武人探偵の華麗なる逃亡劇
初めての作品です。ライトなノベルです。
一週間に最低でも一回は更新しますので、感想のほどをよろしくお願いします。
華麗()な事務所に舞い込む騒ぎの萌芽
橙色の暖色系の明かりが落ち着きのある調度品が並べられている部屋を照らしている。そんな空間には、ウッドコーンスピーカーから流れる、穏やかなピアノの旋律で満たされていた。
流れているのは、G線上のアリアだ。穏やかな音の奔流は、僕の身体を包み込んでくれる。
僕は一旦、息をゆっくりと吐き、そして目の前に座っている少女にこう言い放った。
「ルイ十四世が言い放った名言で、『朕は国家なり』というものがある。これを暗記するにはちん―—ホァッ!?」
下品な言葉を少女に吐こうとした瞬間に、少女の拳が僕の顔に迫る――!!
☆
さて、僕の名前は氣之寺武人。東京板橋区成増の路地裏にて探偵事務所を営んでいる探偵である。
探偵事務所は僕の名前をそのまま頭に付けた『武人探偵事務所』だ。質素な筆記体の看板を表に掲げた探偵事務所の佇まいは、正に古式ゆかしい探偵事務所そのものだ。
そんな僕の事務所に、午後5時に1人の奥方が、革張りのソファーに足を組んで座っていた。その姿は横暴と言う文字が如何にも似合いそうなのだが、まぁ、相手は客人だ。僕も相手の仕草態度で悪態を吐くほど子供でもないのだ。
水道水でネットの通販で購入したインスタント紅茶を注ぎ、僕は依頼人の下へと腰を下ろした。
「あら、安い紅茶ですのね」
トレイからカップを下ろすと、そんなことを呟く奥方。
「えぇ、何分お金が無いものですので」
「その割には、事務所の内装には拘っているようですけれども」
「外観が無駄に豪華でも、内装が貧相であれば我が探偵事務所に折角ご依頼をしに来てくれたお客様に失礼ではありませんか?」
そう、表は貧相な我が事務所であるが、内装に限ってはそうではない。
相手方をリラックスさせるための暖色系の蛍光灯、ログハウスを彷彿とさせる内壁と床、革張りのソファーと無垢材を使用した書斎机。
落ち着く色合いの本棚の隣には、ウッドコーンスピーカーが備え付けられており、そこからは高音質なクラシック音楽がランダムに流れ続けている。
そんな部屋を視線だけ巡らしていた奥方であったが、興味をすぐに失くしたのか、視線を僕に移し、ハンドバッグの中か茶封筒を取り出した。
奥方は、出した瞬間に少しだけ躊躇するような仕草を見せて、結局はその茶封筒を机の上に置く。
よく見てみると、茶封筒は長方形に膨らんでいた。
「これは?」
「今回の依頼の前払金ですわ。私の依頼を受けてくださると言うのであれば、依頼の成功失敗に限らずに、そのお金をあなたの懐に入れてくださっても構いません」
奥方はそう言い切った。
僕はその言葉を聞き、茶封筒の中を開いてみる。糊をペリペリと茶封筒自体を破かないように慎重に開けた。すると、そこには分厚い1万円札の束が入封されていた。ざっと数えてみると、どうやら二百万以上あるようだ。
「ふむ、こんな額のお金を簡単に私に渡してもよろしいのでしょうか?」
「何を言っておるのかしら。大事な愛娘のことですのよ。そんな端金」
奥方はそう言い捨てようとするが、少しだけ顔に影が差していた。どうやら端金というわけでもないようだ。
だが、クライアントがこれほどの金額を前金と言い切るほどだ。
本来の報酬は、これの比ではないのは明らかだ。
といっても、受けるか受けないかは内容次第なのだが。
「それで、私は肝心のご依頼の話を聞いていないのですが……」
「あぁ、そうでしたわね。私としたことが」
そう言って奥方は紅茶を1口口に含み、顔を露骨に顰めた。
どうやら安物のインスタント紅茶が気に入らなかったらしい。奥方は嘆息し、カップを皿に戻す。
「ゴホンッ、えー、私があなた……武人さんにご依頼したいこと。それは――」
少し躊躇した奥方は視線を宙に彷徨わせ、そして言った。
「私の娘、深白令の勉強のご鞭撻の程をお願いしたいのです」
☆
そして、冒頭の部分に戻るのであるが、このシモネタ発言の後ほど、見知らぬ大人である僕に容赦なく右フックを入れたことは評価が高い。いや、常識ある大人から見れば、非常識甚だしい小生意気な娘であるのだが、非常識的な僕からしてみればともて面白い少女だと思うのだ。
確かに、教鞭を持つのであれば、大人しく聡明な子ほど教えやすいのだが、それでは面白くない。
だが、右フックを入れた後に、すかさず脳を揺さんと肘で顎を殴打しようとしたのは、さすがに好戦的すぎるだろうと思ったのだが。
「それで変態先生」
「僕は変態ではない。ただ単に年下の女の子をからかって楽しむ趣味の悪い大人だ」
「趣味が悪いということは認めるんだ……」
僕を呆れた視線で見つめる少女の名は、深白令という深白財閥のお嬢さんだ。最初は、あの奥方――深白花雪のように、気品ある言動をしていると思ったのだが、その予想は大きく外れた。
いや、確かにある意味ドレスなどを着ていてお嬢様と言えるのかもしれないが、その、ベクトルが随分と違うのだ。
ドレスはドレスでも、ダンスパーティー・社交界に踊り出るようなものではない。
それは所謂、ゴスロリ等という類のドレスだったのだ。
あの深白財閥などと言う非常に媚びを売るべき相手だと判断し、愛想良い笑顔を振り撒きながら玄関の扉を開けたのだが、その直後笑顔を浮かべたまま固まってしまった僕の姿は想像に難くないはずだ。
確かに、顔は可愛らしい顔立ちではなく、どちらかと言えば美人な顔立ちであった。だが、それを内包してでもゴスロリという格好は中々に凄いものである。
そんな深白は暫く呆然と口を開けていたが、急に強気な表情で鼻を鳴らす。
「でも、私がお母様に言い付ければあなたのことなんか」
「前払金は貰ってるからそれでいいぞ。五十万もあれば、凡そ一週間ぐらいの休暇が取れるからな」
「……あなた、最初私とお母様がいるとき『この私めが責任をもって勉強を教えさせてもらいましょう!!』と言ってたじゃない」
あぁ、そんなこともあったな。
「目上の人物に謙って愛想をそこら中に振り撒くのは常識だ。権力の前にプライドなんか捨てちまえ」
「……うわ」
まるで見損なったかのような視線を投げ掛ける深白に、僕はやれやれと言い返す。
「プライドで生きていけるなら、楽なことはないさ。この世で、こんな職業を営むんだったら、偉い人の靴を舐める勢いコネを広げる必要があるんだ。そして、そのコネが不必要になったら切る勇気も……な」
「……大人って汚い」
しみじみと呟く深白に対して、僕は苦笑しながら湯を沸かし、安物のインスタント紅茶を入れ、それを令にだした。
「安物の紅茶ね」
「そのセリフは、昨晩奥方に聞いたから宿題を少しだけ増やすことにしようか」
「それはさすがに理不尽じゃないかしら」
そう言って深白はふーふと紅茶に息を吹きかけて、口を付ける。こちらは、高級なものほど美味しいという固定観念が固まりきっていないのか、顔を歪めずに普通に飲んでいた。
「ふむ、普通にそれは飲むのか。お前の母上は中々に正直に言ってくれたぞ」
「……あぁ、まぁ、お母様は安物を嫌う傾向があるから。でも、一応手はつけるのよ。その後はっきりとマズイと言うだけで」
「それは、飲まないことよりも失礼なのではないだろうか」
やはり、金持ちの考え方はよくわからない。私立探偵という職業を営んでいる身としては、やはりそういう層の者に乗客を持っているのだが、正直に言ってしまえば色物が多い。
その中でも、一番多いのは、金を持っている自分を偉いと思い込み、他者を見下す類の人間だ。もちろん、僕のことも見下してくるが……そのまま僕は靴でも舐めん勢いで媚びへつらうので問題はない。
プライドなんか濁流に飲まれて消えちまえ。
「でも、私はそんなことしないわ。私は庶民派を目指しているの。だから、ジャンクフードも好きだし、ポテチも好きよ。ニンニク味が一番好きよ」
「また渋いチョイスを」
と、いけないいけない。
僕たちは勉強をしていたんだ。
しかし、と思った。そう言えば、僕は愚かなことに、どの勉強を彼女に教えればいいのか分かっていないのだ。塾の講師の真似事は、この事務所を創立させる前の、下っ端時代に小銭稼ぎとしてやっていた。
経験はあるし、僕が教えた生徒たちはそこそこ成績が上がって、僕はそこそこ評判だったのだ。なんでも来いの武人様とは僕のことさ。
それで、勉強には目標が必要になる。
奥方が前金の時点であんなに出したんだ。きっと、東大目指せとかそんな無茶ぶりだろう。いいぞ、やってやろうではないか。
「それで、今更だが令お嬢ちゃんは、何の勉強をしているんだい? フランス革命というのは判るんだが……これは受験勉強か何かか?」
僕はなるべく下手に出てそう言ってみる。人間、下手に出た人間には本当のことを話しやすいのだ。
「何を言っているの。何で私が受験勉強などしなくてはいけないの。私はそのままエスカレーター式で大学の文学部に入ることにするわ。私が今しているのは期末試験よ」
「は?」
僕は失礼なことに、怪訝そうに眉を顰めながらも、威圧するかのような生返事を口から放ってしまった。いや、きっと威圧的になってしまったのは、僕の意気込みが物の見事に空を切ってしまったからに他ならない。
「な、なによ」
「普通であれば、期末試験の勉強を頼むだけで前金を二百万ほど支払うと思えなんだ。……ふむ、僕は一つの可能性に思い至ってしまったな。君は相当失礼な人間で、多くの人間を権力に物を言わせて亡き者にしてきたのだろう。そんな君の姿を見た奥方が、このスーパー探偵である武人様に対して、依頼をしに来たのか。その凶暴で無慈悲な人格矯正と共に、その性格に連なって下降する学力の成績。財閥の娘がそれならこの値段も理解できる。君は、腫れ物扱いをされた傍若無人ゴスロリ――」
「ちょっと、あなた。そこら辺にしとかないと、今飲んでいる紅茶をあのスピーカーにぶっ掛けるわよ」
「ほんとにすいませんでした」
プライドの欠片も無い僕の綺麗な土下座に、度肝でも抜かれたのか、深白は呆れた顔で嘆息した。あのウッドスピーカーは本当に高かったんだ。深白は手に持った紅茶を皿の上に戻し、そして僕の頭の上に足を置く。
僕には頭の角度からして彼女の表情は見えないが、それでも嗜虐的な笑みを浮かべられていないことは理解できる。人間、大人になれば必然的にSかMかの区別が、人の表情を見ただけでつくようになるのだ。
そして、僕の観察眼から見れば、彼女はどっちつかずの中途半端な人間だ。
まぁ、一応彼女に忠告しておこう。
「……言っておくが、僕はそういう性癖の持ち主ではない。確かに、美人に踏まれるというのは悦に浸ることができるかもしれないのだが、さすがに君のような少女に踏まれて喜ぶほど僕は変態ではない。そうだな、君は美人だからあと数年ほどでもすれば、僕が踏まれて狂喜乱舞するほどの美人になるだろう。あぁ、一応言っておくが、私はマゾヒストではない。靴裏フェチなだけだ」
「か、変わった性癖なのね」
「何を信じているんだ。嘘に決まっているだろう。早く足をどけろ、お前が持ってきたであろうまだ終わっていない夏休みの宿題をビリビリに破り捨てて、紅茶の紙パック代わりに再利用するぞ」
「な、なんで私が夏休みの宿題が終わってないことをあなたが知っているのよ!?」
「ははは、はったりに決まっているだろう」
「はったり!?」
「たかが期末試験に二百万ほど経費が掛かる娘が、おいそれと夏休みの宿題をやっているはずもないだろう。そして、今の時期は教師に宿題の提出をおいそれと促される期間だ。きっと、お金を払ってくれたのだから、夏休みの宿題も手伝ってくれるだろうと考えたのだろう?」
「……そうよ」
「馬鹿め!! そんなのは前金二百万の勘定には入っていないのだよ!! 僕が面倒を見るのは期末試験だけだ。そもそもたかが期末試験九十点も平均取れない愚か者のために何故僕がそんな低俗な宿題をアタタタタタタタタタタ」
僕の頭に無造作に置かれたパンプスの踵部分に力が入り、容赦なく僕の頭皮を抉り出そうとする。その力は頭蓋骨でも貫通し、そのまま脳みそをヒールの串刺しにせんとする勢いだった。
「すみませんでした痛いので止めて下さい喜んで私めはお嬢様の宿題のお手伝いをさせていただきましょう」
プライドは無いのかって? プライドはこの事務所を買うときに質に入れたさ。戻ってくるかわ未確定だ。
そんな情けな言葉を連連と言葉に出していくと、頭に走っていた激痛が消えた。それと同時に頭にかかっていた重さも無くなり、どうやら足を頭からどけてくれたことが理解できた。
僕はやれやれと言った風に顔を上げて、深白の顔を見上げてみる。そこには侮蔑の視線を注いでいる深白の姿が目に入る。
「そんな熱い視線を送るな……」
「どちらかと言えば、冷めた視線なのだけれど」
僕はふぅ、と一息付き、書斎机と革張りソファーと言った定位置に戻り、再び深白に視線を向けた。
「……で?」
「な、何よ」
「夏休みの宿題を手伝ってやるから、早く寄越せと言っているんだ。そう言えば、試験日まであとどれくらいあるんだ?」
「……二週間よ」
あぁ、それじゃあ問題は無いな、そう思いながら、夏休みの宿題を深白から徐ろに受け取った。
「まだ、間に合うの?」
「余裕だ。というか、普通であればテスト期間一週間一日三時間勉強していれば九十点なんか余裕だな。取り敢えず、夏休みの宿題を3日で終わらす。夏休みの宿題に、夏休み期間に対する何かしらのものはないか? 歴史に関係する映画鑑賞とか」
「え、えぇ、あるわ」
そう言って、コピーされたモノクロの作文用紙と数個ほどセレクトされた映画名が載っているプリントを深白は僕に渡した。作文用紙を机に起き、プリントに記載されている映画名を見ていると、どれも僕が見たことのある映画だ。
まぁ、恐らく歴史を理解しやすいように有名ドコロを揃えたのだろう。
「おい、映画鑑賞の作文は僕が受け持とう。令お嬢ちゃんは適当に他の宿題でもやっておいてくれ」
「……大丈夫なの? 言っておくけど、私って作文をあまり上手く書ける人間ではないのだけれど」
「大丈夫だ。親戚のおじさんと一緒に書いてくれたとか、お前みたいな貧乏人の家と違いうちには立派な講師がいるのでその人が普段よりも給料払うと伝えると奮起してくれた、とか言っていればいいだろう」
「後半に物凄い嫌味が聞こえて、私は実に業腹なのだけれど……まぁいいわ」
「あぁ、そうだ。今は宿題を完了させることに専念しろ」
そうして、僕たちは数時間の間、ただただ無言で手を動かし、夏休みの束を消化していくのであった。
武人探偵の華麗なる逃亡劇