終の日

老人が自分の人生を振り返えった先には?という話です。
こちらの話は『小説家になろう』にも投稿しています。

  私は本当はこんな生活は望んでいなかった。
 東北の田舎暮らし。職業は農業。親の跡を継いだ。
 中学の頃は成績も良く、進路指導の先生に高校の進学を勧められたが、私には兄弟が三人おり家計が苦しい理由から進学は断念せざる負えなかった。終戦から十五年程しか経っていない頃の話だ。あの頃は中卒で働きに出 す家も多かった。
 私は弟や妹を食べさせていく為に家から十五キロ程離れた町工場まで自転車で通った。結局四十五年間通い続けた。途中自転車は車へと変わり、弟妹は私の稼ぎもあり、高校へ進学・就職、そして結婚をして家を出て行った。
 若い人が人生の不公平を語る事があるが、それは年老いても同じだ。
 私は中卒で働きに出てもずっと勉強がしたかった。色々な事を学びたかった。色々な事を知りたかった。
 私の稼ぎで高校に行く弟妹を嫉妬していた。長男としての諦めと色々学びたいという気持ちがいつも私の中で揺れていた。
 しかし、工場での仕事は厳しく、当時の私は家に帰り読書する気力もなかった。学びの時期を逃した。
 
  一九七〇年代に入り学の無い私は学の無い妻とお見合い結婚した。その頃には我が家にも少し余裕が出て来て、私は昔読みたかった本などを買い漁り、自分の知的探究心を少し満足させる事が出来た。
 その後、子供も生まれ、学校に上がり、自分には到底叶わなかった大学へも行かせた。そして都会での就職・結婚と、子供は手を離れた。
 私の親も5年前に父が他界した事で両親共もうこの世にいない。
 十年前に工場を定年退職し農家を継ぎ、子供も出て行き、親も死んでいない。
 今この家には私と妻の二人だけだ。

 妻はとにかく話すのが好きな女だった。そして自分は不幸で、世間は自分を馬鹿にしていると思っている女だった。世の中をやっかみ、近所の人の陰口を良く言い、皆が自分の悪口を言っていると思っている女だった。
 多分それは学の無さから来るものだろうと私は思っていた。
 私は学の無い者が学の無さをさらけ出すよな言動はみっともないと思っていたし、学が無く見られるのを恐れていた。子供の頃のトラウマなのか常識人に見られたかった。
 そういう点で妻は真逆だった。私からすると妻は学の無さをさらけ出す様な普段の言動が多かった。
 結婚して四十五年。老後を経験して、今、気懸かりなのは妻の事だけだ。私が死んだ後、無知無学な妻が生きて行けるのか?一人で世間と上手くやって行けるのか?いや寧ろこんな下品な妻を残して死んで良いのか?

 今日私は昼食に農薬を混ぜて、妻と心中しようと思っている。

 私は大好きなベートーベンのピアノ・ソナタ第14番 <月光>のCDをかけた。
 体がシャキッとし、精神統一出来る。
 ビニール袋に入れた農薬を手に持ち私は炊飯器の側に向かう。


 世の中で一番私を馬鹿にしているのは夫だ。
 今日も朝食の時怒られた。人の悪口をいうな!人に馬鹿にされたと思って騒ぐな!ベラベラ長話するな!
 つまらない男だ。
 結婚して四十五年。結局、義父母の前でも息子の前でも、夫が一番私を馬鹿にして恥ずかしい思いをさせて来たんだ。自分だって中卒の癖に。私が苦手なクラッシックも好きでもない癖に頭良さそうに見せようと思って毎日かけて。
 もう直ぐ七十になるのよ。
 残りの人生もあと僅か。最後は締め付けられず自由に生きたい。
 「お昼の準備しなくちゃ」
 そういうと妻は農薬の壜を手に、台所に向かった。

                   おわり

終の日

読んで頂き有難うございます。

終の日

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-21

CC BY-NC-ND
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