血の糸 四
四
「あの…すみません。ここ、どこでしょう?」
野次馬たちが退去として押し寄せるマンションの駐車場。
隼人が手に持っているのは一冊のメモ帳。
そこには何やら地図が描かれており、彼の探す目的地が示されているようだが、最近引っ越してきたばかりの不慣れな土地であるため、それがなかなか捗らない。
一般人に、殺人現場、を訪ねる隼人の姿は、どう見ても刑事というよりも観光客のよう。
「…あ、あそこなんですね。わかりました、ありがとう。お手数をおかけしてすみません」
場所を突き止めると、踵を返しそこに向かった。
迫り来る夜の闇が現場を黒く染めている。
しかしここには今が午後の六時とは思えないほどの白熱した活気が立ち昇っている。
他人の不幸を面白がるのは人間の常であるが、これはいささか度が過ぎているように思えなくもない。
荒れ狂う波を掻き分け、ようやくたどり着いた場所にいたのはすでに捜査に没頭していた、勝紀、茜の二人。
近づいていき、そっと声をかける。
「…忙しそうだね」
「遅いですよ。わたしたち、もう三十分前にはここを訪れてたんですから」
「他の事件の捜査資料を読んでて、ちょっと手間取っちゃって」
すると隣にいる勝紀が、白髪を生やした頭部を、隼人の方に傾けると、威圧するかのような眼差しを光らせる。
「どうした新人? …遅刻か」
二人に追いつめられ劣勢を感じた隼人は、彼らを無視し事件の主役である死体の元に近づいていく。
今から一週間前にも見た無残な死体、あれもなかなか強烈ではあったが、今回の死体もさらに醜い。
頭部からは地面に向かって黒髪が垂れており、この物体が辛うじて女性だと判別できる。
天井から伸びた無数の糸が、首元に絡みつき彼女を宙に浮かせている。
口に咥えているのは刃物だろうか。
そこから噴出す鮮血が、首元に滲んでいる血と混ざり合い、床に赤い溜池を形成している。
すると背後から茜が近づき、事件の詳細を語りはじめる。
「通報があったのは今から二時間前です。ここを訪れた友人が、なかなか出てこないのを不審に思い、玄関の扉を開け、するとそこには死体があった」
「…大掛かりだね、これ一人でやったのかな?」
「これだけのことを一人でこなすには、そうとう手間がかかると思います。糸を用意し天井に括りつけるのもそうだし
体を宙に吊るすのもそう」
「…複数人の可能性もあるってことだね」
すると白髪の勝紀が奥から現れ、こう言葉を投げかける。
「それはないな」
「どうして?」
「足跡がない」
「足跡?」
「ほら、見ろ、ここにあるもの、それにここ…あそこ、全部同じ足跡だ」
言われたとおり、血の足跡は全部同一のもの。
すると奥からさらにもう一人、捜査員と思わしき人物が顔を出す。
鑑識課の光輝だ。
「いやあ…あれ? 隼人くん、やっと来たね」
「光輝さん。めずらしいですね。あなたが署から出てくるのは」
「いつも引きこもってちゃあ、脳によくないからね。たまには刺激も必要ってことで」
すると光輝の方を睨みつけながら勝紀がこう苦言を呈する。
「アイツ珍しい死体があるっていうんでここに来たんだ。通報を受けて被害者の状況を説明すると、目を光らせて僕も
着いていっていいですか? …って」
「こんな珍しい死体なかなか見れる機会はないと思ったからね。やっぱり死体を見るなら生に限る」
この言葉に不快な表情を曝け出したのは茜、が当然先輩に逆らえるわけもなく、すごすごと捜査を再開させた。
両腕を組み、なにやら頷きながら、眼前に死体を見据え、そしてこうつぶやく。
「…これ、アイツ、の仕業じゃないね」
…アイツ、隼人は、光輝の言ったこの単語に少し引っかかりを見せたが構わず、彼女と同様、何か証拠がないかを捜査する。
血の臭いもさることながら、現場は前回同様、電気が灯っていない。
隼人が勝紀にこう質問する。
「明かり、ないんですか…暗いなあ」
「ブレーカーが壊されてる」
「どうして犯人は暗い中、犯行を行うんですかね」
「そりゃあ、犯行を周りに悟られないようにするためだろ」
「たいへんじゃないですか、こんな状況、沢山の糸を結ぶのは」
「それとも暗闇が好きなんだろう」
「前回と同じ犯人だと思いますか?」
「当たり前だ。こんな奇抜な犯行、何人にもやられたら困るだろ」
すると被害者の体を興味深そうに眺めていた光輝が、また何やら意味深げな言葉を洩らす。
「…これは凄いね。彼が見てもきっと驚くだろうな」
彼…アイツ…さっきから彼が何を言っているのかよく分からない隼人。
「なんですか? …さっきから、彼、とか、アイツ、って」
こう問いかけるが、光輝はニンマリとした笑顔を続けたまま、再度当然のごとく、捜査に向き直ってしまう。
それから数十分手がかりがないか徹底的に調べたが、犯人は実に用意周到なのかさっき見つけた足跡以外、何も残していない。
諦めかけたその時、光輝がまた小声を発する。
「お…これは」
そこに駆けつける、三人。
彼が手に持った物は暗闇ではハッキリと判別できないほどに小さかった。
問う隼人。
「何ですかそれ?」
「髪、だな」
「髪…犯人のものですか?」
隼人がよくよく彼の拳に顔を近づけてみると、確かにそこには一本の長い髪の毛が乗っている。
「被害者の髪の毛じゃないんでしょうか?」
「…きっと被害者のものじゃないね」
「しかし、犯人のものだとすれば…やったのは女性ってことになります」
「女性がやったとすれば何か不服かい?」
「…いえ」
「こんな犯行、女性一人ではやれない。そう思っているんだろう?」
「…はい、まあ」
すると光輝はさっきとはまるで別人のような険しい顔つきになりこう言う。
「…本当に怖いのは、男よりも女なのかもしれないよ」
彼の口にした言葉の意図することが、隼人には分からなかった。
が、当然のごとく、さらに三人は捜査を再開させた。
血の糸 四