羽地野の姉さん

羽地野の姉さん

ふたりの出会い

 地球という、この星に似た惑星が宇宙の何処かにあると言う。でもその地球には、俺達の世界にあるものがなかったりする訳で。

 ひとつは、魔法。ふたつ目は、獣人がいること。みっつめは、――……。



「林檎が300ギルだなんて高すぎる!」

 ひとりの青年の声が、人と獣人で賑わう街の中に響く。
 絶望と癇癪が混じったその声に、フルーツの屋台を出す店主は、「あはは」と軽快に笑った。

「アンタ、旅人だね? この辺りは海はあるくせに、川がないんだよ。塩水で植物は育たないからフルーツを育てるのか難しいんだ。
 ほら、元気出して。後ろを見てごらん。トパーズ王国自慢の観光名所さっ。思わず見とれてしまうだろう、この海の景色」

 屋台の前に跪く青年を見た店主は慰めのつもりか、また、「あはは」と陽気に微笑む。青年の背後はオープンになっていて、確かに広い海がある。
 観光名所と言われるだけあり、確かにその海は息を飲むほど綺麗である。所々砂の凹凸があって海水が透明だったり深い青だったりする。一色とは限らないのがまた美しい。ざざん、と心地好い波の音が聞こえてくる。自然が作り出す光景には心惹かれる。

「ごめん、おじさん。俺、他をあたってみるよ」
「ここが一番フルーツ屋台では安いと思うんだけどなあ、ま、頑張って」
「一通り見てからまた戻って来るかもっ」

 青年が立ち上がり、屋台が並ぶ坂道を駆け上がろうとした時。

「林檎、私とコイツでふたつくれ」
「はいっ、600ギルね」

 青年がぶつかる一歩手前でブレーキをかける。この屋台の前に他の客はいないので、コイツは青年ということになる。青年の顔に今まで気落ちしていた要素がなくなり、深くフードを被った客を見上げてきょとんとした表情をしていた。坂道なので明確ではないが、恐らくフードを被った客の方が背丈は高い。

 青年がきょとんとしている間に、銀色のコインと林檎ふたつとを颯爽と交換する。そして、

「ほら」

 とフードの客から手渡される。目元は隠れているが、声がイカつくない所と唇に色がある所を見ると……どうやら女である。それもちょっと年上の。

「ありがとう……」

 両手に転がるまるんとしたそれは、艶々として美味しそうだ。太陽の恵みを充分に受け、深緋色と表現して良い程の色味をしている。
 林檎から視線を転じ前を向くと、例の客はもう既に背を向けて歩き出している。

「ま、待って……!」

 駱駝色のフード付きマント。真夏のように暑い亜熱帯地方なのにこの姿。なんとも言えぬ独特な世界勘が滲み出いる。
 青年は彼女の隣につき、片手にある林檎を落とさないようがっしりと掴んだ。そして彼女にも見えるようにと高々とあげて見せる。

「誰か分からないけど、ありがとな! 俺の昼食が無くなっちまうかと思った」
「金なら幾らでもあるからな。礼はいい」

 彼女はそれだけ言うと、青年の元から足早に去って行った。まるで人目を避けるように。

「…………」

 彼女の言った意味が理解出来ずに、青年は足を止めてポリポリと頭を掻く。


「金なら幾らでもあるって……。どういうこっちゃ」


 ツンツンした黒髪も乱雑に撫でると、男はさらに首をかしげた。このトパーズ王国は商人の街であると同時に旅人が行き交う街でもある。砂漠のオアシスと言ったら分かりやすいだろうか。旅の登竜門と言ったら良いのだろうか。

 兎に角、トパーズ王国のこの通りは旅人に欠かせない場所で、ほぼ100%と言っても良いくらい旅人にしか出くわさない。そしてどうやらこの男の脳内では、旅人=お金持ちではないというナゾの方程式が出来上がっている。どんな持論を持っているかは知る由もないが。

 だからこの男にとっては、お金を持て余している奴がここにいる、なんてことが不思議というか疑問なのだ。ここは野盗もいて物騒だから観光でくるセレブには付き人や護衛が常にいるはず。それに女の身なりを見る限りは観光なんかじゃない。旅人の格好。


「礼はいいって……か」



 青年は建物で影が出来、人気がまばらになった所で足を止めた。一色丹のコンクリートを固めて作ってあり、色彩のなさが逆に落ち着く場所でもあった。小さな広場のような構造になっており、中心に凸となるテーブルが作られている。
 が、青年の今からする行動はそこは目立ちすぎる。
 人はいないとは言えその凸では流石に目立ちすぎる。

 青年は元は外壁であったであろう所に、同じく凸とした部分を見つけた。見た目はあれだが、大の男が触っても頑丈な硬度である。青年は淡黄色をした薄汚いバックパックを降ろした。バックパックの蓋を開け、ごそごそと何かを探すようにその中に乱暴に手を突っ込む。青年の2本の腕は肘が見えなくなるまで埋まって行く。

「あった……」

 軽い安堵と共に、青年は中の物を取り出した。大事そうに掴んだそれは、金の平たい球体状の物だった。

 本体自体はチェーン付きで、ネックレスのように首からさげられるのだが青年はそうしていない。物が大きいしやや重いということもあるだろうが、それはバックパックの中に入っていた。そしてそれは、バックパックの奥底から出てきた。

 青年はそれをコンパクトのようにパカッと開けると、中をじっくりと凝視した。目を細めて数秒凝らすものの、それは晴れる気配がない。

「また方角が違ってる……。どうしてだ?」

羅針盤を見ると、長い針と短い針がついていて――時計のようだと言ったら分かりやすいだろうか。その針は12個の小さなイラストをそれぞれ指していて、水を欲しがる人間や、大蛇の共食いや、大蛇と人魚の交渉……などがある。一番悍ましいのは、人間の頭がい骨でワインを飲む王様の姿だろうか。よく見れば、頭のない剣士の姿がその反対面に描かれている。

 12個のイラストの下から、「カッ、カッ、カッ……」と音がしている。イラストの水面下で幾つもの歯車が家族のように息を合わせて動いているような。長い年月の間動いているのだろう、歯車は狂いはしてないが互いに引っ掻きあったような傷跡が見受けられる。

 青年は羅針盤が正常に動いているかを狐疑し、それぞれの角度から針やイラストを見詰め出す。だが、針はそのジト目を黙殺するようにその場でイラストを指しているだけ。

「意味分かんねーっ」

 もううんざりだ、とでも言いたげに青年は銀がかった黒髪を両手でがしゃがしゃと掻き毟る。鮪の鱗のような髪色がチカチカと光っている。

 今までも針が何度も動いていて、示した方に来たと思えば逆の道や、もっと東・西を指していることもあった。(これは青年の移動ミスを省く。)今までめげずに旅をしてきたものの、ここまでゴールが見えないと――。青年の投げやりな言葉をすくうように、凛々しい声が一筋降る。

「意味が分からないのはそっちだろう」

 青年は紺碧色の瞳を警戒心満載にさせて、声の降る方を軽くみやる。その声は青年が今いる広間を区切る壁の上からだった。太陽の光を背景に、ひとりの女が1本の棒のように立っている。青空を背負い、光陰をつけるその姿は神神しく美しい。
 ただ、そのシルエットに青年は見覚えがあった。
 さっきの屋台の行列で見たことが……。

「うぬ……?」

 偉く素っ頓狂な声が出たもんだ。駱駝色のフード付きマントの、すらっと細身の女。青年は警戒心を半減させ、丸い目で女を凝視する。

 女は2mもの高さはあるであろう所から悠々と降りてみせた。獣人にしては品良く、しなやかで、スピード能力が並み外れている。
 全身を隠す布が風で捲れ、2本の引き締まった肢体が露わになる。骨格の均斉が良くとれ魅力的で、脚は曲がりの知らない若い林のよう。肌の焼け方や、脚につけている羽をあしらえたアクセサリーが常夏の南国を彷彿とさせる。こんがりとした褐色肌は健康さと自国の誇りを表すだけにあるように感じた。

 しゅたっとサンダルが地と擦れる音がし、女が青年と同じ場所になる。女は着地した足を伸ばして、青年と向き合った。背丈は女の方がやや高く、青年は威嚇されているような気分になった。自分の中の生命が、危ないと信号を出している。たじろぎ、気付かれないように半歩下がる。

「まさかお前がバシリアスの持ち主だったとはな」
「あの時の姉ちゃんか……?」

 人面獣心な声色に背筋がぞっと凍てつく。
 開けた真っ黒な瞳の奥底に、計り知れない自分への恐怖があった。青年は即座に感じ取り、また半歩下がる。悟られないようにと強気でありたいと願うが、それも悲しく身体が震えてしまっているようだ。

「バシリアスをよこせ。それはお前ひとりの力では動かせない」
「こ、これは俺のだ。小さい頃から俺の手元にある」
「はっ」

 女は整った顔をひどく歪めてみせ、青年の驕り高ぶった態度に嘲笑する。

「それは魔力のある者にしか使いこなせないんだぞ。お前、それの正体が分からないまま持っていたのか?」
「…………。どういう意味だよ……?」

 青年は不思議と冷静になっていた。女の笑みから深刻さが抜け、身体の力が抜けたのだろうか。女はバシリアスと呼んだ金のコンパクトをやんわりと指さし、青年に話をした。

「それは、バシリアスと言って私が奉公しているフェルミウム王国が必死で探している羅針盤なのさ。その羅針盤は、東西南北と言った方角はささない。地図にも載っていない未開の地に眠る財宝をさすと言われているんだ。
 その財宝がみつかれば全ての戦争は終結し、今では考えられない夢のような平和が訪れると言われている」
「平和が訪れる……?」
「そうさ。フェルミウム王国の王が、私にその羅針盤を探せと命じている。……どうだ、私に渡す気はないか」

 女はこくりと小首をかしげて、右手を青年に向けて渡せと言った。その柔らかい声とは裏腹に、目は逆鱗のまま。青年はチェーンにぶら下がるバシリアスをじっと見詰め、暫し検討する。だが、結論を出すのはそう時間がかからなかった。申し訳なさそうに眉毛をくしゃりと緩めると、にっこりと口角を上げてみせる。

「ごめん! 姉ちゃんに恩はあるし、どうしても必要なものなんだって重々承知してるけど。
 こればっかりはごめん。俺の唯一の財産なんだ、残しておきたい」
「お前のその我儘でこの世界がまだ苦しんでいても良いのか」

 間髪を入れない、鋭い声が広場に響く。

 青年は腹を抱える様に腰を曲げ、噴き出す汗をポトリと静かに落とす。何かを躊躇っているような、隠しているような素振り。青年は固唾を呑んで何かを告げようと口を開くが、途中で息が続かず止まってしまう。

「う゛……」
「?」

 青年は頭をがっくりと落とすと、獣が唸るような呻き声を発する。

「どうした?」

 膝を抱え身を縮める姿に、女は駆け足で近寄った。慌てて青年の肩を支え、片方の手を頬にやり顔を此方へと向かせる。苦悶に満ちた顔を、1匹の大蛇の尾が這う。

「これは……」

 女は目をぎょっとさせると、尻尾を踏まれた猫のように飛び上がる。見たこともない光景に、青年から1歩2歩と距離を取る。

 まるで刻印されたようなブキミさ。大蛇は青年の皮膚を盛り上げながらどんどん徘徊していく。青年の呻き声は止まることなく、大蛇はこれ見よがしに束縛を強める。

「大蛇の魔術……。誰が一体こんな魔法を……」

 蛇が青年の襟から顔を出し、女の憂懼する表情を見ると嬉しそうに微笑んで這うスピードを速めた。じっと蛇を凝視する女が潜思に暫し馳せていると、下の道から女数人の声がしたのにはっとした。

 禁術とされこの世から滅んだ存在。見られてはマズい魔法だ。女共が此方に来る前にと、青年の脇に手を挟んで後部へと引っ張り出した。



 砂漠と言えど、陽がないとその場も冷える。女は短い呪文を唱え、青年の寝そべる横に魔法で火をつけた。

 良い・悪い魔法使いと言えば大雑把だが、質の良い魔力は魔法にも影響する。一概には言えないが、魔力は性格によく反映していると思う。
 彼女の出した火は火であっても、火の恐ろしさは全くなく、触ってみたいという好奇な気持ちにすらなる。キラキラとしており、至って温柔な炎だ。濃い色独特のキツさを差し引いた優しい感じ、深味のあるパステル色がゆらゆらと揺れている。だが決して弱そう等とは思わず、火本来の気丈さを忘れていない所がある。

「ん……」

 青年はうっすらと瞼を開けた。どれくらい眠っていたのだろう。身体を起こすと先程まで縛られていた所が少し痛んだ。

「起きたか」
「あれ……。ここは? 俺は確かトパーズ王国の城跡にいて……」

 青年は顎をさすりながら、起きていた時の記憶を辿った。もう繁華街と化した城跡にてお昼ご飯を済ませることにして……。

「もうトパーズ王国から出た。此処は隣のアーリア王国のルア砂漠だ」
「って、何でアンタがいるんだ!?」
「お前……。今更か」

 ビクッと盛大に身体を震わせた青年に少し呆れてしまう。青年の反応に気後れしてしまいそうになる。

「私はハリベルだ。暫しの間、よろしく頼む」
「お、おお……。俺はアオイ。そのままアオイって呼んでくれ」

 ハリベルがさし出した手にアオイは自分の手を重ねる。強く握られた手にどぎまぎしながらも、アオイはなんとか笑みを浮かべる。そして握手が終わり、不思議そうにハリベルに尋ねた。

「ハリベルはなんで俺を助けてくれたんだ? 俺の持ってるバシリアスを奪って去ったら良かったのに」
「何でアオイを助けたのかはよく分からん。自然とそうなってた。それより、あのような大蛇に襲われた事は何度かあるのか?」
「ん……。何度もあるよ、もう5年くらい前からそうさ」

 苦笑を交えながらアオイはそう言うものの、ハリベルにとっては不憫でならないように思えた。アオイは魔法を使えない。魔法を使えないということは魔力もないし、大蛇に対する免疫ないし対処方法もないはずだ。
 魔法使いの助けがあれば――とも思うのだが、バシリアスをバックパックの奥底に仕舞っている所を見ると秘密にしているようだし、容易に仲間も作れないのだろう。それに大蛇の纏わりついた気色悪い男……とまでは言わないが、それだけの重みを受け入れてくれるだけの心がある人はなかなかいない。

 ふっと風で炎が消えていき、辺りが暗くなった。夜の静けさがふたりに落ち、遠方で砂が音なく吹かれていった。アオイの瞳を伏せながらぼんやりと煙を見ている姿は、必至の絶望を暗示る少年のようだった。ハリベルは、くっと喉の奥で笑う。アオイを元気付けようとしたのか、空気を丸く撫でるように手を回し魔法を使う。

「アオイ、よく見てろ」

 艶めいた炎が宙を舞い、人間や文字や物に姿を変えて行く。想像の魔法の代表とも言える魔法だ。

「大蛇の魔術に対することで、何を知っている?」

 彼女は人差し指をくるくる回し、炎を操っているようだ。小さな蛇が砂漠を這いまわり、ふたりの顔を見て舌をベロベロさせている。この魔法の使い手は何万人といると聞くが、ハリベルのように明確で、精度の良い創造を出来る魔女はなかなかいない。

「大蛇の魔術は今から50年前に禁術と定められた魔法で、その魔術の本は何処にも販売されていない」
「それだけの知識で充分だ。アオイ、確かお前は5年前から大蛇に襲われていると言っていたな」
「ああ」
「実は大蛇の魔術は、短時間の魔法なんだ。時間単位の魔法なので、年単位はおかしい」
「えっ!?」

 アオイはバネのようにビヨンっと跳ね上がると、パニック状態になりハリベルに何も聞かずにはいられなくなった。

「どういうことだよ。俺は5年も悩んでるし、解けもしないし、ずっとこのままだっ」
「まあそう焦るな。元は大蛇の魔術は戦況の中で編み出されたものなんだ。捕虜に尋問するためにな。
 術者の魔力にもよるが……、大体は小一時間程で死に至り、空腹の大蛇がその身を骨になるまで喰う。
 アオイの場合は、なかなかお前が死なないので死ぬタイミングを伺っているのかもしれないな。何からの原因により理性を大蛇が手にし、お前の身体に居座り続けているか……」
「そんな……」

 食欲、性欲、睡眠欲。三大欲求のうち、食欲のみで構成された大蛇による犠牲は計り知れない。

「それか、誰かがお前を監視しているかだ」
「監視……?」
「ああ。長く大蛇が居座っているのではなく、誰かがお前を監視して魔法をかけているということだ」
「なんで誰がそんなことを……」
「まあ、お前みたいな馬鹿は監視する対象にもならないし、利益もないので前者の方だとは思うのだが」
「なんだよーーーーー!!!」

 ハリベルの魔法は芸が細かくて、人間を丸呑みする大蛇や、人間を尾行する大蛇も鮮明に創りだしていた。最後は蛇が笑い転げて、チリリと音をたてながら消えてった。火の粉が薪に落ちて、ボッと音をたててまた明かりがつけられる。
 さっきからハリベルに弄ばされているアオイはと言うと、ダメージを大分受けたらしい、砂漠でごろりと横になっていた。そして気付いたように、ピクリと上半身を上げた。

「ハリベル、それだけ知識があるってことは大蛇の対処方法とか知ってんのか?」
「まあ……。抑制魔法であれば心得ている」
「なあ、俺と一緒に旅しねーか?」
「んなっ」

 漫画のような展開だが、それ以前にチームを作ろうというアオイに驚いたらしい。アオイには社交的な面はあるもののひとりでずっと旅をしてきた訳で、ハリベルは一匹狼タイプで国から出される指令も全部ひとりでこなしてきた。お互いがひとり同士で、相手を必要としていなかった。

「な、何を言っている! 私は……っ」
「いいだろ。どうせ、断る理由なんてねーんだろ」

 ハリベルは口を噤み、確かにそうだと思った。フェルミウム王国から出た、世界が平和になる伝説の羅針盤を探せという指令が下っているものの、特に期限はなく、いついつに帰って来いという事は言われていない。それに、羅針盤はアオイの所にあるのだ。

「で、でも……!」 躊躇いがないわけじゃない。
「なあなあ、いいだろー! ハリベルはバシリスの居場所の情報が、俺には抑制魔法をかけてもらえる。ウィンウィンっ」

 すっかりご機嫌になったアオイが、芋虫のようにイモイモと動く。ハリベルは逃げなければとその場を立ち上がるが、右足を直ぐに取られて身動きが取れなくなる。アオイは子供のようにその足にしがみつき、ズリズリと蔦のようにその身体を這って行く。

「あ」

 ハリベルの背中から、駱駝色のマントが呆気なくハラリと落ちて行く。何か重たいものが剥がれたようだった。

「え゛」

 ぎょっとしたアオイの瞳に映るのは、人間でもなく獣人とも見分けのつかない女の姿。人間の身体に無理矢理はやしたような、獣の耳と尻尾。決してコスプレ感はなく、恐ろしいと感じるものがある。頭の横についた先端のツンととんがった獣耳と、両足の間から覗くのは地面につくかつかないか程の黄金色の尻尾。ハリベルの目を見ると驚いた獣のように黄金の瞳孔を縮めた。

「い、いつまで縋りついているか!」

 次の瞬間、アオイの顔面に砂のついたサンダルの裏が激突した。



 ハイスペックというには、まだ彼女のことをよく知らない。ハイブリッド、というのは怪しい交尾団体みたいなので辞めておく。
 俺はじっくりと彼女の姿を見続ける。高級ダイヤモンドを格安で売りつられた時の不安感。なかなか煮えないお鍋を長時間見続けた時の疑懼感。嫌だけど飲んだ薬が効かなかったあの感じ。
 要は信用がないのだ。俺は数十ヵ国を練り歩いて来たが、こんな姿の生物は見たことがない。絵本でも描いていないし、俺も想像したことがなかった。異物と異物が繋がった生き物、想像するとしたら人魚やケンタウロスくらいだ。でもそのような分類ではないのは確か。

 上半身を動かして、真正面にちょこんと座る彼女をじっくりと観察する。どうやら本当に耳も尻尾も身体と繋がっているらしい。顔を近づけたらわかるが、動物園のライオンの前に来たような獣臭さがある。ふっさふわの耳を触ろうとした瞬間、

≪バシン≫

 とシンバルみたいな音と共に右頬に鈍い痛みが走った。歯に振動して少し痛い。

「私は見世物じゃないんだぞ! 不快に思えて仕方がない」
「はい、すみません……」

 意外とパワーもあるらしい。男に殴られた時のように右頬がジンジンと熱を増していく。俺に正体を見られ、身体を隠す意味もなくなったハリベルはもうマントを着ていなかった。駱駝色の重いマントを横におき、恥ずかしそうに目元を赤くして耳をピクピクさせている。くそう、可愛い。
 でもさっき怒られたばかりなので好奇な目で凝視するのは辞めにした。俺は嫌われる訳にはいかない。

「このことは内緒にしてくれ。フェルミウム王国の重要機密事項にも入っているんだ」
「機密事項? ってことは、俺本当にやべーじゃん。見ちまったぞ」
「だからバラしたら、アオイの考えているやべーことになると言ってる」
「え、つまり……」

 そのやべーことの想像は容易に想像がついた。ハリベルは、「多分あってるよ」の目で首を縦に振った。

「ええっ!?」
「驚くな。私のマントを取ったアオイが悪いだろう」
「う」

 自業自得という訳か。ハリベルはその時はその時だとでも言いたげにゆったりと胡坐をかく。
 そして頬杖をつくと、からかってやろうと考えたのか悪い光を瞳に取り入れた。

「どうして重要機密事項になったか、理由言ってみ」
「え?」 考えろ、という訳か。
「いいから」

 ハリベルの強引さに負けてしまう。俺は思いつくことを言おうとしたが、何も思いつかない。彼女の視線を感じたまま沈黙は辛かったので、「んー」と考えたふりをする。
 彼女の存在を公にしたら、彼女のことを研究させてくれと各国から学者の人がきて王国は賑わうだろう。それに研究も進めば新しい種族だって豊富になるかもしれない。フェルミウム王国はどの国よりも注目される国になるだろう。未知の可能性の塊だ。

「その顔、良いこと尽くしだって顔だな」
「? ? ?」
「どうして言い当てられたって顔までしたな」

 くっくっと喉を愉快気に鳴らしたハリベル。俺は彼女の手の中でころころと転がされている気しかしない。

「フェルミウム王国は世界中の平和を謳っている国であるのだが、そのキッカケというのがあってな。何百年か前、この世界は5つの王国と人口1000人にも満たない小国、今のフェルミウム王国なのだが、その6国で成り立っていたと聞く。
 5つの王国が領土統一を狙って戦争を初め、核兵器の持ち込みが計画された時、小国から100人の魔法使いの騎士団が起ち上がったという伝説がある。騎士団はたった100人で何万人もの兵士を自国へ撤回、王国の領主達を更生させたという話がある。あくまで伝説だがな」
「……やばい伝説だな」
「今でもその100人がフェルミウム王国で生きていて、愚かな人間や獣人を黙らせる怪しい魔法を開発してるんじゃないかって言われてる。都市伝説って軽い感じに思ってもらえれば良いが。私が公の存在になれば、その魔法で出来上がった生物っていう目で見られる可能性があるだろう? 都市伝説の信憑性も高くなる。怪しい機関のある国に観光客は来ないし、フェルミウム王国から逃れたい国民は逃げて行く。世界を安定させるために秘密とされているんだ」

 つまり、ハリベルの存在が世界中に知れ渡ってしまったら、平和をスローガンとしているフェルミウム王国のイメージダウンに繋がってしまう訳だ。周りから怪しい魔法開発局があるという噂を確信付けてしまうようなことがあってはならない。だからハリベルの存在は重要機密事項に入ってるのか。

「だから、くれぐれも私のことを喋ったりしないでほしいんだ」
「……墓場までこのことは内緒にしておきます」
「良い心構えだ」

 ビクビクと身震いをしてしまい、なんだか居心地が悪くなる。ハリベルは手の中でコロコロと自由に動かせることに満足したようで、口角に厭らしい笑みを浮かべた。ほんっっっとうに、居心地が悪い。
 俺はハリベルに、「理由言ってみ」と鎌をかけられたという訳である。無言に耐える時間を何とかしようとコミュニケーションを取ろうと彼女は思ったんだろうかと、そんな甘い予想をしていた自分に腹立たしくなってしまう。

 でも。でも。そんな自分のことより――。

「重要機密事項っていつからなんだよ?」
「…………」
「ハリベルは頭良いし、公立の学校にも通ってたんだろ。公の目もあったはずだ」
「…………」
「俺の所は治安良かったけど、貧乏な国でさ。学校って教育費が高くて、親の金でいけなかったんだ」

 ちらり、とハリベルの鋭い視線を感じた。俺はノット学校出身であることを恥ずかしく思って、後ろ手に頭をかいた。あと分かった口をききやがって、というような目つきの中和のために多く口を開いた。きっと頬は赤に近いピンク色の熱を帯びている。

「教育ってもんがどんなモノなのか想像もつかねぇけど、友達作ったり、でかい運動場で駆けまわったり、弁当持ち寄ったりする所なんだろ? ハリベルは子供の頃、そういう経験をしたんじゃないのか?」
「私はっ――」

 きらきらと光る星を、汚染された空気で飲み下したような刹那。ハリベルが年下のじわじわくる非礼を寛大に受け止めたような、「やれやれ」と言ったような穏やかな表情に変わる。

「フェルミウム王国は魔法も科学も発達した豊かな国で、教育費は国が無償化してくれてるんだ。だから私は普通に学校に通ってた。皆に醜い姿を隠したくてマント羽織ってたし、大人しくしてることが多かったがな。休み時間にじっとしてたら先生がやってきて、私に一冊の本をくれた。1000ページにも及ぶ分厚い本だったけど、暇がある時間なんかだと続きを読んでた」
「文学少女って感じだな」
「そんなことないさ。気はキツかったし、腕力もあったから男子にはいつも恐れられていた」
「いるよなー、そんな女子!」

 夜の砂漠にひとつ、物騒な台詞が吐き出された。

「でも、記憶がないんだ」
「へ?」

 炎がパチッと弾ける音をたて、火の粉を上げて空へ消えていく。ハリベルの方を見ると、物憂い気な目つきで炎を見ていた。自分のことが分からない大人の嘆きの色が滲んでいる。

「小学校に行ってた記憶はあるんだが、卒業した覚えも、中等部に行っていた記憶もないんだ。気付いたら高等部の少人数制の学校にいて、兵隊みたいな藍色の上着を着た先生がズラリといて――。知らされてもいないのに、重要機密事項の枠に入ってたし、魔法も使えるようになってたし、王室直属の部下になっていた」



 知らないうちに大人になって学校にいて、重要機密事項の人間にされ、王室直属の部下になっている。過去に学んできたことは沢山あるし、その知識は今も生き残ることに対して役に立っている。でも子供の頃の途中の記憶と中等部の記憶や、うっすらとした高等部の入学式の記憶が本物の記憶としての自信がない。わが身で経験した実感がない。歯車がはずされて無理に違うパーツをはめこまれたぎこちない過去が胸の中で傷になっていた。

「俺も、俺も記憶ないからさ。大蛇の魔術を受けられた記憶が全くない。誰がこんな魔術かけたのかも知らないし、いつまで続くか分からないし……」
「……そういえば、まだお前が旅をしている理由を聞いていなかったな。バシリアスを見詰めて何を探しているんだ」
「これは俺の母ちゃんが宝物にしてた羅針盤なんだ。父ちゃんの形見でさ、毎日これを見詰めては微笑んでた。これが近くにあると父ちゃんが傍にいるみたいだって」
「アオイのお父さんが最初は持ってたのか?」

 一瞬だけ間があった。会話のリズムがほんのちょっと崩れた時に相手を見てしまう、あの瞬間に声は出てきた。

「旅行が好きでよく異国の土産を買ってきてくれたんだ。ほとんど火事で燃えちゃってこれだけが残ってたんだ」

 アオイの下がった眉毛と目尻、無理に釣り上げた口の端。私は彼が今独り身で旅をしている理由が瞬時にわかってしまった。アオイには家族がいない。無理に明るく振る舞ってそれを感じさせないけれど。誰にも引き留められることもなく、行ってらっしゃいを言ってくれる人もいない。アオイには羅針盤しかないんだ。毎日の衣食住も確保されていない不安定な旅の先には、誰にも曲げられない固い意志を持たなければならない。そして何時死ぬかも予測出来ない旅に出た。アオイの優しくて強い目を見ればわかる。

 ごそごそ、とバックパックの中を漁って例の羅針盤が姿を現した。薄汚い金がアンティークのようなクオリティに見える。ゆらゆらしている猩々色の炎と羅針盤の金が混じって乳白色にも似た色味を帯びていた。

「そういえば、この羅針盤ってどうやって使うんだ? ハリベルなら知ってるんじゃないのか」
「私はそれを探しに来てる訳だからな。最低限のことは聞くなり調べるなりしては来たが」

 アオイから羅針盤を受け取って短針と長針にそれぞれ目をやった。それから特徴的なのがイラスト。図鑑で見た通り、12個のイラストが円を描いて存在している。本によれば12^12通りの使い方があるというが、こんな小さな羅針盤にそんな仕組みがあるとは思えない。

「一回な、占い師のおばちゃんに会った時に短い針は12時の方向に合わせておけって言われたんだ。長い針の方向が正解だからって」
「ああ、それであってる」
「え、あってんのか!?」
「ただな、お前みたいなただの人間には扱えない代物だということだ。私のように魔法を使える奴じゃないとな」
「魔法で動くのか?」
「ああ、みていろ」

 アオイは私のすぐ左側にすとんと腰を降ろした。私は長針の上に取り付けられた短針を反時計回りにぐるりと一周させた。

「例えば、12時の方向。墓場にいる天使だとこうなる」

 見えやすいように羅針盤の埃をふっと息で吹き飛ばす。アオイの興味津々な瞳がじっと羅針盤に注がれる。その姿が好奇心真っ盛りの子供みだったので小さく笑ってしまった。羅針盤にある歯車が街の灯りのように煌々と輝きだす。相変わらず錆びたままの歯車もあるが、明るさの強弱がそれぞれ違う。今は12時の方向だが、別の所に変えてやればまたこの光り方も変わるんだろう。

 絵が、ことことと震えるような音を出しながら動き出した。12時の反対側、6時。白衣を纏った頭蓋骨が試験官を2本持っていて、ピンクの液体を緑の粒状の物が入っている試験官に混入した。それは紫の気体へと状態変化を遂げると、12時の方向へと登り――、「キィィ」と歯車が呻くような音を出した。それを合図に墓場から一本の腕が伸びてきた。それは既に白骨化していて2本の棒が忠実に描かれており、震える指が空を飛ぶ天使のワンピースを掴む。怖さで悶える天使はわんわんと泣き叫びながら地面へと引っ張られていってしまい、数秒後に天使のものと思われる骨が飛び出て来た。

 そして、天使の体だけを持った堕天使が誕生した。その堕天使は空へと消えていき、羅針盤の光は失せた。

「なんだ、これ――」

 同感だ。一体このストーリーは何なのだろうか。平和を謳うフェルミウム王国はこんな怖い羅針盤探していたのだろうか。



「違う!」

 ハリベルは短くそう言って、羅針盤を閉じたり開けたりを繰り返し、魔力を送ってもう一度光らせてみたり、短針をぐるぐると別の方向にしたり、絵を指で擦り続けていた。まるで自分の信じていたものが何者でもない存在に終わりを告げられ、裏切られてどうすることも出来なくなったマリオネットのようだった。半パニック状態に陥落してしまったのだ。

 俺は羅針盤の正体を知って驚愕を受けたものの、何故か冷静だった。そしてハリベルのことを救えるのは自分だけなのではないか、とも思ったのだ。

「ハリベル」
「これも違う、こっちも違う。どれが正解なんだ」
「ハリベル」

 俺はハリベルの褐色肌に傷をつけるくらい、強く右腕を握った。羅針盤は何も支えるものがなくなり、砂漠の上へと転がっていった。3時の方向、血でできた虹の橋では毒矢が突き刺さった馬が走り、気を失ったのかあっさりと落ちていった。

「遠いけど、1時間歩いた先に知り合いの家があるんだ。今晩はやっぱりそこで休もう」
「アオイ……」
「ハリベルのことほっとけないから」

 俺は立ち上がってケツについた砂を払う。ハリベルは首を振った。俺は心配することない、となるべくの笑顔を浮かべて手をさしのべた。でも、彼女は目を閉じたまま首を振った。どうやらさっきのことがショックあまりに力が入らないといった風だった。俺は肩からバックパックを適当にかけると、

「ん」

 ハリベルの前に腰をおろした。動けないのなら背負うしかないと考えたのだ。ちらり、と視線を向けた先に躊躇するハリベルの姿。こういう不器用な所も彼女の持ち味なのだろう、可愛く思った。ハリベルの腕を軽く引っ張って無理矢理に背中に倒させる。

「お、おい!」
「いいからいいから」

 ハリベルのジタバタ攻撃。俺より身長が高くてちゃんと立つのも一苦労、足も長いし筋力もあるので腕のわっかに通させるのも一苦労。なんとかおんぶのそれらしい姿になったが、最後にゲンコツを喰らった。「いてっ」「もう何も言わん」
 首筋の当たりに重みを感じたのでハリベルが頭をふてさせているのだと思われる。歩いている時の振動で、さらりと数本の黒糸が前へと落ちてきた。細い褐色肌の腕が前に回されて安定感が増した。羽のついた南国チックなアクセサリーがゆらゆらと揺れている。女独特の雰囲気が。綺麗だな、とは思う。でもそれが性の魅力とは結び付かない。だからこんなことも平気で出来るんだろう。

 女ひとりの体重は思いの外軽く、砂漠に沈む足跡もそう深くはなかった。でもその、いつもよりちょっと深い足跡が嬉しかった。強引だったけど今、俺には頼れる仲間が出来たんだって思えた。気がキツくて、暴力的で、猫みたいに気まぐれな一面もあるけど、優しくて歩く図書館みたいな何でも知ってるヤツ。大分変わり者だけど。

「ありが、とう……」
「!」

 ハリベルの唐突すぎるお礼。聞き取りやすいけど恥ずかしがっているのが分かる。不器用さが伝わってきてまた笑ってしまった。そのありがとう、というニュアンスは俺のことを受け入れてくれたように感じた。

 俺は月夜の砂漠を駆けだした。

「な、なんだよ! 急に走り出してっ」
「だってなんか嬉しいんだもん! ハリベルとの距離が縮まった気がしてさっ」
「はぁ!?」

羽地野の姉さん

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ラブコメ・シリアス・爽快・ぶっちぎり・冒険ファンタジーです。

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更新日
登録日
2015-05-31

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