現鏡
それは私を破滅させる為にそこにある。
古道具屋で買い求めた小さな文机の上に、静かに首を載せ、私を見つめている。
いや、正確には私を見てはいない。そんな訳はないと分かっているのに、私は目が合うのを恐れるように、畏怖を込めて遠巻きにそれを眺める。
島田髷に結い上げようと、まだ長く垂らしたままの黒絹の髪。
人工的な白さの肌のそれは、私の作った人形の首だ。私にそっくりで、否、私が人形にそっくりなのだろうか。
奇妙な死者の雰囲気を纏う、人形。私を真似る、映し鏡。
今思えば、何故人形など作る気になったのだろう。気がつけば、私の部屋には何体もの人形が並んでいた。どれも気に入らない。見るだけで気分が悪くなる。私の作りたいのは、こんなものではない。
理想を作り上げようとしても、私は失望ばかりを生産していた。
それでも何故か私の作る人形は評価され、それなりの値段がつき、ある程度の名が知られるようになっていた。
「伝統を踏襲しながらも、現代的な雅さと影のある人形を作り出す作家」展覧会で配られたパンフレットに、そんな私への評が載ったのはいつだったか。
私の作りたいものを模索するだけでは、食べていく事は出来ない。それなりのビジネスとしての創造も、私はためらいつつ引き受けていた。それでもアシスタントを付けず全ての工程を自分でこなす私に、世間は堅実な職人気質の作家だと言う評価をした。
その話が持ち込まれたのは、まだ雪の降る時期だった。背広を着た小太りの中年男が私のアトリエへ遣ってきたのは。
「女の人形ですか?」
「えぇ、是非今度の展示会で、先生のお作りになった首の菊人形を目玉にしたいのです。海外からの記者も入るでしょう。悪いお話ではないと思いますが」
売名を目的としたような、相手の言葉には腹が立った。しかし、事実でもある。
「えぇ、お引き受け致します」
その日から私の、首だけの創作が始まった。体を作る必要は無い。という事は、首にかなりの時間と手間をかけられる余裕があるという事だ。
充実はしている。しかし、「此処まで」という出口は見えない。完璧を求めるが、果たして完璧などあるのだろうか。
悩んで、体調を崩し、食べ物を受け付けなくなりながらも、とにかく人の首を造形する事は出来た。
瞳は一番最後に、内側から描く。瞳は無いながらも細面の、美人画のような顔になった。
連休を利用して、その日姉一家が子連れで私の住居兼アトリエにやって来た。古都にあり、伝統家屋であるこの家は、締め切ろうと思っても続き間が多く、やんちゃ盛りの子供たちの侵入を防ぐ手だては余りない。
姉と話していると、姪兄弟の兄が私を呼びに来た。
「叔母さん、弟が見つからないんだよ。全部探したはずなんだけど。どこにいるのかなぁ」
「さぁ、どこかしらね? 1ヵ所、奥まった部屋があるから其処かもしれない。あんまり入られたら困るから、そこまで行こうか」
私はその子を伴って、アトリエにしている一室へ向かう。
「こんな所に部屋があったんだ」
壁と同じ色で塗られている引き戸を開ける時、その子は驚愕の声をあげた。
「やっぱり、此処に居た」
「ずるいよ、お兄ちゃん。助けてもらうなんてさ」
弟は屏風の影から顔を出して、口を尖らせた。
「この部屋は入っちゃだめよ。私の仕事場なの」
そう言って二人を部屋から連れ出す時、兄の方が人形に目を留めていった。
「あれ、この人形、顔色にむらがあるよ」
「ああ、まだ色を完全に塗っている訳ではないの。最後にはちゃんと、綺麗な顔になるよ」
「ふぅん。早く、綺麗にお化粧してあげた方が、良いよ」
そう言われたからではないが、早めに彩色を仕上げる事にする。夜中から作業をして、頬に微かに紅を入れ終えたのは明け方だった。
翌日、帰途につく姉一家を見送る時、姉が私の顔を見て、言った。
「どうしたの? 顔色にむらがあるわよ。それに血の気も無いみたい」
明け方まで作業をしていたから、と笑う私に、姉は心配そうな顔をしながらも帰って行った。
「あ」
改めて見てみると、左右で僅かに歪みがある。正面から見ると余り目立たないが、真上から見下ろすようにすると左頬だけが凹んでいて、それが何となく貧相な雰囲気を出す。
砥粉を付け、慎重に直していく。左右対称になった事を確認したあと、私は正面から人形をじっくり眺めた。貧相さは消えて、気品が出る。どことなく幸福そうな顔になったようだ。
かくん、と音がした。
私の頬は、左だけが凹んだ。
私の全てを吸い取る人形。
気品と知性を持ち、残酷さの滲み出た、僅かに微笑む人形の首。美しいと、私はその出来に満足した。もう、何も手を入れる必要は無い。
私は、もう、未完成では無い。
その人形に瞳を描き、そして私の視界は、闇に覆われた。
菊の花に囲まれて、眠る。
軽く眼を伏せたその表情からも、それは女の生首のようだ。
現鏡