武人探偵の華麗なる逃亡劇 2話
第2話です。
華麗なる情報屋
「あぁー、終わった」
深白はそう言いながら肩を揉み、首を回した。
僕はそんな彼女を見て、そして時計に視線を寄越した。短針は10時を回っている。夏休みの宿題の消化を開始したのが、午後四時のことで、どうやら六時間以上もの長時間、机と向き合っていたことになる。
机の上に散らばった消し屑を、小箒とちりとりで集め、そのまま屑籠の中へと放り込んだ。同じ事を深白が使用していた机にもやりながら、笑みを浮かべながら深白に話しかけた。
「何だか、三日間にも分けてやるとかいったけれど、一日で終わってしまったな」
「そうね」
持ってきたリュックサックに、持ってきた宿題を入れる深白を尻目に、僕はこれからどうしようかと考える。
正直、あと二桁もの日にちが残っているのであれば、余裕綽々と勉強を教えることが出来る。というか、そもそもそんなに勉強を教える必要というものはない。
前述した通り、正直僕は学校のテストがそんなに難しいものとは思えない。学校というものは基本的なことを教えるものだ。
僕は奥方から深白の情報は聴いている。彼女が通学している東京の中心部に属する、有名なお嬢様学校だった。情報通の知り合いにその学校の話を聞いていると、そこまで学力的には高くないらしい。
作法などの社交界に必須な能力を育てる場所であるようで、だから学力はそこまで必要とされていないようだ。
だからこそ、僕は目の前の少女に対して悩んでいた。
確かに常人であれば、一週間で事足りるだろうが、二百万もの大金を、前金として支払う必要がある人間だ。奥方が娘に甘いという線もあり得るが、あの有無も言わせない雰囲気を纏っている奥方が、娘に甘いというのも分からない。
淡々と考え続ける内に、深白は宿題を全てリュックサックに入れ終えたようで、机の上にある紅茶を眠たそうに目を細めながら飲んでいる。
危なっかしい様子に、少しだけ驚かしてやって眠気を醒してやろうかとも考えたが、中学生になっても子供は子供だ。子供は勉強する事と寝る事が仕事であるというのが、僕の持論である。
だから、僕は彼女に対して別に注意を促さなかった。
取り敢えず、早く帰って寝てもらおう。そう思って、僕は受話器を手に取り、奥方へと電話を掛けた。
すると、程無くして、黒服のスーツの男が玄関に迎えに来た。
「……ん、ありがとう。明日は何時に来れば、いいの?」
本当に眠たいのか、リュックサックを背負った令お嬢ちゃんは中々に眠たいのだろう、言葉がところどころで切れている。
「一応、僕はお前のことを任された。だから、お前がテスト週間を終えるまで、毎日ここにいる。学校が終わり、気が向いたらここへ来るがいい。因みに、テスト一週間前に毎日来てもらうから、覚悟しておけよ」
「……分かった。また明日ね」
そう言うと、黒服の男と共に黒塗りの高級車に乗って、彼女たちは夜の道へと消えていった。僕はそれを姿が見えなくなるまで見送り、玄関を閉め一息付く。
全く、なかなか最初はどういう少女だと思ったのだが、普通に良い子ではないか。
……しかし、やはり二百万という大金は気になる。
金持ちの気変わりと言えばそれで済む話だが、僕の探偵の勘がそう告げている。
深白令は明らかな問題の種だ。
僕はそう思索しながらも革張りのソファーに身を沈める。程よい硬さが背中に伝わり、その感触を確かめるために、僕は背凭れに全ての体重を掛け、目を閉じる。穏やかなクラシック音楽が耳を刺激し、次第に眠気が足元に忍び寄ってくる。
どうやら、僕も久々の勉学で疲れていたらしい。
それにしても、『また明日ね』か。
どうやら、また明日もちゃんと来てくれる気はあるらしい。
何だかんだ言っても、根は正直な子であることが理解できたのだが、やはり二百万という数値が尾を引く。
明日、午前中に彼女の情報に付いて詳細に調査する必要がある。
僕はそう思い、ソファーにどかりと座り、気が付けばそのまま眠ってしまっていた。
☆
午前12時、街中が人々で溢れ返る時間帯に僕は、バーが多く佇む街の路地にて、僕は適当にスーツを見繕って紫色のネオンが特徴的なバーの扉の前に立っていた。こんな僕でも緊張する場所があること自体が驚愕に値するのかもしれないが、そんな僕でも人間なのだ。
スーツを正し、再び深呼吸を繰り返し、そのままドアを開いた。
「おぉ~、いらっしゃい武人ちゃぁん」
「止めろ、僕の名前を低さが聞いたバリトンボイスと猫撫で声、名前にちゃん付けというトリプルコンボで精神力を擦り減らすんじゃない」
僕はうんざりしながらも、そう目の前の異形に答えた。
その異形の姿は、筋骨隆々の男性で、髪は角刈り、眉毛は太いという一種の雄々しさを感じる顔の造形であるのだが、なにせ彼の服装というか装飾というか、そう云うのがおかし過ぎるのだ。
まずは、彼が着用している服装は、背中や片方の膝を大きく露出させた、鮮やかな赤色のドレスだ。露出させている肌には毛の一本無く、艶もあることから、結構な肌の手入れをしていることが理解できる。
顔には厚化粧と呼べるほど、あからさまな化粧をしている。唇にはたらこを彷彿とさせるほど、太く赤い線が描かれており、顔は舞妓さんの白塗りと酷似している。睫毛は伸ばし過ぎなのではないか、と思うほど伸びており、その過剰な装飾と飾らない髪型が違和を生み出していた。
つまり、彼はオカマなのである。
「んもぉ~、連れないわねぇ」
「そうよぉ、武人ちゃん。あなた、KYよ」
僕のことを非難する他のオカマ野郎たち。全くもって納得がいかない。何で僕がこんな場所にこなければいけないのだ。全く。
「……うるさい」
僕は眉毛がひくひく動くのを感じながら、店の中を進む。
そうなのだ。このバーは所謂オカマバーというものである。店の中は結構な広さがあり、カウンター前に行くまでに何人ものオカマに声を掛けられるのを、適当にあしらう。
では、何故僕がそんなところに赴いているのかといえば、もちろん僕が男色家の類いで、派手な色合いのドレスを好んで着ている彼らがと仲が良い……などと言うことは無いというのは、今のオカマたちからの応酬で理解できただろう。
「ママ、烏龍茶一つ」
少し目が痛くなるようなパステルカラーのピンクの回転椅子に乗り、僕はそう注文した。
程無くして、烏龍茶が注がれ、僕の下へママ――もとい酒井幸太郎が烏龍茶を差し出してくれた。言うまでもないだろうが、ママは最初に僕に声を掛けてくれた角刈りのオカマだ。
「それで、武人ちゃん」
ママは一旦溜息を吐き出し、そして僕に尋ねた。
「あなたがここに来るだなんて珍しいわね。何か落ち込んだことでもあったの? それとも、仕事の話? 前者だったら、この私が相談に乗ってあげてもいいわよ?」
「迷いもなく後者だ。ここに私情で来たことなど無いだろう」
「うもぉ、武人ちゃんのその冷たいところ、好きよ?」
そう言って、ママは唇を突き出し、ウィンクをする。可愛くないんだが、片目でウィンクしても。無駄に伸ばした睫毛が目に入りそうでこっちとしてはハラハラなのだが。
しかし、いちいち僕がその行動に腹をたてるのは、いつものことであり、そして、そんな自分が馬鹿らしくなるのもいつものことだ。僕はジョッキに注がれた烏龍茶を1口飲み、そして懐から茶封筒を差し出した。
「さて、仕事だ。深白家のことについて調査してくれ」
そう、僕がここに一番の理由は、雄々しいオカマたちと酒を飲みかわそうというものではなく、単純に僕の探偵業に関するものだ。
このオカマバー『こうちゃんのちち』にいる全てのオカマは、その手のプロ集団であり、依頼された仕事を完璧に遂行する情報屋なのだ。
様々な手段を講じながら、情報を着々と手に入れていく様は業界内では人気で、だが彼に依頼をする者はそういない。
一番に、ママの情報自体が都市伝説並みに詳細不明であり、所在が分からないからだ。僕が彼と出会えたのだって、コネでしか無い。
そして、まぁ、言わなくても分かると思うが、依頼量の少なさには彼の風貌が少なくない影響を及ぼしているのは明らかだった。
まぁ、それはいいのだ。彼はとても聡明な人間であり、腕の良い情報屋であるというのは、変わりない。
情報屋は情報という不確かなものを収集する仕事だ。故に、情報屋に支払う情報料も曖昧である。だが、確かなのは、仕事が大きければ大きいほど、情報料が必然的に競り上がってくる。これは様々な事柄にも言えることだ。
故に、ママに差し出した茶封筒はある程度分厚い。ママは茶封筒を手に取り、封筒の糊を手慣れた手つきで剥がしながら、意外そうな顔をした。
「武人ちゃんがタイムリーな話題に首を突っ込むなんて珍しいわね」
「……タイムリーな話題?」
「えぇ、だから今回は、割引で半額でいいわよ」
そう言って、ママは茶封筒からだした金額を指で数え、丁度半分を僕に返した。別に返されて困る金など無い。僕は静かに頷き、懐にしまった。
「それで、タイムリーな話題、ということはどうなっているんだ?」
「そりゃあもう、深白財閥は今、密かに派閥争いが行われいるらしいわよ」
ママは煙草を付け、口に咥える。僕は烏龍茶を口に含んだ。
「主に争っているのは、深白家四代目当主である深白深継と次代当主である深白京の2つの派閥。次代当主である深白京は、派閥内に蔓延っている癒着を正さんと動いていて、当人に対しては人情家であると名高い人よ」
「人情家……ねぇ」
僕の経験からすると、他人から人情家と呼ばれる人物に、本当の人情家ではない。大体が碌でもない人物だ。
「そして、その深白京の改革を阻止せんと動いているのが、深白深継よ。こちらは、その手腕からして、深白家歴代最高の手腕と謳われている人物ね。前代が作った多大な負債をものの数年で完済し、その上これまでと比べ物にならないくらい会社の規模を大きくし、子会社を作り、などなどと言った豪腕っぷりよ」
ふむ、どうやら経営の手腕はかなりのもののようだ。
「現在、勢力としては、どちらが傾いているのが現状なんだ?」
「まぁ、当然ほとんどの子会社や株主は、実績も何もなく、人情に熱いなんていう会社を経営するにはマイナス要素を持っている深白京を支持する人なんていないわ。なんだって、現時点の深白京の認識なんて『深白深継の息子』という肩書しか無いですもの」
そう一息に言うと、ママは口に煙草の煙を吸い込み、鼻から白い煙を吹き出させた。その煙は空気の流れに従って、ゆらゆらと漂い、そのまま換気扇へと消えていく。
「だから、タイムリーってことか」
どうやら随分と物騒なことに、自分は引き込まれてしまったらしい。
「それで、深白令の情報については、何かあるか?」
ママにそう尋ねると、太い首をゆっくりと傾け、肩を竦める。
「深白夫妻の一人娘ということ以外には発覚していないわ。でも、何か重要な情報を隠し持っている……なんてことも噂されているわ。これは本当に根も葉もない噂なんだけどね」
「ふむ、そうか……」
僕は少しだけ思考し、そして結論を出した。懐に仕舞っていた、返却された札束を取り出し、ママへと差し出す。
「これで、十分か?」
すると、ママはにっこりと笑って「いいわよ」と呟く。僕はその返答に安堵し、再び烏龍茶に口をつけるが、すると片手で口元を抑えながら、秘密話といった体で話しかけてきた。
「でも、さっきも言ったけど、武人ちゃんがタイムリーなものに関わるなんて珍しいじゃないの。武人ちゃんって基本的に、己を害する危険のある依頼って受けなかったじゃない」
「……僕も、最初は大丈夫な依頼だと思ったんだがな」
そう言って僕は苦笑し、一息で烏龍茶を飲み干す。そして、勘定を払い、店を後にした。
☆
僕はオカマバーの帰り道に、深く物事を考えながら帰宅していた。それは久々に感じる、深い思考というものだった。腕を組み、所在なさ気な足取りは、他人から見れば不審者のそれに近い挙動だったに違いない。
けれど、そんなことも客観的に理解できないほどに、僕は考えこんでしまったのだ。
それは主に、面倒事を押し付けられてしまったという後悔だった。
まずった。
何がまずったかといえば、金に目が眩んで勢い良く依頼を承諾してしまったことが何よりもまずった。前金で二百万もの大金、普通では無いだろう。深白財閥であれば、有り得なくもないと思った僕が愚かだった。
娘に勉強を教えて欲しいなどというのは建前で、本音は恐らく、娘を素性の知れない男に匿って欲しかったのだろう。素性が知れないと言えども、信頼のない者の場所に大事な愛娘を置くのも気が引ける。
だからこそ、奥方は我が事務所を選んだのだ。
我が事務所、武人探偵事務所であれば実績も申し分無く、かつ僕というパーフェクト探偵がいるから、娘は安心だ……と。
「クーリングオフ制度は効くか?」
そんなことを愚痴りながら、同時に思う。
もう、僕は依頼を受けてしまった。つまり、後戻りが出来ない。契約的な面でも、一度請け負った仕事を放棄するというのは、今まで培ってきた信頼が地に落ちる自体であるし、何よりも――僕のプライドが許さない。
財閥闘争というものに少なからず嫌な思いはあるが、だからと言って仕事を放棄することなど出来ないのだ。
何が起こるか、現時点では予想ができない現状、僕はあの令という少女の子守をしなければいけない。
今はただ深白財閥の覇権争いが穏便に済むのを願うか、その覇権争いに彼女が巻き込まれないように願うかの二択だ。
それに、これから依頼遂行期間までの間、あのオカマバーに足繁く足を運ぶ必要があるのだが、それも憂鬱と言えば憂鬱だ。
思わず溜息が漏れた。全くもって、面倒事を押し付けられたものだ。
そう思いながらも、僕はトボトボと帰路に付いた。
全く、今日は酒でも煽らないとやってられないなぁ。
武人探偵の華麗なる逃亡劇 2話