だからまたいつか
遠くの空が燃えるような赤色に染まっていた。
いや、実際燃えているのだろう。戦火はいずれ、この町にも訪れる。
近い将来、この町もあの空と同じ色に染まるのだ。
「聞いてるかい、プルテ?」
「……え?」
眉をひそめたまま、プルテは振り返った。ブロンドの髪が力なくふわりと揺れる。
その視界の先、隣でソファに背を預けた軍服姿の青年が「あぁ、やっぱり」と、いつもの精悍な顔つきを崩して苦笑していた。
「プルテ。ぼくのかわいい隣人。きみはよくそんな顔をして物思いにふけっているけれど、ぼくの率直な感想を言わせてもらえば、それは早くやめたほうがいい。美人が台無しだ」
そう言ってプルテの髪を梳くようになでる。少女は気持ちよさそうに目を細め、それからもう一度、窓の外を見た。
空は轟々と燃え、いまにもこの町を覆ってしまいそうだった。
「ねぇ、レモ。この戦争はいつ終わるのかしら」
北と南の争いは半年以上に及んでいる。戦争は沈静化するどころか、日々過激化の一途をたどっているように思える。
「分からないよ」
青年――レモは言う。
「明日終わるかもしれないし、何年も続くのかもしれない。ぼくたちが勝つか、南が勝つか。決着がつかなければ終わらないかもしれないし、ひょっとしたら和解できるのかもしれない」
「和解なんてもう無理よ」
プルテが眉を下げると、レモは「そうかもね」と小首を傾げてみせた。
「でもね、プルテ。きみはよく覚えておくべきだよ。人を信じられなくなったら、あとは永遠の孤独しかないことをね。それはひどく悲しくて、辛いことだよ」
「でもあなたは、これからたくさんの命を奪うのでしょう?」
レモの土色の軍服を見つめながら、そうこぼす。
ソファの脇に立て掛けられた細身の剣。彼はそれを携え、戦場に赴くのだ。あの赤色の中に飛び込んでいくのだ。
しかし優しい彼は、敵を殺せないだろう。それでも敵は彼を襲い、命を狙う。そのとき彼はどうするのだろう。そのまま殺されてしまうのだろうか。それとも殺すのだろうか。
どちらになっても、プルテは悲しかった。
だが、それは仕方のないことだ。これは戦争なのだ。
「ぼくはね、プルテ」
こんなに悲しいのに、きっと彼も悲しいはずなのに、レモは微笑んでいた。
「ぼくはね、たぶん敵の命を奪うよ。恐ろしいほど、この身体が罪の重さに潰れてしまいそうなほど、たくさんの命を奪うのだと思う」
ブロンドの髪の少女は、軍服の青年をじっと見つめている。
「国のために、きみのために、そしてぼくがきみの隣に帰ってくるために、ぼくはこれから戦いの中に身を投じる。でもね、もしもこの町に火の手がまわるようなら、あぁ、きみは迷わず逃げてくれ。きみの家族をつれて、どこか遠くに逃げるんだよ」
「それはできないわ。家族を逃がして、わたしはここで、あなたの帰りを待ち続ける」
この町が赤く染まるとき――それは第一線の敗北、つまりはレモの死を意味しているのだ。
「ねぇ、レモ。心優しいあなた。わたしは、あなたのいない世界を生きるつもりはないわ」
「それはいけないよ。ぼくはけして頷けない。きみは生きなければならないんだ。なぜなら生きることができるのだから」
「そうじゃないのよ」
プルテは頭を短く振った。
「そうじゃないの、レモ。わたしはあなたに、生きて帰ってきてほしいだけなのよ」
レモが死ねば自分も死を選ぶ。だから、自分が生きるために、レモは生きなければならない。
プルテの願いは、言い方を変えれば脅迫ともとれるものだった。
「……きみは手強いね」
レモは肩をすくめてみせた。少女は青年から瞳を外さない。
「分かった、約束しよう。ぼくは生きて帰ってくる」
そう答え、
「だからきみは、危なくなったら逃げるんだ」
少女は驚きの色に染まった目を大きく見開く。
「ぼくは必ず帰ってくると約束した。だからきみが生きていなければ困るんだ。プルテ。ぼくの愛する人。きみは逃げてくれ。いずれ再会するために」
少女の頬を、雫が一筋伝った。
「分かったわ、レモ。わたしは生きる。だからまたいつか、必ずわたしと出会ってね」
「約束するよ。プルテ、そのときはまた、よろしくね」
窓の外で、大きな鐘の音が鳴り響いた。
レモは剣を取り、部屋を出ていった。
その先には、赤い空が広がっていた。
戦争が終わり、何年かが過ぎた。やがて世界はその事実さえ忘れていった。
「おばちゃん。ねぇ、おばちゃん」
東の国のちいさな村。部屋で編み物をしていた女のもとに、元気のよい少年が現れた。
「お客さんだよ。なんかね、変な人なの。片足がなくってさ。おばちゃんのことを捜してるみたいだったから教えてあげたんだけど、急に泣き出しちゃって。大人の人が泣くなんて変だよね」
女はそっと立ち上がって、「変じゃないわよ。誰だって泣くことはあるわ」と少年の頭をなで、
「その方はどちらに?」
「すぐ外で待ってるよ。おいらが案内してあげたんだ」
「そう。ありがとうね」
もう一度少年の頭を優しくなで、ゆっくりと、ドアを開けた。
その向こうには杖をついた、片足の男。涙を浮かべ、微笑んでいる。
「生きていてくれたんだね」
男の言葉に、女は「えぇ」と頷いた。
「随分と遅くなってしまった。寂しい思いをさせてしまったね」
「いいえ、寂しくはなかったわ。信じていたから」
――きみはよく覚えておくべきだよ。人を信じられなくなったら、あとは永遠の孤独しかないことをね。それはひどく悲しくて、辛いことだよ。
いつかの言葉を、男の言葉を思い出す。
「信じていたから、寂しくなんてなかったわ」
そして女は、男をそっと抱きしめた。
「ただいま、プルテ。ぼくの大切なきみ」
「おかえりなさい、レモ。わたしの愛するあなた」
くしゃくしゃの泣き顔を見られないように、互いの温もりを確かめるように、二人はしばらく、強く抱きしめあった。
透きとおるような青色が、空をきらきらしく彩っていた。
だからまたいつか
三題噺「赤」「逃亡」「よろしく」