お継母様と、一緒
酉陽雑俎という中国の書物に載っている話を元に書きました。
原作は中国版シンデレラと言った話です。
あとがきに参考文献を載せてますが、その解説によると、こちらの方が、古いとのこと。
1
昔、中国の某県某村に、呉洞と言って、博学で裕福な男が住んでいた。
美しい妻をめとり、やがて二人の間には、一人の娘が産まれる。
娘は葉限と名付けられた。
母に似て美しく、父に似て利発。
夫婦はとても彼女を可愛がった。
いわゆる――幸福な家庭。
ところが、幸福は永遠に続くものでは決してなく、葉限十五の時、母は流行り病で呆気なくこの世を去った。
二人は、その死をいたく悲しんだ。
さて、男とは古今東西、好色である。
あれ程妻を愛し、その死を嘆いた呉洞も、男。
程なく、後妻を迎えた。
が、罰でも当たったか、前妻の呪いか、あるいは後妻が一服盛ったのか、それは定かではないが、呉洞も間もなく死んでしまう。
さて、不幸なのは残された葉限である。
男が好色なのと同様、古今東西、何故か継母は継娘を虐めるものと相場が決まっているようだ。
葉限も、継母から辛辣な虐めを受けることになる。
わざわざ険しい山の薪を採りに行かせたり、深い谷川に下って水を汲ませたり――葉限は黙って耐えるだけだった。
2
ある日、葉限がいつものように川で水を掬うと、桶の中に一匹の小さな魚がいるのに気が付いた。
きらきらと黄金に輝く鱗に、酸漿のように赤く愛らしい瞳――葉限はその美しさにすっかり心奪われて、これを椀に入れ、自分の部屋で飼うことにした。
が、葉限は決してこの魚のことを継母には話すまいと思った。
知られればきっと、継母に何かされるだろうこと――取り上げられるか、売り飛ばされるか、殺されるか、喰われるか、それは分からないが――は、明白だった。
葉限はただでさえ少ない自分の食事の中から、魚に餌を与えた。
魚はそれを旨そうに食べ、不思議なことに、食べるにつれて魚は見る間に大きくなる。
葉限は、その度毎に一回り大きな器を用意した。
が、ついにとうとう魚の大きさに見合う器がなくなって、葉限は仕方なく近くの池に魚を放ち、そこで飼うことにした。
継母に気付かれぬよう、細心の注意を払いながら……。
魚はとても葉限に懐いた。
葉限が池を覗き込めば、きっと水面に顔を出した。
葉限が哀しい顔をすれば、魚はくるくると池の中を回って見せたり、ピョンピョンと飛び跳ねて見せたり――葉限が笑顔を見せるまでそれを繰り返した。
魚は、いつしか葉限の心の支えになっていた。
3
継母は、葉限がこの頃よく池の側に行くのを訝しく思った。
こっそり後をつけ、隠れて様子を伺っていると、葉限の前に一匹の魚が姿を見せた。
烏の羽のようにどこまでも黒い鱗。
石榴の果肉のように赤い瞳。
無駄に大きく、酷く醜い。
その魚は、見る者をただただ不快にさせる様相をしていた。
けれど驚いたことに、そんな魚を見て、葉限は嬉しそうに微笑んでいる!
たとえどんなに醜い魚であろうとも、葉限に味方するのを継母は許せなかった。
殺してやろう、と考えた。
そこで継母は、何度となく池のほとりに立って魚が姿を見せるのを待った。
しかし一向魚はその影すら見せることはなかった。
「口惜しい、どうして姿を見せないのか」
継母は、やきもきしながらそう言ってふと池を覗き込むと、水面に、ゆらゆらと自分の姿が映っていることに気が付いた。
翌日。
継母は美しい着物を葉限に差し出した。
葉限は躊躇ってそれを受け取らない。
すると継母は、とても優しい声で、
「実は昨晩、枕許にお父様が立たれたのです。そうしてくれぐれも葉限を頼むと仰いました。思えば、私は貴女に対して随分ひどい仕打ちをしてしまいました。私達は、血こそ繋がらなくとも、確かに母と娘なのです。仲良くせねばいけませんね。これはお詫びの気持ちです。ごめんなさい、葉限」と、あらかじめ用意しておいたでたらめを言って、白々しく涙すら流して見せる。
それだけで、葉限はころりと騙される。
嬉しくって涙すら流す。
継母は笑いを必死にこらえながら、その着物を葉限に着てみるよう勧めた。
葉限は言われるがままにそれを羽織った。
それを見て継母は、
「まあすっかり見違えた。とてもお似合いね」と、言った。
それは騙す為ではなく、本当に葉限に似合って美しかった為に思わず出てしまった言葉だった。
それだけに継母は悔しかった。
が、そんな事はおくびにも出さず、
「そう言えば、今日は町でお祭りがあります」と、まるで今思い出したかのような振りをして、
「せっかくだから行っておいで。もちろんその服を着て――」と葉限を促した。
葉限はパッと表情を輝かせたが、
「でも……」と、すぐにそれを曇らせた。
「家のことなら心配要りません。私は貴女の母親ですよ」
「でしたら、是非ともお母様もご一緒に」
「一人で楽しんでらっしゃい。でも、夕飯までには是非とも戻って来てちょうだい。きっととびきりのご馳走が出来上がっているから」
継母は作り笑いをして言った。
葉限はお祭りに出掛けることにした。
葉限を見送って後、継母はすぐさま彼女のみすぼらしい服を纏うと、包丁を袖に隠し、例の池の側に立った。
果たして魚はまんまと騙されて、葉限と思って顔を出したところ――継母に額を一刺しされた。
4
一人、お祭りを見て回る葉限だったが、やはり隣に誰かいてくれた方が楽しいだろうと思った。
葉限は、先ず父を思い浮かべた。
次にあの魚を思い浮かべて、苦笑した。
最後に葉限の思い浮かべたのは、誰あろう継母だった。
葉限は、もう大丈夫と思った。
お祭り中そんな事を考えていた葉限だから、自分に向けられる周囲の視線には全く無頓着だった。
5
葉限が戻った時には既に日が暮れかけていた。
継母は、お祭りはどうだった等と聞きながら、葉限に夕飯を勧めた。
「さあ遠慮なく召し上がれ」
葉限は料理に箸をのばす。
「どうだい、美味しいかい?」
「ええ、とても」
「あつものも召し上がれ、これはちょっとしたものだから」
葉限は、言われるがままにあつものを啜る。
なるほどこれ迄に味わったことのない、不思議に美味いあつものだった。
「とても美味しいわ」
葉限は笑った。
それを見て、継母も笑った。
夕食の後、何も知らない葉限はいつものように池を覗き込んだ。
が、一向魚は姿を見せない。
その時、葉限は何故だか継母のことを思い浮かべた。
継母の妙に優しい声を思い出した。
継母のくれた着物を思い出した。
継母が祭りに行くよう勧めたのを思い出した。
継母が夕食に勧めたあつものの具を思い出した。
結論は一つだった。
「ああ、私は何とおぞましい想像をしてしまったのでしょう」
葉限は頭を左右に振った。
継母を信じたかった。
けれど葉限の目からは涙が溢れる。
――ところに誰かが葉限の肩を叩いた。
継母かもしれない。
葉限はとっさに着物の裾で涙を拭くと、笑顔を作って振り返った。
「あ」
継母では、なかった。
立っていたのは、目も眩むような彩衣を纏った美しい女性だった。
「貴女は?」
「あの魚の飼い主です」
驚く葉限に、女は続ける。
「あの魚は、私が天の池で飼っていた一匹です。それを私の不手際で、下界に落としてしまったのです」
「天の池?」
「雲の隙間から下界を覗くと、魚は貴女の桶の中に落ちていました」
葉限は、目を輝かせながら、
「では、魚は、貴女の元へと戻ったのですね? ですから池にいないのですね?」
しかし女は、首を振る。
「では……」
「貴女の推測通りです」
「じゃあ、じゃあ、あのあつものの具は、私は……」
葉限は泣き崩れた。
そんな葉限の頭を優しく撫でながら、女は言った。
「魚はずいぶんと貴女になついているようでしたし、貴女もずいぶんと魚を支えとしているようでした。ですから、なまじ天界に連れ戻るよりも、ずっと貴女の側に置いてやった方が、魚にも貴女にも良いことだと思っていたのですが……」
女は、葉限が細かに震えているのを、撫でる手から感じた。
「自分を、責めてはいけません。貴女は何も悪くない。悪いのは、全てにっくき継母なのですから」
途端、葉限は頭上の手を払い、女をキッと睨み付けながら言った。
「そんな事――たとえどなたであろうとも、仰らないで下さい。あの人は、私の母なのですから」
葉限の、酸漿のように赤く充血したその瞳には、憎しみがありありと滲み出ていた。
が、それが誰に向けられたものかは、明らかだった。
女は、慈しむような眼差しを葉限に向けながら言った。
「貴女は、私の魚を大切に育てて下さった。その事で、私は何かお礼をしたい。貴女の望みを一つ、叶えて差し上げましょう」
「望み?」
葉限の眉が、微かに動いた。
「ええ、どんな望みでも」
女は、優しく葉限を促した。
葉限は戸惑いながら、ぼそりぼそり、それは微かに風でも吹けば描き消されてしまうほどに小さな声で、望みを述べて――しまった。
女は葉限の望みを聞くと、嫣然と笑い、ふっつり消えた。
それがあまりに何の予兆なく、本当にただ消えてしまったので、葉限は呆然としてしまった。
半ば放心状態のまま、家に戻った葉限に、継母は言った。
「お前の腹の中は覗いたかい?」
葉限は何も答えず、早足で自分の部屋へと駆け込んだ。
その様を、継母は本当に気持ち良さそうに嘲笑った。
6
ところで、町はお祭りに現れた美しい少女の噂で持ちきりになっていた。
その噂は、やがて王の耳にも入る。
王は、是非ともその少女を娶りたいと思った。
しかし、誰もその少女について知るものは居ない。
業を煮やした王は、言った。
「国中の娘を宮廷に呼び寄せよ」
その話を耳にした継母は、色めきたった。
「葉限、王様のご命令は、知ってるだろう? きっと王様は、お妃を選ばれるおつもりだ。お前は愚図でのろまで、本当にどうしようもない親不孝な娘だが、容姿だけは、憎たらしいほど美しい。お前はその唯一の長所を活かし、母である私のために、是非ともお妃に選ばれないと行けないよ」
継母はそう言うと、例の綺麗な服を葉限に着せると、自らも派手に着飾って、顔には毒々しい厚化粧を施し、都へ上る。
宮廷の前には長蛇の列が出来ていて、果たして皆着飾っていたが、その誰もが葉限を見るなり、息を呑んだ。
葉限の美しさにかなう者は、一人として居なかった。
継母は、得意満面だった。
程なく官吏の目に止まり、葉限と、それに付属する継母は、すぐさま王の前に通された。
葉限の美しさには、王を初め、やはり皆息を呑む。
しばしの沈黙の後、官吏の一人が口を開く。
「この娘です。祭りで見掛けたのは、この娘に間違いありません」
「そうか、そうか」
王はいかにも好色な顔で頷いた。
が、葉限の傍らの醜い女が目に入り、二人を連れてきた官吏に聞いた。
「あの、女は?」
「娘の、母親です」
「嘘だろう?」
「継母で、ございます」
「ああ」
王は納得し、
「娘、名前は?」と、葉限に問うた。
「はい、葉限と申します。私の可愛い一人娘でございます」
答えたのは、継母だった。
王は、一つ咳払いをして、ただ葉限だけを見て言った。
「喜べ、お前をわしの上婦としてやる」
無論、喜んだのは継母である。
7
気味の悪い猫撫で声で、葉限に対する日頃の仕打ちなど棚に上げ、まるで贋物を売り付けようとする商人のような笑みを浮かべながら、継母は――夫を失い、血の繋がらないとは言え娘は娘、自分は実の娘のように、いやそれ以上の愛情を注ぎ、ここまで育て上げた自分の功績、その苦労を大袈裟な抑揚、身振り手振りを交えて王に訴えた。
対して王は、抑揚のない口調で言った。
「分かっておる。お前にも相応のものを取らせる」
継母は、目の色を輝かせ、欣喜雀躍。
葉限の、肩を揺らしながら言った。
「ああ、葉限、お前は三国一の幸せ者ですよ」
「いやです。お断りいたします」
この日、初めて葉限の口から出た言葉だった。
継母は、慌てた。
「お、お前、自分が何を言っているのか分かってるのかい? このお方は、この国の王様なのですよ、一番偉いお方です」
「お前は、王であるわしの申し出を断るのか?」
「はい」
葉限は、きっぱりと答える。
「何故だ?」
「お継母様と、離れたくありません」
継母は、ぎょっとした。
「私は、お継母様のお側に、ずっと一緒に居たいのです」
「命令なら、どうだ?」
「やはり、お断りいたします。お継母様は、私にとってかけがえのない人です」
「ふむ」
王は、きざはしをカツーンカツーンと靴音立てながら降りた。
そうして葉限の前に立つと、
「これなら、どうだ?」
太刀の切っ先を、葉限の喉元に突きつけながら、聞いた。
「答えは、変わりません」
葉限は、笑顔で答えた。
「お前の首だけでは、済まぬぞ?」
王は太刀の切っ先で、継母を指した。
「ひ、ひいいい?!」
継母は、今にも屠殺されようとする豚のような悲鳴をあげる。
「承知しておりま――」
葉限の首が転がった。
「さて、次は母親である、お前の番な訳だが――」
「そ、そんな」
「恨むなら、親不孝な娘を恨めよ」
「わ、私は、あの娘とは血が繋がってはおりません」
そう言う継母の厚化粧は、汗やら涙やらで、見苦しく溶けている。
「お前は、さっき言ったではないか。実の娘以上に愛情を注いだ云々と。ひっきょう、お前が悪いのだ」
そう言うなり、王は継母の首をも刎ねた。
首は、王の足許に転がった。
王は、それを一瞥するなり、無慈悲に蹴った。
継母の首は転がって、葉限の首に当たって、止まる。
果たしてあの時、葉限が何を望み、それが叶ったかどうかは、分からない。
ただ、継母のそれと隣り合わせになった葉限の首は、嬉しそうに微笑んでいる――ように王には見受けられた。
お継母様と、一緒
『中国神話伝説集』 編:松村武雄 解説:伊藤清司 現代教養文庫