朽ちぬ死骸をみつめて
空が遠くて、眩みそうな真夏の朝――
見上げれば、瞳を灼く白光と抜けるような青い空がある。
見下ろせば、陽炎の搖れるアスファルトの大地がある。
平たくのっぺりとしたサンダルで歩くと地熱が昇り、
私の土踏まずを蒸らそうとするから、今日はずっと靴箱に仕舞いこんでいた
ゴム底の厚めのサンダルを履く。
ヴィジュアル系のバンドの追っかけをしていた時代は、よくエナメルのラバーソールを
愛用し、奇異な目で見られながら、まるでアッシャー家の花嫁のようなゴシックスタイルで
漆黒の日傘を差して街中を闊歩したものだが、幼子を抱くのに厚底は不安定で、
その時私は個性や挟持より母性を選んだから、それ以降ぺったりとした靴しか
履いてこなかった。
子供を抱き上げる機会が減っても、昔のような姿になるのは気が引けた。
バンドの追っかけをしていたあの頃の、【固執した個性】とやらにうかされた、
胸躍りながら病み憑かれた熱病はすっかり完治した。
けれど、病後に張り付いた痘痕の瘡蓋のような熱情の残滓が、ふと、家族と
買い物に出た先に見た、厚底のサンダルを見て、疼いた。
それから数年。靴箱に仕舞いきりになっていた厚底のサンダルを履いた。
理由はときめきや挟持や強烈な個性といった、昔のような理由ではなく
非常に現実的だったけれど、永遠に仕舞いこんでいたら、自分自身が社会に飲まれて
ただの【駒】になりそうで、せめてもの社会や非個性への抵抗だと深層意識では
考えていたのかもしれない。
暑くて、脳が茹だっているから、なのだろうか。
そんな下らなくて、稚拙な自分を思い出して、私はつい空笑いを浮かべる。
周囲に人はいなかったから、気味悪がる人間はいないだろうと思いながらも、
この、つい何かを空想しては面白くて表情を崩してしまう悪癖は、幼い頃から
全く治らなくて苦しい。
身を灼く太陽光はクリーム色の日傘に熱を帯びて、日差しはかからなくても
私の湿度と不健康でふやけた肌は、過敏に反応して痒みを帯びるので、さっさと
屋内に入りたい。
脳もいい感じに蒸し焼きのようだし、このまま半熟卵みたいに、
肌が破れ落ちて、外皮がめくれた焼死体が出来上がる妄想まで始めたから、
少し病的だ。
そんな考えをして歩いていると揺らめいた蜃気楼の先に、黒い影が見える。
ほっそりとした、黒い影だ。
【冗談抜きに、死神ですか?】
私の妄想は気温が極端に低かったり高かったりすると、医者にかかったほうが
いいと思えるほど病的になることがあるから、まさか、本当にこのまま行き先を
変更して心療内科を受信したほうがいいかと思った。幻覚だと思ったのだ。
ゆらりゆらりと歩いてくるそれは、幻覚ではなく、黒い服を着て黒い傘を
指した、ゴシックスタイルの少女だった。
私は安堵しつつ、通り過ぎた少女の後ろ姿をふと見つめる。
少女が突然振り返り、私は驚いて目をそらしたが、そらす瞬間に彼女は
怪訝な顔をして顔をしかめたのが見えた。
しかし彼女は、私に食いかかってくること無く、そのまま去っていく。
また、無理解な大人に奇異な瞳を向けられた、そう思わせてしまったろうかと、
私は歩きながら考える。
私もまた、少女のように奇異な目で見つめる人間を、つい睨んでしまったことはある。
しかしあれは本当に奇異だったのだろうか、と今思い返し、考えてしまう。
私が振り返って彼女を見たのは、回顧と羨望だった。もしかしたら、自分の時も
数人は同じような人間がいたのではないのだろうか、と考える。
自信があったなら、相手を微笑んでやればよかったのではないかと、
私は今更思った。
そうすれば、私のような人間は、今は時代が変わったのだと安堵する気がしたし、
同時に羨ましいとも思ったかもしれない。
けれど昔の私も、先ほどの彼女も、視線を全て奇異なものと受け取っていた。
全て自分と同じ色をした個性と挟持がなければ敵と思う、そのような憎悪を
相手に向けていた。
目的地について、ふと、玄関の脇を見る。
父が数年、捨てると宣言して置きっぱなしになった、プラスチック製の
ラックが埃に塗れ放置されている。
去年の今頃、飛んできた蝉が、ラックの隙間に突き刺さって、身動きがとれなくなった。
その時は息子を連れ立っていたのだけれど、息子は虫も触れぬ典型的な都会の子だったから
助けることもせず、羽音を立ててもがく蝉をただ黙って見ていた。
私も、蝉は苦手だったし、何より近所にはわんわんと蝉が湧いていて、度々
ぶつかられたり、網戸に張り付かれて夜中、鳴き声で叩き起こされたりしていたからか、
彼を助けようという慈愛など湧きもせず、息子を促してそのまま家に入った。
その蝉がまだ突き刺さっていた。腐敗もせず、動きもせず。
日傘を畳みながら、私は蝉をぼんやりと見つめていた。形を保って、そのまま
放逐されたそれと、自分と、さっきの少女が脳裏をぐるぐる回る。
私の時間も、あの時こうやって止まってしまっているのだろうかと。
時が動いていれば、少女を憧憬することもなかったし、こんな年齢にそぐわない
サンダルを履いたりもしなかった気がする。
腐りおちて大地に還ることもなく、時の止まった私の幼い主張は、
今の私の養分にもならないで、どこか心のラックの隙間にひっか掛かって、
形を保ちながら今も私の中で、何か羞恥めいた不安めいたものとして留まっている。
私はラックを暫く見つめていたが、蝉に触る気が起きなかった。
なんだか気持ち悪かった。
その日私は、新しいサンダルを買い直し、厚底のサンダルを靴箱に
また仕舞いこんだ。
結局、蝉の死骸も幼い心も、私は処分も廃棄も出来ないまま、
生きることに決めた。
結局、臆病だな、と小さく笑った。
朽ちぬ死骸をみつめて