六月 彼女が着るはずだったドレス
このドレスは人気が高くてすぐに契約が決まっていたのですが、先日キャンセルが出たばかりなのでラッキーですよ、そう言ってウエディングプランナーは満面の笑みを浮かべている。
黄色を基調にしたそのドレスにはチェック柄の大きなリボンが胸元に施されており、少し子供っぽいかな…と奈菜は思ったが、ウエディングドレスはシンプルなAラインのデザインを選んでいるのでお色直しのカラードレスはこれ位目立つプリンセスラインにしても良いかな…と先程試着したブルーの単色のドレスとどちらにしようかと正直悩んでいた。
黄色は今年の流行色ですし、胸元のリボンがとても可愛らしいくてお美しい新婦様には良くお似合いですよ、そう言ってドレススタイリストも満面の笑みを浮かべている。
「その黄色のドレス良く似合ってるよ」
悩んでいる奈菜の背中を押したのは健人のその言葉だった。結婚が決まってから今まで、ありとあらゆる結婚式に関わる事、料理や引き出物やBGM等の一切合切をお前に任せるから、の一言で結婚式の準備の為に何回も行われた打ち合わせの最中も、スマホゲームに夢中で全て奈菜に決めさせていた健人のその言葉が奈菜には嬉しかった。お色直しのカラードレスはこの黄色のドレスにします、そう言って奈菜も満面の笑みを浮かべた。
ドレスショップからの帰り道の車中も奈菜は上機嫌だった。
「あのドレス似合ってた?健人が似合ってるって言ってくれたからあのドレスに決めたの」
健人は何も答えずに赤信号で停車している車のハンドルを苛立たしそうにコツコツと人差し指で叩く。奈菜はもう一度健人に問う。
「ね、似合ってた?」
突然健人は笑い始めた。信号が青に変わった。
「…何で笑うの?」
「別に…時間がかかりそうで面倒臭いから似合ってるって言っただけなのに、本気にしてるからさ。俺が決めたんじゃないから。決めたのはお前だからな、後で文句言うなよ」
その健人の言葉を聞いて、最初からそうだった、と奈菜は思った。付き合うきっかけも奈菜からだった。ね、私達付き合おうか?結婚を決めたのも奈菜からだった。ね、私達そろそろ結婚しようか?奈菜からの申し出に健人は応じていたけれど、この人は本当に私を愛してくれているのだろうか?自分で決めて私を選んでくれているのだろうか?
「それってどういう意味?責任逃れ?」
「そうだよ。俺のせいにされたら嫌だからな」
「…全部?全部そうなの?全部私が自分で決めた事なの?健人と付き合う事も、健人と結婚する事も?」
「だってそうだろ、俺が決めた訳じゃない。お前は美人だし断る理由が無いからな」
涼しい顔でそう言って健人は次の交差点で赤信号に引っかからない様にアクセルを踏み込んだ。
もし今結婚式をキャンセルしよう、と言っても健人は奈菜が決めたんだからそれで良いんじゃないか、と反対しないのだろうと奈菜は確信した。健人は奈菜に興味も無いし愛してもいない。容姿の美しい奈菜だったらまあ良いか、という許容、或いはただ単に断るのが面倒臭いからという理由で奈菜の数々の提案に応じていただけだったのだ。結婚式にも興味は無いし、奈菜が着るドレスにも何の興味も持っていない。健人が興味があるのはスマホゲームくらいか…と考えると奈菜は虚しくなった。
あんなドレス試着するんじゃなかった。最初に選んだブルーのドレスに決めておけば良かったと奈菜は悔やんだ。そうすれば健人の本心に薄々は気付いてはいたけれど、気付かない振りをしたまま結婚をする事は出来ていたはずだ。大体キャンセルされたドレスって何?キャンセルされるって事は結婚が破談になったという事ではないのか?
結婚を破断にするー
あのドレスをキャンセルした女性と同じ様に、自分も結婚を破断にした方が良いのだろうか?結婚してから離婚するよりは今、何もかも無かった事にした方が良いのかもしれない。自分に興味の無い健人と幸せな結婚生活を送れる自信が奈菜には無かった。けれど、結婚したら変わってくれるかもしれない。結婚して、子供が出来たら…
数日後ドレスのサイズ直しが完成したのでフィッティングをいつになさいますかとウエディングプランナーから連絡が入った。
結婚式のキャンセルに心が揺れている奈菜は思い切って聞いてみた。
「あの…キャンセルって可能でしょうか?ドレスも結婚式も…そのドレスのキャンセルも結婚の破談があったからなんですよね?」
「もちろんキャンセルは可能です。ドレスも結婚式も」
ウェディングプランナーははっきりとした声でそう答え、そして続けた。
「ただ誤解されている様ですが、あのドレスは新婦様の妊娠が分かりましてもう少しゆったりしたシルエットのドレスに変更したいという理由でキャンセルになったんです。キャンセルされるのはご自由です。ただ…キャンセルされて後悔する可能性だってあります。それでも…キャンセルなさいますか?」
六月 彼女が着るはずだったドレス