ズレテーラ

ズレテーラ

 それはもう見事にズレていた。どうしようもなくズレているのに、なんでこの男は気づかないのか。隠すならきっちり隠しとおせと叫んで頭をはたいてやりたいものだが、そんなことをすればたちまち輝かしい秘境がお目見えしてしまうわけで、逆にやってやりたい気持ちも十二分にあるのだが、それだけはやっちゃダメだと先ほどから本能がちくちくと告げていた。
 見上げれば怖い顔でこちらを睨み下ろす担任里井。そしてさらに視線を上げてやると、やっぱりズレている頭、というか髪の毛。朝のホームルームから四時間ほどが経過した今、生え際が朝より数センチ後退している気がしてならない。いや、気がするのではなく実際そうなのだ。里井教諭の人工毛付きヘルメットは徐々になのか急になのかは知らないが、見る者すべてに手放しの違和感をプレゼントしまくっていた。
 そしてそんな違和感の塊が、今まさに自分の目の前で仁王立ちしているではないか。正直見る場所に困る。水着のおねーちゃんを前にした純情少年もこんな気持ちを味わうのだろうかとどうでもいいことを考えながら、ここでようやく名前を出すことになる本編の主人公、峰岸涼子十七歳高校二年生特技早寝現在彼氏募集中は、冷たくこめかみを伝う一筋の汗をうっとうしく思いながらも、それを拭えずにいた。
 ただいま絶賛自制中で、ほんのわずかでも動けばきっと教諭の頭を思っくそはたいてしまう。するとどうなる、教諭の人工毛付きヘルメットは宙を舞い、あわよくば開け放したままの窓から十数メートル下の花壇にダイブすることだろう。教諭的にはたまらないだろうが、生徒たちにとっては面白いのだから、あわよくばという表現はけして間違いではない。成功すれば絶対笑える。やりたい。やってやりたい。しかしながら、さすがに理性がそいつに歯止めをかけてくれているおかげで、そんなユカイな暴挙に出られないでいるのが現状だ。
 話を戻し、なぜ涼子の目の前で里井先生がぷんすか怒って仁王立ちしているかというと、それもまた理由は簡単、単に涼子が居眠りしていたからだった。教諭の授業は毎時間最後の三分くらいはまじめに聞くことにしているのだから、少しくらい大目に見てほしいものだ。起き抜けにその頭を見た日には、あまりのサプライズに頭の中がベタを塗り忘れたケント紙のように真っ白になってしまうではないか。
 そんな脳内抗議が教諭に届くはずもなく、したがって教諭は涼子の前で腕組みを解かないままである。
「まったくお前ときたら、毎日毎日よくそんなにも眠れるものだな。そんなに私の授業がつまらないのか、ん?」
 なんとなく凄みをきかせている様子ではあったが、いかんせんこの頭だ、いまひとつ迫力に欠けているのは仕方ない。むしろ笑いを堪えるのに必死で、ある意味これ以上の拷問はないように思える。狙ったんだとしたら大したものだ。狙ってできるネタではないが。
 しかしながら、このままではらちがあかない。涼子は全クラスメートの期待と不安を一身に背負い立ち上がった。
「なんだ峰岸、言いたいことがあるならはっきり言いたまえ」
「世の中にははっきり言っていいことといけないことがあると思いますっ」
「何を急に言い出すんだお前は。いまはお前の居眠りを咎めているんだ、論点のずれた発言をするな」
「ズレてるのは先生です! 気づいてくださいっ」
「私のどこがずれていると言うんだね」
「世の中にははっきり言っていいことといけないことがあると思いますっ」
 敢然と立ち向かう涼子の姿に教室中が押し黙る。というか口を開けば笑ってしまうので、堪えているだけだったりするのだが。
「お前、内申書がどうなってもいいのかね、ん?」
 これは里井教諭の得意技であり、全生徒から嫌われている理由のひとつだ。なにかにつけてすぐに内申書の話を持ち出す。そうすれば反抗的な生徒もおとなしくなるだろうと踏んでのことだろうし、実際黙らざるを得ない生徒の気持ちたるや、優勝決定戦のロスタイムに逆転負けを喫したキーパーのようなものだろう。
「お前の輝かしい未来がこんなことで消し飛んでしまってもいいのかね?」
 しかし涼子は止まらない。
「輝きを自ら隠してしまっているのは先生じゃないですか!」
「だからさっきから何を言っているんだ、お前は」
 とそこで背後の含み笑いに気づき、振り返ると、
「そこっ! なにを隠れて笑っているんだ」
「隠してるのは先生ですってば!」
「私が何を隠していると言うんだっ」
「世の中にははっきり言っていいことといけないことがあると思いますっ」
「だからお前はさっきから何を……」
「お願いです、先生! これ以上わたしたちを苦しめないでください!」
 真摯にそう訴える涼子の目は、どこまでもまっすぐで。
 どこまでもまっすぐ教諭の頭を射抜いていて。
 そして、ようやく里井教諭は気づいたようだった。
 ふっと息を吐き、涼子から視線を外す。でも頭は外さないままで。
「そうか……気づかれてしまったか……」
 涼子をはじめ、クラス中の生徒が静かに、それこそ授業中より静かに見守る中、里井教諭はぽつりぽつりと言葉を吐き出し始めた。
「そうだな、私が間違っていたのかもしれない。いや、事実間違っていたのだろう。君たちに隠し事をするなとか、言いたいことははっきり言えとかさんざん注意しておきながら、私のほうこそそうしなければいけなかったんだ。黙っていれば分からないと思ったのが私の甘さだ。こうして君たちに看破されて初めて、自身の愚かさに気づいたよ。ああそうだ、私は君たちを騙していたことになる。教師としてあるまじき行為だ。謝って済む問題ではないのかもしれないが、それでも謝らせてもらいたい。すまなかった」
 そして彼は告白した。
「これ、なんちゃって二重まぶたなんだ」
「…………」
「ん? あれ、どうしたみんな?」
 自分に向けられる数々の視線が、一様に殺気を含んでいくように感じたときはもう遅かった。
『そこじゃねェェェェ!!』
 教室内の全生徒からツッコミを受けるという、ある意味教職者なら一度は体験したいであろう快挙を見事成し遂げた里井教諭は、翌日からなぜか学校をしばらく休んでいたが、深夜の薬局でたびたび姿を発見されることになるのであった。

ズレテーラ

ズレテーラ

「輝きを自ら隠してしまっているのは先生じゃないですか!」

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-31

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