血の糸 二
二
「…よって昨日起こった事件は確かな目的の存在しない快楽殺人者による犯行だと思われます」
警察署の会議室。
閉めきったカーテンに囲まれたこの部屋で、黒いスーツに身を包んだ警官たちが、捜査会議にいそしんでいる。
彼らが向ける視線の先には、巨大なスクリーン。
その中には昨日、隼人含む捜査員が発見した死体が漫然とした表情でこちらを見つめている。
スクリーンを通し、血に染まった裸体のあちらこちらから放たれる真っ赤な光線が会議室全体を朱色に染めている。
それにより赤に変色した隼人、それに茜が真剣に捜査本部長の話に耳を傾ける傍ら、真面目な彼らとは異なり、勝紀は、机の上に肘を置き、顔を斜めに傾け、なにやら素っ気無い態度でふて寝をしている。
前方には被害者の全体図がうつし出され、ついには死体に巻きつけられた、糸、が登場する。
捜査本部長が指揮棒でそれをパッパッと叩きながら詳細を説明する。
「この糸は、縫い物に使うようなものとは異なり、釣りに使用する透明なものでして、犯人はまず彼女の胸の中央から下腹部にかけて刃物で切り裂き、倒れた死体をぐるぐる巻きにし、地面に立たせ、まるでモニュメントのように仕立てた。そして糸を部屋中の柱という柱にくくりつけ、しっかりと固定した」
女性の体に切り替わるスクリーン。
あらわになった胸元から下腹部にかけて一文字の赤い傷がしっかりと刻まれている。
次に切り替わった画像には真っ赤な鮮血のこびりついている刃物。
すると隣に座っている勝紀から大きなあくび声が出る。
それを耳にした茜がこう注意を施す。
「ちゃんと見といたほうがいいですよ。今後、捜査の役に立つかもしれないんですから」
それに対し耳穴を指でホジホジと回している。
向かいに佇む凄惨な死体に真剣な眼差しを送っているのは隼人。
彼が納得そうにこう頷く。
「へえ…釣り糸なんだ」
机の上にメモ帳を置き、それに向かって何やら丹念にチェックを入れている。
その光景を目にした茜は、どこか彼の姿が大学の講義を受けている生徒のようだと少しおかしくなっている。
会議が終わると、捜査員がぞくぞくとそこから出て行く中、居残った三人は再度、被害者の写真を見下ろしている。
するとそこへ一人の男性が早足で三人の元に寄ってくる。
艶のいいストレートの髪を横に揺らしながら、彼ら三人の元へ香水の効いた体を寄せつける。
その鑑識課に勤めている光輝が透き通った声色を彼らに対して放つ。
「どう? 死体は?」
こう突然尋ねられても返す言葉のない三人。
その様子を見るやもう一度、仕切りなおす。
「いやあ…凄いでしょコレ。初めて見たよ、こんなもの」
すると不機嫌な顔をあらわにした勝紀がこう口をはさむ。
「何しにきたんだよ?」
「え…なにしにって説明ですよ。僕ら鑑識課がいろいろ分析したんで」
「さっきの会議で本部長から全部聞いた」
「あ、そうなんですか」
光輝がおもむろに写真の一枚を掴むと、眼前にかざし、ニヤニヤとした表情で見つめている。
その様子を目にした茜が彼に対し怪訝な眼差しを向けると、彼女の視線に気づいた光輝がハッと我に返る。
すると頭をかきながらこう弁解をはじめる。
「僕が気になったのは、証拠品がどうだとか犯人の残した形跡とか、そんなんじゃないんです。一番はやっぱり動機かな。なぜこのような犯行に及んだのか、ということ」
それに対し茜。
「怨恨があったとか、それともこんな無残な殺し方をされなければならない理由があったとか」
「あれ? さっき本部長が会議でこの殺しは快楽殺人者のやり口だって言ってませんでしたっけ?」
「はい、聞きました。でも本当にそうでしょうか? 快楽殺人者と言いってもいろいろあります。性欲を曝け出す人間やら、自分の支配欲を満たす人間やら…でも実際この目で見たことは一度もありません。彼らは一種、物語上の存在と言っても過言ではない」
ウンウンと納得するかのように頷いている光輝。
とそこへもう一度、勝紀が口を挟む。
「終わったか? 俺たちは忙しいんだ。今後の計画を練るために…この写真を」
こう言い差した瞬間またもや光輝が別のものを取り、さっきと同じように笑いながらこう言う。
「…僕が推測するにはね。これはね、きっと頭のいい奴がやったことなんだよ」
それに対し勝紀が突っ込みを入れる。
「頭のいい?」
「そう、かなりの優れた頭脳の持ち主」
「だがどう見てもこれは頭のいい奴がやったようには思えんぞ。見ての通りこれはまともな殺し方じゃない。これはある種、気の狂った人間のやることだ」
「頭のいい人間がおかしくなったことによりこういった行為に走ることはよくあります。例えば、今まで勤勉で、欠かさず大学に受講していた生徒が、あまりにもそれに追われ疲れ果てて、ふと我に返ると、夢中になって今までとは異なる行為に及んでいた。例えばこの世とはかけ離れた架空の物語に依存したり幻想に身を置いたり、といった」
すると茜。
「…いますよね、そういう人」
「そう、ストレスが肥大しすぎて脳の回路が狂った人間がこんな残酷な事件を起したんだ」
勝紀は呆れた口調で、なるほど、と言うとポケットに手を入れ、そして煙草の箱を取り出そうとする。
「そうそれ…煙草によって気を紛らわせたい」
「俺は頭のいい人間なんかじゃないぞ」
「だね…綾文とは大違いだ」
その初耳の名を聞いた隼人がこう疑問を問う。
「綾文って誰ですか?」
隼人はまだ新人、この署に転勤になってからまだ何ヶ月とも経っていない。
そんな隼人が古株である、光輝、勝紀の話についていけるわけもないのは当然だった。
それは茜も同様だった。
「光輝さんの同僚ですか?」
その質問に、はぐらかすかような口調で返答する光輝。
「うん、それはまあいいとして、とにかく、これは頭の優れた、そして狂った人間のやる行為なんだ」
「…だな」
すると会議室から古株二人がすごすごと出て行ってしまう。
血の糸 二