王道の片思い
ありきたりだけど、ありきたりじゃない
視界に映っていて、声が届く距離にいる。
「好きなんだ」
彼の口から出た言葉に、私は涙が溢れた。
中学校に入学して最初のクラス分けで、私はボードに並べられた名前から、ある人の名前を探していた。
3つに分けられたクラスで、どうか同じクラスでありますように、と願った。
早鐘のように鳴り響くうるさい心臓の音を鼓膜で感じながら、一歩また一歩とボードの前へと進む。
1組の中に自分の名前を見つけ、それからゆっくりと、緊張のあまり滲む手の汗すら気にも止めずその名前を探した。
だが私の想いは誰にも届かずに、私にチリチリと胸を焼くような痛みを与えた。
『林 太輔』
3組のボードの中心に彼の名前がはっきりと刻まれている。そして横に視線を流せば、
『日原 杏花』
彼の隣にあの子の名前も並んでいた。
自分の視線の先には彼が居て、でもその隣にはいつもあの子が立っている。
(彼女でもないくせに……)
いつも見ているだけの私は、皮肉な言葉を心で呟く。そんな自分は惨めで醜い。そう思う自分は悲劇のヒロインとも呼べない、平凡な顔立ち。可愛さの欠片でも持ち合わせていたなら、私はきっと傍まで歩いていけるのにと、彼の名前を見つめながら悔しさに震えた。
「杏花」
彼があの子の名前を呼ぶだけで、気が狂いそうになる。幼馴染みだから特別なのかと、たった一つの関係性だけで特別が手に入るなら、どうして私が彼の幼馴染みでなかったのかと心で泣いた。
「太輔」
あの子が呼ぶ彼の名前が嫌いだった。もやもやと黒い何かが渦巻いて、不安で押し潰されそうになる。
きっと彼はあの子が好きで、あの子も彼が好きなのだ。そう思わずにはいられなかった。
入学して半年が経った。
友達と呼べる関係が出来て、自分の居場所が出来た頃、
「誰が好きなの?」
おもむろに投げられた好奇心という名の爆弾。皆が一瞬で声を高く、黄色に染め始めた。
「別のクラスにいる、サッカー部の人だよ」
他の子達は、それぞれ想いを吐き出しながら爆弾を次の人へと回していく。
「え、誰だれ?」
特定しようと躍起になる彼女達に焦りを覚える私。盛り上がる話の中で冷や汗を流しながら、とうとう私の番が回ってきた。着火された爆弾は手元で熱くなり、危険な空気を漂わせる。皆の目線が一身に集まった。
出来ることなら誰の目にも映したくない。どうか彼だけは。
「好きな人はいないよ」
誰の目にも止まらないように、想いを隠して彼の存在に気付かれないように。そうすることしか私には出来ない。
「……そうなんだ」
鎮火した爆弾は、もう誰の手にも渡る事無く私の手元で行き場を失った。
放課後。玄関先で、恋の話で盛り上がっていた友達が、何やらこそこそと話しているのを見かけた。
「どうしたの?」
近づいて声をかける。
「さっき、体育館裏に男子が女子を連れて歩いて行ったんだ」
「あれ、怪しいよね」
勝手に盛り上がる彼女達を見ながら、私はただ何となくその場に居座った。
「あれ、3組の人だったよね」
「見たことあるよ、確か野球部の人だっけ? 女の子って幼馴染みの子じゃない?」
急に動悸が激しくなった。彼女達の口から出た情報は、私の知っている人にあまりに似通っている。
思わずその場から走り出した私は、汗をかいた手から鞄を落としたが、拾いもせずに体育館裏を目指した。
「なんで、なんで!」
今まで何もなかったじゃないか。何も変わらなかったじゃないか。どうして急に。
走りながら、とめどなく溢れる涙は自制が効かずに首筋から服の中へ入り込む。
たどり着いた先で、彼女達の言っていた2人が生々しい距離を空けて立っていた。
「太輔」
ああ、やめて。
「杏花、あのさ」
お願いだからやめて。
「好きなんだ」
立ち尽くした私は、何も考えられなくなった。
目の前の光景から視線を逸らすことも、大きな声で泣く事も出来ずに、ただただ溢れる涙が勝手に流れていった。
今まで彼女の呼ぶ彼の名前の中で、ここまで私の心を掻き乱した事はない。トラウマのように頭に響きわたるエコー。消えろ、消えろと願っても、しつこくまとわりつく彼女の声が呪いのように張り付いた。
もう彼に手を伸ばすことさえも、出来ない。
拭うように風が私の頬を撫でて、温く重たい涙を攫った。
王道の片思い