夢のつづき

いつの間にか

いつの間にか夢を見ていた。

忙しく過ごしていた日々に、突然その人は現れた。
平日午前中の緊急手術。いつものように仕事をこなす。

術後の安静状態の日々が過ぎ、容態が落ち着いてきた頃、彼女と二人で話をした。
完治が難しい怪我について、オブラートに包みながらも今言えることを説明する。

最悪の状態は免れることができそうだ、もうほぼ懸念する必要がなくなりつつある。
しかし、今のところ、退院がいつになるかとか治療期間がどのくらいになるかというようなことは言えない。
ただ、治療は長くかかる。半年、一年と傷の様子は変わってくる。

私の説明を聞いた彼女の反応は、とても冷静なものだった。
治療の話は了解したと。今後の治療についてよろしくお願いしますと。
可愛らしい様子の女性だが、しっかりとした受け答えをする。
少し意外な印象。この時、初めてまともに彼女の目を見つめて話をした。

彼女が病院の生活にも慣れてきたように思えた頃、
次の段階の治療に移ることもあり、彼女に足の傷を見てみるよう促してみた。
今後、自分で傷を洗わなければならなくなるしと。
納得して初めて傷を見た彼女。予想外のショックを受けたらしい。

ひどいと小さな叫ぶような声がでたと同時に、
一瞬にして泣き出すかのような表情になってしまった。
その様子を間近で見てしまった私は、なんとも言えない気持ちで彼女を見つめた。
泣き出すかと思った彼女は、すぐに涙を飲み込んでまた診察台に横になった。
しかし、処置の痛みもあり、なんとなくずっと泣きそうな顔をしているように見えた。

その後の彼女の回復は、順調だった。
しかし、元通りに治ることはない。
歩けるようにはなるだろうが、足をだすことはできないほどの傷跡が残る。

診察中に、彼女から時々聞かれることがあった。
どのくらい傷が治るかということについて。
きれいに治ってきているとは言うものの、
あなたが思うほどきれいにはならないとハッキリと伝える。
その都度、色々と説明を加えたりしながら。
そうやって、彼女は少しずつ自分の状況を受け入れていくようになっていくだろう。

彼女のような怪我では、半年近く入院することも当たり前。
しかし、彼女はニヶ月程でメドがついてきた。とても早い回復ぶりだった。
まだ骨折が完治していないが、皮膚の治療は手術がうまくいき、後はほぼ経過観察といったところ。
退院の話を検討し始めた頃、彼女が診察室に歩いてやってきたのを初めて見た。
松葉杖を使わず、ソロソロとひょこひょこと。

歩けるようになったことに少し驚いて声をかけると、ペンギンみたいな歩き方と彼女が言った。
ネガティブだねと笑いながら、歩けるようになったことを、少し持ち上げるように話しかける。
すると、彼女は、まだ普通には歩けないんですとは言いながら、今歩いている様子を報告してくれた。

思いがけず早く退院できる状態になったことを喜びつつも、少し寂しく感じる自分もいた。
もう彼女は、この病院からいなくなる。
まだ暫くリハビリや診察で通院が続くが、今までのように顔を合わせることはなくなっていく。

退院の日、病院の一階ロビーで彼女の姿を見た。
入院中の姿とは違い、白いブラウスにベージュのスリムなパンツ。
椅子に座っている母親に立ったまま話をしている。
こちらには、背を向けているので気づかないだろうと思いつつ、横を通り過ぎようとした。

しかし、通り過ぎる直前、不意に私に気づいたらしく、彼女に声をかられた。
ありがとうございましたと今後もよろしくお願いしますと。嬉しそうな明るい顔で私に挨拶をした。
私は、何も言えず、ただ、頷いてその場を離れた。
これから、少しずつ彼女がいないことに慣れ、また元の生活に戻っていくのだろう。

彼女をみつめて

退院からニ週間後の朝、診察室に彼女の姿があった。
他の医師やナースが驚く声が聞こえ、すぐに目をやる。
入院中の様子とは全く違う回復ぶりに、目をみはった。
ふらつくこともなくちゃんと普通に歩いているようだった。
きれいに化粧もし、白いレースづかいの上着にデニム、肩がけの鞄をさげていた。
とてもきれいな人だった。

たった二週間での、この変わりよう。
骨折の治療の為に足に数本差し込んだままだったピンを、整形外科で外してもらうことができたらしい。
それで、痛みを感じることなく前よりも少しスムーズに歩けるようになったとの話だった。
怪我をしている片足はまだ腫れており、装具を履いている状態ではあったが。

主治医である部下の医師が、彼女の診察にあたる。
私は、他の患者の診察を行い、その診察が終わるとまた彼女の様子を気にして目をやる。
彼女の様子が気になってしまい、診察が終わる頃は、少し離れた場所からその様子をさりげなくみていた。
診察室をでる彼女は、私の方にも目を向け、笑顔で挨拶をして帰っていった。

週に二回、彼女の通院は続いていた。
リハビリの為だったが、毎回、私の科の窓口で受付をするらしく、彼女の姿があった。
これは、予想外だった。もう私の科に顔をみせることは、殆どないだろうと思っていたから。
彼女の主治医が女性ということもあり、彼女と主治医の間には良好な関係ができあがっていた。
傷が痛む時は、リハビリのついでにいつでも診察にきていいからという話もしてあり、
時々彼女は診察室に姿をみせた。

夏も終わろうとする頃、彼女の主治医は遠方へ異動。
彼女は少しショックのようだったが、
主治医から、心配ないからと次にくる医師のことを少し説明され、まだ私もいるからと話をされているようだった。

しかし、主治医から引き継いで彼女をみるようになったのは、私。
私の他にいた医師が二名異動となり、彼女のことを最初から診ていたのはもう私だけだった。
彼女を、自分が診てあげたかったのだ。

次に診察に現れた彼女に、もう誰もいなくなったよと冗談を言うと、
寂しいですけど、まだ先生がいらっしゃるから安心してますと笑いながら言ってくれた。

退院後、彼女の傷をまともに診たのは初めてだった。
あれから二ヶ月半になろうとしていたのだが、傷の治りが悪かった。
赤く盛り上がった状態。
いつからこんな状態なのかと訊いてみると、ずっとこんな様子だと。
傷の赤みが引くのが少し遅いけれど、まだ腫れている状態なのだろう、
最終的に炎症が落ち着くのは、怪我から半年後くらいになるから
という話を主治医からきいていたと。
傷がケロイド化してきており、このままではきれいに治りそうになかった。

もう暫く様子をみてみるとしても、手術をやり直すことを考えなければいけないだろう。
原因は、傷の中の方のとれない垢。洗っても取れにくいため、これは仕方ないのだが。
病院で治療に使っている洗浄剤を彼女に渡し、使ってみるよう話しつつ、
歩き方や痛みがどうか、仕事はデスクワーク中心か尋ねてみる。
サポーターをつけているのを見て、圧をいっぱいかけるようアドバイスをする。
状態が悪いので、次は一ヶ月後に受診するよう彼女に説明。
一ヶ月様子を見て、手術のことを検討しようと。
次に手術をするならば、今度はお腹から皮膚をとることになるだろうが、
それで皮膚が足りるだろうか。
彼女にしてみれば、今回の診察結果は予想外だったらしく、少し深刻な顔をしていた。

動きだす気持ち

十一月。
診察室の前に、彼女がいた。順番を待っているらしく、壁際の端の席に座っていた。
丁度廊下に出ようとした際に彼女の姿を見つけたのだが、彼女はこちらに気づいておらず、
膝に鞄をのせ、肘をついて壁に貼ってある掲示物を見ている。
その様子を見て、つい微笑んでしまった。すると、不意に彼女がこっちを向いた。
慌てて顔を下に向け、彼女に気づかなかったように前を通りすぎる。

暫くして診察室に戻り、看護師に彼女を呼び入れてもらう。
さっき、つい微笑んでしまった顔を見られていたかもしれない…と、
なんとも言いようがなく少し恥ずかしいような気がしていた。
彼女が診察室に入ってきた際は、わざと離れた位置に立って彼女の方を見ていた。
これから、診察するというのに。
彼女は、そんな私の様子を気に留める様子もなく、おはようございますと普通に挨拶をし、
診察ベッドに腰掛け、靴を脱ぎ始めた。
私のことは、特に気にしていないようだ。よかった。

「おはよう。足どう?」
「うーん、痛みはないですけど、たぶんあんまりよくないです。」
彼女が、サポーターを外して足を診察ベッドの上へ出した。
「うーん。なんでこんなになったんだろう。」
パソコンで過去の画像をだし、見比べながら、足を触る。
「植皮するとこうなるもんね。ほんとはね、こんな風になるんだけど。」
そう言いながら、きれいに皮膚がついた箇所を指差して教える。
「特別悪くなってるってわけじゃないけど、どうしてもこういうとこに垢がたまったりするのが、原因なんだよね。」
皮膚にできてしまったシワの部分を、ピンセットで触りながら説明を続けた。
「いや、仕方ないんだよ。薄い皮膚をつけてるから、機械で網目状にするんだけど。
だから、こういう風になってくるもんね。背中とかお腹みたいに厚い皮膚だといいけど。
ここに植皮するとしてもねぇ、結構たくさん皮膚を使わないといけないから、うーん。
私みたいにお腹にいっぱい肉があればいいけどね。」
彼女が、ちょっと笑った。他の治療法についても、話をする。
すると、ベストな方法は植皮ですか?と訊かれた。
植皮は前の手術から半年たたないとできないという話をすると、
七月の手術だったから…と彼女が、指で数えだした。
「できるようになったら、すぐがいいですか?」
「いやいや、それはあなたの都合でいつでもいいから。」
「入院は、どのくらいになりますか?」
「二週間くらい。」
「その後はあんまり動かさない方がいいんですよね、自宅療養とかした方がいいですか?」
「うん、そう。整形外科は今後どんな治療するって?薬は?今こっちでだしてる薬はねぇ…。」
なんだかんだと話をした。
彼女は、私が目を見て話をすると、それに答えるようにこちらをじっと見つめ返す。

手袋をはめた手で直に彼女の足を触り、傷にクリームを塗った。傷が乾かないところに小さなガーゼをあててあげたり。
「あなたはきれいにしてるよ。だから、あなたのせいじゃない。あなたができることは、もう全部してるから。」
傷の治りが悪いことについて、彼女にそんなふうに話をした。彼女は、お礼を言って診察室をでていった。

十二月の初め、手術日で外来休診の日のことだった。
大体若手の医師が手術に入るので、手術日はいつも診察室で少しのんびりと仕事をしていた。
昼前、看護師から声がかかったかと思うと、彼女が突然現れた。
外来休診で予約外だったが、手術時期の相談のためにリハビリの帰りに立ち寄ったらしい。

私は、椅子に座ってパソコンを触っていた。突然だったのもあり、そのままやりとりが始まる。
実はですねと彼女が話しながら椅子に座ろうとしたので、とりあえず足を診ようと診察ベッドの方を勧めた。
足を診ながら彼女と話をする。植皮しても今とたいしてかわらないだろうと。
ブラウスの上からお腹をつまんでみたが、これじゃ足りない。
「こんな靴は履けるようになりますか?」
彼女はまだ装具を履いていたのだが、怪我をしていない片方のきれいな足は、シンプルなバレエシューズを履いていた。その小さな靴を指差して、彼女が私に尋ねる。
「うーん、サイズを大きくするとか。縦はいいけど。横はね…。ちょっとどれくらい皮膚がいるかみてみるから。マジックつくけど、ごめんね。」
そう言いながら、まだ赤く腫れている彼女の足にガーゼをあてた。
その上から傷の大きさをマジックでなぞり、それを切りとり、またふたつに切った。
「お腹出して。」
彼女が少しお腹をだしたところに手をかけ、手際よくお腹を広くだし、切り取ったガーゼをのせ、どのくらい皮膚がいるかお腹の皮膚で足りるのかということを確かめる。
突然の行動で、彼女は少し固まっていた。
「やっぱり植皮じゃムリ。治療法は色々あるんだけどね、風船を体に埋め込んで、
少しずつ水を入れて皮膚を伸ばしていく方法があって、それが一番いいだろうと思うよ。」
新しい治療法を勧めながら、パソコンで検索してどんなものだか画像を見せて説明する。

「手術、もちろん自分がしたいけど、四月に異動するからね。」
「えぇー!」
一瞬、彼女の表情も動きもとまってしまった。
「どちらにですか?」
「大学病院。」
「どこのですか?」
「三矢大学病院。」
「…。」
「そりゃ、異動はするよ。手術は、私じゃないとできないってわけじゃないから。」
「それはそうですけど…。」

安易にすぐ決めないで、長い目で見た方がいいと話す。
彼女は一通り話を聞いた後、また来週伺いますと言った。
診察室を出る彼女を、じっと見つめていた。
異動を知らせた時の彼女の驚きよう、あんなに固まるほど驚くとは思わなかった。
本当は、彼女の主治医だった女性の医師と同じ時期の異動だったのだが、
教授に頼んで半年先に伸ばしてもらっていたのだ。
彼女の怪我がある程度治るところまで見届けたかったし、
実は、もう少し彼女と一緒に日々を過ごしたかったからだった。

新しい治療は、組織拡張器という風船のようなものを体内に埋め込み、時間をかけて少しずつ生理食塩水を注入し、拡張器を膨らませていくというもの。
最初に拡張器を埋め込む手術をした後、九ヶ月程かけて膨らませる。ある程度皮膚が伸びたところで、また手術を行い、怪我した部分の皮膚を剥がし、伸びた皮膚を切り取ってはりつける。

火傷をした子供に対してよく行う治療であり、
乳がんにより乳房を失った女性に対して乳房再建の手術を行う際にもこの拡張器を使用する。
彼女の場合、ふくらはぎと太ももの二箇所に拡張器を埋め込むことになるだろう。
一年がかりの長期にわたる治療になるし、見た目も気になる治療である。
しかし、治療の結果、植皮とは比べものにならないくらい綺麗な皮膚になる。

通常の植皮手術では、まず、皮膚はきれいにならない。
彼女の場合、最初の時点では皮膚をきれいにする以前の問題だった。
露出してしまっていた骨を早く皮膚で覆わないと骨髄炎をおこす心配があり、
急ぎなんとかするために、植皮の手術をした。
植皮とは、傷を治すのに一番早手っ取り早い方法だった。

彼女には、絶対にこの組織拡張器を使った治療をさせた方がいい。
なぜなら、今、彼女にしてあげられる一番いい最高の治療法なのだから。
彼女の返事を聞く前に、私の中では、この治療を行なう方向で決まっていた。

予め診察の予約が入っていた一週間後に、彼女はまた顔をみせた。
「そうそう、そうだったそうだった。」
なんて言いがなら、彼女の治療状況を確認しているようにパソコンを触りつつ、話を始める。
「異動になったんだよね。」
予想以上に彼女が驚いていたことに気をよくしていて、つい、また言ってしまう。
「この前聞きました。」
「あ、そうだったっけ。」
手術の話の続きを始める。
「周りとも話してきたので、その治療でお願いしようと思って。」
「誰と?」
「家族とか職場とか。」
何を聞いてるんだというような少し怪訝な顔をする彼女。
新しい治療法でいくことは、既に自分の中で決めていた。
なので、うっかり誰となんてことを言ってしまったのだった。
まぁ、組織拡張器の治療を行うことを、彼女自身しっかり納得して決めたようで、ハッキリとそう話してくれた。
「それが一番いい。今、形成外科でできる最高の治療だから。他にも色々あるけどね。
足、またみせてもらっていい?」
彼女の足首の辺りに拡張器の型をのせ、埋め込む場所を考えていると、彼女が口を開いた。
「そんなところに風船いれたら、靴入らないじゃないですか。どうやって外歩くんですか?太もも二箇所っていうわけにはいかないんですか?」
「難しいところなんだよね。この治療、見た目とか気にする治療じゃないしね。太もももみせて。」

診察台に右足をのせて診察するのを気にしてか、彼女はいつもパンツを履いてきていた。
今日も、ハイネックのセーターにスリムなパンツ姿。
太ももを出さないといけないとは…という顔をしつつ、仕方なさそうにパンツを脱ぎ、下着が見えるのが気になるらしくセーターを腰までひっぱりつつ、彼女は足を全部だしてみせた。
彼女の右足全体を触りながら拡張器を入れるところをチェックし、色々とあるサイズの型をのせてみる。たくさんの皮膚をとらなければいけない為、どこにどう拡張器を入れたものか…。
結局一番大きいものを、太もも一箇所に埋め込むことにした。
足首に入れなくてもよくなったので、彼女はホッとしたようだった。
「太ももからとるのが、いいだろうね。お腹からとると妊娠できなくなるし、背中からとると筋肉とかもとるから、子供をあやすのが難しくなるもんね。」
赤ちゃんをあやす格好をしてみせ、背中の筋肉がいることを説明する。
「子供生む可能性もあるからね。」
彼女は、あぁと少し苦笑いのような表情を浮かべる。

若く見える彼女だが、もうかなりいい年だった。私と五歳しか変わらない。
私が四十六なのだが、彼女は四十一だった。
実際の年齢は近いのに、見た感じは、自分と十歳以上違うように見えた。
アラフォーとはいうものの、若い独身女性の延長のような雰囲気。
しかし、話をしていると、内面は確かに年相応のしっかりしたとした大人の女性。
私が彼女を特別視してしまうのは、このちょっと不思議な年齢差の感覚のせいでもあった。
私はかなり年相応の中年おやじなのだが、同じ世代と言ってもいいはずの彼女は、
話していてなんのギャップも感じないというのに、外見も内面も明らかに自分と違って若かった。

拡張器を入れておく期間は九ヶ月程、その後、手術や自宅療養…。
結局トータルの治療期間は一年くらいになるのかと彼女に確認された。
「まぁ、そうかな。最低でそれくらいだからね。」
「それだけの治療したら、足だせるようになりますか?ぬい傷くらいですか?」
「植皮よりかはすごくきれいになるけど、あなたが思うみたいにはならない。」
そんな話をしていると、手術を年明け一番早い日にしてほしいと彼女から希望があった。
「入院期間はどのくらいですか?」
「一ヶ月。」
「一ヶ月っ?三日くらいだと思ってました。」
「暇よ。この治療の入院。血を抜かないといけないから、それがちょっときついし。
術前検査しないといけないけど、今日していく?」
「今日は、ちょっと…来週水曜以降だったら、いつでも大丈夫です。」
「じゃ、水曜にしよう。」
そんなやりとりをしてこの日の診察は終了した。
新しい治療の方向で話が決まり、これからまた入院、手術、通院ということになった。
不謹慎にも、この状況をよく思っている自分がいた。
また蜜に彼女と接する時間ができたことを、私は喜んでいたのだ。

二人の時間

新しい年は、すぐにやってきた。
年末年始の休暇はすぐに終わり、またいつもどおりの慌ただしい日々が始まる。
部長室から診察室へ戻る途中にエレベーターに乗り込むと、結構な人だった。
エレベーターに乗るとすぐに扉側を向き 、扉近くに立って落ち着く。
「真田先生。」
後ろから声をかけられて振り向くと、すぐ後ろに彼女がいた。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。また明日からよろしくお願いします。」
周りに人が何人もいたので、手短かにという感じできちんと挨拶をされた。
「ああ!明日、手術の説明を…バタバタしてるから夕方になると思うけどしますから。今日はゆっくりしてて下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
突然声をかけられて驚いてしまい、何故か少し慌ててしまった。
すぐに次のフロアでエレベーターの扉が開き、軽く会釈をしてエレベーターを降りた。

年明け一番の手術日に、彼女の手術は予定されていた。
準備等の関係もあり、手術の二日前には病院に入るように話をしていたのだが、
思いがけず、年明け早々彼女と顔をあわせ、少しご機嫌な気分だった。

翌日、彼女に手術の説明をする予定だったが、正月明けということもあり、何かと立て込んでいた。
午後もいい時間になってやっと昼食をとろうと部長室へいこうと移動していた時に、バッタリ彼女と鉢合わせた。
黒地に小さな白い水玉のネグリジェの上からグレーのパーカーを着て、すっぴんにメガネ。
そんな格好で一階の正面玄関の入口前からクルっと病院内に向き直り、腕組みしてこっちに歩いてこようとしている彼女と目があった。
「ごめん、もうちょっとまってて。ちょっと忙しくて。」
そう言って、手で縫うそぶりをした。処置が立て込んでいてバタバタとしており、全く自分でも何言ってるんだという言い訳を咄嗟にしてしまう。
「いえいえ、いいんです。お忙しいでしょうから。」
彼女は笑顔で返事をし、会釈をしてそのまま歩いていった。

今回の入院に際して、彼女の主治医は、まだ新人の若い女性医師ということにしていた。
私が診てあげられるのは、もう僅か。その後も一年近く治療は続く。
太ももや足を診なければならないこともあり、デリケートなことも考え、女性医師を主治医にした。
結局、私の変わりにやってくる医師や今現在ここにいる中堅の医師も一緒になって全員で診ることにかわりはないので、なんら問題はない。

十五時頃になって、やっと手術前の検査や説明のため、彼女を診察室に呼んだ。
主治医の女性医師の横につき、機械で計測など行うのを一緒に確認する。
手術をする箇所にマーキング等おこない、準備終了。
その後、パソコンがある机の方へ移り、私から彼女に手術の説明をすることにした。

小柄な彼女は、私の横にちょこんと座った。
説明用の紙をだし、話を始める。
まず、書類に日付を記入。すると、彼女の細くてきれいな指が目の前に。その指は、日付を指していた。
「あ。」
年度の箇所を、うっかり前年のものにしてしまっていた。
「あー今日書いた書類、朝からずっと間違えてた。」
あー今気づいた。とりあえず、二重線を引き、訂正。
その後、手術の説明を、丁寧に行った。
最後に、結局退院がいつ頃になりそうかと尋ねられ、二週間…くらいかなと返事をした。
「え?それくらいでいいんですね。一ヶ月くらいって言われてたみたいだったから。」
「あぁ、私がちょっと大げさに言うからね。でも、ま、二週間から一ヶ月くらいかな。ヒマよ。」
少し笑いながら、ごまかす。確かに一ヶ月と言ったが、それくらい入院させておきたくて、つい言ってしまったことだった。
「一ヶ月と思って色々持ち込んでるから、大丈夫です。」
そんなこととは知らない彼女は、笑顔で返事をした。
「あと、血抜きの管をつけるから、パジャマとかの方がいいかも。」
「えー、ネグリジェみたいなのがいいかと思って、わざと用意してきました。そっか、パジャマの方がいいんですかぁ…ボタンの間から、管だせばいいかも。」
「ああ、そうだね。それで、いいよ。大丈夫。」
そんなことで、落ち着く。
話がひととおり終わると、彼女が立ち上がり、挨拶をして診察室を出ようとした。
「あっ。」
彼女が、振り向く。
「明日もしシャワー入って、マークが消えたら連絡してください。誰もいないけど誰かに伝えてもらったらいいから。」
また彼女が笑顔で、はいと返事をした。
「ありがとうございました。失礼します。」
そう言って診察室をでていった。


***作成中***

終わりに近づく夢

「先生、明日外出していいですか?」
「なにするの?」
「暇つぶし。」
「暇つぶしなら、もっと早くからしてよかったのに。」
笑いながら、彼女に言う。
「じゃ、病棟の看護師さんに行って外出でいいですか?」
「うん、いいよ。」

術後の経過は良好で、予定どおり入院治療は終わろうとしていた。
三週間近くの入院生活になり、もういい加減退屈らしい。
退院は明後日だというのに、外出許可を頼まれたのだった。

翌日は、あいにくの曇り空となった。
手術日だったために私が一人診察室に残っていたのだが、昼前に昼食を調達しに病院一階にあるコンビニに行った。
レジで弁当を温めてもらっていると、不意に声をかけられた。
「こんにちは。」
すごく可愛らしい笑顔の普段着姿の彼女がいた。
「あぁ。」
「今日手術だったんですよね。」
「そう、いま入ってるよ。」
「診察は、今日ないんですよね。」
「うん、今日はなし。今から外出?」
「はい。」
彼女は、ビニール傘を手に持っていた。店員に声をかけられ、傘の支払いをする彼女。
頼んでいた弁当が温まったらしく、店員からそれを受け取り、じゃってかるく頭をさげ、私はそっけなくその場を後にした。

彼女は、満面の笑みをみせて私に声をかけた。とても嬉しそうな表情だった。
そんな顔で突然声をかけられて、驚いたというのが本音。
珍しくコンビニで私の姿をみつけたというのもあるだろうが。
あんな顔をして、自分に声をかけてくるとは。あんな顔をして…。

翌日、朝一の診察を終えれば、彼女は午前中のうちに退院する予定になっていた。
部下の医師二名に彼女の診察を頼み、私はもう一つの診察室で別の患者の診察にあたる。
「真田先生が、一週間後にみせにきてくださいと言われてますので。」
主治医が彼女に話している声が聞こえてきた。
この日、結局私は全く彼女の前に姿を現さず、そのまま、彼女は退院していった。

年明けから今日までの彼女との日々は、終了した。
そして、彼女とのお別れまで、あと二ヶ月。
いつの間にか見ていた夢から、覚める時がきた。
それなのに、少しの誤算があった。
もしかすると、彼女は…。
私の態度や視線が、彼女の気持ちを動かしてしまったのかもしれない。
昨日の彼女のあの表情を思い出すと、なんとも言えない気持ちになった。

はっきり言って、私は、外見には気を使わない、仕事人間の中年おやじだ。
白髪も目立ち、体型も崩れるまま。お腹だって立派なものだ。
そして、実は、既婚者であり、三人の子持ち…。
こんな私に、彼女のような女性が興味を持つとは全く思わなかった。
妻子があることは知らなかったとしても、それでも、私に好意を持つとは…。

私は、考え込んだ。
いくら彼女が可愛くても、これ以上彼女を見守っていくことはできない。
自分では、これ以上彼女を支えてあげることはできないのだ。

後遺症が残るような大怪我をし、手術によって体には数箇所傷跡が残る。
今まで何故独身だったのかが不思議に思えるほどの可愛らしい女性だが、
今後今までとは違う体になってしまった彼女が、結婚し、
パートナーに守られて生活していく可能性は、なんとも言えなかった。

そんな彼女は、私に安心感や親近感を感じるようになっていたのかもしれない。
私が一人であれば、彼女を当然のように抱きしめることができた。
最初の頃から彼女をみつめてきた私にとって、彼女はとても大切な人になっていた。
守ってあげたい大切な可愛い人だった。

退院からの一週間は割と早く過ぎた。
彼女がきたことを看護師に告げられた私は、診察室入口まで出て行き、彼女を呼び入れようと声をかけた。
鞄と傘を手に持ち、椅子から立ち上がる彼女。立ったまま彼女を診察室に迎え入れる。
彼女が、鞄と傘を壁に立てかけると、傘が床に落ちてしまった。私が拾って椅子に立てかけると、彼女は笑いながら、すみませんと私に声をかけた。
「今日は、水注入ね。」
彼女が診察ベッドにのり、組織拡張器が入っている太ももをだす。
「ここは、テープかぶれ?」
そんなことを言いながら、傷跡に貼っているテープを剥がす。
血抜きの管をつけていた箇所の傷口にも少し大きな絆創膏を貼っていた。
退院後ずっと貼りっぱなしにしていたら、今朝はなんとも言えないくらい絆創膏が剥がれかけていたらしく、もう診察で貼りかえられるんだけどと思いつつ、今朝貼り替えたんですと言う彼女。
「今朝貼り替えたの?」
「貼り替えないつもりだったんですけど、もう剥がれそうになってたから貼ったんです。」
「もうここの傷、貼らなくていいよ。横になって。」
食塩水を注入する時は、横になってしまった方が都合がよく、彼女にそう指示する。
診察台に横になった彼女は、お腹の上で手を組んでいた。白くて細い指に薄いピンクのネイル、ゴールドの指輪。思わず手にとりたくなるような綺麗な手。
椅子に座っていた私は、少し腰をあげ、彼女の頭の方にある棚から使用する器具をとりだした。
ベッドに横になってじっとしている彼女が可愛らしくて、わざと彼女に近づくような行動をしてしまった。

注入する器具を選んでいて、丁度よく使えるものが見当たらず、看護師に声をかけてやりとりをする。
「これおっぱいのおっぱいの、これでやってみたことあるけど、できなかったもんね。」
この治療は、乳房再建の時にもよく行うため、ちょっとふざけてわざと冗談でおっぱいおっぱいと連発してみたり。
「ちょっとチクってしますよ。」
なんとか器具が用意でき、食塩水をいよいよ注入。
「どう?」
「全然わかりません、感じません。」
彼女が笑いながら応えるので、私も笑ってしまった。
「今日は、百シーシー入れるから。」
「はい。」
「これから、ニ週間に一回くらいで入れていくんですか?」
「うん、そう。」
「水って少し時間かけて入れるんですか?」
「うぅん、そうだねぇ。昔はね…って言っても、自分が前してたんだけど、一週間に一回ずつ入れていってたの。でも、きついからね。これくらい入れて、きつい?張ってきたのわかる?」
「なんか、わかるようになってきました。きつくはないですけど。」
「まだ最初だからね。これからが、きつくなっていくと思うよ。」
「きついっていうのは?痛くなってきたり、重くなってきたりってことですか?」
「いや、張ってくるんだよ。張ってくるときつく感じてきてもういいですってあなたが思ったりね。見た目的なところとかね。」
「見た目的なところは、こんなスカートはいてたらわからないですよね。膨らむのは、最高で八センチくらいですよね。」
「うん、ま、そうだね。八センチくらい。」
そんなやりとりをしつつ、処置終了。
今日は、横になっている彼女の顔を見ながら、ずっと話をしながら、一人で処置にあたった。
処置がとりあえず終わり、パソコンのデータを触り始める。
「あ、先生お薬がもうないです。飲み薬も塗り薬も。」
靴を履きながら、思い出したように彼女が言った。
「整形の薬は、まだ飲んでるの?皮膚科からでてるのは?いる?」
パソコンのデータを見ながら、彼女に尋ねる。
「今こっちでだしてるのは、ちょっと減らして一日ニ回にしようか。あんまり長く飲むのもね。」
そんなことを言っていると、そろそろ終了という感じで彼女がで立ち上がりつつ、傷の具合について気になっていることを尋ねてきた。よくよくやりとりして、この日の診察は終了。
「次いつにする?」
「いつでもいいです。」
次は、ニ週間後ということになった。
「じゃ、今度はニ週間後の金曜日ですね。ありがとうございました。失礼します。」
今日の処置は、私一人だけでつきっきり。じっと彼女のことを見つめていた。

彼女との時間は、もう限られていた。もうなるべく彼女から離れていくべきなのに、私は彼女のことが気になって仕方がなかった。できるなら、彼女をずっと見つめていたかった。

食塩水の注入は、二週間毎。次の彼女の診察は、二月の半ば…のはずだったが、丁度一週間後に彼女は、また病院へやってきた。
薬がきれたので、薬だけお願いしますと窓口で看護師に依頼したらしい。

診察室のカーテンを開けて廊下へでていくと、椅子にすわって本を読んでいた彼女は、ぱっと顔をあげて私の方を向いた。
しかし、私は、彼女には気づかないふりをする。
「いきましょうか。移動しますよ。」
そう言いながら、端の方で車椅子に乗っていた患者を呼びに歩いて行った。
そして、車椅子を押してすぐに診察室に連れて行く。
診察室に戻ろうとした時、彼女がまた本に目を戻している姿が目に入った。

先週、内容を確認して薬をだしたにもかかわらず、一週間で薬をとりにきた彼女。
私が、わざと一週間分しかださなかったからだ。
本来なら次の診察日の分までだすべきだというのに、うっかり間違えたように一週間分しかださなかった。
なぜなら、今度は、私が彼女に会えないから、彼女の姿をみておきたかったのだ。
我ながら、バカなことをしてと思っている。本当に、バカだ。
でも、私と彼女のタイムリミットは、少しずつ近づいてきていたのだ。

退院からすぐにひと月が過ぎ、食塩水の注入も三回目となった。
彼女が足をだすと、手で触れて拡張器の張り具合をみる。
「あぁ、だいぶんね。」
今日は傷もみせてと、怪我をしている足も触りながらみていた。
「足が大分小さくなってきて小さい靴が履けるようになったんですけど、左と同じように履いてても靴が脱げるから、まだ履けないんです。なんでだろうと思って。」
「わからん…。調子は?どう?」
「違和感は殆どないです。」
「いや、あるでしょ。」
張り出した太ももを触って、笑ってしまった。

水入れる時は寝た方がいいねと言うと、素直に横になる彼女。
ちょっと頭が上になりすぎたので、ちょっと下がろっかと声をかける。
笑いながら、そうですよね、落ちそうっていうので、私もつられて笑ってしまった。
食塩水を注入し始めると、少し笑いながら彼女が口を開いた。いつもと違って音楽がかかっているのに気づいたらしい。
「今日は、BGMつきなんですね。」
「あぁ、これね。こないだ飲み屋さんでもらってね。いつもラジオつけてるけど、もらったし聞いてみようかと思って。タダで配ってたんだよね。」
「おしゃれなとこっぽい感じ。」
主治医の先生も口を開いた。ああ、そんな感じって笑いながら彼女も納得している。
「他の先生が、これレコードじゃないですかって言うんだよね。」
「へぇ、あ、コピーしたんでしょうね。でないと、高いのだったらタダで配りませんよね。」
「あぁ、そうだね。なんかもういらないからって感じで配ってたから、もらったんだけど。」
手術は十月かなと言うと、症状固定がいつごろになるか彼女から尋ねられた。手術から半年後と教える。
「あと、最初のうちは、多目に水いれるけど、最後の方は、四十ミリリットルとかちょっとずつちょっとずついれていくから。ぱんぱんにはってきついからね。」
「水いれるのは、途中まで…六月くらいまでなんですよね。」
「ん?」
「え?最後の方は、もう入れないんですよね。」
「ああ、そうそう三ヶ月くらいね。」
「じゃ、最後の方はぱんぱんにはったままなんですね。」
次の診察をニ~三週間後でいつにするかという話になった。
「十一日とかいいですか?」
「ダメ、ニ週間たたないとダメだから。」
「じゃ、金曜でいいです。」
ついでがある日にしたかったらしいが、丁度二週間後ということになった。
診察が終わると、靴下と靴を履くのに、彼女は少してこずっていた。怪我をしている足は、まだスムーズにいかない。彼女が靴を履いている間に、私はパソコンを打ち始めた。
「ありがとうございました。」
そういって彼女が診察室をでていく気配を感じた。
その時、私は彼女に背を向けたままだった。彼女を見送るのを、少し辛く感じるようになってきていた。

夢のつづき

夢のつづき

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-26

Copyrighted
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  1. いつの間にか
  2. 彼女をみつめて
  3. 動きだす気持ち
  4. 二人の時間
  5. 終わりに近づく夢