WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(5)
五 不毛の地と新大陸
右目は大都会を過ぎ去り、北上した。到着した場所には、鉄条網が張り巡らされていた。立ち入り禁止の場所だった。人が立ち入ることができなくても、眼球ならば転がり入ることが出来る。右目は立ち入り禁止先に行こうと決心した。この国の中に、人によって封鎖された場所があるのならば、是非とも、この目で確かめたかったからだ。
「いくぞ」
右目は自分にはっぱをかけるつもりで声を出した。突き進んで行くと、街が見えてきた。街には、電気店やスーパー、ガソリンスタンド、役場があり、住宅もあった。何一つ、他の街と同じだった。違っていたのが、人が誰一人としていないことだ。気配もなかった。車も走っていなかった。ゴーストタウン。それにしては、住居は新しかった。人が住まなくなって、まだ、そんなに時間が経過していないようだ。
右目は高台に登った。街をよく知るためには、高い場所から眺めるのが一番だからだ。丘の上から、海を見た。海岸沿いに、工場が見えた。いや、工場と言うよりも廃墟だった。
屋根が吹き飛ばされ、外壁も朽ち果てていた。その真ん中に、巨大な機械があった。街には人が住んでいないにも関わらず、その廃墟では人が動いていた。だが、普通の服装ではない。作業員全員が防護服を着用している。
右目は高台から防護服の人たちの作業をずっと眺めていた。ただし、それ以上近づくことはやめた。その作業が何を意味するのかはわからなかったが、作業する人々の安全と健康を心から願った。
左目の希望は適った。だが、新大陸に到着することが目的ではなかった。次に進んでいくことが目的だった。しかし、行き先の宛てはなかった。それなら、ただ、転がり続けよう。転がり続ければどうにかなるはずだ。
海岸に上陸し、岩山を抜け、砂漠や草原を越え、大きな湖を泳ぎ渡った。そして、左目がこれまで見たことがない摩天楼の群れが現れた。人間が住む巨大な基地だった。
一旦、この街に入り込んだら、二度とは出られないような気がした。街が複雑なためか、それとも街の魅力のせいなのか。それは、街に入ってみないとわからない。左目は勇気を振り絞って、摩天楼の中に飛び込んだ。
キー。急ブレーキの音。左目はあやうく車に跳ねられそうになった。その時「こっちよ」の声とともに、左目の肩口(?)が掴まれ、狭い路地に引っ張り込まれた。
「ここなら、安心よ。機械の馬が雄叫びを上げてまでは、追い掛けてこないわ」
声の先には、同じ眼球がいた。青く澄んだ瞳の持ち主だった。
「でも、危ないじゃないの。自殺でもするつもりなの?」
「いえ、そんなことはありません。とにかく、ありがとうございます」
左目は自分と同じような生き物、すなわち、眼球だけが意思を持っていることに驚いた。これまで、長い旅をしてきたけれど、自分と同じような眼球だけの生物には出会わなかったからだ。
でも、おかげで自分だけが特別な存在ではないと安心した。仲間がいることに素直に喜んだ。青い瞳の持ち主は、しゃべり方から判断すると女性のようだ。
「君はもともとここに住んでいるの?」
「そうよ。あなたは」
「僕はここから西の方向の、遥か彼方の島からやってきたんだ」
左目はもう一人の眼球に対して、自分が体験や冒険してきたことを舌が転がるぐらいにしゃべった。その間、青い瞳の彼女は黙って聞いてくれた。
「長旅で、今は疲れたでしょう。私たちの家にいらっしゃい」
「私たち?」
「そう、私たち」
彼女に連れられて、左目は細い路地から階段を上って行った。この街に来るまでも、高い山を越えてきたが、階段を上るのは苦手だった。ほぼ直角の角を登るのは、球体にとっては難しいからだ。
体液を付着させながら、なんとか一つ目の階段を上った。だが、見上げてもそこからは頂上が見えない。せめて、もう少し、傾斜が緩ければいのにと思う。それでも、彼女は何の苦もなく、この階段を上っている。負けられない。左目は彼女の後に続く。
「どこまで登るんですか?」
何十回目かの休憩の後、左目は彼女に尋ねた。
「もう少しよ」
彼女は青い瞳を一回閉じ、ウインクしてくれた。励ましてくれている。左目はこのまま登ろうと意思を強くした。
しばらく、直壁の登攀が続いたあと、かすかだが、青い空と白い雲の切れ端が見え出した。あんぱんやソフトクリーム、おまんじゅうにバナナなど、雲が形を変えていく。左目はお腹が空いていた。
「着いたわ」
彼女が振り返った。そこは、この建物の屋上だった。彼らは非常階段を登りつめ、頂上に到達したのだった。
屋上のテラスからは、街全体が見渡すことができた。この街は、南に海が広がり、北には山並があり、一本の大きな川が流れていた。川が運んできた砂や土で、広がった土地だ。そこに、人々が住み、家やビルなどが建てられていった。学校の先生が、社会の授業の時、よその土地に行ったときには、必ず、その土地の一番高い所に登って、その街全体を見渡しなさいと言ったことを思い出した。
島に住んでいた左目にとって、島の展望台が一番高い場所だった。そこからの景色は、周りを見渡せば、三百六十度、海で、島があちこちに浮かんでいた。北側には、何万トン級のタンカーが毎日のように通航していた。いつか、自分もあの船に乗って、世界中を巡りたいと願っていたが、今、こうして、他の街、しかも、世界の中心である摩天楼都市にいる。
左目が驚いたのは、この街の景色だけでない。この建物のテラスには、自分と彼女以外に、何十、何百もの、目玉たちがいたからだ。この目玉たちは、北アメリカや南アメリカ、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアなど、世界中の国からやって来ていた。また、若い目玉から年老いた目玉まで様々な年齢層だ。
学校の授業で世界地図を見たことがあったが、他の目玉たちは、授業で教えられた国からやってきていた。知識が血肉に変わる。
左目は屋上にいた全員と話をしたわけではない。目と目で挨拶をしただけの者もいた。だけど、日本からやって来た左目にとっては、地図上ではなく、現実として、世界が広いことを実感した。
そして、この場所に世界中から目玉たちが集まっていることは、世界が広くかつ狭いことを意味していた。
「彼ら、彼女たちは何をしているのですか?」
最初に出会って、この屋上まで導いてくれた青い瞳の、そう、この瞳の青さは自分が住んでいた瀬戸内海の青さに似ている、彼女に尋ねた。
「そうね、一日中、座って、瞑想している目玉たちもいるし、街をただじっと眺め続けている目玉たちもいるわ。また、ここから、地面に降りて、街の中を転がって、今日起きた出来事を仲間に知らせ、これから世界がどう転がり続けるのを予想、予測する目玉たちもいるわ。その話を聞いて、自分に何ができるんだろうと、できることから実行していく目玉たちいるわ。どちらにせよ、みんな、誰からの押しつけでもなく、自分の意志で動いているわ。それだけは、確実に言えるわね」
彼女の青い瞳の中に、赤い炎の意志が灯っているのが見えた。
「わかりました」
それから、左目は、何日間も、この屋上に滞在し、ある時は、瞑想し、ある時は、二十四時間、不眠不休で街を眺め、ある時は、あらゆる方向に進む人ごみや道路に溢れかえる車の渋滞の中を転がった。街の喧騒とエネルギーとを体全体で感じ、吸収した。一通り、この街で生活した左目は、青い瞳の彼女に別れを告げた。
「そう、行ってしまうの」
「ええ。これまで、親切にしてくれてありがとう。僕には、まだ、行かなくてはならない場所があるんです」
「そう。それなら仕方がないわ。さようなら。元気でね」
「さようなら」
お互いの瞼が何回となく閉じられ、その度ごとに、水のカーテンが下ろされた。
少年は、両目がないにもかかわらず、山上から海岸に降りようとした。右目や左目の行動は十分知っていた。彼らが見る出来事や人、物は、彼の頭の中に、テレビの画面のように映像が流れた。この島にいながら、世界中を旅している気分になった。だけど、それだけでは満足できなかった。じっとしていられなかった。
右目や左目が動くたびに、右手が、左手が、右足が、左足が動いた。少年は、知らない間に、海岸まで降りて来ていた。もちろん、いくら住みなれた島だからとしても、見えないまま、この砂浜まで、無事にたどり着けたわけではなかった。
何回か、道に空いた穴に足を入れ転んだり、石につまずいたり、電信柱やゴミ置き場、家の軒先などにぶつかりながら、やっとの思いで砂浜に辿り着くことができた。その結果、掌や膝には、引っ掻き傷、頭にはたんこぶなどが刻まれた。それでも、こうして自分の力で、砂浜に来られたことが少年には嬉しかった。
名誉の勲章だ。少年は、そう呟き、体中の勲章を一つ一つ確認した。潮彩の音を聴きながら、遥かか彼方の両目たちに思いを馳せた。心は身近に感じながら。
WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(5)