何センチ?
病院への上り坂。
父と娘の会話です。
「ケイスケ、早く」
病院へ続く、上り坂。
プラタナス――街路樹三本分さきから、マユは僕を見下ろしながら急かした。
「少しは、僕の年齢を考慮しろよ」
「それ、カオリに言っちゃうよ」
「それは、ご勘弁」
僕は笑いながら、懇願した。
カオリと僕とは、同い年。
やがて僕が追いつくと、マユは後ろ向きのまま歩き出す。
「危ないよ」
父親らしく、僕は注意した。
「平気よ。私もう、中二よ。今年で十四になるんだから」
「つまり、まだ十三。大体、三ヶ月も先だろう、誕生日」
マユは不意に立ち止まって、僕に背を向けた。
僕も、歩みを止める。
マユは、プラタナスの鹿の子まだらの幹を撫でながら、
「あと三ヶ月かあ。カオリは、どうだろうね?」と言って、天を仰ぐ。
僕もつられて、上を見た。
六月のプラタナスは、緑が濃い。
プラタナス――ヒポクラテスの木。
ヒポクラテスは、この木の下で、弟子達に医学を説いた。
けれど僕らは、この木の下で――。
「……どうだろうね」
僕は曖昧にかぶりを振った。
「ねえ、後悔してる? カオリと結婚したの」
マユは、首だけ振り返って、僕に聞いた。
「何故?」
「だってカオリ、あと数ヶ月もすれば――な、わけじゃない。そうと分かってて、ケンスケ少しおかしいよ。普通、絶対別れるし」
そう言って、マユは寂しげに笑う。
「ほれた弱みってやつかな」
「私がいるのに? 中学二年生にもなる娘がいるのに?」
だからだよ――と、あやうく言葉にしてしまいそうだった感情を、僕は慌てて飲み込んだ。
「……マユこそ、伯父さん夫婦じゃなくて、良かったの?」
「お父さんの、でしょ。無理だよ、あっちは。お父さん死んでから、もう何年も――なんだし、今更……。それにあの家、同い年のいとこがいるんだよ。それも同性の」
「だめなのかい?」
「ほら『彼岸過迄』だっけ。『市蔵』と『高木』になっちゃうじゃない。そのコが可哀想」
「もしかして、『これは自然が反対を比較する為に、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではと疑ぐった』ってこと? そうして、マユは『高木』って訳だ」
「そう言うこと」
「たいした自信だ」
僕は苦笑いを浮かべたが、それは疑いのない事実だった。
マユ――君は母に似て美しく、父に似て背が高い。
中学二年生にして、百七十センチ近い長身で、モデルのように、長く均整のとれた肢体。
やや、顔には年相応の幼さが残るけれど、誰の目にも、君は確かに美しい。
「でも、生い立ちから言ったら、私が『市蔵』かな?」
「おいおい、カオリとは、血が繋がってるだろう?」
「だね。だからそっくりでしょ、私」
「ああ」
――本当に、君はカオリに似て美しい。
――彼岸過迄、か……。
漱石が、元日から始めて彼岸過迄書く予定と、付けた標題(みだし)。
カオリは、どうだろう?
マユの誕生日まで、彼岸過ぎまで、カオリは――。
「マユは、不安じゃないのかい? 僕はカオリの夫で、だから君の父親だ。だけどカオリは――そうなると、僕とマユの二人きりになる。僕は、男だよ。そうしてマユは、美人だ」
「ケイスケは、大丈夫。伯父さん夫婦だって、父親なんだから――その方が良いって言ってたじゃない。信頼されてるんだよ」と、マユは無邪気に笑う。
「信頼、ね」と、僕はその言葉を、鼻で笑う。
彼らは、僕を信頼しているのでは決してない。
むしろ、ずっと僕を軽蔑しているのだろう……。
「それに、ケイスケはカオリの選んだ人だもの」
「はは、二番目、だけどね」
僕は自嘲気味に言った。
「カオリとケイスケは、幼なじみだったんだよね?」
「ああ」
「それなのに、お父さんに、カオリをとられちゃったんだ」
「とられたって――アイツはいい奴だったよ、本当に。だからカオリも、アイツを選んだんだ」
「私には、分かんないな。ほとんど記憶ないもの」
「僕とアイツじゃ、それこそ『高木』と『市蔵』さ。何もかも反対。もちろん、僕が市蔵」
「そんなことないよ。ケイスケは、自分を卑下し過ぎ」
「……どうかな……」
「うん? じゃあ、カオリは『千代子』ってことか? とするとカオリは、悪女だなあ」
「悪女って――それ、カオリに言っちゃうよ」
「それは、ご勘弁」
二人して、笑った。
「最初から、ケイスケとカオリが結婚してたら良かったのにさ」
「それは……」
僕は曖昧に言葉を濁す。
「あれ? でもケイスケとカオリが結婚しちゃってたら、私は生まれなかったのかな? それとも二人の間に生まれた子供は、やっぱり私ってことになるのだろうか?」
プラタナスの木の下で、マユは腕組みをして、小首を傾げてみせた。
「どうなのかな? ケイスケ」
「難しいことは、分からんよ」
「……だねっ」
マユは弾けるように笑うと、僕の左側に回り込み、
「行こっか」と言った。
「ああ」
二人して、同じ歩調で歩き出す。
しばし無言だったが、
「ところでさ――」と、マユ。
マユは、僕を見上げながら聞いた。
「ケイスケって、身長何センチ?」
マユは――母に似て美しく、父に似て背が高い。
何センチ?
最後の一文は、蛇足ですかね?
×プラナタス→○プラタナスでした。
かなり恥ずかしい……。