた。
長い夢を見ていた気がするけど、まったく思い出せない。
天井に吊り上げられた両足は、膝上からふくらはぎにかけて硬いギブスによって固定され、3倍くらいの大きさに膨らみ、右の二の腕から手首にさしかかるほどの大きな擦り傷には血がにじんでいた。頬も擦りむいたのだろうか。ひりひりする。

しばらく呆然と天井を見つめていた。
あ、起きた。
40代くらいのふっくらした、日に焼けて元気のよさそうな看護婦が、カーテンからこちらを覗きこんでいる。

通りかかったダンプに乗ってた人がね、あなたに気づいて、すぐ救急車呼んでくれたのよ。横断歩道橋だからそんなに高くなかったけど、轢かれてたら本当に危なかったよ。
はい、熱はかるね。ごめんねー。

軽やかな口調で、私の着ている病院服の間から体温計を挿入する。
睡眠薬でも飲まされていたのだろうか。頭がとてもぼーっとする。

36.5℃。熱はないね。
痛いでしょ?痛み止めと、安定剤出てるから。ご飯食べてから飲んでね。
気持ち悪かったり痛かったら、ナースコールして。あと、トイレの時も呼んでね。
それじゃあ、お大事にね。

ほとんど私からは何も話せないまま、看護婦はカーテンの向こうへ消えていった。

病院の白ばかりの天井やベッドに包まれていると、非現実に放り出されたように思える。ついさっきあった出来事なのに、ものすごく遠くにあるように。
生と死の狭間にある病院という場所に、雨が上がった後のような清々しさを、どこか、感じている。

私はまた、生きてしまった。

アポトーシス

それからおそらく2カ月は入院したと思う。
病院は非日常だったけど、それはほんの最初の個室の時だけで、六人部屋に移ってからは、弱ったおばあさん達の嘔吐の音に耳を塞ぐ日々だった。
それでも、シェアハウスの若い女の人に囲まれた生活よりはましに思えた。

実家に帰って、大自然の中でゆっくり生活をおくりたいと、とても思ったけど、せっかく都会にきたのだから、なにか楽しいことをひとつでも見つけてから帰りたいと思う。
それが見つかるかどうかわからないけど。

なにかがふっきれたように、退院する前よりゆっくり構えることができている気がするのは、生理がこなくなったことが自分にとっての大きな出来事に、おそらくなっている。

好きな人と連絡は、あの日からとってない。
すごく好きなのは変わらないから、たまに泣くけど。

愛おしく思う人は変わらないけど、自分をすり減らすものからは、さよならしたい。
そして新しく、愛おしく思えるこれから出会う人を、このお腹の子を、自分にできる精一杯の愛情で、包んであげたい。

塀の立ち並ぶ住宅街を歩く。
高く生えた木々の葉が風に揺られ、さらさらと音をたてる。
お腹に手をあてて、優しく撫でる。心なしか、少し膨らんできた気がする。

肌を撫でる風の心地よさに身を任せ、目を閉じるか閉じないかの、瞬間だった。
腹部に、激痛が走る。
耐えきれず、うぅ・・・と、捻り出すような呻き声が漏れ、その場に座り込む。
お腹を両手で抑える手と額には冷たい汗が滲み、生理のそれとは比べものにならない大量の血液が膣から流れ出し、私の青いストライプの入ったスカートの、しゃがみこむ股の間に、じわりと染みをつくった。
それを確認したと同時に、初夏の風景は回りだし、激痛に意識が遠のいて、私はその場に倒れこんだ。

アポトーシス

アポトーシス

アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死。-wikipedia アラサー感満載。自慰行為をしてみました。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-04

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  1. 怠惰女の夢の東京
  2. カンジタの恐怖に勝るもの
  3. 乙女は単純
  4. 光まとう人
  5. 泣きっ面に蜂
  6. 白い雨上がり
  7. アポトーシス