アルマジロ
第一章 奇跡
1
やっと〈彼〉を見つけることができた。
「コンナトコロニスワッテイタラ ホカノヒトノジャマデスヨ ソレカラ ココデハタバコハキンシデス」
東武宇都宮駅への長い階段を三分の二ほど上がったところで、頭のてっぺんから出たような甲高い声が聞こえた。抑揚がなく文章をきれぎれに棒読みしているような言い回し、まさしく聞きおぼえがある。動悸が速まり私は階段を上がる足を速めようとした。後ろにいた若い男が「おっ」と声をだすと軽々とした二段飛びで追い抜いていった。
私は日高英治、三十七歳、まあ中肉中背だろう。眼鏡はかけていない。『日本防災テクノロジイ㈱ 宇都宮出張所長』の名刺をもっているが、実態は一人で防災店と称される消防用品販売店の下請けをしている。消火器などの消防機器の納品や消火設備の工事手伝いだの、保守点検作業がおもな仕事である。
四月そうそうの日曜日、南関東に比べると四・五日遅れて「宇都宮地方の桜も満開になった」とテレビが告げていた。桜便りはなんとなく気持ちを落ち着かなくさせるが、その気分を煽るように暖かく晴々とした青空になった。私はいつもの日曜日どおり午ちかくまで布団にもぐりこんでいたが、とうとう尿意をがまんできなくなってしかたなく起きたものの、なにをする気もおこらないまま陽気に誘われてアパートを出、もよりの駅前の小さなラーメン屋で朝昼兼用の半チャンラーメンを食べ、そのまま東武宇都宮行きの電車に乗った。
東武宇都宮駅は東武デパートの三階に接続している。東武鉄道日光線の新栃木から枝分かれしている宇都宮線の終点である。改札口は一つでそこへ通じているのはデパート三階からのほかに、デパート一階の正面横からの階段と、その反対側でビルが立ち並ぶ大通りからの階段の三通りがある。デパート正面にはアーケイド街オリオン通りの入り口アーチが向かい合っていて、栃木県内一番の繁華街はこの東武宇都宮駅周辺に形成されている。
オリオン通りの本屋とCDショップを覗いてみたが格別買いたい物もみつからなかった。風船の空気が抜けたようにしぼんだ気分になった。宇都宮の繁華街はもう一つある。表玄関にあたるJR東北線の宇都宮駅周辺であるが、そっちまで足を延ばそうという気も起こらず帰るところだった。
JR宇都宮駅の西口と東武宇都宮駅との間は、中央分離帯がある片側三車線の大通りで直線的に結ばれているが、距離は千五百メートルほどもあるうえに連絡手段はバスしかない。しかもバスステーションは西口に集中しているのに、大型電器店などは反対側の駅東側にありバスで行くにはさらに不便だ。宇都宮市は県庁所在地であり北関東一の人口を擁する中核都市なのだが、この二つの交通拠点の間の繋がりが薄いことが、街の二極化をもたらしさらなる発展を妨げているといっていいだろう。
駅への階段を上がりきると、デパート入り口の大きいガラスドア前の、三段ある広い大理石の石段の端に、高校生らしい男三人と女が一人が座りこんでこれみよがしに煙草をふかしているのが目についた。男のうち二人は茶髪で一人は頭をつるつるに剃り、そろってだぶだぶの学ランと裾のほつれたズボンをはいている。女は髪を金髪に染め長い睫毛をつけ、真っ赤なマニキュアをした指のあいだに煙草を挟んでいた。極端に短いスカートの下から白いショーツが見えているのも意に介していない。そのまえに立ちはだかるように〈彼〉が立っていた。黒い野球帽と灰色の厚手のジャージの上下にスニーカーという、初めて見た時と変わらない姿だ。遠巻きに人溜まりができはじめた。
声をかけられた高校生たちは座り込んだまま〈彼〉に目もくれず、「ふん」とした表情を浮かべ黙殺して動こうともしない。
「キコエナインデスカ ソコヲドイテクダサイ」
「うるせえ馬鹿はひっこんでろ」
一人の学生が虫でも追い払うように掌をひらひらさせた。
「ソウハイキマセンヨ ソレニアナタタチコウコウセイデショウ タバコハホウリツイハンデス」
「おや、この馬鹿まじで因縁つけるつもりかよ」
高校生たちが立ち上がり一人が〈彼〉の胸ぐらを掴んだ。周りの雰囲気がさっと凍りつき、いたたまれずあわててデパートの中に逃げこもうとする女性もいた。改札口横の詰め所から駅員があたふたと出てきた。と、頭を剃っているひときわがっしりした高校生が胸ぐらを掴んだ仲間の腕をゆっくり押しさげた、
「わかったよ、わかったからじゃあちょっと向こうへ行こうか」
と押し殺したような声音で言い、自分が替わって(彼)の二の腕を掴むと顎で仲間を促し歩きだした。〈彼〉はべつに抵抗もせず腕を引かれながら、「タバコヲヤメナサイ」となお声をあげていた。
静止画像が動きだしたように緊迫した雰囲気が溶け、駅員も詰め所にもどっていったが、コンコースには彼らのその後の成り行きへの不安と、あえて無関心をよそおう人々の気配が入り混じったもやっとした空気が残った。
高校生たちは私があがってきたオリオン通り側と反対の大通り側の階段をおりていく。私はそっと後についていった。気が小さい私はこうゆう場面に遭遇すると心臓が高鳴り、正視できなくなって遠くから眺めているかそうそうに退散するのだが、今度ばかりはそうはいかないわけがあった。成り行きも心配だがなんとしても〈彼〉を見失いたくなかった。
彼らは十字路で大通りを横切りの次の通りの角を左に曲がると、少し行ってまた左に曲がり、建物と建物の間の車一台が通るほどの隙間に入っていった。その先は建築現場用の塀が遮っていたが小さい出入り口があり、そこから覗くと四方をビルに囲まれた百坪ほどもある空き地があって枯れた雑草が一面に覆っていた。表通り沿いの比較的大きいビルの裏手にあたっているようだが、そのビルは空きビルになっているようで裏口が封鎖されている。彼らがためらいもなくここにきたということは、ここが彼らのリンチや恐喝の場所になっているのだろう。次に起こるシーンを想像してまた鼓動が早まってきた私はそっと塀の後ろに隠れた。
「こら、てめえ馬鹿のくせしやがって生意気によくも因縁つけやがったな、ふざけんじゃないぞ」
「やっちゃいな」
女子高生の声に合わせ、まるで役割が決まっているように、デパートの階段で初めに胸ぐらを掴んだ高校生がいきなり〈彼〉を殴りつけた。一瞬〈彼〉の姿が縮んだように見えた。「がつん」という硬いものを打ったような音がして「わっ」と高校生が悲鳴をあげ、手首を押さえてあとずさりした。それをみた頭を剃った高校生が「野郎」と叫びざま拳を突き出した。腰が乗りいかにもボクシングの経験を感じさせる型だったが、物が砕けるような鈍い響きがしてその高校生も大声をあげうずくまった。三人目の高校生は空き地のどこかに隠してあったのか太い棒切れを手にしていた。頭に打ちおろすと「ぼくっ」と音がして棒切れが折れ飛んだ。女子高生が「きゃあ」と叫び声をあげて逃げ出し、三人の学生たちはひきつったような恐怖の表情を浮かべ立ちつくしていたが、我にかえったように何か叫びながら走り去っていった。
2
たしか「ヒラタ ショウ」と名乗った〈彼〉を、私は一カ月前轢いた。
例年三月の声をきくと同時に(総務省)消防庁主催の春の全国火災予防運動が実施され、全国的に似たりよったりの催しが行われる。その日私は中古の四ナンバーのマニュアル車で、白いライトバンの後ろの座席を倒し、消火器や消火薬剤、オイルパンと呼ばれている薄い鉄板で造られた消火実験用の燃焼皿(一m×五〇㎝ほどの大きさで、通常の実験はこれに水を張り、そのうえにガソリンを撒いて点火し消火する)などを満載して、宇都宮に隣接する「おもちゃの町」の総合運動場に向かっていた。町では火災予防運動に呼応した消防訓練大会があり、項目の一つに、婦人会や中学生による消火器の操作訓練を兼ねた消火実験が組み込まれていた。私は町に出入りしている防災店の依頼をうけ、消火実験の器材を届け実験の手助けをすることになっていた。消防署も立ち会うらしいから説明役は女性消防官か誰かがやるのだろうが、消火器のことを熟知していることでは私の方が上だろうから、補佐役をやれというわけである。
この「おもちゃの町」という子供が喜びそうな町の名前は、もともとはM町が昭和四十年代、東京下町にあった玩具工場群を招致し、住宅地も整備してできた新興地区の呼称でしかなかった。その後すぐ東武鉄道の「おもちゃの町」駅も新設されてこの呼称は一躍有名になり、やがてM町は町内にある県立公園「わんぱくランド」に隣接して「おもちゃ博物館」も造った。M町は高僧慈覚大師円仁の出生地であり、江戸時代は鳥居氏三万石の城下町となり、日光街道の裏街道として小山から分岐している(日光)西街道の要衝でもあって、本来は歴史の里を任じていたが、人口も四万人になり町のさらなる発展を意図してまず知名度をあげようと、「県名無しでも郵便が届く町」を謳い文句に町名を変更したものであった。
冬場東京などより数度は寒くそのぶん雪も多い宇都宮地方でも、三月となるとめったに雪は降らないが、ここ数日冷え込み昨日はめずらしくまとまった雪が降った。今朝は雪はやんでいるが建物の陰や道路脇にはけっこう雪が残り、一部では凍りついて、車はあわててスノータイヤに履き替えたり、チェーンを巻いたりして走っていた。だが数年前まで新潟で勤務しさんざん雪道を経験してきた私は、これくらいの雪道でタイヤを履き替えたりチェーンをまいたりする気はぜんぜん起こらなかった。そのかわり発進はスローのシフトでほとんどアクセルを踏まずにゆっくり出、急ハンドルをきらず、ブレーキは早めにシフトダウンしてから、ペダルをこきざみに踏めば対応できると、経験をもとに高を括っていた。
車は「おもちゃの町」の中央部にひろがっている「わんぱくランド」の脇を走っていた。「わんぱくランド」は県立の自然公園で、丘陵地帯の林や池などの地形を活かし広い芝生を配して造られている。わりと長く急なくだり坂にさしかかった、中央部で右に大きく湾曲している。道の南側に竹藪が続き寒さが溜まるせいか、道路の先が光ってアイスバーンになっているらしかった。栃木県南部では冬でも大きなアイスバーンに遭遇するのは珍しい。
右側に野球帽をかぶり灰色のジャージ姿で歩いている人の背中が見えた。ちょっとスピードが出すぎているのを感じ私はシフトダウンしてこきざみにブレーキを踏んだ。余裕があるつもりだったが車は制動がきかず滑りだし、まるで意志があるかのようにその人の背後に向かっていく。私はあわてて激しくクラクションを鳴らし、ハンドルを右に思いきり切った。あえて滑る方向に急ハンドルを切ると車が逆方向に曲がり、立ち直ることも新潟時代の経験だった。だが車はそのまま滑っていき、振り返って驚愕の表情で口を開けた男の腰のあたりに突っ込んだ。衝撃と同時に男の躰が折れるように視界から消えた。「ごとん」と前輪が固体を乗り越え、後輪でひきずる感触があって車は横向きになり止まった。
私は車から転がるようにおりた、とたんに氷に足が滑って転んだ。頭の中がモーターでも唸っているように「うおーん」と鳴り、「やってしまった」という意識だけが声にならない叫びをあげていた。ドアのノブにつかまってやっと立ち上がると、なんと反対側の車の下からのそのそと人が這いだしてきた、
「アアオドロイタ」
甲高い声で立ち上がったのは若い男で、ジャージは泥水で汚れ下腹部から肩口にかけてくっきりタイヤの跡がついている。信じられないものを見たせいか急に動悸が強くなり目眩がした。
「あっすみません。申し訳ありません。大丈夫ですか。車の中で横になっていてください。いま救急車を呼びますから」
「ダイジョウブデス ダイジョウブデス ホラ」
男は脱げた野球帽を拾ってかぶりなおすと、なんでもないことを示すためか両腕を上下左右に拡げてみせた。にこにこ笑っている。
「でもどこか怪我してるはずですから、動かないで」
「ダイジョウブデス キュウキュウシャハキライデス」
男は二十歳前後だろうか、私と同じ一七〇センチくらいの背丈で、スポーツ刈りの頭につづく額は広く輪郭は彫りが深く、青白い皮膚にくっきりした二重瞼の眸が黒々として、はっとするほどきれいな目鼻だちをしていた。
「じゃあ私の車でとにかく病院にいきましょう」
「ダイジョウブデス ビョウインモキライデス」
そのとき私は男の表情と甲高いしゃべりかたから彼が知的障害者らしいことに気づいた。愚鈍な感じは全くないが、白い歯を浮かべている貌が異常なほど爽やかで、まるで春風でも浴びてほほえんでいるように見えるが、かすかに視線が浮遊している。男はそのまますたこら歩きはじめた。私はあわてて立ちふさがった。
「じゃあお家まで送ります。お家は近くですか、貴方なんというお名前ですか」
「ヒラタ ショウ デ-ス」
歌うように名乗った男は私の申し出を頑強に拒み、住所も告げず立ち去ろうとする。私はしかたなく名刺を出し、とりあえずのクリーニング代と言って二千円を添えたが、男は名刺だけ受けとると踊るような足どりで坂をくだっていった。
まだ夢を見ているようだったが、私はほっとすると同時に正直のところ『助かった』と思った。実際救急車や警察を呼んだり病院に行ったりしていたら消火実験に間に合わないところだった。市町村であれ民間であれ大きな消火実験は例外なく出入りの防災業者に準備が委託される。専用の器材が必要だし、実験に使用した消火器を詰め替えたり、場合によっては代替えの消火器を用意する必要があるからである。もし間に合わなかったら出入り業者の信用は丸潰れになるから、至急店に連絡して代わりの手配をしなければならなかったが、大きな消火実験会になると器材の数量からいってもおいそれと二組めが用意できるものではないし、同業者から借りようにも、火災予防運動のさなかであり消火実験会は各所で行われていて難しいだろう。ここはとにかく消火実験をすませ、あらためて青年の家を探し様子見と謝罪をしようと思った。「ヒラタ ショウ」と名乗ったが知的障害者らしいし歩いていたのだから家は近所だろうと判断した。
だがその日はおろか昨日まで何回も「わんぱくランド」付近を尋ねまわったが、私は彼の家を見つけることはできないでいた。私が彼を探しまわったのは障害者らしい彼の家族へ謝罪するためであるのはもちろん、轢き逃げとして事件化したり後遺症の問題など、あとからおこりかねないトラブルを防ぐ当然の意図からであったが、日が経つにつれ私はそうした気持ちとは別に、もしかしたら何か途方もない存在に遭遇したにもかかわらず見失ったのではないかという、取り返しのつかない迂闊さと焦りの感情にさいなまれるようになっていたせいでもであった。
3
その探しあぐねた「ヒラタ ショウ」が目の前にいる。しかもまたもや信じられない光景を見せつけられた。高校生たちが走り去ったあとゆっくり歩きだした彼を見て、私は夢心地のままふらふらと空き地に入っていった。
「ショウさん今日は、日高です」
「アア コンニチハ」
彼はにっこりしたが私を覚えている様子はない。
「覚えてませんか、ほら一カ月前「わんぱくランド」のそばで貴方を車で轢いた日高です、名刺をあげたでしょう」
「アアソウデシタカ ドウモスミマセンデシタ」
「とんでもない、それは私が言うべき言葉ですよ。ちょっとお茶でも飲みましょう」
「イイデス イイデス」
私はしり込みする彼の腕を引っ張って、目についた近くの喫茶店に入った。
「ショウさん何を飲む?」
「ナニヲタノメバイイカワカリマセン」
私は珈琲を彼にはココアを頼んだ。
「ショウさんあの時は本当に申し訳ありませんでした。お詫びにいこうと思ってお宅をずいぶん探したんですが探せなくて。今日お会いできてほんとうによかった。躰はその後なんともありませんか」
「ナントモアリマセン」
「それは安心しました。それにしてもさっきは凄い暴力を受けたのになんともないようですが、どうして平気でいられるんですか」
「ボクハイキヲトメテ カラダヲカタクスルコトガデキマス ソウスルトナグラレテモ ブッツカッテモヘイキデス」
「ほう、すると私の車に当たった時もそうしたんですか」
ショウは大きく頷いた。
「それってとても信じられないほど凄いことだけど、いつでもできるんですか? ちょっと固くしてみせてください」
「イヤデス ヒトニミセルモノデハアリマセン」
「ショウさん、私はね興味本意、ああ面白半分で言ってるんではありませんよ。貴方を轢いて以来、貴方があとから具合が悪くなっていないか気になってね、それでお宅を探し回ったんです。本当に大丈夫だった理由を確かめないと安心できないんですよ」
「ドウモスミマセン ソレデハヒトノイナイトコロデヤリマス」
ショウはなるほどと思ったのかあっけないほど素直にOKした。この素直さも障害者の特性なんだろうか。私たちはまたさっきのビルの裏手の空き地に行くことにした。
「カラダヲカタクスルトシャベレマセン サワッテミテクダサイ」
そう言うとショウは「ふっ」と息を止めた。瞬間躰全体がわずかに縮んだように見えた。眼球が引っ込んで眼が細くなり青白かった貌は生気が消え土気色に変わった。腕は動かなくなり、二の腕や胸に触ると硬い木でできた彫像のような感触がする。
一分ほども経っただろうか、やがてショウは息を吐き出しもとの爽やかな表情に戻った。
「ショウさん本当に驚きました。それにしてもいつごろからこんなことができるようになったの」
「オカアチャンハ ボクガチイサイトキ ネツヲダシテカラダッテイウケド ソレハシリマセン ボクハガッコウニイッタラ 『バカ バカ』ッテイワレテミンナニナグラレタケド ソノウチカラダヲカタクデキルヨウニナッテ ミンナテガイタイッテナグラナイヨウニナリマシタ ヤマシタセンセイハ 『オマエスゴイワザモッテルナ アルマジロミタイダナ』ッテイイマシタ ソレカラボクノアダナハ『アルマジロ』ニナリマシタ」
「山下先生って何年の時の先生?」
「サンネントヨネン」
担任教師ですらこの仰天すべき特性をその程度にしか注目しなかったのも、彼が知的障害者故の軽視だったのか。
「ショウさん、私のアパートまでいっしょにきてよ、車で家まで送りますよ」
ショウはまた拒もうとした、
「あのねショウさん、私はお家の人にお会いしなければならないの。なによりお詫びしなければならないし、交通事故は後遺症といって後で傷害が出る場合があるから、そのためにもお家の人にお会いしておく必要があるの」
私の話にまたとたんに素直になりショウは私についてきた。私の事務所兼アパートは東武宇都宮駅から三つ目の駅で降り十分ほど歩いた住宅地にある。東武宇都宮駅のコンコースに戻ると、何事もなかったようにデパートと二つの階段を人が行き来していた。
「デンシャノナカデハツウワキンシデスヨ」
ショウは電車に乗るやいなや、携帯電話で話をしている人を見つけるとつかつかとそばに行き注意しはじめた。私があっけにとられていると男でも女でも片っ端から声をかける。無視する者がいると何度でも言う。中には怒り声をあげる男もいたが、臆することもなく顔を近づけ繰り返すショウの声と表情に何かを感じるのか、みんなしぶしぶ中止するか席をたっていった。
4
私が宇都宮で仕事をするようになってから一年以上が過ぎていた。その前はさいたま市にある「日本防災テクノロジイ 関東支店」で営業課長代理を勤め、翌年の課長昇進がほぼ約束されていた。「日本防災テクノロジイ」は消火器や消火装置の有力メーカーで、各地の防災販売店を通じての消火器販売と、建築設備会社やプランとメーカーを通じての消火設備工事とを展開している。私は消火器部門に属し群馬県と栃木県を担当していた。だが出身は関東ではなく九で、社宅のアパートに妻と娘が一人いた。
一年半ほど前高崎市の有力販売店で月に二回は訪問することにしている店に、特別美人ではないがどこかあか抜けた雰囲気の事務員が新しく入ってきた。京子という名のその女は胸が高く脚がきれいだった。胸と脚、それが私にとっては女の魅力の第一と第二であり美醜はその次でしかない。慣れて店でも口をきくようになっていたある日、注文の電話のやりとりのついでに、次の訪問予定日を告げあまり期待もせず夕食に誘うと、おもいもかけず「いいわよ」と言った。
二カ月が過ぎ彼女と肌を合わせるようになった頃、高崎市と隣接している県庁所在地の前橋市の男から取引をしたいという電話があった。事務所を訪ねてみると個人名の表示しかないアパートの一室である。かすかに違和感があったが都市部にはそんな業者も少なくない。消火器販売業は店頭販売がきわめて少ない営業主体の業種であり、個人でこじんまりと営業するのも可能だし、その場合はとりたてて店舗も必要ないためである。勿論そんな業者には大きな実績は期待できないが、だからといって見逃せない存在なのだ。
部屋には大きな机のむこうに四十代に見える肩幅が広いぎょろ目の男が座っていたが、私が挨拶するやいなや立ち上がりドアに向かうと鍵をかけた。「なんで」と驚いていると机を「どん」と叩いて表情が一変し、やくざの顔付きになった。自分の女に手を出したと因縁をつけられどうおとしまえをつけるつもりかと脅かされた。縮みあがったが危害までくわえる様子はないのをさいわい、関係を否定したあとは黙秘をとおして言質を与えずにいると、うまいぐわいに男に電話がかかってきて丁寧語で応対しはじめた。至急外出する必要ができたらしく
「また連絡する、始末を考えておけ」
と怒鳴ってとりあえず解放してくれた。
京子を呼び出し男との関係を問いただすと、愕然としたがすがりつくように、つきあっていたのは事実だが関係はすでに解消していると訴えた。
しかしそれ以来男は支店や自宅に頻繁に脅迫電話をかけてきたうえ、支店に押しかけてくるようになった。警察に訴えたが応対にでた生活安全係の刑事は、その程度の状況では犯罪の立件は難しいと述べ、「当事者同士でよく話し合いしなさいよ」と、暗に「金銭で解決するしかないよ」と言わんばかりだった。
男はついに日本橋にある本社にまで押しかけてきて「社長に会わせろ」と強要した。さすがに本社は動ずることなく門前払いをしたが、私は会社から厳重注意処分を受けた。だが同じようにやくざに押しかけられた京子がいた販売店は、難癖をつけられなにがしかの金銭を取られたらしく、私の責任を言い立てて会社に賠償を求め、あげくに取引の中止をちらつかせてきた。
消火器業界は完全な買手市場であり、メーカー営業とは販売店の獲得とお守りだと言っても過言ではない。私がやくざの電話でうかうか出かけたのも、一店でも取引先を増やしたいという思いがあったからだった。そうした現象は消火器の商品特性に要因がある。消火器の仕様は大きさから使い方まで国家規格で統一されており、性能も国家検定で保証されていて、各社の製品の違いはラベルぐらいしかないため、ユーザーは製品メーカーが変わってもほとんど支障が無い。だからといってメーカーとしてユーザーへの営業が必要ないわけではないが、業績の大部分は販売店との取引高にかかっている。結果として有力な防災店ほど各メーカーが売り込みをかけ、数社と取引しているのが普通で高崎の店も併売店だった。だから販売店はたとえあるメーカーと取引を中止しても替わりのメーカーにことかかないが、中止されたメーカーにとっては替わりの販売店を開拓するのは容易ではないというのが業界の姿であり、まして高崎の店は県の消防機器販売組合の理事を勤め、日本防災テクノロジイでは関東支店販売店会の副会長店であった。
結局私は会社を辞めざるをえなくなり、十五年勤めた三百万円ほどの退職金は、やくざへの謝罪金と娘をつれて去った妻への慰謝料になった。いつのまにか京子も姿を消した。
私は社宅を出てどこかに住まいを定め職探しをする必要に迫られた。しかし関東支店長のSは戦力低下を防ぐ対策として考えたのか、もう一つの担当区域であった栃木県で独立して仕事を続けてはどうかと言い、さらに側面から応援するために名目的な対外拠点として宇都宮出張所を設立し、メーカーとしての営業を一部肩代わりしてもらうことを理由として、月十万円の手当てを支給できるよう稟議すると申し出てくれた。個人業者と表面的なメーカーの出先責任者という二足の草鞋を履いたらどうかというのである。栃木県は関東地方のなかで一番人口の少ない県であり、そのためか消火器メーカーの出先は一社もなかった。たとえ不完全なものでも出先を設けたことにすれば県内市場を重要視したとみられ、ユーザーや特に官公庁対策としては効果があるだろう。関東支店長のSの意図はこんなところだったのだろう。
防災業の業務分野には保守点検作業が占める割合が大きい。消防設備ごとに消防設備士だの点検資格者だのという国家資格を必要とするものの、これだとあまり経費を必要とせず一人でもなんとか仕事になる要素があるため、名の通った業者でも実態は個人業者である場合も少なくない。何種類かの消防設備士を持っている私にはたしかに独立は手っとり早い手段であった。しかしメーカー名を名乗ることはつきあう防災店が限定されるきらいがあり、独立して仕事をするには融通性を狭める部分もあるが、退職金も奪われたうえ、住まいから車から電話から、消防署に提出する保守点検報告書用に不可欠のパソコンまで用意しなければならず、健康保険も自腹となる身には、月十万円はアパートと電話代にはなる金額であり、私は辞めた会社の好意にすがることにしたのである。
二カ月ほど経ったころ、京子から勤めていた関東支店宛に手紙が送られてきて私に手渡されたが、迷惑をかけたことを詫びる内容だけで住所や電話などは書かれてなく、消印は関西のようだった。彼女もやくざの触手にからめ捕られた被害者だった、逃れるためには結局身を隠すよりなかったのだろう。
5
ショウの家はやはり「わんぱくランド」からそう遠くはなかった。おもちゃの町から日光方面へ向かう県道からすこし離れた集落のはずれにあり、県道沿いの家並みをはずれればまったくの田園地帯で、農家が畑をつぶして建てたおなじサイズの六戸の家作の一つだった。セメント瓦の屋根にトタン張りの壁、畳二間に台所・トイレ・風呂場という造りのようである。ショウの家を探したとき県道沿いの酒屋でも尋ねたのだが、店にいた主らしい男は「さあ」と首を傾げた。ショウの家に行ってみるとこの酒屋は隣の集落にあたっている、農村地帯でもかってあったような近隣との連帯意識や情報網はもはや綻びているのだろう。
ショウは母親と二人で暮しているようである。「平田 翔」という名前で十九歳だという。母親はまんまるい顔に引詰め髪で化粧っ気もなくずいぶん老けた感じだが、ショウの年齢からするとまだ五十前だと思われる。人の良さそうな表情丸出しで、私が挨拶しただけで何も言わないうちから恐縮しきって幾度も頭をさげた。ショウが何か迷惑をかけたと勘違いしてるらしい。
私はショウを轢いたのに訪問が遅くなった詫びを述べ、今日偶然に彼に会って訪問することができたと言い、彼の躰に変化がないかを訊ねた。
「先月ねえ、そういえばショウが車にぶつかったって、洋服を汚して帰ってきたことがありましたよう。ご迷惑かけてすみませんでしたよう、この子は大丈夫ですから心配せんでくださいよう」
驚いたことに母親はこともなげに言う。私はショウを轢いたとき彼が躰を固くしたから大丈夫だったと述べたことと、今日の出来事に触れて、いつからそんなことができるようになったのか訊いた。
「さあいつからだったか、学校に入ったらもうトンカチ頭って言われてましたよう。親父が大工だったせいもあったでしょうけど。おかげで怪我はしないですんでます。
今日そんなことがあったんですか、すみませんでしたよう。人に迷惑をかけるから出歩くんじゃないよって言うんですけど、休みになるとふらふらでかけて困りますよう」
母親は一家ははじめ群馬で暮していたと言った。かって群馬を担当していた私が、群馬の何処に居たのか訊いても答えようとしなかったことからみると、あるいは被差別部落だったのかもしれない。大工だった父親はショウが小学校のときに亡くなり、母親はショウをかかえて苦労したらしい。ショウが中学の養護学級を卒業すると、母親は知り合いを頼ってこの地に移り、現在は町の給食センターで働き、ショウは町の福祉作業所で働いているという。そういえば〈彼〉を探すのに福祉施設を訪ねるという手があったのだが考えつかなかった。どうやら母親は息子の希有の体質を、知的障害がもたらした異常なものと思い羞じているらしい。世間の目をおそれ身を潜めて生きようとする人間にありがちな、目立ちたくないという思い込みが生んだとんでもない偏見なのだろう。
私が玄関を出るとショウがついてきた、しゃがんだり立ったりして乗ってきたライトバンを眺めている。
「ショウさんもっと車に乗りたいかい、じゃあお母さんのOKをもらっておいでよ」
三時を過ぎ日は傾きかけていたがまだ一時間やそこらは明るい。私はなるべく幹線道路を避けいわゆる広域農道と称される道を選んで走った。最近の広域農道は舗装されているうえ道幅が広く、交通量が少ないので風景を眺めながら走るのに適している。
関東平野の北限に位置する下野の野は、北に遠く白根から、台形ですぐそれと分かる男体山、霧降・那須とつづく連山を配しているが、山肌は紫がかった色を帯び稜線が鋭さを失っている。霞の季節に入ろうとしているのだ。平地では春耕が始まって鮮やかな黒い土がそこここに現れ、緑の麦の穂が立ち並ぶ畑の合間に乳白色の苺のビニールハウスが点在している。土手や公園や寺社などの桜は満開でむしろ白銀のような輝きをみせ、そのかわり花桃が鮮やかなピンクであちこちの家に見え隠れしている。道端には自生した菜の花が咲きみだれていた。
ショウは助手席のシートを少し倒し満足した表情を浮かべて景色を眺めている。ときどき小さく「ウン ウン」と呟く、
「ショウさん、休みになると出かけるってお母さんが言ってたね、今日もそうなんだろうけど何しに出かけるの」
運転しながら訊いた、
「ワルイヒトヲチュウイシニイク」
「悪い人を注意に?」
なるほど今日の彼の行為はまさしくそうだったが、あれは刷り込まれた素直な道徳観による衝動的なものではなく、明確な意志に基づくものだったのか。しかしまたなんでそんなことを考えるようになったのだろう。
「ショウさんえらいんだね、だけどどうしてそんなことを考えるようになったの」
「ウン ボクハミンナニヤクタタズッテイワレルケド チュウイシテナグラレテモヘイキダカラ チュウイシテワルイコトヲヤメサセレバ ヤクニタツトオモッタ」
私はおもわず車のブレーキを踏んだ、しばし言葉を発することができなかった。久しく忘れていた感動の衝撃に身震いし、じわっとこみあげてきた涙で前方が見えにくくなり、とりあえずギアをパーキングに入れた。どこか気を鎮める場所が欲しかった。川岸に近かったので土手に乗り入れ陽に向けて車を停めた。小一時間走って太陽が大きなオレンジ色になり山の端にかかりだしていた。
フロント越しの眼の前の川は「思い川」という思わせぶりな名前がついている。前日光の山峡を出て渡良瀬川に合流し利根川に注ぎ込んでゆく川で、河川敷は雑草の一面の緑のなかに所々菜の花が群生している。赤い太陽がますます大きさを増し川面が黄金色に照りかえっていた。
彼を抱きしめたいという衝動をやっとこらえた。なんという純真で崇高な発想だろうか、キリストや釈迦が示したとされる自己犠牲にも通ずる精神と行為ではないか。もしこうした精神が生じたのも知的障害の故だとするならば、そうした知的障害者はやっかい者どころか、人間の精神活動の負の部分が淘汰され、善の部分が止揚され人格化されたものとして、ある意味もっとも神に近い貴重な存在意義があるとさへ言ってもいいだろう。
ショウがそれを思いついたのはまだ一年ほど前のことだという。コンビニでジュースを買って外に出ようとしたとき、タイヤをきしませ猛スピードで進入してきた車があった。危うく車に当たりそうになった青年がいて咎めると、車から降りてきた三人の男が青年をコンビニの裏の木立に連れ込み殴りだした。それを目撃したショウは、人の非を咎めることは暴力を受ける覚悟をしなければならないが、自分だったら平気で注意できると気がついたという。それを契機に彼は作業所が休みの土日に宇都宮や栃木に出向くようになったが、小遣いがあるあいだは電車で、なくなれば自転車や歩いて行くのだと言った。
「小遣いってお母さんから幾らぐらいもらうの」
「ニセンエンデス」
感動した私はもっと彼の行動を見極めたいと思った。そこで応援のため少なくとも毎週土曜日は彼の行きたいところへ連れて行ってやると約束した。
「さっそく来週の土曜どこかへ行こうよ、別に宇都宮じゃなくてもいいよ。ショウさんどこかいきたいとこがあるかい」
「イキタイトコハナイケド アルマジロヲミタイデス ボクノアダナナノニミタコトガナイカラ」
6
ネットで検索すると、手近かなところでアルマジロがいるのは上野動物園とサンシャインビルだったが、やっぱり上野動物園がいいだろうと、土曜日の朝ショウを迎えにいき、JRで一番近い石橋駅前の駐車場に車を預けて行くことにした。手近な東武鉄道で浅草まで行き地下鉄に乗り換える方が安くつくが、乗り換えが面倒だしJRの上野駅の方が動物園に行くには便利だ。それに彼をできるだけ違った路線に乗せてやろうとも思った。土曜の九時すぎ、車内はすいていたがやはり携帯を手にしている人が多い。ショウはさっそく話をしている人をみつけると注意しはじめた。
通路を挟んで前の席に座っている若い女がバックから手鏡を出し化粧を始めた。口紅をひきアイシャドウからマスカラーまでしている。ショウが身を乗り出すようにして見ている。なにか言うのかと思ったが感心したように眺めているだけだった。最近は電車の中で化粧する女性が多い。十数年前はほとんど見かけなかった風景である。どうゆうきっかけから生まれた風潮なのか知らないが、他人の視線はまったく気にならないらしい。化粧は本来人前でやるものではないという常識的な羞恥心が欠落している。
「ショウさん、電車の中で女の人が化粧しているのを変に思わない?」
私は小声でささやいた、
「オモイマセンヨ オモシロイデス イケナイコトデスカ」
「別にいけないことじゃないけど、お化粧は普通は人に見せるものじゃないんだよ」
「ジャア チュウイシタホウガイインデスカ」
「悪いことをしているわけじゃないから注意はしなくていいよ、でもかっこいいことじゃないからショウさんに彼女ができたらさせたらだめだよ」
ショウはなにかすっきりしないという表情をした。
電車が古河、久喜、と東京に近づき次々と人が乗り込んでくると、ショウの携帯注意もいちいち側までいけなくなってきた。しばらくするととうとう大声をあげた、
「ミナサーン デンシャノナカハ ケイタイノツウワキンシデース」
遠くで「うるせー」という声がしたがもはや近づける状態ではなかった。
ショウと私はすでに老人に席を譲って立っていたが、大宮で優先席が一つ空くと乗り込んできた中年の労務者風の男が座った。立っている老人がいるのをみてショウが言った、
「ソコハユウセンセキデス」
「ふん、だからどうした、おめえが座りたいってか」
「ボクジャアリマセン オトシヨリヲスワラセテアゲナサイ」
「ちゃんと金はらって乗ってんだどこに座ろうと俺の勝手だ」
「アア アナタハオトシヨリデスカ ワカクミエマスケド」
車内にどっと笑いがおこった。いたたまれなくなったか男は立ち上がると、ショウをひとにらみして隣の車両に移っていった。
石橋駅から一時間半ほどで上野駅につき階段を上がって公園口の改札を出た。電車に乗った石橋から幾つかの駅までの沿線では、桜が満開を過ぎたもののまだけっこう花をつけていたが、上野公園の桜はすっかり終わり葉桜の季節をむかえようとしていた。それでもアスファルトには宴の名残のように花びらがまばらに残っている。
「おい、ちょっとまて」
文化会館の横を過ぎようとしたとき声をかけられた。振り向くと優先席に座った男である。しつこく後をつけてきたらしい。「ちょっとこい」 男はショウの腕を掴むと、ものなれたように文化会館の裏手に回り、古墳だという表示がある小高い擂鉢山の裾を回った。そこには公園のゴミ集積場があった。近くにはフェンスに囲まれた野球場もあり、そのかたわらに管理事務所がある。しかも公園の交番から百メートルほどしか離れていないが山影になり通行人の死角になっていた。土曜日なので公園の関係者の姿もない。
「てめえさっきはよくも恥をかかせやがったな」
男はいきなりショウに殴りかかった。宇都宮の空き地で見たように『がきっ』と音がし「ぎゃっ」と叫び声をあげて、男は手首をかかえてうずくまってしまった。
7
動物園前の広場では大道芸が人を集めていた。上野駅に一番近い所には外国人によるあやつり人形のヴァイオリン演奏が賑やかに鳴り、広場のほぼ中央では腹かけ姿の日本人の若者が、アクロバットとも手品ともつかぬ芸を見せ、動物園に近い所ではモンペに頭巾を被った年配の女が南京玉すだれを演じている。ショウはどれもものめずらしそうに眼を輝かせて眺め、なかなか離れようとしなかった。
上野動物園は二人とも無料だった。ショウは障害者で私はその付き添いで。私が上野動物園にきたのは六年ぶりだった。六年前よちよち歩きをはじめた娘をつれてきた。その娘も一年と少し前妻といっしょに去った。
門を入るとすぐ右手にパンダ舎があり、その先には象のエリヤもあるがショウは眼をくれようともしないで「アルマジロはどこにいるのか」と訊く。案内所で訊ねるとアルマジロは「西園」の「小獣館」にいるという。パンフレットをみると私達が入ったのは高台の「東園」で、「西園」はいわゆる上野の山を降りた不忍池の前一帯に広がっている。「東園」と「西園」の連絡にはモノレールがあった。乗り物に興味を持つだろうと思ったが、十分以上間があるのを見るとショウはさっさと歩きだした。一時も早くアルマジロを観たいのだろう。ループ状の長い下り坂をおりると開けた不忍池を背景に、可愛らしいケープペンギンの池やピンクが鮮やかなフラミンゴの檻など、眼を引くエリヤがいくつもあるがショウはひたすら小獣館をめざす。
小獣館はコンクリート製の洞窟然とした建物で、ネズミの仲間やミーアキャット、ムササビ、モモンガ、マングースなど三十種以上の小動物が全面をガラス張りにした区画に入っていた。夜行性の動物が多いせいか建物全体としての照明は薄暗く、区画のなかだけが明るくてどちらかというと水族館の雰囲気である。
アルマジロの区画は二つあり、どちらも砂地に小さい岩石や草を配した畳一畳ほどの部屋で、それぞれ一匹ずついたが共にマタコミツオビアルマジロと表示されていた。なるほど鎧に覆われているように見えるが、どちらも思いの外小さく大きいネズミぐらいだろうか。一つの部屋のアルマジロは黒ずんだ丸い球のようになって砂に半分潜ったまま動こうともしない、まるで団子虫を巨大にしたようだ。もう一つの部屋のはせわしく走り回っているが躰は黄土色である、丸くなると黒っぽく見えるのか? 説明書きにはアルマジロのなかで身体を丸めるのは、このマタコミツオビアルマジロとミツオビアルマジロの二種類だけだとある。
「ショウさんアルマジロはみんな身体を丸められるんじゃないそうだよ、丸くなるアルマジロがいてよかったね」
ショウは黙って大きく頷き、交互に二つの区画の前に行っては眺め続けている。自分のあだ名の由来となった小動物を前にして何を感じているのだろうか、しばらくは離れそうもない。私はすぐ飽きて彼に声をかけ外に出てベンチで待つことにした。
三十分もたってやっとショウは上気した表情で出てきた。十二時を過ぎていたので彼を促してすぐ前にある食堂で昼食を摂った。
「ショウさんアルマジロに会った気持ちはどう」
「カワイカッタヨ ワルイドウブツジャナクテヨカッタ デモナニカヤクニタッテイルノカナ」
「直接人の役に立っていることはないだろうね。でもね生き物は害虫のようなものでもみんななにかのかたちで繋がりがあって役に立っているんだよ、難しく言うと自然界の連鎖って言うんだけどね」
「レンサカ ボクモレンサシテルカナ」
「ああしてるしてる、ショウさんはとても役に立っているよ」
ショウはすいこまれそうな笑顔を見せた。
このあと当然他の動物も観てまわるつもりだろうと思っていたがショウはもういいと言う、折角来たんだから他の動物も見たらというと、アルマジロを見に来たんだからいいんだと言った。どうやら他の動物を見ることでアルマジロの印象を薄めたくないという気持ちらしい。
8
私達はそのまま不忍池の脇の弁天門から動物園を出た。私は西郷隆盛の銅像を観せてやろうと思い高台へ案内した。
「アア アノクモオッパイミタイダ」
ショウが空を見上げて言った。見るとなるほど乳房のように盛り上がった積雲が、乳首のような突起までくっつけて二つ並んで浮かんでいる。ショウは両手を挙げもみもみするように手を動かした。
「ショウさんおっぱい好きなんだ?」
「ウンダイスキデス モウオカアチャンハサワラセテクレナイケドネ サイトウセンセイノオッパイハ ヤワラカクテキモチヨカッタナ」
斉藤先生は五・六年のときの担任で、仲間外れになったり殴られたりしたショウをよく抱きしめてくれたと言う。
「僕もおっぱい大好きだよ」
思わず口に出して「しまった」と思った、
「ヒダカサンモダイスキデスカ ヤッパリサワリタイノカナ」
ショウはうれしそうに言い、私は苦笑するしかなかった。
高台をおりて「アメ横」に案内するため大ガード下の交差点にかかった。ふいにショウが言いだした。
「トウキョウハ ビンボウナヒトガオオインダネ」
「どおして?」
「ダッテヤブレタジーンズハイテルヒトガオオイヨ ウツノミヤニモイルケド トウキョウハモットオオイ」
私はおもわず笑い声をあげた。今日は彼もジーンズをはいている。
「ショウさんあれはブランド品でね、有名なメーカー品なんだよ。しかもビンテージ物といって古ければ古いほど値打ちがあるらしいよ。だからそれに似せようとして新品をわざわざ汚したり破ったりする人もいるんだ、一種のおしゃれなんだよ。」
「フーン オシャレナンダ ナンデダロウ オカアチャンダッタラ ミットモナイッテスグヌウダロウナ ジャアエライヒトニアイニイクトキモハイテイクノカナ」
ショウが「みっともない」という表現をつかったのに驚いた、
「えらい人ってどんな人?」
「テンノウサントカサ ダイジンサントカサ」
「そんな人に会う時ははいていけないだろうね」
「ナアーンダ ヤッパリイイカッコウジャナインダネ ダケドソレガドウシテオシャレニナルノカナ」
「ハーフノヒトモ ウツノミヤヨリオオイナ」
しばらくしてまたショウが呟いた。
「ハーフ? ああ混血のことか、どうしてそう思うの」
「キンイロヤチャイロノカミノヒトガオオイ」
「あれもほとんどの人が混血じゃないよ、第一全然混血っぽく見えないじゃない。あれもおしゃれのために染めてるんだよ。そのほうが人目につくしかっこよく見えると思ってるんじゃないかな」
「ベツニカッコヨクモミエナイケレドネ ドウシテオシャレニナルノカナ」
私は答えに窮した。今の世は多様化だの個性化だのという言葉に悪のりして素直な感覚に背を向けようとする輩が多すぎる、結果鼻持ちならない流行を産んでいるにすぎないのだが、その歪みをショウに判らせるのは不可能だろう。
信号がまだ赤なのに車がこないのをいいことに交差点を渡ろうとする男がいた。
「シンゴウヲマモッテクダサイ」 ショウが大声をあげた。
「アメ横」は意外にもたいしてショウの気をひかないようだった。雑踏をぬって上野広小路まで歩き地下鉄で浅草に行った。浅草寺に参拝し仲見世で母親への土産を買って東武浅草駅へ向かった。日光線の栗橋でJRの宇都宮線に乗り換え石橋に戻る算段である。
東武鉄道のダイヤはややこしい。特急、急行のほかに普通運賃で乗れる区間急行だの区間快速だのがある。車両も区間急行は三つか四つドアの普通車両であるが区間快速は二つドアのボックス席車両だ。さらに浅草発の区間快速は一時間おきにあるもののなぜか四時台までしかない。ちょうど最終の区間快速に間に合った。夕方までは時間があるが最終便のせいでもあるのだろう、ホームには人の列ができていて私たちは電車の最後尾の列に並んだ。栗橋で乗り換えるには最後尾が便利なのだ。栗橋駅のブリッジでは東武鉄道の最後部とJR線の先端部が連絡しているからである。電車のドアが開くと走ってきた若い男が列の先端に割り込んできた、
「ヨコカラハイラナイデクダサイ」 ショウが声をあげた。
並んでいた乗客はどうにか全員が座れたようだった。若い男がつかつかとショウの前にやってきた。
「見ろ、並ばなくたってみんな座ったじゃねえか、えらそうによくもいちゃもんつけやがったな」
「デモナランデルノニ ヨコカラハイルノハイケナイコトデス」
「てめえの何様のつもりだこの野郎、なまいきに指図しやがって、ちょっとこい」
男はショウの腕を掴むと電車から降ろそうとした。私に続いて、止めようと思ったのか中年の男が電車を降りた。若い男はホームに降りるとものもいわずにショウを殴りつけた。ショウが降り下ろされた男の手首を素早く掴んだ。男はふりほどこうとしたがびくともしない、私も初めて見る光景である。男はもがいて反対の腕で殴ったが「ごつっ」という音とともに苦痛の表情に変わった。たちまち人の輪ができ駅員が駆け寄ってきた。しばらくしてショウが手首を放すと男は蒼白になりポケットからナイフをとりだしたが、駅員にはがい締めにされ別の駅員にナイフをもぎとられて連れていかれた。
「やあ君は凄い技をもってるんだね、それなんの技なの?」
私について降りてきた中年の男の問いにショウはにこりとしただけだった。
電車のなかではショウが最初の人にした携帯注意が異常な効果を発揮した。通話をしていた人たちばかりか、メールしていた人までもがいっせいに操作を止めたのである。しかしその後の停車駅で事件を知らずに乗り込んできた乗客は、携帯でしゃべりはじめるやいなやかたっぱしからショウの注意を浴びることになった。
第二章 身代わり皇子
1
私はほとほとショウに魅せられた。魂の美しさにふさわしい整った風貌は男っぽく、爽やかな風を受けているように微笑みを絶やさない、たしかにそれは知的障害者特有の表情にも見えるが決して暗愚な印象ではない。その知的傷害にしても、なるほど読み書きや計算などは人並みではないかもしれないが、常識的な思考力は充分あり、さらに善悪や偽善を見抜く天性の判断力は見事なものである。それは小学生のままの純朴さが余計な情報を加えられることなくそのまま大人になったようなもので、とても知的障害者などと一括りにできない人間性をもっていた。奇跡としか言いようのない肉体の特質も知った。しかし奇跡と言うならば今まで彼の存在が知られなかったことをこそ言うべきかもしれない。彼が群馬と栃木の片田舎に居たことに加えて、知的障害者というレッテルがそれを覆い隠していたのだろうが、それにしても肉親や教師すらがその価値に思い至らなかったのだから。私は彼と出会った僥倖を感じ、ひょっとしたら自分が彼の発見者になれるかもしれないと思うと、わくわくするような気持ちの昂りを覚えた。
ショウをどうやって世間に紹介するか、私はあれこれ考えはじめた。一番インパクトがあるのはテレビに出すことだろうと思ったが、その前に医学的には彼の特質はどう判断されるのか気になった。本当に奇跡に類することなのか他にも例があることなのか。
私は血圧が高く不整脈もあることから、もう何年も前から定期的に病院通いをしており、勤務地が変わるたびに土地の病院の診察をうけてきたが、宇都宮にきてからは近いこともあって私立の医大病院にかかっていた。そこで定時診察をうけたある日ショウのことを話題にしてみた。講師の肩書をもつ四十代の主治医はさしたる興味も示さず、
「そんな人が症例として報告されているかどうかは知りませんがね。医学的には説明のつく現象だとおもいますよ。小さい時から叩かれたことで全身の筋肉が緊張し鍛練された結果でしょう、力瘤のようなものですよ。体質的な個人差はありますからそれが人並み以上に発達したんじゃないですかね」
「頭への打撃に平気なのもそう言えるんでしょうか」
「そうでしょうね、格闘技には頭突きという手があるし、空手には頭で物を割る技があるそうじゃないですか、鍛練の結果ですよ」
実際を見ていないからその凄さが実感できず、ありふれた判断しかできないんだと納得できなかったが、診察に関係ない話題は早く打ち切りたいという医師の表情がみえみえで、それ以上話ができなかった。
次いで私はテレビ局へのアプローチを模索した。いきなり東京のテレビ局へ持ち込むのはどの局にも何の伝もない。まして話だけでは部局の人間に会えるかどうかもおぼつかない、まずアプローチ用のビデオを摂るのが先ではないかと考えた。
「ショウさん、君が身体を固くして殴られても平気なところをビデオに撮って、立派なことをしているのをテレビで紹介してもらおうと思うんだ」
「イヤデス ヒトニミセルモノデハアリマセン」
「面白半分にやろうと言うんじゃないよ。ショウさんは悪いことをしている人を止めさせたいんだろう。すすんで悪いことをしている人に注意をして、そのために暴力を受けることを覚悟してまでやってる人がいるってことを見せれば、自分も勇気をだして悪い人に注意しようと思う人が出てくるかもしれないじゃない、とても人の役にたつことだと思うよ」
「ソウデスカ デモテレビニデルノハイヤダナ オカアチャンモダメッテイウダロウシ」
「お母さんには私が話すよ。テレビに出ることができればお金ももらえるだろうし、お母さんを扶けてあげられるじゃない」
「アア オカネヲモラエルンデスカ」
まんざらでもないという口調のショウに私は「おや」と思った。彼を轢いた時クリーニング代として出した金を受け取ろうともしなかった。彼には金銭的な欲望はないと思っていたのだが、
「ショウさんお金欲しいんだ?」
「ウン 『ケイトラ』ヲカイタイ ボクハウンテンデキナイケド ケイトラガアッタラミンナガモウカルトオモウ」
ショウが通っている作業所はおもちゃ工場の下請けなどの他に、空き缶やペットボトルの仕分けと業者売りもしているが、その回収は町やボランティア任せであり、もし軽トラックでもあったら作業所で独自に回収でき作業量を増やすことができるだろうと言う。彼の心根はつねに人のためを指向していた、しかも謙虚だった。私は少しでも彼を俗物あつかいしようとしたことを羞じた。
「中古の軽トラぐらいなら買えるかもしれないね」
だがショウの母親はビデオ摂りを頑に拒否した。それは息子を人前にさらしたくないという強い気持ちと、加えられる打撃に息子の躰を心配する気持ちの両方のようで、私は時間をかけてじっくり説得するしかないと判断した。
宇都宮にはNHKの支局の他に民間のテレビ局もある。得意先のある防災店が民間のテレビ局に出入りしていることがわかった。私はとりあえず話だけでも聞いてもらうことができないかと考え、防災店から局の防災担当者の紹介をうけ、制作部のディレクターへの面会を依頼することにした。もしそれでテレビ出演の可能性がでてきたら、わざわざデモ用のビデオを撮るまでもないし、ショウの母親を説得する大きな要素になる。
東京のテレビ局にもいたことがあるという五十がらみのディレクターは、ショウの存在に最初はかなり興味を示し身をのりだしてきたが、ショウが知的障害者であることを語るととたんにソファーにのけぞった。
「それじゃ放映は無理ですねえ。障害者に打撃を加える映像となると、障害者を見せ物にしたうえ、理不尽なことをしているという印象をあたえて、二重に非難をうけるだろうし。かといってお話を聞くかぎり、その人を紹介するためには打撃を加える映像を省くことはできないでしょうからね」
そして彼は東京のテレビに話をもっていっても同じだろうとつけくわえた。
いきなりのテレビ出演に難しさがあることがわかった私は、まず地元新聞や全国紙の栃木版などで彼の存在を採り上げてもらい、ある程度の評判をつくりだして、映像へのニーズが高まるのを待つしかないと考え案を練り直すことにした。
だがある土曜日を最後にショウは忽然と姿を消してしまった。訪れた私にショウの母親は
「ショウは『天照光』に預かってもらうことになった」
と告げたのである。
2
天照光は正式には「天照光整体園」といい数年前宇都宮近郊に創設された新興宗教であった。教祖は北島栄光といい、教団名がしめすとおり整体師である。栄光は十年ほど前どこからかやってきて宇都宮の隣の町で「整体院キタジマ」を開業したが、まもなく評判が高くなった。男盛りの骨太のがっしりした身体に、角張った精悍な顔付きで黒々とした髪を持ち、ここちよく響く太いバリトンの声でしゃべった。
治療室には五〇センチほどの高さでかなりの年代を感じさせる天照大神の木像が祀ってあり、白木の祭壇が設けてあって、栄光は治療の前後に必ずこの像を礼拝した。患者に信心の由来を問われると栄光は、この木像は母親がどこからか手に入れてきたもので、来歴はわからないが我が家の家宝であると語った。そのいわれは木像が家にきてまもなく母親が肺炎にかかり入院したが、死期をさとっった母親は延命治療を拒否したあげく、家で死にたいと無理に退院してきて、ただ木像を枕元に置いて朝夕幾度となく祈っていた。母親は病気平癒ではなく安らかな往生を願っただけだと言ったが、やがて症状は回復しさらに数年永らえて、穏やかに生涯を終えたのだという。
そして栄光は木像は母親が亡くなったのを機に自分が譲り受けたものであるが、自分の治療はこの天照大神の恵の一端を代行しているだけだと言い、領収書の題目も治療費ではなく「お恵み代」となっていた。彼は患者に信心を勧めるようなことはしなかったが、それでも整体が良く効くと評判がたかまると「お恵み」の結果を信じ、木像を礼拝するる患者が増えていた。
その「整体院キタジマ」が「天照光整体園」になった経緯は、教団の周辺の里ではかなり有名な話として伝わっている。
整体院の隣部落に名主の末裔で資産家の粂川という屋敷があった。当主は四十すぎに交通事故で亡くなり、長女も父親が亡くなった十年後暴走トラックにはねられ、五十代の未亡人と二十代の次女が住んでいた。そうした不幸にもかかわらず闊達な人柄の粂川未亡人は住人の人望が厚く、幾つもの公職や私的な会の代表者や役員をつとめ、毎日自転車で走り回っていた。長女が亡くなってまた十年たった時、自転車に乗っていた未亡人が車に衝突され大学病院へ運ばれた。「粂川の家は呪われている」という噂が広まった。
未亡人は脳への傷害は受けなかったが、起き伏しや歩行のリハビリは成功せず、半年後回復の可能性がないと大学病院から退院を勧告され、他の整形病院に移ったがやはり回復ははかばかしくないため、娘は母親を自宅に連れて帰り、思い余って整体院の栄光に訪問治療を依頼した。栄光は毎日やってきたがそのつど天照大神の木像を持参し、礼拝してから治療にあたった。やがて未亡人は徐々に起き上がれるようになり、訪問治療が娘の介添えでの通院に代わって、一年経った頃には日常生活に支障がなくなった。
やがて粂川家の隣に天照大神の木像を御神体とする新宗教法人で、整体業務を営む「天照光整体園」の設立が告げられ、本部の建物が建設され木像は金色に彩色されて祭壇が設けられた。土地も建物も費用のすべては粂川家が出したと言われ、栄光が教祖に、粂川未亡人が教団代表となった。
ショウの母親はべつに天照光の信徒ではなかった。私のショウ売り出しの提案を拒んだもののショウ自身が乗り気になったのを知り、息子を押さえきれなくなることをおそれたのだろう。仕事仲間に相談したところ、たまたま信徒であった仲間から教祖の栄光に相談することを勧められ、栄光に会うと彼はショウを教団で預かると申し出たという。
数日後私は教団を訪ねた。ショウがどんな扱いをうけているのか知って今後のことを考えたいと思った。日光に向かう国道が有名な杉並木にかかってすぐ、教団の大きな看板が左折を指示していた。しばらく走ると築地塀に囲まれた本部があった。門を入ると駐車場を兼ねた大きな広場があり、その先に入母屋造りの屋根を持つ大きな玄関を中心に、左右に白木の木造平屋の建物がつながっていた。それとわかる拝殿も整体院も見当たらないが、拝殿や治療室は建物の中に設けてあるのだろう。玄関を入ると奥に受付けがあり白い服を着た女性が座っていた。壁には整体の治療時間と拝礼の日時が並んで表示されている。正式な拝礼儀式は毎週金曜日に行われるらしかった。
受付けの女性に名前を告げ「平田 翔さんに会いたい」と告げると、女性はいったん後ろの部屋に入り出てくると応接室に案内された。やがて白袴をはいた初老の事務長と名乗る男が現れた。
「折角ですが翔さんとの面会はお断りいたします」
「それはなぜですか、まさか本人の意志ではないでしょう」
「それはお答えできません。ただし私どもは翔さんのお母さんから彼の扱いいっさいにつき委任をうけています」
私がさらに口を開こうとすると事務長は言った。
「日高さんと言われましたね、貴方のことはよく伺っています。今後翔さんに近づこうとするのはやめてください。さもないと貴方の翔さん轢き逃げを表沙汰にすることになりかねませんよ」
3
ショウを失った痛手は大きかったが、私はショウの母親を恨む感情はなかった。彼を私から遠ざけた気持ちは理解できた。私の言い方に息子を利用しようとの魂胆がみえみえだったせいなのかと、むしろ謝りたい気持ちになり自分を責めたほどである。たしかにそれもなくはなかったのだ。私はショウを知ったことで現在の境遇が変化する予感をもった。彼に心から感動しマネージメントすることに意義を見いだしたのは間違いなかったが、そうすることでみじめな前途のない生活から抜け出し、新たな世界が開ける可能性もあると思ったのだ。
防災業は製造業の一種にはちがいないが、しかし需要は限定的で総量は小さく、製品の出荷額に比べメンテナンスなどのサービス部門のウエイトが大きい業種である。消火器や火災報知機、消火設備、避難器具など各防災メーカーの売上高をトータルしても、年間数千億にしか及ばない規模である。一方すべての消防用機器は半年毎に点検し消防署に報告することを義務づけられている。製品需要は小さくても国家資格を必要とするメンテナンスなどのサービス部門に主力をおくかぎり、資金をあまり必要としないため、個人でもなんとか仕事が成り立つ余地があり私もその一人になった。(ただし大きな矛盾だが一般住宅に設置された消防機器は点検の義務はない)。しかし需要が小さいということは商売に発展性がないことと同義語である。いまのままでは下請け業の最末端でやっと食っているというに等しい状態だった。
だが今やそんな思惑より汚れのない純真さの塊のようなショウが、天照光のなかでどんな扱いをうけるのかが気になって仕方がなかった。ショウに会うことを拒否された私は以前とおなじように月に二度はショウの家に行き母親に会った。少しでも彼の情報を訊きたかった。母親は息子を天照光に預けた経緯もあり、信徒になったか信徒でなくとも毎週の礼拝には参加するようになっただろうと思ったからだ。
「ショウがよう神様になってるだよう、いいのかねえ」
二カ月ほどたったある日母親が私をみるなり訴えるように告げた。聞くとショウが「身代わり皇子」と呼ばれて信徒の前に現れるようになり、金曜日の例会には礼拝を受けるようになったという。神話の絵本に登場する神のような鬘と服装で現れ、教祖の栄光が、人々が受ける傷害や事故の身代わりになるため、天照大神からつかわされた奇跡の皇子だと紹介して礼拝し、ショウに身体を固くさせ信者に触らせて、こうなることで暴力や事故などによるどんな損傷も受けつけないで、身代わりの役目を果たすことができるのだと語るという。これはショウの母親にとっては予想外の出来事だったろう。障害者である息子を世間の眼からなるべく遠ざけておきたいのが彼女の気持ちであり、「天照光」に預けたのもそれが目的だったはずで、それが神様まがいにされて信者たちの前に登場したのだから困惑するのは当然である。
しかし私は教祖栄光が二つ返事でショウを預かることにした意図が読めたと思った。教団の正式名称は「天照光整体園」である。宗教法人として旗揚げしたものの、天照大神信仰と、その御神体としての金色の木像では人々を惹きつける魅力に乏しく、具体的な御利益は治療効果しかないため、集客にも経営の面でも整体業務は欠かせないものだったのだろう。だから教団名から整体の文字を消せなかったが、それは同時に限定されたイメージを拭えず、治療目的以外の信者を集めにくいというマイナスとなっていた。だがショウを得たことでその矛盾が解消され、奇跡も見せることができればご利益もアピールできて、整体患者以外の信徒を獲得できる可能性がでてきた。新興宗教としての評判がたかまれば、教祖としてのステイタスもあがり献金もより期待できる。栄光はこれ幸いとショウを預かったにちがいない。
私はショウの母親に、身代わり皇子にされただけでは別に人を騙したことにもならないだろうから心配しないでいいが、こうしたことはだんだんエスカレートしていきかねないので、なるべく教団に出向き息子の様子を見守ったほうがいいと告げた。
4
ショウがいなくなってまもなく、私のアパートのすぐ近くに「山小屋」という軽食堂がオープンした。ロッジ風の建物でカウンターと椅子席を併せても十四・五人も入れば一杯の店で、六十近い親父と女房が厨房を出入りし、給仕は女房と若い女が受け持っていた。 親父は「熊親父」と呼ばれて栃木県の山岳会では有名なアルピニストだったらしく、その愛称にふさわしい大男でいかつい髭面をしていた。最近は猫も杓子も髭を生やすのが流行っているが、まず十人中九人は似合っていない。そればかりか大半の男の髭面は薄汚い貧相な印象しか与えない。そこに茶髪とくれば馬鹿面もいいところである。一般的な日本人の骨格であるモンゴロイド系の顔は、彫りが浅く鰓が張ってなくて本来髭に向いてないと思われるのだが、周りの人間が当人に何も言わないのか不思議でならない。あるいは女房子供に何も言ってもらえないほど冷めたか飽きられた関係なのか。それとも電車の中で化粧する女と同じように、他人の思惑を斟酌しない自己満足現象なのだろうか。だが「熊親父」の貌は大きく四角く髭面はまさにぴったりだった。そのうえ大きな眼は意外に優しい光をたたえていた。だがそれ以上に好感を抱かせるのは、熊親父の脇の下に入るほど小柄でまだ愛らしさを残している女房で、二人が並んで立つと取り合わせの妙に加えて、メルヘンチックな純愛物語さへ想像されてなんともいえない雰囲気があった。
このあたりはもよりの東武鉄道の駅から十分ほど離れた住宅街にあり、食堂の立地条件としては良くないと思われたが、、店には開店そうそうから山好きの連中が集まりそこそこに賑わっていた。メニュウは昼はごく普通の定食類が主で、夜になると酒の客が多くなるため一品料理が増えたが、席につくと皿に大盛りのキャベツの千切りとおからの煮つけがサービスで出てきて名物になった。口の悪い連中は「餌」と呼んでいたが、ある日やってきた学生らしい男がこの餌を見て「ご飯だけ頼んでもいいでしょうか」とおずおず訊いた。熊親父は「あはは、OKOK」と笑い味噌汁もサービスしてやっていた。
天照光から帰って以来掌中の珠をを取られたような悔しさから、毎夜酒をあおりまともな夕食を摂っていなかった私は、かっこうの店ができたのをさいわい毎日のように通うようになった。
ウエイトレスの女は美紗と呼ばれていた。パートらしく昼食の時間帯三時間と五時から八時まで店に出ている。三十前後で髪をポニーテールにした貌は額が広くしっかりした目鼻だちで、化粧っ気がないにもかかわらず地の白さが目立ち、細身だが盛り上がった胸とほどよくふくらんだふくらはぎをもっていた。応対はてきぱきとしていたがしかし客の話やお愛想にのることはまったくなく、酒の客が多くなる夜になるとことさら意地でもはるように固い表情をくずさなかった。それは冷たさというより意識的に雰囲気や接触を避けているような素振りに見えた。
ある日の午後仕事でアパートの近くまできた私は、珈琲を飲みたくなって山小屋に行った。熊親父はブレンド自慢の旨い珈琲も飲ませたのである。店には客はいなかったが隅の椅子に美紗が座って文庫本を読んでいた。彼女の前にも珈琲カップが置かれていた。
「おや美紗さん今はお客さんかね」
「お飲み物は従業員価格だけどね」 熊親父が応じた。
「何読んでるの?」
「三国志」 美紗が眼もあげずぶっきらぼうに答えた。
「三国志、へえ-、ちょっとお邪魔していいかな」
見ると陳寿の「正史三国志」を読んでいた。私は三国志オタクを任じている。だから類書も関係書も各種持っているし正史も持っていた。愛読書のナンバー1にあげるかどうかは戸惑うが三つあげろと言われれば、さしあたり岩波文庫の三国志(三国演義)を必ず入れるだろう。いま三国志はブームになって若い女性の読者も多いというが、正史となると(三国演義)的な小説としての面白みはずっと薄れるはずである。
「三国志は私も大好きなんだけど、読む女性が増えているのはうれしいね。でもそれ正史のようだけど面白い?」
「面白いわよ、漫画みたいなもんだから」
「漫画? もっとも実際に漫画にもなってるけどね。でも(演義)ならいざしらず正史は漫画っぽくはないでしょう」
「正史だって同じよ、十八史略をご覧なさい史書はみんな漫画みたいなものじゃない」
美紗はしゃべりすぎたと思ったのか唇をぐっと締めて、それ以上の会話を拒否する態度をあらわにした。私はカウンターに戻ったが内心驚いていた。三国志から十八史略という、中国の古代から宋時代までの歴史を纏めた書籍の名前がでてきたことは、美紗の知的水準の高さをあらわしているし、それを漫画と切り捨てたことはただ本を読んだことがあるだけではなく、内容を吟味しユニークな判断をしたことを示している。
夕方の出勤の用意のためか美紗はまもなく帰っていった。
「彼女はどんな経歴の女なの、けっこう学がありそうだけど」
熊親父に訊いた。
「知らんね、求人情報に出したらきただけだよ。近くに住んでることが分かったからお互い都合がいいと思ってね」
「栃木の人間なの?」 「それもしらん」
「そんないいかげんな」
「三十近い独身の女がこんな店のパートに応募してくるんだもの、なにかあったにちがいないさ。けっこう美人だしな。はじめは午・夜別のパートでもいいと思っていたが、両方やらしてくれって言うからそれにこしたことはないし来てもらうことにしたんだ。うちとしては普通に仕事をしてもらえるならほかに何の条件も求めないよ。山が好きかだけは訊いたけどな、山が好きなら悪い人間じゃないだろうと思ってな」
熊親父は照れたような笑い顔をみせた。彼はさすがに大人だった。結局私に分かったのは「縣(あがた)」という珍しい彼女の苗字だけだった。
5
私は一気に「縣 美紗」に魅せられたが、群馬の京子でさんざんなめにあったことでもあり、彼女の謎めいた背景が気になってしかたがなかったし、取り付く島もない彼女の態度もあって親しくなる機会は訪れなかった。だがある夜遅く店にいくと熊親父が、
「美紗が何か用事があるらしいよ、電話をくれとさ」
と言って彼女の携帯の番号を教えてくれた。電話をすると、
「日高さん消火器屋さんでしたね、消火器を使ったんで薬を補充してほしいんですけど」
消火器屋という表現に反発する気持ちがあったが、現実はまぎれもなくそのとおりにちがいない。私とは方角違いだが店からすぐ近くのアパートに居るらしい。私は翌日朝一番で行くと約束した。
美紗のアパートはモルタル二階建て八戸の古びたこじんまりしたもので、彼女は二階の端に住んでいた。一DKの造りで十畳ほどのダイニングキッチンにあるテーブルは大きめだが、めぼしい家具も若い女性らしい華やいだ装飾品の類もなく、スチール製の本棚のほかは、小さいテレビと古い型のパソコンがテーブルの上に載っているだけで、清潔感はあるものの、そこには精一杯つましく生きている女の生きざまが投影されていた。
部屋の隅に置いてあった消火器を見ると十型と呼ばれる粉末消火器で消火剤は半分も使われていなかった。昨日の午後揚げ物をつくっている時に訪問者があり、言い争いになって火を消すのを忘れてしまい鍋に火が入ってしまった。アパートに備え付けの消火器を使って消したという。
床面積一五〇㎡以上のアパートは消防法により消火器の設置が義務づけられている。美紗のアパートにも一・二階二本ずつ消火器が設置してあった。十型の粉末消火器はビルや工場など業務用の一般的なタイプで、この程度の規模のアパートにはもっと小型の製品を設置してあるのが普通だが、珍しく十型でしかも放射を止められる高級タイプであった。十型の消火器はいったんレバーを握り放射を開始すると消火剤が出きるまで止まらないタイプと、レバーの握りを放せば放射が止まるタイプがある。もっとも火をみて動転した人は火が消えたからといって放射を止める余裕はないのが普通である。十型の消火器は理論上は十畳程度の表面積の火を消す能力がある(ただし十という数値は十畳用という意味ではない)。したがってアパートのダイニングキッチン程度で十型の粉末消火器を全量放射すれば、部屋中粉だらけになりそれこそ後始末が大変である。
「よく放射を止められたね、冷静なんだね」と褒めると、以前に消火実験に参加したことがあると答えた。
たとえ半分以上消火剤が残っていても、いったん消火器を使用すると消火剤が吸湿しているから消火剤は全量交換しなければならない。消火器の薬剤交換と整備は有資格者でないとできず、十型の粉末消火器の場合は通常六・七千円以上かかるが、これにはもちろん手間賃が入っている。この作業が彼女との接点になれば安いものだと思った私は代金は要らないと言った。美紗はとたんに不機嫌な表情になった。
「私の責任で起こしたことですから支払うべきものは支払います」
「いいよ、ついでの仕事だし貴女と商売するつもりはない」
「私にお金がないと思って同情してるんですか? お情けは嫌なんです」
お情け、という言葉にカチンときた。
「ほう、お情けを求めてない。いくらかでも安くしてもらいたいと思って知り合いの私に声をかけたんじゃないの。貴女は気がつかなかったというかもしれないが消火器にはね、表示板やカードで納入した業者やメンテナンスをしている業者の表示がしてあるんだよ。そうゆう規則になってるんだ。普通に取引するつもりならその業者に連絡すればよかったんだ」
「ええそんな表示には気がつきませんでした。消火器屋さんは日高さんしか思い浮かばないからお願いしたんですけど、安くしてほしいという気持ちがあったのは認めます。だからと言って無料にしてもらういわれはありません」
「お情けのつぎはいわれときたか、いちいち気に障ることをいうね。よし、私もいったん口に出したことを引っ込めるのは嫌だから、じゃあ代金の代わりに今度の休みの日にでも何か御馳走つくってよ」
すぐ拒否するのだろうと思ったが、美紗はしばらく私をにらんでいた、
「いいわ、じゃあいくらぐらいの料理をつくればいいんですか」
「つくってくれるの? それは楽しみだね。詰め替え材料の原価は三千円というとこかな、手間賃はサービスするよ」
6
「山小屋」は月曜が休みである。次の月曜日の夕方美紗は大きな袋にビーフシチュウの入った鍋とポテトサラダ、生野菜にチーズにフランスパンと赤ワインまで持ってやってきた。とても三千円では納まらない内容である。一人分しかない食器の数ではとうてい足りなかったが彼女はちゃんと紙の皿も用意していた。私がしたことはせめてものBGMと思って、バッハの平均律ピアノ曲集のCDを音量を低くしてセットしたことだけだった。
ビーフシチュウは肉の軟らかさといい味といい申し分なかった。デミグラスソースは作り置きしてあり肉は三日間煮込んだと言う。ワインは別に高級品ではないが葡萄の出来が良かったと言われている二〇〇五年のボルドー物で、ほどよい渋みが肉によくマッチしていて私は選定の確かさに舌をまいた。
彼女との会話はぎこちなかっった、料理やワインの選定を褒めても特別うれしそうでもない。話の接ぎ穂を失った私はふと彼女の「山小屋」での発言を思い出した、
「十八史略はみんな漫画って言ったけどどうしてなの」
「そもそもは子ども向けに編纂されたいわばダイジェスト版なんでしょう。それに権力者の側からの見方で書かれた史書の寄せ集めで内容がステレオタイプだからよ。もっとも日本書記だってそうだし、近代以前の世界の歴史書はみんな権力者側からの一方的な見方でしか書かれてないから当然だと思うけど」
「じゃあ漫画はみんなステレオタイプというわけ」
「漫画は絵物語でしょう、優劣や独創性の有無はあるとしてもジャンル自体に本質的な大衆性があって、深遠な思想や情緒を描くのは無理だし、判りやすくドラマチックな表現という制約内の世界でしか存在できないわ。
でもね誤解してほしくないけど、だからといって私は漫画を低級な表現ジャンルとは思っていないの。文芸でもない絵画でもない新たな表現ジャンルで、なんのてらいもなく第一義に面白さを追求するジャンルとしての存在意義は貴重だと思ってるの。その意味ではどこか落語の存在意義に通じるものがあるかもね。なんといっても『面白い』という意識は生きていくうえで最高のモチベーションでしょう」
会話が一気にほぐれてきた。自然に好きな小説や「世界の名作」へと進んでいった。すると美紗はプルーストの「失われた時を求めて」やジョイスの「ユリシーズ」は、言われるとおり文学作品の頂点なんだろうけど、面白くもなんともなくその価値も判らない、と評論家が眼を剥くようなことを言い、
「本当は判る能力も感性もないと言うべきだけど、それ以前に読み通す気力があるかないかの問題になるわね。だけどあんなのもう一度読もうという気が起こる? 人を感動させる力から言えば、大衆小説かもしれないけど、大デュマの「モンテクリスト伯」のほうがはるかに大きいわよ」と首をすくめた。
「それに比べると「源氏物語」はそれこそ動画的で誰にも判る通俗性を持ちながら、表現方法で通俗性を超えた耽美的な詩情を感じさせるじゃない。まぎれもなく世界最高の文学遺産にちがいないけれど、その価値が流麗な言語に支えられているだけに、現代語訳にしたり翻訳したりしたら本当の価値は伝わらない作品だと思う、誇れる遺産だし理解してもらうためにはやむをえないけどね」
「それは古典的な芸術作品の宿命だし、それが駄目だとなるとたんに骨董的な価値しかないことになる。それにしても五百年や千年生き残って、たんなる骨董品かそうでないかの違いは何で判断されてきたんだろう」
「それはたんなる物としてではない感動を、どれだけ多くの人に与えてくれたかじゃない? 時間によって変わってきた環境と生活で価値観までが変動してきても、人には変わらない感性があるからなのよ。天動説から地動説に変わっても太陽や月の形は変わらないし、人がそれを美しいと感じる気持ちも変わらないのよ」
「それと本能もね、価値観が変わっても『恋は神代の昔から』というわけだ」
映画の名作はどうだろうという話になった。すると美紗は、世界的にみても、黒沢明の「七人の侍」を凌駕する作品はまだ産まれてないんじゃないかと大胆なことを言いだした。
「しかし『七人の侍』はたしかに傑作だけど白黒だしもはや古典じゃないの、カラーとワイド画面の現代映画と同列には比べられないんじゃないかな、いまだに『七人の侍』が一番ということはないだろう」
「たしかに白黒映画とカラー映画を同列に論じることはできないかもしれないけれど、様式美の完成度ではカラーはまだ白黒に及ばないと言えるのじゃないの、表現の深さや余韻などで--。白黒とカラーではモンタージュの理論が違うんでしょうね。「第三の男」のラストシーンがカラーだったら、あんなに感動を与えないと思う。実際に見えるとおりの画面という現実感がむしろカラー映画の落とし穴なのよ。その証拠に白黒映画の名作をカラーでリメイクしたのがいくつかあるけど旧作のような感動を与えないじゃない。監督や俳優や撮影環境が変わっているという条件をさておいても、色がついたら感動が減ずるというのは替わりに何かが剥がれおちたからなのよ、何か哲学的な要素がね。
実際問題としていまでは数から言えばカラー映画の名作の方が白黒映画より多いとは思うけど、その完成度の高さにおいて『七人の侍』を凌ぐ作品はまだ無いと思う」
「黒沢明の作品より小津安二郎の作品を評価する人も多いけど」
「そうね、言うなれば小説と随筆の違いでしょうね。巧拙の感情というより実生活者としての共振が安堵感を呼ぶんでしょう。日本人は特に随筆が好きだし、外国人から見ると日本人の情緒が新鮮に見えるのかもね。私は二人の間には表現者としてのスケールの差があると思うわ」
美紗の話し方はあくまで静かで決して激することはなかったが、それがかえって主張に重さを与えていた。私はその素養に敬服しどんな経歴と過去を持つ女なのかますます気にはなったが、むしろ過去を訊ねないほうが無難な思いを強くした。パンドラの箱ではないが、訊いたとたんにいい雰囲気が壊れるようなおそれを感じたのである。それにそんなことよりも、ここ一年以上誰かとそうした議論をする機会がなかった私は議論の愉しさに夢中になり、底の浅さを見透かされないように用心しながら私なりの主張をふりかざした。美紗も店にいるときは見せたことがない笑顔とリラックスした表情で会話を愉しんでいるように見えた。うれしかったのは彼女がけっこう酒に強かったことである。ワインが空くと私が大事にしていた年代物の焼酎を開けた。
7
話がふと途切れた、低いピアノの音が部屋を満たしていく。美紗が部屋を見回した、私のアパートも一DKだ。ダイニングキッチンにある器具で美紗の部屋にあるものより多いのは、電話機とFAX兼用のプリンターと、小さいステレオとCDラックだった。
「日高さんクラシックが好きなんだ、ピアノのCDが多いのね」 「ああ柄になくね」
「そんなことないわよ。そう言えばクラシックの現代音楽は現代絵画ほど人々に受け入れられないように思えるけどなぜなの」
「なるほどね、貴女の言うとおりだとしたら聴いて全然楽しくないからじゃない。人の持つ感動のキャパシティの違いじゃないの」
「感動のキャパシティ?」
「クラシック音楽の場合現代音楽とはほとんど前衛音楽と言っていい。前衛的な表現は創造の世界全てにあることだけど、人の視覚と聴覚とでは生活上の必要性から格差があるんだと思う、その証拠にはほとんどの人が聴覚よりも視覚を失いたくないと思っているはずだよ。それが感動の受容量の差にもなっているんじゃないかな。だから前衛的な絵はなんとか受け入れられる余地があっても、楽しくない音は受け入れる余地がないんだ。現代の作曲家がこの絶対的な事実を認識しないで独りよがりの音いじりをしているから、現代音楽は敬遠されて、クラシックの演奏会のプログラムは大方近代止まりだし、ジャズやポピュラー音楽のほうが圧倒的に大きな市場になったんだよ。
ジョン・ケージという作曲家に、ピアニストが黙って座っているだけの『四分三三秒の沈黙』という作品があるらしいけど、そんなの画で言えばなにも描いていないキャンバスを展示しているようなものじゃない。どんな理屈をこねようと音楽じゃないよ、だれが聴くかね、もっともこの場合は立ち会うと言ったほうがいいのかもしれないけど」
話題が尽きてきた、私のなかにある衝動が芽生えた。ショウの話である。彼の話こそ本当は一番したかったのだが、美紗の人柄や知性が掴めぬままにいきなり話すのにはためらいがあった。たんなる特異人間の吹聴者の一人になってほしくなかったからである。
「ところでね美紗さんは神や仏の存在を信じるかい?」
「また藪から棒に、なんで?」
「いや、信じても信じなくてもいいんだけどね、僕は信じていないんだ。そのわけは神や仏が信仰の対象であるためには本質的に愛と平和の存在でなければならないだろう、神話伝説の類には戦いの神とか反社会的ないろんな神が登場するけど、あれは一種のおとぎ話でそれこそ漫画チックな話でしかない。だから信仰の対象としての神の恩恵が特定の人や地域に限定されること事態がおかしいのに、ある神とある神とが衝突し宗教的な対立が起こって排他的になるんじゃもはや神とは言えない。悪事や悪人がしゃあしゃあと存在している反面、虐げれている人が多いのも神や仏なんか無力である証拠だ。殉教なんて神の無力さのいい訳でしかない。要するに神なんてものは存在しないんだ」
「私も同感だわ。神を戴いた戦争なんて矛盾もいいところよね。要するに神とは生きる苦しみのなかから出現した何かすがるものがほしいという想いを、宗教家が我田引水したものでしかないと思う」
「ところがね、宗教なんか関係なくて神とでも呼ぶべき人は存在するんだよ、しかもちゃんと奇跡まで見せてくれる」
そして私は「ヒラタ ショウ」の話を持ち出した。
美紗の反応は驚くほど大きかった。私を感動させた夕陽を浴びた「思い川」土手での、ショウの決意と述懐の話をしたときには、彼女もうっすらと涙さえへ浮かべていた。彼女はショウに会いたがり、一刻も早くショウを「天照光」から引き戻すべきだと言ったが、二人ともこれといったいい案は浮かばなかった。だがショウに感動し彼を大事に見守りたいという思いの一致は、美紗の私に対する固さを一気にほぐしたように感じられた。いきおいづいた私は次の月曜日は映画に行こうと誘った。このときだけは彼女の都合に合わせられるフリーの仕事が有り難かった。
映画に行った日はそのあとイタリアンの店に行き、ついでカクテルバアに入った。宇都宮は「カクテルバアの街」と言われるほどこじゃれた店が多くある。アパートの部屋の前まで送っていきおもいきって抱きよせた。美紗は少し抵抗したが唇を受け入れた。
8
次の月曜日は安ライトバンでドライブすることにした。十月も下旬になり関東北辺の山谷は紅葉真っ盛りの季節になっていた。日光周辺では行き飽きているかと訊くとかぶりをふって修学旅行で行ったきりだと言う。やはり彼女は栃木の人間ではないらしい。
快晴だった。宇都宮から日光に向かうには有料道路もあるし、日光街道と呼ばれる国道一一九号線もある。しかし私はあえて遠回りをし鹿沼市に出て「例幣使街道」に入った。朝廷より東照宮参詣への使者の道であったという「例幣使街道」は、日光街道の脇街道ともいわれ日光街道にに比べ狭くカーブも多いが、杉並木の景観は有名な日光街道をはるかに凌いでいる。栃木に馴染みが少ないという美紗にそれを見せたかった。
一応東照宮に参拝し、「いろは坂」に向かった。「いろは坂」は上り専用が第二、下り専用が第一となっている。当初は坂は一つで上り下り対面交通だったが、あとから上り専用を造り前からあった坂を下り専用にした。上り下りすると併せて四八になるところから「いろは坂」の名前の由来になったカーブは、現在は上りが「い」から「ね」までの二〇箇所、下りが「な」から「ん」までの二八箇所である。
季節柄ウイークデイであっても車は途切れることなく続いていたが、一寸刻みの渋滞は免れた。上りの高度が増すに連れ周辺は黄色から鮮やかな赤に変わっていく。坂を上りきったところにある「明智平」からロープウエイに乗って中禅寺湖と華厳の滝を目の下に観てから、湖畔を左折し「半月山」の展望所に上がった。ここは比較的知られてないが中禅寺湖を隔てて「男体山」を真っ正面に望む景勝地で、テレビなどで紹介される奥日光の映像はここから撮られたものが多い。この時期湖上に突き出た「八丁出島」の紅葉はまさに万華鏡の世界としか言いようがない。展望所はもう一段上にもあり、ここは日光連山は背後に隠れて見えないものの、筑波山から遠く甲信の山々までが見渡せ、晴れていれば小さく富士山を望むこともできる。眼下には銅山の鉱毒で禿げた足尾の山が広がっている。
ひととおり名所とされている「竜頭の滝」「戦場ヶ原」「湯滝」だのを巡り、いったん群馬県との県境金精峠を抜けて「菅沼」周辺の紅葉を眺めてまた戻り、「光徳牧場」から「山王林道」に入った。この道は曲がりくねって狭いうえに最近まで舗装されていなかったため敬遠されていたが、男体山の裏を回って鬼怒川渓谷奥の「川俣温泉」に通ずる峠道で迫るような紅葉を観ることができる。
「しばらく温泉にも行ってないな」
嘆声をあげっぱなしだった美紗が温泉の硫黄の匂いをかいでふと呟いた。どこか立ち寄り湯に入ろうかと思ったが、
「じゃあどこかに泊まるかい」と言うと頷いた。
心を躍らせた私はそれならばいっそのこと、さらに奥鬼怒の秘湯に連れて行きたいと思った。自家用車で行けるのは「川俣温泉」の先の「夫婦淵」までで、そこに無料の大きな駐車場がある。これより奥には順に「八丁の湯」「加仁湯」「手白沢」「日光沢」と四つの温泉宿があるが、「八丁の湯」と「加仁湯」に中型の送迎バスがあるだけであとは歩くしかない。どれも秘湯にはちがいないが紅葉の季節は一番人気がある時期だ。部屋がなければ「鬼怒川」にでも戻るしかないだろうと思ったら「八丁の湯」にキャンセルが出て泊まれるという。
「八丁の湯」はログハウスの建物と、滝を前面にした段差状の露天風呂が売り物で、乳白色の硫黄泉は女性専用以外は混浴だ。その夜更けの薄暗がりの露天風呂で、奥鬼怒の深い渓流にほの白く落ちる滝の音を聴きながら私は美紗を抱きしめた。細身に見えていた美紗だったが、盛り上がった乳房とくびれた腰のしたにしっかりした肉置きを持っていた。部屋に戻ると全身を貪るように愛撫し彼女も激しく反応した。
翌朝私のアパートに着くと美紗は「部屋のスペアキイがあるんでしょう」と掌をさしだした。その日から彼女は「山小屋」の仕事がおわると私のアパートにきて泊まり、翌朝私が仕事にでかけると掃除をして、洗濯物などを持って自分のアパートに帰るようになった。
美紗といっしょに夕食を摂るようになったため私が「山小屋」に行く回数も時間も減った。ある日店に顔を出すと「熊親父」が眼を剥いた、
「こらあ、看板娘に手をつけたうえ顔も出さなくなって、踏んだり蹴ったりじゃないかどうしてくれるんだ」
私は美紗にあえて生活をいっしょにしようとはきりださなかった。そのほうがより濃密な時間を共有できるしお互いに経済的なことは百も承知だが、彼女の過去を知らずに生活を共にすることに不安があったし、そこに触れるのを躊躇わせる雰囲気を美紗は持っていた。それに彼女も別に同棲を望んでるようにもみえず、私の過去を訊こうともしなかった。それはお互いに求めあいながらも自由でからっとしているが、そこがまたなんとなく物足りない気分がする関係であった。
9
ショウが天照光に行って半年が経とうとしていた。美紗に夢中になっていた私はここ一月ほどショウの母親に会っていなかった。
ある日天照光の者だがという女からの電話が携帯に転送されてきた。一人で仕事をしている私は出張所にかかってきた電話は携帯に転送されるようにしている。
「天照光の粂川と申します。ちょっと事故があってショウさんが怪我をしましたのでT病院に連れて行きました。怪我はご心配におよびませんが、少し静養した方がいいのではと思ってお母さんの元にお返ししました。ショウさんが日高さんに会いたがっていましたのでお知らせしたほうがいいと思いまして」
私は驚いたが丁重にお礼を言い、もし差し支えなければ会って教団でのショウの状況を聞かせてもらえないかと頼み込んだ。
仕事をすませるとすぐショウの家へ行った。ショウは独特の爽やかな風を浴びたような笑顔で出てきた。肩につけた大きな湿布を見せたがなんともないという。
「エイコウセンセイノイウコト キカナカッタカラ タタカレタ」
彼はそう言ったきり、どうしてそんなことになったのかいくら訊いても笑って答えない。母親はショウを天照光に預けたことで私に悪いことをしたとでも思って、ばつが悪いのかぺこぺこしながら「すみませんでしたよう」
を繰り返していた。彼女はショウが教祖に打たれた経緯はわからないが抗議をするつもりはないし、ショウも嫌がっているのでもう息子を教団に戻す気はないと言う。さいわい、ショウを預けたとき教団と文書を取り交わしたり、金銭の授受は無かったようだった。そこで私は「改めてもう一度身柄を預かりたい」と、何らかの名目を設け金銭の提供を条件にして、働きかけてくるかもしれないから気をつけたほうがいいと告げておいた。
電話をくれた天照光の女とは宇都宮の喫茶店で会うことになった。粂川里美と名乗った彼女は会ってみると、私が教団を訪ねたとき受け付けに座っていた女性だった。
「粂川というお名前だということは、教団代表の粂川さんのご関係の方ですか?」
里美は頷き「娘」だと言った。ということは教団設立のきっかけとなった、粂川未亡人のリハビリを栄光に依頼したのは彼女だったのだろう。三十代後半なんだろうが育ちの良さそうなふっくらとした顔付きで、衣装や装身具も派手さはないが上品で高価な感じである。私はまず会ってくれたことのお礼を述べた、
「貴方のことはショウちゃんがよく話していました。ショウちゃんが一番頼りにしている方のようですね」
彼女は教団では自分がショウの世話係だったと前置きして、たんたんと、そんなことまで明らかにしていいのかと思うほどに語ってくれた。
里美が見たところ、ショウは自分が何故教団に行かなければならないのか判らずに、ただ母親に言われるままに来たようだったが、特別嫌がっている風はなかったという。おそらくショウは、彼が始めた「悪い人に注意する」ための出歩きに母親が賛成ではなく、障害者なんだからおとなしくしているべきだと思っていることを感じ取っていたのだろう。だから外出をさせないために母親が命じたのだと悟った。私と知りあいせっかく始めたパトロールがができなくなることは残念だったかもしれないが、小さいときから母親と二人で肩を寄せ合うように生きてきた彼にとって、母親は絶対の存在であり言いつけは拒めなかったにちがいない。
ショウが教団にくると教祖の栄光は、本当に打撃に耐えられるのであれば、町に出歩かなくても人の役に立つ方法があると語った。何をするのかわからないままにショウはテストを承諾し、武道着を着た男の拳や手刀や回し蹴りを受けたり、頭の上から大谷石の塊を落とされたりした。平然と耐えているショウに栄光の驚きは想像以上で、やがて「身代わり皇子」が創造されることになった。
ショウは思わせぶりな服装と髪形で過ごすことを命じられ、天照大神の金色の彫像への参拝者があると彫像のかたわらに屹立させられた。そして毎週金曜日の礼拝セレモニーのときには栄光や信徒の礼拝を受け、躰に触れることを希望する信徒には躰を固くして触れさせることになった。ショウはすぐにこうした行為を嫌がりだしたが、栄光にこれが人の役にたっているのだと説得されてしぶしぶ勤めていた。
そんな数カ月たったある礼拝日のことだった、一人の老婆がショウの躰をさすりながら泣きだした。
「皇子様よう、なんで孫の身代わりになってくれなかったんだよう。いつもお参りしてお賽銭をあげてるでないかよう、お賽銭がたりなかったのかよう」
栄光が老婆をなだめるように背をなで話を聞き出すと、数日前小学生の孫娘が車にはねられたのだという。それを聞いたとたんショウは、
「ボクノセイジャナイ」
と叫び泣きながら奥に駆け込んでしまった。しかし栄光はすこしもあわてず、
「お婆さん大変だったねえ、それでもお孫さんは命は助かったんじゃないの」と訊ね、老婆が頷くと、
「それみなさい皇子はちゃんと身代わりになってくれたんだよ、もし天照大神のお恵みがなかったら、お孫さんは助かったかどうかわからなかったよ」 と述べたのだった。
栄光には事故の情報がすでに入っていた。毎日のそうした情報を地元の新聞やテレビ・ラジオから集めるのも里美の仕事だった。
だがその事件以来ショウはがんとして身代わり皇子を演じることを拒否するようになった。すると栄光は里美にショウをセックスで籠絡し言うことをきかせるよう命じた。しかしショウはいくら誘いをかけてもいっこうに性に関心を示さない。思いあぐねた彼女はある晩ショウを入浴させ自分も全裸になり風呂場に入っていった。ショウはいったん驚いたが、やがておずおずと乳房に手を伸ばし、里美が拒まないでいるとついにはむしゃぶりついてきた。風呂からあがったあと全裸のまま布団にいざなったが、彼は里美が誘導しても勃起もせずそれ以上の行為におよぼうともしないで、ひたすら乳房を愛撫するだけだった。
セックスでの籠絡が駄目だと判ると栄光は映像を摂ろうとした。撮影したあとは身代わり皇子の役を演じなくていいとショウを説得し、撮影内容や日程を業者と協議していたが、実際の程度を見て演技やシーンを検討したいというカメラマンの要望を受けて、ある日教団の裏庭で栄光が自ら木刀を握り見せることになった。
気合と同時に打ち下ろされた木刀、しかしショウは躰を固くせずにわずかに首を傾げ頭でなく肩で受けた。肉を打つ鈍い音が響きショウは「わっ」と叫び昏倒した。
栄光に命じられ里美は急遽ショウを整形外科に連れて行った。彼は打たれた際無意識のうちに多少は躰を固くしたのか、鎖骨にひびがはいったが大きな損傷はうけずにすんだ。整形外科から帰る道すがら、里美はショウに何故躰を固くしなかったのか訊ねた。
「ボクハアルマジロダケド カミサマジャナイデス」
里美はショウからアルマジロというあだ名を持っていたことを聞いていた。ショウの答えを聞いた彼女は、彼は「身代わり皇子」という己の偶像を葬りたかったのだと考えた。そのつきつめた心情を思うと、彼女はショウはもはや教団に居るべきではないと感じ、栄光の承認も受けずにそのまま彼を母親のところに戻してやったのであった。
「それでは貴女はショウ君の大恩人ですね、私からもお礼申し上げます。しかしそんなことをして教祖はえらく怒ったでしょう、貴女は大丈夫だったんですか、暴力をふるわれませんでしたか」
「散々怒鳴られたけど、別に暴力はうけませんでした」
「ああ貴女は粂川さんのお嬢さんですからね、教祖だって遠慮があるわけだ」
「それもあるでしょうけど--」
口ごもった里美に私ははっと気づいた。彼女と栄光は男女の仲になっているのだ。それでなければ彼女にショウをセックスで籠絡しろなどと命じることはできないだろう。何者にもかえがたい母親の身体を再起させてもらった、感謝と畏敬の気持ちが里美を栄光に傾けたのだろうが栄光にはすでに妻子がいた。そして教祖となった栄光は里美の敬いを逆撫でするように、だんだん尊大になり物欲にとりつかれるようになった。あげくのはては、彼女への思いやりのかけらもないショウ籠絡命令である。里美の心と躰のなかには栄光にたいする愛憎のマグマが渦をまいているのだろう。里美の勝手な行為はそのマグマが出所をもとめて噴火したものにちがいない。栄光からはすぐショウを連れ戻すよう言われたが里美は拒否したという。
「身代わり皇子」が居なくなって教団はそのあとどうするつもりなのか、との私の問いに対し里美は、
〔身代わり皇子は修行のため高天ヶ原に帰っている〕ことになっていると言い、その後どうするのかについては何も聞いていないと述べた。
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第三章 乳房
1
ショウをアパートに連れてきて美紗を引き合わせると眼をまんまるくした。
「ヒダカサン ケッコンスルンデスカ ヨカッタデスネ」
「べつに結婚するわけじゃないよ、まあ恋人同士かな」
「ジャア ヤッパリ ケッコンスルンジャナイデスカ」
ショウにとっては恋人同士は結婚するのが当然の成り行きなのだろう。
ショウは天照光にいる間に二十歳になっていた。そこで美紗に引き合わせたついでに彼の紹介かたがた成人祝いをしようと、「山小屋」で夕食を摂ることにした。
「まさに紅顔のの美少年だね」
生まれてはじめてしっかり飲んだというビールに、ほんのり頬を染めたショウをみて熊親父が言った。ショウはアルコールにはあまり強くなさそうである。
三人で私のアパートに帰り美紗がはおっていたコートを脱ぐと、なんとしたことかショウがいきなり彼女の両の乳房を掴んだ。美紗は「なにするのよ」と叫んで手を振り払いショウの頬を叩いた。ショウは「あっ」と声にならない口を開き、
「ゴメンナサイ ゴメンナサイ」 と言いながら泣きだした。
私はショウの背中をさすってやった。
「ショウさんどうしたの、酔っぱらったかな」
彼は泣きながらかぶりを振った。
「サイトウセンセイノオッパイミタイダッタ」
初めて味わう軽い酔いのせいで、彼を抱きしめてくれたという教師の豊潤な乳房の記憶と、コートを脱いでセーター姿になった美紗の乳房が、ショウの脳裏で一瞬ダブったのだろうか。
ショウのことはあらまし美紗に話し、彼が女性の乳房に強い憧憬を持っているらしいことにも触れといたが、小学校の担任教師の乳房の話まではしていなかった。私は美紗にあらためてその話をして彼を赦してやってくれと言った。
「さあショウさん美紗も赦してくれたから泣くのはよしな。これからも女の人にいきなりこんなことしちゃあだめだよ。でもショウさん美紗に叩かれたとき躰を固くしなかったね、痛かったろうに間に合わなかったのかな?」 彼はかぶりを振った。
「スグイケナイコトダトワカッタ」
美紗は感心したのか「ああ」と声をあげ、何を思ったか彼の前に立った。
「ショウさん叩いたりしてごめんね。じゃあどうぞ、触ってもいいよ」
ショウはぱっと顔を輝かしたがおずおずと私の方をうかがった。私が頷くと腰をかがめて美紗の胸の間に顔を埋め、両手で左右から乳房を寄せるように愛撫し続けた。
ショウはさいわいまた福祉作業所に通えるようになった。彼は休みになる土日の「悪い人に注意する」パトロールもすぐ再開したがったが、私は肩の打撲症が癒えるまで待つように言い、代わりにドライブをしたり、消火器の設置や詰め替えなどの簡単な仕事が入っているときは手伝ってもらったりした。ところがでかけるとうかつにコンビニやスーパーに入れなかった。ショウはそこでやたら商品をいじりまわす子供や、買い物籠やカートを放りっぱなしのまま行こうとする女など、小さなマナー違反をみつけるとすぐに注意しようとする。躰がなおりきっていないだけに連れの男でもいて暴力を受けたりするとことである、でかけると私は彼を監視するのにおおわらわになった。ショウの自由にまかせている日曜日はなお心配になり、結局一カ月ほどは日曜もおおかた彼と過ごすはめになった。
実際もう躰は大丈夫だろうと再開したパトロールの、初っぱなのトラブルは弁当を買おうとあるスパーに入ったときだった。土曜日なので駐車場は奥まで一杯だったが、店の入り口の近くに車椅子搭載車専用の駐車スペースが設けてありその一つが空いていた。そこへRV車がきて停まり四人家族が降りた。車椅子の者は誰もいない。
「ソコハクルマイスノヒトノバショデスヨ」
ショウがさっそく声をあげ、小学生らしい姉妹がびっくりしたように立ち止まった。
「ほらここはまずいってさ、どこかに停めてきなよ」
女房らしい女がそう言ったが、中年の男は黙って下の娘の手をとって店に入ろうとした。
「アナタハ ワルイオトウサンデスネ」
ショウの言葉に男は「何」と気色ばんだが、手を握っていた娘の泣きだしそうな顔をみて車に戻っていった。
弁当を買って出ようとすると出口に男が待っていた。家族は見当たらない。
「ちょっとこい」
そういうとスパーの裏の荷卸し場の陰に連れて行かれた、表から死角になっている。男の顔は怒りからか青白くなっていた。
「さっきはよくも子供の前で恥をかかせやがったな」
「コドモノマエダッタラ ナオルールヲマモリナサイ」
「うるせーよけいなお世話なんだよ、おめえ何様だと思ってるんだこの野郎」
拳が突き出され「がきっ」と音がした。今まで何度もみたように男は「わっ」と悲鳴をあげ、拳を抱えてうずくまってしまった。
幹線道路から広域農道への丁字路を左折しようと信号待ちをしていたときである。前に停まっている作業用のライトバンがウインカーをだしていない。私は舌打ちした、
「ほら、最近は曲がるときにウインカーをださない奴が多いんだよね、だしても信号が替わってからほんのお義理にだすとかさ。交差点でウインカーださないから直進かとおもって後ろについていたら、右折する車だったりして腹が立つことが多いんだ。運転のマナーが薄れてる証拠だね、これも明らかな法規違反なんだけどね」
案の定ライトバンはウインカーをださないままに左折した。続いて私も曲がる、
「マガルトキハ ウインカーヲダシテクダサーイ」
ショウが窓を開けびっくりするような大声をだした。ライトバンが急停車し危うく追突しそうになった。車を停めると作業服姿の男が二人降りてきた。
「なんだこの野郎俺たちに因縁つけるのか」
「インネンジャアリマセン チュウイデス」
「生意気に、ちょっと降りろ」
男が殴りかかり例によって叫び声をあげしゃがみこんだ。それをみたもう一人の男が金属パイプを持ち出してきた。振りおろしたパイプが「がんっ」とはねとばされた。男は恐怖の眼を見開いてショウを見、しゃがみこんだ男を助手席に乗せると急発進していった。
だがショウは私の運転にも厳しかったのである。制限速度を超えるとすぐ注意し、十キロぐらいまでのオーバーは、警察の取り締まりがあっても大目にみられるから大丈夫だと言っても
「ダメデス」ととりあわず、黄信号でつ走りでもしようものなら「シンゴウムシ」と大声を上げるのだった。
2
私たちのパトロールのパターンは、遊びや食事を兼ねて一週間おきに宇都宮へ行き、他の週は周辺の市や町を回ることにしていた。しかし宇都宮や県内で二番目に大きい小山などへは車は使わず電車で行くことにした。宇都宮や小山は交通量が多いだけに、車で走りながら小悪事やマナー違反を見つけていちいち停車しても、トラブリでもしたら駐車違反をくう確率も高く、なんのためにやっているのかわからなくなるからである。
電車に乗ればショウはさっそく携帯での通話チェックを始める。そうでなくても車内の床に座り込んだり、傍若無人に座席を占拠している若者も多くショウは遠慮なく声をあげた。ある日小山で男の高校生が乗り込んできた。モヒカン刈りの髪を茶色に染め立て、だぶだぶのズボンはポケットから鎖をちゃらつかせ、尻の上で背中を露出させ裾をひきずっている。汚れた靴の踵は踏みつぶされ全体に匂うように薄汚い。「キタナイカッコウデスネ」ショウが言ったのを聞きつけて、
「なんだこの野郎」と凄んできた。
「キタナイデス ドウシテソンナカッコウスルンデスカ」
「うるせえ」
いきなり殴りつけてきた。ショウががしっと手首を掴んだ。驚いて蹴ろうとした瞬間ショウが腕を放すとバランスを失ってひっくりかえった。高校生はばたばた靴音をたてて隣の車両に逃げていった。
電車を降りれば街には非常識と我が物顔ととげとげしさが満ちあふれ、彼の言う「悪いことをしている人」をみつけるのに事欠かない。ゴミや飲み物の放置、吸殻のぽいすて--。オリオン通りの真ん中でコンクリートの上に座り込んで、酒や煙草を前に嬌声をあげている高校生達もいれば、禁止されている自転車に二人乗りして、通行人の間を縫うように疾走している若者もいた。人の直前を無遠慮に横切る人間が増え、ぶつかりそうになった年寄りが「気をつけろ」と怒鳴られている。
デパートに入れば我が物顔に走り回る子供を注意しない母親もいれば、赤ん坊を床ではいずり回りさせて平気な若い母親までいた。ショウはそうした情景を見るたびに片っ端から声をかけ、無視されると何度でも繰り返した。くってかかられようがすごまれようが平気の平左だったが、殴りかかられることは思いのほか少なかった。ショウは注意するとき障害者に特有の爽やかな笑顔を浮かべている。そして甲高い声。それが一種の異様さに感じられ、反発しようとする気持ちを削ぐのかもしれない。それでも殴りかかってくる人間は、日常なにかの不満と苛立ちを抱えて尖っているのだろう。
ある日映画館をでて裏通りを歩いていたときである。右翼の街宣車が軍歌「戦友」を大音響で鳴らしながらやってきた。中型バスの前面や窓には格子状の鉄枠をつけ、窓は黒いシールを貼って目隠しをして、横腹にはでかでかと党名を書きなぐってある。田中屋という看板がある大きい酒屋の前に停まるとがなりだした。
「皆さん、田中屋さんは大変良いお店です、お店の人は親切です。定価をきちんと守っていますからとても儲かっています。お父さんは立派な人ですからなるべく税金をおさめないようにして、たくさんお金を貯め奥さんを三人持っています。皆さんお酒は立派な田中屋さんで買いましょう」
なにがあったのかしらないが褒め殺しといういやがらせらしい。ショウが街宣車の前に飛び出した、右翼は危ないと思い止めようとしたが間にあわなかった。両手を回しながら大声で叫ぶ、
「ヤメテクダサイ ヤメテクダサイ」
街宣車からお定まりの迷彩服の男が三人降りてきた。
「なんで邪魔すんだこの野郎、俺たちは褒めてやってんだぞ文句あっか」
「ヤカマシイデス ミンナノメイワクデス」
「てめえに関係ねえだろうが、俺たちを何だと思ってるんだなめてやがんな、ちょっとこっちにこい」
バスは後ろが開くようになっていた。三人はショウをバスのなかに連れ込んだ。窓が塞がれているため中で何が行われているのかわからなかった。すぐ怒声と「がん」「どたん」という打撃音が響いてきた。
やがて打撃音がやみショウがバスの後ろから出てきた、何事もなかったようないつもの爽やかな笑顔を見て私は胸をなでおろした。ルールやモラル違反を注意するのはいいが心配の一つが反発して刃物をふるわれることである。いくら固くなったショウの躰でも刃物となると跳ね返すほどの強度にはなるまいと思われる。世の中に苛々感が横溢していて最近のトラブルはすぐ刃傷ざたになる傾向がある、ましてや相手は右翼だったから。
しばらくするとバスは音をたてずに動きだし、酒屋から飛び出していた店員が、不思議そうなぽかんとした表情を浮かべたままショウに何度も頭をさげた。
3
季節は冬に入ろうとしていた。「山小屋」に四十代だろうが派手な化粧の女が現れるようになった。高価そうな衣装にきらびやかな装身具をつけネールアートまでほどこしている。近くの高級マンションにいるらしい。彼女が現れると店のなかがパッと明るくなるが、そのぶん浮き上がって店の雰囲気にそぐわないのだが、何が気に入ったのか昼食にも夕食にも顔をだすようになった。「山小屋」のメニュウはなんの変哲もない定食主体だがたしかに味は悪くない、だがどうやら女が一番気をひかれたのは熊親父の女房らしかった。上品で可愛い面影を残している彼女は、いつも笑顔を絶やさないが口数も少なくお世辞も言わない、だがなぜか女は店にくると女房と話したがり、やがて店にも混まない時間を選んでくるようになった。しかし美紗は彼女にもいつものように愛想のない応対を繰り返していた。
彼女は飲み屋街にあるクラブ「R」のママであることが伝わってきた。「R」にはフィリッピン人ホステスがいて、そのホステスは買えると噂のある店だった。ある夜酔ったサラリーマン風の男が店に入ってきて彼女を見かけるとからみだした、
「おや淫売屋の女がいる。こいつは淫売屋なんだ、この店の女はろくにやらせもしないでとんでもない金を取りやがるんだ。やい、金返せ」
「なんて失礼なこと言うの、お客に迷惑かける人はお断りよ。出ていって」
美紗が血相を変えてつめよった。男は「なにお」と凄んだが熊親父に腕を取られて外に連れ出された。美紗が女に謝り熊親父も女房も頭をさげた。女は両手で美紗の手を握りしめて、
「どうも有り難う」と言いながらいつまでも放そうとしなかった。女の眼に涙が浮かんでいた。
女の名前は美恵子と言った。この事件をきっかけに、彼女は熊親父の女房をのぞけば美紗が会話をかわすただ一人の女になった。美恵子は人目を意識して快活そうににふるまっていても、ふとしたときに斜め後ろなどから眺めると、厚化粧した首筋から頬の線にかけてよどんだような陰を感じさせた。美紗もなにかの陰を負っている、二人はそこに感応しあうものがあったのかもしれない。
年が明けたある日の午後私が美紗のアパートにいると、美恵子がなにか贈り物を持ってふいに現れた。私がいるのに驚いた様子だったがすぐに納得した表情になった。それをきっかけに私も彼女と言葉をかわすようになった。
ショウは「山小屋」や私のアパートで美紗に会うと必ず彼女の胸に視線を向ける。視線には憧れがこめられていたが、美紗が二度と触らせることはなかった。しかし粂川里美の話もあり、ショウは乳房への憧憬はあっても性欲はないように思えるが実際はどうなのか。そういえば躰を固くしたとき性器はどうなっているのか。ショウが今まで股間を攻撃されたことはあるのかないのか聞いてはいないが、はたして防御されているのか。ある日のパトロールの合間にそれとなく訊いてみた。
「ショウさん躰を固くしたときおちんちんはどうなってるの? 急所だから狙われるとあぶないけど、やっぱり固くなってるのかな」
「カタクナラナイケド ヒッコンデルカナ」
「じゃあ蹴られても平気なんだね」
「ケラレタコトアルヨ バスノナカデモケラレタ」
「そうだったのか。じゃあ普通のときおちんちんが固くなることはあるの?」
「アルヨ アサオキタトキトカ トキドキネ」
「ショウさん女の人のおっぱい好きじゃない。おっぱいに触っているときセックスしたい気持ちにならないの?」
「セックスシタイッテ ドンナキモチカナ」
「うーん、はっきり言えばおちんちんが固くなって、女の人のまんこに入れたくなる気持ちだよ」
「ハハハ オチンチンヲネ ソンナキモチニナッタコトナイネ」
どうやらショウは不能ではないものの、本当に性欲はないようである。
ショウに普通の性欲が無いらしいと判ったことである考えが浮かんだ。「R」のママ美恵子に頼んで店のホステスを斡旋してもらい、ショウに乳房を堪能させてやれば喜ぶだろうと思ったのである。乳房への愛撫だけなら淫行にもその斡旋にもあたるまい。私がそう考えたのにはきっかけがあった。
一カ月ほど前のことだった。栃木の地方新聞の社会面に小さな記事が載った。
【通行人みんなで「ひったくり」を捕らえる】 と題された内容は、
『昨日の日曜日、栃木市でコンビニのATMで現金を引き出し出てきた老婆が、バイクに乗った男に手提げ袋をひったくられたが、通りかかった若い男性がバイクに体当たりして転倒させたため、付近にいた数人の通行人に取り押さえられお金は無事老婆のもとに戻った。お手柄の若い男性はすぐ立ち去ったので警察で是非名乗り出てほしいと言っている』
というもので、読んだ瞬間私は若い男性とはショウだと確信した。走っているバイクに体当たりして怪我もしないで立ち去れることや、日曜日であったことを考えれば彼に違いない。土曜日に会って訊ねるとはたして「ボクデス」と言う。
「褒美をもらえると思うから警察に行ったら」
「ホウビナンカイリマセン」
だが正直のところ私は彼に名乗り出てもらいたくはなかった。
日曜日はショウにかかわらないことにしていた。ショウは私と会う以前から「悪い人に注意する」ために土曜だけでなく日曜も出かけていた。彼の崇高な想いに感動し手助けするといっても、土日の二日ともそれに当てるのは気が重かったし休みにしかできない雑事もある。そのため日曜は勘弁してもらっているが、私には彼の日曜の外出を止める権利は無い。それにもかかわらず私のいないところで、世間やことにマスコミの注目を受けてもらいたくないという気持ちがあり、ありていに言えば勝手に一人で有名になってもらっては困るというさもしい料簡であった。
私は四十を前にして落ちこぼれ人間になった、浮気で墓穴を掘ったのである。しかし二年前までは普通のサラリーマンだった。二流の会社かもしれないが課長も目前だった。妻にはたった一つの点を除き--胸が大きくなかった--ほとんど不満もなかった。女の魅力の第一を胸に置いている私ではあったが、魅力の第二の脚はきれいだったし、美人だったし優しい性格だの料理の上手さだの幾つもの良さを持っていたからである。だから私の浮気は妻への不満からではなく生来の浮気心からだった。それで職も家庭も失って、美紗が「消火器屋」と呼んだような零細な防災下請け業者になった。しかし実態は消火器そのものの売買よりも消防機器全般のメンテナンスが主体で、仕事そのものはべつに嫌ではなかった。だが限定された需要のなかでの手数料商売が主だけに、商売の発展性も収入の増加も期待できず、産業界の底辺へ階段を降りきって下請暮らしになったという、挫折と屈辱の思いは拭うべくもなく、一日も早く抜け出したい思いに苛まれていた。
そんな私にとってショウを知ったこと、しかもその存在が知れ渡る前に知ったことは暗夜に燭光を見たような小躍りしたい心境だった。ショウをマネージメントすることは、みじめな今の状態から抜け出すためのまたとない手段に思えた。しかし私はショウを世間に売り出す適当な方法を見つけだせないでいる。だが今のようなパトロールを続けるかぎり、彼の存在が知られるようになるのはそう遠くないと感じていたし、その意味ではバイクに体当たりして老婆を助けた行為はまさに売り出しの絶好の機会だった。しかし直接ショウにアプローチできると判れば、マスコミは私の存在などは簡単に無視してしまうだろう。彼を踏み台にするつもりはないが、彼が脚光を浴びるときは彼の発見者として、私にも光が及ぶように繋がっていたかったのである。私がショウに女の乳房を堪能させようと考えたのは、ショウを愉しませるためというより、彼に恩を売ることで私から離れられない一体感をさらに強く植えつけたいという思惑からだった。
4
「何言ってるのいやらしい、それって金で女を買うことじゃないの絶対許せないわ」
ある日私の計画を言うと美紗は怒りだした。
「金で買うたって普通の意味の買春とはちがうよ、乳房に触るのが目的なんだから」
「乳房であろうとなんであろうと買春にちがいないわよ。ショウちゃんは世の中の人に正しい行いをさせようとしてるんじゃないの、その彼に正しくないことをさせるわけ」
「正しいか正しくないかは目的と行為によるよ、手段の善し悪しも目的にあわせて判断すべきだ。ショウの場合は目的も行為も少なくとも淫行にはあたらない」
「そんなの詭弁だわ、目的の善し悪し以前に発想自体が許されることじゃないわ。第一それショウちゃんがねだったことなの」
「ショウから頼まれたわけじゃないけど、彼の一番の願望なのはたしかだからね」
もちろん本当の狙いは明かせない。
「じゃあ私が触らせてあげるわよ、ショウちゃんにはいやらしい意図がないんだから赤ん坊がおっぱい触るようなものでしょうよ」
「それは駄目だ」 「どうして」
「僕も君と同じことを考えてみた。しかしいくら性的意図がないと思っても、君を触らせるのは耐えられない。だから無関係な人間のほうがいいんだ」
「みえすいたことを言って丸め込もうとしても駄目よ。ねだまれたわけでもないのにどうしてそこまでしようとするの--。
ああ、あなたの魂胆がわかったわ、本当はショウちゃんを喜ばすためというより縄をつけておきたいためね。下劣、見損なったわ」
たちまち私の本心を見破ったのか、彼女はそう言いすてると私に値踏みするような一瞥をなげ、憤然とアパートを出ていった。これは美紗との初めての諍いだった。彼女は翌日も翌々日もアパートにこなかった。
美紗と喧嘩別れになったのはこたえた。私は考えを捨てきれないでいたが彼女恋しさに我慢できなくなり、とりあえずは案を引っ込めるしかないと思った。三日後の夜彼女のアパートを訪ねた。
「この間の話は撤回するから、見損なわないで戻ってきてくれないかな」
美紗の表情には怒りはなかったが、初めて彼女を見たときのような冷たさが浮かんでいて私はひそかにおそれた。それでも彼女は頷き静かな声で言った。
「私もそんなことで貴方と別れるつもりはないわ。でもどうしてそんなこと考えたの、恩を売ることを考えたんでしょうけど、そんなことしなくても貴方とショウちゃんとの間にはもう強い絆があるじゃないの」
「僕はそんなに強い絆だとは思えない。ショウは純粋なだけにかえって周りの人間の思惑や立場を斟酌するアンテナは弱い。状況によっては簡単に置いていかれる可能性があるよ。漫才コンビの悲劇じゃないが『売れた相方に忘れられた相方』にはなりたくない」
「それは思い過ごしよ。私ショウちゃんと話してみるわ」
次の土曜日私たちがパトロールから帰り「山小屋」に行くと、美紗は「山小屋」に私を残してショウを連れて帰った。
「ショウちゃん今日は一日ご苦労さま。日高さんといっしょだと楽しい?」
「トクベツタノシクナイデスヨ」
「ああやってることは楽しいことじゃないものね。だけど日高さんは好きでしょう」
「ダイスキデスヨ トテモシンセツダシ」
「これからもずっといっしょにいたい?」
「ソレハワカラナイナ オトウチャンジャナイシ」
意外な答えだったが、ショウが言いたかったのは肉親のような絶対的な不可分の関係ではないという意味なのだろう。
「話は違うけどね、ショウちゃんが一番したいなと思っていることはなに、やっぱり女の人のおっぱいに触ること?」
ショウは大きく頷いた、
「おっぱいに触るのはそんなに楽しいの?」
「ウン ヤワラカクテアッタカクテ イチバンウレシイキモチニナル」
「どんな女の人のおっぱいでもいいの?」
「ウン ホントウハ オカアチャンノオッパイガイチバンダケド チュウガクニナッタラ モウサワラセテクレナクナッタンダ」
そう言うとショウは遠くを見るような目つきになった。彼にとって女の乳房は大いなる〔母なるもの〕への憧憬と賛美の感情なのだろう。
「日高さんがね、バアで働いている女の人にお金を払って、ショウちゃんにたっぷりおっぱいを触らせてあげることを考えたのよ。ショウちゃんそんな人のおっぱいでも触りたいと思う?」
「ウンサワリタイ ウワーヤッター」
ショウは両手を挙げて万歳した。彼には金で買った女に触れることへのこだわりは全くないようだった。
「だけどねお金をだして女の人の躰に触ることはいけないことなの、だから私は駄目だって言ったの」
「イケナイコトデスカ ソンナライイデス」
ショウは見るもあわれなほどがっかりした表情になった。
「だからね、日高さんがショウちゃんを喜ばせようと、そんなことまで考えてくれたことは忘れないでね」
やがて私がアパートにもどると、私のアパートにショウを泊めることにして私と美紗は彼女のアパートに行った。美紗はショウとの話の内容を私に告げると遠くを見るようなまなざしになった。
「私はやっぱりそんなことするべきじゃないと思うし、してもらいたくないけど、ショウちゃんのおっぱいへの欲求は純粋な憧憬であることもよくわかったわ。どうするかは貴方に任せることにする」
5
美紗の言葉はおそらく私への賭だったのだろう。それは私が私の作為と彼女の願いのどちらを採るかで、私たちの愛の帰趨を暗示すると感じたにちがいない。しかし私は逡巡したあげくショウの気持ちを惹きよせる方を選んだ。彼の存在の貴重感と彼がもたらしてくれる現状変革への可能性は、美紗との間に溝が生まれ、甘い未来は幻想に終わるかもしれないというおそれに勝ったのだ。
私は「R」のママ美恵子に「相談したいことがある」と電話し彼女のマンションを訪ねた。セキュリティも完備した高級マンションの通された応接間は、思ったほど豪華な調度は無かったが甲冑と大小の日本刀が飾られ、やはり主が男であることを示していた。
「ホステスを一晩買えないだろうか」
ときりだすと、美恵子はたちまち不機嫌になり、
「そんな商売はやってない」
ととぼけたが、目的が乳房愛撫であり、知的障害をもつショウの唯一の願望であることと、それゆえに彼が美紗の胸に憧れを示していることを話すと、心をうたれたらしくしばらく考える様子だったがやがて打ち明けだした。
「胸が大きいと言ったらいい子がいることはいるわ、アロっていう一番の売れっ子でね。ただね私は雇われママで店は組のものなの、それに女の子はノルマがあるから、胸に触るだけといっても特別な料金にするのはむずかしいわね。一晩となるとなおさらね」
アロという女は二十歳になったばかりの魅力的な容姿をもっているフィリッピン人で、ブローカーの甘言にのせられ観光ビザで日本にきたあげくに、組に売られて借金を負わされ、組の監視のもとでホステスをさせられているが、貧しかった境遇からか諦めが早く、他の女のように自棄になって不貞腐れるでも反抗的でもなく組の評判もいいという。美恵子は彼女たちには日毎月毎のノルマがあり、それは部屋代や食費などとリンクしているから、安易に値段をさげると彼女たちの首をしめることになるのだと言った。それならば通常の料金でいいと言うと、美恵子が提示した金額は思いのほか高額だった。負担はこたえるがしかしいまさら「それじゃあ止める」とも言えなかった。
ショウに話が復活したことを告げるとこおどりして喜んだが、すぐにしょげた、
「デモミササンハ イケナイコトダトイッタヨ」
「難しいことだけど普通にはいけないことなんだよ、普通はお金を払うのはセックスを目的にしてるからね。セックスをするために女の人にお金を払うことはいけないことになってるんだ。だけどショウさんの場合はもっときれいな目的だから許されると思うよ」
数日後美恵子から連絡があり、私が責任をもつならアロを一晩預けてもいいと言ってきた。そしてある一日美紗のアパートで二人をすごさせることになり、私は指定された夜八時過ぎに「R」にアロを迎えにいった。「R」に行くのは始めてだった。JR宇都宮駅に近い歓楽街にある四階建てのビルの二階にあった。一・二階はバーやクラブ、三・四階は事務所か住宅という複合ビルらしい。厚い扉を開けるとすぐ低いブルースが耳についた。店内は深みのある赤を基調にした内装で統一され、ソファーブースが三つとダンススペースがあり隅にカウンターもある。そのカウンターの椅子に美恵子とアロは座っていた。
アロはなるほど細身なのに大きく盛り上がった胸を持っていた。そのうえ眼が大きく男好きのする顔付きにもかかわらず、物腰は静かで淫らな感じも崩れた感じも全くない。私はショウのためにほっとした。
「ワタシヨクワカラナイ ドウスレバイイデスカ」
車の中でアロが訊いてきた。片言の日本語はしゃべれるらしい。こんな不本意な境遇にいながら日本語も覚えようとしたのだろうか、美恵子が語ったアロの前向きの態度とはこの健気さを指しているのだろう。接客の内容は美恵子から聞いているはずだが、信じられないのか不安で緊張している。あるいはアブノーマルなプレイでも強要されることを心配しているのか。私はゆっくり言った。
「しんぱいいらないよ とってもやさしいせいねんでね おんなのひとのおっぱいにとてもあこがれているんだ おっぱいにさわるだけで セックスはしないとおもうよ」
「ホントウニソレダケデイイデスカ」
「いいよ だからおっぱいはすきなだけさわらせてね」
美紗のアパートで待っていたショウは、アロをみると貌中を笑顔にして「コンニチハ」と頭をさげた。アロも一度に緊張が溶けた様子で「コンニチハ」と挨拶を返した。リビングには美紗が用意した食べ物と飲み物が置いてある。美紗がショウに寝具やキッチンの説明をし私は彼に
「まず二人でシャワーを使いな、ちょっと狭いかもしれないけど」 と言い置いて部屋を出た。
翌日の朝十時すぎに美紗のアパートに行ってみると、二人はテレビの画面に向かい合って座り笑いながらスナックを食べていた。ショウの端正な貌と大きい眼をしたアロの美しさがよく似合っている。アロは昨夜来たときとうってかわって晴れやかな表情をして、片手でショウの手をしっかり握りしめていた。寝室をのぞいてもどこにも性行為の匂いはなかった。
ショウとの別れ際にアロは激しく彼に口づけし、ショウはしきりに照れていた。美恵子のマンションに行ってアロを渡しまた美紗のアパートに戻った。
「ショウさんどうだった、楽しかった」
「ウン アロサンノオッパイオオキイヨ ミササンヨリオオキイトオモウヨ」
美紗が「ぴたん」とショウの額を叩いた。
6
次の土曜日パトロールの迎えにショウの家に行くと、笑顔で出てはきたがなんとなく表情が冴えずあの爽やかさが消えている。車に乗るとすぐどこかに停めてと言う。「わんぱくランド」の駐車場に入った。
「ヒダカサン ボクテレビニデタイ」
「テレビに? また急にどうしてなの」
「ケイトラカエルクライ オカネモラエルンダヨネ」
「ああその話ね」
ショウの特異体質をビデオに摂りテレビに売り込む計画は、母親に拒否され彼が天照光に預けられたことで自然消滅したが、ショウの頭の中には残っていたのだろう。テレビに売り込む話をしたとき、ショウは出演料で軽トラックを買い、自分が働いている作業所に寄贈したいと考えたのだった。私はテレビ局から断られたことをショウに話していなかった。テレビ出演は難しいことを話すとショウは驚くほど落胆した様子だった。
「ショウさんは本当にえらいね。だけど作業所のみんなの役にたつことはなにか他にも見つかるよ」
「サギョウショノタメジャナイ アロサンノタメデス」
「アロさんの?」
「ウン アロサンカワイソウ シャッキンガアッテ フィリッピンニカエレナインダ」
そういうことだったのか。純真なショウはアロに身の上話を聞かされ一途に同情したのだろう。
「ショウさんは本当にいい人なんだね。アロさんを扶けることはとても立派なことだけど、アロさんの立場はいろいろな問題があってね、たとえ借金がなくなっても簡単には国に帰れないんだ。それに借金の額も軽トラックの値段どころじゃないらしいよ」
ショウは驚きの表情でそれは幾らなんだと訊いた。私は美恵子から残金がまだ二五〇万あることを聞いていたが、ショウにそれを告げてもはじまらないとおもい知らないと答えた。すると[R]のママに訊いてくれと言う。
「だけどショウさんそれを知ってどうするの、知ったからって我々にはどうしようもないことだし、さっきも言ったようにお金だけの問題じゃないんだよ」
「デモキイテクダサイ オネガイシマス」
ショウは泣かんばかりの表情で、なんどもなんども頭をさげた。
ショウは二日にあけず「訊いてくれたか」と電話してきた。二度目に「まだママから返事をもらえない」と言うと、自分で訊きに行くから「R」の場所を教えろと言う。やむなく次の日金額を告げた。ショウは電話口で息を飲み黙してしまったが、作業所から月々もらう賃金が三万円たらずにすぎない彼にとって、二五〇万という数字は途方もないものだったにちがいない。
金曜日の夜「明日のパトロールは休みたい」とショウから電話があった。
翌土曜日の夜「天照光」の粂川里美から電話がかかってきた。
「今日ショウちゃんが来ましてね『天照光に戻りたい、なんでも言うとおりにするから二五〇万円欲しい、栄光さんに話してくれ』って言うんですよ、『わけは言えない』って言うしね。『そんなことできることじゃない』って帰しましたけど、いったい何があったんですか」
私は仰天したが、「彼がなにかとんでもないものを買いたがってるらしい」と言い繕い、彼女の段階で話を留めてくれたことに幾度も礼を言った。
ショウが本気でアロを扶けたいと思っていることがはっきりした。私はショウの私への求心力を高めたいという思惑の、思いがけない成り行きに臍をかむ思いだった。美紗はそれみたことかという表情を浮かべたが口にはださなかった。日曜日私はショウをアパートにつれてくると、美紗と二人がかりで翻意させようと説得した。ショウは一言も口をきかず、なんの表情も浮かべず交互に私達の顔をみつめていた。私は無垢な魂に一端刻み込まれた決意は容易には翻意させられないのを感じ頭を抱えた。
7
次の土曜日ショウとのパトロールを再開した。ウインカーをださない車や、ごみの投げ捨てなど小さなトラブルはあったものの、早春の下野の野のドライブが主体になった。不思議にもショウはアロの問題をなにももちださなかった。私は彼があきらめて考え直してくれていることを願わずにはおれなかった。土曜日のパトロールのあとは「山小屋」で夕食を摂るのが定番になっている。だがその日はショウが「ヨウジガアル」と言うので家で降ろした。その夜七時すぎだった。「山小屋」にいると携帯に「R」の美恵子からの電話が転送されてきた。
「ちょっと日高さん、あのショウちゃんていう人が店に来て困ってるのよ、すぐに迎えにきてよ」
とるものもとりあえずタクシーで駆けつけた。それにしてもショウはどうやって「R]を探し出したのだろう。店に入ると一組の客があり、数人のホステスがついていたがアロの姿はなかった。彼女の出番はもっと後なのだろう。すぐ美恵子が出てきてカウンターに案内された。
「まあ驚いたわよ。いきなり来て、『お願いだからアロさんをフィリッピンに帰してください』って言うの。『借金は自分が何年かかっても返すから』って。そんなことできないって断っても、お願いしますの一点張りで動かないの。マスターに放り出させようかと思ったけど、ほらあの人あれじゃない、障害者なんでしょう、あんまり邪険にも扱えないしねえ。もう絶対こないようによくいいきかせてください、お願いしますね」
ショウはバアカウンターの裏に当たる事務室のような小さな部屋の椅子に座っていた。眼が真っ赤だった。私が肩に手を置き「ショウさん帰ろう」と促すとおとなしく立ち上がり、
「ドウカオネガイシマス」と美恵子に深々と頭をさげた。
ショウをアパートに連れて帰り、美紗が食事を作ったが彼は食べようとしなかった。
「ショウさん次々と思い切ったことをするね。こうしてみるとたんに同情からだけじゃないね、アロさんが好きになったんだね。でも一晩逢っただけだろう、ちょっとせっかちすぎないかな。まあ一目惚れという言葉もあるけどね」
「スキニナッタンジャナイデス」
「でも好きにでもならなきゃこんな思い切った行動はできないよ。ショウさん自分で自分の気持ちがわかってないだけだよ」
「チガイマス ヤクニタテルカラデス」
「そりゃあアロさんの役には立つことだけどさ」
「ああ」と声を上げたのは美紗だった。
「違うのよ。ショウちゃんが言いたいのはね、自分の行為で具体的に結果を出せることだからということだと思うわ。ショウちゃん悪い行為をたしなめることで人の役に立ちたいと努力してるじゃない、そのために暴力を受けることさへ厭わないで。けれどたしなめてもそのあと自分の行為が本当に役に立ったのかどうか判らない、という残念な思いがずっとあったのよきっと。たしなめた人がその後どうしてるか確認できないからね。でもアロさんの場合は自分の行為の結果がはっきりしてるじゃない」
私はなるほどと思った。たしかにこれはショウがはじめて遭遇したケースにちがいない。ショウはこれを成就させることに意義と同時に歓びを感じているのだろう。東武宇都宮駅でショウと再会して「思い川」の土手で夕陽に向かい合ったとき、ショウが語った言葉が蘇ってきた。彼は役立たずと言われるのを残念に思い、常に人の役に立つことを希求して自分を犠牲にすることを厭わないできたのだった。
私は私とは比べられないショウとのつきあいにもかかわらず、彼の不充分な表現に気持ちをくみ取った美紗の感覚にあらためて感心した。だがそれならばなおさらショウを翻意させるのは難しくなる。
一週間後ショウの家にいくと、彼は気力のない表情でパトロールにいかないと言った。じゃあドライブか映画でも見に行こうと誘ったが行きたくないと言う。
また次の土曜日にいくとびっくりするほどやつれていた。母親はおろおろしている。
「日高さん、ショウがおかしくなっちまっただよ。飯も食わねえし、しゃべんねえし、具合が悪いなら病院に行けっても行かねえし。どうしたんだろうねえ」
アロ救出の有効な手だてが見つからないためだろう。私はショウの思い入れの深さにいまさらのようにただならぬものを感じたが、彼の行動の予測がつかないだけに、どうすればいいのか何の考えも浮かばなかった。彼の関心を移すためにあらためて美紗の胸に触れさせることを考えた。なにをいまさらと拒否した彼女を説き伏せショウを誘ったが、彼はにこりとしたものののってはこなかった。
第四章 罪と罰
1
「ああ日高さん、せんだってはどうも。ちょっと伺いたいんですけどね、このあいだ来たショウちゃんていう人殴られても平気な躰を持ってるの」
さらに一週間ほど経った日の昼前、また「R」の美恵子から電話がかかってきた。日中なのにまたショウが店に行ったのかとどきっとしたがちがっていた、
「その表現はちょっと適当じゃないけど、まあそうですね。でもどうしてそんなこと訊くんですか?」
「もしそうならうちの組の人が貴方に会いたいって言うのよ。ほらこのあいだ帰るとき入り口で男の人に遭ったでしょう。あの人右翼の組の人なんだけど、あの人がショウちゃんを『自分がひどいめにあった男にちがいない』って言ったのよ」
そういえば「R」を出るときちょうど店に入ろうとしていた若い男と鉢合わせしそうになった。男はショウをみて「おっ」という顔をしたような気がしたのを思い出した。しかし私は暴力団の男と会うのはもうこりごりだった。
「組の人に会うのはごめんこうむりたいですね」
「あははなにびびってるの、普通の人だから大丈夫よ。それにね話によってはアロのこともどうにかなるかもしれないわよ」
そう聞いては会わないわけにはいかない。今度は昼間「R」に行った。昼間でも過去二回入ったときと同じように、暗い赤のカーテンに覆われた室内であったが照明が違うのか明るく、そのためかえって何も演じられていない舞台を見ているような、間の抜けた雰囲気があった。
美恵子に紹介されたのは身体つきこそ精悍そうで眼に力があるが、四十代と思われるスーツを着たサラリーマン然とした男で、とても暴力団の組員には見えない。膝がこきざみに揺れるほど緊張していた私は内心ほっとした。出された名刺には
「株式会社X興産 取締役業務部長 宇賀神 高」
とある。宇賀神という姓は珍しいが宇都宮近辺には比較的多い姓である。美恵子が珈琲を置いて去ろうとすると、
「姐さんも話に立ち会ってください」
と言った。「姐さん」と呼ばれたところをみると彼女が一緒に住んでいる男はもっと上の幹部なのだろう。
「わざわざおいでいただいてどうもすみません。はじめに伺いたいんですが、貴方が面倒をみておられるショウさんという若い人が、打撃を受けても平気な特殊能力を持っているというのは本当なんですか」
「本当です」
「詳しいお話を聞かせていただけませんかね」
「申し訳ありませんが、それはご用件を伺ってからのお答えにさせてください」
「そうゆう人がいるという噂はありましてね、うちでも探していたんですが。私どもに協力していただけないかと思いましてね」
「ということは何をしてほしいんですか、まさか組に入れとでも言われるんじゃないでしょうね」
「別にそこまでお願いはしませんよ、必要なときに協力してもらえる関係ということでけっこうです」
「それは問題ですね、できることとできないことがあるでしょうから。契約などで縛られるのはお断りしなければなりませんし、個々の協力行為の選択権もこちらにないとご希望にそえるかどうかわかりませんね」
「選択権はそちらでいいですよ、ただし私どもを断って同じことを他から請けるのは止めてもらいますが」
「ああ仁義は守れということですか、それはわかります。すでになにかやってほしいことがあるんですか?」
「まだ特殊能力の程度がわかりませんからいまはありませんが、程度によっては考えられることはあります」
「たとえばどんなことでしょう?」
「そうですねえ、たとえば車への当たりとか」
ずばりと出た宇賀神の言葉にたまげた、
「車への? それは犯罪行為じゃありませんか」
「犯罪と言われれば犯罪かもしれませんがね、状況次第ではそうじゃなくなりますよ。だからこそ当たりに強い人がいればいろいろ考えられるんですよ。それに貴方はそのショウさんという人を実際に当てたことがあるそうじゃないですか」
「あっ」と思った私は一瞬腰の力が抜けた。暴力団の威力を背景にした押しつけがましいことも言わない宇賀神にのせられて、いい気にこちらペースで話を運んできたつもりだったが、網はちゃんと用意されていた。宇賀神の言葉はショウの存在が判った時点で私達のことはすでに下調べがすんでいることをほのめかしている。きっとショウの名前も住所もすでに判っているのだろう、私は沈黙してしまった。
「それから姐さんから聞きましたけど、その彼はうちのアロを身請けしたがっているそうですね、これも本当なんですね?」
「本当です」 私はかろうじて答えた。
「一度遭っただけだというのにまあ惚れたもんですね。あの娘はうちの一番の売れっ子でね、手放したくないんですが、ご協力の次第によっては考えられないこともありません。まあ話に聞いただけではわかりませんから、一度彼の能力を見させてください。よければこちらでテストの計画をしますからまたお打ち合わせしましょう」
「テストに応じるかどうか彼に訊いてみますが、当たりを念頭に置いたテストはお断りします」
私はやっとそれだけ言った。
2
暴力団の脅しの一つとして、わざと車に当たり治療費や謝罪代を奪う「当たり」という行為があることは知っていたが、明確な犯罪でありとてもショウにやらせるわけにはいかない。宇賀神は否定したが口調ではすでになにか腹案がある気配があった、協力は断るしかないと思い、ショウには宇賀神と会ったことは伏せておいて、あらためて「当たり」の協力はできない、と宇賀神に電話すると、彼はあっさりとOKした。
「けっこうですよ、選択権はおたくにあると言いましたしね。ただねショウ君の能力テストはやらしてくださいよ。協力してもらうことは他にもあるでしょうからね、能力の程度は掴んでおきたいんですよ」
アロの問題を考えるとX興産との繋がりを解消するのは得策ではないだろう。私はショウを「アロを扶ける方法がみつかるかもしれないから」と説得してテストに応じさせることにした。
数日後宇賀神から送られてきたテスト計画のFAXには車との衝突も記載されていた。電話をかけて「当たりはしないと言ったはずだが」と言うと宇賀神は、
「分かってます、あくまで能力テストの一つであり、内容のバラエティを考えてこうなっただけですよ」と答えた。
テストは土曜日、県南の丘陵地帯にある倒産してクローズしているゴルフ場でやることになった。ショウを伴い打ち合わせた時間に行ってみると、冬枯れたゴルフ場の、クラブハウスから少し離れたティグランド前の平坦な枯れ芝生の上に、三台の撮影用カメラや器具が用意され、ベンツのセダンと小型のクレーン車が一台ずつ停まっていた。ティグラウンドの上にカメラマンを含め十人ほどの人が集まっており、中には白衣を着た医師らしい老人と看護師もいた。中に袴姿でインバネスを纏った男がいた。と、ショウがつかつかとその男に歩み寄った。
「エイコウセンセイ コンニチハ」
男は「おう」と答えながら照れたように誰彼となく見回している。私は初めて見たが「天照光」の教祖栄光にちがいない。驚いた私は宇賀神を木陰にいざなった。
「あの人「天照光」の栄光さんですか、まずいですよ」
「どうしてですか」
「天照光とはいろいろトラブルがあったんですよ」
「打ち合わせのとき誰を立ち会わせるかは任せると言いましたね。それに呼んで困る人は、とわざわざ訊いたときもとくにないと言われた」
「まさかおたくと天照光が関係があるとは思いもしなかったんですよ」
「それはいまさら拒否する理由になりませんね。それにね栄光さんは万一のためにきてもらっているんですよ」
なるほど彼は整体師である、万一のため整体師も招致しておくことはむしろゆきとどいた配慮と言うべきだろう、私は返す言葉がなかった。
初めて宇賀神と会った日、彼は私がショウを轢いたことを知っていた。すでに我々の下調べがすんでいることを匂わしたのだが、その段階で「天照光」との経緯も知られ、接点ができている可能性に気づくべきだった。「身代わり皇子」のセレモニーをショウに拒否された栄光は、ショウの能力を撮影しようとしたがショウの捨て身の反抗で撮影できなかった。今日の撮影現場に栄光が来ているということは、撮影の企画には彼が相当関与しもしかすると応分の費用が彼から出ているのかもしれない。私は自分の愚かさを嘆くしかなかった。
テストはまず空手の道着を着た男が登場し、デモンストレーションとして拳による瓦割りと、蹴りによる板割りを見せ、ついでジャージ姿のショウが登場すると小手調べのように軽く頭を打ち胸を蹴ってショウの反応を見、ショウが頷くと数呼吸ののち気合を発して頭を打った。瞬間ショウの貌が土気色に変わり躰がわずかに縮んだ。「ばしっ」と音がしたがショウは彫像のように平然と立っている。いったん躰を平常に戻した後、合図とともに気合もろとも胸に蹴りをいれた。「どん」と音がしてショウはわずかに後ずさりしただけだった。すぐにショウの身体に異常がないか医師と栄光によるチェックが行われた。
次に野球のユニホーム姿の男が金属バットを持って登場し、立てた棒の上に載せた硬球を二度打ってみせたあと、やはり軽くショウの頭を叩いて彼が頷くと、間を図って思いっきり降りおろした。「がん」というボールを打ったのと同じような音が響きショウは平然と立っている。「信じられんな」医師のつぶやきが聞こえ、宇賀神が感嘆の唸り声をあげた。また医師と栄光のチェックが行われた。
次は落石を頭で受ける実験だった。石の破片で怪我をしないようにショウは野球帽を被った。一〇キロと二〇キロの平たい大谷石が用意され、まず一〇キロの石がクレーンで五メートルの高さから落とされた。ショウの頭に当たった石は真二つに割れて落ちた。チェックが行われ、ショウ自身の判断のあと、同じ高さから二〇キロの石が落とされた。ショウはわずかにがくんとなりよろめいたが「平気だ」とでも言うように手を振った。もはやまわりは感嘆のあまりの静寂だけが支配していた。
小休止のあと車との衝突テストがはじまった。外のカメラとは別にベンツの助手席にもカメラが設置され、スピードメーターとフロント越しの全面が撮影されるようになっていた。ベンツが様子見のようにまず一〇キロのスピードで軽く当った。ショウは押し倒されたように後ろに倒れ、ベンツの片方の前輪と後輪がゆっくり躰を乗り上げていった。異常がないのを確かめると、次に二〇キロのスピードでショウの正面に当たった。のろい速度に見えたが固形物に当たったような大きい音がしてショウははねとばされて倒れ、そのままスピードを落とすことなく前輪と後輪が躰を横切るように轢いた。起き上がったショウを見て、誰からともなく拍手がわきおこった。ショウの身体が前にもまして入念にチェックされた。
「ショウさん、この倍のスピードで当たっても大丈夫だろうか」
宇賀神がショウに問いかけた。私は「やめてください」と訴えたが、ショウは
「ダイジョウブダトオモイマス ヤッテミマショウ」と答えた。
スピードを四〇キロにしたベンツが走り出した。外から見ていると想像以上に速い、運転しているときの感覚とまるっきり違う。止めさせようと駆けだす間もなく、「ガンッ」というびっくりするくらい大きい音が響き、ショウの身体が数メートルも吹っ飛び頭から地面に落ちた。私は思わず「あっ」と叫んで駆け寄ったが、しかしショウは芝を払い落としながら立ち上がってきた。
「すみませんがちょっとよろしいですか」
私は二・三の人に挨拶をして帰りかけようとしている老医師に声をかけ、名刺を差し出した。
「私はテストを受けたショウ君の面倒をみているものですがご意見を伺いたいんです。医師というお立場からご覧になってこの結果をどう思われますか」
「夢を見ているようですよ、医学の常識からは考えられない」
「奇跡に類するということですか」
「奇跡にはちがいないが、偶然性や確率の問題じゃなさそうなのでどう判断したらいいのか、まるで新種の人間を発見したような気持ちですな、これからどうするか」
医師は最後は独り言のように呟いた。
「実は--」 私は「ありえないことではない」と述べた大学病院の私の主治医の意見を持ち出してみた、
「なるほどね、大学病院の医師がそう言うのならそうかもしれませんな」
「しかしその先生は実際に今日のような現象を見たわけじゃあないんです、だから私は実際をご覧になった先生のご意見が貴重だと思うんですが」
「奇跡という思いにかわりはありませんがね、ただし大いに可能性のある、という領域までレベルダウンした奇跡ということになりますかな」
テストに立ち会った医師として、あわよくば、ショウ売り出しの権威ある助っ人になってもらえるのではないかと期待してのアプローチだったが、大学病院の権威はあっさり老医師の感動と興味を冷ましてしまった。もはや助っ人になってくれたとしても、一目撃者としての証言しか得られないだろう。
3
それから三週間宇賀神からの連絡はなかった。そしてショウもパトロールに出なかった。土曜日に家に行くといつも部屋の隅にじっと座っていた。母親によると作業所には通っているということだったが、彼の変わりようを心配して作業所の主任が訪ねてきたという。ショウは今回は私に催促がましい電話などはまったくかけてこなかった。それがいっそう不憫でならなかった。
私がショウに会ってから一年がすぎ、早春の季節が巡ってこようとしていた。三週間すぎたとき宇賀神から連絡があった。
「やっぱり『当たり』をやってもらいたいんですがね、警察沙汰にならないことは請け負います。やってもらえるかどうか一週間後に返事もらえませんか。成功したらアロはお渡ししてもいいです」
案の定「当たり」を言ってきた。ショウの能力テストも結局車への対応力を見極めるのが主眼だったのだろう。私と美紗はその行為の意味するものをショウに伝えるかどうか話し合い、伝えたうえで応じるべきではないことを言うしかないと判断した。私は彼をアパートに連れてきた。
「ショウさん、『当たり』というのはね法律違反の悪いことで犯罪行為なんだ。ボクもまだ詳しいことは訊いてないけど、宇賀神さんは犯罪かどうかは内容次第だと言っていたし、きっと警察に捕まらないようなやりかたをするつもりだろう。だけどわざと車にぶつかっといて相手にいちゃもんつけるんだから、悪いことであるのは間違いないんだよ」
「ソンナ ワルイコトシナケレバ アロサンヲタスケラレナインデスカ」
ショウは見るもあわれなほどがっくりした表情になった。
「終わったら彼女をボクたちに渡すって言ったから、彼女が国に帰る方法はあるだろうね。だから扶けたことにはなるだろう。だけどねたとえ警察に捕まらなくても犯罪には違いないんだ。だからもしショウさんがこれをやったら、もう悪い人に注意する資格はなくなってしまうよ」
一週間後に返事することになっていると言うと、ショウは自分の返事も一週間まってほしいと言った。
一週間後ショウはじぶんから私のアパートにやってきた。
「ヤルコトニシマス ダケドシンパイダカラ サキニアロサンヲ ジユウニシテクレナケレバヤリマセン」
苦悩のせいか彼の頬はこけている、しかしその表情は断固とした決意をあらわしていた。それだけにちゃんと約束が守られるか不安に思って条件をつけたのだろう。もはや彼を説得するのは不可能だと感じた。
宇賀神に連絡すると一カ月後の予定だから、数日前になったら細部の打ち合わせをしたいと言い、アロの事前引き渡しには応じられないと答えた。状況によっては当たりが成立しない可能性もあるわけだから彼が言うのももっともである。私はむしろショウを翻意させるのにいい理由になると思い、ここぞとばかりに彼を説得した。しかし彼は、
「モウスコシ カンガエテミマス」
と言い、数日後また自分からやってきた。
「ヤッパリヤリマス ダカラヤッタラ カナラズアロサンヲジユウニスルヨウニ ヤクソクヲモラッテクダサイ」
当たりを成功させたら自分の役目を果たしたのだから、その後の状況如何に関係なく必ずアロを解放する約束をということだろう。数日の間にショウは驚くほど憔悴し、彼の内部の葛藤の激しさを表していた。
宇賀神から連絡があり私は三度目になる「R」にでむいた。
彼が明かしたのは、
「数日後の土曜日の夕方、ゴルフ帰りの女性が運転する車に当たってもらう」
というもので、目的や相手のことはなまじ知らないほうがいいだろうと言い、女性の運転だから危険性は少ないが、そのかわり絶対失敗しないようにと段取りは入念に繰り返した。
その段取りとは県北の某ゴルフ場から少し離れた林間のT字路に、山菜取りを装った車を何台か停めて車の間に待機し、車が速度を落として左折してきた直後、車の速度が上がる前に飛び出して当たるというもので、車は彼女の専用車の白いベンツでベンツがゴルフ場を出ると連絡が入るという。当たりと悟られないように、飛び出す直前に兎に似せたラジコンカーを走らせるので、それを追いかけるように網を持って飛び出すというものであった。
「いいですかこれが重要なことですが、ぶっつかったらショウ君は少しの間倒れていてほしいんですが、女が救急車や警察へ連絡しようとするでしょうから日高さんは『なんともないから大丈夫』と言って断り、名前も住所も言わないで、すぐショウ君を車に乗せて現場を離れてください」
それはまさしく私がショウを轢いたときと同じ情景だった。
「それからが私たちの出番で、我々は一部始終を撮影しています。それからあとのことは貴方たちは関係ありません。たぶん警察沙汰にはならないでしょうが、もし警察が来るようなことがあったら、『山菜取りに行って兎を見たので捕まえようとして車にはねられ た』ことにして、もちろん我々とはなんの関係もないことにしてください」
アロの引き渡し時期の約束が一番問題になった。宇賀神は当たりの結果責任は負えないという私の主張には同意したものの、引き渡しには準備の都合があるとして三日後を申し出た。アロを拘束していた組の売春犯罪を隠滅させるために何かの手立てが必要なのだろう。しかし私は当たりが終わったら即刻を主張した。それはどこかツケか現金かというやりとりに似ていたが、暴力団へのツケという不信の念もさることながら、私はショウの思い詰めた心情をおもんばかると、やるからにはこれは絶対引き下がれないと感じたし、それで止めることになったらなったでむしろその方がいいと思い、膝頭ががくがくするような心境に襲われながら、「受け入れられなければ当たりは止める」と主張し続けた。
「それでは訊きますが日高さんはアロを引き取った後どうするつもりですか」
「当然入国管理局に連れて行って相談します。滞在許可をもらえる可能性があるのか、いったん帰国させられたとしてもまた来ることができるのか、そのへんのこともわかりませんから」
思いがけないことに結局宇賀神が折れた。入国管理局に出頭しても、アロはたんなるホステスであって軟禁による売春の強要という事実はなく、アロは店の経営者との合意に基づく円満な離職であることを申し立てるという条件で、当日アロを「R」に待機させておき、「当たり」が実行できたら結果の如何にかかわらず引き渡すと約束した。彼女の借金は私たちが工面したことにしてくれと言う。 アロの解放は本当は「当たり」という犯罪の結果であることは、アロ自身関知しない事実だから隠すことができても、在日中のアロの実態への申し立てはおいそれと当局の納得を得られまい。だいいち申し立てで不法滞在や就労に任意の要素があったとされたら、被害者どころか完全に犯罪者にされかねない。身の安全が確保されていることが納得できればアロが真実を述べる可能性は大きく、たとえX興産自身がアロの不法入国に関与していないとしても、結果的には便乗し違法行為を行ったのであるから、自分たちの上に捜査の手が伸びるかもしれないというリスクは大きいはずである。それを考えるとこの「当たり」はそんなリスクを冒してまで実行するにたる、組にとって大きな狙いをもったものなのだろう。
4
宇賀神との打ち合わせの翌日のことだった。私はふだんの営業活動で防災店の一つに顔をだした。この店の四十代の社長はゴルフ好きで有名であり、実際腕前もシングル四だか五だかで、応接セットの後ろの棚にはずらりとカップやトロフィーが並んでいる。だから訪問して挨拶がすむとひとわたりゴルフ談義になるのが普通だったが、その社長がこの土曜日取引のあるK建設協力会社の親睦ゴルフコンペに参加すると言い、会場として名前をあげたのが宇賀神が述べた問題のゴルフ場だったのである。K建設は北関東有数のゼネコンである。私は心臓が高鳴った。
「じゃあ社長が優勝ですね」
「いやあ難しいだろうね、優勝はほぼ決まってるんだよ。K建の社長の長男坊でね大学のゴルフ部に入ってるのがいるんだよ。親父のあとを継がないでプロ入りを目指しているという話があるくらいだからうまいんだ、たしかハンディ一か二じゃないかな。若いから飛ばすしさ、何かアクシデントでもないかぎり彼だろうな」
「コンペには女の人なんかも出るんですか?」
「ああ何人か出るよ、K建の社長の奥さんなんか社長よりうまいくらいだ。社長はハンディ二二だけど実力はなんとか一〇〇切るくらいだがね、奥さんも同じ二二にしてあるけれど、確実に九〇ぐらいで回るからね、女では立派なもんだよ」
「白いベンツに乗ってるかっこいい女、という噂を聞いたことがありますがその奥さんでしょうかね」
「ああそうだろう業界やゴルフ仲間では有名だからな。K建の常務になってるけどなかなかのやりてでね今度の県議選に出るらしい、コンペもその事前運動の意味もあるんだろうな」
「じゃあK建の社長はゴルフのときは奥さんの運転で仲良く来るわけですね」
「いや社長は伜と来るんじゃないかな。コンペのときは社長は絶対奥さんと一緒に来ないし一緒にも回らないんだよ。一緒だと必ず大叩きするってジンクスがあるらしい。本当は女房に負けることの下手な言い訳なんだろうけど」
K建設に暴力団がらみでトラブルがないか、それとなく訊いてみたが防災店の社長は知らないようだった。
「ただね、K建も中身はなかなか大変らしくてね、最近は購買はめちゃくちゃ叩いてくるし、営業はなりふりかまわずなんにでも手をだしているみたいだから、けっこうトラブルはあるだろうな」
宇賀神のねらいはたんなる金銭目的でないのは明らかだった。何かの利権がらみで社長夫人をターゲットにして脅しをかけるつもりなのだろう、名士で県議への立候補を予定している人物が、障害者を車で跳ねてそのまま立ち去ったとなれば、マスコミのかっこうの餌食になる。彼はK建設の社長夫妻の日程と行動パターンまで入念に調べあげて、時と場所と配役を準備したのだ。その主役にショウはまさにうってつけだろうし、二五〇万の出演料など安いものなのかもしれない。しかし私はこうした情報を美紗には告げたがショウには告げないことにした。告げれば彼の懊悩を深めるばかりだと思ったのである。
5
ショウを乗せて約束の二時に現場に行ってみると、そこは広大な雑木林の真ん中をとおる道路だった。ゴルフ場の利用者ぐらいしか通らないだろうにセンターラインまである舗装道路で、左右の雑木林より一段低くなっている。道路の端に宇賀神たちの車が二台停めてあった。私の車は二台の前に停めるように指示された。撮影用カメラは林の中に設置されているらしい。宇賀神がやってきて手筈の最終確認をした。
日がかげってきて寒さが積もってきた。宇賀神の携帯が鳴り、ベンツがクラブハウスを出たと知らせてきたのだろう、宇賀神が私たちに合図して林の中に隠れた。五分もしないうちに車の音がしたかとおもうと、キキキキとタイヤのきしむ音が響いて白いベンツが左折してきた。ほとんどスピードを落としていない。そのときショウがすばやく私のポケットに手を入れた。「なに」と思うまもなく運転席に男の姿が見えた、女は助手席に乗っている。「あっ」と驚いた私はショウを止めようとしたが、ラジコンの兎が走り出し、私の横をすりぬけるように網を手にショウが飛び出した。「キイ-」というブレーキ音と「どーん」という衝撃音が同時に響き、ショウの身体が毬のように十mあまりも吹っ飛んだ。
私はショウのもとへ駆け寄った。ベンツから若い男と年配の女があたふたと降りてきた。ショウは地面に叩きつけられたまま動かなかったが、ベンツの男と女が駆け寄ってくると歯を食いしばって立ち上がろうとして私にとりすがってきた。
「ショウさん動くなじっとしてろ」
おろおろした表情で謝罪の言葉を吐く男女を無視して私はすぐ一一九番に電話しようとした。その私の手をショウが抑えた、
「ダ イ ジョウ ブ デ ス ダ イ ジョウ ブ デ ス 」
切れ切れの声で言うと、だが彼は私の腕の中に倒れこんだ。ショウを地面に横たえ一一九番した。
林の中から宇賀神が走り出てきた。
「おう日高さんどうした、ショウ君がぶっつけられたのか、大丈夫か」
打ち合わせでは私とショウが立ち去るまで彼は登場せず、私たちとは無関係を装うことになっていたが、状況が変化したので急遽仲間然として現れたのだろう。彼の意図は読めなかったが、彼がショウの顔を覗き込んでいると、K夫人らしい年配の女が寄ってきた、「すみませんが、ちょっと」
と宇賀神に声をかけ少し離れた場所にいざなった。
しばらくしてショウのかたわらにしゃがみこんでいた私のもとに戻ってきた彼は、
「ショウ君大丈夫だといいですけどね。ところで先方は奥さんが運転していたことにしてほしいそうです。ここは一応了承しておきましょうよ」
「そんな馬鹿な、何故です」
私は憤然として離れて立っている男女をにらみつけた。若い男は蒼白な貌をして落ち着かない素振りをみせ、夫人は私の視線をしっかり受け止め深々と頭を下げた。
「それにしても運転しているのが男だってどうしてわからなかったんですか」
私の声に宇賀神が指を立てて「しっ」と言い、耳元で囁いた、
「そのてんは申し訳ありません。クラブハウスを出るときうちの者もそれを言わなかったんでね。男は女の人の息子なんですがいつもは親父さんと帰るんで読みがはずれました。じつは息子は飲んでるらしいんですよ。これは我々にとって大きなアドヴァンテージになります」
宇賀神はしてやったりという表情をしていた。当初のシナリオの進行と食い違ったが目的は充分果たせると読んだのだろう。どんな目的かは知らないがそんなことはどうでもよかった。
救急車はなかなかこなかった。消防署から遠く離れた山林地帯だからしかたがないが私は気がきではなく、いっそ私の車で病院に運ぼうかと思ったが、背中に手を回すとぐんなりした感じで動かすのをためらわせる。やっと救急車が来て運び込まれようとしたときショウが私の手を握った、
「アロサンヲタノミマス」
ひきつづき警察もやってきたが、あとは宇賀神にまかせ私はショウを乗せた救急車に続いた。ショウが市民病院に運び込まれるのを見届けて、美紗に事故の発生を電話し、ショウの家に向かった。「山菜取りにいったら、ショウが道に飛び出した兎を捕まえようとして車に跳ねられた」
と母親に告げ、事故を防げなかったことへの謝罪を述べると、ショウの母親は仰天してすぐに泣きだした。
母親を伴って病院に戻るとショウは手術室に入れられていた。手術室の前の廊下には椅子が並べられてあり、看護師から一応の診断と処置が済むまで待機しているよう言われた。ショウの母親は起こったことがいまだに納得できないようで、泣き続けながら
「なぜなんだよう」 と何度もくりかえした。
いたたまれない気持ちになった私はトイレに行った。手を洗いハンカチをとりだそうとしてポケットに手を入れた。指先に紙切れが触れた。そう言えば車の前に飛び出す直前ショウがポケットに何かを入れたのだった。
6
それは切り取ったノートの一ページで、練習帳に書くようなカタカナが大きく書かれていた。
[ワルイアルマジロハ カタクナリマセン ゴメンナサイ アロサンヲタノミマス]
私は脳天を一撃されたようなショックに見舞われ、おもわず洗面台の両端に両手をついて身体を支えた。
そうだったのか。ショウは身体を固くしなかったのだ。だからあんなに吹っ飛ばされ叩きつけられてダメージを受けたのだ。
自分には「当たり」をやるしかアロを救う方法がないと知ったとき、人の役に立つために一方で悪いことをすることの折り合いをつけ、しかもいままでやってきた自分の行為のプライドを汚さないためには、己を犠牲にすることで責任をとり理解と許しを得るしかないと思い至ったのだろう。思考力が充分でない頭でショウは一週間必死に考え続けたにちがいない、彼の驚くような憔悴の原因はこれだったのだ。涙がとめどなく溢れ出てきた。
だが彼の行為はありうることだった。思わず美紗の胸に手をだして叩かれたとき、すぐ「悪いこと」だと感じた彼は防御しようとしなかった。そしてショウは「当たり」をやると言ってきたとき、アロの解放を先にすることを条件とした。私はたんにアロの解放が履行されないことを心配しての発言だとばかり思っていたが、そこにすでに彼の決心が顕れていた。しかし私はそれを読めなかった。
しかもこの事故に至る発端はショウの私への依存心を強めるため、女の乳房を餌にするというさもしい思惑からだった。私は彼の純粋無垢な魂をもっと掴みたいと欲を出し、命を奪いかねない結果をまねいてしまった。それは私の再起の夢の挫折などという矮小な出来事とは比ぶべくもない、今の世に存在する至宝のように貴重な精神の喪失を意味した。私は申し訳なさで胸一杯になり、愚かな自分にはショウをマネージメントする資格などなかったと思い知らされた。そこらじゅう転げ回りたい気分だった。
待機場所の廊下の椅子に戻り、言葉を失ったまま、眼を泣きはらした母親と並んで椅子に座っていると、二時間ほどで看護師に呼ばれた、医師が状況を説明するという。手術室は大きな部屋で真ん中に巨大なライトが見下ろす手術台があり、集中治療室を兼ねているのか、壁沿いにいくつかベットが並んでいて厚手のカーテンで仕切られるようになっており、ベットそれぞれにモニターがあり装置が並んでいる。器械のだす「ジー」という低い唸りがむしろ静寂さをつくりだしていた。
ショウは頭や身体のあちこちに包帯を巻かれ、点滴や呼吸や排泄用の大小の管に繋がれていたが意識ははっきりしており、私たちが部屋に入っていくと笑いかけてきた。
かたわらに緑色の手術着を着た若い医師がいて、私たちを大きなモニターとホワイトボードがある場所に導いた。モニターには身体の各部のX線フイルムが何枚も表示され、ホワイトボードにはあちこちにマークだのアルファベットだのが書かれた全身像が線描きされている。医師がそれを指さしながら説明を始めた。
「さいわい脳挫傷もなく生命の危険は無いと思います。肋骨が折れて外傷性血気胸になっていますので一カ月ほどの入院が必要でしょう。そのほかに左大腿骨頚部と膝蓋骨、左肩甲骨を骨折しています、それだけならまあ全治三カ月というところかなと思いますが、問題は後遺症としてどうゆう傷害がでてくるかですね、これは予測がつきませんし、場合によっては長いリハビリが必要になるかもしれません」
とりあえず入院手続きをしてくださいと言われたが大部屋の空きはなく、差額ベット代が必要な個室しか空いていなかった。ショウが部屋に移されたのを見届けて、私は美紗に電話をし、さらに宇賀神の携帯に電話をいれ約束どおりアロを引き取りたいと申し入れた。彼は一時間後に「R」に来るように言った。
ショウと私と美紗の事前の話し合いでは、アロは今日は美紗のアパートで一泊させ、翌朝私が彼女を伴って、かって新聞でその存在を知りネットで検索した「花の家」に送り込むことにしていた。東京にあるボランティア団体の不法滞在外国人女性救済施設である。明日は日曜であるが「花の家」の了承はすでにとってあった。当初は私がアロを連れて入国管理局に出頭する予定だったが、むしろこうした施設の助けを借りる方が安心で話が早いだろうし、私も手離れできて助かると思ったのである。話し合いのときショウに美紗のアパートでアロと一夜をすごすように言うと、ショウは断ったばかりか、引き取ってきたアロにも会わないとかたくなに言った。自分に向けられるだろうアロの感謝の振る舞いを避けたいという、ショウの顕示欲の全くない慎ましい気持ちからだろうと思ったが、今思うとこれも密かな彼の決意の故からだったのだ。
私はショウの母親を家に送り、アロを引き取りに四度目の「R」に行った。アロはボストンバック一つを持ち事務室にいたが、直前までなにも聞かされていなかったらしく、突然降って湧いたような幸運にただ呆然としていたが、別れる間際になると美恵子に抱きついて号泣しだした。もらい泣きして美恵子が、
「よかったね、ショウちゃんと仲良くやんなさいよ」
と背中を叩いた。アロはしきりに頷いている。この誤解は解いておかないと厄介なことになる。
私はアロをつれてとおりすがりの喫茶店に入った。私はショウが怪我をして入院していることを告げると同時に、彼がアロを扶けたのは愛情からではなく純然たる同情からだと告げ、その証拠に私は彼から、アロに会わなくてもいいから少しでも早く帰国できるようにしてやってくれと頼まれていると述べて、だから彼女を明日一番に東京の救済施設に連れていくつもりだと言うと、アロはたどたどしい口調で言った。
「ショウサンドウシテケガシタノ。ワタシヲタスケルノオカネイルヨ ショウサンオカネモチデハナイ シャッキンシタネ。 アイシテナケレバ コンナコトシテクレルワケナイ。ワタシトテモウレシイネ ヨロコンデショウサントケッコンスルヨ ケッコンスレバニッポンニノコレルネ」
アロはショウの見舞いに行くといってきかなかった。
ショウのベットの横には仕事を終えてきた美紗がいた。ショウを見るやいなやアロは泣きだし、躰に触れないように用心しながらも、包帯やマスクに覆われていない両頬や頭にキスの雨をふらせ、「アリガト」「スキヨ」を繰り返した。ショウは照れながら「ウン、ウン」と頷いていた。ひさびさにあの爽やかな笑顔を浮かべていた。
私はそっと美紗を廊下に連れ出すとショウの紙切れを見せた。美紗は「ショウちゃん」と声をだしたきり両手で顔をおおってトイレに駆け込み、出てきたときには眼を泣きはらしていた。
このままショウのそばにいると言い張るアロを引き離すのが大変だった。やっと美紗のアパートに連れてくると今度は救済施設に行かないでショウと一緒にいると言う。今すぐ結婚できる状態ではないことを説明し、このままでは不法滞在者のままになってしまいショウの好意が無駄になるじゃないかと言い聞かせ、強制送還されることになるだろうけれど一定期間が過ぎたらまた来れるようになるから、あらためて正々堂々と逢いにおいでと説得すると、泣きながらようやく頷いた。
翌朝早く私はアロを連れて病院に行き、やっとの思いでショウから引き離し「花の家」に連れて行った。「花の家」の代表者の女性は、案の定「R」でのアロの実態と解放された事情を問いただしてきた。実態の説明はアロにまかせるしかなく、解放の事情はショウの恋をバックアップしてみんなでアロの借金を肩代わりしたと言うほかなかった。
7
アロが訪れたときを除くと、入院したその日からショウはいつ行っても深い苦悩の表情を見せ、じっと何かを考え込んでいるようでろくに口をきこうともしなかった。病院にはショウの母親は仕事の都合で土日以外は夕方からしかこれないため、毎日私か美紗かが顔を出すことにしていた。入院当初はK建社長夫人の見舞いやら、警察の交通課や自動車保険の担当者の来院が続き、私が立ち会わなければならないことが多かった。
どうやら兎を追ってのショウの飛び出しと、運転者であるK建社長夫人の前方不注意による事故、という宇賀神が描いた図式は成立したようだった。社長夫人が身代わりになったのは息子を罪人にしたくないという母親の愛情もさることながら、酒を飲んだ息子に運転させ自らも幇助罪に問われかねないのと、自らの運転で飛び出しを避けきれず起こした事故とを一瞬のうちに天秤にかけ、どっちがより非難を受けないかを判断してのことだったにちがいない。だがそれは宇賀神にさらなる脅迫の口実を与える結果になったことだろう。しかしその後K建設とX興産との話し合いがどうなったかは知るよしがなかった。
入院後数日経って「花の家」の女性から連絡があり、アロが入国管理局に収監され、ほどなく強制送還されるだろうが罪状については情状酌量され、一定の時間が経てば再入国が可能になるだろうと言ってきた。それをショウに報告すると彼はにっこりした後しばらくだまっていたが、やがて眼をあげた、
「ヒダカサン ボクオマワリサンニアイタイ」
「お巡りさんに、またどうして」
「ボクハカラダヲカタクシテシマッタ」
ショウはそう言うとぼろぼろ涙を流しはじめた。
躰を固くした! あれが! 地面に叩きつけられたショウの様子はとても躰をガードしたようにはみえなかったが、おもわず固くしてしまったというのだろうか。
「カラダヲカタクシナイコトデ ミンナニアヤマロウトオモッタ、ダケドカタクシテシマッタ ダカラバツヲウケナクチャイケナイ ダカラケイサツニイウ」
「アヤマロウトオモッタ」という言葉は謝罪ではなく贖罪を意味してるのだろう、彼の言葉は倫理にもとる理不尽な命令を受けた武士が行為責任をとり、せめて自らの誇りを汚すまいと切腹を決意して事に当たろうとしたのに例えられよう。だが自決に失敗したから罪を糺してもらいたいというのだろう。ショウの善悪にたいする呵責なき判断と自らを律する厳しさに、あらためて居住まいを正すような感動を覚えたが、つきつけられた難題にどう説得すればいいのか頭を抱えざるをえなかった。
「そんな必要はないよ、ショウサンは充分罰を受けたじゃないか、だからこんな大怪我をしたじゃないか」
「デモボクハカラダヲカタクシマシタ ソレデハバツニナリマセン」
「そんなことないって、それじゃショウさんは死ななきゃ罰にならないと思っていたの」
「ソウハオモッテイナカッタケレド---カタクシタラダメナンデス コノママジャダメナンデス」
ショウはじれったそうな表情を見せた、自分の心情を表す適当な言葉が浮かばないのだろう。彼はきっと自身の中での「禊」が済んでないと言いたいにちがいない。
「ショウさん、ショウさんの気持ちはよく判るしそれはとても立派なことだけど、ショウさんのやったことを今警察に言うわけにはいかないんだよ」
「ドウシテデスカ ボクハワルイコトヲシタママデハイタクナイ ワザトブッツカッタンダカラ バツヲウケナイトヘイキデイラレナイ」
「うーん、今はねショウさんはわざとぶっつかったことにはなってないんだ。だから悪いことをしたことにもなってない。いまさら本当はわざとぶっつかったんだと言うといろいろ困った問題が起こるんだ」
「エッ ウソモツイテイルンデスカ ソレハナオイヤデス」
「アロさんを扶けるためにした「当たり」だったね、やるかやらないか決めるとき、私はわざと当たっていちゃもんをつけることだから悪いことなんだと説明した。そのいちゃもんの中にはわざと当たったんじゃないと嘘をついて騙すことも含まれていたんだ。「当たり」とはそうゆうものなんだよ、だから相手からお詫びのお金がもらえてアロさんを扶けることもできたんだ」
「ジャ ケイサツニハイワナクテモ シロイジドウシャノヒトニアヤマリマス」
「それをするとね、やっぱりいろいろ面倒な問題がおこるんだ。宇賀神さんはお詫びにもらったお金を返さないといけないから、僕たちはアロさんにかかったお金を宇賀神さんに払う必要があるし、この入院費用も白い自動車の保険からでているから、保険が使えなくなったらいままでかかった費用も保険会社に返さなくてはならない。保険からでているからこうして高い個室にいられるんだよ。
それにねショウさん、白い自動車の人も嘘をついているんだ。ショウさんが当たったとき運転していたのは男だったか女だったか判った?」
「オトコノヒトダッタヨ」
「ところがむこうから女の人が運転していたことにしてくれって頼まれたんだ。男の人はお酒を飲んでいたんだ、飲酒運転となると罰則は大きいからね。だからむこうの人も警察にも保険会社にも嘘をついている。こっちがわざと当たったんだからおあいことは言わないけれど、ショウさんがそんなに自分を責めることはないんだ」
ショウは「アア」とうめき、
「ミンナウソバッカリカ」と呟いたあと、
「デモボクハイヤダ ボクハイヤダ」
と身悶えしながら声を殺して泣き続けた。
第五章 アルマジロ
1
ショウはひとまずは気の毒なフィリッピン女性アロを国へ返してやるという目的を果たした。したがって彼の苦悩は「当たり」という行為そのものよりも、自らに科した応報を一瞬の怯懦から実行できなかった自分への不甲斐なさへの悔恨と、それならばと改めて己を罰しようとした行為が果たされないため苛まれている罪の意識にあった。悪の存在を許せない彼はその自らが行う悪を、己の特異体質を発揮しないという行為によって昇華できると信じることで実行できた。自分の持つ力を封じるという犠牲によって罪と罰は相殺されるだろうと判断したからであった。その結果死をまねくか激しいダメージを受けても、それこそ応報とし受け入れようと思ったのだろう。だが彼は「当たり」の瞬間おもわず躰を固くしてしまった。それは鎧を着て体罰を受けたようなもので、いくら怪我をしたとしても彼にとっては贖罪の意識にはならなかった。だからかれは罪を贖うため公的な処置を求めようとし、それを封じられるとせめて謝罪しようとした。しかし罪はすでに嘘で積み固められ、もはやショウの良心の入る余地はどこにもなかった。ショウははじめて世の中の汚なさを知った。それは彼にとってそのなかに居ることを到底容認できない世界であった。彼はその世界から逃れたかったがどうすることもできず、大きな蜘蛛の巣にからめ捕られているような心境だったのだろう。
ショウのうちひしがれた様子は痛々しいほどだった。そしてショウは車椅子での移動ができるようになると退院すると言い出した。知能へのダメージは発生していないようで以前と変わらなかったが、胸の傷は完治しておらずそのほかの傷害の治療も続いていたからまだ無理だと反対すると、薬も食事も摂らなくなった。彼には不本意な処遇を受けていることがいたたまれなかったのだろう。車椅子の費用は保険会社がだしてくれるというので、一カ月後私たちはしぶしぶ彼を退院させて家に連れて行き、治療には私が週に一度病院に連れて行くことにした。
家に帰ってもショウは一日中苦悩にさいなまれていた。リハビリのための用具も保険で購入でき医師からそのメニュウも示されていたが、彼はまったく実行しようとはしなかった。それでも若さが自然に発揮する復元力はなにものにもまさっていた。そのパワーは医師を驚かせる速さで、三カ月も経って夏を迎える頃になると、ショウの外傷はほとんど癒え日常生活にも支障がなくなった。しかし彼の面にあの爽やかな風を受けているような笑顔を見ることは絶えてなくなってしまった。
「ショウさん、今でも躰を固くすることはできるの」
ある日怪我をして以来ずっと気になっていたことをそれとなく訊いてみた、
「モウデキマセン」
彼は憮然としてそう答えたが、能力がなくなったということなのか、する意志がないということなのかは判らなかった。
私はショウになんとか生活の張りを与えなければと考えた。気持ちの問題だけではなく生活上の必要性もあった。彼が施設から得ていた収入はたかだか三万円たらずであったが、それでも母子の生活費の一部を担っていたのである。だが障害者福祉施設への復帰は今度は空きがないと断られた。
私の仕事である消防設備業の下請けには消防機器の点検が大きなウエイトを占めている。宇都宮にきて三年を超えようとしている私はそれなりに点検の仕事も増えていた。常傭の助手も欲しくなっていた。そこで正式にショウを相棒にできないかと考えた。
消防機器は例外なく半年に一回の外観点検と、一年に一回機能点検と称する作業があり、機能点検は小規模ではあるが実際に機器を作動させてみることが要求され、消火器の場合は一定割合で抽出し放射テストまでも行う。機能点検は消火器などのような単体の機器は一人でも問題ないが、火災報知機や消火栓などの装置と呼ばれている設備の場合は、末端機器と制御設備(盤)との間に距離があるのが普通であり最低でも二人は必要である。私のような一人業者はそうした設備の点検では仲間同士で援助しあっていた。
ショウは「天照光」から家に帰ってきた後、肩を痛めているため「悪いことをしている人に注意する」パトロールにでかけないように監視する目的もあって、私の仕事を手伝わせた時期があった。そのときは消火器の設置や点検や薬剤の詰め替え程度の作業であったが、今度は本格的な助手にできないかと思ったのである。消防設備士や点検資格者の資格をとることはショウには難しいだろうが私が持っているので問題ないし、助手として求められる実際の作業は機械的なものが多く、丁寧な指示をし私との連絡さへ密に行わせればショウでも充分可能だろうと思えた。それができれば彼が福祉施設で得ていた程度の賃金は問題なく捻出できそうである。ショウに話をすると意外にもあっさり「オネガイシマス」と頭を下げた。苦悩しながら閉塞感に囚われ、ショウなりに何か突破口を求めたい心境になっていたのだろう。
2
ある防災店から依頼された、スーパーの屋上駐車場に設置してある移動式の粉末消火設備の点検をしているときだった。店内への入り口の片隅で数人の高校生が煙草を吸っていた。以前のショウならすぐ注意するところだが、彼はただ唇を噛みしめて眺めている。土曜日ごとのつきあいが主だったショウとの同行が月~金となり、彼の言う「悪いことをしている人」に遭遇する機会も増えたが、ショウはそうした行為を見てもまったく注意をしなくなっっていた。
「ショウさん悪いことをしている人に注意しなくなったね、どうしてかな、まだ躰に自信がないからかな」
作業を終えて車に戻った際訊いてみた、
「チガイマス ボクニハシカクガナクナッタカラデス ヒダカサンモソウイイマシタ」
「ああたしかにそう言ったことがあったね。あれはねショウさんに『当たり』を止めさせたいと思って言ったんだ。間違いではないけれども一つの考え方を言ったまでで、もうそこまで厳しく考える必要はないと思うよ」
「デモボクハソウオモイマセン ボクハワルイコトヲシタニンゲンデス」
「そんなことはないって、実際ショウさんはその行為でアロさんを救ったんだし、怪我という報いも受けたんだから」
「ボクハツミホロボシガデキナカッタ ダメナニンゲンデス」
ショウはそう言うとほろほろ涙を流しはじめた。
「罪滅ぼし」という言葉に驚かされた。彼は以前にも「みっともない」という言葉をつかったことがあったが、こうした言葉は母親との会話の中でインプットされたのだろうか、彼がありきたりの知的障害者ではないことの証であったが、この清冽な氷塊のような思い込みを溶かすのは容易ではない。その氷塊を造った責任は私にあると思うとなんとしても彼の気持ちを楽にしてやりたかった。
「ショウさん、ショウさんの願いは人の役に立ちたいということだったね。悪い人に注意するというのもそのためだった。そんならたとえ罪滅ぼしができてなくても、駄目な人間だとしても人の役に立つことはできるじゃない」
ショウは濡れた眼をあげた、
「要するに注意しようとか資格があるかどうかという気持ちを捨てちゃっていいことをすればいいんだよ。ショウさん前にバイクに体当たりして、ひったくりからお婆さんのお金を取り戻す手助けをしたじゃない、あれはなにも考えずにとっさにしたんだろう。あんなことするのに資格がいるとは思わないだろう。車に轢かれそうになった人を助けるとか溺れた人を助けるとか、人助けができる機会はたくさんあるだろうし、そんなんじゃなくてもゴミ拾いとかお年寄りの手助けをするとかでもいいんだ、ほらボランティア活動っていう言葉を聞くだろうこれがそうなんだよ」
ショウは驚いたような表情を浮かべてでしばらく黙っていたが、
「アアソウデスネ ソレナラシカクガナクテモデキマスネ」
やがて納得したようににこりとした、三カ月ぶりの爽やかな笑顔が浮かんだ。
翌日ショウは大きなビニール袋を持って私のライトバンに乗り込んできた。さっそく仕事の合間に気がついたゴミを拾うんだという。しかしショウは「悪いことをしている人」には依然として目を背け注意しようとはしなかった。隘路を出て元気を取り戻したかに見える彼だったが、贖罪は済んでいないという負い目は解消されていないのだろう。
そんなある日だった。町並を抜け出た県道で民家の火事に出くわした。一戸建ちの二階家が燃えており、すでに火は二階に移ってごうごうと音を立て、真っ赤な炎と黒い煙が渦巻きあたりには刺激的な匂いが漂っていた。さいわい両隣とは畑や立ち木で遮られているため延焼のおそれはなさそうである。すでに二台の消防車が到着していて放水がおこなわれていたが火勢はまだ弱まる気配はない。「子供が、子供が」
立ち騒ぐ人々のかたわらで泣き叫び駆けだそうとする若い女性を消防士が抱き留めていた。家の中に子供が取り残されているらしかったがもはや消防士ですら進入できる火勢ではなかった。と、ショウが車から出ていきなり燃えている家に向かって駆けだした。気づいた消防士の一人が、
「馬鹿野郎止めろ」
と怒鳴り、ショウに体当たりして止め二人とも地面に転がった。火の粉がぱらぱらと二人に降りかかり、女性が悲鳴をあげて崩れ折れた。
その夜火事場の出来事を美紗に話すと彼女は息を呑み、しばらくして呟いた、
「ショウちゃんまだ自分を責めてるのね、だからそんな無謀なことをするんだわ」
3
火事から数日後の日曜日の夜だった。、私は「山小屋」から帰って来た美紗に
「暖かくなってきたし久しぶりだから明日何処かへ行こうか」
と語りかけた。ショウの入院以来「山小屋」の休日であっても二人で遊びに出ることは途絶えていた。すると美紗が改まった表情になり真っ直ぐに私を見た、
「私ショウちゃんと一緒に暮らそうと思うの。あんな神様のように純粋な人をほっとくわけにはいかないから」
「一緒に暮らすって? 意図がよく判らないけど」
「一つ屋根の下に住んで彼の面倒をみるつもりよ」
「えっ、結婚でもするってこと」
「それは考えていない、彼の気持ちの問題もあるしアロさんのこともあるしね」
「ふーんそれで僕に何が言いたいの」
「ショウちゃんと同棲するから貴男との仲を解消したいの」
「彼と一緒に生活するのはいいとしてもなにも僕との仲を清算しなくてもいいじゃない、僕が嫌いになったというのならしかたがないけど」
「貴男を嫌いになったわけではないわ。だけどね私はショウちゃんを私の全てで愛したいの。たとえ一方通行でもかまわないから。ただね私は二人の男性を同時に愛せるような器用な女じゃないの。だから貴男を愛するのを止める」
「ショウを愛するといってもプラトニックな関係だろうし、僕たちの愛とは異質なものだから両立できるんじゃないかな」
「だから私の全てでと言ったでしょう。私は彼をプラトニックにだけ愛するつもりはないの。もっともセックスするかしないか、できるかできないかは重要な問題ではないの、一緒に暮らして見守ってやりたいだけ」
私は驚きと彼女への未練で言葉を失った。私を嫌いになったのじゃないと言うのだからまったくつきあうのを止めるとまで言っているのではないだろう。だが彼女に溺れきっている私には、もう触れることができなくなるというダメージは目の前が霞むほど大きかった。友達同志でいるなどできるはずがなかった。
「でもなんでそこまで思い詰めるようになったの」
やっとの思いでそう言うと、美紗はしばらく黙っていた。口に出そうか出すまいか迷っている風だった、
「私は前にも純真な魂を救えなかった経験があるの。だからショウちゃんは絶対守りたいのよ」
やがて美紗は東海地方のある市の名前をあげた、
「三年くらい前、男子中学生が女教師のアパートで自殺した事件があってけっこう問題になったでしょう、あの女教師は私だったの」
事件はマスコミで大きく報道されたため記憶があった。三年生のクラス委員に選出されるような性格と成績をもった生徒が、担任の女教師の部屋で自殺した事件で、事件の背景になにがあったのかが取り沙汰され話題を生んだが、中学生ということもあって結局真相が深く追求されることなく終息したかにみえた事件だった。
真相が判ったのは美紗がその市を離れて一年以上経ってからで、ある事件で逮捕された悪ガキたちの告白で判明したのだという。
自殺したKというその中学生は小学生のときに父親が亡くなり、母親と父の親の祖父との三人で暮らしていた。生活費は母のパートと祖父の年金だったが、Kが中学に入ってすぐ祖父が倒れて寝たきりとなり、痴呆が進行して母子にとってその介護は限界に近づいていた。特別擁護老人ホームに申し込んでいたが入居できるのはまだ数年先と言われていた。その特別擁護老人ホームの経営者はKの同級生Mの父親で、市の公安委員をつとめる名士だった。しかしMはKとは対照的な悪ガキのボスだった。
Kは思い余ってMに祖父が施設に入れるよう父親に頼んでほしいと懇願した。それにたいしMが出した条件は、自分たちの仲間に入ること、その資格としててはじめにスーパーで万引きをすることだった。Kが身震いするような思いで万引きしてくるとMは父親の前にKを連れて行った。父親から素行を注意されていたMは、模範的な生徒であるKを友達として紹介することで、父親の心証を良くしようと図ったのだった。企みどおりMの父親は喜びKの祖父は施設に入居させてもらえた。
悪ガキたちの万引や恐喝がエスカレートしていくのにいたたまれずKは仲間から抜けようとした。仲間からのリンチは覚悟したが、Mに祖父を施設から追い出すと言われたことで進退極まったのだった。だがKはこうした事実を誰にも告げず書き残しもしなかった。
「Kはいきなりアパートに来てなんのため来たのか言わないし、私はたまたま急用があったので彼に留守番を頼んで三十分ほど外出したの。彼はその間に首を吊っていた。机の上には『僕は駄目な人間でした。ごめんなさい』って書いた紙があっただけだった。彼は生きるか死ぬか思いあぐねて何かにすがりたい気持ちで私のところに来たんでしょうね、だけど私はそれが読めなかった。私が外出しなければあるいは彼の死を止められたかもしれない。そう思うといたたまれない気持ちだった」
そう言うと美紗はひとしきり泣いた。
しかし現地では教師が自宅で生徒を死なせたことで非難が起こり、やがて二人は淫らな関係にあり、生徒の死は美紗に捨てられようとしたからだとの噂が広がった。あらぬ噂をつくりだしたのもMたちだった。結局彼女は教師を辞めなければならなくなった。
中学の教師を辞めたあと後美紗は東京にでて学習塾の講師となり、宇都宮にできた分校に派遣されたがまもなく塾は倒産した。自棄的になった彼女はどこに行く算段もつかぬままに、たまたまアパートの近くにできた「山小屋」のパートに応募したのだった。
4
結局私は美紗を翻意させることはできなかった。そのうえショウに申し出を納得させるには、二人揃って話をする必要があると彼女に言われて拒否できなかった。美紗と喧嘩別れはしたくなかった。美紗とショウの組み合わせは普通の愛人関係とは異なる展開になるだろう、美紗の気持ちは恋愛感情というより使命感に近い、それを思うとまた彼女が戻ってくることもありうる。
ショウは一緒に暮らそうという美紗の申し出に一瞬貌を輝かせたがすぐ眉をひそめた、
「ミササンヒダカサントケッコンシテルンデショウ スルトボクハフタリノコドモニナルノカナ コドモジャオオキスギルナ」
「違うのよ私がショウちゃんと一緒に暮らすだけよ」
「エ-- ジャア ミササンハヒダカサントワカレルンデスカ ドウシタンデスカ」
美紗の決心をショウに打ち明けるわけにはいかない。
「お互いに嫌いになって別れるんじゃないから僕たちのことは心配しないで大丈夫だよ。それよりショウさんの気持ちはどうなの」
「イッショニクラストイウコトハ ミササンノオッパイニサワレルノカナ ソレハウレシイケド ヒダカサンニワルイカラ イッショニクラサナクテイイデス」
ショウの言葉に私は初めて美紗の真意に気づいた。嫌いになったのではないと言いながらあえて私との仲を解消しようとしたのは、ショウの最高の悦楽である乳房に存分に触れさせる機会をつくり、贖罪感から危険を顧みない行動に走ろうとするショウの意識を解凍させるためだった。たしかにそれは最有効の手段にちがいないが、たとえショウに性的意図が無いにしても私が容認できる行為ではなかった。私はてひどいしっぺがえしを食うはめになった。数カ月前美紗の気持ちに逆らって、ショウの歓心を買うため金で買ったアロの乳房をショウにあてがった。今度は私の気持ちに逆らって、美紗はショウに乳房に触れる権利を与えるというのだ。
私はしぶしぶ、ショウが美紗と暮らすようになっても私は平気で彼女との関係も変わらないとショウに伝えたが、いまいち迫力に乏しかった。私自身がそれを望んでいないのだから尚更である。だがショウは、
「ホントウニイイデスカ」
と何度も何度も私に念を押して、「いいよ」と言うと万歳をして叫び声をあげ美紗に抱きついた。
次はショウの母親を説得しなければならなかった。知的障害のある息子と年上で学のある美人の娘が同棲するいうのでは、何か特別の意図があるにちがいないと勘繰られるのは当然だろう。かといって正直に話しても理解を得るのはまず不可能である。結局仕事が忙しくなりショウに常時私の近くに居てほしいが、事情があり私のアパートには置けないので、美紗のアパートに下宿させてもらうという了解をとることにした。ショウと美紗とではおかしな問題など起こりえないと思ったのか、母親はあっさり承知したばかりか、息子を手助けしてくれることへしきりに感謝の言葉を述べた。美紗との同衾のことは母親に告白するにしてもしないにしても、ショウに任せておけばいいことだ。
彼らの新しい生活はショウの母親の了解をもらった翌日、まるで回り舞台を回したようにすぐ始まった。ショウの身の回りのものをライトバンで美紗のアパートに運んでくると、美紗が私のアパートに置いてあった身の回りの物を持ち出し、その日から美紗は私のアパートにきて泊まることも食事や洗濯をしてくれることもなくなった。あまりにもあっけなく起こった変化に後悔や未練や寂寥などの情念の整理がつかないまま、私は戸惑いと、何か理不尽さを引きずっているような感覚で翌日からの仕事に赴かなくてはならなかった。
ショウは日に日に活気をとりもどした。朝八時半になると意気揚々と私のアパートにやってくる。すぐ出かける仕事が無いと、なにも言わないのに点検器具を磨いたり車を洗ったりする。それでも時間が空くとごみ袋をもって近所を回った。夕方嬉々として帰っていく後ろ姿が妬ましかった。彼は土曜日の夕方母親のところに帰り、日曜日の夕方美紗のアパートに戻ってきた。土曜日の夜から日曜にかけて美紗は一人になるわけだが、だからといっていまさら押しかけても美紗も許すはずがないと思えたし、私のプライドも許さなかった。
私が「山小屋」に行く時間が早くなり回数も増えてきた。店では美紗と普通に言葉を交わしていたが、ある夜美紗が帰ると熊親父が顔を近づけてきた、
「美紗はショウ君といっしょに暮らしているんだって? 一体どうしたんだよ」
「仕事上ショウ君に近くにいてほしいんで彼女に面倒みてもらってるだけだよ 」
「美紗もそう言ってたけど、そんならなんで君んところに置かないんだ」
「まあいろいろ事情があるのさ」
5
ショウがまたそよ風に吹かれているような笑顔を見せなくなり、愁いの表情を浮かべるようになった。美紗と暮らしはじめて一カ月が過ぎたころだった。美紗と暮らしはじめたすぐのころは、仕事が終わると口笛を吹かんばかりにいそいそと帰っていったが、今はにこりともしなくなっている。
「ショウさん、最近あまり楽しそうじゃないみたいだけど、美紗とうまくいってないの」
「ソンナコトアリマセン タノシイデス」
「それにしちゃあ元気がないように見えるけど、何か面白くないことでもあるのかな。 大好きなおっぱいには触ってるんだろう」 ショウは黙って頷いた。
「おっぱいに触るだけ? セックスはしないの?」
「シナイデス ミササンハシテモイイヨッテイウケレド ベツニシタクナイカラ」
どうやら美紗との間に不満があるのではないらしい。
「そう、ときにショウさん、ショウさんはまだ自分は悪い人に注意する資格がないと思ってる?」
「ボクハワルイコトヲシタカラ シカクハアリマセン」
「まさかそれで悩んでるんじゃないだろうね。何度も言ったようにショウさんはただ言われたことをしただけで罪といっても軽いものだったのに、怪我までしたんだから充分償いをしたんだよ、悩むことはないよ」
だがショウは何も答えなかった。心配になった私は土曜日山小屋で美紗に声をかけ、彼女の仕事が終わったあと近くのスナックで会うことにした。二人きりで向かい合うのはひさしぶりだである、白いブラウスの胸の膨らみがまぶしかった。
「私もショウちゃんの変化に気づいてそれとなく訊いたりするけど理由がわからないの。飽きられたり嫌われている様子は全然ないしね。仕事に不満があるようでもないし。
ただね一つだけ気になることがあるのよ。ショウちゃん私と暮らすようになっても、私と貴男との関係は前と同じように続いていると思い込んでいたようなの。それがどうもそうじゃないらしいと気づいたようなのよ」
「なるほどね、だとするとショウは自分がいるせいでそうなったと罪の意識を上乗せしてるのかもしれないね。ショウを再起させるどころかかえって追い詰めることになりかねないな」
だから私たちの関係まで清算する必要はなかったじゃないかと言いたかったが、美紗が二人を同時に愛せないと言ったのと同様に、私も一人の女の乳房を二人で共有するのは耐えられなかったのは事実だった。
「そうなの、このところ毎日のようにネットでアルマジロの写真を眺めてるんだけど、先日何思ったか『ボクハシンダラ アルマジロニヘンシンスル』って言うのよ、またなにか思い詰めているのかと思っておもわずどきっとしたけど」
6
ショウを以前の爽やかな彼にもどすには贖罪感を薄める必要があり、そうなれば自然に自分の存在意義と使命感を取り戻していくだろうし、それはそんなに長い時間はかからないだろうから、まず私と美紗との仲は変わっていないとショウに思わせるしかないと、私と美紗の意見が一致した。お芝居が本物になってくれれば私にとっては願ってもないことになる。そして美紗が休みの次の月曜日、三人で映画を観に出かけたのを手始めに、夕食はどちらかのアパートで三人で摂ることにした。日中から夕食が終わるまで私と美紗が仲のよいところを見せさえすれば、彼の疑念を拭いさることはできると考えたのである。どこで食事を摂るにしろ、終われば美紗をショウに委ねるために私は別れるのだが、思ったとおりショウは、それが私と美紗との間に愛の関係が無いことを証明する行動であることに気づかなかった。性的な関心がないため、彼は相愛の形として当然性的な行為が伴うことへの認識がなかった。美紗の乳房を独占していても、乳房への愛撫を性愛の一つと意識していないショウの行為は、美紗への愛というより乳房そのものへの愛であり、母なるものへの憧れと甘えなのだろう。
「アア」と、空を仰いだショウが感嘆の声を出した。つられて見上げると吸い込まれそうな青空がいっぱいに広がっている、秋の始まりを示す深い透明な青さだった。土曜日だが熊親父の母親が亡くなり「山小屋」が休業した。それではというわけで三人ででかけてきた。東京の有名ラーメン店が宇都宮に進出してきて評判になっているらしい。私と美紗の作戦は成功し、ショウはまた溌剌さを取り戻しかけていた。
大きな交差点にさしかかった。横断信号は赤だったが車がこないのを見て茶髪で真っ赤なTシャツの若い男が肩をそびやかして歩きだした。
「シンゴウヲマモッテクダサイ」
ショウが大声を出した。おもわず出たのだろう、「あっ」思ったように口をつぐもうとして掌で塞いだが甲高い声が響き、振り返った男の貌にさっと怒りの表情が浮かんだ。だが私は「やった」という歓声をかろうじて抑えた。これこそショウが「悪いことをしている人」に注意する資格を取り戻しかかっていることの証明でなくてなんだろう。
男は横断歩道を渡り切った少し先で私たちを待ち構えていた。
「なんだこの野郎」 つかつかとショウのほうに歩み寄ってきた。美紗の横にいたショウが男に向かうように二歩三歩前にでた。
次の瞬間後ろに鋭い急ブレーキの音とクラクションが鳴り響いた。驚いて振り向く間もなく棄て泥を満載して左折しようとしたダンプがコンクリート製の大型信号電柱に衝突した。ドカーンという音と同時に大地が揺れ、砂塵が舞い上がり、電柱が火花を発して真っ二つに折れショウとその前に立ちはだかっていた男の真上に墜ちてきた。巨大な鉞が振り下ろされたように瞬きをする間もなかった。電柱はショウを直撃し、かろうじてショウと対峙した男の左腕をかすめて墜ち大音響をあげた。美紗の絶叫が響きわたり、私も叫び声をあげショウに飛びついたが、うつ伏せに倒れた背中には電柱がのしかかり首が真横に捩じれていて、すでに手応えは無かった。
たちまち沢山の人が集まり、やっと電柱を押し上げショウの躰を引き出した。ショウの背中はのしかかった電柱の形のままに凹んでいる。私は彼にとりついて必死に呼びかけたがもはやショウは応えなかった。だが彼の貌は笑っていた、わずかに赤らんだ頬のうえにあの爽やかな春風にふかれたようなほほ笑みを浮かべていた。頭をあげると男の姿は見当たらず、遠くからのんびりとした救急車のサイレンが近づいてきた。
事故直後から美紗は両手で顔を覆い倒れた電柱に躰をあずけて、泣きながら憑かれたように
「アルマジロが、アルマジロが」
と呟いていた。
彼女は見たのだと言う、電柱が当たる瞬間ショウの躰が丸まって躰から光彩がほとばしったのを。それはまさに金色の巨大なアルマジロのように見えた。そして電柱はまるでスローモーションのように、一度アルマジロの躰の上にのしかかったあと、それを支点にしてわずかに向きを変えショウに向かってきた男を避けて墜ちたのを。
【信号機ダンプにに激突され、通行人が赤と青に】
事故を報じた新聞記事のタイトルである。土砂を満載したダンプの運転手が曲がるべきであった交差点に気づき、無理に左折しようとして急ハンドルをきったが曲がりきれずに信号機に衝突したため、信号機が折れて通行中の男性二人を直撃して、一人が死亡一人は間一髪助かったが、助かったほうの男性はすぐに姿を消した。と記されている。ダンプの運転手は怪我一つしなかったが、過失運転と器物損壊の罪に問われるらしい。
7
ショウも美紗もいなくなってから一年が経った。また秋がやってきた。一年の間にいろいろなことがあった。
美紗は事故直後から放心状態になり、事故後の慌ただしい動きから帰って来た私とも口をきかなくなった。翌日の「山小屋」にも顔をださず、それでもそのあくる日ショウの家で行われたささやかな通夜の手伝いまではしたが、その翌日ショウの火葬がすむといつのまにかアパートからも姿を消してしまった。気づいた私は彼女を探し求め、住んでいたという東海地方の市にも行き、勤めていた中学校までも行ってみたが消息を知ることはできなかった。
ショウの葬儀は通夜のつつましさに比べ盛大なものに変わった。「天照光」が母親を説き伏せて教団葬を催したからである。そして教祖の栄光は、「身代わり皇子」が本来罰を受けなければならない人間の身代わりになって天に召されたと述べ、天照大神の慈悲の広大さを説いた。その後「天照光」では「身代わり皇子」の姿をした一mほどもあるショウの木彫が造られ、天照大神の彫像のかたわらに祀られて生身のときのように触れることができるようになった。木彫の開眼式に招かれたというショウの母親は私に「あまりショウに似ていない」と告げた。
アロからショウへの三通目のラブレターがきた。二通目まではショウは健在だったが、ショウが返事を書いた形跡はない。中身はいずれも英文とたどたどしい仮名書きだった。私は和英辞書と首っ引きで手紙を書きショウが亡くなったことを知らせた。
クラブ「R]のママ美恵子は「山小屋」に姿をみせなくなった。「R]が摘発を受け店を閉じたのだ。だが「X興産」自体は巧妙にも追求を免れたらしい、そして宇賀神は「K建設」にうまく取り入ったのだろう。それを証明するように、数カ月前K建設と並んでX興産の名前が新聞に載った。だがそれは、県営の大きなプロジェクトとして報じられていた産業廃棄物処理場造成工事で、K建設をめぐる汚職事件が発覚しその関係企業としてだった。
K建設社長夫人は事件が報じられる前、すでに春の県会議員選挙で当選していたが、汚職事件との関連を取り沙汰されている。
小獣館はあいかわらず水族館まがいで薄暗い。上野動物園が開くと同時にこの小獣館に来ている。
目の前の蛍光色に照らされたガラス室の中で黄土色に光ったアルマジロがせわしなく走り回っている。しかしショウときたときから三年半も経っているのだから同じ動物なのかどうか、できれば同じアルマジロであってほしいものだ。
隣のもう一つのガラス室のアルマジロは、灰色で巨大な団子虫のように丸くなって動かない。まてよ、ショウときたとき見た光景も同じようなものだった。ということはこっちのアルマジロは、まるまった姿を見せるための剥製か。だがこれが美紗が幻に見たというショウの最後の姿なのだろう--。
今日はショウの命日だ。もしまた美紗に逢える機会があるとすれば、この日このアルマジロの前しかないような気がしてやってきた。一日中でも待ってみるつもりだ。私は小獣館を出てすぐ前にあるベンチにゆっくり腰を下ろした。三年半前、アルマジロの前から離れようとしないショウが出てくるのを待つたように。 了
アルマジロ