モジバケ

 私には、この世界のすべての物が文字に見えている。
 例えば石。大きな灰色の「石」の文字に見えて、それが足の下に敷き詰まって地面ができている。小さな褐色の「砂」が混じって隙間を埋めている。私にはそうしてこの広大な大地ができているように見えている。
 例えば木。桜の木なんか、今ぐらいになると「桜」の「きへん」の十字に交わるところと、「ツ」の部分が淡い桃色の「花」という文字が幾重にも重なってできていて、そこから下は全て茶色の「木」でできている。ほら、桜の「花」が散って、敷き詰められた細かい「砂」の上に舞い落ちている。私にはその言葉通りに見えている。
 動物なんかも同じ。烏は黒い文字の「烏」、雀は茶色と白の「雀」、三毛猫は全部の文字が別々の色で書かれていて、見ていて面白い。
 変でしょう? 昔からずっとこうなの。一目見れば、木の名前も鳥の名前もはっきり分かっちゃう。なぜかは分からないけれど、物心ついたときにはこう見えていて、漢字の識字能力もおかしなくらいに高くって、おまけに博学なの。ちょっとした自慢。でも、それが役に立つことなんて、ちっともないんだけどね。
 こんな体質のせいで、私はずーっと一人ぼっち。学校に居てもまともに勉強するのも馬鹿らしくって、何もしないの。ほかに、することもないんだけどね。
 そう言えば、人もみんな文字に見えるの。だから、人の名前まで一目で分かるんだ。
 私は、居場所がないから、学校が終わるとすぐに帰る。
 「前田剛」と「田中拓海」が、横倒しになった「自転車」の文字を、「剛」の岡と「りっとう」、「さんずい」と「毎」の間に挟んで、乗って帰っている。「前」と「田」が向き合って、何かを話している。話の内容は聞こえてくるんだけど、私には彼らがそれをどんな表情で話しているのかが分からない。人の顔も認識できない。そのせいで表情を理解することが私にはできないの。文字は読めても、表情は読めない。
「美春先輩!」
 背後から名前を呼ばれて立ち止まる。振り返ると、美術部に所属している一年後輩の、空木涼太が立っていた。
「何かしら?」
「僕、先輩のことが好きです! 付き合って下さい!」
 大声で彼は告白した。彼、一年間もずっと、ほとんど毎日私に告白してくるの。
「そう。私はあなたのこと、好きでもなんでもないわ。だから付き合わない」
 いつも通り、私はそっけなく返した。彼はこの言葉を聞いてどう思ってるのかしら。悲しむあまり涙を流しているの? それとも、明日も告白すればいいじゃん、ってフラれた癖に、にやにやしているの? それも、分かんない。
 私たちの横を、峯桜と高杉千尋が通り過ぎる。くすくす、と笑い声が漏れていた。
「またやってる」
「あんなバケモノのどこがいいのかしらね」
 バケモノ。私の蔑称だ。私は自分の姿でさえ文字で見えるものだから、その蔑称が私の体質を示してなのか、私の外見を嘲ってそう言っているのかは分からない。けれど、私は自分でこの体質を持った私を、バケモノだと思っているくらいだから、きっと体質についてだろう。
「ぼ、僕、あきらめませんよ!」
 空木涼太はストーカー気質なのか、それとも一途なのか。唯一、彼が告白をするときにだけ、「太」の点が非常に大きくなっていることから。私に恋か欲情を寄せていることだけは分かる。ほかは分からない。
「そんなに私のことが好きなら、一つ、私の願いを叶えてくれる?」
 なら、試してやろう。私のこと、本当に好きなのか。
 私は、空木涼太の目があるであろう「空」の「八」の部分を見た。ぴくり、と動く彼。ふふ、どんな表情をしているのかしら。
「は、はい! なんでも叶えます!」
 彼は男らしくぴしゃりと言い切った。
「あなたの顔、私に見せて?」
「えっ?」
 できっこないでしょう? と私は鼻で笑った。
「私の体質、知ってるでしょ? 絵でも写真でも、人の顔を認識することができない。絵はカラフルな「紙」にしか見えないし、写真は「写真」でしかない。こんな私に、あなたの顔を見せて欲しいの。それができたら付き合ってあげる」
 空木がうーん、と声を漏らす。無理でしょうに、悩んだって、仕方ないのに……。
「あの、先輩。そこの地面の文字見えますか?」
 空木の「木」の左の払いが動いて、道路の文字をさした。黒い「アスファルト」が敷き詰められ、その上に「ハードライン」という白い文字で一辺一辺が書かれた「止マレ」という文字が見えた。
「止マレ、でしょ?」
 私は難なく答える。
「ありがとうございます。分かりました! 明日、必ず僕の顔を見せてあげましょう!」
 彼は言い切った。さすがに表情の読めない私にも、彼が自信に溢れてそう言い切ったのが分かった。
「……じゃあ、楽しみに待ってる」

 翌日の放課後。私が教室を出ると、廊下で彼が待っていた。
「先輩。こっちに来て下さい」
 言われるままに、彼の後に付いて行く。私たちは人気の無い美術室の中に入った。中には取り立てて目立ったものは無い。カラフルな色のついた「紙」と、「木」でできた「椅子」下の方が汚い「パステル」で汚れた「筆」と、「絵の具」が付いている「パレット」。それらが乗っている「机」。
「あなたの顔、どこにもないじゃない」
「先輩、こっちです」
 彼に呼ばれて、並んで「窓」の前に立った。「窓」が開けられて、四角い空間が開き、外の風景が見える。緑の「木の葉」で埋まった裏山が、薄らとオレンジ色の半透明な「光」に重なって見えた。
「下を、見て下さい」
 促されるままに、下を見た。そこは、本来は黒い「アスファルト」の敷き詰まった地面で、駐車場に使われている場所なはずなのだけど、そこに、白い「石灰」の文字が撒かれていて、それが並んで直線になり、曲線になり、それがいくつもいくつもあって、交わったりして、何かを描いていた。
「先輩、地面は物体の名前が敷き詰まって見えているんでしょ? で、「止マレ」が読めたんだから、地面の上に絵を描けば先輩でも僕の顔を見れるかなって思ったんです。どうです? 見えてますか?」
 空木涼太が説明してくれた。
「ええ、見えてるわ」
 髪は短めのくるくるした天然パーマで、少し大きめな目に太い眉毛。小さい鼻と、厚めの唇。頬が細くて、えらが張っていて、顎のラインがほとんど水平に見える。お世辞にも、かっこいいとは言えない顔だ。
「へぇー、こんな顔なんだ。……ちょっと、試してみてもいいかしら?」
 私は彼の顔、「空」に手を伸ばした。触れるのは「空」の「エ」の下の部分。確かに、顎が無い位に、水平なラインをしている。
「ちょっと、正面を向いて?」
 彼は素直に私の言うことを聞いてくれた。一度手を離して、もう一度、今度は両方の手で「エ」の「|」の部分を挟むように触る。目に見えているよりも少し太めで、柔らかいけどほっそりしたほっぺだ。
 最後に、私はその「|」の真ん中のあたりに、自分の口を近づけた。
 触れ合う、唇。
「な……!?」
 裏返った声を出す空木。きっと、驚いて目が飛び出そうになっていて、顔も真っ赤なんじゃないかしら?
「う~ん、ちょっと、実物の方が唇、薄いかな?」
 私は、自分の唇を引き絞って、口角をあげる。頬は緩ませて、目じりにしわを寄せた。
 彼の瞳に映る、私の顔。それは、私には山城美春の「山」にしか見えないけれど、彼の目の奥には、しっかりと私の最高の笑顔が、映っているに違いない。

モジバケ

オモシロカッタ?

モジバケ

短編小説です。ちょっと変わった女の子の、恋? の物語

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-01

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