納豆を愛でよう

納豆を愛でよう

 とある会社の食堂で、ふたりの若い男がテーブルを挟んで対峙していた。
 背の高い男と太い男。あちこちで食事時の笑い声が上がっている中、彼らはものすごく真剣な表情で目の前のものを睨むように見つめていた。
 ほかほかのご飯。こんがり焼けた魚にサラダ。そしてもうひとつ。
「納豆だな」
 長身の男がつぶやくと、
「ああ、納豆だ」
 太い男がちいさく答える。
 これはふたりにとって、昇格のチャンスだった。
 朝一番で専務に呼ばれた彼らは、来週大手の取引先を伺うようにと仰せつかった。平日の昼間から接待してこいというのだ。どうやら相手はその日のその時間しか予定が空かないらしい。そこに自分たちが食い込んで新商品の契約を取ってこい、と。
 しかし昼となれば酒はない。専務の情報によると、相手は相当の和食家らしい。中でも納豆が大好物で、毎日三食でも飽きないほどだとか。これを利用しない手はないぞ、と――
「しかしそれには問題があった」
「ん? どうした?」
「いや、なんでもない」
 長身の男はかぶりを振って、ふたたび目の前の納豆を見下ろす。
 こめかみを伝う、一筋の冷たい汗。それは太い男も同様で。
 つまりは、ふたりとも納豆が大っ嫌いなのだった。
 しかし今のうちに克服しておかなければ相手を不快にさせてしまう。そうなってしまっては契約なんて取れないし、昇格のチャンスも無駄になってしまう。そう思う。思うのだが。
「このニオイ……まさしく足の……」
「待て。言うな。さらに食べづらくなる」
 太い男の言葉を長身の男がさえぎる。
「そうか。そうだな。だが、ものは考えようだと思わないか」
「どういう意味だ?」
「こう考えろ。俺たちは足フェチなんだ。だから足が大好きなんだ」
「なるほど!」
 感動したのか、目を見開いて賛同する太い男。
「ジオ◯派がスカート好きなように。アンチ宇宙世紀が美少年好きなように。シャ◯信者がカラオケに行くと必ず最初に『哀◯士』を歌うように。俺たちは足好きだから、このニオイはむしろ好物なんだ」
「待て」
「なんだ?」
「シ◯ア信者なら最初は『◯ャアが来る』じゃないのか?」
「愚か者め。『シャ◯が来る』は締めだろう。もしくはセミファイナルに入れて、最後にもう一度『哀戦◯』だ」
「そうか。そうだな。じゃあ『きらめきのラ◯ア』はどの辺に入れるべきだ?」
「まずその質問をこの場に入れるべきじゃない」
「そうか。そうだな」
 そしてふたりは同時に納豆のパックを手にする。持ち上げると、ニオイがさらに近くなる。ふたりは眉をしかめ、しかしそれでも離さない。
「俺はこのニオイが好物俺はこのニオイが好物俺はこのニオイが好物俺はこの……」
 自己暗示のためにぶつぶつ小声でつぶやく彼らを不審そうに見下ろしながら、食事を終えた社員たちが通り過ぎる。だが、ふたりはそれにも気づかない。ただひたすらに暗示をかけ続ける。それはさながら、久々に会った実父に「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ」と言われた某アニメの主人公のようだった。逃げちゃ駄目なのだ。
 そして暗示はかかった。
「よし、食べよう」
「そうしよう」
 箸を入れてぐちゃぐちゃかき混ぜると破壊力抜群だ。これが某猟奇アニメであれば、すぐさまL5症状が発症していたに違いない。気がおかしくなるような――「なんかもうほんとこれマジで食べ物なの? 嘘でしょ? 嘘だと言ってよバー◯ィ」的な錯覚に陥ってしまう。
 だが自分たちは足フェチなのだ。大好きなのだ。だから平気さ。いけいけゴーゴージャーンプ!
 そして粘着質な豆を口に入れようとしたそのとき。
「待て」
 太い男がストップをかけた。
「なんだ」
「いや、非常に言いづらいんだが」
「なんでも言え。今からお前はウォ◯・リーだ」
「アナ◯イムは個人的に嫌いじゃない」
「で、なんだ」
 そして太い男は言った。
「俺たちは、おっさんの足を愛でるのか?」
「……………………ん?」
「いや、だってそうだろう。美人の足はこんなニオイがするか?」
「嗅いだことがないから分からんが……うむ。言われてみれば、美人はこんな殺人的な臭気を発しないように思うな。憶測どころか希望的観測にしか過ぎないが」
「そうだろう」
「うむ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 そして沈黙。
 やがて休憩終了のチャイムが鳴り響き、ふたりは何も食べないまま食堂をあとにしたのだった。
 しかし、ふたりの戦いはこれで終わったわけではない。本当の戦いはこれからだ。
 ――みたいな余韻を残しつつ、ふたりの挑戦は原作の進行に追いついてきたアニメ版ドラゴ◯ボールのように遅々としてなかなか進まないのだった。

納豆を愛でよう

納豆を愛でよう

「こう考えろ。俺たちは足フェチなんだ。だから足が大好きなんだ」

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-31

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