アリ (消しゴムのカス その3)

葵 夕子

「あの世界で、『彼』はアリと呼ばれる生き物でした。」
 そう言うと男(女?)は、アリの説明を始めた。
 曰く、黒い小さな生き物で、女王を中心に集団で生活するとかなんとか。
「ふうん、で、君もそのアリだったわけ?」
 相棒が両手でつかんだコップをぐるぐる回しながら聞いた。この店で野菜ジュースを飲
んでいるのはこいつくらいしかいないが、見た目も中身も子供なのだからしょうがない。
「いや、私は人間でした。えっと、アリよりもっと大きな。」
 男(見た目では男やら女やら分からない(なり)をしているが、便宜上)はカウンターの上に
片手を広げると、小指の爪を指して見せた。
「彼はこれくらいの大きさで。」
「そりゃまた小さいね。それで、あんたはそのアリの彼とどうしたんだい?」
 男は琥珀の液体が入ったグラスに、そっと口を付けた。

 やっと会えた―。
 男は感激のあまりその場に跪いた。『彼』の大きさに合わせると、跪かざるを得ないの
だが。
 前回の邂逅から百年余。それが長いのか短いのかはもう忘れてしまったが、彼に会いた
いという気持ちだけは、永遠に涸れることのない渇望であり、男のたった一つの行動原理
だった。
 『彼』は一つの生命を全うすると、すぐにまた次の器へ移っていく。男が『彼』を見つ
けても、そのサイクルは変わらない。『彼』にもそのサイクルはどうしようもないらしく、
共にいられるのは『彼』がその時の姿で生命を終えるまでの、ほんの一時だけなのだ。
 それでも男は『彼』を探し続ける。地の果ても、海の底も。時には空を経巡って。
 そして見つけた『彼』は、今回はアリだった。
 跪いたまま、男は『彼』の姿を目で追った。『彼』は今、行列の中にいる。今すぐ自分
もアリとなって、『彼』と同じ巣の中で、『彼』のそばで同じように働いても良かった。
むしろそれが自然だったと思う。しかし、男はふと思ってしまった。
 『彼』を独占したい。
 『彼』がこの器にいる間、私は『彼』と親密な時間を過ごしたい。できれば、『彼』に
も私のことを思い出してもらって・・・。
 『彼』の現在の器のために、居心地の良い住処を用意しよう。できる限り器の時間を長
くもたせるために、栄養に富んだ食料も用意しなくては。二人だけの時間があれば、今度
こそ『彼』は私のことを思い出してくれるだろう―。
 
「そのためにはまず、私は『彼』を行列から確保する必要がありました。」
 男は淡々と語った。
「ただ、私は自分の思い付きに酔ってしまい、少々焦っていたようです。」
「うわ、それって・・・」
 カウンターに身を乗り出して半笑いの表情を浮かべる相棒に拳骨をくれる。
「いってぇ、何すんだよ。」
「馬鹿、この人の気持ちも考えろ。」
「いえ、大丈夫。」
 男は子供相手に妖艶とも言える怪しげな笑みを見せて、言った。
「潰してしまったんですよ、私は彼を、こう。」
 そう言って、男は手刀を叩きつける仕草をした。
「『彼』の前にね、こう手を置いて捕まえようとしたんです。焦っていたせいか、私の手
が大きすぎたのか、場所がずれて、お仲間の二、三匹もろとも。」
「あーあ、やっぱりね。」
 相棒は俺が振り上げた拳骨を避けて、さっと後ずさった。
「それは、なんて言うか・・・」
 こういう時も「ご愁傷様です」でいいのだろうか。
「まあ、私が『彼』を自分の手で次の器に送り出してしまったのは、後にも先にもこれだ
けです。さすがにその時はショックでしたが―。」
 男は苦笑を浮かべると、一息にグラスをあおった。
「『彼』がもうアリの器にいないのは確実でしたから。私はすぐに次の『彼』を探しに行
きました。『彼』を入れた新しい器を・・・。」
 俺は、目の前の男が蒼白な顔をして、小指の根元に張り付くつぶれたアリを見ている様
を想像した。男はアリを見つめたままゆっくりと立ち上がり、やがてパパッと手を払うと、
再び何でもない顔をして歩き去っていったのだろう。
「その後『彼』には会えたのかい?」
「はい。何度も。」
「今の話だと、『彼』はあんたのことを覚えていないのに、なんで、あんたは『彼』だと
分かるんだ?そもそも、忘れられてるのに探す意味があるのか?」
 さすがに気を悪くするかと思ったが、男は特にそのようなそぶりも見せずにしばし目を
泳がせた。
「なぜ『彼』だと分かるか・・・それは『彼』が『彼』だから、としか言えないですね。
あなたにその根拠を説明するのは難しい。なぜ探すかと言われたら、それはあなたになぜ
生きているのかを答えていただく必要がありそうです。」
「今、生きているから。」
 それ以外の答えなど思いもつかない。なぜ死んでいないのか。たとえ死んでいたとして
も、俺自身が今ここで生きていると思っていれば、それは生きているということではない
のか?
「生きるのに意味なんてない。意味は後付けだ。」
「同じようなことを言う人は多いですね。こんなに早く答えてくれるのは珍しいですが。」
 男は再び妖艶な笑みを口元に浮かべた。
「私も同じです。『彼』に会いたい。ただそれだけです。もうお気づきでしょうが、私に
は生死が分かりません。なぜ『彼』が次々と姿を変え、生命の形を変えていくのかも分か
りません。ただ、私は『彼』に会いたい。『彼』と共にありたいだけです。たとえ『彼』
がどんな姿形であろうとも。それ以外に理由や意味はありません。」
 男はそう言うと、カウンターの中の無愛想な主人に会計を告げた。
「いや、ここはおごらせてもらうよ。面白い話を聞けたお礼だ。」
「いえ、私の方こそ長々と話を聞いてもらえて、久しぶりに楽しかった。『彼』以外に
『彼』の話をするのは久しぶりです。またいつかお会いできたら、『彼』の話を聞いても
らえますか?」
「いつか、あんたが俺を見つけられたら、かな。」
「また会えますよ、今の姿ではないかもしれませんが・・・まあ、あなた達も私と似た者
同士みたいですから、ひょっとしたら同じ姿でお会いできるかもしれませんね。」
 そう言うと、男は丁寧に礼をして颯爽と店から姿を消した。
「面白い人だったねー。」
 いつの間に戻ってきたのか、相棒は席に戻り、これまたいつの間に頼んだのか、二杯目
のジュースをうまそうに舐めている。
「人かね、あれ。」
 俺もカウンターの中にグラスを振って見せた。すぐに代わりが出される。
「人じゃなきゃなんだよ。」
「さあね。そもそも男だか女だかも分からんし。」
「きれいな人だったけど、なんか面白い服だったね。なめした布を二枚張り合わせて作っ
たみたいな。で、なんかとがった襟とか、襟巻にもならないようなほっそい布を首に下げ
てさ。あれ、飾りなのかな?なんかお守りとか?」
「さあね。」
「もー、さあねばっかり。あー、あとさ、生きているから生きているって、なんかズルく
ない?コトバアソビみたいでイヤだな、オレ。」
「あれは何でもいいんだよ。あいつにもなぜ探しているのか、なぜ会いたいのかなんて分
からんってことだろう。」
 普通の人間ならばそれを表現する言葉があるのだが。
「あー、分かった!俺知ってる!それ『恋』って言うんでしょ?」
 子供にあっさりと答えられて、俺は酒を吹き出してしまった。
「わ、きったねぇ!」
「わ、わりぃ。けど、おまえ、どこでそんな言葉・・・」
「覚えるよ、今までいっぱい聞いてきたじゃん、いろんな人から。・・・人じゃないこと
もあったけど。」
「それもそうか。嫌でも耳年増になるよな。」
 砂漠の中のオアシスに建つこの街を出て、砂の中をさくさくと歩む男の幻影が、酔った
頭に浮かんだ。砂に付けられた足跡は風に舞う砂によってすぐに消されていくのだろう。
俺は、そう遠くない日に男が『彼』に再び会えることを心に強く祈った。
「俺たちは面白い話を聞けて、そのうえにただ酒飲めるっていう、幸運な夜だったってこと
だな。」
 お代わりの分の代金は払ってくれよ、と主人が奥から怒鳴っていた。


                                      (完)

アリ (消しゴムのカス その3)

性別はどっちでもいいです。
名前を考えるのが苦手です。

アリ (消しゴムのカス その3)

「あの世界で、『彼』はアリと呼ばれる生き物でした。」 酒場で語られる、奇妙な探索行の結末はー。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted