喋り過ぎの報い
真夏のある日、電車の吊革につかまっていたら挨拶された。
「やあ、お早う」
「ああ、あんたか」
横田は嫌そうな声を発した。同じ会社のアルバイトの小山である。前は不動産屋だったが、倒産して工場に勤めるようになった。異常なくらいに喋る男で、しかも声が大きい。脳の機能がどこか破壊されているのではと思われる。同僚達は話しかけられるのを警戒しているようだ。
「お住まいはどちらですか」
「大泉学園」
「ほう、私と近いですな」
小山は横田の住んでいる町の物件について蘊蓄を傾け出した。
「私は不動産にはまったく興味はありません」
横田は業を煮やした。すると小山は目をパチパチさせて、
「おや、そうですか。じゃあ、もっぱらコレのほうで」
小指を立てた。
「そういうわけじゃないけど」
「しかしなんですなあ。現場の指揮者というのは……」
彼は一般論で間接的に係長の横田の采配ぶりを批判した。毒を含んだ言葉の羅列には腹立たしくなった。
「私のことを言っているのかね」
反論しようとしたら、途中の駅からドッと客が乗り込んできて、横田は意識して吊革から離れて、反対側に押しやられた。背中のほうの小山は気がつかずに窓外を見たまま饒舌を続けた。
「幹部というものは、自分を律する力がなければいけません。失礼ですが、肥満しているのは、己をセルフコントロールできないからですよ」
「えっ、何だって」
小山は眼鏡をかけた隣の太った男に話している。横田と何となく似ているから勘違いしているのだろう。
「私はあんたに言われる筋合いはない」
「まあ、私の意見を聞きなさい」
車内はシーンとしている。小山の無意味な話し声が淀みなく響いてくる。それでなくともぎゅうぎゅう詰めでイライラが充満していた。ついに横田に似た男が怒り出した。
「うるせえ、黙れ!」
太った男が握り拳で猿に似た狭い額をゴツンと殴った。小山はやっと気がついたらしい。
「あ、あんたは横田さんじゃないのか」
「何を言っているんだ。私はストレスがたまって、カリカリしているんだ」
「私だって、無能な馬鹿係長に言われるままになって、頭に来ているよ」
「知ったことか。けど、あんたは喋り過ぎるぞ」
「私は正論を述べているんだよ」
その時、他の乗客から声が飛んだ。
「この糞暑いときにいい加減にしろ」
「口を縫ってこい」
「その通りだ」
「違いない」
回りの男達も共感して小山の体を小突いた。痩せた初老の元不動産屋は格好の鬱憤晴らしになった。やがて池袋駅に到着してサラリーマン達は吐き出された。
喋り過ぎの報い