春を告げる人

higurashi

庭先に干した洗濯物を取り込もうとガラス戸を開けると
「春を告げる人」がちょうど木戸の向こうからこちらを覗きこんでいるところであった。

「あら~!」
嬉しくてつい大きな声が出た。
「やっと来てくれたのね」

「こんにちは」
春を告げる人は、少し照れくさそうな懐かしい笑顔を見せて木戸を開けた。
「また会えて嬉しいな」

うんうんと、私は大きくうなずく。
「どうぞ入って。今ちょうどお茶を入れようと思っていたところだから」
そう言って洗濯物を急いで取り込むと、押入れから座布団を出し、縁側に敷いた。

春を告げる人はやっぱりどこか恥ずかしそうに微笑みながら
それでも嬉しそうにそこへ座った。

お茶の用意をしながら様子を見ていると
彼はしばらく庭を眺め回した後、ゆっくりと立ち上がって肩から提げたカバンに手を入れ、
隅に植わった梅の木の根元まで歩いていって、枝へ向かってきらきら光る粒をふわっと撒き散らした。

梅の枝は固いつぼみを付けたままで、まだ一向に咲く気配を見せていなかったのだが
春を告げる人が粒を蒔いた途端、遠くからでもよく分かるくらいふっくらと膨らんで二つ三つ白い花を咲かせた。

私は思わず歓声を上げて手を叩く。
それから、入れたてのお茶と草団子をお盆に乗せて縁側へと運んだ。
春を告げる人は、今度は足元のクロッカスの芽に粒を蒔き、
粒を受けたクロッカスはにょきっと伸びて黄色いつぼみを付けた。

私はまた拍手する。
「素敵ねぇ・・」
うっとりした顔でそう言うと、春を告げる人はまた照れくさそうな顔をして笑った。

縁側へ並んで腰掛けて、私たちはお茶と草団子を味わった。
草団子はちょうどその日の午前中に近くの和菓子屋で買ってきたもので
よもぎのたっぷり入った濃緑の色が美しく、
独特の香りがあんこの甘さとよく合って、私も彼もうんうんと確かめるようにそのおいしさを享受した。

春を告げる人のカバンはどっしりとした丈夫な帆布で出来ていて
長年肩から提げて歩き続けているのでずいぶん薄汚れている。

こんなくたびれたカバンの中からよくあんなきれいな粒が出てくるものだ、と改めて思う。
あの春を呼ぶ光の粒は以前から気になっていて、自分でも少し撒いてみたいと思っていた。

「ねえ」
と、私はほんの少しどきどきしながら尋ねてみる。
「そのカバンの中の粒は、私が撒いても花を咲かせることができるのかしら?」

春を告げる人は、ふふふと面白そうに笑った。
「みんなそう言うんだ。だから少し分けてあげるんだよ。やってみる?」
そう言ってカバンのふたを開け片手を突っ込むと、中からさらさらの光る粒をつかみ出した。

春を告げる人が握った粒を、両手の平をお椀のようにして緊張した面持ちで受け取る。
細かい砂のような形状のその粒は、実際に手の平に乗せると思っていたよりもしっとりと重たく、
手の平へ吸い付くようにして、少しの風では飛ばされないほどの強さを持っていた。

「試しにどこへでも、好きなところへ撒いてごらん」
息をつめて光る粒を見つめている私とは全く逆の気軽さで
春を告げる人は庭を指差して言った。


私は散々迷った末、ラッパ水仙の芽がほんの少し顔を出している土の前まで行くと
祈るようにして手の平の粒を半分ほど撒いた。
粒は、春を告げる人がそうするようにきれいにふわっとは散らばらず、
水仙の芽の上にほんの少し振りかかっただけで、あとは何もない土の上にただ落ちてしまった。
撒いた箇所を目を凝らすように見つめたが、どう考えても芽が伸びたようには見えない。

「・・やっぱりダメみたい」
私は縁側に座る彼に向かって振り返り、しょんぼりとそう言った。
春を告げる人は笑って立ち上がり、私の隣りまで来ると手の中に残っていた粒を同じところへ撒いた。
粒はふわっと軽やかに宙を舞って水仙の芽に上手に振りかかり、
薄緑色の細い芽は数センチくらいすっと上へ向かって伸びた。

「はあぁ」と、私は感嘆の溜め息を吐く。
「こんなに美しいことができたら、どんなに素敵でしょうねぇ・・」

んふふ、と春を告げる人はまた笑って
「でも、花が開くことと同じくらい美しいものを、君たちも持っているだろう?」
と、私に問いかけた。
「・・何だろう?」
首を傾げてしばらく考えていると、春を告げる人は手の平の粒をそっと撫でながらこう言った。


「自分と同じくらい、できればそれ以上に
 誰かのことを大事だと思う気持ちだよ。
 僕は、目に見えないものの中で
 これ以上美しいものはこの世にないと思っているよ」


それから、撫でた粒をほんの少し指先に取って
「そういうものが胸の中に自然と生まれるのは、
 花や木が芽吹くのと同じくらい尊いものさ」
と言いながら、そのほんの少しの粒を私に差し出した。

「愛されることをただ待つだけの人生なんて
 味気なくて寂しいものだろう?」

そう言った後、春を告げる人は少し恥ずかしそうに微笑んで
「なんて、ただのキレイ事みたいに聞こえるだろうか」
と、半分独り言のような言い方で問いかけた。

私は、とっさにうまい返事が出てこなかったのだが、それでもとにかく強く首を横に振った。
たしかに彼の物言いにはどこか浮世離れしたロマンチックな響きがあるが、
しかしその言葉は尊い真実だろうと思われた。

手の平で受け取った粒は、それまでよりもっとしっとりと肌に吸い付くようであった。
いろんなことがしっくりと腑に落ちたような感覚になって、なんだか胸がいっぱいで、私はただ
「そうね。本当にそうだね」
と言うことしかできなかったが、少ない言葉でもきっと彼にはちゃんと通じているだろうと思った。


私はそのまま黙って、生き物のように温度を持ち始めた粒をもう一度撒く。
粒は、今度はふわっと上手に宙を舞ってラッパ水仙の上に優しく振りかかり、
水仙は細く尖った芽をさらに数センチ空へ向かって伸ばし、
窮屈そうに閉じた葉の間から控えめなつぼみが顔を出した。

驚いて顔を上げると、春を告げる人が本当に愉快そうに笑っていた。


縁側に戻ってお茶のお代わりをもう一杯ごちそうすると、
「さて」
と言って、春を告げる人は再びカバンを肩に掛けた。
「あんまりのんびりしてもいられないんだ。
 みんなもう待ちくたびれているから」

私もうなずきながら立ち上がって、彼の上着の襟を少し直してやった。
「本当ね。みんな心からあなたを待っているんだもの」

んふふ、と彼はまた少し照れくさそうに笑った。

「素敵ね。自分がそんな存在でいられるなんて」
こんな言い方をするとまた照れさせてしまうのは分かっていたけれど、
本当に心からそう思ったのでそのまま口に出して言った。


「惜しみなく愛を与えられる人は、深く愛されるさ」
と、彼は答えた。
「たとえ花を咲かせる力を持っていなくとも」

そしてまた、ふふふと風のように笑った。


「それでは」
と、庭の木戸に手をかけながら彼は言った。
「また会えるといいね」

「また会えますように」
と、祈るように私も言った。


春を告げる人が去った後の庭は、ほんのわずかな違いではあるけれど、
そこかしこに小さな芽生えが確かに起こっていた。

あとはただもう、日の光が日ごとに強さを増すのを待つだけである。

春を告げる人

春を告げる人

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-31

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