和泉式部ー和泉式部日記ー
和泉式部
和泉式部ー和泉式部日記ー
「為尊様、どうなさったの、今夜」
「どうして、式部、何時もと変わらないよ」
日が暮れて訪れてきた愛する為尊と直ぐに共に臥して式部は華やかな模様の表を二人の上に懸けて為尊に抱かれた。二人とも前を開いて肌を合わせる。
「今夜、為尊様の身体は燃えるように熱く感じるは、どうなさったの?」
合わせた身体を少し離して式部は甘えたように言う。
「暫く会えなかったからね・・・・・・・・・」
「あの方がお離しにならなかったのでしょう」
「そんな人は居ないよ、私には式部が一人だけだよ」
「本当ですね?、色々噂が聞こえてきますが、為尊様は私一人・・・・・・・・・・」
口を塞がれた。この口づけもなんとなく熱い・・・・
「為尊様、何で、またですか・・・・・・・」
為尊の愛撫は激しく執拗に式部の官能を刺激する。十日ほど逢瀬がなかった式部は完全に燃え上がってしまった。
為尊は式部が完全に官能の渦に巻き込まれてぐったりと甘美な世界に落ち込んでいるのを見て、式部の許を去った。
車に乗り込むときに、身体がふらついているのを見て供の将監が身体を支えた。長保四年六月十二日暁の事である。為尊は夜が明ける頃に帰館して倒れ、翌日六月十三日の早朝に息を引き取った。
式部に知らせに来たのは、何時も供をする童舎人であった。密かに式部の庭に来ると御簾内の式部に、
「式部様、為尊様が亡くなられました」
「え!、・・・・・お前いま、何と言った」
「ご主人の為尊様が亡くなられました」
「嘘でしょう・・・・・・昨日の暁にお帰りになったのをお見送りしなかった私は、・・・・・・・・信じられないよ」
「此方からお帰りになって,直ぐに倒れられて、それっきり何も仰らずに」
私の上で亡くなられなくて良かった。そんなことにもなれば人は何というか、式部はぞっとして冷や汗が流れた。
何人か男が女の上で息を引き取ったということを聴き、その後の女に対する言葉が聴くに堪えない嫌らしい言葉であるのがたまらない、自分の耳に聞こえてくる自分への世間の評判は決して良いとは言えない現状であるので恋人を失った事よりも、よくお帰りになって下さった、と言う気持ちの方が高かった。
世間の人は、宮中と関係が有るもの、無いもの、果ては毎日日銭を稼いで暮らしている者までが、見たことがない和泉式部という女性は「妖婦」であるという。
その一つの原因は、式部は夫和泉守橘道貞というのがありながら男遊びが絶えないからである。
和泉の守として赴任する夫については行くが、直ぐに京に戻ってしまって、歌の道が好きな女達が集まる館に住んでしまう。そこの女達が和泉式部という名前を付けた。式部の娘で和泉の守の妻であるから。
館は基本的に間仕切りのない、広い板の間に丸柱が並ぶだけで各人が几帳や襖・障子を使って間仕切りをして使う。だから人が来れば低い几帳や障子の上から内部が覗かれる。反対に内部からはどの女にどんな男が通うのかがはっきりと解る。昼間はそれでも秘め事は出来ないので夜が来ると広い部屋のあちこちで男女の話し声が闇の中から聞こえてくる。隣であれば自分の部屋で男女のたしなみが行われているようである。
式部は、すっかりこの雰囲気に飲み込まれてしまい、夜這いする男を拒まなかった。夫道貞との味気ない結婚生活を取り戻すように積極的に男を攻めた。
そんなある日、仕切りの障子の上から覗いた男と目があった。
「あら、為尊様」
「なんだお前か」
「どう成されました。お通いの女でも」
「歌の仲間から、面白い館があると聴いてね。お前はどうしてだ。道貞と結婚したのではなかったの」
「為尊様、私あんな男は嫌いよ」
「何で、歌も漢籍の造形も深いし」
「でもね、為尊様、女と男の夜はもっと大事なの」
「そりゃ、解るよ、駄目なんか」
「駄目、石仏に抱かれているみたい」
「有り難いじゃないか」
「石仏は、手足を動かしてくれますか、こんなに」
「おい、女達が見ているよ」
「式部ちゃん、いい男ね、今夜はたぷりとお楽しみに」
「式部と呼ばれているのか」
「和泉式部とね」
冷泉天皇の皇后である朱雀天皇の娘昌子(あきこ)は天皇の女御の藤原超子(ちょうし)が三人目の男の子敦道を生んで翌年他界した。昌子自身も早くに父母を亡くして、村上天皇の庇護を受けて育った。その様な境遇であったから敦道兄弟が不憫で、長兄の居貞(おきさだ)、次男の為尊(ためたか)、三男の敦道(あつみち)を引き取って育てた。
引き取ってから四年目に長男の居貞が一条天皇の東宮になって昌子の許を去り東宮殿に入った。それから為尊・敦道二人を育てた。
昌子は天皇の娘であるから内親王である。世話役として大進(だいしん)が付く。大江雅致(まさむね)式部丞がその役に任じられて宮中から出向してきた。妻は介内侍と呼ばれて、女房として昌子に侍ることになった。二人の娘が式部で幼い為尊・敦道の遊び相手として昌子に命じられた。
三人はよく遊んだが、大きくなり女の現れがあると、二人に近づかないように言われて、為尊兄弟の前から姿を消した。
「そうか、ここは歌詠みの館か、さぞかしみんな良い歌を読むんだろうね、式部は小さいときから歌をよく詠んでたから、良い歌が沢山あるんだろう」
「そうですね、結婚する前の歌は全部母の処に置いてきました。為尊さん読んではいけませんよ」
「そうか、介内侍のところにか・・・・・・・」
「見てはいけませんよ、恥ずかしいから」
しなを作って膝行り(いざり)よって為尊の手を取る。柔らかい手、そっと為尊を見つめて胸に持っていった。為尊は慣れた手つきで袿(うちぎ)の襟の中へ手を差し込んで式部の乳房を押さえた。
「おいたさん、ですね為尊さんは」
為尊の胸に身体を預けた。
「誰に教えて貰ったのこんなおいたを」
「介内侍」
「あら、母様が為尊様のは初閨を?」
「よっぽど上手に教えたのね、何時?」
「冠の日の」
「お伽に上がったんだお母さんが。上手に教えたのね、為尊様、式部はもう身体がとろけそうよ」
暗くなる前に夜の食膳が運び込まれる。
それぞれの几帳で囲った局には、主の女と、下働きの女が二から三人、女童もいる。それらが為尊と式部の膳を運んでくる。
「この館の主は誰であろう」
「兼家様だと言うことですが、永祚(えいそ)二年七月に亡くなられたから、今は、道長様ではないでしょうか」
「里にしている女房も多いのであろうな。男と会えるからね」
「私もそうしていましたの」
「男と会ってたのか」
「為尊様は二十三才でしょう、式部は二十二才よ」
「暁まで、いいか式部」
「しら露も夢もこの世もまぼろしも
たとへていへば久しかりけり」
それから為尊様は三日に上げずにお出でになって、私達は何回も結ばれた。式部は後から知ったのだが、為尊は病気が少し良くなると式部に会いに来ていたらしい。初めてきたときも、病の床で式部が歌の館にいることを聴いたらしく、小康が続いていたのでやって来たそうであった。
為尊が亡くなった後、式部は気が抜けたように怠惰な日を送っていたが。男との関係は絶えなかった、特定の男は居なかったが、声を掛けてくれた男は、式部が気に入れば招き入れて床を共にしていた。子供が出来ない。
すでに三歳になる小式部が夫道貞との間に生まれているが母の介内侍に預けたままである。子供は欲しかった。
平維良(これよし)が長保五年下総(しもうさ)国府を焼き討ちしたこともあったからか、年号が替わり年が明けると寛弘元年となった。
四月に入り春も深まった十日過ぎに、式部は為尊との情事のことを思い出していた。貴人であるのか為尊様の肌は気持ちが良いほどきめが細かく、抱かれていると自分の肌が貼り付いてしまうようだった。思い出すと、体の芯が燃えだしてどうすることも出来なくなってくる。庭に童がこっちを見ているのに気がついた。為尊様の童である。
「そなたは、為尊様の小舎人ではないか、久しいな,どうしていました」
懐かしくて声を掛けた。
「式部様にお会いしたかったのでありますが、小舎人とは申しましても男でありますから、。馴れ馴れしいと人が思うだろうと、遠慮していました」
式部は御簾の中で子供ながらによく言うなと思ったが身成もきちんとしているので、
「今はどうしているの」
「日頃は、山へ亡き為尊様のお墓にお参りをしに参っていましたが、近頃になりましてから敦道様からお誘いが有りました」
「それはよいことではないか、どうするのだ」
「色々と考えましたが。亡き殿によく似ていらっしゃる敦道様のお側にお仕えさせていただくことに致しました」
「それは良かったですね、敦道様は為尊様より少し気まずいお方だと承っています。しっかりご奉公なさい」
「有り難う御座います。実は、敦道様が、式部様の処へご機嫌伺いに行っているのか、とお尋ねになられましたので、ハイ、とお答えいたしましたら、これをお渡しするようにと言いつかりました」
「橘の花ですね、有り難う。こんな歌がありますよ。
為尊様を思い出しますと色々な歌が浮かんできます。今はこのような歌が浮かんできました。古今集に詠んだ人は分かりませんが
さつき待つ花橘の香をかげば
昔の人の袖の香ぞする
為尊様の胸に抱かれると、それは良い香りがしましたよ。敦道様もお出でになっておられるのでしょう」
「実は、そこまでお出でに成られておられます」
「遠慮しなくても宜しいのに」
「帥の宮にお会いになりますか」
「どういたしましょう、文章を書くのはあまり上手くありません、敦道様は女遊びはなさらないとお聞きしていますので、お会いしたからといってどういう事もないでしょう。歌を書きますからお渡し下さいね。」
かをる香によそふるよりはほととぎす
聞かばやおなじ声やしたると
「はい、これを差し上げてください」
敦道帥の宮は童の案内で式部の館の近くの別の館の縁の縁に腰を下ろして、式部の許に使いに行かせた 小舎人の帰りを待っていた。蔀を上げて御簾を垂らした中に式部が居るのであろう、どんな女になったのか、母に似て美しかった子供の頃からどんなに成長をしたのだろう、と想像しながら少し先で小舎人が御簾の中の式部と話すのを見ていた。橘を受け取る手が御簾の間から見えて敦道は胸がときめいた。
小舎人が持ち帰った式部の歌を詠んで 「聞かばやおなじ声やしたる」か、式部は自分を誘っているな、と解釈した。そうして矢立を取り出し懐紙に、
おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす
声はかはらぬものと知らずや
式部は御簾の中から小舎人が自分の歌を敦道に渡すのを見ていた。そうして矢立を取り出して懐紙になにやら書き付けている。返歌をされるんだ、どんな歌を詠われるのだろう。興味を以て小舎人が持ってくるのを待っていた。
「この事を口にするではないぞ、麻呂が女好きな者だと世間の評判になるからな、渡してこい」
と言って式部から見えない位置に姿を隠した。
「声はかはらぬものと知らずや」上手な懸想文だこと。為尊様と別れてから、何人かの男と寝たが、身体は満足しても心の中は何時も為尊様を思い続けている。敦道様の女遊びはあまり聞いたこともない。正歴三年、元服の後、藤原済時の娘と結婚して二人の仲がよいのではないかと、思いながら返歌はしなかった、詠いたかったが返歌をしないことが女の常識であるので、気持ちを抑えた。
ところが、童がまた御簾の処に来て、
「式部様、帥宮様からです」
歌を差し入れた。ひっかかかったな、式部は笑顔で詠む
うち出でもありにしものをなかなかに
くるしきまでも嘆くけふかな
私に恋心を打ち明けられなかった、て、中途半端な言葉で充分ですわよ。
為尊が亡くなってから毎日気持ちが空のまま毎日を送っていた式部は敦道の軽い言葉に乗ってしまい、
けふのまの心にかへておもひやれ
ながめつつのみすぐす心を
「嘆くけふかな」と言われるなら、亡き為尊様を偲んで嘆いている私の心も、敦道様の嘆きの中に取り込んでくださいよ、と、式部は返事をする。
式部は敦道に自分の心の中に踏み込んでも宜しいよと答えたのだから、そのまま館に訪ねてくると思っていたが、十分承知しながら敦道は、そのまま帰ってしまった。
そうして、敦道は毎日のように文を送った。貰う式部もその一つ一つに返事を書いた。そうして式部の淋しい心が少し救われるようになってきた。
ある日敦道は少し意味深い文を送ってきた。
式部は敦道が私に落ちた、と文を受け取って感じた。もうそろそろ夜這いをしてくると覚悟し始めていた式部は、胸踊らせて文を開いた。
「お会いして心和ませたいのです。こんなことを言う私をさぞや女誑(たら)しと貴女はお思いでしょう。その様には考えないでください。貴女の心の悲しみを今夜お聴かせ下さい」
季節は夏に近づいているので式部は薄い小袖に袿姿で縁近くに座っていた。明るい内にはお見えにはならないだろうと脇息にもたれて寛いでいるところに敦道は訪問してきた。
「敦道様失礼よ、まだ日がこのように高いのに」
「そうか、小袖姿も良いものだね」
「お供は何方ですか、まさかあの将監?」
式部は外の簀の子に円座を置いて座を造った。昼間はさすがに部屋に入れるわけにはいかない。そうして簾の中で扇を顔に当てて話をする。
「そうだよ、右近衛府の、兄じゃの供でよくここに来ていただろう」
「まあ、恥ずかしいこと、為尊様が亡くなって、今度は私、色女と見られても仕方がないではありませんか」
「あの将監は口が堅い男だ。式部と兄のことは一言も言わなかったぞ」
「私の悲しみを聞きたいと仰せですが、情けない私の今までのことをお聴きになっても仕方がありませんことよ。話している内に悲しくなって私は泣き出すかも知れませんよ」
「私も共に泣きましょう、式部」
「嬉しいことを仰います、私の胸で泣いて下さいませ。今じゃありません、日が暮れて暗くなってから」
式部の話し方には上品さの中に男を誘い寄せるものがあると敦道は感じ、式部はみんなが評判するとおり敦道の話方は優雅で全く自然に出てくる、話をする中で式部も敦道も心が結びついてしまっていた。
月の輝きがさえた夜になった。敦道は、
「私は、あまり人前に出ることがありませんので、この座は少しなじめません」
「暗くなりました、側にお寄り下さっても宜しいですよ」
「有り難うとう式部、夜這いする男のようなことは、いたしませんよ」
扇をかざすのを式部は止めて、顔を見せるが、月が輝くとはいってもそんなにはっきりとは見えない。ただ上品な少し甘みのある香りが式部の身体から匂ってきて、敦道の燻しこんだ直衣の香りと絡み合って一層落ち着いた雰囲気を造り上げている。このままで何もなく一夜を過ごすのかと、敦道は、
はかもなき夢をだに見て明かしては
なにをかのちの夜がたりにせん
このまま向き合って話すだけで一夜を過ごすなんて、後の語りぐさにも成りませんね」
すかさず式部は
夜とともにぬるとは袖をおもふ身も
のどかに夢を見るよひぞなき
為尊様を思い出しまして私は涙で袖を濡らしています。のんびり夢を見る夜はないのですよ、この身体を解って下さいね。今は男の方とは・・・・・・・」
「解っております、式部の立場を。でも、敦道の気持ちも察してください、貴女なしではもう生きてはいけないのです」
「敦道様、私、貴方より年上なのですよ」
「わかってます、でも、敦道は幼少の時より式部様があこがれでした」
敦道は式部をそっと抱きしめた。その匂い、話す声、抱きしめられた感じ、為尊が此の世に戻ったのかと式部は感じて敦道の手を取った。為尊とそっくりな手であるなめらかな肌の上品な指、そっと小袖の胸の中に持っていった。
「為尊様」
「兄者でないよ。、敦道だよ」
「ご免なさいね、敦道様の肌の感じが、為尊様と全く同じで、つい・・・・・・」
「いいよ式部、しばらくは兄者と間違っても、お乳が柔らかいね」
「あまりきついことをなさらないで下さいね」
「私は、母親を知りません、兄者は少し知っているようでしたが、女のお乳を触ると母様のことを考えます」
「そうでしたね、貴方が生まれて間もなく超子様はお亡くなりになられましたものね」
「式部は母様に会ったことがあるのか」
「私はありませんが、介内侍は何回も会ったことがあると言ってます、とても上品な頭の良いお方であったと申していました」
「そうか、会いたいな」
「敦道様、私の乳で良ければお吸いになって下さい。為尊様には駄目ですと、させなかったが、敦道様にはお乳を差し上げますから、充分お吸いになって・・・・・・」
「小式部が吸った乳だね、嬉しいよ、乳が出るかな」
「まさか」と言いながら小袖の胸を大きく開いた。敦道の頭を完全に腕に包んで式部は敦道の口を乳房に押しつけた。
帳台の中で二人は抱き合っていた。帳台は一段高く作られている浜床に畳を敷き,四隅に柱を立て四方に帳をめぐらす。暑い頃なので周囲の帳は巻き上げてあり、小さな灯火が一つだけとは言っても、月の光も差し込んで敦道が式部の胸に口を寄せて乳を吸っているのは、なんとなく暗闇の中でうっすらと見える。式部の下仕えに童は帳台に足を向けて並んで寝てしまっている。
式部と敦道は。、この者達が二人の行動に聞き耳を立てていることは承知のことで、さらに話し声は三方に上長押(うわなげし)から下 長押(しもなげし)に垂らした間仕切りの壁 代 (かべしろ)は夏用の薄いものに変わっていて隣の局の動きが障碍無くまともに聞こえてくる。二人は耳許で小さい声で話をする。
「敦道様噛んではいけませんよ、・・・・そんなに」
隣の局でも男と女が少し声高で睦言を話している。式部と敦道も刺激を受けて行動が大胆になっていく。暗闇で手の感触と言葉と肌を合わせる。式部は完全に女になっていた。耳許で、乳房から離れた敦道は、
「もっと清いお付き合いをさせて頂こうと思っていましたのに、やはり式部の魅力には勝てませんでした」
「私は、嬉しゆう御座います。もっと私を抱いてくださいませ」
式部は二十八才敦道は二十四才、二人とも人生の春のまっただ中で、途中で止まることは出来なかった。
敦道は暗い夜が憎らしい、顔を近づけて口づけをしても、顔の輪郭は全く見えない、美人だと聞いていたのでこの目で式部の顔や姿を見たかったが、闇の中ではどうしようもない。高貴な女子は昼間は御簾の中からか、御簾内に招き入れても男性とは几帳を挟んで、几帳なしの親密な間柄でも顔は檜扇で隠す。式部も同じで、昼間は扇で顔を隠しての面会であり、式部も敦道もお互い顔を見たいのであるが。
暁に近づいて敦道は心を残して式部の許を去った。気温はまだ上がらない夜明けの清々しい風が吹き込んでくるのを感じながらすぐに後朝(きぬぎぬ)の文を急いで書いた。送るのが早ければ早いほど男の女への愛情が深いという男女の情事の後の決まり。
「御気分は如何ですか、私の身体は貴女の愛情で包まれているようで、ああこの朝の気分の良さ、私の貴女に対する恋は、そこらの人の恋とは違います、
恋と言へば世のつねのとやおもふらん
けさの心はたぐひだになし
直ぐにでも会いたい」
使いを走らせた、使いは式部の返事を持って戻ってきた。
「私も男に簡単に身体を許す女と違います、敦道様。亡き為尊様の温もりを弟の貴方がお持ちだからです
世のつねのことともさにおもほえず
はじめてものを思ふあしたは
と書き送ってから式部は、少し心が落ち着くと、他の男と寝たときは思いもしなかったが、為尊の弟と寝てしまった自分は、何ということをしてしまったのだろう為尊にすまない気持ちでいるところに、あの童がやってきた。文かなと思い嬉しかったがそうではなかった。
「昨夜は敦道様がお見えになりましたか。お姿が見えませんでしたので」
「そうですよ、宮は時々夜のお歩きをなさるのですか」
「いいえ、夜の御不在は初めてのことです」
敦道様の北の方は、虚栄心が強く気難しい人物であった。藤原済時( なりとき)の次女、同腹の姉は為尊・敦道の兄で後の三条天皇に嫁いでいる。親に似ているのか気の強い女で敦道はなるべく接触するのを避けていた。
敦道は北の方との身体の関係はなるべく避けて、添い寝に来る女房と関係して外出をしないで気を紛らしていた。
式部は毎日でも会いたいのであるが、為尊が親しく訪ねてくる頃、世間では為尊の夜遊びが噂になったこともあり、敦道が同じように世間から言われないように慎まなければと思っていた。そう思うと余計に会いたい気持ちが強くなる。
またましもかばかりこそはあらましか
おもひもかけぬけふの夕暮れ
童小舎人に持って帰らせた。
夕暮れに心が乱れている。式部、自分もだよ。敦道は読んで心が騒ぐ自分を思った。それでも世間のことを気にし、また北方の兄たちが煩い者達なので、式部を訪ねることは暫く止めようと決心した。暗くなり敦道は童に文を式部に届けさした。
ひたぶるにまつとも言はばやすらはで
ゆくべきものを君がいへぢに
侍従の乳母が来て、
「敦道様、少しは北方の方へお越しになっては」
「北方は気が強いからな、どうも話がしにくくてね」
侍従の乳母は敦道を育てた乳母である
「おなごは男の方の出方でどうにでもなるものですよ。敦道さんは少し遠慮をしているのではないですか、御一緒に成られてもう日数も経ちますのに、何回添い寝をなさいました」
北方が下着の上に表を羽織って夫の処とはいえ渡廊を渡って夜のお勤めに行くようなことはとても許されたものではない。夫の方から訪ねるのが常識である。敦道は夏用の単衣に薄い袴姿で北方を訪ねる。北方は小袿に紅の袴姿で寛いで、女房を相手に話をしているところであった。
「あら、殿、珍しいこと」
「久しく北方を訪ねなかったからな、侍従の乳母に言われたよ」
「そうでしたか、昨日は外へお出になったようで、いかがでしたか外の気分は」
「もう暑くなったね」
「御覧の通り此方もすっかり夏姿に模様替えいたしました」
「何を話していたのじゃ」
「たわいもないことで御座います。近頃歌の世界に和泉式部なる女がしゃしゃり出てきたそうで」
「昔、母の許に勤めていた介内侍の娘であろう」
「為尊様が大層お通いになったそうで」
「兄者がね。小さい頃にはよく遊んだものだよ、私もね」
「為尊様に替わって殿がお通いになるのですか?」
「どうして?」
「女房の添い寝はもうお飽きになったでしょうから」
「北方が許すならね」
「休みますか、私で良ければ今宵は此方で」
北方は、親王とはいえ一生冷や飯親王なんか馬鹿にして、嫌々ながら嫁いできた。初夜は仕方がないので身体を与えたが、敦道の愛撫には何の反応も示さなかった。
今夜も、
「北方、もう少し身体を楽にしたら」
「あなたは、私の身体をあちこちお触りになる、気持ち悪い」
「気持ち悪いって・・・・・・・」
「なさりたいことを、早くなさいませ」
昨夜式部と熱い交わりをしてきた敦道には。、寒風に曝されて立ち往生をしている感じで、これ以上先へ進む気力が湧いてこない。それでも気持ちが変わって女の喜びが湧いてくるだろうと、添い寝する女と睦み合うときの手技を試してみるが、北方は撥ね退けて、ますます身を固くしてしまう。
暁に敦道は女房に送られて寝殿の自分の部屋に戻ると、腹いせもあって、送ってきた女房を抱き寄せる。
「殿様、お急ぎにならなくとも、私心得ています」
女房達の十二単(じゅうにひとえ)は部屋を与えられた女房が、目上の前に出る時に着る正装です。長袴をはき、単、五衣、打衣 表着、唐衣を着て、裳をつけて、桧扇を持っている。
小さな灯火の中で、女房は腰ひもをほどいて屈んで立ち上がると下着一つになって敦道の手を取った。着用の十二単は蝉の抜け殻のようにそのままの形で遺されている。暗い中での行動であるから敦道は女房が何をしているのか解らないが、手を取られたときは暗い中でも下着の前を手で会わせた女房の姿が白く目に入る。
女房は、前が開くのを押さえて、敦道の身体を下着一枚にして、
「とのさま、優しくしてくださいね」
帳台に二人は抱き合って横になった。女は何も言わないが、自分の主人が敦道に取った非礼を詫びての行動であることは敦道は十分承知して女房を静かに抱きしめた。
夜が完全に開けて白々しい朝に、女房は脱いだ十二単の抜け柄に両脚を入れて屈むと、慣れているのか器用に着衣して、敦道ににっこりと笑って去っていった。顔を扇で隠すこともなく、化粧のない顔は美しかった。
女房が去ると敦道は帳台に横になると昼過ぎまでぐっすりと眠った。
目が覚めると、そのまま起きあがらずに帳台の天蓋を見つめながら式部のことを考えた。一昨夜の式部との情事は敦道にとっては全身がしびれて硬直しそうな経験であった。式部の身体を思い出して、もう一度会いたかった。
式部から文が届いた。
かゝれどもおぼつかなくもおもほえず
これも昔のえにこそあるらめ
宮のお越しがなくても別に不安には思いません。これも亡き為尊様との因縁かも知れません。
でも、このまま宮がお越しにならないと私は命がなくなりそうなのです」
式部は少し言い過ぎたかな、と送ってから反省していた。
暗くなり、敦道は式部に会いに行きたくて、それでも周囲の目もあるし、と、もぞもぞしていると、
「との、里下がりですので、来ちゃいました」
十二単でなくて壺装束の歩き姿で昨夜の女房が現れた。
「そうか、壺装束も中々似合ってるな、里は何処だ」
「式部様と一緒ですよ。何かお言付けでもありますか」
「どうして?」
「お隠しになっても直ぐに評判は立ちます」
「そうか、歌の館なのか」
「今宵の添い寝は決まってますか」
「さあ、どうだろう」
「小舎人、下へ降りて女房達に今夜の伽は要らないと申してきなさい。との、宜しいでしょう」
寝殿の敦道の座はもう暗黒に包まれている。
「これ、大殿油は要らない、灯台だけでよいから」
「北方に何か言われないか」
「大丈夫です。暑いから脱ぎましょう。暗いから誰からも見えないでしょう」
大胆な女だ、と敦道は思ったが、なんとなく可愛かった。
蔀も降ろさずに、涼しい夜の風が吹き込む帳台で、敦道は式部のことが脳裏から消されてしまうほど、女房に攻められた、
「如何でしたか、との、昨夜は少し遠慮をしたのです」
「凄い技で・・・・・・・男を虜にする。まだ息が上がったままだ。お前は幾人の男を殺した」
「殺したなんって、との、厭なことを仰いますな。もう式部様のことをお考えなくとも、私がお側におります」
「イヤ、そうはいかない、式部には式部の良いところがある」
「まだそんなことを仰います。もう一回天女の世界へお連れいたしましょうか」
「もういい、暫く休ませてくれ」
何という女を北方は女房にしているのだ、敦道は北方の謀略をまだ感じていなくて、おそろしい女だがあの身体から発散する女の霊力は凄い、
「夜が明けてから、里へ向かうんだぞ。暗い内は危ないからな」
「とのはどちらに行かれます?」
「少し外の空気を吸わないと」
女房の局に降りていき、乳母の寝ている横に臥せた。
「敦道様どうされました」
「北方の女房、名前は知らないが、乳母から言われて北方と伴寝をしたんだが、北方はあの方はかたくなでね」
「そうでしたか、お育ちのせいでしょうね」
「それで、暁に帰ったのだが、女房一人が付いてきて」
「多分、因幡って言う女でしょう」
「伴寝をしたんだが、夕べは里帰りだと壺装束で来てね」
「またお相手成されましたか」
「良い女房であるが、あの方が好きと見えて、帰らないんだ」
「それで乳母の処へですか」
「私が行って話をしてきましょう」
敦道は因幡女房に男女の交情の機微をしっかりと教えられたので、式部に会いたい気持ちがますます高くなってきた。しかし、屋敷の女房達の目があるし、夜歩きの噂が立っても困る。我慢をしていた。
晦の日、四月三十日式部は今日が終わると明日からは五月である。敦道様が恋しい、文ばかりでは詰まらない、
ほとゝぎす世にかくれたるしのびねを
いつかは聞かんけふもすぎなば
敦道様のお出でを待っているのですよ」
敦道の殿に働く女房達が出勤の用意をしている。
「今日はまた暑い一日でしょうね」
「あら、常陸、貴女昨夜は、お殿様」
「そうでしたが、童が来て、今夜はよいとのことでした」
「では誰が貴女の替わりに」
「あの北方様の、因幡でした」
「あの因幡が、あの方には何時も北方の言いつけですと、雑用を言いつけられる」
「あの方は、どうかしていますよ。先日樋殿(ひどの)を使っていましたら、入ってこられて、用を足している私の横で『常陸様は何時も良い物を食べておられますね』と言いますので『どうしてその様な』と聞き返しましたら『お香の香りが宜しくて』と言われたの」
「その様なことを」
それからみんなが騒ぎ出してひとしきり北方のことを言うと、装束が整ったのか一斉に化粧にはいるともう誰もが口を利かなかった。
下地の白いお白粉を顔に厚く塗ると話をすることを極力避ける。下仕えが長い髪を櫛で梳き、香りのする油を染みこませた油綿で髪に香りと光沢を付けていき毛先を揃える、長い髪を洗うのは一日がかりであるので一年に一回ぐらいであるから、香りをよく染みこませておかないと悪臭が放たれる。
女房は貴重な磨きの掛かった鏡を相手に轢き眉を描いていくが慎重にゆっくりと時間を掛けて描く。
下着の小袖のまま立ち上がると下仕えの古参の者が後ろに回って女房装束の着付けが始まる。
緋色の長袴を穿く、小袖の紐をほどくと一番目の単衣を着る、ほどいた腰ひもを締めて形を整えると二番目の単衣を着て形を整えると一番目の単衣を止めていた紐をほどいて二番目の腰に括って三番目の単衣を着る、形を整えると四枚目の単衣、同じようにして五枚目の単衣。
紐一本で小袖と単衣五枚を止める
着せている下仕えは膝を突いたままで作業をする、立ち上がって主人と同じ高さになるのは失礼になるからである。
後ろで着せてくれる人の方が主人の信頼が厚い者である。必要なことは後ろから前の者に指示をする。
長い打ち掛けを着る。表着、唐衣、美しい姿が出来上がり扇を顔にかざしてゆっくりと主人のいる寝殿に歩いていく。
寝殿の敦道の座にはまだ敦道の姿がない。女房達は並んで茵に座り、後ろにはそれぞれの下仕えが控えている。主人の女房達は白粉が落ちるので物を言わないから下仕えも話が出来ない。
敦道は座に座り女房や大夫等の挨拶を受けた後は何もすることが無く退屈である。
「宮は、介内侍の娘の処にお行きに成られたそうですね」
敦道はもう噂が広まったのか、
「一昨日に参った。兄者のこともあったからな」
「暁にお帰りになったとか」
「兄者の話が沢山あってな」
「為尊様に続いて貴方様までがあの女に懸想をなさいますな」
「どうしてかな、式部はなかなかの歌の心得がある女であるが」
「世間では妖婦と言われています」
「そのようには見えなかったが」
「何人もの男がひどい目に遭っているそうです」
「それは式部と頭の出来が違うからではないか。大夫、もう行くこともないから安心せい」
敦道は北方も知っているなと思った。式部に会いたい気持ちがますます増してくるようであったが、耐えることにした。
「疲れました乳母様、殿は近頃私を休ませてくださいません。私何回気を失ったか・・・・・・・疲れました」
女房達は朝下がると先ず乳母に報告をする。
「そうか、貴女満足なさったのでしょう」
乳母は女房の添い寝は一晩おきにして回数を減らさないと敦道の身体が保たないと、
「敦道様、近頃女房と睦み合いが少し激しすぎますようですね。一日おきに致しましょうお添い寝は」
そうして四月も晦になった。
式部は、
「今日は四月三十日です。明日からは五月です。お会いできない日が長いです、
ほとゝぎす世にかくれたるしのびねを
いつかは聞かんけふもすぎなは
敦道様のお出でをお待ちいたしております」
女から懸想文のようなものを書いて、恥ずかしいと思ったが、使いの者に持たせて行かせた。丁度敦道は人を集めて和歌の道などを話し合っていたので、使いの者は帰ってきて敦道に渡せなかったという。
翌日改めて使いを送る。敦道は受け取って読む。
「四月は、此方も色々と有りましたが、五月に入り月も改まりましたので、私は手足を伸ばして、
しのびねはくるしきものを時鳥
こだかき声をけふよりは聞け
会いに行きますよ」
式部は敦道からの文を読み、嬉しくて文を開いたままで庭を眺めていた。今夜来られたら嬉しいのだけれど、思うと胸が詰まるようになる。遣り水が池に落ちる音がする。
春霞たつやおそきと山川の
岩間をくぐる音きこゆなり
ふと歌が浮かんだ、手元の紙に書き取る。遊宴を谷間でしたときのことを思い出していた。女房仲間が主人の許しを得て谷間の少し広いところに幕を張ってござを敷いて、ゆっくりとした時間を過ごしたときのことを思い、私はまだ勤めに出た始めで若かったな。
「花時心不静」なんて言って気取っちゃって、
のどかなる折こそなけれ花を思ふ
心のうちに風は吹かねど
二つめの歌を詠って書き記す。人生に長閑な日なんて無い。
世の中は暮れゆく春の末なれや
きのふは花の盛とか見し
桜色にそめし衣をぬぎかへて
山ほととぎす今日よりぞ待つ
四月(うづき)になって衣替えをしたのがつい先日のようであったが、今日はも五月になろうとしている
思ふことみなつきねとて麻の葉を
きりにきりても祓へつるかな
そうだ、お寺に参って自分のこれから先の世の運を祈願をしてこよう。
「せき、水垢離の支度をしなさい」
「お方さま、お祓いをなさるのですか」
「寺に参って、私の運を願ってこよう。明日に参りをする」
「では童に言いつけて車の用意を致しましょう」
「小袖はこのままでよいかな」
「清い物にお換えなさいませ、水で濡れますが。着替えはいつもの小袖をお持ちいたしましょう」
湯殿で、経を唱えながらせきに水を掛けて貰う。屈んだ小袖姿の式部にせきは、経の一節が終わるごとに水を掛ける。かけ終わるとせきも手を合わせて、立ち姿で拝む。せきも白い小袖姿である。水をかぶった式部の祈る姿はもの凄く艶である、貼り付いた小袖を通して式部の肌が、不謹慎だが男を誘う。勿論この場は男子禁制であるが女のせきが、お祓いの度に式部の濡れた姿に引き込まれそうであった。
今日は来られないであろうと思っていたら、日が暮れて敦道が式部の許に現れた。
「今日文を頂き、その脚でお出でになるとは考えもしませんでした」
式部は慌てた、明日寺に参詣をしようと湯殿でお祓いをし終わって、清めた身体を、男に与えることは出来ない。
「敦道様、式部は明日お寺にお参りを致します。男の方とは交わることは出来ませんでしょう。お帰り頂きません」
「どうして急に寺詣とは」
「だって、敦道様は全然お出でにならないから、それをお願いにです」
それでも敦道は伴寝をすれば式部は身体を開いてくる。と、高をくくっていたが、
「敦道様、添い寝は致しますが、指一本私の身体に触れてはなりません」
年上女が決めつける。
「良いよ、式部の言うようにしよう」
小さい灯台を一つだけ遺してみんなが寝に付いた。
「いけません、敦道様」
「これぐらいは、小袖の上から」
「駄目です」
「あっ、。そこは、駄目、駄目」
下仕え達に童は、敦道が式部に手を出しては撥ね退けられる姿を想像して、声を出して笑いそうになるのを必死で口に手を当てて堪えていた。
「式部、お前は非道い女だ。女と寝て手出しが出来なかったなんて、初めてのことだよ。北方より非道い」
「敦道様のために寺参りを致しますのよ」
「このお返しはたっぷりとして貰うから
いさやまだかゝる道をば知らぬかな
あひてもあはて明かすものとは
手一つ握ることなく夜を明かすなんて、驚きました敦道は、情けのない姿だよ」
暁に敦道は書き置きして帰って行った。寝たふりで式部は敦道の顔も見なかった。敦道が出て行った後、式部は読んで、敦道に大変悪いことをしたと思う。
よとともに物おもふひとは夜とても
うちとけてめのあふ時もなしに
思い悩むことが沢山ありまして、申し訳ありません。妻でも毎日逢っていても、身体を逢わせるとは限りませんもの」
と、敦道に文をした。翌日、
「今日もお寺参りですか、何時お帰りですか、お帰りが待ち遠しいです」
式部は五月の菖蒲の節句に懸けて、
おりすぎてさてもこそやめさみだれて
こよひあやめの根をやかけまし
ということに致します」
式部は本堂に籠もって三日目、決して美しいとは言えない堂の内部であるが、長い年月の灯明の油煙に護摩を焚く煙の煤がこびりついて真っ黒な堂内は荘厳と言っていい。
式部の願文はただ、無病息災、敦道の健康だけであった。願い事を全部書いたなら太巻きの一巻になってしまうだろう。この三日不思議に男の影が脳裏にちらつかなかった。
お籠もりの準備をする宿に戻ると敦道の使いが文を持ってきていた。駄賃に小銭を与えて、敦道は元気かと聞き、使いを待たして文を開く。
「帰りを待つのが辛いので、そちらに参りたいと思うのだが、先夜、私を大変に嫌われたので、あのような行動をした私を貴女は、恥ずかしく思われて、疎遠になってしまったような雰囲気なので、毎日私は
すぐすをも忘れやすると程ふれば
いと恋しきけふはまけなん
私の心は貴女を思ってどうしようもなく乱れています。冷たい貴女でも私の心を少しは解ってくださいますか」
式部は読み終わると筆を執り
まぐるとも見えぬものから玉かづら
問ふ一すぢもたえまがちにて
私をお訪ねになるのが絶え絶えなんて嫌です」
使者に手渡す。使者は帰ると敦道に式部の文を渡して
「今日お帰りになるそうです」
と、告げる。敦道は使者に禄を与えて、今夜式部の所へ行こう。
式部は寺の籠もりの疲れから日が暮れると直ぐに寝てしまった、下仕達も、せきを始め童まで深い眠りに入っていた。
敦道は丁度みんなが眠ってしまったところに訪ねてきた。歌の館は門を閉めて全員が眠ってしまっている。
「開門」
と。門扉を叩くが誰も起きてこない。
「眠ってしまったのか、それにしても誰かが起きてきてくれても良いのに」
「もう一度少しきつく叩いてみましょうか」
「将監、今宵は止めにしよう、誰が見ているか解らない。噂になる」
「お帰りでしたか、常陸に言いつけましょう」
乳母がそう言って局に降りていった。敦道は式部にはぐらかされて心が落ち着かない。灯台一つの灯りでほとんど暗黒に近い中で何か良い香りがして敦道に被さってきた。
「常陸か」
「との、狩衣をお脱ぎなさいませ」
常陸は敦道の衣装を着替えるとき、この時代の貴人は総てを女房任せでただ立っているだけで総て女房が着せてくれる。そして脱ぐときも一切女房が上から順に剥いでいく。
敦道は瞬く間に常陸に裸にされた。
「との、式部の処へお出かけでしたか」
「そうだが、門が閉まって誰も明けて呉れんかった」
「そうでしたか、それでは常陸がお慰めいたしましょう」
闇の中から敦道の顔に柔らかい暖かい良い香りのする物がゆっくり圧迫してきた。乳房だ、
「ゆっくりとお吸いになって、母上を思い出してください、とのさま」
闇の中で二つの性が絡まって一つになった。
夜が明けて、蔀の隙間から光が射してきたが、男の下仕えが
「蔀を上げます」
と壁代から顔を出して声を掛けるが、帳台の固まりが微かに見えて、殿はお楽しみ中だ、蔀を上げずに立ち去った。
「との、離さないで、このまま、常陸はまだ足りないのよ」
昼が来ても蔀が閉まったままなのを見て乳母は、
「これで敦道様の夜遊びは納まる。なるべくなら式部には会って欲しくない」
不安な行き先があるような気がして乳母は、常陸との間が続くのを願った。
明けざりしまき戸ぐちにたちながら
つらき心のためしとぞ見し
恋に落ちた男の哀れさをしみじみ感じました」
常陸と精気が抜けてしまうほど身体を交えても、敦道は式部のことが忘れられない。
式部は、昨夜敦道が来たのだ、寝込んでしまって・・・・・・大変なことをした。
いかでかはまきの戸ぐちをさしながら
つらき心のありなしを見ん
戸口に錠を差したままのことではありませんか。私の心をしっかりと読んでくださいませ。参詣の疲れで寝込んでしまい残念です。私を邪推しないで下さいませ。私の気持ちをそっとお聴かせいたします」
今夜でも敦道様はお出でになるだろう、と確信していたが、世間は狭いもので、この二人の情交が敦道の亡き母超子の叔父で内大臣藤原公季(きみすえ)や、兄の東宮居貞(おきさだ)親王の耳にまで達して、厳しいお叱りを受けて、式部と敦道の間は更に遠くなってしまった。
雨が止むことを知らずに降り続ける。雨に濡れる庭のつつじを見ながら、
岩つつじ折りもてぞ見るせこが着し
紅ぞめの色に似たれば
敦道様は紅染めがお似合いかな?
何と退屈なこと、
世の中は暮れゆく春の末なれや
きのふは花の盛とか見し
今は盛りの人も明日のことは分からないよ。
思ふことみなつきねとて麻の葉を
きりにきりても祓へつるかな
お祓いをして、寺に詣でて祈願もしたのにどうして。
人もがな見せも聞かせも萩の花
さく夕かげのひぐらしの声
誰か人がいてほしい、私の総てを見て欲しい。
敦道様からの便りが切れてしまって、一体この世の中はどうなってしまったのか。私に言いよる男が後を絶たないのに、私は敦道様とああなってからは、男は敦道様ただ一人、世の中は私の噂が流れているそうだが、しょうがないよね、こんな私だから。
式部は完全に気持ちが沈んでしまった。その時使いの者が敦道の便りを持ってきた。
「せき、お使いに禄を与えて、返事書くまで待たせて」
喜び一杯に文を開く、
「長雨でうっとうしい毎日ですね、いかがお過ごしですか、
おほかたにさみだるゝとやおもふらん
君恋ひわたるけふのながめを
貴女に会いたくて涙を流しています」
まああ、その時その時に合わせて見事に詠われる。私が敦道様を思って沈み込んでいるところに・・・・・・。式部は筆を手にして暫く雨の庭を眺めて、
しのぶらんものとも知らでおのがたヾ
身を知る雨とおもひけるかな
この雨は貴方が私を思って涙を流していらっしゃるとは知りませんでした。私ですよ」
と書いて、裏に、
ふれば世のいとヾうさのみ知らるゝに
けふのながめに水まさらなん
これで世の憂さを流してしまいたい、私は流されて助けてくれる岸はあるだろうか」
敦道から返事が来た。
なにせんに身をさへすてんと思ふらん
あめのしたには君のみやふる
貴方だけではありませんよ、辛いことはみんなが持っています」
式部は身の持て行き場が無くて薄い小袖だけの姿のまま柱に抱きついて身もだえした。見ていた、せきは、
「お方様の男日照りが少し長いようだ」
「せき様、なんです」
「童はまだ知らなくても良いこと」
五月五日になっても雨は止まなかった。敦道は先日貰った式部の文が気になった。「ふれば世のいとヾうさのみ知らるゝに」淋しい女ではないか、と、
「昨夜の大雨は凄かったですね、大丈夫でしたか。私は式部のことが心配で、飛んでいきたい気持ちでした」
「本当に気が縮む思いでした、でも
よもすがらなにごとをかはおもひつる
まどうつ雨のおとを聞ゝつゝ
何を私は考えていたのでしょうか、家の中にいて私の袖はぐっしょりと濡れていました」
男を引き寄せる上手い文句を式部は書いて送った。
読んで敦道は、式部の知恵が働くのに驚いた。
われもさぞおもひやりつる雨のおとを
させるつまなきやどはいかにと
独り寝の貴女の事を思っていました」
長保五年(1003)五月十九日の昼頃降り止まぬ雨に加茂川の堤防が切れた。敦道は現場を見に行って、帰ってから式部に、
「そちらは大丈夫ですか、賀茂川の堤防が切れたというので現場を見てきました。
おほ水の岸つきたるにくらぶれど
ふかき心はわれぞまされる
お分かりでしょう」
「分かりますはよ、
今はよもきしもせじかしおほ水の
ふかき心は川と見せつゝ
口ばっかりではつまんない」
敦道は式部を訪ねようと決心した。下仕を呼んで着ていく衣装を選んで香を薫(た)き込める準備をしていた。
乳母が来て、
「おや、敦道様お出かけですか、今からでは、夜になってからですね」
「乳母か、久しぶりに夜歩きを」
「どちらへですか、度々使いを出される例の女の処ですか」
「あのおなごとは、誰の事よ」
「式部のことですよ。みんなが噂をしています。敦道様あの式部という女は身分はたいしたことは御座いません。衣装なんかに気を遣うような女ではありませんよ。
それよりも軽々しく式部に逢われるとは、大変に見苦しゅう御座います」
「乳母はどうしてそう思うのだ、可愛いし頭の良い娘だよ」
「敦道様よりも年が上で御座いましょう。あの女の処に男が大勢通うと言うことではありませんか」
「それは、あの歌の館には大勢の女房達が里として使っているからであろう」
「このようなことを敦道様に教えたのは。あの将監で御座いましょう。為尊様に続いて敦道様までも」
「その様なことはないよ、私が一人で昼に訪ねたのだ」
「夜お歩きになって良いことがありましょうか、あまり過ぎましたならば大殿道長様に申し上げますよ。
世間が少し不安になっています折りに、このような夜歩きなさって、世間が落ち着くまでは自粛なさいませ」
乳母は立場上厳しく申し上げる。
「乳母が言うような式部の所には行かないよ。そこらを夜の散策をしようと思っている」
と言うが、敦道は、式部という女は頭がよいから男をいいように操る冷たい女かも知れないと思ってみる。
ここへ連れてきて夫人の一人にしようか。しかしそうすれば、聞くに堪えない噂が一層広まるだろう。
敦道は、式部を訪ねる気持ちが薄れて、
「乳母、常陸に夜来るようにと言ってください」
式部との仲がますます縁遠くなってしまった。
敦道は何とかして人に知られないようにして式部と会えないかを考えた。
一つ考えが浮かんだ、我が屋敷は広い、中央は殿が連なって対屋がありだが、確か弓場や、馬場の周りには小さな小屋が幾つもある。その中の一つの小屋を式部との逢瀬に使おう。
昼間将監を呼んで、屋敷の外回りを案内させた。屋敷を取り巻く瓦を積んだ土塀が馬場の所で一カ所切れていて車が中に入れるようにしてある。 馬場と弓場は屋敷内であるが仕切りがきっちりとしてあって屋敷内からは門を潜らないと馬場や弓場にはいけない。外からは自由に車が入れる。
「ここの中で一番綺麗な小屋は殿様が座られる正面の小屋で御座います」
将監は敦道が式部と密会する場所を探しているものと推察していた。そうか、自分が座る桟敷のある小屋である。敦道は逢う場所を決めた。将監は心得て準備をする。
「口の堅い、牛飼いと小者を選んでおいてくれ」
将監は敦道と別れて準備に懸かる。牛飼いと小者を選んで、小屋を掃除して備え付けの茵などを出して縁のある蓙を敷いて上に茵を置く。
敦道は夜の出かける準備として衣に香を薫(た)き込める。
「お出かけですか」
「久しぶりに小さな宴がありましてね」
「左様でしたか知りませんでした」
「ほれ、この通り案内が送られてきた」
乳母が見ると漢文で書いてあるが、夜の宴会の案内であった。あちこちの家で小さな宴会が毎夜開かれているので乳母は簡単に敦道の言葉を信用した
「お車は」
「あまり派手派手しいのも何だから、大夫に言って目立たない乳母達が日常使っているのを貸して貰ったよ」
日が落ちて暗闇が広がる頃見送られて敦道は屋敷を後にした。目立たないように普通の車に小者一人と、牛飼いだけである。車が角を廻って見送り人から見えなくなるところで将監が合流した。
「式部様、敦道様がお見えです」
「嬉しい、此方にお通しして」
「それが、簡単な装束で袴を着けずにせきと一緒に出かけると仰いまして」
「待っておられるのか。それではこのままで行きましょう」
「敦道様、何処へ式部を連れて行かれます」
「いいから車に乗って、せきも」
「このような姿で宜しいのですか、人に見られたら恥ずかしいです」
「抱いてあげよう、早く車に、せき」
「人目がうるさいので、良い場所を用意した。これから行くところは誰も居ないところだから」
「将監様も御一緒ですか」
「将監が用意をしてくれた」
そんなに時間も掛からずに車が止まった。
「との、着きました」
「将監、せきを頼むぞ、式部ここだよ、付近は静かで誰も居ないだろう」
「何か怖いような処で御座いますね」
小屋の周りは鬱蒼とした大きな木が密集していてなんとなく山の中に来たような感じがした。風の音が少し耳に付くだけである。敦道に抱かれて小屋の中にはいると、小さな灯明が点けてあり暗い中にも小屋の内部が伺える。
「綺麗に整理されていますね、何の小屋なので御座います敦道様」
「此方に来て式部」
膝に抱えて敦道は座り、直ぐに口を付けた。式部も身体を熱くしてそれを受けた。
「逢いたかったよ、式部」
「式部も・・・・・・・・・・・・お脱ぎになって、私だけがこのような小袖姿で」
「乳母が煩くて、小さな宴会があると言って出てきたから」
「侍従の乳母様ですか」
「そうだよ、確かお前の母の介内侍と一緒ぐらいではないか」
「そうだと思います。怖い乳母様です」
将監に案内されてせきは、式部の入った小屋とは別の小屋に連れて行かれた。月が昇る前でそれでも小屋が沢山並んでいるのが闇の中に見えた。
「将監様、本当に久しぶりで御座います。為尊様が亡くなられてから初めてです」
「せき、本当だ、また逢えたね」
将監とせきは、為尊が式部に通う頃二人の仲は親密になった。将監は武官でまだ妻子はなかった。せきも式部に付いたのはまだ十七才の頃で、将監と年はあまり違わない。
「暁まで、私を抱いてください」
将監は昼に敦道等の小屋を片付けて、自分とせきの為の小屋も用意しておいた。
蔀を開けたままにしておいたので、月が出て室内を照らす、式部の小袖姿が月の光で輝いて見える。綺麗な可愛い感じの女なのだな、敦道は初めてゆっくりと式部の姿を見つめた。
式部も、為尊様に良く似ていらっしゃるが、お二人ともなんとなく身体の線が細いように感じる。
「扇が御座いません、あんまり見つめないでくださいませ、化粧もしていませんし、髪も乱れています。恥ずかしいは」
式部の方から敦道を倒して二人が横になり表を懸ける窓の向こうに月が輝き星空が広がり式部は、
「天上の國で敦道様に抱かれているようです」
「そうだな、私達を祝福しているようだね」
せきの歓喜の声が聞こえてきた。
「せきと、将監様は為尊様がお通いの時に結ばれたようです」
「そうなのか、せきも綺麗なおなごじゃ、いづれ将監の妻になろう」
「敦道様、私達も、ねえ・・・・・・・」
牛飼いは、自分の小屋が近いので帰っていて、暁に車を用意して迎えに来た。
式部は、女房で勤めていたので敦道の衣服をきちんと着せて、
「このような出会いは宜しいですね、落ち着いてお話が出来ます」
「話だけでは終わらないれどもね」
「本当ですね、もやもやした気持ちが消えてしまいました」
「ここから式部は、。せきと共に二人で車で帰りなさい」
「敦道様はどうされますの」
「将監と二人で、散策しながら帰るよ」
「お帰りなさいませ」
「常陸、来ていたのか」
「ハイ、夜はずっと敦道様の小袖を抱きしめてました。これからお休みでしょう」
「常陸、疲れているので局へ帰りなさい」
「嫌です、御一緒に」
後朝の文を書かねばと敦道は気が焦るが常陸の手前筆を執るわけにも行かない。
「との、元気がありませんね、よもや女の方と朝まで」
「馬鹿なことを申すな、歌を沢山詠まされて、疲れてしまったよ」
言い訳を聞かないで常陸は敦道を責めたてた。
常陸が帰ると、敦道はぐっすりと眠った。起床すると式部の文が置いてあった。式部は気を遣って文の閉じ方を男のようにしてあった。
「昨夜は本当に嬉しかったです。まだ敦道様の肌の温もりが式部の身体を包んでいます、本当に幸せ、でも、
よひごとに帰はすともいかでなは
あかつきおきを君にせさせじ
暁の別れは本当につろう御座います」
敦道は式部の文を読んで
「『あかつきおきを君にせさせじ』という言葉がこの後貴女の口からは出させません、
あさ霧のおくる思ひにくらぶれば
たヾに帰へらんよひはまされり
宵に来て、貴女に会えなくて帰るのが、一番辛いことです」
式部の手に敦道の文が渡り、まだ読み終わらないうちに敦道がやってきた。
「式部、昨夜の所に行きましょう、そのままで良いから」
「せき、早く」
小袖の上に赤い表を着て式部は
「あまり見ないでくださいね、化粧もしていないし、着ている物もこんな恥ずかしいもので」
入り口にある二台の篝火の火に照らされて式部は、敦道に身体を預けた。抱きかかえて車の後ろから乗り込む、せきが続く。狭い車の中で式部と敦道は抱きあっている。
「昨夜お会いしたのに、式部はこんなに身体が燃えています」
敦道の手を取って胸に押し当てる。真っ暗な中でお互い顔を近くに持っていっても見えない。式部はその闇の中で大胆になる。
「お分かりになります敦道様、式部はもう・・・・・」」
「私もだよ式部」
「本当に・・・・・・・・車が遅いようですね」
席は、式部の甘えを聞きながら、今夜も将監と共に過ごせる事を思うと、式部に負けないほど身体が火照る。
車が到着すると将監がせきを抱き下ろしてそのまま昨夜の小屋に向かう。敦道は式部を抱いて前の小屋に入る。何一つ言葉を出すことなく式部は敦道の着衣を脱がしてゆく。
「今日はどちらへお出かけでした」
「冷泉院に向かったと思っているよ」
「お父上様、如何ですか昨今は・・・・・・・さあ、横におなりになって、式部が添い寝いたしましょう」
「こんな無理をしないでも、いつでも会えるようにしたいね。局を一つ造ろうか殿の内に」
「恐ろしいこと、北方に、因幡に常陸、怖い女が揃っている所なんかには参りません」
「北方は別として、二人はいい女だよ」
「こんなときだけでしょう敦道様・・・・・・・・・・」
暁の別れに、敦道は式部を胸に抱いて、
「鳥の音つらき、別れは辛い。今朝は鳥が煩くて、ゆっくり出来なかった」
「こひ/\てまれにあふよのあかつきは
鳥の音つらきものにざりける
誰が詠ったのでしょう」
昨夜に続いて式部とせきを送る。
「との、今夜はお休みに成られた方が宜しいでしょう」
「そうだな将監、毎夜とは参らないな」
「式部様は良いお方ですが、評判がもう一つ」
「悪いからな」
「あら、お二人今朝も散策でしたか」
「侍従の乳母様、朝の空気は宜しいですよ」
「将監、敦道様に変なところを教えないように」
「ハイ、心得ております」
自分の部屋に戻ると常陸は居なかった。ほっとして敦道は文を書く。
「貴女を胸に抱いて満ち足りた気持ちで寝ているところを、鶏の奴らに起こされてむっとしています。憎い奴目と殺してしまいました。」
ころしても猶あかぬかなにわとりの
おりふし知らぬけさの一声
まだ腹を立ててます」
式部の返事、
いかにとはわれこそおもへあさな/\
鳴き聞かせつる鳥のつらさは
思い出すと私も憎い鶏目と思っています」
敦道のお出でが三日ほど途絶えている。式部は明るい月夜の庭を眺め、月を見ていた。
敦道様にお会いしたいな、子のような月夜には、と思っていると敦道の文が届いた。
文を手にして即、鶏に起こされたあの逢瀬が頭に浮かんだ。二人とも着物を脱ぎ捨てて抱き合ったのが強烈な印象であった。恥ずかしく顔が火照る。文を開く、燻き込めた香りは敦道様の香りだ。
「見事な月夜です、御覧になっていますか」
わがごとくおもひは出づや山のはの
月にかけつつ嘆く心を
月を眺めて貴女を思い貴女に逢いたくて気持ちが落ち着きません」
なんとなくいつもとは違って情が深い文に感じた。二回ほど誘われていった小屋は、多分敦道様のお屋敷の中であったのだろう、肌を合わせて見たあの月は素晴らしかった。
一夜見し月ぞと思へばながむれど
心もゆかず目はそらにして
私一人で見ていてもつまんない、御一緒でなければ空を見ていて心も空です」
反応があるかなと送ったが、とうとうお出でがなかった。白々と明けていく朝に式部は暗い気持ちで庭を眺めていた。
式部の住む歌の館は、広い敷地に何棟かの大きい殿があり、一つの殿に六人ほどの女が住んでいる。ほとんどが主人持ちの女房で、里下がりの女房がたまたま日にちが重なって多いときは、訪ねてくる男達も多い。
式部が文を送ったその翌日はたまたまそんな日であった。暗くなる少し前に敦道は式部を訪ねたが、男車が一杯であるので、式部の所にも男が来ていると想像して声も掛けずに引き返した。
「せき、今夜は宿下がりが多いようだね」
「そうですね、今夜はこの殿の皆さんが揃っています」
「男もね」
「皆さんそれぞれ立派な男の方をお持ちですね」
「敦道様はお出でにならないのだろうか、私はとても今夜は我慢が出来ない」
敦道は式部が自分以外の男を引き入れていると、思ってしまった。
「との、北方様がご機嫌を伺ってこいと申されtましたので、ご機嫌いかがで御座いますか」
「因幡か、何で参った」
「何かお怒りのご様子です、式部に振られましたか」
「何で、そのようなことが」
「北方様は、ご挨拶が終われば下がって良いと仰せられました。お相手いたしましょうか」
「なんでお前に」
「やはりそうだ、式部を訪ねて、男が居たと言うことですね。想像できますよ。私の里ですから」
「因幡は式部の男を知っているのか」
「どうでしょうか、殿が違いますので。でも皆さんお盛んですから、式部様も結構いらっしゃるのではありませんか」
「そうであろうか、文を書く」
敦道は因幡にあおられて怒りがますます大きくなった。因幡が見ている前で文をしたためる。
「夜にお訪ね致しましたところ、男の車が停まっていました。私以外の男がいらっしゃるのですね、本当に情けなく思いました。
まつ山に浪たかしとは見てしかど
けふのながめはたヾならぬかな
もうお会いすることはないでしょう」
「童、これを式部の所へ、すぐにじゃ。因幡参れ」
式部に向かっての怒りを因幡で発散させようと帳台に誘った。
「との、今日の私はこのようにお勤めの姿で御座います。脱ぎましたなら一人では着用できませぬ」
「何だ、先日は蝉の抜け殻みたいに上手く脱いだではないか」
「それは局に下がりますので、少々の乱れは我慢が出来ますが、この度は里に下がります故乱れていては恥ずかしゅう御座います」
「誰かを呼べばいいだろう」
「よろしいのですか、下仕が見ていて局で噂が広まりますよ」
「そんなのは何とも思わないから、早くしなさい」
「とのは、そのに気になっておられますね。お閨のお相手が怖いです」
「何を申す、童!、こっちへ参れ、因幡のことを聞いて使いに立て」
仕切りは壁代か几帳、二人の話はすっかり童は聞いているから、因幡の用件は聞かなくとも分かっている。sぐに北方の局に向かった。
因幡は着ている正装の「五衣、唐衣、裳」、表を脱いで裳をとり、袴の帯をほどく。と重ね着ている各衣の前がだらりと開いて締まりのない、淫らな姿になる。一枚一枚と脱いでは畳んで見ている敦道を苛々させる。
「早くせんか」
「でも、大事な衣ですから丁寧に扱わないと」
最後の単衣を脱ぐと小袖の前が広がり因幡の肌が見える。小さい灯台の灯りに照らされて怪しく肌が光る。因幡は男の扱いをよく知っているので、小袖の前を隠すのに敦道の方を向いて紐を括った。
「お待ちになりました。女房が脱ぐのを見るなんって本当に失礼ですよ」
脱いだ表だけを羽織ると因幡はしなを作って敦道ににじり寄った。
亡き為尊の時から仕えている童が、今敦道の童になって敦道の供で何時も来る。その童が文を持ってきた。
式部は敦道の文をしばらく手にして考えていたが、
「童、今宵敦道様は此方にお訪ねになったか」
「はい、お出ででした。車が沢山ありましたので、式部様の所も誰かがお出でであろうと、直ぐに引き返えしされました」
「そうであったか、せき、駄賃を上げなさい」
多分、敦道様は考え違いをなさって帰られ、女房を相手にお呼びになられた。誰が今夜添い寝をするのか童に聞こうと思ったが、恥ずかしいことだと止めて敦道からの文を開いた。
読んで式部は、やはり自分の思っている通りだ、邪推されていらっしゃる。
「童、文を書きますから、暫く待ってね」
敦道が自分を邪推されたことには気分が悪かったが、このまま敦道と縁が切れるのは嫌で、離れることは出来ない、筆を執って文を書く。
「今宵にお出でになったことは、、全く知りませんでした。お声を掛けていただければ宜しいのに。局には男達が大勢来ていましたが、わたしの局だけは、男の方がいません。車が沢山あるとだけで私が他の男に走ったと思われては心外で御座います、
君をこそすゑの松とは聞ゝわたれ
ひとしなには誰か越ゆべき
気の変わるお方の敦道様、貴方と同じように式部をお考えにならないで下さい」
敦道は、読んで式部と連絡を絶った。夜の相手は因幡か常陸が勤めるので、欲望は満たされ発散されるが、心の結びつきがない男女の交わりは空々しいもので、七日も過ぎると再び式部への思いが湧いてきて押さえることが出来なくなった。
敦道は式部に笑われて撥ねつけられるのを覚悟して文を書いた。
「式部と会えない辛さを毎日嫌っと言うほど感じています。心の結ばれない営みは全く空虚なものです、
つらしとも又恋しともさまざまに
おもふことこそひまなかりけり
心は式部を思う気持ちで充満していて他の事が入る余地がありません」
童を呼んで
「他人に見せないように、直接式部に渡すこと」
と、文を送った。
受け取った式部は、童を待たして、暫く考えている。
せきが、童に果物や菓子を与えている。式部は敦道に会いたい、先日訪れて車が多いのを見て、自分に男が尋ねてきていると誤解され、怒りの文をいただいて交際が途絶えてしまった間、式部は言い寄ってくる何人かの男を撥ねて欲望を抑えてきた。
あふ事はとまかこうまれ嘆かしを
うらみたえせぬなかとなりなば
辛いのはお会いできないことよりも、お互い怨み合う仲となってしまうのが辛いです」
と、待たせた童に持って帰らせた。
それでも二人の仲は元に戻らず、日にちが経っていった。
夜にはいると式部に懸想する男が来るが、身体の調子が悪いとか、月の物ですのでとか、断っている。そんな日を送る式部は、月夜に家の中で横になって月の光を全身に浴びているとき、
かくばかり経がたく見ゆる世の中に
うらやましくもすめる月かな
歌が詠めて色紙に書き付ける。そのまま月を眺めていると、ふと敦道に文を送ってみようという気持ちが起こった。色紙をとり筆を持つとすぐ歌が浮かんだ、
月を見てあれたるやどにながむとは
見に来ぬまでも誰に告げよと
今夜の月は一人で見るのは惜しいです」
便所を担当する樋洗童(ひすましわらべ)を呼んで文を持たせて、
「敦道さまの供の右近の尉に渡しなさい」
と、送り出した。
「式部様から敦道親王様への文で御座います」
「樋洗童ではないか久しぶりだな」
「右近の尉さま、お久しぶりです」
「宮にお渡しておこう、今みんな集まって会議中だから、これは駄賃だ、又来るように」
会議が終わると右近の尉は樋洗童から預かった式部の文をそっと敦道に渡す。
「式部からと、珍しいな、右近暫く待ててくれ、式部の許に参ろうと思うから」
式部の文を開いて敦道は読む。
「出かけるぞ右近、車はあのぼろなのを」
「心得ました」
夜が更けて月が中天になるころ敦道は式部の館を訪ねた。式部は送った文を書いた後再び横になって月を眺めているところであった。
「式部久しいのう」
「敦道様、嫌だ、こんな姿の時にお出でになって」
「どんな姿なのだ、夜だから何も分からないよ」
「此方にお出でなさいませ。直衣はお脱ぎになって」
二人は小袖一枚の下着姿で向き合った。
「返事を差し上げようと思っていたが、会議中で、童はすぐに帰ってしまったので、返事の替わりに主が参上いたしました」
「お月様を見ていたら、歌が浮かびまして」
「いつもながら式部の歌は実に上手い。感情が籠もって月がより一層美しく見える」
「有り難う御座います、下手な歌を愛でていただいて」
「夜露が降りて、庭が美しく照らされてますね」
「そうですね、降りてみたいのですが時節柄蚊がもの凄く飛んできます」
「そうだな、蚊が情緒に浸りたい気持ちを失わしてしまう」
「刺されては、大変で御座います。このままここで見ていましょう、抱いてください敦道様」
「式部は私より年上なのですよ、私が抱かれたい」
「年のことは言わないでください。私はもうおばあさんですから、肌も見せたくありません」
「暗いのでよく見えません」
「敦道様、そろそろ」
「明日は物忌みの日に当たります、家に居なければ、みんながおかしいと思うでしょう」
「帰ってしまうのですか、
こころみに雨もふらなんやどすぎて
空行く月のかげやとまると
さて、雨に打たれたら何処にお泊まりになるかしら、可愛い女房がいらっしゃるから」
敦道は
さぢきなく雲ゐの月にさそわれて
かげこそ出づれ心やはゆく
「敦道様、私がおかしな男を引っ張り込んでいると、思われたのですか」
その夜は二人の心がかみ合わないまま敦道は帰ってしまった。敦道が文を書こうと思ったが、と書きかけを置いていったのを見ると、
われゆへに月をながむと告げつれば
まことかと見に出でて来にけり
式部は、どうして私を信用してくださらないのだろう、疑いの目で見られるのを直してください。暗闇に向かって言う。
敦道はまだ式部をつれづれの慰め女という考えから抜けられない、歌は上手いし、上品だし・・・・・
「との、式部の所にはあまり行かれない方が宜しいですよ、最近源雅道(みなもとのまさみち)が通っているそうです。昼間もだそうです」
「源俊賢(みなもとのとしかた)も通っていると言うことです」
近習の若い者が言う。いろいろな人が式部の男の関係を言うので敦道は尻軽女なのだと思い込んでしまって、文を送るのを暫く中止した。
敦道の小舎人童である、為尊から続いて敦道に仕える童と式部の使う樋洗童(ひすましわらべ)は度々逢うので仲良くなっていた。ある日二人が出会って世間話をしていると、樋洗童が、敦道の小舎人童に
「敦道様の文を持ってきたのか」
「文ではないんだ、先日敦道様が此方にお出になったときに、多くの車が停まっていた。それを見られたから、とのは、文を書くのを止められたのであろう。この家に男がしげしげ通うと敦道様は、この館は男がしげしげと通うところだ。と誰からかお聴きになったのだろう」
樋洗童は、慌てて式部の所に走った。
「式部様、敦道様の小舎人童が、このようなことを言ってました」
「そうだったのか、どうりで文もないし、お出でもない」
式部は、長いお付き合いをしようと思っていたのに、このようなことで中断してしまうのは、自分は浮気女だと決めつけられてしまう、情けない。
世間は天皇を補佐する藤原本家の争いが終わって、藤原道長の一人天下となり十数年、庶民の生活は替わらないが貴族社会は政治よりも風流の世界に向かって進んでいた。
いく世しもあらじわが身をなぞもかく
あまの刈り藻に思ひみだるる
誰の歌か知らないが古今集(934)の歌が式部の脳裏に浮かんだ。敦道を思って胸が痛むところに敦道から文が来た
「この頃、自分でも分からない病に頭が重く何もする気がないまま過ごしまして、ご無沙汰いたしました。
つい先日式部に会いたくて館の前に行きますと、多くの男車が停まっていて、貴女の処に男の客が何時も来られているようなので、そのまま引き返しました。
私はまだ、貴女からは一人前の男とは思われていないようです
よしやよし今はうらみじいそに出でて
こぎはなれ行くあまの舟を
もう怨むことは止めました、貴女は私から離れて行かれる」
全くの誤解だ、式部は読んで身体がすくむようであった。このようなことを信じなさっては、・・・・・・・・きっちりと誤解を解いておかないといけない、
「ひとが噂をする事は知っていました。まさか敦道様がそれを信じなさるとは思っても見ませんでした。誤解されたことそのままにはしておけません、
袖のうらにたヾわがやくとそほたれて
舟ながしたるあまとこそなれ
心から敦道様に思いを寄せていまして涙で袖を濡らしていますあいだに、貴方は私から離れていって仕舞われます」
七夕を迎えて式部は敦道に会ってから三ヶ月経たと思った。七夕、彦星、天の川を織り込んだ歯の浮くような歌が懸想する式部の周りの男達から多く寄せられた。式部は見もしなかった。
このような時は必ず敦道様から何か便りがあると信じていた。しかし何もない、もう私のことを忘れて仕舞われたのか、と肩を落として悲嘆に暮れているところに、文が届いた。
「 おもひきや七夕つめに身をなして
あまのかはらをながむべしとは 」
「嫌だな私を織り姫のようにお考えになって彦星の敦道様と会う日を待っているなんて。お忘れになったかと思っているのに七夕で思い出されるなんて、失礼しちゃうは」
「 ながむらん空をだに見ず七夕に
忌まるばかりの我が身とおもへば 」
敦道は式部の返歌を受け取って、この女を他の男に取られるのは惜しい、と心から思う。
二人の間はそれだけで終わってしまった。式部は色々と懸想をしてくる男を相手にはしなかった。敦道を知る前は適当に男と遊んでいたのだが。
敦道は、常陸か因幡どちらかが夜の相手をしてくれる。北方と侍従の乳母は、敦道が外を歩かないので満足していた。明るい昼の時は敦道は式部のことを思って、文を書こうと思うのだが、夜になると二人の女に式部を思う気持ちは吹き飛ばされてしまう
七月晦に敦道はふと式部の事を思った。昼の明るい時間で、ゆっくりと筆を執って、
「長い間連絡がありませんが、時々は文を下さい。それとも式部の中にもう私は存在しなくなりましたか」
「何よ、この言い方は、自分も文を呉れないくせに、勝手な敦道様」
「毎夜毎夜私がお招きしている風をしっかりとお聴きになって下さい
めざめねば聞かぬなるらんをぎ風は
吹かざらめやは秋のよな/\ 」
式部は返事の文を送ると、使いに出した者は敦道の文を持って帰ってきた。
「式部よ可愛いことを言ってくれるね。目を覚ませ、って。貫之の歌に『人知れずもの思ふときは難波潟 蘆のそら寝もせられやはする』貴女を思って寝ている暇もありませんよ
おきかぜは吹かばいもねで今よりぞ
おどろかすかと聞くべかりける
私を招く秋風に起こされたか、とお聞きになったのですね」
二日後の夕方に敦道は式部を訪ねた。何時も前触れなく行くので式部は普段着のままだらしなく座っているので、
「敦道様、連絡を下さってからお出でなさいませ、私は何時もこんな乱れた恰好です、恥ずかしいです」
「その姿が良いんだよ、式部、自然のままで」
「貴方は何時もきちんとしていらっしゃる」
「みんなが煩いからね」
「久しぶりにお出でになって、夜は御一緒できますか」
「何かと口うるさく言う者が多くて、そうは行かないんだ」
「真面目なんですね、近頃。常陸、因幡が何時もお側におられるとか」
「小舎人童が言ったのか、おしゃべりな奴だ」
「噂は聞こえていますよ。敦道様は北方がきつい方で、女房達と夜を過ごしている」
「そのようなことを・・・・・・世間は煩いね」
「侍従の乳母さんが式部の所に行きなさんな、と言っておられますでしょう。私達はもう噂になっているのですよ」
「館の者達はみんな知っているのか、もう遠慮することはないな」
「それでも、敦道さまは東宮の弟君ですから、ご注意されませ」
言葉通りに日が暮れてしまってから敦道は式部の館から帰っていった。そしてまた、文一つ無く日が過ぎていった。
寛和二年(986)敦道の兄の居貞(おきさだ)が一条天皇の即位で東宮になった。
第66代一条天皇は居貞・敦道の父親、第63代冷泉天皇の弟、第64代円融天皇の子供であるから、一条天皇と居貞・敦道は従兄弟でしかも居貞皇太子の方が四つ年上であった。
第65代花山天皇は居貞・敦道の異母兄であったが、祖父の藤原兼家の圧力で仏門に入って冷泉の弟(叔父)の円融に席を譲った。
これは当時の藤原家の内部抗争の結果である。居貞が退位した冷泉の子供で、東宮になって騒ぎは収まった。
この騒ぎの結果、藤原兼家全盛時代を迎える、その子供の道長が此の世の春という時代に入って十数年になるところである。
世の中は平和で毎夜毎夜何処かの貴族の家で宴会が開かれて招待が来たか来ないかとどの家も騒いでいる。
式部は敦道も毎夜毎夜忙しく宴会を廻っているのだろうと思っていた。
くれぐれと秋の日ごろのふるまゝに
おもひ知られぬあやしかりしも
と言う歌を書いて、
「でも、私は敦道様を忘れることが出来ません」
と、文を送った。敦道は、
「近頃お互いに連絡がありません、それでも、
人はいさわれは忘れずほどふれど
秋の夕暮れありしあふこと
貴女を愛する気持ちは変わっていません」
それから文の交換はしばしばあり、愛しているとお互いが言い合うけれども、言葉だけの愛はなんとなくむなしいものだと式部は思うようになった。
八月になった。式部は家にいるのが鬱陶しくなり、
「せき、毎日暑いし。敦道様もお出でにならないし、石山にでもお参りしようか」
「そうですね、石山は涼しいでしょう」
「七日ばかりお籠もりしようか」
式部は壺装束、せき達女は同じように壺装束の旅姿樋洗童童に下男を連れて一行五人である。.
敦道は式部が石山に出かけたことを知らないので童に文を持たせて式部の館に行かせた。 返事がないので童に、
「先日の文を、式部に渡したのか」
「ハイ、持って参りましたが、式部様は石山寺にお参りでご不在でした」」
「そうか、それでは明日石山寺に持っていくように」
文は書き換えた。
童は言われたとおり石山寺に行って、籠もりの部屋を教えて貰って、樋洗童童を呼ぶ。
「式部様は今本堂に経を唱えに行っていますよ」
式部は石山寺に籠もると翌日には京が恋しくなった。高欄を経を唱えながら廻っていると、経を唱えながら心は京のことばかり考えている。足下の高欄下を童がついて回っているのに気がつく、そのまま止まらないで歩きながら、
「敦道様の童ではないか、どうしたの」
「文をお届けに参りました」
差し出した文を受け取って式部は急いで開く、
「大変に信仰心の厚いお方ですね。敬服いたします4.どうして山籠もりのことを仰らなかったのですか、言うと仏道の妨げになると考えられてのですか、私を京に遺して行かれるなんて、
関越えてけふぞ問ふとや人は知る
おもひたえせぬ心づかひを
何時も私は貴方のことを思っています。何時お帰りでか」
「童。籠もりの部屋で返事を書きます。付いてきて」
日頃近くにお出での時は全く文を下さらないのに、こんなときに限って文を下さるなんて。籠もりの部屋に着くまで式部は思っていた。童は何時もと違った衣服の式い部を見てこの方は美しいお方だと見直していた。
「お文有り難う御座いました。高欄を唱経中に童を見て驚きました。
あふみぢは忘れぬめりと見しものを
関うち越えて問う人や誰
いつ帰るのかとお訪ねですが、色々と考えた末のお籠もりですから
山ながらうきはたつとも都へは
いつかうち出の浜は見るべき
そのうちにと申し上げておきます」
童が京に戻って敦道に式部の返事を渡す。
読み終えて敦道は、
「小舎人ご苦労だったが、もう一回石山寺に行ってくれ」
「との、またですか、逢う坂山は辛いです」
「駄賃をはずむから頼む」
と、もう一度童を山にやる。
「また来たの、大変でしたね」
と、式部は童を労って、文を受け取って開く、
「『関うち越えて問う人や誰』と非道いことを仰いますね
たづねゆくあふさか山のかひもなく
おぼねくばかり忘るべしやは
私を忘れてしまったのですか、本当に
うきによりひたやごもりとおもふとも
あふみの海はうち出て見よ
山寺に籠もっていないで打出浜に出て見なさいよ、気が晴れますよ。古今集に『世の中の憂きたびごとに身を投げば 深き谷こそ浅くなりなめ』(1061)山籠もり、嫌なことがある度にしていたら切りがないでしょう」
式部はすぐに筆を執る
「色々と仰いますはね、
関山のせきとめられぬ涙こそ
あふみの海と流れ出づらめ
と書いて端の方に
こころみにおのが心もこゝろみむ
いざ都へとさそひ来てみよ
どうですか、私を京に帰りましょうと誘って下されば」
敦道はどうしようかと思って悩んだが、とにかく都を出て石山に行くことにした。
式部は急に京へ帰ろうと思い翌日の朝早く山を下りた。敦道と行き違ってしまった。敦道は途中で山を下る人に式部のことを聞くと早朝に下山されましたよ、ということで、敦道はなんだ式部は願を断念して山を降りたのか、と京へ引き返した。
式部へ、
「私を誘っておいて山を下りるなんて、どうしたことですか、打出浜はお誘いできませんでした、
あさましや法の山ぢに入りさして
宮この方へ誰 さそひけん
どんな男です籠もりの貴女を都へ降ろしたのは」
敦道の文を開いて、彼が石山へ登ってこられたんだ、と知りもう少しゆっくり降りれば良かった、どう釈明しょうか考えた、そして、
山を出でて暗きみちにぞたどり来し
今一たびのあふことにより
貴方にお会いして心の暗さを無くしたい」
敦道は式部が都に帰ったことを知っても訪ねなかった。誰か男が居てその者が山を下りるように言ってきた
のだ、乳母達が言うように男の者が多く通っているようだ。心の中の式部を消してしまおうと因幡と常陸を交互に求めた。
式部は狂うように身体が男を求めて騒ぐのをぐっと押さえて、他の男を寄せ付けなかった。懸想する男の文は毎日何通か送られて来るが、今写しながら読みふけっている宇津保物語のあて宮のように男から送られてくる懸想文をことごとく無視して返事を書かなかった。
八月もやがて晦日か近くなったころ強い風が毎日続いた。秋の終わりから初冬に懸けて吹く野分け、そして大雨。この風が収まると雪が降り出す。人の気持ちが心細くなるときである。
式部は蔀を降ろさず御簾が風にあおられて吹き上げられないように重しを置いて庭を眺めていた、空は黒い雲でおおわれて冷たい雨が降り続いている。敦道からいつものように少し澄ました感じの文が届く。心が暗くなっているので小さな灯明が送られてきた感じがした。
嘆きつゝ秋のみ空をながむれば
雲うちさわぎ風ぞはげしき
式部のことを考えると気が重いです」
式部は
秋風は気色吹くだにかなしきに
かきくもる日はいふ方ぞなき
敦道様のお出でがないので秋の寂しさが身に浸みています」
その文だけで八月は終わってしまい、式部は離れてしまった敦道を思い寝付けぬ長くなった夜を送っている。
敦道は二人の女に慰められて夜の身体は充実していた。式部のことはほとんど頭には残っていなかった。
九月廿日明け方、月は空に残っていて有り明けの月が地上を照らしている。敦道は横に寝ている常陸を起こさないようにそっと起き出して蔀を上げると、有り明けの月が見事に輝いている。ふと、式部のことが頭に浮かんだ。
「久しく逢わないが元気にしているだろうか、この有り明けの月を見ているだろうか。男が来ていてそれどころではなかろう」
そっと身支度を調えていつもの童を起こして、式部の家を訪ねた。戸を童に叩かせた。
最近眠りの浅い式部は物音に気がついて下仕の女を起こすが、中々起きない、やっと目を覚ましたかと思うと、半分寝ているので何の為に起きたのか分からずにうろうろとしてただ歩き回るだけ、
「これ、戸口を叩く者いるから見て参れ」
やっと目が覚めて戸口に行くが、
「何方もいらっしゃいません」
と言って又臥せってしまった。
敦道は開かない戸口を見ていて、式部の所に男でも訪ねてきているのだろうと、帰って行くことにした。
式部は目が覚めてしまって起きあがって机に向かい今朝のことを書き留めておこうと筆を執っているところに小舎人童が敦道の文を持ってきた。
「童よ、今朝、とのと一緒に来たのか、ここへ」
「はい、戸を叩きましたが何方も出てお出でがないものですから、殿は戻られました」
やっぱり思たとおりだった、式部は文を開いた、歌だけが、達筆に書かれていた、
秋の夜の有明の月の入るまでに
やすらひかねて帰りにしかな
嫌、もう恥ずかしくて、だらしのない女だと思われていることだろう、でも敦道様も夜明けの月を見てお出でになったとは、私もその月を見ていた、偶然でおかしい、と今書いていた夜明けの記録をそのまま結び文にして童に、
「これをお渡しして、無くさないようにね」
樋洗童と話していた童は一礼して去っていった。
宮は童が渡した結び文を解いて中を見ると
「風の音、木のはののこりあるまじげに吹来る、つねよりも物あはれにおぼゆ。ことごとしうかきくもるものから、たヾ気色ばかり雨うちふるは、せん方なくあはれにおぼえて、
秋のうちはくちはてぬべしことわりの
しぐれに誰が袖はからまし 」
童に持たせた後、式部は折角門口までお出でになった敦道様に会えなかったことがもの凄く悲しかった。誰もこの悲しみは分からない。
蔀を上げて庭を眺める、薄灯りの中に草花が秋風に吹かれて倒れるのを見て式部は自分もこのように倒れて仕舞うのだ、と見ていると悲しくなってしまいそのまま横になる。戸を叩く音で目覚めた者達は再び寝入ってしまったが、式部は眠ることが出来ない。みんなは考えることもなくてよく眠るな、雁が空を飛んでいく、悲しみが膨らんで
まどろまであはれいく夜になりぬらん
たヾ雁がねを聞くわざにして
幾夜眠れないのだろうか、ただ、雁が鳴くのだけを聞いていよう。
起きあがって、表を羽織って妻戸を開けてみる、空に西に傾いた月が照っている、霧が懸かったような空、鐘が鳴る。起こされた鳥の声と一つになって響いてくる。
我ならぬ人もさぞ見んなが月の
有明の月にしかしあはれは
みんなが、ものの哀れはこの月に限ると見ているだろう 。
誰かが門を叩いている。私の他にも男が通ってくるんだ。私ならば嬉しいが・・・・・・・。
よそにてもおなじ心に有り明の月を
見るやと誰に問はまし
式部が敦道に文を送ろうと考えていたときに敦道から文が届いた。先日、結び文を送ったのを読まれて式部は学のない女だと思われたことだろう。と文を開いた。
秋のうちはくちける物をひともさは
わが袖とのみおもひけるかな
消えぬべき霧のいのちと思はずは
ひさしき菊にかかりやはせぬ
まどろまで雲ゐの雁のねを聞くは
心づからのわざにぞありける
我ならぬ人も有明の空をのみ
おなじこころにながめけるかな
よそにても君ばかりこそ月見めと
おもひてゆきしけさぞくやしき
開かずの門が悔しく思っています」
読んで式部はあの駄文が効果があったと思った。
それから月末に敦道から文が送られてきた。文は時候のことから世の中の出来事を述べた後に、
「おかしな頼みですが、日頃親しくしている女が遠くに旅立ちます。別れるときに渡そうと思う餞別の歌を、女性の気持ちで上手く詠んでいただきませんか。私にはとても良い言葉が浮かびませんので」
式部は、常陸か因幡どちらかが都を去るのだと思った。式部は得意になって歌などは詠まれない、しかし詠まなければ、敦道は私を高慢な女だと思うであろう。
「どういうことを仰りたいのですか、このようなのでは如何ですか、
おしまるゝ涙にかげはとまらなむ
心も知らず秋はゆくとも
と書いて隅の方に、それにしても、
君をおきていづちゆくらんわれだにも
うき世の中にしひてこそふれ
敦道から文が来た。文よりも本人が来て欲しいのに、開いてみる。
「私がお願いしたとおりの歌です、と言いたいのですが、そう言うと私が歌のことに精通しているようなことになります。『うき世の中にしひてこそふれ』とは少し考え過ぎです。
うちすてて旅ゆく人はさもあらばあれ
またなきものと君しおもはば
去っていく者のことは考えない、私だけを思ってください、式部」
このような文通で十月になった。
十月十日に敦道は久しぶりに式部の許にきた。
「本当にお久しぶりのお出でですね、嬉しい」
「式部は相変わらず美しいね」
「そんなことはありませんは、小袖だけに成りましょうね」
式部は敦道の衣服、狩衣姿を解いていく、この前にお会いしたときはまだ暑いので狩衣の下は小袖であったが、今は十月である、何枚か重ね着をしている。一枚一枚しっかりと薫きこまれて上品な香りを放つ。
帳台に敦道を寝かせて着ている表を懸けると、
「敦道様、私用意をして参りますからお待ちを」
帳台の周囲の帳を降ろして帳台を囲むと、
「童よ、一緒に来て」
樋洗童を呼びよせた。小さい声で何事か言うと樋洗童は心得て、香を燻す火取りを提げて式部の後に従った
几帳で囲った中にはいると童に火取りを前に置かせて、童は几帳の外で座る。式部は小袖の前を開いて火取りに跨るようにして立ち小そでの裾で火取りをくるむ、香の煙が下腹部に充満する、半刻ほど式部はそのままで居る 。月明かりは部屋の奥深くまでは届かない周囲は全く暗黒である。
「ご免なさいね眠っていたの?」
式部は、懸けてある表を開いて身体を敦道の横に滑り込ませて表をかけ直すと小袖の胸を開いた。
「良い香りだね・・・・・・・・」
「敦道様は久しぶりなんだもの、・・・・・・・」
「分かっているよ」
二人は抱き合う、あの小屋に連れて行かれた頃よりなんとなく敦道の動きが女の泣き所を的確に捉えて、しかもその動きが一段と鋭くなっている。常陸と因幡に教え込まれたな、式部は感じてやがて夢の世界に導かれていった。
式部はまだ敦道の術に酔うたまま動こうとしない、敦道は館の北方始めみんなが式部を悪い女だと言うが、そうは思えない。こうして女の喜びを受けて感動からさめない式部を見ていると堪らなく可愛い、式部が平常に戻ると抱きしめて、
時雨にも露にもあててねたる夜を
あやしくぬるゝたまくらの袖
と、耳許で囁くように言う。
さめかけた興奮が再び式部の中でもやもやと膨れあがり、
「敦道様、式部を離さないでください」
涙が流れてきた。何も言葉が出て来ない、ただ敦道と肌をしっかりと合わせて泣くだけである。
「何か話をして」
「敦道様に抱かれていますと充分です」
式部はますます敦道に甘えていく。敦道は、式部には頼る男が居ないんだ、
「式部、このまま二人の関係を続けていこう」
式部は嬉しかった。
けさのまに今は消ぬらん夢ばかり
ぬると見えつるたまくらの袖
ゆめばかり涙にぬると見つらめと
ふしぞわずらふたまくらの袖
私の腕の中でとろとろとしたときの夢に流した涙はまだ乾いていませんよ」
この夜の契りの後、敦道は式部を世間の人が噂をしているような、男と遊ぶだけの女ではない、と気持ちを改めて式部の許を訪問する回数が途切れなく続くようになった。
敦道の館では式部が想像した通り、因幡が因幡の守となって都を離れる男と結婚して彼女の故郷へ帰っていった。常陸が一人敦道の夜の相手を務めていた。
「とのさま、近頃夜のお出かけがお盛んですね」
「どうして、以前と替わらないではないか」
「歌の館へお出かけと、皆さんがそう仰っていますよ」
「式部に会いにじゃ、あの女は心の綺麗な女で、歌も上手いし教養があるからな」
「北方が大層怒っていらっしゃる、と女房達が言っています」
「北方は、氷のような心を持って私に接する」
式部は敦道が先触れなく突然に来訪されるので、まだ正式な装束で対面したことがない。式部にとっては、小袖か袿姿が気が楽で良いし、敦道も軽装の女と接する方がなんとなくうち解けて接することが出来て、化粧や衣服のことは何も言われない。
敦道は今までは遊びのつもりで式部と接してきたが、このところ何回か通い続けるうちに、式部の自分に対する感情が真面目で、決して遊びではない、と確信が持てるようになってきた。
「式部、私はそなたが男と遊ぶ女であると思い込んでいたようです」
「どうしてその様なことを仰るのですか」
「家の者達が、式部の許には何人かの男が通っている、遊び女だ」
「失礼なことを、でも私は敦道様とお会いする前には、男の方何人かと身体を交えました。私は一人で生きていかねばならない女ですから」
「もうそれは止めてください、敦道一人の女になって、生活のことは私が面倒を見るから」
「私もそうしたい、嬉しいことを仰有って下さる・・・・・・・・・敦道様もっと私が淋しくならないように沢山通ってください、そのお言葉で私の身体が又熱くなってきました・・・・・・・・・・・」
「式部、今の話は私の真実の気持ちだよ。お前の方が年し上であるのに私はお前が可愛い、離すことが出来なくなった・・・・・・・・・・・・」
「正気に戻ったのか」
「敦道様非道い、何処で女の攻め方を覚えたの、常陸から?それとも因幡から、毎夜毎夜抱かれて女の燃える壺を教えて貰ったんでしょう」
「そのようなことはないよ、あの二人との関係はもうやめにするから、式部も他の男を考えないで」
「敦道様にお会いしてから、総ての男は私の心から消え去りました、今は敦道様だけ」
「そうか、嬉しい言葉だ・・・・・・・・・・しかし式部」
「なんですか」
「お前のことしか私の心の中には存在しないけれど、家を出てここへ通うのは、家人の手前そうそう多くは通えない」
「わかりますは、東宮様の弟の親王さまですものね」
「噂が広まっては、本当に私は監視の中に置かれてしまう」
「通えなくなったら式部はどうしたらよいのでしょうか。為尊様も同じようなことを仰有ってお出ででした」
「私の屋敷は広い、空いたところが多くありますから、その中で一番人目が着かない場所を探しておきますから、式部はそこを局にして、我が館へお出でなさい」
「宮様の宮殿にですか・・・・・・・・・」
「そうです、そうすればここへ来て慌ただしく愛し合ってゆっくりと話もしないで暁に帰る。このような忙しいことをしないでもゆっくりと話も出来、楽も出来る」
「それはそうですが、北方様もおられ、女房の方達も大勢居られ、それに敦道様の母上替わり侍従の乳母様がおられます」
「大丈夫だよ、敦道が式部をちゃんと守るから」
「それでも、・・・・・・」
「次に来るまでに考えておくれ式部」
「はい、せきとよく相談をしておきます」
大きな問題を式部に与えて敦道は暁に帰って行った。
せきは聞いていたのか、敦道が帰ると直ぐに式部の許に来て、
「敦道様、難しいが良いことを仰有ってお帰りになりましたね」
「せきは、聞いていたのか、将監に抱かれて」
「ハイ、大きなお声ですもの聞こえてきますよ」
「せきの、喜びの声も聞こえたよ、将監と仲がよいね」
「式部様ほどでもありません。特に今朝方お別れ前なんかの喜びのお声は、高くて、みんなが目を覚ましたことでしょう」
「恥ずかしいもう言わないで、せき」
「私は、敦道様の仰られることは尤もなことで、夫人として式部様を迎えたいというお気持ちですよ」
「そうだろうか、下仕ぐらいにしかお考えておいでではないのかな」
「そこはこの次にお越しに成られたら、はっきりとさせておきなさいませ」
後朝の文が届いた、いつもながら敦道の書体は美しい
「このまま終わりにしてしまおうか、と思うこともありましたが、私は少し古めかしい男であるので、このまま貴女との仲を終わりにしてしまうのも何となく惜しいようで。でも、こういう風にいつもいつもこちらに参ることは、我が家の者が許すことはあるまいと思う。私が外出しようとするとそれを止める者があるとすると、私と貴女の間は、それこそ。橘直幹の歌、(拾遺集八、雑上)
忘るなよほどは雲居になりぬとも
空ゆく月のめぐり逢ふまで
と二人の間が遠のいて『空ゆく月』となってしまい逢うことが出来なくなってしまいます
そのようなことは私に耐えることが出来ません」
式部は二度としたくない宮仕えをまたも、しかも自分をなじる者達ばかりの中へ、どうして今更働けようか、だが、敦道の申し出をお断りすると、いずれは敦道様のお越しが遠のいて、自分は又一人の淋しい毎日を送ることになる。
山の奥に行ってこの世から離れた生活をしたいと式部は思っても案内する人も無し、今のような暮らしをしていれば明けぬ夜の感じがして、私のことを浮気女と言う人も沢山いるが、その通り通う男を夜な夜な相手をして朽ちていく。
ことさら頼りにする頼もしい男の方がいるでなし、そうだこの際敦道の言うとおりに世話になろうか、本妻である北の方は敦道とは別々に住んでおられ、敦道の周りの細々としたことは乳母がすべて仕切っている、式部が敦道の屋敷に住み込もうとも目立ってその噂が広まることはあるまい、彼女がこの屋敷に隠れ住もうと、なんの差し支えもない。敦道との噂は自然と止むであろ。
敦道は三日ほどして式部の許を訪れた。
逢えば直ぐ二人の愛し合い始まる、近頃、式部は敦道が何時来てもいいように、目覚めると身体を始め衣服に香をしっかりと時間を掛けて焚きしめる。敦道はその様な式部の持てなしに満足して式部の手で身体中が融けてしまうような思いをして気持ちが落ち着く。
「敦道様、この間からのお申し出を、式部は喜んでお受けいたします」
「そうか、有り難う」
その言葉が終わらないうちに式部は抱きしめられる。
「敦道様、少し静かになさいませ、刻はまだ沢山御座います」
「お前が可愛くて」
「少し落ち着きなさいませ、式部はもう逃げませんよ」
「式部はもう敦道の女だね。愛を誓うね」
「はい、はい敦道様の女で御座います。年上のね」
暁刻に敦道は何回も式部に屋敷に移ることを約束させて、帰館した。屋敷に呼ぶ準備を、考えるが身体がだるくて力が無く、横になった。
宮から文が届いた、
霧むすぶ道のまに/\あさぼらけ
ぬれてぞ来つる手枕の袖
式部はいつも敦道に抱かれて手枕をして貰う何と言ってもそれが今の式部にとっては二人の絆が固く結ばれている証であると思い込んでいる。
道しばの露におきゐる人により
わがたまくらの袖もかわかず
待っている使いの小舎人童に駄賃と共に渡す。
次の日の夜の月は明るく澄み渡り、式部も敦道もそれぞれの自宅で眺めあかしたのである。翌朝に敦道は早速今の気持ちを式部に伝えようと、
「小舎人童が参っているか」
式部も庭一面の霜を見て、
たまくらの袖にも霜はおきてけり
けさうち見れば白妙にして
と、樋洗童を呼んで敦道に送った。
読んで残念、式部に先を越されたか、と敦道は悔しくて、
「つま恋ふとおき明かしつる霜なれば」
と、上の句を書いたところに小舎人童が参上してきた、
「どうしたのだ今頃にやってきて」
と、式部に先を越された敦道は機嫌が悪い。童は式部の歌を持参した樋洗童(ひすまし)と話していて遅れたのだ。
「宮はおまえが遅く参ったのでご機嫌斜めである。この文を式部様のところへ持ってゆくのだ」
と、童に差し出す。童は式部の許に参って、
「あなた様から宮への文が参らない先にお召しがあったのですが、今になってしまい申し訳ありません」
といいわけをして宮の文を式部に渡した。
「昨夜の月はよろしかった、
ねぬる夜の月は見るやとけさはしも
おきゐてまてど問ふ人もなし
なるほど敦道様は私に文を送ろうとされたのだ、童が遅れたのだな、と式部は分かりおかしかった。式部は童に待たしておいて文を託す、
まどろまで一夜ながめし月見ると
おきながらしも明かしがほなる
と詠い、いつも使いにくるこの童が大層叱られたと言ってしょげているのが可笑しくて、歌の端に、
霜のうへにあさひさすめり今ははや
うちとけにたる気色見せなん
童にうち解けた姿を見せてやってください。可哀想にあの子はしょげ返ってしょんぼりしていますよ」
と書き添えた。
敦道は返事に、
「今朝のあなたの文は、いかにもしてやったりという気持ちがありありと見えて本当に憎らしい。この子わっぱめは殺してやりたい気持ちです、
あさ日影さして消ゆべき霜なれど
うちとけがたき空のけしきぞ
式部は、「殺してしまうなんてまあひどいお方」と言いつつ、
君は来ずたま/\見ゆる童をば
いけとも今は言はじとおもふか
敦道様はいつも私の所に文を持ってくる小舎人童に、もう式部の所には行かなくてもよい、と仰るのですね」
と、返事を送った。
敦道は笑って、式部に、
ことわりや今はころさじこの童 しのびのつまの言ふことにより
それはさておき、貴女は私の手枕のなかで私に抱かれて愛をむさぼられたことをお忘れになったのでしょうか」
式部はすぐに、
人知れず心にかけてしのぶるを
忘るとやおもふたまくらの袖
私が大事に心の中に忍ばせているのを、忘れたとはなんというお言葉ですかこの手枕の男」
敦道は、
もの言はでやみなましかばかけてだに おもひ出でましや手枕の袖
充分満足なさったようでしたのに」
こうして二三日敦道は式部を訪ねることをしなかった。
屋敷にどこか隠れた場所を作るからこちらに移るように、と言われたことはどうなっているのだろうか式部は色々と考えて寝ることも出来ない。横になったが目はつむらずにまだ考えているところへ、夜も更けているのに門を叩く音がする。どうしたのかしらこんな遅くに、とせきに尋ねると敦道からの文であった。考えもしなかったことであったが、自分の気持ちが通じたのだと、妻戸を開けて月の光で文を見る、
見るや君さ夜うちふけて山のはに
くまなくすめる秋の夜の月
素晴らしいこの月を式部は見ていますか」
敦道も眠ることなく月を眺めているのだ、式部はいつもより敦道を懐かしく感じる。門のところで使いの者が待っているであろうと急いで返事を書く
ふけぬらんと思ふ物からねられねど
なか/\なれば月はしも見ず
月を眺めるとあまりの美しさによけいに寝られなくなります、そこで私は月を見ないことにしました」
敦道は読んで、自分とは反対の歌を書く、式部は本当に生意気な女である、がどうかして近くに置きこのようなことをお互いに言い合って過ごそう、と式部を夫人として屋敷の中に置くことに心を決めた。
二日ばかりして、敦道は女車に乗って式部を訪ねた。彼女は昼の明るい時に化粧もしない素顔でお逢いしたことがなかったので大変恥ずかしく思うのだが、格好が悪いと言って隠れてお逢いしないのは失礼に当たると思う。敦道の希望通りに屋敷に移ることになれば、昼にお逢いしませんなどと言えることではない、など考えてそのままの姿で敦道の前に進み出た。
敦道は、毎日のくだらないことなどを話していたが、暫く何か考えて横になって黙っていたが。
「この間話したことを早く承知してください。このように慣れない外歩はあまり好きではないが、と言って貴女を訪ねないのは気がかりだし、はっきりしない二人のなかを気に病んでいます」
式部は、
「私は敦道様のお考え通りにしたいと思っておりますが、『見てもまたまたも見まくの欲しければ 馴るるを人は厭ふべらなり』(古今集752)という歌がありますは、あまり敦道様と慣れ親しんでしまいますとかえって情が薄くなるのではとそちらへ参ることを思い悩んでおります」
と甘えてか細く答える。
「そんな歌があるならこんな歌もあるよ、『伊勢のあまの塩焼衣馴れてこそ 人の恋ひしきことも知らるれ』(古今和歌六帖)という歌もあるよ」
と言い捨てて庭に出て行かれた。
敦道は築地の前の透垣(しいがき)の下に変わった真弓が少し黄ばんで生えているのを見てその枝を折って高欄にもたれて、
ことの葉ふかくなりにけるかな
と式部に上の句を投げかけると、式部も負けずに
白露のはかなくおくと見しほどに
ほんのお遊びかと思っていましたのに」
と言う答え方を聞いて敦道は、やはりこの女は情緒があり魅力のある女だと思った。
今日の敦道はすばらしいお姿をなさっておられる。普段着ではあるが何ともいえない美しい直衣を召しておられ、直衣の下に着る衣の裾を外に見えるように左右に出したその着こなしは女がみるとうっとりするように魅力があった。式部にはそれが浮気男に見えた。次の日に、
「昨日のあなたのご様子は、昼間なんかに訪ねてこられて、と情けない男だと思われたでしょう。そのことは私にとってとても辛いことでしたが、それ以上にあなたの優れた女の魅力に心がぐっと引かれました。」
と恥もなく敦道は言うので、式部は、
かづらきの神もさこそはおもふらめ
くめぢにわたすはしたなきまで
昔、役行者が一言主神に命じて葛城山から吉野の金峰山に橋を架けようとしたが、一言主は醜い顔であったのが恥ずかしくて、昼は働かず夜だけ働くようなことをしたのでとうとう完成しなかった。昼間私を訪ねてこられた貴方は恥ずかしくもなくよくお出でになったものです。
私、身の置き所がないほどに恥ずかしい思いをいたしました」
と、答えるとすぐさま敦道は、
をこなひのしるしもあらばかづらぎの
はしたなしとてさてややみなん
役行者はそんな一言主を法力で括り付けたというではないか、そんな力が私にあれば貴女が恥ずかしいというのをほっとくものですか」
と答えて、それからはまえ以上に式部の許を訪ねて、二人の間は更に深くなった。
こうして二人の中がますます深く固く結ばれるようになった。だが、世間では敦道と式部のことが、もともとから噂があったのであるが、それは決定的に本当だと言うことになり。館の周りに夜になると若い公卿達が本当かどうか確かめに現れるようになった。せきが、
「式部様、夜になると車が何台か館の前に立ててあります」
公卿達の車が牛を放して、轅(ながえ)の軛(くびき)を搨(しじ)に置いて車を平にして止めておくことを立ててと言う。
「中で見張っているんだわ、敦道様のことを」
「このような物を、投げ入れてありました」
「懸想文よ、車の数と同じ?」
「嫌ですね、。どうしようもありません」
「他の人もお困りでしょう。、それぞれ男の方が通っていらっしゃるから」
そのうちにみんなが私のことを責めるに違いない、式部は困ったことになったと悩む。
式部はこんな事ならば敦道が薦めるお屋敷に移ろうかと考えるのであるが、はっきりと決心がつかないでいる。そんなある霜が降った朝式部は、
わがうへは千鳥もつけじ大鳥の
はねにも霜はさやはおきける
私は早くに起きてこの霜の深い庭を眺めていますが,貴方は起きられましたか」
と、敦道に送る。敦道も負けずに、
月も見でねにきと言ひし人のうへに
おきしもせじを大鳥のごと
月も見ない人がどうして朝霜を見るんですか」
と、日が暮れてからお越しになった。そうして、
二人が横になって抱き合うと、
「この頃の山の紅葉はとても好い色だよ、私の屋敷に来てご覧なさい」
と、敦道が式部に囁く。
「それではそのようにいたしますは」
と答えたが、その日になって式部は、
「あいにく今日は物忌みの日になりましたので」
と敦道に告げて籠もってしまった。
「それは残念なことで、物忌みが終われば必ずお出でになって下さいよ」
と、言われたが、その夜雨が降りこの雨で木々の葉は残りなく落ちてしまうだろうと式部は、
「風が吹けばどうしようもない」
と、つぶやいて、みんな散ってしまうかしら、昨日見ておけば良かった、と悔しい思いで夜を明かした、その早朝に敦道から、
神無月世にふりにたる時雨とや
けふのながめはわかずふるらん
このようにこの雨を貴女が見て感じておられるのならば、これは貴女と紅葉を見ることが出来なかった私のくやし涙である、ということを思ってください」
式部は、
時雨かもなににぬれたるたもとぞと
さだめかねてぞ我もながむる
そうそう、そういえば
もみぢばは夜半の時雨にあらじかし
きのふ山べを見たらましかば
と、式部が詠ってきたのを、敦道は、
そよやそよなどて山べを見ざりけん
けさはくゆれどなにのかひなし
追伸
あらじとは思ふものからもみぢばの
散りやのこれるいざ行きてみん
と言ってこられた。受け取った式部は、
うつろはぬときはの山も紅葉せば
いざかしゆきてとふ/\も見ん
思わぬ恥をかいたり失敗したりすることになりますよ。」
敦道は式部のこの歌を読んで、
「いつだったか貴女を訪れた時に『体に障りがありましてお目にかかれません』と逢うことを断られたことを思い出しました。その時貴女が、
たかせ舟はやこぎ出でよさはること
さしかへりにしあしまわけたり
と詠まれたことをお忘れになったのですか、
やまべにも車にのりて行くべきに
たかせの舟はいかがよすべき
いづれにしても、紅葉は見に行くべきです」
式部は、
もみぢ葉の見に来るまでも散らざらば たかせの舟のなにかこがれん
見に行ってもしょうがないです」
と、返事を送ったが、その日も暮れて敦道は式部を訪ねた。式部の館は方塞がりのためこっそりとお出でになった。
四十五日の方違えをするため、敦道は従兄弟の三位中将藤原兼隆の屋敷内に寄留している。
いつもとは違う場所での生活であるので、「あんな粗末なところで」と言う人もいるが、そんなことを気にせずに住んでいる。
その様な屋敷内に敦道は女車を出して式部を連れ出して、屋敷の中にはいると式部を車に乗せたまま人気もない車庫の中に入り、式部を車の中に置いたまま奥に入って行った。
式部は恐ろしくなった。敦道は人が寝静まった頃に車に戻ってきて、式部を抱きしめていろいろと愛の言葉を囁いて誓われる。
事情を知らない宿直の下侍が警備に回ってくる。いつも敦道の側に仕える将監と小舎人童が近くに控えている。
敦道は床に入って寝に付いたと見せかけるために小袖だけの姿、式部は夜寛いでいたので小袖に袿の上に表を羽織っている。狭い車の中で式部は敦道に抱きかかえられると、帳台の広さが分かりなんとなくこっそりと男と情事をしている感じになり、又違った身体の喜びを敦道から受ける。
情事を繰り返しながら敦道は、式部を本当に心から愛しいと思い、それまでに彼女に対してやや冷淡だった自分の行動を深く反省する。
夜が少し明けると敦道は式部を送っていく。自分も人が起き出す前に急いで帰られて、すぐに、
ねぬる夜のねざめの夢に慣らひてぞ
ふしみの里をけさはおきける
独り寝で早起きの癖が付きました、折角貴女と共に臥し、愛し合って寝たのにいつもの癖で早く起きてしまいました」
式部の返事は、
その夜より我が身のうへは知られねば すゞろにあらぬ旅ねをぞする
敦道様と身体を重ねてからは私の身はどうなるか分からない、だから車の中の旅寝なんかしたのです」
式部は、敦道のこんなにも優しい自分を思う心をありがたく思い、このまま敦道をないがしろにしては、ともうかたくなな態度は取らず敦道の言うように屋敷に参ろうと決心する。
この式部の気持ちに忠告をしてくれる人もいく人かいるが、もうその言葉は耳に入らない。どうにでもなる私の心、運命に任せておこうと思うのだが、だがこのことは式部が兼ねてから望んでいたことではないし、古今集(952)の中に、
「一体どんな岩屋の中に住んだらこの喧しい現世から離れられるのだろうか」
という歌があるが、そんな生活をしてみたいと望んでみる、だが、もしそんな世界に入ってしまい、その世界で辛いことでもあったらそれこそ本当にどう身を処していいか分からない。そんな生活を人は式部の本心からとは思うまい。やっぱり敦道のもとで暮らすことにしよう、近くに親や兄妹も住まいしていることだしその面倒も見ることが出来る。
また別れた夫との間に出来た子供の将来も見極めることが出来る、あまりいいとはいえないけれども、式部は敦道の殿に移るまでは、耳を塞いで世間の悪い噂を聞くまい。終日敦道にお仕えするようになれば、いかなる噂があっても私のことを信用なさるであろう。
式部に好意を寄せて文を送ってくる男達に「ただいま不在です」とせき達に言わせて、懸想する男達との関係を絶ち返事をすることがなかった。
敦道から文がある、
「私は貴女を信じておりましたのに、まさか裏切るとは」
から始まって多くの式部に関する悪い噂を書き並べて最後に、
「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける(貴女の心が以前のままか分かりませんが花だけは昔のままの香りがしています)」
と古今集の紀貫之の歌(42)が添えられていた。
読んで式部は驚いたと同時にあまりのことにあきれてしまう。敦道の文にはとんでもないそら言が多く書かれていたが、とにかく、今まではとんでもない噂話をほっといたのだが、この敦道の手紙は本気でそう思っておられることがありありと分かるので、式部が敦道の処へお仕えすると決めたことを聞いた人もあるだろうから、このように酷いことを言われたのではどうしようもないことになると思うと悲しくなり、返事をする気力もなくなった。
また書かれたこと以外にどんなことをお聞きになったのかと思うと恥ずかしくて、このまま返事を差し上げないでいると、敦道は式部に送った文の中で言った彼女にまつわる噂のことを、気になったのか、
「どうして返事を下さらないのですか、やっぱり
噂は本当だったのですね。こんなに簡単に早く心
が変わるものですか。人が貴女のことを色々と言
うのですが、そんなこと、よもや本当とは思わな
かったのですが、
『人言はあまの刈る藻に繁くとも思はましかばよ
しや世の中』(二人が本当に愛し合っていたのなら、
人がなんと言おうと問題ではない)(古今六帖)
、
と、私は思っていますよ」
読んで式部はほっとした。そして、敦道の本心が知りたく、またどんな噂がお耳に入ったのかも聞いてみたくて、
「敦道様、まことにお文の中にあります『思はましかば』の歌のように私を愛してくださっておられるならば、
今のまに君来まさなん戀しとて
なもあるものをわれゆかんやは
外聞というものがありそちらに参れませんもの」
と、式部は文を送った。返事はすぐに、
君はさは名のたつことを思ひけり
人からかゝる心とぞ見る
貴女はそれでは評判の立つことを考えたのですね、人によって外聞があるなどと言われる、と、私は貴女の心を読みましたが・・・・・・。
『名のあるものを』とは腹の立つことよ」
敦道は式部が困ってしまう様子を見たくてこのようにいたずら文を送ってこられるのだろう、と式部は想像するのだが、やはり自分が噂通りの女と見られていると思うと少々心配が残るので、式部は、
「更に気持ちが苦しくなりました。何とかして宮さまに私の心の内を見せてあげたいと思います」
敦道は、
うたがはじなほうらみじとおもふとも 心に心がなはざりけり
私の心に私の心が従わないのですよ」
と、送ってきた。式部はそれに答えて、
うらむらむここはたゆなかぎりなく
たのむ君をぞわれもうたがふ
人の言葉を信じる敦道様を式部も疑ってますから」
と送ったら、日が暮れて敦道は式部を訪ねていった。
「なおも人が貴女のことを噂をするから、まさかそんなことはと思いながらもついあんな文を差し上げてしまって、こんな噂を飛ばされるのがお嫌ならば、さあ私の屋敷に移っておいでなさい」
と、嫌であったが式部は敦道が好きで我慢が出来ず帳台で肌を合わせる。腹が立つ気持ちが収まり二人は色々と話を交わして、明け方まで愛を確かめ合って、敦道は帰っていった。
敦道はその後文を送るが式部を訪ねることはなかった。雨風が強い日でもそれまでは式部を心配して訪ねてきたが、それも無くなった。
訪れる人もない淋しい中を風雨が駆け抜けていく、その辛さを敦道は思いやって下さらないと、日暮れに式部は文を送る、
「霜がれはわびしかりけり秋風の
吹くにはをぎのおとづれもしき
淋しいことです、秋風が吹く頃萩の葉ずれの音がしたのに」
と送った敦道からも式部の歌を見て返事の文があった。
「本当に恐ろしい感じがする風の音です、それを聞いている貴女の気持ちをお察ししております、
かれはてて我よりほかに問ふ人も
あらしのかぜをいかゞ聞くらん
こんなふうに離れて貴女のことを気遣っていなければならないのは、悲しいことです。」
私のことを思って下さっているのだと式部は読みとって、敦道の心に惹かれていった。敦道は現在は物忌みのために従兄弟の三位中将藤原兼隆の家に仮住まいをしているが、いつもの車が迎えに来たので、今はただ敦道の仰せの通りに従おうと式部は車に乗り込んだ。
敦道の仮屋敷に参上した式部は敦道との生活に心も体も満足していた。敦道も同じように自分の希望を式部が受け入れてくれたと嬉しくて毎日の二人の会話が楽しくてならない。このように楽しく過ごせるならば式部は敦道のお側にこのままずっとお仕えしても良いか、と思うのだが、物忌みが終わり敦道は自分の殿に帰ってしまい、式部はまた敦道と離れた生活に戻った。
自分の館に久しぶりに帰って彼女は、敦道の仮住まいの生活を顧みると懐かしく思い文をする、
「つれづれとけふかぞふればとし月の
きのふぞものはおもはざりける
敦道は式部をかわいくて、
「私も同じ思いですよ、
おもふことなくて過ぎにしをととひと 昨日とけふになるよしもがな
と思うのだがどうしょうもありませんね。やはり貴女がこちらに来られることを考えてください」
と、つつましく書かれてあるのだが、式部はやはり決心が付かずに、ただうっとりとして外を眺めるばかりである。
色づいた木々の葉も今はなくなり、明るく晴れた空、だんだんと西に沈み行く太陽の日影を心細く眺めていると、式部は敦道に文を書きたくなって、
なぐさむる君もありとはおもへども
猶夕暮れは物ぞかなしき
先日の二人の毎日を偲んでいます」
敦道からは
夕暮は誰もさのみぞおもほゆる
まづ言ふ君ぞ人にまされる
そんなことを思うと貴女が可哀想です、今からそちらに参ります」
敦道が日が暮れると式部の許に訪ねてきた。藤原兼隆の屋敷で二人だけの同棲した折は、他人の家であると言うこともあって式部は衣装を崩すことはなかったが、自分の家では細い紐一本で小袖の前を締めて表を羽織った砕けた姿である。
「お出でなさい、お会いしたかった敦道様」
と、脇息に凭れてにっこりする式部の胸元は開いて乳房が見える。
「式部は楽な姿をしている、私もそうしよう」
「お脱ぎなさいませ、せきお手伝いをして差し上げなさい」
式部は直衣を脱ぐ敦道を見て笑っている。
「帳台へ行きましょう」
二人抱き合うようにして横になると表を掛けて、
「今宵は、何の邪魔も入りません、お話しいたしましょう」
式部は小袖の紐をほどいて敦道に胸を合わせた。
次の日の朝早くに霜が降り一面白に染まった。
庭を見て敦道は
「今のご気分はいかがですか」
式部に声をかける、式部は
「おきながらあかせる霜のあしたこそ
まされるものは世になかりけり
昨夜は一晩中敦道様の愛撫を受けて、私も貴方を深く受け入れて、そんな二人の愛を何回も繰り返してとうとう眠ることなく迎えた朝に、一面の霜の白さ、この光景に勝るものはこの世には御座いません」
とほてる体で宮に歌を贈り、同じ事を言葉で甘えて言う。敦道はいつものように式部を愛する様々な言葉を書き連ね続けて、
我ひとりおもふおもひはかひもなし
おなじ心に君もあらなん
もっと私に恋をして心の中を熱く燃え上がらせてください」
式部は更にお返しをする
君は君われは我ともへだてねば
心ごころにあらむものかは
もう心は一つになっていますのよ」
この日別れてから二三日して式部は風邪をひいて伏せった。
敦道は時々見舞いに訪れた。
式部が少し良くなった頃に、
「気分はどうか」
と、聞かれると式部は、
「少し良くなったようで御座います。少しでも生きていたいと思うのは煩悩の罪で御座いましょうか、そうはいうものの、
たえしころたえねと思ひしたまのをの
君により又おしまるゝかな
人の性でしょうか」
これを聞いて敦道は、
「本当に嬉しいことを言ってくれますね貴女は、
たまのをのたえんものかはちぎりおきし なかに心はむすびこめてき
こんなことを言っている内にも、一年も残り少なくなった。式部は宮の処に参上するのは春頃にしようと思う。
十一月一日頃のこと雪が酷く降った日に敦道から、
神世よりふりはてにける雪なれば
けふはことにもめづらしきかな
見慣れた雪景色ですが、今日は特別に見えます」
式部の返歌は、
はつ雪といづれの冬も見るまゝに
めづらしげなき身のみふりつゝ
たわいもない言葉遊びで日を送っている。
敦道から式部に文、
「暫くご無沙汰しているのでそちらに参ろうと思っていたところ、漢詩を詠む会を催すということで行けそうもありません。」
とのこと、式部は早速返事をする、
いとまなみ君来まさずは我ゆかん
ふみつくるらん道を知らばや
漢詩の作り方を教えていただきます」
式部のそんな気持ちをとても嬉しく敦道は思い、
わがやどにたづねて来ませふみつくる
道をしへんあひも見るべく
逢いたい」
何時もよりも霜が多く庭一面の白色がひときわ目立つ朝に敦道は式部に、
「さ、この風景をどうご覧になるかな」
式部は、
さゆる夜のかずかくしぎは我なれや
いくあさ霜をおきて見つらん
古今集(761)に読み人知らずの歌で
暁の鴫の羽がき百羽がき
君が来ぬ夜は我ぞ数かく
とあります。私も歌の通り敦道様が来られるのを待って身悶えして嘆き明かし、今朝のような霜を幾く朝見たことか。どうして貴方をこんなに愛してしまったのでしょう」
式部が文を認めていると雨が激しく降ってきた。それを見て式部は、
雨もふり雪もふるめるこのころを
あさ霜とのみおきゐては見る
貴方をお待ちして夜通し朝霜が降りるのを見ています」
と、返事をした。
敦道はこの夜式部の許を訪ねた。式部を抱き寄せていつもの是と言ったこともない話をする、そうして
「我が家に貴女がお移りになった後に、私がよそに行ったり、法師になったりなどして貴女に逢うことが出来なくなったら、期待はずれで気に入らないことと思われますか」
と、心細く式部に言う。
式部は、敦道様はどうなさったのか、言われるようなことが実際起こるのだろうか、敦道の周りの方が次々と出家されて世間の人が一体どうしたのだ、と噂が騒がしくなったことを思うと、敦道も同じように考えられたのかとつい涙がこぼれて次第に鳴き声を上げて敦道にしがみついた。
外はみぞれ混じりの雨がのんびりと静かに降り続いている。敦道は少しも眠りにならないで、この世だけでなくあの世までと自分の式部に対する愛情を契る。
敦道は情愛深く何事も快くお聞きになる方だから式部は自分の本心を告げようとしたが、法師になられるなら私は尼にでもなって出家しなければ、と決心するが、現世から離れることはそれも悲しいことである、物も言われない状態で、物思いに沈む式部を敦道は、
なほざりのあらましごとに夜もすがら
式部はそれに続けて
おつる涙は雨とこそふれ
敦道は何時もよりも弱々しいことを色々と言うと夜明けと共に自分の屋敷にお帰りになった。
式部は、敦道の処に行ってお仕えしたところでこれといった希望があるわけで無し、退屈をなさっておられるのをお慰めするのが私の決心なのに、出家のお気持ちならば行ったところで仕方がないではないか、どうしようかと迷ったままで敦道に、
うつゝにておもへばいはんかたもなし
こよひのことを夢になさばや
と、思いたいのですが、夢ではないのですね。
端の方に、
しかばかりちぎりし物をさだめなき
さはよのつねにおもひなせやと
自分のみじめさを思い知らされて情け無い思いをしております」
敦道は読んで、
「このことについて私の方から文を差し上げようと思っておりました。
うつゝともおもはざらなんねぬる夜の
夢に見えつるうきことぞそは
それを私の本心と貴女はお取りになったのですか、まあ気の短いお方ですこと。
ほどしらぬいのちばかりぞさだめなき
ちぎりてかはすすみよしの松
『我見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松幾世経ぬらむ』古今集(905)の歌にある住吉の松のようにです」
かわいらしい愛する貴女、将来のことなど二度とおっしゃらないで下さいね。他人に自分の心を打ち明けられないとは淋しいものです」
式部は敦道が慰めてくれるのを有りがたく思うのだが、しかしやはりどっとため息をつく、そしてもう少し早く決心してお側に上がっていたらと思うのである、そうすれば敦道もこんなわびしい気持ちになられることは無かったのでは、と残念におもった。昼近くになって敦道からの文がある、
あな戀し今も見てしが山がつの
かきはに咲けるやまとなでしこ
」
古今集(695)の歌をそのまま書き記してある。
式部は、「今すぐなんて気ちがいじみているわ」と思わず口に出して言い、
戀しくは来ても見よかしちはやぶる
いさむる道ならなくに
と、敦道が古今集なら私は伊勢物語七十一段ちはやぶるから、よと返事をした。敦道はこの式部の返歌を笑ってご覧になった。そして近頃経を習っておられるので、式部に、
あふみちは神のいさめにさはらねど
法のむしろにをればたゝぬぞ
私は今お経を習っていますので仏の道に従っています、そのためにそちらに参れません」
式部
われさらばすゝみてゆかん
君はたゞ法のむしろにひろむばかりぞ
我が家への道をたどることもありますまい」
と式部は返事を書く。
その頃になって雪が降ってきて木の枝に少し取り付いたのをそのまま折って、敦道は文を付けて、
雪ふれば木々のこのはも春ならで
おしなべ梅の花ぞ咲きける
式部は、
梅ははや咲きにけりとてをれば散る
花とぞ雪のふれば見えける
次の日、朝早くに敦道から、
冬の夜の戀しきことにめもあはで
衣かたしきあけぞしにける
独り寝で明けてしまいました」
式部の返事は、
「さてさて、もう、
冬の夜の目さへこほりにとぢられて
あかしがたきを明かしつるかな
開かない目で一夜を明かしてしまいました」
と、送り、例の通りの所在なさに一日を過ごすのは、全く味気ないものである。
敦道のお心がどう動いているのであろうか式部の許に心細いことばかりを言ってこられ、
「こんなことで私は今後この世の中を生きていくことが出来るのであろうか」
と情けない聲で言われる、式部は、
くれ竹の世々のふるごとおもほゆる
昔がたりはわれのみやせん
二人の物語を私だけがこの世に残って後を続けるのですか」
とこたえると、敦道は、
くれ竹のうきふししげき世の中に
あらじとぞおもふしばしばかりも
こんな辛い悲しい世の中に少しでも生きていようとは思わない」
などと答えて、敦道は式部を迎えて密かに住める処を見て回り、
「宮仕えの経験がない式部であるから彼女はここに移ったらきまり悪く思うだろう、宮家の者も式部が聞きづらいようなことを言うかも知れない、私が行って彼女を連れてこよう」
と、十二月十八日、月がここうと輝く夜に式部の屋敷に出かけた。
「迎えに参った、同道されよ」
と、式部に言われる。式部は今夜だけのことと思って一人で車に乗り込む、と、敦道は、
「せきも、お連れになりなさい。差し支えなければゆっくりとお話でもいたしましょう。」
式部は、敦道は何時もはこのようなことを言われないが、もしかするとこのまま私をお屋敷に留め置くつもりではなかろうか、と思ってせきを呼んで連れてゆく。
いつもの二人で忍び行くところとは違って、連れの侍女が待機する部屋などが用意されていた。
やはりそうだったんだと思い、敦道の殿に移るのに何もわざとらしく準備を整えて行くこともあるまい、あれ何時来られたのかな、と人が思う方がいい、と考えて翌朝化粧道具の箱などをこっそりせきに取りにやる。
敦道が来るであろうと、式部は自分の通された部屋の格子を上げないでいる。部屋は日が入らず薄暗いので、彼女は気味が悪いと思うがそれ以上にうっとうしく感じる。敦道が来て、
「今から北の部屋に案内いたします、ここは端近で人の往来も多いので落ち着かないでしょうから」
と言われる、式部は
「実は私もそう思っておりましたの」
と答えると敦道は笑って、
「本当のことを言うと、夜、私があちらの部屋にいるおりには注意してくださいよ。覗き見をする悪い者がおりますから。それから私の日常を世話してくれている、宣旨という女房を紹介しましょう、その部屋に出かけられてもよろしいですよ、その部屋には人が近づきませんから。また私の部屋でもいいですよ。」
二日ばかりして敦道は式部を北の対屋に移す、そこは正妻の部屋と定められているところなので、宮家の人々が驚いて正妻の北の方に式部のことを申し上げる。
宮の正妻である北の方は小一条藤原済時(なりとき)の二女である。北の方は家人の訴えを聞いて、
「こんな事が無くとも二人の間は怪しかったのであるが、式部という女は別にこれと言って特別な女でもあるまい、宮は変なことをなさるものよ」
と言われ、敦道は特に式部にご執心があるので、そっと彼女を連れてこられたのであろうと思われるが、それでも敦道の今回の行動は気に入らない、いつもより不愉快な気分になっておられる。
敦道は困ってしまいほとんど北の方の許へは行かれない。宮家の使用人達が色々言うのも聞きづらいし、これらの者達の敦道に対する態度も辛く当たるようで、そんな雰囲気を見て式部もまだ北に移らずにもとの部屋に座ったままである。
敦道の正妻である北の方は
「色々と彼女の面倒を見てあげられたのであろうが、宮はどうして私に相談をされないのだろう。私が宮のなさることをお止めするとでも思っておられるのであろうか。このように、こんなに、人げが無いこと、恥ずかしいこと、笑われることをなさって」
と涙を流して敦道に訴えられる、敦道は、
「私がこのようにあの女を使おうとするには、北の方貴女にも思い当たることがあるはずですよ。
貴女の機嫌が悪いのにあの中将の女房などが同調して、私に憎らしげに接してくるのが私にはたまらない、髪でも梳(す)かそうとあの式部を召し抱えたのであるから、貴女のところでもお使いなさい」
と言われるのを聞いて北の方はますます気分を害されたが、答えずに無言のままであった。
こうした状態で何日か過ぎると、式部も馴れてきて、昼は敦道の側に仕えて髪を整えたり、細々とした用事をさせられる。そのようにして式部を敦道の御前から離しにならない。そうして、正妻である北の方の部屋を訪れることが希になってきた。北の方の嘆き悲しまれることは想像を超えるものであった。
年が変わって、寛弘元年の正月一日、冷泉院の御所での年賀の式に。朝臣たちが大勢参賀された。その中に混じって敦道親王も参賀され、人々がその姿を見て、若く美しい宮を抜きんでて立派な方と思うのである。そんな姿を見て式部は恥ずかしい。身分高い方々の北の方が端の方でこの年賀の式を見ているのであるが、参賀をする男達を見ないで、
「あの式部なる女を見よう」
と、縁の端近の障子に穴をあちこちと開けて騒ぐのがおかしなことであった。
暮れて式も終わり敦道は中にお入りになる。それをお見送りなさる男の方々がお並びになってめいめい楽器を持ち楽を奏でる。大変に楽しい壮大な行事であったが、式部はそのとき退屈をして過ぎた日々の自分の屋敷での生活を思い浮かべていた。
このように敦道に仕えているが、北の方に働く身分の低い者の中に色々と言う者があるのを敦道の耳に入る。北の方が何もこんなに式部のことをとやかく言うこともない、あまりにも酷いこと、と北の方のお部屋に行かれることが次第に減ってきた。
正妻の北の方との間が疎遠になるにつけても、式部は北の方に対してきまりが悪いので、どうしたものかと思案にくれる。ただもう敦道がなさるように従って行くことにした。
北の方の姉は、敦道の兄居貞東宮の女御としてお仕えしている。丁度里帰りをしていて妹の宮の北の方に文を送られた。
「さて、近頃噂になっている宮と式部のことは事実ですか。私もまともな人間らしくないと思っております。夜にも私の許にお出でなさい。」
北の方は、たいしたことでもないのに人はよけいな噂をするものだ、姉上はどんなに心配されていることだろう、と、
「お文拝見いたしました、いつも思うようにはいかない夫婦の仲ですが、最近見苦しいところをお見せするようなことが有りました。お言葉に甘えて少しの間でもお目にかかりたいし、お子達にもお逢いしとう御座います、そうすれば少しは心も安まることと思います。迎えをお願いいたします。私もこんな嫌な話をこれ以上ここで耳にしたくないと思いますので。」
と返事され、持っていく必要な物を準備された。部屋や外回りも汚れたところを掃除をさせ、北の方は、
「暫く姉の許に滞在いたします。私が不在になれば、宮もこの私の許へお出でにならないことを気にすることもありますまい。」
と言われるとお付きの女房や侍女たちが口々に、
「大変情けないことであります。世間の人が宮を軽蔑しております」
「あの女がここへ来られる時、宮がわざわざお迎えに行かれたとか」
「本当に見られたものではありませんわ」
「あの狭いお局に女が居る、そこへ宮は日中何回も通われるそうですよ」
「こうなったらば宮を充分懲らしめてあげてくださいませ、今までも宮のお越しが少のうございましたから」
などと憎らしい宮に色々と言葉を浴びせて、聞いている北の方の心はますます辛いものとなった。
ええままよ、こうなれば暫く宮の顔を見ないですまそう。そうすればあの式部なる女と宮が親しくする姿を近くで見ることもないであろう。
迎えに来てください、と姉君に頼んであったので、北の方の兄妹達が、
「姉君からのお言いつけでお迎えに参上いたしました」
と敦道に挨拶されるので、敦道は、北の方が兄者の女御姉のところに赴くのだなと思いになった。
北の方の乳母が、北の方付きの侍女たちに命じてめいめいの部屋の片づけをさせるので、これを見た宣旨の女房が敦道に、
「こうこうして、北の方が姉君の女御殿のところに参られる様子です、東宮がお聞きになられることでもありましょう、北の方をお止めなさいませ。」
と敦道に喧しく訴える、式部は聞こえてはいるが、どうこうと言うことでもないのでただ黙って聞いているだけである。ごたごたとややこしいことであれば、暫く里の館に戻っておろうかと思うのだが、それも面倒なことである、で、そのままお仕えしているのであるが、それにつけても、色々と災いごとが絶えぬ我が身よ、と思うのである。
敦道が北の方の部屋に入ると、北の方は何事もない様子で居られる。
「お姉君の女御殿のところへ移られると聞いたが本当であるのか。どうして車の用意をさせないのだね」
北の方は、
「それは、姉君から車を差し向けると連絡がありましたから」
と言ったまま口をきこうともしない。
やがて、兄弟達と豪華な東宮用の車が迎えに来た。北方は振り向きもしないで出て行った。
「敦道様、北のお方は、東宮女御の姉上の所に行かれましたの?」
「そうであろう、これ見よがしに東宮の車を寄越しよって」
「でも、今宵からは二人だけです・・・・・・・・」
和泉式部ー和泉式部日記ー