少年小説 アンパンの丘  第2章

少年小説 アンパンの丘 第2章

少年小説 アンパンの丘    丸山寛之

 第2章
  
 1

 丘の上に五月の風がふいている。

「ああ、これが風薫るってやつだな」と、山本公平は思った。

 薫風あるいは風薫る。

 あさみどりの若葉のうえを渡ってくる、匂うような爽やかな風を表す初夏の季語である。

 今日、午前中の国語の授業で、ダルマは、そんな注釈をしてから公平を指して言った。

「どうだい、アンパン、一句、ものしてみるか」

 こないだ、雨ふりの日の休憩時間に、公平は国語教室の黒板に落書きしているところを、ダルマに見つかった。

 あれ以来、どうも、このでっかい目玉をもつ国語教師は、公平の文学的素養を買いかぶりすぎているきらいがあるようだ。

 人間、あまり過小評価されてばかりいてもひねくれちゃうけど、過大評価のされすぎってのも、これまたけっこうしんどいものだ、と公平は思うのである。

 ところで、その落書きというのは、つぎのようなものである。

 久方のひかりのどけき春の日に

 しず心なくパンを食(は)むらむ

 こんな雨ふりの日には、のどかな春の日がなつかしまれるものである─という高尚な感概を託した一首のつもりだった。

 ダルマはそれを見て、

「アンパンよ、しず心なくの意味は?」と質問した。

「わかりません」

 すると、ダルマはチョークをとって、黒板に「静心」と書きつけた。

「静心は、静かな心、落ち着いた心のこと。したがって静心なくとは、落ち着きなく、あわただしく、といった意味だ。あわただしくパンを食ったんじゃパン食い競走になっちゃう。ちなみに、らむは推量の助動詞で…」

 ダルマの─というより一般に教師という種族のわるいクセの一つは、なにかというとすぐに「ちなみ」たがるところである。

 さて、一句をものするように指名された公平は、

「風薫る…」と初句を口ずさんだ。

「いいぞ!」とダルマさん。

 公平は調子づいて、

「丘にのぼればすみれ草」

 教室のみんなは大笑いしたけれど、いま、現に丘にのぼってきて、公平はわれながら上出来の句ではないかと思うのである。

 なにしろ芭蕉と蕪村という二大俳人の名句をドッキングしたうえに季語が(それも春と夏の)二つもあるデラックス俳句なのだから…。

 もっとも、この丘の上にすみれ草は見当たらない。かわりに、松の根もとにつわぶきが五、六本、かたまって生えている。

 鯛村高校は、鯛部落の背後の小高い山を切り拓いて建てられたが、そのとき削り残された山の一角が、校舎の裏手に残っている。

 つつじ、山椒、やぶでまりなどの低木の茂みを縫う小径を五十㍍ばかりのぼると、やせた松の木がひょろりと立つ、見晴らしのいいてっぺんに出る。

 眼下のすぐそこに鯛の浦の砂浜と海、右手の向こうに塩部落の岬が見える。

 このところ、公平はここへエスケープしてくる快感をすっかり覚えた。

 講堂の窓を開けているせいだろう。

 ピアノの音に床板を踏み鳴らす音がまじって、よく聴こえてくる。フォークダンスが始まったのである。

 この鯛村高校という学校は、松山校長先生をはじめ、先生も生徒も一言に評するならばみんな〈善意の人〉という感じで、ちょっと甘すぎる汁粉みたいなところはあるものの、まあ、いうことないくらい快適な学校なのだが、ただひとつ、

「アヨー、あっましかァ!」と、おぼえたての鯛村方言でなげきたくなるのが、歌とダンスである。

 音楽のない生活は真の生活ではない、というのが、松山先生の師匠でもある、鯛村出身の老教育家の説だそうだが、とにかく、よくまあ歌ってばかりいる学校で、生徒が二人以上集まったら、なにをおいてもまず一曲やらないことには何ごともはじまらない。

 たとえば、朝である。

 始業のベルが鳴って、生徒たちが三々五々、講堂に入ってくる。

 先にきた者が自分の好きな歌をうたいだすと、あとから入ってきた生徒たちがつぎつぎと声を合わせる。

 ひとつの歌がおわると、だれかが別の歌をうたいはじめ、ただちに全員がそれに唱和する。

 そうやって五、六曲歌ったあとで、はじめて「おはようございます!」と朝礼がはじまるのである。

 好きな歌といっても、「おらは死んじまっただ」とか「愛しちゃったのよ」とか「親の血を引く兄弟よりも」なんてのは、ダメである。

『愛吟集』という、あの老教育家が主宰する学園の出版部発行の歌集があって、それは鯛村高校生にとっての、サムライにおける刀のごとき、保安官におけるピストルのごとき、おしゃれ女性におけるコンパクトのごときものであるが、その『愛吟集』のなかの歌を合唱するのである。

「君が代」にはじまり、ベートーベンの「第九」の合唱でおわる『愛吟集』には、三百五十曲もの歌が、「集いのうた」「朝のうた」「憩いのうた」「夕べのうた」「春のうた」「夏のうた」「秋のうた」「冬のうた」「日本のうた」「外国のうた」「なつかしのうた」「別離のうた」……といったふうに分類収録されてあるので、レパートリーに困ることなんて、ロックフェラーがお小遣いに困ることがないように、ない。

「朝のうた」だけでも、朝だ元気で 希望の朝 輝く朝 夜があけた 起きろ起きろ…など三十曲以上もあり、全部うたっていたら夜になりそうだ。

 あるときなど歌っている最中に、雷が鳴りだしたら、早速、

「鳴るはカミナリ、トコ ドン ドン 光るイナヅマ ピカリ ゴロゴロ…」と「雷の合唱」という歌がはじまった。

 これにはカミナリさまも恐れ入ってヘソをとることも忘れたのではないか。

 生徒はみんな各人の声域によって、ソプラノ、アルト、テノール、バスと四つのパートに分けられている。

 公平は、音楽教師のバッタさんには「アンパンはテノール」といわれたのだが、屋久島出身の少年、テッチーの、

「バスにならんケ、バスがいっばんカンタンやっど」という説得力のあるアドバイスにしたがうことにした。

 なるほど、バスは旋律(メロディ)を受けもつことがほとんどなく、いったいに曲調が平板だからカンタンみたいだが、それが素人の浅見であったことは、公平にもじきにわかった。

 ま、しかし、それはなんとかなるとしても(─というのは、歌のばあいは声は出さず口だけパクパクやってごまかす、これもテッチー伝授の金魚式発声法という秘法があるからだが)、なんともかんとも始末におえないのが、いま一つのフォークダンスなる代物である。

 この厄介千万な踊りの輪のなかにわが身をおく羽目におちいるたびに、公平は泣きたいような気もちで心のなかでこう叫ぶのだ。

「アヨー、あっましかぁ!」

 これは、いやんなっちゃうなあ、うんざりしちゃうなあ、やりきれないなあ、うっとうしいなあ、おっくうだなあ……といった間投句が五目めしみたいに一緒になった、鯛村方言である。

「世の中には二種類の人間がいる。銃をかまえる奴と墓穴を掘る奴だ」という『続・夕陽のガンマン』のクリント・イーストウッドの台詞をまねると、

「世の中には踊りの大好きな人間と大嫌いな人間の二種類がある」。

 公平が後者であるのはいうまでもない。

 そして、また「阿波踊り」のはやし文句は、踊る阿呆に見る阿呆…とはやしたてるけど、公平としては、どちらの阿呆にもなりたくないのである。

 そこでダンスがはじまりそうな気配を感知するや、ただちにドブネズミみたくすばしこい逃走を試みる。

 だが、ドブネズミとちがい、「こら、アンパン、待て!」と声がかかると、待たざるをえないのが、ままならぬところではある。

 それだけに今日のように首尾よく脱走できたときの快感はたとえようもない。

「山林に自由存す」とは、国木田独歩のことばだそうだが、公平はここにエスケープしてくると、「丘の上には自由がある!」と心中快哉を叫ぶのである。 

   2

 丘の上からは鯛村の海と海辺の集落が一望できた。

 海は鯛の浦と呼ばれ、入り江の内側に形のいい小島を二つ、三つ浮かべた景色は、まるで銭湯のペンキ絵のようにキマっていた。

 そして、これまた“ディスカバー・ジャパン”のポスターみたいな、細長い村道の両側に庭木立と低い瓦屋根をならべた、鯛部落の上の青空には鯉のぼりがいくつも泳いでいた。

 その鯉のぼりが、昨日聞いたばかりの中上光子の子どものころのエピソードを、公平に思いださせた。

 女の子しかいない中上家の庭に鯉のぼりを立ててくれとせがんだという話を─。

 昨日は日曜日で、公平は約束どおり中上光子の家を訪ねたのである。

 鯛部落に家がある小原幸夫と一緒に自転車で行った。公平の自転車も小原がどこからか調達してきてくれた。

 中上光子の家は、鯛部落を三方から囲む山々のひとつ、桜岳の向こう側の竹部落にある。

 美しく爽快な日曜日だった。

 空はどこまでも青くはれやかに澄みわたり、空がそうであるならば、地に光あふれ、風がさわやかに吹く─のは物の順序というものであった。

 二人は十時ごろ鯛部落を出発した。

 桜岳の山すそをU字形に迂回して竹部落に向かう道はおおむね緩やかな上り坂だった。


 坂の途中の高みから見下ろすと、段々畑が海辺の集落のそばまでつづいていた。

 黄色い麦畑と、緑色のさつまいもの畑が、だんだら模様を描いていた。

 麦を刈りとったらそのあとにさつまいもを植えていくので、やがて緑一色になるだろうと、小原はいった。

 あるところで、小原はサドルからひょいと腰をあげて、道端の崖の上から垂れていた、グミの実がいっぱいついた小枝を折りとった。

 朱色のピーナッツほどの実は甘酸っぱく、種を吐きだしたあとかすかな渋みが口のなかに残った。

 山かげの深い木立におおわれた集落のなかの中上家に着いたのは、十一時前だった。門口に人待ち顔に立っていた光子が、二人を認めると、右手を高くあげて振った。

 ピンクのTシャツの上にクリーム色のジャンパーをはおって、コットンのスラックスをはいていた。

 髪をうしろで束ねたので、顔立ちがはっきりして、いつもより大人っぽく見えた。

「へぇ! やるじゃない!」と小原幸夫が言った。

 尾方舘の連中は、自分たちを差しおき公平だけが中上家に招ばれたことについて、どうもナットクいかない顔で、村田や日高などは出発まぎわまでギャーギャー騒いでいたが、ツツジの花が咲きあふれる庭へ入っていくと、そのわけはすぐわかった。

「やあ、坊や、よう来た、よう来た」

 縁先に立ってニコニコ笑っている人は、公平が鯛村にやってきた日、バスのなかで会ったヤギひげのおじさんだった。

 それはあるていど予想していたことではあった。

「うちの父が会いたがっている」という光子のことばや、来る道で聞いた小原の話によってである。

 光子の父親の中上長太郎は、「ヤギ校長」と呼ばれて親しまれた、鯛村中学校の元校長先生だったのだという。

「どうだい、坊や、もう慣れたかね?」

「はい」

「お母さんの乳が恋しゅうはなかか?」

 そんなことを言っているところへ、光子の母がまるいおぼんにサイダーの瓶とコップをのせて運んできた。

「若かし(衆)はお茶よりこのほうがよかでしょう」

 やさしい顔だちのひとだった。

 光子は容貌は母親似で、性格は父親から多く受けついでいるようだった。

 小原と公平は庭先に立ったままで冷たい透明な液体をひと息に飲みほした。

 それから縁側にならんで腰かけた。

「わたし、お昼の手伝いをしてくる」と光子が家のなかに引っ込むと、縁側にあぐらをかいたおじさんが、

「坊や、鯛村にはよかよめじょ(嫁女)が多かろうが、言うたとおりやったろうが」と言った。

「えっ、はい…」

 公平がへどもどしてると、小原がニコニコ笑いながら、

「先生は、わが家の娘のことを言うとらるっとな」

「うん、それもある」

 おじさんは平然とうなずいて、

「子どもちゅうもんは、しっかり念を入れてつくればよか子ができるし、いい加減な気もちでつくればいい加減な子がでくっとじゃ」

 それから、

「それには、まず、嫁さんをだいじにせんといかん。おまえはよか女ごじゃ、べっぴんじゃちゅうて、頭をなでてやる、背中をなでてやる、尻もなでてやる、そうすれば、ほんのこと、女ごはそげんなるものじゃよ。おまえたちも嫁をもろうたときはそうせんといかんぞ」

「男はどげんすれば、よか男になりもすか」と小原がたずねた。

「男か」と、おじさんは言葉に力をこめて、

「男は、自分で自分の頭を叩け! 甘えるな! 怠けるな! うぬぼれるな! 欲張るな! そげな気もちが湧いてきよったら、自分の頭をどやしつけろ!」

 そう言って、元ヤギ校長は、ほんとうに自分の頭をひとつ、こぶしで叩いてみせた。

 だがそれは明らかにだいぶ手加減したものであった。

「これは見本、本式のばあいはもっと強く! わかったかね」

「はい」

 それからしばらくたって、光子が、「ごはん」と呼びにきた。二人の若者は、思わずほっとした様子でうれしげな顔を見合わせた。

   3

 とんこつ(骨付きの豚肉のみそ煮)、きびなご(わかさぎに似た小魚)の刺身、たけのこと椎茸の煮物、たけのこ飯─という定番郷土料理の昼ごはんをご馳走になると、若い三人はさっさと表へ飛び出した。

 ぐずぐずしていて、こんどは尻を蹴とばせだの、頭から水をかぶれだの、というお説教に巻き込まれてはかなわない。

「うちのお父さん、男の子を持ったことがないものだから、男の子に説教してみたくてしようがないのよ。姉さんたちのご主人にもあの調子でやるのよ。このごろはみんな敬遠して寄りつかなくなったわ」

 海辺に下りる急傾斜の小道をたどりながら光子は言った。

 竹部落にはほとんど平地らしい平地はない。山がけわしく海へのめり込んでいる、その斜面に段々畑がつくられ、人家が点在している。

 幾度も鋭く折れ曲がり、ところどころ段差の異なる石段が続いたりする、なんとも手荒くつくられた細い急な坂道を下りきると、そこに荒磯と呼んでも差しつかえなさそうな石ころまじりの小さな砂浜があった。

 櫓こぎの小舟が一艘、岸に引き上げられてあり、その辺りを埋めつくした旺盛な野生のつる草が舟の上にも這い上がろうとしていた。

 海はよく凪いでコバルトブルーの水面に光がキラキラ反射していた。

 波打ちぎわにくずれる小さな波は目にしみる白さだった。

 荒磯のはずれに洞窟があった。

 洞窟の内部は畳四、五枚分くらいの広さで、中央に置かれた古びた祠のなかには魚を小脇に抱えて釣竿をかついだ神さまがまつってある。

 中上光子はその前で合掌し、

「えべっさあ、えべっさあ、海の幸をわけやったもんせ、えべっさあ、えべっさあ、………たもんせ」

 明るい歌うような声だった。

「えべっさあ」が恵比寿様のなまったものだということは、公平にもわかった。

 一ヵ月ばかりのあいだに彼は鯛村方言に相当習熟し、自分はかなり語学の才能に恵まれているのではないかと思うことがあった(それにしては英語のほうはさっぱりだけど…)。

 しかし、光子が二度目に口にした「えべっさあ」のあとの呪文を聴きとることはできなかった。

「いま、なんて言ったの?」と聞くと、光子はいたずらっぽく笑い、

「ヒ・ミ・ツ」と、秘密などどこにも持っていそうもない無邪気な顔で答えた。そして、


「この洞窟は、何処(どこ)までつづいているのか、わからないの」と意外なことを言いだした。

「何処(どこ)までって、これだけじゃない」と、洞窟のなかを目でなぞって反問すると、

「ちがうのよ、ほら、こっち!」

 光子は祠の裏側を指した。

 のぞいてみると、なるほど、そこに土管ぐらいの穴がかなり深さを感じさせる暗い口を開いている。

「へぇ! 面白いなあ」

 しかし、いくらなんでも何処までつづいているかわからない、ということはないだろう。

 石を投げ込めば返ってくる反響でだいたいの深さは想像できるだろう。

 公平が手ごろな石を拾いあげると、光子が、

「ダメ! たたりがあるのよ」

「まさか?」

「ほんとよ、投げた人は平気でも、その人の身内にたたるって…」

「身内に!?」

 そう言われて、投げる気がとたんに失せた。遠く離れて暮らすようになって、公平の家族に対する思いにはだいぶ感傷的傾向が強くなっている。

 迷信だとは思っても、身内にたたるといわれると、気もちがひるむ。

 それは迷信を笑う理性とは別の感情である。だれが言ったのか、たいへん効果的な禁制である。

「うんにゃ、石を投げても深さはわからんど」

 小原幸夫が言った。

「こん穴はタテ穴とちごうてヨコに曲がりくねっちょって…」と、小原はそこでニコッとして、

「やっしま(屋久島)まで続いちょっちゅう話やっど」

「また、また!」

「いや、ほんのこっ(ホントのこと)やっど! やっしまにもやっぱいこげな穴があって、そっ(そこ)からネコを入れたらここに出ッ来たちゅう話やっど!」

 話はますますおかしなことになってきた。

 屋久島は、鹿児島市の南、約一七〇㌔のところにある。

 ここからだと二○〇㌔は超えるだろう。

 二〇〇㌔の海底を縦断する暗い小っちゃな穴を歩きつづける一匹のネコ! 奇妙な幻想的光景が公平の頭に浮かび、一瞬、茫然となるようだった。

「屋久島にそんな洞窟があるかどうか、テッチーにきけばわかるだろうね」

「もしかしたら、テッチーはこの穴をもぐってきたとじゃなかか」

 小原は悪気のない笑顔で、テッチーが聞いたら怒りそうなことを言った。 

   4

 この夜、尾方舘の生徒たちの夜の雑談は、もっぱらこのおかしな洞窟の話に集中した。

 それには、日高テッチーの、

「うん、あっど、あっど! 屋久島の一湊ちゅう村の矢筈岬ちゅ岬に洞窟があって、八幡様を祀(まつ)っちょって、その奥のこまんか(小さい)穴が本土に通じちょちゅう話やっど」

 という証言がはなはだ効果的であったことはいうまでもない。

 日高によれば、屋久島こそ真実の竜宮であって、それにはちゃんと科学的根拠もある。

 というのは、沖へ向かった舟が水平線のかなたに消えて見えなくなる現象を、古代人は舟が海底に没し、わだつみの宮─すなわち竜宮へ行ったとかんがえたのだろう。

 なに、じっさいは、洋上はるかな島─屋久島に着いていたのである。

 それがなにより証拠には、と、テッチーはまたまた証拠をもちだした。

 屋久島の安房という村の村はずれに<面影の水跡>なる泉がある。

 これこそ、あの失った釣り針をさがしにきて竜宮に着いた山幸彦が、樹上からその水面に面影を写したところの泉であるぞ!

 また、そこから海沿いの道を西へ五里(二○㌔)行くと、宮之浦という地名の村がある。すなわち、わだつみの宮の意でなくて何であろう! これ、ホントにホントだよ!

「で、その一湊ってとこはどこにあるんだ」

「一湊は、宮之浦からさらに三里(一二㌔)行ったところなんだ。おい(おれ)の家のある永田は、そのまた先に三里行ったところで、屋久島でただ一ヵ所、奥岳が見える村で、青松白砂、屋久島じゅうでいっばん(一番)景色のよかとこやっど」

 テッチーは、ぬかりなく故郷のPRをおこなった。

「だけど、ホントかなあ、ホントに本土とつながってるのかなあ」

 公平が言うと、

「一丁、やってみっか!」

 テッチーが言った。

「何を?」

「竹の浦の洞窟からネコを追い込むのよ」

「そら、おもろいわ! やろやないけ!」

 村田が大阪弁で叫んだ。

「でも、どうやって追い込む? ネコだってそう素直には入っていかないだろう」

「ええ方法があるテ、ネコの尾っぽにネズミ花火くくりつけんのや、それで火ィつけてこましたら、そらもう精神錯乱状態で飛んでいきよるワ、一発や」

「ネコがキャット、キャット、ってか」

 杉が読んでいた本から目をあげて言った。

「ほら、馬の鼻先にニンジンぶら下げるみたいにサ」と、口をはさんだのは川西である。

「ネコの鼻先にマタタビをぶら下げたら、どう? ネコはマタタビがほしいから一歩進むとマタタビも一歩分、先へいく。ネコが進む、マタタビが先へいく、ネコが進む…気がついたら屋久島!」

「ははぁ、股旅ネコだね」

「しかし、ようまあ、アホなこといいよるなあ。あ、もう十一時やないけ」

 村田はそう言うと、寝室へ引っ込んだ。

 さて、公平は今日、登校するなり早速、図書室へ行き、百科事典を調べてみた。

 それによると、世界最長の自然穴はオーストリアのヴェルフェンの氷穴で長さは四〇㌔。日本最長のそれは岩手県岩泉町の「安家洞」で、七七六〇㍍。二〇〇㌔の自然穴なんて、あり得べからざることのようである。

 しかし、それはそれとして、あの竹の浦の洞窟の先がどうなっているのか、調べてみる価値はあるのではないか。

 ネコを入れるかどうかはともかく、ちょっと興味ぶかい刺激的なプロジェクト!ではないか。

 おっ、どうやらダンスが終わったようだ。

 講堂の音楽がやんで、廊下へ出るおおぜいの足音がきこえてくる。

 しかし、今日はなんと幸運な日であることだろう。

 エスケープには成功したし、丘を下りて図書室へ行ってみると、

「あら、アンパン!」

 書棚の前に立った、中上光子がふり向いて、「うちの父がまたおいでって…」

「ありがとう! きみんち、ネコいたっけ?」

「いないけど、どうして?」

「いや、いたら面白いなあと思ってサ」

「どう面白いのよ」

「おれ、ネコ、好きだから」

「あら、アンパン、ネコ好きなの? わたしネコ好きの男のひとって、あまり好きじゃない」

 なんだか、雲行きがあやしくなってきたゾ。挽回! 挽回!

「どんな本、さがしてるの?」

「べつに、なんでもいいの、面白ければ…」

 このとき、公平の目を、書棚の隅っこに立った一冊の本のタイトルが、電光のように討った。

「これなんかどう?」

 光子は、その本を一べつするなりキリリとまなじりをつり上げた。そして、

「アンパン、きらい!」

 そういう冷たい一言をのこして、さっさと図書室を出ていった。

 公平は、ただぼうぜんと立ちつくしている。とうとう怒らしちゃった!

 だけど、女の子ってユーモアがわからないのかなあ、つきあいにくいなあ……、心のなかでぶつぶつつぶやきながら、手にもった本の上に、山本公平はさびしげな視線を落とした。

『畜産シリーズ 上手な山羊の飼い方』という書名のその本の上に……。  (つづく)

少年小説 アンパンの丘  第2章

少年小説 アンパンの丘  第2章

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-05-28

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