True will 2

Main episode 13 護られた非日常

零は、料理を作っている。
任務に向かった柚未を、帰ってきたらもてなせるように。零は奮発してビーフシチューの製作に取り掛かっていたのだ。
零はこの安穏な時間が大好きだ。元々争いや戦いが大嫌いだったし、男だから戦わなくちゃならないというなら、女にでもなんでもなってやると決意するほどに。
ただ、時代はそこまで甘くない。女だろうが子どもだろうが関係なく戦場へとかり出す程に。非情な時代が自分の首を絞めている事に、誰もが気付いても何も出来ないような時代が。
しかし、零は一度女の子になる事で戦いへ出る事を回避した苦い思い出がある。性転換魔術を利用した、徴兵の回避である。
(久し振りに……やってみるかな。)
ビーフシチューをかき回しながら俺は何を考えているんだ、と心の中では思いつつ……十年かけて編み出した性転換魔術を自分に掛ける事にした。
火を止め、洗面台の前に立ち、自分に性転換魔術を掛ける。
「……はっ!」
まるで小麦粉のような煙が自分の周りに立ち昇る。咳払いしながら洗面台の鏡を見つめると、
「毎回思うんだけど……何かあたしちっちゃくない?」
疑問符の眼差しを向ける鏡の前の美少女に、自分は睨みで返すのが流儀だというのは零の言い訳である。
梓ほどではないが、柚未よりは全く持って残念な胸、ルックスこそ二人の良い所を取ったような奇跡だが、身長が少しだけ小さくなったりするのがやはり変な感覚だ。
腕力などはそのままだし、特に戦いに支障は無いのだが……これで戦いに行くのはどうかと思う零だった。
しかし、もうちょっとだけこの平和的というよりは非戦闘的な出で立ちで居たかった零は、料理をしているうちはこのままで居ようと思った。

「よし、出来上がり。後は柚未が帰ってきたら温め直すだけっ。」
若干心躍ってしまっているのは気のせいだと願いたい零は、早々にキッチンから離れた。そこからまた洗面所に向かおうかと思っていたその時、
端末の受信音が鳴り響いた。普段全く使われない端末が受信音を鳴らしたので、とりあえずメッセージの閲覧を先送りしようと零は端末まで駆ける。
端末を起動すると、零は受信メッセージ欄に水雨 風雅と書かれているのを確認した。
(何かあったのかな……)
訝しげに思いながらも零は受信メッセージを開いた。

重圧について話がある。
これから俺と梓は数日間この高校を離れる。理由は答えられないが、そんな野暮な事をする必要が無い事は、お前が一番知っている事だろう。
本題に入るが、俺と梓が高校から離れれば、校舎内の治安は悪化するだろう。実力を持った抑止力が校舎内から消えれば、落ち零れといわれる浮華の者たちは重圧を自分で作り出しお前たちに何をするか分からない。
浮華の者たちは絶対聖義クラスの実力を持っている奴もいる分、タチが悪くまた厄介だ。
そのことから、お前たちの保護者として夕凪を配置させておく。好きに使ってくれて構わないそうだ。
たまに遊びに行く事もあると思うが、その時は世話をしてやってくれ。
以上だ。

水雨からのメッセージを読み終えた零は、端末の電源を落として一息つくことにした。重圧かぁ……すっかりそんな事忘れていた。零はそう思わざるを得ない。入学当初、水雨に警告されていたが、重圧よりも大きな問題に何回も直面したからだろうか。
それとも、ただ単に今までが幸せすぎたからだろうか。零としては後者を望みたいところだが、きっと無意識に忘れてしまっていたんだろうなぁ……と小さな口から息を吐く。
そんな事を考えていたら眠くなってきちゃった……零は時計を見る。午後五時五十六分という時間を指し示している時計を見て、零はベッドにダイブした。

幸せな感触が零を眠りへと誘う。反射的に熱さを帯びてくる自分の身体を邪に思いながら、零は普段自分が眠っている枕へと顔を押し付ける。
(何だろ、この感覚……自分の布団じゃないみたい……)
自分の困惑とは裏腹に、どんどん上昇していく自分の心拍数と体温をおかしく思いながら、零は天井を見つめた。
身体中が熱くなっていく。今までこんな事は一度も無かったのに。疲れが溜まり過ぎているんだ、きっと……零は興奮する自分を諌めるように自分の額へ腕を押し付ける。
無機質な天井を見つめると、強烈な睡魔が襲ってきた。このまま瞳を閉じたら二度と起き上がれなくなりそうなのに、自分は幸せな感覚に溶けてしまいそう。
(……ダメ、だって……ばぁ……そんな……の……だめ……)
零は、眠りに落ちた。



「……あれ、ここどこ?」
気がつくと零は、上も下も右も左も、すべてが暗黒の真っ黒な空間に立っていた。自分が今立っているという事実が無ければ、床すらも見当たらないため怖くて仕方が無い。
どこまで見渡しても、限りない真っ黒。何だろ、ここ?零は気付く。自分の姿が女の子のままであることに。
ということは、これは現実とどこかでリンクしている。一つ疑問が氷解して安堵する零だが、安堵する余裕は無い。
しかし、ここがどこだという事を考える必要は、瞬時に無くなった。
「お兄ちゃん!会いに来たよ!……ってあれ?」
遥か前から水月が駆けてきたからだ。だが、水月は零の姿を見て困惑したようだった。
「水月、大丈夫。あたしがお兄ちゃんだから。性転換してるだけで……解術してみれば分かるよ。」
ううん、だいじょぶ。その髪の毛はお兄ちゃんだ。と水月は笑ってみせる。この愛くるしい姿を見るだけなら、とても世界を滅ぼす使命を持った者だとは思えない。
いや、零にしてみれば「思いたくない」か。
零は、水月に聞いた。
「水月、最大何年まで延ばせるの?その……世界の破滅って言うの?」
零は気掛かりだった。この前会ったときも、あの世界破滅魔方陣を書いていたときも。水月はバツの悪そうな顔で俯いていたのだから、本人としても不本意なのだろうと思っていた。
だからこそ、水月が世界を破滅に導きたくなくても、世界の破滅は着実に近づいているのだろうから。零は問い掛けた。
「長くて、あと半年かな……ごめんね……」
水月は泣き出しそうな瞳を潤ませて零に泣きついた。零は責任を感じる事は無いんだよ、と水月の頭を優しく撫でるが、事態の深刻さは分かっているつもりだった。
現在、八月上旬後半だと判断するならば、およそ年度切り替えギリギリに世界の破滅は訪れることになる。
二月には勝負を掛けなければならない。そして、もう一度この妹に銃口を向けることも。
水月は、零の胸から顔を上げて言った。
「お兄ちゃんは、あたしを殺す事に何にも感じちゃいけないの。それがたとえ正しくなくても、周りから見れば正しい事なんだから。でも、あたしは出来ればギリギリまでお兄ちゃんとお話をしていたい。でも、判断はお兄ちゃんに任せるよ。」
水月がそう言うと、零の目の前に銃と剣が現れた。皮肉にも、研ぎ澄まされた刀身がこの世の希望のように光り輝いていた。
だが、零はそれを手に取る事はしなかった。
「……諦めないから。あたし、絶対に諦めないから!絶対水月を救ってみせるから!」
それはもはや、水月に向けた言葉ではなかったのかもしれない。自分に、言い聞かせるように、自分を鼓舞させるように、叫ぶような決断だった。
「お兄ちゃん、ありがとう――――――」
温かい水月の声が真っ黒な空間に響いた後、目の前の暗黒が鋭く切り裂かれた。
その先には、見慣れた天井と眠る自分の姿があった。



「零、 今帰ったぞー。」
「あ、お帰りなさーい。」
ん?柚未が疑問を感じたのは言うまでも無い、零の応じた声が明らかに可愛さを増していた。まぁその分、カッコよさが欠けてしまっているのだが。
柚未がリビングに着くと、女の子姿の零が味見をしていたのだから、柚未は面食らったように目を見開いた。
「貴様……何者だ!」
「うわっ!ちょっとちょっと!零だから!零です!」
柚未が刀を構えるのも、分からなくは無いというのが零の心境ではあったが。
ビーフシチューをテーブルの上によそって、何の気なしにテレビを点ける。柚未と零はビーフシチューを食べながらお互いの事を話す。
「柚未ったら、何だか最近気が早い気がするよ……」
「零だって、いつまで女の子の気でいるの?可愛いから許すけどさぁ。」
うっ……?零は痛い所を突かれたように固まる。柚未に女の子になりたいなんて言ったら何といじられるか分からないし、まず解術出来ないようにさせられたら零はおしまいだ。
零は何とかこの話題を抜け出す事が出来ないかな、と慎重に話題を模索する。部屋中を見回していると、視界右端に端末が映った。
「あ、そうだ……柚未に話さなくちゃいけないことがあったんだった。食べ終わったら端末一緒に見て。」
「分かったけど……おかわり。」
今日もよく食べるねー、太っちゃうよ?と冗談を言うと、柚未は動いているから大丈夫なの!と頬を膨らませた。
零が、なんて幸せなんだ……。という思いを感じずにはいられないのは、間違いではないだろう。

夕食を食べ終わった二人は、不健康にも端末の画面に釘付けとなった。
水雨から送られてきたメッセージを見ると、柚未が気付いたように話し出した。
「だから夕凪さん、あんな所にいたんだ……」
柚未は帰ってくるときに、一度夕凪に声を掛けられていた。夕凪は校舎内のホールを飛び回っていたのだ。
飛び回るといっても、単なる移動ではない。本当に、北側から東側、西側から南側と飛んで移動していたのだ。
生徒会役員が堂々と校則違反をしている様を目にしてしまった柚未は、夕凪に呆れるようにして問い掛けた。すると、どうだろうか。
「ありゃ?あなた達の為を思って飛び回っているというのに……ごめん、嘘。水雨にそんなに言うなら本当に飛び回ってみろと言われたから……日本語の慣用句を実現して見ただけよ。」
あの、校則違反については?と問うと、生徒会会長公認の特例だから仕方ないんだよねぇ……と悪戯に微笑んで見せたのだという。
その話を聞くなり、零は疲れてしまったようで。
「お風呂入ってくる……」
柚未もため息をつくほどの、ミス・イレギュラー 夕凪が正体だったのだ。

「う……いやーーーーーーー!」
「どうしたの!」
風呂に入るなり絶叫した零に、柚未が風呂まで駆け込む。柚未が駆け込んで風呂を開け放つと、絶叫する零以外に何も無かった。
何があったの?と聞く柚未に、零は顔を真っ赤にして答えた。

「お、男に、戻り忘れたのっ!」

この日、柚未は生まれて初めて心の底から爆笑した。怒った零に脱衣場から閉めだされた後も、リビングでずっと一人笑いするほどに。
数分後。一人笑いから回復した柚未は、梓に連絡を取ろうとしていた。携帯型端末から電話をかけると、五回目のコールで梓が応じた。
「んー、珍しいね。どしたの?」
「任務中にすみません。少し、良いですか?」
もう良いよね、風雅?とほんの少しだけ問答があり、うんおっけー。と梓からいつも通りの返答が帰ってきたのを確認すると、柚未は用件を簡潔に話した。
「メッセージには重圧に乗じて、とありましたが、重圧自体の概要についてはありませんでしたね。教えていただく事は出来ないでしょうか?」
「あっ、そっか。じゃあ教えるね。メモっとくなりするなら用意しといてね。」
柚未が端末に打つ準備を整えると、梓は語り始めた。
重圧は、この学校ならではの恒例行事となりつつある、一種の問題の事。
端的に言うと、イジメのスケールが大きくなったような感じで、多ければ数百人単位にもなる。また校外者が発端になることもある特殊性を持っていて、対策を練ることが出来ない。
数年前から上層部も対応策を練る事をやめ、標的となった者の退学や転校は許されないため、もし自殺した場合戦死扱いになるのだという。
更に内容も幅広く、暗殺から呪殺までピンからキリまでと言った所らしい。

「とまぁ、こんな感じだよ。あたしも風雅も標的にされた事無いからわかんないんだけど……それで[戦死]する人は毎年いるらしいの……」
そう語る梓の声色は沈む一方だった。秩序の先頭に立つものとして手綱を握っている以上、些細な気配りは命取りになる皮肉を忌み嫌うような、泣き出しそうな声で。
そうとだけ伝えると、梓はおやすみ、と言って電話を切ってしまった。柚未はメモを取っていた端末の画面を見て凄惨さに心を痛めた。
「本当だとしたら……あたしは、どうすればいいのかな……?」
どこか答えを求めて呟いた柚未に、零は後ろから抱き付いて、答える。
「柚未が気にする事じゃないよ。精一杯生き抜くことが、一番の弔いだと思う。」
後ろから回された優しい腕を、柚未は抱いて答える。
「ありがとう、零……」
迷う自分を導いてくれる、聖なる導きに愛を捧げよう――――。

Comical scene XII 二人っきりの、あまーい時間だぞ♪

「ふぅ……」
「どうした、梓。何かあったのか?」
ううん、何でもないよ。と言いつつ歩く梓の身体は、返り血で血塗れだった。
およそ数百人に及ぶ兵を殺した梓の身体には、殺した者の怨念が纏わりついているのではないかと思うほど、赤黒く染まっていた。
梓の戦場で戦う姿を見て、水雨は恐ろしさを感じずにいられなかった。何も言わず、ただ単に現れる兵士を殺しつづける殺戮兵器へと変貌するのだから。
たまに発する言葉といえば……
「風雅、離れてて。」
だけなのだから、水雨は防御術式をありったけ梓に掛けれるだけ掛けてほとんど待機状態なのだった。
だから、戦場から帰った後の旅館での行動が、一層恐ろしく感じられるのかもしれない。

旅館に戻った後の梓は、普段よりもテンションが高かった。
「風雅ぁ、風雅ぁ!ぎゅってしてよ、ぎゅーって!」
「何語だ。日本語で喋ってくれ。」
ただの擬音だよ!と反論する梓にため息で応じる水雨。いつからだろうかと考えれば……出会ったあの日からか。
水雨が聞き流していると、梓のお腹から「くぅ~……」という音が響いた。
「……ごめんなさい。」
「謝るような事じゃない。すぐに作るから、待ってろ。」
はーい♪と聞き分けの良い返事で応じる梓に、水雨は小さく恐れを抱いた。切り替えが強すぎるのもどうかと思う水雨である。

簡単に作ったご飯を食べさせる。梓は目の前に温かいご飯が出された瞬間、器用に正しい姿勢のまま超スピードで食べ始めた。
「風雅、すっごく美味しい!お世辞じゃないよ本当に―――――」
「黙って食べれないのか。まさかそこまで子供じゃないだろう。」
う……ごめんなさい……と言いつつも食べるスピードを緩めない梓には感嘆の声すら上げそうになる水雨だ。
やがて食べ終わった梓は、水雨に対して構ってちょうだい作戦を決行する。
「風雅、遊んで!何でも良いから!何なら夜の遊びでも……」
「俺に遊んでいる暇は無いんだが……。」
若干呆れ気味に困る水雨に、梓はここぞとばかりに追撃を続行する。
「勉強してばっかりじゃ寂しいよ?心の豊かさは理屈じゃ学べないはずだもん!」
確かに。心の豊かさ、か……水雨は一本取られたように考え込んだ。梓は心の中で嬉々としている。
「分かった。そこまで言うのなら、普段戦ってくれている分恩返しをするとしよう。」
やったあぁぁぁぁぁ♪梓はこれ以上ない笑顔で水雨に抱きついた。
(笑顔に払う代償が勉強なら、俺は満足かな……)
水雨は口元をほんの少しだけ綻ばせて、心の中で浮かべている満面の笑みを不器用ながらに表面化させるのだった。

しかし、梓の要求は最初から無茶振りだった。
「家族風呂予約してきたから、一緒に入ろうね風雅!」
何だとーーーーーーーーーー!?水雨は一生で始めてと思われる叫びを梓に披露した。
家族風呂の存在は知っている風雅だったが、敢えて言わなかったのだ。しかし、こう考えてみると、先に言っておいて釘を刺しておけば……と後悔する。
今回ばかりは……従うしかないか……。水雨は心底沈みながら家族風呂に向かうのだった。
「……襲っちゃダメだよ?」
誰が襲うか!変に語気が強くなってしまうのは動揺しているからか。自分で分かって恥ずかしくなる水雨に、今回ばかりは余裕の梓である。
廊下を歩きながら、二人は手を繋いでいる。梓は嬉しくて仕方が無い。水雨は嬉しくも悲しくてしょうがない。
(風雅とふたりっきり……しかも千載一遇のチャンス到来!今日はツイてるな~♪)
ねぇ風雅!と今日も元気におねだりする梓は可愛い。水雨はそれを認めている。可愛いよ。ええ、可愛いよね、梓は。
そして、脱衣場。
「風雅!一緒に着替えよ……ってあれ?」
「さっさと着替えろ!俺が入れないじゃないか!」
どうせ一緒に入るんだからさー……と諌める梓に、これ以上突っ込むと抜刀しかねない勢いの水雨は、梓に今度ばかりは押し勝った。

ガラガラ……このドアが自動じゃなくて本当によかった……そう改めて思う水雨は、小さく入り口を開けて状況を確認する。
視界の先には、湯船に浸かる梓の姿があった。
「ほら!さっさと入ってきてよ女々しいなぁ!たまには裸で話し合おうよ!」
もう恋人なんだからあたし達は♪と湯船へと誘う梓に水雨は決意し、湯船へと歩み寄る。そして戦場の時よりも素早い動作で湯船に浸かり、梓を抱き寄せる。
自分のペースにしないと理性が持ちそうに無い水雨の、決死の策だった。
「わっ。どしたの、風雅。」
ほんのちょっとだけ困惑したような様子の梓に、水雨は手応えを感じた。同時に、余裕を装っている梓の心臓が、凄い勢いで鼓動している事に気付き、安堵する。
水雨は、そのまま梓の身体を抱き上げ、自分の対面に座らせた。
「うわわぁ!風雅ぁちょっ――――」
「強がらなくて良いぞ、梓。俺はもう、お前を受け入れる。」
梓の唇を、水雨が奪った。
梓は最初、身体を強張らせていたが徐々に力を抜き水雨の腰に腕をまわした。
やっとじゃない、もう―――――。
ありがと、ふうが――――。
二つの想いが交錯し、交わり、ぶつかり合って弾ける。
それはやがて祝福の花火のように、大きく花を咲かせる。
二人の愛という、大きな華を。



家族風呂を上がった後の梓は、すっかり勢いをなくしてしまっていた。
まるで塩を振られた野菜のように、それでも胸のドキドキは収まらない。顔を俯かせながら赤面して「あ……う……」しか言わないその姿に、もはや過去の熱情は無い。
ただ、そこには熱情とは明らかに違う、新たな感情が生まれていた。
まぁ、皮肉な事に立場が梓と水雨で逆転してしまったのは否めないところではあるが。

Comical scene Xii-ii 恋人なのに、離れる。

部屋に戻った水雨は、一人部屋で端末を操作していた。
水雨がなぜ端末を操作しているかといえば、梓に一人で考えさせて欲しいと言われたからだった。水雨は特に気にしていない。自分も同じような心境であったし、何より自分が梓の立ち位置なら相手を拒絶しかねないからだ。
梓に少し距離をとられ、こうして水雨は仕方なく、一人寂しく端末を操作しているのだ。
しかし、水雨は考えてみると自分は随分贅沢で傲慢な考えをしていたのだな、と痛感する。いつもはうっとうしくて何よりも忌避していたはずの梓に、こうして距離を取られると自分の心は猛烈に寂しさを感じる。
昔から、何度となく梓がいなくなると胸にぽっかり穴が開いてしまうような心境だったのに、自分はいつまでたっても学習しないのだな、と自分に嘲笑する。
ふと水雨は思う。夜中に端末を操作して、画面を一直線に見つめながら笑う自分の姿を想像する。
「……気持ち悪い。」
ふっ、水雨はまたも自分で自分の欠点を増やしている。そう自覚した瞬間、水雨は拗ねるように端末を閉じた。
端末を閉じ、両手を投げ出すように大きく伸ばして解放感に浸る。思わず欠伸が出そうになるが、水雨は意味の分からない自己に対する競争心に駆られて、欠伸を堪えた。
かみ殺された欠伸は小さな挙動を持った息を吸う動作に変わり、水雨をもっと恥ずかしくさせた。
水雨は静寂に包まれたこの空間にいる自分は、今何を感じ、何をもって今を生きているのか考えてみる事にした。既に議題が訳分からなくなってきているのは、自分がさっきのことで混乱している愛嬌だ、といない誰かに水雨は忠告する。
水雨は天井を見つめる。特に意味も無く、視線の先にあったから。今何を感じているのか。それを天井から導き出そうとしたのだ。
いま、自分は天井を見つめながら、何を考えている?自問自答だ。結論よりも理論のほうが先に出てきて邪魔をするのは水雨の悪い癖だ。そんな事はどうでもいい。水雨は考える。
天井のあの部分……何だか顔みたいだ。水雨は自分で考えている事に笑いが込み上げてくるが、軽くそれをかみ殺した。
そう、今自分は何を感じて、今の行動を起こしているのか。
水雨は、考える。人間が、脳の判断で行動を起こし、それによって現実に結果を残しているというのなら。
もし、自分が今している事は、脳がやれと言ったからだとするのなら。
それは、自分が数多幾千にも及ぶ行動の中で、一つだけ選び取ったということとなる。
だとするなら、人間は一瞬で、今の行動を起こすために、選ぶがための何かを感じて、その行動を選ぶのだ。
自分が今、戦うのは。何を感じて、何を以って戦うのだと思う?
そんな事を聞くのは、野暮以外の何でもないのかもしれない。けれど、人間は忘れる。
一瞬で判断したはずの答えを、捨ててしまう。
人一人の命がかかっていたとしても、結局は生かすか殺すか。二極性に縛られた答えを一瞬で判断し、行動に移す。
なぜ、自分はこの者を生かしたのか。なぜ、自分はこの者を殺したのか。重要性があるように見えても、何で殺したのか、何で生かしたのか、という理由を自分の損得で答えられる奴はそうはいないだろう。
[俺が生きる上で邪魔だったから、殺しました。]
そう言えれば、水雨としては百点満点の答えだが、そう答える奴はいないだろう。きっと何かにこじつける奴がほとんどだ。
結局は、自分が選んでいる事に気付かない、気付けない、盲目な者たちばかりの世界で。
透明な心同士で結び合ったもの二人を恋人と呼べるのなら、水雨は、梓は喜ぶだろうか。
水雨は――――――――、考える。



梓は、ベッドの上で寝転がっていた。
高鳴る鼓動は、未だ収まらない。身体の火照りは、未だ冷めない。冷たさを持ったシーツと掛け布団が、梓の心を覆っている。
水雨に、キスされた瞬間の、あの感触、感覚、想い。身体の中が沸騰するような、あの熱情。燃え盛るような、想いの爆炎。
立ち上る火柱は、身体中から漏れる熱気となって。沸騰した時の水蒸気は、熱い息となって身体の外へと出されていく。
唇に指を当てる。水雨の感触が消えない。優しくて、甘くて、溶けてしまいそうな、あの感覚、瞬間――――。全てが梓の高鳴りを加速させる。
心臓の鼓動が何よりも大きく聞こえる。はぁ……はぁっ……はぁ……。熱い息が何よりの証明となって、高鳴る胸に焼き付く。
意味も無く火照り、加速する鼓動と想いは、あの瞬間を忘れ去らせるどころか逆に焼き付かせていく。
静寂と真っ暗闇の中、布団を強く握り締めながら梓は虚ろに思っていた。
(風雅、風雅、風雅ぁ、風雅、風雅っ、風雅!)
虚ろ、いいや、そうじゃない。
どんどん、想いは強くなる。火柱は止まることを知らない。無限に燃え盛る火元は、自分の誓いの十字架だ。
水雨に愛を誓った、大きく何よりも神聖で自分な十字架。何よりも透き通っていて、真実で、光を反射して七色に煌いている、強い強い想いの十字架。
収まりがきかないほどの思いを必死にこらえながら、梓は粘り強い自分の炎を水雨の氷で諌めていく。
暴走しちゃいけない。何よりも、そう自分よりも水雨が大好きなのだから。水雨の為なら、何でも出来るのだから。
歪んではいけない。何よりも真っ直ぐな、一途な恋。梓は誓う。絶対に曲がらないと。屈折しない、何もかもを綺麗に映し出す、心の十字架をここに立てると。
何よりも、誰よりも水雨を愛する、梓の思いは誓われた。
「だから、だから今日は……おやすみ、風雅。」
落ち着きを取り戻した梓は、心の内に秘めた熱い炎を抱いて眠りについた。
自分の思いに、水雨の思いが混ざった、蒼い炎を抱いて。



Main episode 14 死線

戦場の朝は、学校の朝よりも早い。
任務のことを考えれば至極普通の考え方なので、全くこのことにつっこみをいれずに差を迎えるのだが……
常識についていちゃもんをつけ始めるウチの姫は、やはり朝から反骨精神に満ち溢れていた。
「何でこんなに朝早いのよ……あたしは低血圧なの!」
低血圧の人が気勢も荒く朝から怒れるはずが無いと思うのだが……。水雨は思ったことをすぐに口に出さないタイプの人間だ。
固く縛られたその口には、開けば損をする彼の立ち位置を色濃く反映しているといってもいい。
時刻は午前四時三十分。学生には少々早い時間帯だ。やはり、戦場の駐屯地でもこんな時間に起きているのは二人だけだ。
水雨と梓は朝食を取って、今現在部屋に戻っている最中だった。起床時間として設定されていた時間は午前三時五十分と、朝か夜かよく分からない時間帯だった。
ただ、梓は眠くて怒っているわけではない。せっかく水雨に添い寝してもらっていたのに、その時間がたった五時間足らずで終了してしまったからだ。
朝から気がたっている梓のことを横目に、水雨は今日も明日もため息をつく。
戦場に行く前なのに、全く緊張感が無い。
まぁ、死にに行くわけではないのだから、無いぐらいが丁度いいのか。
返答は、あるわけない。

戦場に向かう二人の出で立ちは、簡素なものだった。
戦場に向かう学生の大抵は学生服で出撃するこの世の中で、水雨と梓は自分で用意した服を着用していた。
なぜ大抵の学生が学生服を着用するのか。それは学生服には、質素だが繊細な術式が織り込まれているからであって、別に制服の着用義務は無い。
学生服には、温度調整術式が織り込まれているため、砂漠やブリザードなどの温度変化にも耐えうるようになっている。中の温度を一定に保つ事によって、着用者の快適さを維持しているのだ。
また、学生服にはもう一つ、微弱ながら防御増幅術式が織り込まれている。これは掛けられた防御術式の効果を1.1倍するという代物で、そこまで直接的な効果ではないので目を向けられていない。
だが、水雨や梓クラスの術者になると、自分で服に何らかの意味を持たせ、術式を織り込んだほうが強くなる事のほうが多い。
梓が着用しているものは忍装束と、額には赤いハチマキ。ハチマキの余りが長めなので、風でなびけば凄くカッコいい。(後半本人談)
水雨は真っ白な生地に、氷の紋章が織り込まれた騎士服。水雨曰くとあるゲームの主人公をモデルとしたつくりとなっているが、水雨が着ると凄く様になる。
どちらも、学生服とは比べ物にならない着用効果をもった代物で、二人はこれまでに二回しか着用した事が無い、いわば勝負服である。
二人にしてみれば、簡素な服だ。しかし、周りから見ればその風貌は逆に目立つ。
事実、着替えた後に集合場所へと向かう二人は、早朝ながら自国兵士の注目の的となった。
「見せ物じゃないんだよ!恥ずかしいんだからぁっ!」
顔を真っ赤にして見つめるもの達を追い払おうとする梓だが、梓の恥らう姿はどうも、自国兵士には刺激が強すぎるらしく。
(全くの逆効果だな……)
いつの間にか上官や、武器運搬の業者まで混ざっていき……水雨も驚くほど、およそ数百人の観衆を呼び寄せていったのだ。

集合場所に五分前に到着した梓の機嫌は、悪かった。
「もう何なのよあの兵士たち!自分が飢えてるからってまじまじと見て!」
(一番の要因はお前だと思うんだが……)
「なに!」
(おっ、勘の鋭いですこと……)
水雨が心内梓を指摘すると、梓は応じるようにキッ!と水雨のほうを向いた。水雨は若干焦りつつ、ゆっくりと戦場へ視線をずらしていく。
戦場は、荒地となっていた。ここも数年前、いや数ヶ月前は戦場だったのかと考えると、今この瞬間の無情さを思い知る。
人間は、繰り返すしか能が無いのか。圧倒的技術を手に入れようが、手を取り合った平和を手に入れようが、それは戦争に対する準備期間に蓄えるべきモノでしかないのか。
結局は、およそ千年前の日本と同じだ。少ない土地を奪い合い、自分好みに統治して部下に勢力を強化させる。
そのスケールが世界にシフトしただけに過ぎないのだ。そして、そうして戦っているのが自分だ。
どうせなら、梓や零と柚未を連れて、どこへなりとも逃げてしまいたい。実際、逃げる事は叶わないし、それは現実から目を背けたいがための言い訳にしか過ぎないのだけれど。
「――――ぅが!ふうが!ふぅが!ふーーーーがーーーー!」
「っ、どうした。」
もう出撃時刻だよ!と梓に叱られ、今日も水雨は歩き出す。
惨劇を生まないように、俺は今日も戦っているんだ――――と、自分に言い聞かせて。



水雨と梓が出撃した頃と同じ時刻――――
都内浦浪高校では、零が朝ご飯を作っている最中だった。
しかしなぜ、こんな早朝に零が朝ご飯を作っているかというと、
「零、 ごめんね……けほっ、こほっ……」
柚未が風邪を引いてしまったのだ。
昨日寒気を感じると言って零の布団に潜り込んできた柚未は、三十八℃を超す熱を発熱していたのだ。
零は辛そうに熱い息を吐く柚未のために、どうにか美味しいおかゆの開発に朝から努めていたのだ。
「柚未が謝る事は無いよ。誰だって風邪は引くんだから。」
あたりまえのことを言って柚未の頭を撫でると、柚未は笑顔になった。研究に研究を重ねたおかゆを持っていき、柚未に食べさせる。
「口を開けて。」
「……あーん、って言ってくれないの?」
そう寂しげに呟く柚未の顔は、いつになく真剣で深刻だった。それはもはやおねだりではなく、本当に心底願っているようにも見えた。
「あ、あーん……」
「……ん。ありがとう、美味しい!」
柚未は笑顔になった。零はすごく恥ずかしかったが、柚未の喜ぶ顔が見られるなら、という気持ちで何度もおかゆがなくなるまでしてみせた。
眠る柚未を確認して、零は戸締りをしっかりして外に出かけた。夕凪とのコンタクトである。

「夕凪先輩!」
「夕凪、でいーよ。」
ぅうわぁっ!いきなり背後に降り立った夕凪に驚きを隠せない零の様子を見て、夕凪は微笑みを称えながら零に何?と聞く。
零はほんの少しだけ血の匂いがする夕凪を見て、問い掛けの内容を変えた。
「……何人殺した?」
半ば睨むような鋭い視線を向けてくる零に、夕凪は飄々とした余裕を消して、鋭く答える。
「殺してはいないよ。ただ……半殺し程度、再起不能にはしといた。」
何人ほど?と零が問うと、夕凪は答えたくなさそうに百人前後、と答えた。そのいずれもが狂気をもった者達で、校内に入れれば即座に被害が出てしまいそうな、危ないやつらだったという。
肩のところで切ったショートの艶かかった黒髪をかきあげて、夕凪は沈んだ口調で答えた。
「悪いんだけど……私の武器の特性上、加減が出来ないの。無力か、瀕死か、即死か。極端なんだよね。どうする?」
これ以上痛ましくしたくないんだったら、いちいち報告するけど……?と零に問う夕凪は零の心中を探っているようだった。
零は、唇を噛みながらも夕凪に答えた。
「……引き続き、お願いします。」
「ん、賢明だね。んじゃ、いってきまぁす。」
そう言って、夕凪は姿を消した。
零は、心の中の黒い部分が、また少し大きくなるような感覚を覚えた。

柚未は、悲しかった。
隣の部屋では、寮の部屋の中でも出来る内職任務をするから。と言って、心配して残ってくれている零がいる。
耳を澄ませば、慣れない手付きでミシンを動かしている零の困惑する声が、小さくかすかにだが聞こえてくる。
その度、柚未の胸は強く締め付けられた。大好きな零に、迷惑を掛けてしまっている。自己嫌悪の念が異常なまでに強く、どんどん膨れ上がっていく。
「零……ごめんね、ごめんね……本当に……ごめんね……」
柚未は息を殺して泣いたが、柚未の闇は正直だった。
〈また泣いてるの?本当の自分を押し殺して。〉
「……出てこないで、あたし……。今は、泣きたい気分なの……」
拒む表に、相対して強くなる裏。
柚未に、覚醒を止めることは、出来なかった。
〈そうやっていっつも弱気でさ。ちょっとは強気になったのかな、と思ったら全然じゃん。〉
「うるさい!出てこないで!」
更に語気を強める表に、裏はとどまらない。表が虚勢を張っているのだと、見抜いているからなのか。
〈本当はそんなんじゃ無いでしょ?本当は暴れたくて――――――〉
「もうやめて!話し掛けないで!」
「柚未?大丈夫か?」
え……?心配して様子を見にきた零に、柚未はハッとした表情で布団に潜り込む。零は不思議に思って、柚未の下へと歩み進んだ。
「柚未、何か言いたい事があるなら言ってくれ。俺は必ず答える。そして絶対に突き放さない。約束する。」
柚未の何かに怯えるような姿を見て、零は柚未に問い掛ける。しかし、柚未は零に悟られまいと、隠しとおすことに決めたのだった。
「……ううん、大丈夫。心配しないで、何かあったら言うから。」
「そうか……遠慮は要らないから、いつでも呼んでくれ。」
そう答えると、零は安心したように寝室を出て行った。
またミシンをいじり始める音がかすかに聞こえ始めると、闇も判断したように目を醒ます。
〈あたしは心配してるんだよ?溜め込んでるんじゃないかって。あたしは優しいから。〉
「……心配はありがと。だけど、大丈夫だから。」
〈嘘だね。この前だって水雨に思いっきりキレてさ。あたしに身体を委ねたらすっきりしたって言ってたじゃん。〉
「言ってないよ……そんなこと言ってない!」
〈ほらほら、そんな大声出したらまた、愛しの愛しの零くんに迷惑掛けちゃうよ?〉
「う……!いい加減にしてよ。」
〈やーっぱり溜め込んでるね。正直、普段よりもいきいきしてるよ、あたし。〉
「だから……そんなんじゃないって!」
〈本当はさ、零くんとあんな事やこんな事、したいんでしょ?色んなもの溜め込んでるね、あたしってさ。〉
「うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさい!」
〈どんどん息が上がって顔が赤くなってる。やっぱりしたいんでしょ、零くんとのせ――〉
「もうやめてーーーーーー―――――!」
柚未は怒った。かつてないほどに怒り果てた。自分の心の裏に巣食う魔物に、零を侮辱された事を糧にして。
それでも、闇は止まることを知らない。
〈何をやめるって?あたしはあたし以外の何でもない。あたしが考えてる事を言っただけ。〉
「もうお願い、許して……何でもあげるから……もうこれ以上は、限界なの……」
柚未は泣きながら懇願した。心の内に潜む自分の闇に、もうこれ以上は限界なんだと。
〈えー?何でもくれるの、優しい!じゃあ、一分だけ交代してよ!〉
「え、ちょっと待っ――――」
〈はいはい、じゃあ一分後ねー♪〉
心が染まっている闇の深さとは裏腹に、柚未の裏はあどけない声と共に表になった。
(やった、やったぁ!これで零といっぱいイチャイチャ出来る!)
柚未は、早速行動を開始する。
「れーいー、ちょっと来て!」
「ん、どうした?」
零が歩み寄ってくるのを感じると、柚未は心臓に右手を当てて胸の高鳴りを感じた。これから始まる全てに、胸が高鳴っているのが嬉しいのだろう。
「きゃうっ♪捕まえたっ!」
「柚未?どうしたんだ、一体?」
普段とは全く違う態度の柚未に、零は困惑した。しかしながら零は柚未が明るく振舞っているだけなのかと思い、柚未の手を引くままにベッドへと誘い込まれた。
「ねぇ零、あたしもうずっと我慢してたんだけど……たまには、良いよね?」
零をベッドへと誘い込み、布団を二人で被る。布団を頭の上まで被って、零と一緒に布団の中で会話する。
「どうしたんだよ……何かして欲しいのか?」
条件反射的に小声で尋ねる零に、柚未は首を縦に振って肯定する。自分から言ってくれるとは思いによらなかった柚未は、ラッキーという感情もあってなのか零には凄く嬉しそうに映るのだった。
更に、柚未の普段隠している部分……欲望の部分が大きく突出している今の柚未は、普段活用しない体とルックスを使って、妖艶に恥じらいながら零に頼むのだった。
「その……っ、キスとか……」
熱く高鳴る胸を抑えきれない柚未は、零に思わず抱きついた。
(ヤバいよぉ、どうにかなっちゃいそうだよ……零ってこんなにカッコいいんだ……)
言わば欲望そのもののような今の柚未は、零の魅力の全てに惹かれ、また本気で高鳴っていた。少しでも気を抜けば理性が飛んで、零を本能のままに奪い去りそうになる感覚に、柚未はこの上ない快感を覚える。
体の芯がむず痒くなって、火照りを抑えきれないこの感覚。まさに今の柚未が、ずっと味わいたかった感覚でもあった。
「キス……か。したいなら、良いぞ……」
顔を赤くして肩を上下させ、恥じらいを隠し切れない零の様子に、柚未はもうじれったかった。
(ほんとにやばいぃ、零が欲しいよぉ。もう表のあたし許さないんだからぁ!)
いちいち自分のドツボにはまる反応をしてくれる零に、柚未は理性が飛ばないようにするのが精一杯。
「じゃあ、するぞ……」
「うん……来て……」
唇と唇が重なった瞬間、柚未の中の何かが崩れ去った。理性が崩れて、本能のスイッチがオンになる。
柚未は零の腰に腕を回し、熱く火照った自分の身体と意識に拘束した。
「ゆ……ずみ……っ!?」
「欲しいよ、零……欲しいな、欲しいな!零が欲しいよっ!」
いつもよりも自分の感情を前に出してくれる柚未に、零は何も咎めはしなかった。むしろ、受け容れてあげようかと思うほどだ。
普段よりも様子がおかしく見えるのは、いつも隠していた感情が暴走してしまっただけ。零は優しく抱擁した。
「柚未は俺が、欲しいの?」
うん!欲しいよ!
「柚未、それは出来ない。」
えっ?何で?
「俺が、柚未を奪うから。」
あ……――――――――。
零はもう一度、柚未の唇を奪った。
求め合ったのではなく、一方的に、奪った。
でも、それを一番望んでいた柚未は、零とのキスで泣いた。
闇の、大きな大きな光への一歩だった。
〈甘く、見てたな。零くんのこと―――。〉
柚未の知られざる闇の、知られざる幸せだったというのは、言うまでも無く。



Comical scene Xiii 亀の甲より、年の功なんだからっ!

またも戦場から帰還した水雨と梓は、勝負服から着替えなおして現在風呂に向かう準備を整えているところだった。
しかし、二人に、昨日ほど楽しく雑談するような余裕は、あるかと言われればそこまで無いというのが現実だった。
戦場から帰ってきて数十分、今でこそ体力が戻ってきて着替える余裕があるが、線上で戦い抜いた直後は、疲労困憊という言葉が本当によく似合うほどに二人は疲れ切っていた。
着替え終わった二人は、ふらつきながらも風呂場にたどり着き、疲れきった身体を暖かい源泉に濡らした。
「くうぅぅ~~~…………さいこーだよ、風雅。」
「言われなくても、理解しているさ…………。」
すっかり温泉の心地よさに心を奪われた二人は、同じ風呂に入っているという状況に対して全く動揺しなかった。
むしろ、梓が距離を詰めて擦り寄っている事にも、水雨は全く動じず抵抗しない。それだけ温泉の心地よさに心が染まっているのだ。
もはや動揺という言葉が皆無な二人は、昨日緊張していたはずの空間で普通に雑談をしてみせる。
「風雅、この気持ちよさを理屈で語れる?」
「……自信はあるが、野暮じゃないか?」
良いからさ、聞かせて。と梓が言うと、水雨は語り始める。
「まず、源泉による疲労回復効果、更には体温上昇に伴っての血行促進。そしてこの温泉の香りには精神的疲労を和らげるアロマテラピー効果があると言われ――――――」
「ごめんなさい……野暮でした……」
梓が謝ると、水雨も説明を停止した。野暮だといわれて少々傷つく水雨であったが、全部自分は最初から予想しきっていた事だったためか、それとも梓に対する愛情からなのか、はたまた温泉の精神干渉効果からなのか、怒りの念は当然の如く起こる事はなかった。
思わずため息が漏れる水雨は、未だほんの少しだけ明るい空を見つめて目を細めた。
(皮肉だな……こうして力あるものが圧倒的武力から護っていると言うのに、その護られている側は内乱による武力で血を流すか……)
こうして物思いにふけっていると、いま自分が置かれている状況を顧みる事になる。しかし、その度に、悲しくなっている気がするのは気のせいだろうか。
梓に言わせればそれこそ考えるべきじゃないと指摘されるだろうが、水雨は出来れば平穏に生活したかった。戦いなど無縁な、たとえ周りから贅沢だと罵られようとも、水雨は平和な世界で生きていたかった。
戦う力など学ばずに、素朴で純朴な事についてもっと学びたかった。
戦いに行く者の生死を気にかけるのではなく、好きになった相手のことをもっと考えていたかった。
戦うために力を身につけるのではなく、護りたいものを護るために力を身につけたかった。
命を絶つために剣を振るうのではなく、護るがために剣を納めていたかった。
平和的で、非現実的。そんな幻想のような望みを、水雨は抱いている。
(私服を肥やすもの為だけに、大地は用意されているのではない……)

踏みしめられるために、大地は生まれたのではない。
一輪の花を咲かせるために、大地は生まれたのだから。
新たな命を育む為に、大地は生まれたのだから。
数多の戦火を鎮めるために、雨は降り注ぐのではない。
乾いた大地に命を運ぶ息吹となって、雨は降り注ぐ。
安穏を茂らせるために、雨は降るのだから。
(そのための犠牲だというのなら……理不尽だ。理不尽だが、――――乗り越えよう。)
水雨は誓う、全てを救う事が出来ないのなら、自分を犠牲にしてでも守り、必ず救うと。
たとえ全てを護れなかったとしても、傍らの少女だけは絶対に護ると。

部屋に戻った二人はすっかり元気を取り戻していた。
普段通りの口論を再開できるほどに体力が戻っているのだから、疲れてはいないだろうと意見するのは夕凪であったか。
とにもかくにも、二人は本校生徒会に送信する書類の作成で、もめていたのだった。
「だから、あたしが五十機壊したの!」
「いいや違う。お前が壊したのはアーマーではなく下位型の機動アーマーだ。俺を誤魔化せるとは思っていないな?」
だから!いいや!二人の口論はヒートアップするばかりだった。普段は誰かしら口を挟む通称ストッパー役が存在しているのだが、今回はその場にいるのが二人だけだったが為に、ヒートアップに限度が存在しない。
テレビ電話を介して聞こえてくる大音量の罵声と不協和音に、夕凪は半ば困惑というか苦笑いというかしながらも、二人の口論を諌めようとする。
〈急いで下さいよお二方ぁ。こっちはただでさえ多忙なんだから。今しか書類送信が出来ないの、急いで。〉
「だって、だってふうがが譲ってくれないんだもん……」
「梓がいつまでたっても認めようとしないからな……」
ふくれた口調も同じだね、と笑いを堪えながら夕凪は口論の終了を待つことにした。さっき急かしはしたものの、よくよく考えれば報告は帰ってきてからでも円滑にではないが進める事が出来るからだ。
「もう!怒るよ風雅!」
「ああ怒れ!勝手に怒れ!」
互いに怒り準備が整ったのか、二人は大きく息を吸い込んで悪口を叫び始めた。
「バカバカバカバカ!風雅のバーカ!意固地で意地っ張りで意気地なし男!女々しさ世界ナンバーワンのダメ男!」
梓はここぞとばかりに水雨を攻め立て、
「お前こそ腕力一辺倒の知性の欠片も無い幼女!世界一大剣が似合わんイレギュラー幼女が!」
水雨も的確に梓の気にしているところを重点的に攻め立てた。
結果、二人の口論はここでは終わらなかった。
「いつになったら攻めるのよ!ずっとずっと守ってばっかで震えてるんですか臆病者!」
「お前は大剣だけ振り回していれば良いんだ!キャラ崩壊を恐れての忍術伏線なんて張る暇があるならな!」
悪口はさらにヒートアップし、心なしか悪口のレベルが上昇しているのは気のせいではないだろう。
しかし、悪口のレベルと相対的に、自分たちのレベルが下がっているのは否めないところだろう。
〈悪口言い合うのもいいけどさぁ、二人とも幼稚園児並みに熱くなってるねぇ?〉
そして二人の今の状況に鋭く切り込んだ夕凪の発言に、水雨と梓は口論を止めた。
標的を捻じ曲げるという、なんとも理に適わない方法で。
「風雅、あのさぁ……!」
「分かっている……梓、一時休戦だ。」
「「本当の敵は夕凪だ!」」
学校に戻ったらしっかりといたぶってやる。二人のいつも通り過ぎる態度に安心した夕凪は、楽しみにしてるよ、とだけ言って書類受信を確認し端末を閉じた。
「……帰ってこれるよね。」
夕凪の呟きが誰かに聞こえたか―――――聞こえていないのは、明白だった。

Main episode 15 死の雨

夕凪は、焦っていた。
実力が自身に伴うようになっているような実力者の彼女にとって、焦燥を抱くという事は本当に緊迫している状況だという事になる。
微笑を称える飄々とした笑みは消えていないが、その口元が小刻みに歪んでいるのはきっと本人にしか理解し得ないだろう。
少数精鋭を送り出している今の戦術では、夕凪には絶対歯が立たないと学習したのだろう。浮華の者たちは人海戦術を決行した。
(こりゃ流石に……敵わないかもしんないなぁ……?)
冷や汗を流しながら平原を見つめる夕凪の視線の先には―――。
浮華の生徒約一万名が、強化術式で強化された状態で夕凪を睨んでいた。
戦力的に言えば、夕凪一人に敵うものなどこの中に一人としていないだろう。しかし、これほどの人数が同時に術を放ったり攻撃を夕凪に集中させれば、夕凪の身体は普通に吹き飛ぶだろう。
もちろん、それは死も意味する。
(あー……どうしよ。絶対勝ち目無いって。増してや二人に迷惑掛けるわけにも……)
「夕凪!」
大きく空へと飛び上がり、夕凪のすぐ隣に着地したのは、零だった。
「零くん!?どーして?」
「大丈夫。柚未なら心配要りません。」
そう言う零の表情に、迷いは微塵も無かった。
柚未の熱は下がり、静かに寝ているのだ、零は止まってはいられなかった。
夕凪は嬉しかった。自分のピンチに颯爽と現れてくれたヒーローに対する、ただただ尊敬の念が、そう思わせたのだろう。
「さて、女子一人に一万人って……ずいぶん豪勢なナンパじゃない?俺も混ぜてくれよ。」
零は銃を上空に向け、二発、発砲した。
「男は……一人で充分、ってね!」
零はそう言うと一万人の軍勢の中に斬り込んだ。
その剣と銃を血に濡らす事になろうとも、零は止まらない。
守るべきもののためなら、何でも正当化してみせる。零は崖に誓ったあの日から、理性など吹き飛ばしていたのを忘れていた。

数分後、夕凪の拡幅術式によって巨拡大化された零の剣閃と銃弾の雨が、一万人の命をことごとく奪った。
全ては守るものの為、何かを捨てなければ行きぬけない時代が呼んだ悲劇だと言えるのか。
零は、考える事をやめた。



目を覚ました柚未は、窓から差し込む光に驚きを覚えた。
朝の日光だと理解する事に数秒かかった柚未だったが、その驚きの意味を成す零が寝室に現れたため思考は中断された。
柚未が見た、零の姿は以前と変わっていた。
いや、瞳が変わったというべきか。恐ろしいほどに純真なる白を称えていた瞳が、何かを得て奥行きが増したのだ。
その裏には――――まごう事なき暗黒が混ざっている事に、柚未は知らない。
「柚未、おはよう。」
そう言う零の瞳は、恐ろしいほどに優しかった。
まるで、触れれば壊れてしまう自分よりも弱すぎるものを、優しく弱く触るかのように。
黒を白で塗りつぶし、見え隠れする黒が孤独や静寂ではなく朱を超えた激情を称えているかのように。
何よりも歪んだ、笑みを称えているかのように。
「う、うん……おはよ、零。」
一番に抱きつくはずだった柚未がその気力を殺がれたのは、言うまでも無い事であったか。

Another time ×× 存在しない現実を語る行間

昨日あった事(零による学生大量虐殺)は、日本の権力によってしっかりともみ消された。歴史の教科書に載る事は無いわけになるのだが、日本の歴史書の中にはしっかりと記録された。
まぁ日本の歴史書に載っていて歴史の教科書に載らない事実など、もはや事実とは言い難いものではあるが……日本史の中にはしっかりと記録された。
コード【死の雨】 と。

Main episode 15-2 輝きを失ったダイヤモンド

零は、目覚めた。
小鳥のさえずりも、窓から差し込む光も、時を刻む時計の針音も。全ては零の日常と変わらなかった。
しかし、零のいつも通りのはずの朝に、決定的な違いが生まれていたのは、布団の外ではなく布団の中だった。
「はぅ……はぅうん……れいぃ……」
柚未が、自分の布団で寝ていたのだ。
何よりも、零が好きで仕方が無いはずの柚未が、自分の布団の中で眠っていた。
零は、悔しさを覚えずにはいられなかったのだが―――――今の心の中で考えたい感情とは違っていた。
(……そうか。なら、仕方ない)
零はほんの少しずつ瓦解し始めた現実を斬り捨て、布団から起き上がった。いつも通りに、柚未の為に朝食を作りに。
現実の辛さをかなぐり捨てたはずの零の足取りに、寂しさが滲んでいたのは言うまでも無い事であったのだが――――。

零は矛盾を抱えて、柚未と共に朝食を取っていた。朝は苦手ではないが得意でもない零は、朝は話し掛けられなければ、特に自分から何かを言い出すような男ではない。
しかし、柚未には分かっていた。普段から零のことを観察している柚未には、零のちょっとした心の変化など全てが、手にとるように分かるのだった。
だが、柚未は分かっているからこそ、何も言わない。
言う事が、恐ろしいからだ。
零の変化は、もはや隠せるようなレベルではなかった。動きのキレなどが格段に落ちていて、瞳もどこか虚ろ。度々漏れるため息に、無気力な声色。全てが、零の心情を恐ろしいほどに具現していた。
観察と黙秘に力を使ってしまっている柚未も、必然的に零へ話し掛けない。分かってしまっているからこその、言わば盲点のような悪のスパイラルが発生していた。
(今日の零、怖いなぁ……)
柚未が恐ろしさを覚えて固まっている事も、また他から見れば容易に判断がついたのだが――――零はそれにすら気付かないほど、自身が抱えている問題から目を背けているのか。

柚未が感じた異変の兆候は、当然の如く梓も感づくのだった。
零が任務に出るところへ、丁度バッタリ居合わせた梓は、零の姿を見て声を掛けたのだが。
昼前の廊下での一シーン。実に日常的でごくありふれたシチュエーション。梓は他愛も無い会話や雑談を期待したのだが―――。
「あっ、零くーん!何してるのー?」
梓がいつもの調子で零に向かって駆け寄ると、普段通りの表情に見せた零が振り向いた。直後、表情や声の高さなどはいつも通りだが、声色や内に秘めた感情が見え隠れしている零の様子に、梓は恐怖を覚えずにはいられなかった。
「いいえ、これから任務に出向こうかと思いまして。何の用ですか?」
怒りが見え隠れしているような、怒りを押し殺して笑顔を作っているような、そんな淡々とした声色。
零に限ってそんな事は無いハズ。梓は恐怖に声が震えながらも、零に果敢に雑談を持ちかける。
「ぅひっ!?れ、零くん、その……任務、手伝おっか……?」
梓の純真な気遣いを、零は虚飾で塗り固めた「拒否」であっさりと切り返す。
「いえ、必要ありません。生徒会長のお手を煩わせるような真似は、自分としてもしたくありませんから。」
零は梓の提案をあっさりと、淡々と切り返し、立ち止まっている梓の下を去った。
煩わしさを感じさせたくない―――煩わしく思ってるのは零くんの方じゃ……梓は気持ちが沈んだが、零の後姿や足取りを見るに、零が普通の状態ではない事を確信するのだった。
(零くん……どうしちゃったのかな。)
まるで輝きを失ったダイヤモンドのように、という表現が相応しいかどうかはおいておくにせよ、梓は零の魅力が消え失せたように感じてならなかった。
いつの間にかずっと呆然と立ち尽くしていた我に返ると、梓は後ろから声を掛けられている事実に気付いた。
「梓、そこにいては邪魔になるぞ。」
冷静にひどい事を言ってくる最愛の後輩、水雨 風雅に話し掛けられている事実に。

「はふぅ。久し振りに遠征任務って言うのも悪くないねー。」
市街地から乗り換えし、任務地に向かう途中の二級客船で、梓は水雨と一緒に個室の中のベッドから、丸窓を長めて言い放つのだった。
遠征任務……片道が百キロを超える任務地に到着してから、二日以内で終了する任務である。遠征だけなら、この前の国直属任務でやったものだが、今回の任務はほぼ戦わずに治安維持を目的として二日間滞在するだけ。他の任務に比べれば気が楽だ、というのが梓の意見だった。
狭くもそこが逆に良い雰囲気の個室の中で、水雨は本を読みながら徒然と語り始めた。
「しかし……梓、何か懸念があるようだが、どうした?」
梓の、不自然なほどに表面化している思いつめた表情を見て、水雨は梓に問い掛けるのだった。
梓は、零の不自然な異変について水雨に話すことにした。

―――っていう事なの。梓が説明を終えると、水雨はふむ……と言って眺めていた本を閉じた。
言い切った梓がため息をついている様子を見て、水雨は零の変化が著しいものだったという事を予想する。
水雨は話で聞いた要素を基に、そんな感じになった零を連想してみる。
「……確かに、何かありそうだな。」
「重圧が関わってるんだとしたら……寝音に聞こうか?」
いずれにせよ……零ほどの影響力をもった人物が揺らげば、少なからず学校内には何かしらの問題が発生するのは、水雨にも梓にも目に見えることだった。
(早急な対応、しておくとしよう)
今回の任務から帰還したら、水雨は零に事実を問いただして見ようか、などと考えていた。
もちろん、水雨一人で。

Comical scene Ⅹiii ルビーとサファイアの煌き

二級客船の個室は、大抵が四人部屋だ。
しかし、四つベッドがあるというわけではなく、最近の二級客船は従来の一級客船並みの広さを持っているため、布団を四つしく事が出来ているため、大体が四つ布団を敷いたら余裕がなくなる構造になっている。
梓は水雨と二人っきりだが、硬い床よりも布団が敷き詰めてあるほうが好きな人。床一面が布団で埋め尽くされている部屋に、必然的になるのだった。
そんな快適感300%(梓談)の個室の中で、梓は、作戦コード【構ってよぅ】発情誘いバージョンを敢行するのだった。
「風雅ぁ、本がお友達って、寂しくないの?」
「……悪いが、本と友達である事に何も欠点を感じないのだが。意見があるのか?」
普段から生き方を理論付けしていることだけはある、理論で証明できない問題にぶつかると心の底から疑問符を浮かべてしまう水雨に、梓はあー、どうしよ!という状況に陥ったのだった。
しかし梓は、そんな事ではめげない。水雨に遊んでもらうためだったら、なんでもするのだから。
「本と友達なのは良いとしてもだよ?友達以上の存在がいる前で、本の相手するのはやめてほしいなぁ。」
つまりそれは私に目を向けて!という合図なのだ。梓はあからさまに落ち着いた声色で水雨に意見したが、水雨はあっさりと無自覚にそれを受け流す。
「ふむ……困ったな、本の相手をしないとなると、何の相手をすればいいのやら……?」
うがー!梓は心の中で髪を振り乱した。何でこんなにもあたしの主張を綺麗に受け流すの風雅は!梓は人生で何度も感じている痛い現実にこめかみを押さえつつ、水雨に対して追撃する。
「何だ?まさか、この歳になって構ってくれとは言わないよな?そこまで子供じゃないはずだろう、梓。」
「そうだよ風雅!何でそーいう事言うかなぁ!」
涙目で水雨に抱きつく梓の頭を、水雨はいつもの事か、と言って撫でた。小さくはかなく、安心する感触が水雨に触れた後、胸元の顔は笑顔だった。
「分かった。遊んでやるから、とりあえず本を片付けさせてくれ。」
水雨は立ち上がり、梓を布団に下ろす。嬉しそうに自分を見つめている梓に、自分も嬉しさを感じずにいられない水雨は、本を片付けにいく足を、速めた。
「ふうがぁ、大好き!」
「知ってるよ。誰よりも、な。」
きゃはははっ♪と笑顔を水雨に向ける梓は、水雨に抱き上げられてとても上機嫌だ。水雨も、梓の笑顔を見られて何よりである。
密閉された空間かつ、布団が敷き詰められた空間で水雨は梓を抱き上げていた。
周りから見れば、変な風に映るかもしれないが……二人にとっては、これは昔からのスキンシップといえばそうなるのだった。
それこそ一緒に風呂へ入ったりするのは最近が初めてだったが、抱き上げるぐらいの事は何回かしていた。
だからといって、梓が調子に乗ると――――
「ふうがぁ、……子供、つくろっか。」
場が、凍てつく。
「あずさぁ、……いい加減に、しよっか。」
――――水雨の表情が氷の微笑みにスライドし、氷の矢が梓を全方位から痛めつけるのだった。
梓の断末魔が響いた後、水雨のため息が小さく漏れたのは言うまでも無い事だ。
「あ、う……寒い……夏、なのに……寒い……」
痛くないだけマシだろう、と真顔で呟く水雨に、苦笑混じりで応える梓。何だかんだで遊んでもらっている最中より、遊んでもらった後のこういった雑談の時間が、一番幸せな梓である。
しかし、こうなると、梓の発言一つ一つに水雨の理論的な突っ込みが入ってくるので、梓は喋りづらくなる。
「全く、そんなことしたって、あたしは不屈だって分かってるでしょ?風雅は本当にムダ!風雅のムダさはエクスカリバーを脇差に採用するくらいムダ!」
「ふっ。お前の不屈さこそ、手榴弾に核爆弾を採用するくらいムダだ。」
うー、何かそっちのほうが正しいっぽいー!っていうか死ぬよね?死ぬよねぇ?と梓が敗北感を抱くのも無理は無いだろう。いつもから理論of理論で生きている水雨に、口ゲンカと比喩で勝てそうな気がしない今日この頃だ。
水雨がため息をついたところで、梓は布団に寝転がる。いつも通りで幸せな感触が自分の体に触れると、梓はゆっくりと思考を開始させた。
(あたしって……何歳まで生きられるんだろ……)
不意に脳内に浮かんだ思考のテーマが、平均寿命の話だったというだけだが……。梓は非常に重いテーマを、梓らしく考えるのだった。
現在の事実として、日本の平均寿命は年々低下している。戦死者を入れればもっともっと低下していくこの時代、富裕層といわれる年長者の寿命も年々低下しているという。
第三次世界大戦開戦前の平均寿命は80代前半から70代後半であったらしいものの、現在の平均寿命は50代後半が常識となっている……と水雨に教えてもらった。
そして、戦死者を入れたときの平均を聞いたとき、梓は恐怖を覚えずにはいられなかった。
(……平均寿命、22.3歳)
水雨の淡々とした声が、梓の心に恐ろしい答えを刷り込んでいった。
梓はある程度規則的に小さく聞こえる、船底の水との衝突音を耳に入れながら、変わり映えしない天井を見つめて息を吐いた。
水雨が部屋を出て行った。トイレと小さく理由を告げて。無機質なドアの閉まる音が響いた後、梓も追いかけるようにして個室を出た。
部屋の中から、無性に出たくなった。閉塞的なテーマについて思考する自分が、開放感を求めているのだと知らずに。

(んー、気持ちいいなー!)
梓は、快晴な青空の下、青く広がる海を走る船の甲板に立ち上がった。ほんの少し高く感じるフェンスからちょっと身体を乗り出して、吹き抜ける涼風に梓は心地よさを感じていた。
風になびく茶色の髪が、開放感に満たされた彼女の心を表しているようだった。
だが、端正に整いながらもあどけなさが残る顔立ちとは裏腹に、その表情がどこか憂いを帯びている事に、見たものは気付く事だろう。
今、甲板にいる者は彼女を含めて15人ほど。一つの船の甲板に居る人数としては少なめだが、パラソル下のカフェゾーンの賑わいが大きいため、人数感としては申し分ない。
そんな梓は、日焼け止めの代わりに対遮紫外線術式を使用して、直射日光の下考え込むのだった。
(術式使用によって発生する……削命作用、かぁ。)
水雨に昔教えてもらった、術式の使用による副作用についての話を、次に考えるのだった。
昔、それこそ治世の四聖家よりも昔の頃……術式が秘密裏に開発され始めた頃。被検体として人体が採用される前に、人間の祖先と言われるサルに術式を百回、一回につき3秒間使用させたところ、そのサルの寿命が約0.02%下がったと言う結果だったのだ。
そして、今の日本人の教育として、子供は中学一年生から術式の授業が始まり、術式使用が義務付けられている高校などに進学すれば、高校一年生から常用として使い始める事になる。
術式の発動や構築には、脳の発想力を司る部分が密接に関係しており、本来術式に決まった術構築式は存在しない。ただ、初心者用として、規模の小さい術式の構築式が教科書には記載されているだけで、そこに自分なりの計算式などを組み込めば、術式の可能性は無限に広がるだろう。
もっと言えば、術式の構築に必要な式は方程式。Xを何と定めるか……座標と定めるも良し、自分の身体の一部と定めるも良し。その代わり、必ずその方程式を計算し、解を導きださなければ、術式の構築は出来ない。
また、術式の「構築」をしただけでは、術は「発動」しない。そこに詠唱文を組み込む事によって方程式を意味あるものとし、空気中の数多の原子を司る神と契約して初めて術が発動するのだ。
これにより、オカルトを否定することが出来なくなったのはもう百年程前からだが、それによって術式を発動するなど、目に見えない異能の存在の力を借りているに過ぎないのだ。異能の存在の力が人体に入り込むとき、何らかの影響を及ぼして寿命が短くなるのだという。
今まで語った全文は梓には理解できないが、もし理解出来るのだとすればそれは水雨と気が合うだろう。
梓は、今まで使用してきた術式の使用回数を見て、嘆息する。
(15239回……もう三年ぐらい寿命が縮んでるのね……)
三年間。奇しくも学校生活と同じ値だ。そう言えば、今期が終わってしまったら自分には卒業が待っているではないか。
一応、留年は二年間だけ許可されているが、梓ほどの実力者になれば留年要請は普通に来るだろう。
実力者を手放せば、働きが下がってしまう。廃校にされないがための学校の方針とも言うべき悪循環でもある。
梓は、悲しみから逃れようと、思わず振り返った。

Main episode 16 五星の守護者 壱

ふと、梓は甲板を振り返る。先ほどから適度にあった筈の賑わいが、いつの間にか消滅していたからだ。
「……あれっ?」
寂しさという恐怖を感じ、自分も船内に戻ろうとした梓だったが―――――。
刹那。
突き抜けるような青空が一瞬にして紫色に変色し―――梓の立っている甲板の周りに、赤く鳴動する回転輪が現れた。
一瞬の異変に、更なる異変が梓の視界の中心に焼き付く。甲板のど真ん中に、黒紫色の渦巻く「何か」が、突如として現れた。現実味を壮大なまでに欠いているこの現実が、梓に大剣を構えさせる。
そして、その闇の中から、手足を持った「何か」が現れる。梓は思わず後ずさりすると、この甲板に閉じ込められている事を悟るのだった。
「え?……な、なに……?やだ、こわ、いぃ……」
梓は声すら上げられなくなり、目前で起きた劇のような現実に思わず座り込んだ。力なく甲板に座り込むその様は、もはや戦意ある戦死ではなく、呆然と失意に倒れた市民のようだった。
よろよろと梓がもう一度立ち上がると、闇はそれに呼応するように渦巻きの規模を増大させた。そして、中から出てきた手足を持った何かを、闇が人体へと構築していく。
人体へと構築されたその「何か」は、20代前半辺りだろうか。その程度の齢と思われる青年が梓の前に現れた。
右手には、恐らくだが武器だと思われるただの鉄棒を持って。ラフな格好にラフな雰囲気を持ったその男は、梓に向かって口を開いた。
「んー、まぁ、この状況で俺を敵だとおもわねぇほどバカじゃねぇと思うからさ、簡単な自己紹介で済ますとするわ。」
「そんなん、どうだっていいのよ!」
梓は簡単な自己紹介を待たずに、男の下へと斬り込んだ。しかし、梓の放った上段斬りは無駄の無い回避で軽やかに避けられ、梓は甲板に向かって大剣を振り下ろす形となった。
だがしかし、それを梓は狙っていた。
(下に、降りなきゃ!)
このまま甲板に大剣が激突すれば、甲板はあっさりと破壊されて船内に入り込めるだろう。
だが、この予想は大きく外れる。
カキィン!と、まるで野球でホームランを打ったかのごとく音が響き、
大剣は、甲板から弾き飛ばされた。下に振り下ろすように伝わっていた推進力が逆に反射し、梓の身体を甲板に叩き付けた。
「あふぅっ!」
防御術式の発動が間に合わなかった梓は、背中からの衝撃に息を漏らした。梓が真上の男に、無防備な状態をコンマ数秒晒す形で。
だが、男は小さく笑い、梓には手を出さない。梓はそれを確認し、素早く後ろに飛び退いた後、男に向かって問い掛けた。
「あんた……何のつもり?」
男の実力なら、確実に今の一瞬でも命に関わる術を使われていた。とはいえ、防御術式を構築し終わった梓は死なない自信があるが、少なくとも一撃を食らわせるほどの余裕はあったはずだった。
「だからさぁ、自己紹介するって言ってるだろ?もうちょい待とうぜ青春乙女。まだまだお先は長いってもんだぜ?」
軽やかな口調というよりも、弾むような軽さを称えるその声色は、梓に対して妙な安心感を与えた。
梓がいつでも飛びかかれる体勢を解くと、男は「そうそう!」と待っていたように肯定した。
「ふぅ、俺の名は、神風 凱歌。見てのとーり、普通の人間じゃあない。何だか知らんが、俺はあんたを成長させるための組み手相手にならにゃいかんらしい。面倒くさいのはお互い様だが、ひとまず、よろしくな。」
軽すぎる口調とは裏腹に、律儀に頭を下げる男の姿を見て、梓は疑問符が浮かんだ。自らを敵と名乗るほどのものに問い掛けるほど梓は馬鹿じゃないが、この男の―――神風の性格を持ってみれば、ある程度のことには答えてくれるのではないか、というのが梓の密かな予想であり願いでもある。
梓は願いながら、口を開く。
「一つ、聞いてもいい?」
「おっ、嬉しいねぇ。何なりとーってな。」
この妙な安心感といい、どこか飄々とした雰囲気といい……梓は前生徒会長、木賊をイメージとして当てはめた。
「あのさ……もちろん、真剣勝負……だよね?」
梓の問い掛けに、神風はバツが悪そうにうつむきながら答えた。
「いやまぁ、そうなっちまうんだろうが……俺としても、全力出さなきゃ帰れないのよ。面倒な事に、な。」
何だかごめんな、的な雰囲気を振りまく神風に、梓は二心がないことを悟った。読心術式を密かに使用していたのか、といえばそうではないが、神風の心拍数から嘘はありえなくなったのだ。
さて、と鉄棒を構える神風に、梓も大剣を構える。神風の逆立った黒髪が揺れる。右腕で鉄棒を持ち、左腕は無造作にポケットへと突っ込んだ形で。
梓は野暮な事を聞かなかった。自ら左腕を封じていいのか、と。それは、意味の無い問い掛けだった。
ポケットの中から周到にも、自分の利き足に加速術式をかけていると見抜いてしまえば。
ズガンッ!と、大剣と鉄棒が衝突する大きな音が響いた。
「はぁぁぁぁぁッッッッ!」
梓の唸りが、試合開戦の合図となった。

「やぁ!たぁ、はぁ!」
「そらそらっ、ほいっと。」
余裕綽々と梓の剣閃を避け、梓の背中に一撃を喰らわせる神風に、梓は急に恐怖を覚えた。自分の攻撃を全て避けられ、尚且つその自分によろめくほどの一撃を食らわせてくる。
久し振りに感じる妙な敗北感に、じりじりと退いていく自分の情けない姿が梓の脳裏に映った。
梓は一度引き、大剣を構えなおして神風に向かって一気に走っていった。
「らあぁぁぁぁ!」
「っとと、スキありぃ!」
スキあり、と神風が背中を撃ち抜く梓は、分身だった。
手応えの無さが、神風に一瞬の疑問符を浮かべさせ、時間差で現れた本物の梓からくないが飛んでくるのだった。
だが、神風はふっ、と笑って身を翻した。くないを投げ、尚且つ追撃を加えんとする梓の下まで走って向かった。自己加速術式に全精力をつぎ込んだ神風の速さは、人間が耐え切れる重力の限界などを全て超越し、音速を超える速さで梓の下へと迫った。
結果、梓が気付くよりも早く梓の背後に立ち回り――――
「さーてっ、反撃の時間だな。」
一瞬の間にそう呟いた後、梓の右わきの下に鉄棒を挟みこんだ。そして刹那、梓に捕縛術式を100以上も一瞬で掛けてみせた。
梓は動きを封じられた。
「な、なにをするのっ……?」
「なぁに、ちょっとばかし苦しいだけさ。我慢してくんな。」
神風がそう言った直後、神風の持った銀色の鉄棒が、紫色に輝き始めた。纏い、澱み、迸り―――溢れんばかりにまで膨れ上がった紫色の光は、梓の身体を一気に覆い、包み込んだ。
直後、梓の脳内に、膨大な術構築式が流れ込んだ。
「う、あ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
尋常なほどではない量の知識が梓の脳内に流れ込み、脳内の神経活動量が跳ね上がった。神経が活動すれば、痛みが伝わりやすくなる。ましてや、普通じゃ考えられないほどの負荷を脳に受けつづければ、梓はきっと脳死してしまうだろう。
しかし、神風はそう言うことを狙ったのではない。だが、梓に術構築式を覚えてもらおうなどと馬鹿みたいな成長を狙ったわけでもない。
全ては、脳が何も考えられない状態……ボーっとした状態を作るためだった。
そう神風が思考する間も、梓の脳は負荷を受け続ける。
「あ……あく……は……はぁ……あ……ぁぅ……あか……う……あ……はぇ……い……あぇ……」
梓の目が虚ろになり、焦点がずれ始める。涙はこぼれずに、よだれがゆっくりと口からこぼれ始める。
梓は何も思考できない。思考できるほど脳に許容量がない。脳死しないギリギリのところを狙って、神風が構築式を流しているのだから。
脳内が消失しそうな、変な感覚に梓が囚われた頃――――。
神風は情報流入を停止した。
「あ、う……や……ぁ……」
「どうだい、情報の味は。」
呆然と、傍から見れば恍惚と映るか―――梓を放置して、神風はゆっくりと梓から遠ざかっていった。
何も言わずに、ただ、梓に耳打ちだけをして。
(また、次会うときには、苦しまないで済むようになっとけよ――――)
神風は、自分勝手だと思いながらも、今日の自分の悪事について何も、考えはしなかった。

Comical scene Xiv 孤独な水雨の昼下がり

「はぁ……」
水雨の午後がため息で始まるのは、生まれてこの方何回目だろうか。普段から心労が絶えない水雨の性分を、何よりも象徴しているというのがこのため息だ。
しかし、今日のため息は普段と一つ違うところがあった。失踪した梓を探そうと甲板に躍り出れば、気絶した梓が倒れていたのだから水雨は驚いた。すぐさま浦浪高校のエースが倒れたと言ってヘリを呼び寄せ、梓を先に任務地の病院まで運んでもらったのだ。
そして今さっき来た連絡では、命に別状は無いのだという。安心から漏れたため息だというのが、今日の水雨の違ったところだ。
水雨は連絡を受け、安心したところで昼食をとる事にしたのだ。梓の安否が気掛かりで昼食が喉を通らないなど、夕凪に聞かれたらどういじられるか分かったものではないが。
水雨は船内の食堂の一角に座り、昼食をとる事にした。普通の店よりはかなり割高だが、その分見合った食事を用意しているのだというのだから水雨はなにも言わない。
もとより水雨は高級レストランで散財するよりも、自分で食材を買って料理したり安いもので節約したりするほうが性に合っている。
その水雨が高級レストランで食事をしているところを見て、ちらほらと見かける同校同期の女子生徒が桃色の視線を送っているところは、水雨の心中を知ればなんという皮肉か知る事が出来よう。

昼食をとり、一息つく水雨は端末を開く。夕凪に頼まれた重圧についての始末書を、明日の午後までにまとめなければならないのを思い出したのだ。
食堂の雰囲気は好きじゃない水雨だが、たったひとりで部屋にこもるのもいささかどうかとおもう水雨だった。適度の賑わいを保っている空間で作業をするほうが、はかどらなくても少しは健康的かと思ったのだ。
しかし、そんな水雨に更なる「贅沢な不幸」が降り注ぐ。
「あの……水雨副会長さん、ですよね……?」
「ああ。確かにそうだが……君は?」
食堂の奥から歩み寄ってきた一人の女子生徒は、一期生カラーに装飾された絶対聖義の紋章のついた制服を着用していた。しかし、普段から同じクラスという枠組みで会う事のない生徒同士は、特別友達や顔見知りでない限り、名前すら知らないというのが現状としてある。
女子生徒は、ちょっと良いですか?と水雨の対面を指差した。名乗りが先じゃないのか、と思った水雨だが、女子生徒が悪い者には見えなかったので、小さくああ。と肯定した。
「あの、私……玄武 慈衣と言います。名前は、ころもって読むんですけど。水雨副会長に聞きたいことがあって。」
何だか強そうな苗字に、儚い名前だな。水雨は慈衣の話を聞く事にした。
「何だ?副会長とは言え、知識量としては他の生徒と変わらないが。」
「良いんです。私、次の任務についてちょっと興味があって。」
慈衣の話は、なぜ副会長レベルの実力者が、普通の一般生徒レベルの任務地に向かっているのか。もちろん、位が低い生徒さんを侮辱しての話ではないんですけど、何で副会長さんがわざわざ船などを使って移動しているんですか?というものだった。
水雨は、期待させてすまないが。と前打って慈衣の問いに答えるのだった。
「次の任務には、生徒会には一般生徒とは違う任務が課されている。……それを受理したのが、俺だったというだけだ。」
そうなんですか……と蚊帳の外のような反応をする慈衣に、苦笑して応える水雨。しかし、水雨はこうも言って見せた。
「慈衣、と言ったか。慈衣の働き如何では、俺が付き添って任務に参加させてやっても良いが。」
と水雨が言って見せると、慈衣は本当ですか!?と目を輝かせた。生徒会に降りてくる任務には、何も生徒会役員が必ず遂行せよ。というモノではない。実力の無いものが単位を求めて受理し、任務を失敗する事を恐れての措置なのだから。
いや、むしろ実力者を育成したい学校側としては、自分よりも高レベルの戦場を経験させる事での成長を促せるというのだから、至れり尽せりと言ったところだろう。
増してや今回の任務なら、何も生徒会が出なくても零を一人戦場に投入すれば良い話であろう、というのが水雨の見解だった。まぁ、重圧の標的であり何より一期生のみならない影響力をもつ零に上層部直属の任務が行ったのでは、今度は生徒会の信用が揺らぐ事になろうが。
早速働き如何についての話になったとき、水雨は簡単な条件を提示した。
「もちろん……いや、何でもない。それより、パートナーは同行しているか?」
水雨がもちろん、というのを言い換えたのは、前シーズンでの戦死者にもし、慈衣のパートナーが含まれていた時の事を配慮してのものだ。
水雨のその悪い予感は、的中した。
「パートナーはその、前シーズンで……すみません。」
「……いいや、悪かった。俺の配慮が足りなかったという事に、しておいてくれ。」
暗くなった場を盛り返すが如く、水雨はいつもよりトーンを若干上げて慈衣に条件を提示する。
「一人か。ならば、俺が付こう。それで悪くなければ、次に行きたいのだが。」
「えっ!?副会長さんがですか!?あ、ありがたいです!」
慈衣が大人しそうなイメージを翻して大きな声で応じたので、先ほどの負い目を挽回する事は出来たか……。と水雨は心の中で安堵の息を漏らした。
水雨はコーヒーを二杯頼み、慈衣に詳細の説明をする。
「これが次の任務地の地図だが……既に情報は仕入れているな?」
はい。と短い返答をする慈衣に、イメージ通りの真面目さを感じた水雨は、前のシーズンで死ななかった要因を一つ、掴んだ気がした。
次の任務地では、自国の駐屯地から端末を使い、任務地となっている戦場へと学生が投入される作戦だ。
今回の戦場は敵国の駐屯地とその周辺で、戦局の奪回を目論む駐屯軍を潰し戦局暗転の可能性を削減するというものだ。
言わば、駐屯地に在註している敵国兵士や兵器をぶっ潰せという事だ。そっちのほうが分かりやすいですね、と言ってみせる慈衣にデジャヴを覚える水雨だが、気にしているとキリが無さそうなので無視した。
地図から見ると、一般学生の進軍ルートは南から東へ回り、大きく戦場をなめるようにカーブして北へと向かい、敗走軍には手を出さない、とある。
しかし、生徒会進軍ルートはその逆。南側から、兵器兵士の倉庫や要塞化している西側へと単身一騎で攻め込み、暗躍するように書類を掠め取り、最終的に書類を送信した後的となって全てを破壊する……という危険度しか感じないルートだが、これで終わりではない。
正規学生や正規軍が敵を敗走させた後は、敗走軍を追跡、次の要塞も破壊するというルートになっているのだ。
水雨は、この任務は密かに自分ひとりで遂行しようと考えていたが、息抜きさせようとしていた梓が再起不能となった今、隠す必要も何もなくなったというのが現状だ。
増してや、ここまで意欲と観察眼のある後輩が自分に頼み込んできたのだ、その頼みを無下にするほど水雨も悪びれたつもりはない。
梓の代わりといっては頼りないが、今度は自分が頼りにされるのも悪くない、と思い始めていた水雨だ。
「こんなに大変なんですね、生徒会のお仕事って……。」
戦場の危険ルートに踏み込んでいく生徒会の姿を想像したのか、慈衣は水雨のことをさらに尊敬しているようだった。
「別に謙遜ではないが、汚れ役は誰かが引き受けなければならない。それだけだ。生徒会に入ると、生には死が纏わりついているのだな、とよく感じるよ……」
そう言ってコーヒーを口に運ぶ水雨に慈衣は、優しい人なんだな、という思いを抱く事になった。冷静に自分の立場を考えて行動しながらも、気配りを忘れない水雨の生き方に、真似できないと思いながらも真似できるように努力しようと思う慈衣であった。
コーヒーを飲み込んだ水雨は、慈衣の顔を見てふと思った。
「そういえば、武器は何だ?」
慈衣の武器を、よく思えば聞いていなかった。よくよく考えれば水雨も明かしてはいないが、自分の知名度を考えれば言い出す必要もないかと思った。
水雨が問うと、慈衣は言った。
「何でも、です。」
何でも?水雨が首をかしげると、慈衣は得意げに、はい。とだけ答えた。
慈衣は、使えるものなら何でも使う、と言った。確かに、戦場では使えるものは何でも使ったほうが知識的にも長生きできるといえばそうだが、幾多の選択肢に悩んでいる間に命を落とすのもまた戦場である。臨機応変になるのも良いが、器用貧乏では話にならないのが現実、といったところか。
そう言うと、慈衣は右手をすっと出して、やってみせた。
ナイフ、短剣、小刀、片手剣、双剣、杖、銃、二丁拳銃、レイピア、刀、二刀。何でもというのは嘘でしたけど、どうです?と誇らしげにほんの少しだけ胸を張る慈衣の姿に、水雨は感服した。
ただ、水雨が驚いたのは、レパートリーの多さではない。数々の武器を形成する、大量かつ繊細な術力にだ。
慈衣は、武器を手にとって戦うのではない。自分で武器を作り出し、それを装備して戦っているのだ。増してやイメージとなる見本は無く、自らでイメージの段階から作り出しているというのだから水雨は驚いた。
だとするならば。水雨は問い掛ける。
「……なら、片手剣を、最高の切れ味で発現させられる時間は、連続約何時間だ?」
短ければ、意味がない。水雨は問題をしらみつぶしに消していこうと試みたのだった。まぁ、圧倒的に短い時間しか形成できないほどの武器を、自らの主要武器とするほど愚かしくはないだろうと踏んでいる水雨でもあったが。
水雨が挑戦的に問うと、慈衣は待ってましたとばかりに答えるのだった。
「限界までやった事はありませんが、片手剣なら一日中でも大丈夫です。今までの限界は三日ですけど……」
武器を握る事を良しとしなさそうな慈衣がなぜ、三日も片手剣を発現していたのか、は謎だが、水雨はとりあえず大丈夫だという事を確信した。絶対聖義のクラスに入るくらいなら、術式の得手不得手は問題にならない。苦手な分野でも、実戦に使えるぐらいのレベルでないと絶対聖義には入れないからだ。
水雨は、机に置いてある空のコーヒーカップを見て、かなりの時間がたっていることに気付いた。
「……慈衣、悪い。かなりの時間が経ってしまったようだ。早く済ませるはずだったのだが……すまない。」
水雨が謝ると、慈衣は、そんなの全然良いんです。と微笑みながら答えた。食堂を出ようとレジに行く水雨に、慈衣が後ろから声を掛けた。
「あの、その……この後、予定とか、ありますか……?」
どこか恐る恐る問い掛けているような慈衣に、水雨は反射的に優しげに答える。
「別に……何も無いが?自分の部屋に戻ろうと思っている。」
慈衣は、水雨のその言葉を聞いて、決断したように大きく言う。
「あの……私も、一緒に行っては、ダメでしょうか……?」
引き続き恐る恐る問う慈衣に、水雨は怖がられているのか?という思いを抱きつつ、慈衣に言った。
「構わないが、慈衣には自分の部屋があるのだろう?」
「良いんです。一人であんなに広い部屋に居るのは、寂しくて……」
本当に寂しいのかはどうかとして、儚げな声色が寂しさを強調しているように感じた水雨は、特に否定する理由も無かったので許可するのだった。梓が居るのなら断る理由もあったものだが、自分としても一人は寂しいし、後輩の頼みを断って悦するなどという特殊な性格というわけでもない。
構わない、ついて来い――――――。
この二言が、水雨を突き動かす挙動となった。

水雨は布団が敷き詰められた自分の部屋に、慈衣を招待した。
布団が敷き詰められている理由についてはしっかりと言い訳した後、慈衣に布団を片付けてもらった。
布団が片付けられるなり、水雨は机に向かい端末を開いた。食堂で作成するはずだった始末書のまとめを作成するためにだ。
端末のキーを打つ音が部屋に響き始めた頃、慈衣は水雨に問い掛けた。
「何の作業をしているんですか?」
慈衣の問い掛けに、水雨は動じる事無く条件反射のように淡々と答える。
「報告書の作成だ。」
淡々と、質実剛健という言葉を体現するような水雨の言葉に、慈衣は感心した。浦浪高校屈指の実力者として謳われる生徒会役員は、実力をひけらかすような事は一切せず、粛々と責務を果たしている事実に。

粛々と責務を果たす……その姿勢こそが生んだ実力だと言われればそこまでだが、能ある鷹は爪を隠す―――文明の発達と共に失われていく礎に、ことわざがならない理由を慈衣は感じた。
どれだけ文明が発達しようとも、どれだけの人が狂気によって手駒にされようとも。ことわざの意味を持つ人はどの時代にもいるんだ、慈衣は感じた。
そのことわざの通り、不完全な実力を持っている者ほど実力をひけらかす傾向にあるのは、慈衣がいま気付いた面白い真実だ。
しかし、慈衣は改めて思い知る。一般生徒であるか、生徒会に所属しえるほどの実力を持っているか。それだけで、抱える責務の大きさや覚悟の大きさがここまで違うとは、と。国から直属の任務や要請が降りてきていたり、上層部から暗躍任務などが降りてきたりしていることを知らない慈衣だが、その時点でもはや学生という枠を越えていると思う。
今指揮棒を振るっている大人なんかよりも、きっと責任を重んじる大人になるんだろうな、生徒会の人達は。慈衣は羨ましくもあり、また恐ろしくもあるのだった。

「ふぅ……」
水雨がそう息を吐いたのは、報告書の作成と偽った始末書のまとめが終了したからだ。書類を送信すると、数秒後に夕凪から連絡が入った。
「悪い、少し外に出てくる。」
慈衣にそう断って部屋の外に出た水雨は、部屋の入り口に背を預けて携帯端末を耳に押し当てた。
〈ねぇねぇ水雨くん、そろそろ勘弁してくれても良いんじゃないのかな?〉
そう言う夕凪に、何の事か全く見当のつかない水雨は、何の事だ。と真剣に返した。すると、夕凪はわざとらしくため息を吐いて、あれだよぉ、あれ。と言ってきた。
〈一応浦浪高校の生徒会って三人は居たはずなんだけど、その内二人が遊びに行っちゃってさ……毎日毎日会議が寂しいよぉ、ってお話。〉
「聞き飽きたな。お前一人で学校内の大抵の問題は解決できているだろう。言う事は無いハズだ。」
だから、わたしは寂しいって言ってんの!と反論する夕凪の檄を聞き流し、水雨はそういえば……内心考え込む。
元々、水雨と梓がいなくなると言う事は、浦浪高校の治安悪化の歯止めが無くなり、廃校になる可能性を生むとすら言われ、非常に危惧されていた。
しかし、二人の代役として職務を務めている夕凪の手腕が、最近では次々と明らかになり……高校内で起きた事件全てを夕凪が出向いて審議し、書類作成も毎回夕凪一人でやり、尚且つ目安箱の投書返信なども全部夕凪がやってのけていた。
その事から、最近ではいてもいなくても同じなんじゃね?またはいるだろうけど最近姿見ないな……などの意識が他の生徒間では広まっており、夕凪一人でも十分やっていけるよなという思いが上層部でも起きつつあるという。
まぁ水雨も梓も、活動を校内から校外にシフトチェンジし、生徒会としてだけで無く日本国の学生として最高クラスの働きを収めているのだから、職務怠慢で解任される事は無いであろうが。
〈もう、寂しいんだからね!早く帰ってきてよ風雅!〉
「梓のモノマネはいい。似てるから。ちょっとギョッとするから。……本当にすまない。」
すまない。水雨が心から謝ると、夕凪は別にいーよ。と普段の通り挨拶を返して見せた。彼女自身、分身スキルがあるため職務についてはあまり疲れていないのだ。
それより、夕凪には他に連絡事項があるのだった。
〈えと、それは案外どうでも良くってさ。水雨くんに聞いといて欲しい話があるんだけど。〉
声のトーン、そして今。水雨は、任務に出る前に梓から聞いた話を思い返して直感的に判断した。
「―――、零のことか?」
〈ご名答。今日も先読みは健在だねー。〉
それが、どうした?と真剣な声色で聞く水雨に、夕凪は今日だけの任務達成数を報告したのだった。
「任務達成数、37だと……?」
〈ねぇ、やっぱヤバイよね?しかも全部が全部魔物討伐任務。零くんちょっと考えが変わった程度の話じゃ無さそうなんだけど。〉
何か知ってる?と問い掛けてくる夕凪に、水雨は一瞬話すべきか悩んだが、零の異変を話すことにした。梓が朝遭遇したという、恐ろしい零の話を。
いつもの優しさや冷静さを欠き、感情を前に押し出してくる零の姿。梓は信頼を寄せていたからこそ、信じられなくまた衝撃的だった。ただ、絶対に何かがあったと確信できるほどの変化であったからか、梓は悲しくは無いといっていた。
全てを話すと、夕凪はハッとしたように口調を改めた。
〈……重圧の影響かもしれない。水雨くん、重圧の詳細は端末に文面で送るから、それを見て。たぶんこれが原因だから。〉
分かった。と短い返答を水雨が返すと、夕凪は端末の連絡を切った。水雨が身を翻して部屋の中に入ると、怪訝そうな顔をした慈衣が水雨を見つめた。
「何かあったんですか?ずいぶんと話し込まれていたようですが……」
「ああ。私事だが、俺にとっては重要だったというだけの話だ。」
そうですか……。と心配そうな目線を向けてくる慈衣に、気持ちはありがとう。とだけ言って再び水雨は端末を開く.予想していた通り受信フォルダに〈零くんの話〉というメッセージが入っていた。それを開くと、水雨もにわかには信じ難い重圧の詳細が記載されていた。国家機密文書として上層部から手渡された一部が、送信されてきたのだった。
コード【死の雨】カテゴリ:重圧 [機密]No.1324
今期の重圧は、前期の木賊事件並みの「戦死者」を出した。木賊事件との違いは、重圧実行者の性質で、木賊事件は実行者全員が絶対聖義級の力量を持っていた他校の学生+浮華の生徒であったのに対し、今回の事件首謀者並びに実行者全員が浮華の生徒であった。
尚、今回の一万名を全て殺害粛清したのは、浦浪高校生徒流転光明所属生、去月 零である。粛清概要としては、去月が一万の中心に立ち、協力者生徒会会計夕凪の拡幅術式を介した銃弾の雨で約七千を粛清、残り三千を自らの手によって粛清した。
断罪者 去月は罪に問わず、また今回の事は口外禁止とする。また、情報共有は原則として禁止。協力者夕凪もまた同様とする。

(一万……か。これは心変わりも納得だな。)
端末を閉じた水雨は、どうしたものか……と考え込むのだった。普通に考えて、一万の命をたった一人で奪うなどそれ自体が普通ではない。増してや他人の思いを人一倍抱え込みやすく、柚未を守ることに対しての執着も強い零なりの、成長といえば成長だとも言える。
一万人もの人を殺し、零は気付いてしまったのだろう。何事にも透明で、何事にも一直線なだけでは守りたいものを守れないのだと。梓や水雨、柚未が戦えるのは、個々の思いや目的がカラーとなって表れているからなのだと。
人を守るのは、ただ守りたいから……ではダメ。
人を思いやるのは、ただそうしたいから……ではダメ。
人を殺すのは、自分が殺されないため……ではダメ。
少しは自分の中に闇を植え付けないと、ここから先には進めないのだと。
ただただ透明な美しさを誇る、ダイヤモンドの瓦解。
何よりも正直であり、熱く燃え盛る輝きを失わないルビー。
いつまでも冷静で、深い奥底に微笑みを称えるサファイア。
穏やかであり、また何よりも明るく全てを照らすトパーズ。
三つの輝きに憧れたダイヤモンドが、自らの輝きを破壊したのだ。
それでもまだ、零のあの変化を成長と言う事が出来るだろうか。
答えは、どこにも無い。あるはずが無い。本人が出す想いこそ、それが答えとなる。水雨は知っている。答えは他人や自分以外の何かに求めるべきものではないのだと。答えに対する手がかりなら知っている者もいるだろうが、その信憑性は限りなく低い事を、水雨は知っている。
思考を回転させつづけていた水雨は、疲れたように無心で床に寝転がる事にした。部屋の奥では慈衣が何やら勉強のようなものをしているようだが、水雨は気に留める事無くそのまま瞳を閉じるのだった。
濁り始めたダイヤモンドの輝きを、思い出のように噛み締めながら。

Comical scene Xvi-ii 副会長の……

「っと。これで今日の分は終わり。」
そう言って、術式構造-計算式の始祖-と書かれた教科書よりも数段分厚い――――参考書であろう本を閉じた慈衣は、息を小さく吐いて一段落していた。
ふと耳を澄ますと、先ほどまで鳴っていた端末のキーを打つ音が聞こえなくなっているのに気付いた慈衣は、端末のある方―――水雨のいるほうへと振り返った。
すると、端末のある机に水雨の姿は無く、代わりに何も敷いていない無機質な床に寝転がっている水雨を発見した。
(水雨副会長、お疲れでしたか。空調効き気味のこの部屋で何もかけていないと風邪を引いてしまいますね……。)
うーん……と悩んだ慈衣は、薄手の肌かけを掛けておくことにした。ゆっくりと優しく、ほんの少しの緊張感を抱いて、慈衣は肌掛け任務を完了した。
慈衣が肌掛けを水雨に掛けると、水雨はほんの少しだけ動いて肌掛けを握り締めた。
その一部始終を見ていた慈衣は何だか一気に水雨が可愛く思えてきて、一瞬で赤面した。
(……い、今のは、反則ですよぉ副会長……)
一気に母性本能をくすぐられた慈衣は、思わず抱きつきたくなっている自分の思考をゆっくりと諌め、壁に小さく掛けてある掛け時計を見つめた。PM4:53とデジタルで表示されているその時計は、アナログ機能も搭載されていて針も同時に時間を刻んでいた。
午後五時前というこの状況。原因不明の事故によって到着時間が送れているとは言え、到着予定時間まであと二時間近くある。
どうやって過ごそうかな……と思っていると、目の前に寝ている水雨の姿が目に入った。直後、慈衣は本当に生唾を飲み込んで、大人しく儚いイメージを相手に抱かせるであろう顔を微笑ませて、とっても意欲的なことを考えるのだった。
ついさっき諌めた筈の本能が働きまくっているが、慈衣は気にしていない。
(副会長が……いけないんですよ……?)
慈衣は水雨の背中に自分の背中をくっつける形で、床に寝転んだ。この際、床の固さや冷たさは全く気にならない。ただ、背中から伝わってくる体温が、慈衣の鼓動を跳ね上がらせる。
もし起きてしまったらどうしよう。もしバレてしまったらどうしよう。そんな恐怖や背徳感がよぎりながらも、慈衣の本能の炎は止まらなかった。
(あぁうぅ……気持ちよくなって……きた……)
慈衣は愉悦に満たされながら、背中の体温に溶けていくかの如く―――――眠りについた。

Main episode 16 生徒会ルートの危険度

目を覚ました水雨は、無機質な床に痛みを発し始めている右半分の身体に対して、背中に感じる温もりに違和感を覚えた。
(……何だ、慈衣か……)
なにかと思ったぞ……とため息を吐く水雨だが、「くぅ……くぅ……」と何とも心地よさそうな寝息を立てている慈衣を、とても起こす気にはなれなかった。
仕方ない。心の中でそう呟きつつ、水雨は起こさないように慈衣をおぶり、船から出るのだった。
船の廊下を歩いている時は結構な注目を集め、ほんの少しだけ恥ずかしかったものの、着いて案外すぐに滞在先として用意された施設があり、水雨が脚光を浴びた時間はあまり長くなかった。
水雨が施設に着くや否や、滞在先の者が水雨を本人確認し、案内し始めるのを見ると水雨は危機感を覚えた。
(恐らくだが……このまま先に進めば、俺はとんでもない窮地に立たされそうな気が……)
おそらく梓の下に案内されているであろう自分、そして慈衣をおぶっている今の状況。慈衣の姿を見た梓が自分に何をしてくるかは、何度となく身を持って体験してきた水雨にとって何よりも明確な事かつ危険なものだった。
「……ちょっと待ってくれ、その前に個室へ案内してはくれないか?」
ポカーンとした表情で案内人が首を傾げるが、対して真剣な面持ちの水雨を見ると、案内人は疑問を抱きながらも水雨を案内してくれた。
梓から一番初めに案内するように懇願され、さぞ迷惑であった事だろう案内人に若干謝念を抱きつつ、水雨は歩調が少し遅めな案内人の後ろをついていった。
案内人に案内されて着いた先は、何の変哲もないホテルの一室のような部屋だった。
(……慈衣、少しだけ待っていてくれ。)
案内人を待機させて、水雨は個室内のベッドに慈衣を寝かせた。幸せそうに寝息を立てる慈衣の枕もとに書置きをし、念のために案内人から場所を聞き出して自分で向かった。

「無駄に装飾のついたエレベーターだな……目が痛い。」
低い天井に全くもって釣り合わない、頭上のシャンデリアに視線を向けて水雨は呟いた。ボタン一つにも装飾が施されているその入念さには、水雨の性格上からなのか驚きや感心よりも呆れを感じてしまう今日この頃である。
そうした装飾が施されながらも、エレベーターとしての技術は高性能。静穏さと小さい挙動が織り交ざった停止感を全く感じさせないまま、水雨の前方の扉が音を鳴らして開く。
そうして広がった視界の先にいたのは、ベッドの上で水雨の到着を祝う梓だった。
「あ、わーい風雅!来てくれたんだぁ!」
「任務だからな。来なければいけない。」
そうじゃないけどとりあえず大好きー!とベッドの横で身体をかがめる水雨の胸に抱きつく梓。
だが、梓は敏感に感じ取った。感じ取ると同時に、梓の表情から屈託のない笑みが消えていく。
「風雅……浮気、した?」
水雨の体から嗅いだ事のない香水の匂いを敏感に感じ取った梓は、まぁ隠すわけでもなかったが。とため息をつく水雨の瞳を睨む。
一方、最愛の怪我人に睨まれるという奇妙な状況に陥った水雨は、睨む梓に正直に話すことにした。
「浮気、というには色々と足りないが……。後輩に任務監督を頼み込まれてな。後輩に色々な説明をしていたら、後輩が睡魔に倒れてしまった。後輩をおぶってここまで来た所だ。」
半分事実、半分嘘の水雨の供述に、嘘をつくのも見抜くのも実は苦手な梓は、水雨の供述に納得し、睨みを解いた。
梓に、任務遂行は無理だった。
大剣は握れず、持ち上げる事も出来ない。くないは投げられるが飛距離が格段に落ちて殺傷能力はゼロ。頼みの忍術も、筋力がなければ発動出来ないためこの任務中の戦線復帰は無理だった。
梓は水雨に謝りながらそう告げたが、実は理想で予想通りだった水雨は予想通りだ、と告げて梓の頭を優しく撫でた。
くうぅん♪と嬉しさを滲ませた嗚咽を漏らした梓に、水雨はふっ、と優しく微笑みかけて部屋を去っていった。
梓が水雨が去った後、「水雨が欲しい症候群」を発症したのは言うまでもない。


Main episode 16-2 望まない暗さ

零は人を斬っていた。
「お前か、違う。お前か、違う!」
任務地として設定されていた街の外れで、零は逃走した窃盗団の主犯格を捕まえようとしている最中だった。窃盗団を捕縛術式で逃走できなくし、逃走車両ごと捕縛した零は窃盗団をしらみつぶしに一人ずつ殺していた。
同じ変装をした窃盗団員を一人ずつ見ていき、主犯格のトレードマークの服の刺繍が無い者を殺すという残虐性に満ちた判断方法を零は行動として取っていた。
零が殺している窃盗団は、強盗に近い者達だった。民家に多人数で押し入り、少女を拉致して母親を殺し、金品を盗んで逃走していたのだ。先に誰かを殺している窃盗団を殺した所で、主犯格を引き渡しさえすれば文句無しの殺しオッケーな任務に、零の心は痛みの吐き所を覚えたのだった。
そう感じながらも消去法で主犯格へと行き着いた零は、主犯格の胸倉を掴み上げて、失神させた。
一度窒息させ、酸素供給を阻止して意識を奪ったところで、酸素供給を再開させて一命を取り留めさせる手荒い方法で。
「……こんなもんか。つまんないなぁ、つまんないねぇ!」
大きな叫び声と共に銃を空へと撃ち放つ零に、人質として拉致されていた少女がおそるおそる歩み寄ってきた。
「あの……たすけてくれて、ありがとうございま……す……。」
銃を撃ちながら恐ろしい笑みを浮かべる零に、一種の狂気を感じた少女はびくっ、と身体をびくつかせて零から一歩足を退いた。
足を退く少女に気が付いた零は、今にも泣き出しそうな不安げな瞳で自分を見つめる少女に向かって、問い掛けた。
「……両親はいるのか。」
「お母さん、お父さん……死んじゃって……うえぇん……」
両親はいない。保護者がいなければ、この子はどうなるのだろう。
零は面倒だった。
始末しよう。事故だったと、主犯格が錯乱して殺してしまったと、言ってしまえばそれで済むじゃないか。零が少女に銃口を向けると、少女はまたも不安そうに瞳を涙に潤ませて、零に問い掛けた。
「あの、わたし……やだ……そんなの……やだーーーーーーー!」
猛烈に泣き出した少女に、零は一瞬の混乱を覚えた。
何かが被っている。自分の中に潜む何かが、今の少女とシンクロしている。
シンクロしていたのは、言うまでも無い。妹を失った、翌日の自分の姿と、気持ち悪いほどにシンクロしていた。
(望むから、悲しむ。望まなければ、悲しまない。そうだった、ハズなのに――――)
零が失った光の欠片を、少女がつむいでいくようだった。少女の泣き声、姿が全て零を目覚めさせる糧となっていく。
失ったかつての希望を、ほんの少しだけ取り戻した零の次の一言は、意外なものだった。
「……名前は、なんだ?」
零は、この少女を養っていくと決めた。この少女を寮に連れて帰り、暗黒に触れさせずに育てていくと決めたのだ。
「うぇ……?あた、しっ……すず……か、涼香って……」
「涼香、か……俺と一緒に来い。お前を育てる。」
ぇ、な……?と混乱し始めた少女―――――涼香を昏倒させて、零は歩んでいった。先ほど、こちらに駆けてきた足取りとは、似ているようで違う足取りで。

高校に帰ってきた零は、さっそく単位取得をし、自分の部屋へと戻った。
小さな挙動と共に発進したエレベーターに、傍らの少女、涼香は驚きを覚えているようだった。都心部とそれほど変わらず、それ以上のところもある技術の塊は、郊外出身の涼香には目新しいものだったのだろう。
小気味の良い停止音と共に目の前の扉が開く。零が早足で寮部屋へと歩んでいくと、後ろの涼香も急いで零についていった。
零が部屋に入ると、零のパートナーである彼女が、二人を出迎えた。
「おかえり、零。何にする?――――って誰!?」
「ちょっと待ってろ。説明する。」
強い語気に、迸る気迫。零の状態は相変わらずだったが、傍らで首をかしげて柚未を見つめる涼香は、怖がっている様子は無かった。
柚未は、シャワーを浴びに入ってしまった零を見計らって、涼香と少し話をする事にした。
「あなたのこと、教えて?さっきの男の人と一緒に住んでるから、安心して。」
柚未がそう言うと、涼香は微笑んでうん!と答えた。
山吹色に煌く、瞳をまばたかせて。

シャワーから上がった零は、柚未と楽しそうに雑談している涼香を横目に、冷蔵庫からジュースを取り出し一気に飲み干した。
取り出したりんごジュースの缶を見つめて、りんご独特の爽やかな酸味を喉で感じた後、零は自分の中に渦巻く大いなる矛盾に、瞳を背けながらため息をついていた。
(俺は……もう嫌なんだ……失うのが、もう……)
零は、迷っていた。
柚未が好きだ。それは揺るがない事実なのだが、柚未を好きになればなるほど、柚未が危険に晒されていくのが嫌だったのだ。
事実、柚未は零と出会い、今までに無い事を経験し、何度も命の危機にさらされていた。昔に自分で自分をねじ伏せ、心の奥底に封印したはずの自分の闇が、再び覚醒してしまうほどに。
さらに、柚未の心は着実に闇に染まりつつあった。零に出会ってしまったが為に、自ら封印したはずの強大すぎる闇に、また自分で自分を染めていってしまうのだ。しかしそれは柚未にとって、回避できない一つの事柄だった。零を好きだという思いが闇を押さえる心よりも強くなれば、闇も自分の一部。つまりは、闇も零に向けて闇色の愛を向け始めるのだ。
闇色の愛というのは、もはや言うまでも無く歪んだ愛のこと。柚未の闇の兆候は、戦場での梓の証言を聞いたとき既に感付いてはいた。水雨を屠る程の実力に、序列や理性を失った言動は狂気を色濃く称えていた。
柚未のそう言った兆候は、零に対しても着実に、少しずつではあるが重さを増して零の心にのしかかった。
そういった色々な気掛かりが、零の心の中で小さい爆発を起こし、表面化しきれないまま零に色々なモノを失わせる理由となった。
零は柚未にこれ以上背負わせまいと、何とか柚未を自分から遠ざけようと苦しみながらも、突き放すような言動と態度を取りつづける。
「涼香を引き取って育てる。俺の独断だから柚未はしなくていい。」
「えっ?何でよ零、あたしも育てるの応援して……「大丈夫だから。」」
強引に柚未を突き放し、涼香に来るように声を掛けて自分の部屋へと入る零。ほんの少しだけ不思議そうな表情をした涼香は、寂しさを滲ませ、暗さを帯びた表情を落とす柚未にまたあした、おやすみ。と、無垢に笑って零の後をついていった。
(零……)
柚未は泣き出しそうな目元を押さえて、寝室のベッドへと身を投げるのだった。

〈また、泣いてるの?〉
柚未の脳内では、柚未の裏がまた覚醒しつつあるのだった。裏はまた悪戯に笑いながら、本当に心配そうな声色を表に投げかける。
「……うえぇん……れいぃ……どうして……どうしてよ……」
〈また、零くんの事で泣いてるの?〉
うん……と柚未は悔しさを感じながらも、裏の言葉に対して肯定で応じ返した。すると、裏は悪戯に笑いながら、また口を開く。

〈吹っ切れないんだろうね……零くんに突き放されて辛いでしょ?〉
そんなの……あんたになんか関係ないでしょ……
〈ううん、あたしだって柚未だよ。だから……関係はあるんだよ?〉
だって……だってあんたに言ったって解決はしないじゃない……!
〈そんな悲しいこと言わないで欲しいな。話せば楽になれる事もあるってこと、知らないのかな?〉
そう言って、また泣いたあたしを乗っ取るんでしょ……?
〈そうやって疑ってばっかりじゃ、自分の辛さにも素直になれないと思うけど?〉
そんな言い方したって、あたしは揺らがないから……
〈それはただの頑固って言うんだよ?柔軟性を失い、素直さを欠いた選択にしかなってないと思うけど。〉
そんな理屈で押し切れるほどの考えなら……あたしは、もう!
〈理屈で押し切った事も無いくせに、よく言うよねー。あーもうじれったくて。体借りるよ!〉
うっ―――――ダメ、だか……ら……

「ふぅ……代わりって有効的だよねぇ。」
覚醒した闇はベッドから立ち上がり、早速寝室を出るのだった。廊下を歩き進み、零が居るであろう書斎のドアノブに、柚未は手をかけた。
涼香の無邪気の声が聞こえないのを判断し、ドアが抵抗無く開いたのに軽く安堵し――――。柚未は零の下へと詰め寄った。
「……何だ?」
距離を取ろうとする警戒心が、もはや敵対心にまで発展し始めている零の声色を軽く無視し、柚未は涼香が眠っているのを確認し手荒な手段をとった。
「何の真似だ。」
振り返った零に対し、柚未は刀を抜くという敵対心には敵対心を的な行動をとった。
「そう言いたいのはこっちだよ。あからさまに嫌な態度とりやがってさ。気持ち悪いんだよ、正直さ。あんなに素直だったあんたが、ここまでねちっこい真似し始めんのは。」
柚未の声色から、かつてない気迫と覚悟を感じ取った零は、柚未の背後に一瞬で詰め寄って涼香の持っていた短剣を首に押し当てる。
「何があったかは知らないが……嘗めるなよ。俺には俺の考えがあるんだ。」
零の持つ短剣が柚未の首を軽く斬り、傷口から血が伝う。熱を帯びた零の手が、零にも揺るがない覚悟があることを何よりも象徴していた。
そんな零に、柚未は挑戦的な姿勢を緩めるような事はしなかった。
「嘗めないで欲しいのはこっちの方。そのまま殺せるもんなら殺してみなよ。それで気が済むほどの激情ならね。」
柚未には、何の術式もかかっていない。そう、全くの生身。そのまま零が頚動脈を断ち切れば、柚未の首から大量の血が噴出し、柚未は死に至るだろう。
その事実を知った零は、首に押し当てていた短剣を引き、涼香の胸元へと戻した。
「……怖気ついたの?」
柚未は違うと分かっていても、零に対しての挑発を緩めない。裏の柚未がとった作戦は、挑発による揺さぶりで零の本心を引っ張り出そうとしているのだ。
「そう思うか。俺と一緒に外に出ろ。話したいことがある。」
零が銃と剣を携えようとするところをすかさず、柚未は見逃さなかった。
「何のために、武器を持つの?話だよね?」
柚未は刀を床において、傷口に塩を塗るような形で挑発した。零は何も言わずに、武器を置いて寮の部屋を出た。
(ふぅん……鍵閉めていかなくちゃ!)
涼香が居るのだ、鍵を閉めなくては。柚未は寮部屋の鍵を閉め、早足でどこかへ向かう零を追いかけるのだった。

外は既に真っ暗で、時刻は午後八時を回ったところだった。自分が表と会話していた時間が異様に長かったのか、と柚未は若干驚きを覚えつつ零についていく。
零は立ち止まると、丘の上に一つだけあるベンチに腰掛けた。柚未が座るためにあけたのだろう、零の横にほんの少しだけ開いたスペースに、柚未は腰掛ける。
互いに、素直になれていないだけ――――。梓がこの場にいれば、無邪気に無意識に二人のことを分析して結び付けてくれるであろうが……不幸な事に二人は互いを理解する事が出来ないままである。
「柚未……言いたい事がある。口を挟まないで聞いて欲しい。その後、柚未の話もちゃんと聞くから。」
そう前もって言う零の声色は、輝きを失う前と同じだった。
「柚未、俺は……今まで、手に入れると望んだものは全て手に入れてきた。強さも、力も、器用さも、銃と剣を同時に扱える能力も。全部自分で望んで、自分で手に入れてきたんだ。だから、だからなのか分からないけど、手に入れたいと望むものが大きすぎて、手に入れる前に失ってしまうんだ……。今まで手に入れたいと誓ったものは全部手に入れてきたはずなのに、手に入れすぎたのかもしれない。俺が手に入れたいと思うものすべてが、全部壊れていってしまうんだ……目の前で、血塗れになって。目の前で、泣き叫んで。それを隠そうとしているらしいけど、全部俺には視えるんだ。望んだから、視えてしまう。望んだから、壊れてしまう。全部が全部、俺が近づいたから、俺を護って壊れてしまう。俺を思って壊れてしまう。もう、怖いんだ。全部、俺のせいで失うのが。もう、耐えられないんだ……」
零はそう言って俯いてしまった。柚未は全てわかっていたような気がしていながら、表の考えを全て語ってみせる。
「零……あたしも言うね。あたしはそうやって、自分に目を向けることも出来なかったんだ。零みたいに、失うとか、護るとか考えないで、ずっとずっと零の事考えてた。零がそうしてこうなっちゃったのか、それしか考えることしか出来なくて、自分に目を向けられなかった。盲目な自分に原因があるんだって事にすら気付かなくて、ずっと現実から目を背けてたんだよ。」
柚未は俯いた零を抱き寄せて、優しく声をかける。
「伝えたい事、全部言って。あたし、今なら何でも受け容れられるから。狂いでも、怒りでも、焦りでも、悲しみでも、あたしは全部―――――。」
「ありがとう……柚未。いや、正確には……二人目の柚未だな。」
柚未は、気付かれていた。零の頭を抱き寄せて撫でながら、胸の高鳴りを抑える事が出来なかったのである。
気付いたんだったら、もう良いかな……?柚未は踏み込もうとする足を、疑問符で押し留める。
「さぁ、誤解も晴れた事だし、帰ろう。」
零が立ち上がり、両手を広げて呟く。柚未は、笑顔に「うん!」と言って零に抱きついた。

時計の秒針が音を刻む―――深夜2時半頃。
「外が……楽しそう……」
眠たげな瞳でそう呟くのは、零に保護され柚未と共に育てられている少女、涼香だ。楽しそう、というのは彼女なりの騒がしさを象徴する言葉であり、楽しさという本来の意味には全く沿わないものだ。
涼香は寝室を出て行こうとしたが、何も言わずに出て行けば心配されるだろうし、逆にちゃんと知らせれば涼香はきっと寝かしつけられてしまうだろう。
……それでも、涼香は利口だった。
「パパ、ママ!お外が、なんか……!」
パパ?ママ?といった調子でのろのろと起き上がる二人に、涼香は外を指差して必死に伝える。
外が何やら騒がしい。数秒後、涼香の言葉を理解した二人は、涼香を連れて寮部屋を出た。寮部屋を出る事が出来たのは涼香としても予想外であったが、やはり正直者が一番なのだという一種の理論は、この一瞬で立てられるであろう。
寮部屋から出て、エレベーターで上へと昇り……騒がしさの中心は、一階のロビーだった。野次馬が集っているその場所は、ロビーの中心をぐるりと取り囲むような形態で野次馬が円を作っており、中心で何かあったのだと思うことは容易だ。
しかし、零がまず着目したのは現場ではなく、その周囲だった。現場は身長的な意味で見る事が敵わない。だったら周囲から情報を手に入れるしかないからだ。
「……教職員だと?」
教職員が現場に出ている。生徒の葬式にも一切参加しない教職員が。生徒よりもてんで実力の無い教職員が、なぜ今ここに居るのか。
ただでさえ重い腰を上げることを渋る地位の者がここにいると言う事は、現場で起きた事柄がよほど深刻であるか重大であることを指しているといっても過言ではないだろう。
数百人規模の野次馬の壁を分け入って進むなど馬鹿なマネはしないが、それ以前に梓と水雨が不在の状況で起きてしまったこの状況が、既に小規模の事件ではなかったと言う事を示しているのかもしれない。
「パパ、なに……?」
「涼香、柚未、一旦帰ろう。こんなに人が居ちゃ埒があかない。明日生徒会にでも顔を出せば教えてもらえるさ。」
ねーねーパパ、ママ、せーとかいってなに?涼香の無邪気な声がロビーから遠ざかる。三人の幸せに誰も気付かない、小さな世界。
零は、違和感を覚えずには、いられなかった。



Comical scene Ⅹvii 涼香の実力

「ほーらぁ、パパ、ママ、早く起きてよ~!」
「う……何事だ……?」
零が枕もとの時計を見ると、時刻は午前5時30分を差していた。まだまだ寝ててもペナルティーはつかない時間帯である。
「涼香は早起きだな……偉い、偉すぎる……」
「えへへー。パパ、ご飯!」
二人と出会って初めての朝なのにも関わらず、柚未が料理を出来ない事を悟っているような口ぶりに、零は驚きを覚えた。実質、今は夏期休暇の時期であるのに、涼香がしっかり早起きしているというのは、彼女の真面目さが現れているのだろう。と感心するばかりの零である。
寝ぼけ眼のまま朝ご飯を作り、涼香にとっても本来寝ている時間、午前5時50分に朝ご飯を食べる零であった。
(涼香……おかわりしそうだな……)
適当に作ったオムライスにがっついている彼女の姿は、将来どことなく男らしい女の子になるであろうと、零を不安にさせずにはおかなかった。

やがて起床時間を迎える頃には、零たち三人は任務が出るまで暇となってしまい、任務中涼香はどうなってしまうのだろう、と考え込むのだった。
「涼香は……戦えないよね。」
そう言う柚未の瞳は、涼香がううん!戦えるよ!と言ってみせる理由付けとなるであろう、涼香の山吹色の瞳に魅入られていた。
言われた側の涼香としても、これは嘘ではない。山吹色の瞳を持つ者……すなわち世治の四聖家の子孫である涼香には、木賊前会長と同じく潜在能力がある。武器も短剣と持ち合わせており、基本的には恐れもの知らずの性格も相まって柚未の先入観は否定された。
「まぁ、理由はどうあれ。この高校に在籍する限りは、単位との関係性は切っても切れないわけだし……」
そう呟く零の表情は、苦いものだった。
一緒の部屋で暮らすくらいの制度的な例外は、恐らくではあるが生徒会が捻じ曲げれば何とかなるだろう。
だが、単位など元々定められている一種の戒律のようなものにまで発展すれば、生徒会レベルの組織では到底覆す事はかなわないだろう……というのが零の推測だ。
事実、それは恐ろしいほどに的を射ている。生徒会の面々なら頼まずともやってくれるだろうと零は踏んでいるが、この日本社会の現実を見るに、上層部の決断に身を翻せばたとえ国宝級の人物であろうとも、秘密裏に暗殺される確率自体は高い。
(涼香は戦える。しっかりと防御に力を尽くせば、ほんの少しずつだろうけど強くなっていく。山吹の瞳を持つものであるというのなら、尚更だ。)
そう考え込む零に向かって、大きな瞳をぱちくりさせて(?)の表情を浮かべる仕草は、とても愛くるしいものであったのは言うまでも無い。

涼香を戦闘要員として迎え、とりあえず涼香の扱いはどうなるのか。そして涼香を育てても良いのか。零と柚未は涼香を連れて生徒会室へと向かった。
生徒会室に入ると、生徒会役員の中で唯一、「普通の人」を自称している夕凪が、三人をお出迎えした。
「ん、隠し子!?」
「いいや、違います。」
大いなる誤解の一言に、零は納得こそすれ失礼だなと感じたのは言うまでも無い事だが。しかし、生徒会室はいつも以上に荒れていた。夏の朝といえば暑さが朝の冷たさと相殺され爽やかなものだが、生徒会室の中は既に気持ち悪いほどに環境の均衡が崩壊していた。
七機のパソコンを起動し、それを自分に取り囲むようにして作業する夕凪の姿は、感心でも賞賛でもなく不健康さが前面に感じられた。七機のパソコンからほぼ同時に発せられる余熱に排気は、冷房などをつけていても一時間に2℃の割合で部屋の温度を上昇させていく。増してや、空気清浄機などあるはずも無く生徒会室の中の空気は、技術発展前の繁華街並みの悪さを記録している。
素晴らしいほどに劣悪環境な生徒会室を見て零は、あの二人は環境にも影響するほどの人物だったんだな……と感心せざるを得ない。
パソコンをスリープ状態にした夕凪は、零と柚未にはコーヒーを、涼香にはオレンジジュースを差し出して話を聞いた。

涼香を引き取った事、涼香が世治の四聖家の末裔である事、また戦える事。全てを話した上で、夕凪は決定を濁すのだった。
「まー、二人を待ったほうが良さそうな問題だねぇ。一応私が掛け合うよりあの二人が掛け合ったほうが成功率高いしね。」
そう言う夕凪の表情は笑っていたが、瞳の真剣味は尋常ではない事を感じた零は、夕凪に従う事にした。かつて、世治の四聖家の末裔である恋人を失った夕凪だからこそ、末裔であるというだけで生活が危うくなる事実を知っている。
とりあえず内容は送っとくねー。と夕凪は水雨の端末に会話内容を送信した。んじゃま、返信または帰ってきたら連絡するから。と言った夕凪は、また書類作成の職務に戻るのだった。
柚未と涼香が部屋を出た後、零は夕凪に問い掛けた。
「あんたを……そこまで突き動かすチカラは何なんだ?あんたに原動力自体を感じないんだが。」
一種の挑発とも取れる質問に、夕凪は穏やかに答えた。
「ま、あんたの言うとーり、原動力なんざ持ち合わせちゃいないよ。いちおー言っとくけど、あたしは突き動かされて生きてるんじゃないから。」
オッケー?と問い掛ける夕凪に、零は無言で手を振って去った。夕凪の最後の語句が、異様に強さを帯びていたのを噛み締めて。

実年齢にして十歳にも満たない少女が、ロビーで任務受理をする光景はいささか不思議だったらしい。零は、肩に乗る少女が先ほど見せた勇姿を思い返して苦笑する。
「涼香、本当に大丈夫だよね?」
「うん!任せて!」
柚未の心配に、大いなる自信で応える涼香。実質それ程の実力を持っているのだが、まだ二人は信じきれない。
山吹の瞳を持つと言う事は、世治の四聖家でも援護及び術詠唱による物理攻撃強化に特化した性質を持った潜在能力を、涼香は有している事となる。
つまり、自らを限りなく強化し、一の腕力で百のダメージを与える事も夢ではないのだ。増してや術詠唱に特化していると言う事は、遠くからの遠隔攻撃も出来ると言う事だ。始めは遠くから攻撃し、自分を強化しきったところで特攻する――――という大きい効率性を持った戦術を取ることが出来るのだ。
そして、一番に着目すべきは、体内に有す雷の力。筋肉に雷の力を流す事により、脳から筋肉に命令を飛ばすよりも早く筋肉を動かす事が出来る。つまり、人間の判断速度の限界を超越した動きも、不可能ではないのだ。
そうした分析をしたあとでも、零と柚未は涼香を心配するだろうか。
「ちょ……涼香!」
柚未が涼香を止める。涼香は全長10メートル超の、学校近辺の食物連鎖の頂点に君臨するであろう魔物に近づいていったからだ。
「こっちを向け!」
零が涼香とは逆に魔物を引き付け、標的を強引に自分に手繰り寄せた。零は魔物の顔面に向かって銃弾を放つものの、銃弾は弾き飛ばされた。
(堅い……!?銃弾が効かないだと!?)
零が驚くがまま魔物の攻撃を避けると、魔物は零に向かって標的を固定した。零はとっさの瞬間に涼香に目をやると、
「輪廻、大地の怒り 法を超越し今ここに現れん 夜天の極光!」
涼香の身体が山吹色に輝いていた。直後、その涼香が右手を振り上げると、魔物の真下の地面が突然隆起し、10メートル超の魔物が空に舞い上がった。
舞い上がった魔物に応じるかのごとく、青空が暗くなり魔物めがけて隕石が降り注いだ。隕石が衝突した魔物は木っ端微塵に粉砕され、跡形も無くなって消えるのだった。
「「………………」」
「パパ、ママ!やったー!」
パパとママを一瞬で黙らせた事は、言うまでも無い事実だった。
零の胸の中で無邪気に喜ぶ涼香を見て、零と柚未は恐ろしくも嬉しく、また自分の中にあった先入観を改めぜるを得なかった。
腕の中の小さくも幼い笑顔の裏に、苦しみの過去が隠されていたとしても――――零と柚未は、必ず守りぬくと誓うのだった。



水雨は、慈衣を褒めていた。
水雨は褒める事をよしとするタイプの人間ではない。褒めて伸ばすのは結構だが、褒めてばかりでは真っ直ぐに伸びない事を知っている人間だからだ。別に真っ直ぐに伸びなくても良い段階にまで発展すれば、教える身としては教える事も無いだろうとも、水雨は思っている。
とはいえ、慈衣の働きは素晴らしいものだった。正規ルートから生徒会ルートに移行する際に全く誰にも気付かれないばかりか、兵器を運用する前に兵士を捕らえ、大量の捕虜を獲得させたのだ。その人数、ざっと157人。術式を入念に張っていてもこれほど捕縛する事は難しい。自らの術力を筋力のブースターとして活用できる慈衣ならではの戦術と言えよう。
更に、捕虜とならなかった兵士が兵器を運用し始めた際も、兵器に乗り込む前に兵士を始末し、被害を最低限に押さえた。
また、敗走軍に対しても容赦ない追撃を見せ、兵士を19人、兵器を12機破壊した。これは今まで評価されてこなかった視点だな、と水雨は評価の穴を発見しつつ、軍の本拠地前の平原に潜入しているのだった。
平原にあるのは手付かずとなっていた森林で、サーチ術式をかけても全く反応しないという潜入地には丁度良い場所だった。そんな穴場を軍が検証しないハズが無いが、昨日ちょうど検査していたため、次の検査まで一週間もあったのだ。
そんな死角となっている森林の中で、水雨は慈衣と共に任務内容の確認に移っていた。
目前に迫っている要塞を正面突破、最深層まで一気に向かいセキュリティを解除。撤退は正面突破時と同じく帰り道に現れた兵士を再起不能、または殺害して帰還。
単純明快ですね。と水雨に言ってのける慈衣は、息が上がっている様子はない。術力にも余裕があるらしく刀の素振りをしている。
水雨も事前に慈衣を観察(ライブラ)したが、術力・体力・筋力全てに余裕があり、本人の様子と全くもって比例している事がわかっていた。もっとも、慈衣のようなタイプが嘘をつくなど無理な話であるし、まずもって体力面での嘘を水雨が見極められない筈が無いのだが。
セキュリティ解除の地下30階まで、10分で行くか。水雨がそう呟くと、5分じゃダメですか?と慈衣は聞いてきた。一種の挑発とも取れる発言に水雨は慈衣に向き直ったが、慈衣としては実現可能だし挑発した気持ちなど微塵も無い。首を傾げる慈衣に水雨はため息をつき、「そこまで急ぐ必要は無いだろう。」と言ってなだめるのだった。
しかし、水雨としても早くて悪いと言う事は無い……。と思うのだが、「急がば回れ」や「時期尚早」という言葉がある通り、急ぎすぎてセキュリティ解除の際に時間調整をするなど、敵地の中心地で時間つぶしという危険極まりない状況に陥るのだけは避けなければならないと思ったのだ。
思いのほかリラックスしている慈衣に、少しは肩の力を抜け。とも言えず。
柔軟性を見失うな、というほど頑固でもなく。
もう少し気楽にやったらどうだ、と戦場で気楽などという言葉など使えず……。
「出来るだけ数多くの情報処理室を破壊しながら進むとしよう。」
大まかなおまけ的意識を増やす事によって、時間の速さを相殺する事にしたのだった。

水雨と慈衣が要塞に正面突破を仕掛けている頃――――、
梓は、ベッドの上で暇つぶしをしていた。
従者にババ抜きの相手をさせて30戦30敗し、
神経衰弱をしようとしてベッドから転落しかけ、
7並べでは6ターン目でパスを使いきり負け、
ダウトでは見事に嘘を全て見破られ大敗、
大富豪では「2」を一番初めに出すなど無謀極まりない戦術でボロ負けし、
ポーカーではポーカーフェイスの欠片も無い表情でストレートフラッシュを決められた。
とても浦浪高校のエースとまで比喩される学生の戦術とは思えない禁じ手を連発し、将棋では合計で30手待ってもらった結果負けるという遊びの戦術性の無さが露呈する結果となった。
そして挙句の果てにはいじけて従者にねこぱんち(殺傷能力あり)を連発し、昼ご飯を拒否し30分後に食べたいと言い出すほど機嫌が悪かった。
ご飯も食べてとりあえずは満足した梓は、少しずつ募ってきた睡魔に身を任せて水雨のことを想うのだった。
(風雅……今ごろ何してるかな……)
端末で連絡をとってみたい気持ちにもなりかけたが、生徒会危険ルートを進行中に連絡をとって、それが原因で水雨にケガなどされたら自己嫌悪で自殺してしまうかもしれない。梓は端末に伸ばしかけた右腕を引いて、ふかふかな布団の中に戻すのだった。
そういえば、水雨には姉が居るという話をこの前聞いたのを思い出した梓は、その日の会話を思い出すことにした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いつも通りの生徒会室。いつも通りの生徒会室というのは、不真面目にも議論が進まず、挙句の果てには三人が雑談して終了するというお決まりの展開をする生徒会室の雰囲気の事である。
普段通り、梓が気だるく豪勢な机に身体を寝かせ、水雨が梓の発言に対して正論的な突っ込みを入れ続け、夕凪がちょいちょい議論の本題を質問して書類にまとめるという珍妙かつ日常的な(非日常だろ[水雨])生徒会室で。
風雅に家族っていたの?梓の寂しすぎる発言が水雨の過去に触れさせた。
「よくそんな家系を否定するような事が言えますね、会長。俺にだって家族の一人ぐらい居ますよ。」
「だってさ……風雅の家系とか、全員インテリっぽそうで何か近づきづらいんだもん……」
会ったことも無いのによく言えたものですね。水雨が皮肉げに感心すると、梓はいつも通り、むー!と言って駄々をこねるのだった。
しかし、水雨は今まで家族のことを明かした事はなかった。これも一種の機会か。水雨はそう判断して話すことにした。
「確かに、俺の家族は少ないですよ。両親はすぐ死にましたし、本当の妹は失踪。唯一の肉親が姉です。――――夏羽は、実のところは義妹なんですが、内緒にしておいてください。」
姉?風雅にお姉ちゃん居たんだ!意味も無く目を輝かせる梓に、水雨は内心ため息をつきつつ話を続けた。
水雨の姉……水雨 湊は、弟の風雅の二歳年上。双剣を使って戦う近接攻撃特化タイプな人物で、性格は弟と少し違って挑戦的で快活。内面的にはボーイッシュではないが、普段の言動や行動はボーイッシュというよりも向こう見ず。頭より先に体が動くタイプで、とりあえずやってみよう精神で幾多の死線を潜り抜けてきた。
浦浪高校の卒業生で、去年卒業した。卒業後、特にやる事も無いのでウチに帰ったりたまーに本校任務を依頼したりしている。
また、非常に手を抜くのが好きで、弟とのケンカでは全部負けて(あげて)いる。本人いわく本気を出すと、「大陸一個を消滅させかねない潜在能力が解放されちゃうぅ!」らしい。また重度のブラコンで、風雅が家に帰ってくるとスケジュールに関係なくパーティーをする。
「インテリなんてとんでもない……アイツはただのバカだ。」
弟に言われる通り、湊は学力が恐ろしいほどに無かった。浦浪高校に入ることが出来たのは実技試験があったからだとのこと。高校生にもなって二次方程式が理解できないほどの深刻さだったので、もう弟は諦めた。
ただ、インテリではなくむしろ面白みに満ち溢れている人物だと知った梓は、
「風雅、今度家の住所教えてよ!風雅のお姉ちゃんに挨拶しなくちゃ!」
「気が早いですよ。まだ籍を入れるわけではありません。」
「えーっ!?」
今日も明日も、ほのぼの生徒会は浦浪高校で息づく――――。

「……そうだ。帰ってきたら住所聞かなくちゃ。」
梓は、水雨の困ったような表情が大好きだ。水雨はあまり困った表情をしない。もとより無表情な傾向があるが、水雨だって迷う。実現可能だが……。と考え込んだ時にだけほんの少しだけ困った表情になる。どこか優しさと憂いの狭間で揺れ動くその表情は、水雨の考え込む性格の魅力が一番現れているのではないかと思う梓である。
それと、梓は見てみたい水雨の表情がある。
それは「笑った顔」だ。
水雨はたまに微笑む。ただ、腹を抱えて笑っているようなところは見た事が無い。笑顔は見た事があるけど、笑っているところは見た事が無い。
水雨を笑わせる事が出来るほどに、梓はもっともっと水雨と親密になりたい。水雨が誰よりも好きで、水雨以外に魅力なんて感じない。水雨が全ての自分が、水雨の全てとなれるように。
何よりも、誰よりも。偽りない、偽れない。何よりも正直で全てな自分の気持ちを、水雨に捧げたい。
任務から帰ってきたら、後輩の女の子も一緒にパーティーでもしようかな。梓は淡い夢を抱きつつ、静かに寝息を立て始めた。



Main episode 17 着実に近づく終焉

「パパ、これ欲しい!」
「分かった、買うよ。」
涼香は都市圏から少し外れた街で、武器屋に並ぶ短剣を眺めていた。二つの山吹色の煌きが、短剣の刀身に反射して黄金のように閃く。
柚未と零が食事を取ろうと立ち寄った街で、涼香の隠されていた好きな物が一つ判明したのだが……愛娘の好きなものが短剣という武器だと判明した親の気持ちは、若干複雑でもあった。
新調された短剣を持って無邪気にはしゃぐ涼香を見ていると、何だか荒んだ心の中が癒されていくようだ。零と柚未は、昼食をとりながら街の様子を眺めた。陽射しが降り注ぎ、爽やかな暑さを感じているのであろう道行く人たちの格好は、どことなく露出が高い。
しかし、柚未は長袖と暑そうな服装、零も黒色の薄いシャツの上に黒いコートのようなものを着て、ズボンも黒を基調としたデニムのような物を穿いている。
涼香はと言えば黒色の半袖の上に、赤茶色のマントと同色の両腕を保護するようなものを肩から腕に向かって着用。なお両腕の袖のようになっている布は下半身と繋がっている。ランニングの袖を極限まで切断し、まるで台形のようになっていて黒色、さらには閃光の紋章が描かれているものを上半身に着ている。
一方下半身は肩から腕にかけて着用しているものと繋がっていて、みぞおちから太ももにかけて伸びている。靴下はオーバーニーソックスで、胸の辺りと肩の一部分以外は、身体の露出度は低い。
妙に暑そうな格好をしていると周りからは移るだろうが、これはもはや術式を使っている人間なら普通の光景。特に女性ならば良くある事に過ぎない。
夏の陽射しを防ぐために日傘を使う時代など当の昔で、今では紫外線遮断術式が主流となっている。
しかし術式を使用した時、紫外線を取り除くと同時に全部ではないが光も吸収してしまう。そのため、人体に太陽光の当たる量が減ってしまう。その際、太陽の熱は光によって伝わるため、熱の伝わる量が減ってしまい半袖では寒くなってしまうのだ。
従って、紫外線を防ぐ術式を使用すると、半袖では寒くなるということから厚着をしているのだ。
もっとも、学生時に武術学校に入ることが出来なければ術式にほぼ触れず生きていく事になり、成人時に徴兵されそこで術式に触れることになる為、基本的に学生内では常識だが、成人すると武術学校所属者が極端に減るため(武術学校生徒は戦死率が高い)世の常識としては定着していない。
とは言うものの、学生内では常識中の常識のため、零の周りでは全くもって普通の事である。
昼食を取り終えた零と柚未は、店を出たところで二手に分かれた。柚未は学校に戻っておき、学校内での不穏な動きに警戒するという役どころにつくためだ。
「ママ、後でね!」
涼香の無邪気でいたいけな声が街に響いた後、柚未は徐々に遠ざかっていき消えていった。姿が見えなくなり、零と涼香の間に一瞬の静寂が生まれると、涼香が零に向かって口を開いた。
「パパ、これからどうするの?」
零は涼香の問いに、肯定で答えた。一見答えになっていない応じにも取れるが、零がそういう対応をしたときは着いて来い、という意味と考えて良い。
ただ、零としては学校に戻るべきではないと考えているだけだった。涼香と一緒の状態で学校に滞在している時間が長いほど、涼香自身が目をつけられる確率が高まるためだ。
増してや学校内でも一、二を争うレベルの影響力を持っている自分と一緒にいれば、ただでさえ注目を集めてしまう。生徒会による後ろ盾やそれによる上層部の情報操作が無ければ、一緒にいることは危険に他ならない。
零は、出来るだけ学校と距離を取りつつ、学校の状態も知っておきたい。そんな要望にぴったりである作戦が、この監視作戦だったという事だ。
ただ、零もそれだけでは監視作戦を決行しようとは思わない。零には一つ、確かめておきたい事があった。

未だ太陽の照り続ける中、零は涼香を連れて街から学校の逆方向へと移動していた。
第三次世界大戦の折、世治の四聖家によって大いなる闇が封印され、それによって今にいたると言う話を前に聞いたが、水月の身に起こった「闇化」が、その話に関連しているというのなら――――――世治の四聖家の末裔である涼香を、水月に会わせれば何らかの反応が起こるはずだと零は思ったのだ。
無論、涼香の命は保証されている。なぜなら、神話など非実在とも噂されるレベルの話になればなるほど、勝者と敗者の地位の差は重視されていく。神話上では世治の四聖家が勝者であり、関連するならば闇と称されている水月側が敗者だ。反応が起きるにしても闇は力尽きず、涼香には何も起きないと踏んでいるからだ。
それに、出来れば早いうちからこのことはやっておかないと、闇の勢力が強まれば神話上の逆転も起こりうる。その場合理性を失った闇は涼香の中に流れ込み、光の力と呼応して体内爆発を起こす可能性も充分にありうる。
それだけは避けなければならない。出来る時に出来る事をやっておかなくてはならない、零の思いはそれだけで、また零に出来るのはそれだけなのだから。
自分の背で眠っている涼香。この無垢な寝息を守り抜くために、零は歩きつづける。

深い緑に包まれた森林。照りつける陽射しが木漏れ日となって遮られる木々の中で、零は周囲に警戒を払っていた。
「……っ!」
零が身構えると、背後から美しくも儚い声が聞こえてきた。
――――――そう、水月である。
「お兄ちゃん……会いにきてくれたんだね。」
いつものように、水月は零に抱きつこうとした―――が、零の背負っている少女の姿に気がついて、抱きつきかけた自分の動きを一度止める。
「その子は……誰?」
水月が背中を指差しているのに気付き、零は涼香のことか、と判断し涼香の説明をする。ついでに、見覚えは無いか?と言い添えて。
しかし、水月自身には見覚えが無いらしく、
「ううん、知らないよ。」
記憶の中には存在していなかった。だが、零はそれで可能性を諦めるわけにはいかなかった。もし、水月が闇に呑まれて理性を失うような事があれば、その時の記憶には刻まれている可能性が高いからだ。
むしろ、考え直せばその可能性以外は限りなく低い。
今の水月は、水月そのもの。身体の心まで人体で、身体の隅まで生きている状態だ。それ程に割り切られているなら、水月自身の記憶に無いことを言った所で、記憶に無いのだから知らないのは当然だ。
「お兄ちゃん、今度の魔方陣はそこだから……」
「ああ。手っ取り早く済ませるよ。」
水月の現れる予兆は、魔方陣の発生場所と合致しているため、水月に会うためには魔方陣の現れた場所に向かわなくてはならない。しかしそれは裏を返すと、魔方陣を破壊しに出向けば、自ずと水月に会うことが出来ると言う事だ。
零は、水月の魔方陣が発生したところに出向き、自ら魔方陣を破壊する事によって世界の破滅を先送りにし、更に水月と会話をしているのだ。
零が魔方陣を壊すべく剣を抜くと、水月が零の背で寝ている涼香を抱かせて欲しいと進言した。
零は、ほんの少し不安だった。零がすぐに許可を出さない事で不安を感じ取ったのか、水月は闇の暴走についてはなすことにした。
「お兄ちゃん、闇と光の相関関係って、知ってるよね?」
相殺だよ、相殺。と軽く応えてみせる零に、水月は更なる問い掛けをしてみせる。
「じゃあ、闇と光。それぞれの性質について言える?」
それは……。と言葉を詰まらせる零に、水月は得意げな顔で零に語ってみせる。
「闇の性質は、蓄積。光の性質は、湧出。光は放っておいても限りなく溢れてくるから、湧出なの。で、闇は蓄積って言って、どんどん溜まっていくの。だから、性質上は圧倒的に光の方が優位なのね。」
そりゃまぁ……限りなく、しかも放っておいても力が出続ける光のほうが、ちょっとずつ溜まっていく闇なんかより全然強いだろ。
零はその論理に納得したが、水月の更なる説明によって、心の底から納得する事となる。
「でもね、光ってずっと出てるだけで全く溜まらないの。だってさ、正義だって時代ごとに移り変わっていくじゃない?日本一つとっても、戦いが正義だった時代もあれば、平和が正義の時代もあるでしょ?光は、流れ出ていって古いのは消えちゃうのね。」
光の概要には、零も納得がいった。今さら五百年前の憲法だ何だって法の書物持ち出して、政治家の真ん中に突っ込んでみろ、そんな事をしたら今の「正義」に裁かれてしまうだろう。
ならば、闇の説明にもこんな納得のいく話が聞けるのだろうか。
「光は移り変わるけど、一方で闇は変わらないの。人々の憎悪とか、欲望とか――――。全部ちっちゃくて、簡単に光で否定できるけど、否定したらまたそこで闇が生まれる。光に出来る影みたいにね。それが積み重なっていけば……いつしか、湧き出る光の量だけじゃ消しきれなくなっちゃうよ。」
水月は語って見せた。正義という光があるなら、それに伴って発生する影、つまり闇も同時に生まれると言う事。また、その闇は消えず、蓄積していくものなのだと。
そう考えれば、今の世界の状況は前の戦争が関係している確率は100%と言っても過言ではないだろう。逆にそれ以外の可能性を考えろと言うのなら、全て確実性に欠けるものが返ってくるだろう。光が強ければ強いほど、その光によって出来る影は、光に応じて強くなるのだから。
だが、水月が言いたかったのは更に先だ。その持論を展開し、その結果が闇の勝利だと言うのなら、逆説……つまりは光の勝利も大いにあると言う事だ。むしろ、そっちの方が大多数である事を忘れてもらっては困る水月だ。
「だからって、闇が最強ってワケじゃないんだよ。しかも今なんて、あたしっていう闇の権化ですら光の有様だし、闇の塊をお兄ちゃんが思いっきり壊してくれてるから、闇は無いんだよ。」
そうだ。肝心なところだ。零は思い出す。光と闇の均衡についての文献を、高校の図書室で見たのを。
光と闇の均衡についての特色として、一度傾き崩れた均衡はしばらくの間釣り合う事はない。という一文を、零は思い出した。
闇に傾いた場合があるのなら、逆説で光に傾かせれば良い。そして今、まさにこの瞬間が傾いている最中なんだと。
「……ごめん、疑う必要なんて無かったんだよな。」
「ううん、良いんだよ。あ、それとねお兄ちゃん、耳寄りな朗報があるよ。」
耳寄りで朗報だと!?零は珍しすぎる水月の報告に希望が見えてきたのを嬉しく思い、水月の報告に耳を傾ける。
「お兄ちゃんがね、毎回魔方陣を壊してくれてるおかげで、ちょっとずつ闇の力が抜けつつあるみたいなの。あ、心配しなくて良いよ。その分は光の力で補ってるから。」
水月の言葉には色々と疑問符が浮かんだが、零はひとまずおめでとうと言う事にした。眠っている涼香を抱いて上機嫌な水月に、零は感じた疑問について口を開いた。
「水月、一つ答えてくれ。闇の抜けた分を光で補っていると言う事は、普通の人間に戻れるって事なのか!?」
最後の方は嬉しさのあまり語気が強まってしまったが、零は水月が生き返ってくれるなら嬉しい限りだ。誰よりも温かく、誰よりも自分の事を知っていてくれている水月を取り戻す事が出来るのなら、零は何の努力だって惜しまないだろう。
「ごめんね、お兄ちゃん。生き返れるかもしれないんだけど……世界の破滅に間に合うかは、正直言って分かんないんだ。ごめんなさい。」
悲しげに目を伏せる水月に、零はこっちこそ悪かった……。と謝罪した。思えば、闇のことは全く分からないんだったな、今の水月には。零は気遣いが足りない自分を叱りつつ、ふと空を見上げるのだった――――



―――とその時、零の端末が鳴動した。着信相手は柚未から。水月にことわって一度森林の外へと出る。
「どうした?何かあったのか?」
〈夕凪から連絡が来て。二人とも帰ってきたから生徒会室に来いって。〉
ん、分かった。すぐに戻るよ。とだけ零は言って、端末の連絡を切った。柚未と涼香と自分、三人で撮った待ち受け画面が端末に表示されると、零は小さくため息をついた。
森林の外から中へと戻った零は、眠そうな涼香を抱いてすっかり上機嫌な水月を見つめて泣き出しそうになった。
こんなに、苦しんでるのに――――。兄として、水月を救うことが出来ない自分の情けなさに腹が立ってしょうがない零は、涙を堪えて水月の下へと歩み寄った。
瞳が潤んでいる兄の表情を見て、水月は悟ったように、優しく口を開いた。
「時間、来たんだね。」
「ああ……また、呼んでくれ。―――いいや、呼べ。」
自分の悲しみを棚に上げたような言動の零に、強がりたい年頃なの?と言って水月は涼香を零へと引き渡した。
涼香の眠そうなまぶたが閉じられると、零は身を翻して水月に背を向けた。
「まだ、話し足りないからな。」
震えた声色で、零はそう言って森林を去った。
当たり前だよ――――。
水月の一言を、胸に抱いて。



Comical scene Ⅹviii 山吹の権威

学校に帰還した零は、柚未の連絡の通り生徒会室へと足を運んだ。背負うには少し大きめな女の子をおぶって歩いていく零の姿には、少なからず注目が集まったが幸い学校を長い間出ていたからか、はたまた七歳の涼香が眠っていたからか、声を掛けられたりする事はなかった。
生徒会室に入ると、生徒会の面々+柚未+もう一人、同年代だと思われる絶対聖義の女子生徒が、零を迎えた。
零が目をぱちくりさせていると、水雨が待っていたぞ、と前振りして口を開いた。
「さて、山吹についての件は後で話すとして。とりあえず零に報告しておきたいことがある。」
何ですか?と零が問うと、水雨は今までの事を踏まえた上で、とまたもしっかり前ふりして零に話し始めた。
「現時点で、零と柚未の二人は、我々生徒会との関わりが非常に濃く――――またさらに本来、我々しか知るべきではない機密についての情報も有していることだろう。」
零としても、色々と機密には触れてきているんだろうな。とは常々感じている。他の生徒に知らされていない事まで、自分たちは知っている。そしてその情報のグレードがまた、シャレにならない程度に高いのだ。
何てったって国家機密だ。政治家でもごく一部、ましてや上層部の連中と同じ情報を、共有しているという現実。しかもその約8割が、生徒会がらみのものである。
「その事から、我々生徒会に新たなメンバーが加わった事、二人にも話しておこうと思ってな。」
「玄武 慈衣です。生徒会の新たな一員として、校内のみならず、校外までも「はいよろしく。」」
何で被せるんですか……と慈衣が、声の主である梓に抗議すると、梓は深刻な表情で言って見せた。
「だってぇ!一個の文章にてん(、)が三つ以上ある文章嫌いなの!長いの!ウンザリなの!」
「……とまぁ、名前だけでも聞いてくれただろう。よろしく頼む。」
水雨が毎度毎度ウンザリしたような表情で諌めるその光景は、見慣れたものであると同時に何らかのプロっぽさを感じた。
しかし、二人の口論はこの程度では止まらないようで、
「風雅、聞いてよ!慈衣ったらこのあたしに!ぜんっぜん違う話題で攻撃してきたんだよ!」
「あー分かった。つらかったな。俺もエクスキュラメーションマーク(!) の多用は嫌いなんだ。」
いぃぃぃ……梓は慈衣に対しての攻撃をやめる気配を感じないので、水雨は早速議題に入る事にした。

生徒会議事録 書記:玄武 慈衣 議長:夜丘 梓
議題:現在零が保護している、山吹 涼香の具体的な処遇について。

本校において、擬似的な家庭を持つ事は、校則では触れられていない。
つまりは、禁止されていないと言う事になる。
結果的に、本校及び浦浪高校生徒会含む教職員の全員は、この事柄を拒否または却下する事は出来ない。
しかし、ただ認めるだけでは我が浦浪高校教育方針に抵触しかねない。よって、保護対象山吹 涼香を、保護者去月 零と同じクラス、流転光明に配属する。
これによって生じた情報の共有については生徒会役員及び会長の署名によって不問とする。
なお、単位は保護者、保護対象共に個別とし、保護対象と保護者の関係についてのみパートナーでなくとも、同時の単位取得を可能とする。
単位の譲渡に関しては、これまで通り禁止とする。が、
生活環境については、保護者及び保護対象側から要望がない限り継続とする。
曖昧な点については、生徒会役員副会長水雨 風雅に問い合わせる事によってのみ意見を可能とする。
以上

「……とまぁ、こういう事だ。後で議事録を端末に送信するから、それでも不明なら、相談に乗る。」
水雨の説明は、今の学校としても、勿論零としても対等なものだった。涼香にとってもいい感じに曖昧で、変に規制がかかっていないところが水雨流の憎いところだろう。
涼香の事についての説明が終わって零と柚未は内心ホッとしたが、零にはもう一つ気掛かりがあった。
議論を終えてまたいつも通りのゆるゆるモードに戻りそうな生徒会に、零は真剣な声色で問い掛ける。
「そういえば、この前深夜に人だかりが出来ていましたけど……あれは何だったんですか?」
「ん……?そんな事があったのか。夕凪、概要を教えてくれ。」
ほいほーい、と端末のキーを叩く夕凪に、何も知らないような水雨。そんな二人を見るのはとても新鮮だった零は、生徒会がなぜ知らなかったかを少しだけ考えてみる事にした。
深夜に人だかり――――。涼香に起こされたあの時の出来事を、零は色濃く記憶していた。普段は全く姿を見せようとしない教職員たちの姿が発見され、流転光明の教室にいる、任務にあまり出ない者達……通称「教室組」の中でももっぱらの噂となっているのであろう出来事の概要に、生徒会が触れていないはずがない。
しかしながら、この出来事については発生日時が三日以内と早く、何より水雨と梓が不在だったためか生徒会内でも認知していたのは夕凪だけだったとするなら、おそらく一番答えには近いだろう。
軽快に端末を叩く夕凪が動きを止めると、梓の右隣に設置された印刷機がガーガーと音を立てて概要を印刷した。
梓の手から手早く配られた概要には、短くも衝撃的な事実が記されていた。

校内活動事録 ファイル【突然死】 記入者:夕凪(会計)
校外南30km地点にて、任務に当たっていた流転光明の生徒二名が突然死した。
死因は不明。しかし特徴は非常に顕著なもので、身体のありとあらゆる箇所が紫色に変色し死に至っていた。
このような変死体から医師団による細菌による疫病等の可能性が疑われたが、体内からは死後三時間という短さにもかかわらず細菌は検知されず、疫病の可能性は否定された。
歴史上北欧にて流行したペストの亜種だという可能性を否定されたため、政府は疫病以外の可能性を模索している。

「ふむ……不可解だな。疫病の類でないとすれば、何らかの呪いか術式か……」
水雨は軽く予想を立ててみるものの、自分の立てる予想の無意味さは分かりきっているつもりだった。たとえ可能性が高いにせよ、術式であるのなら犯人の特定が成功する確率はほぼゼロに等しい。
術式は、前にも触れたように「式で構築」され、「契約で発動」する。契約で発動する際、その場に存在する原子の属性が一気にかたよるため、何の属性によって発動したのかは特定が可能だ。
しかし、術の構築式に至っては特定が非常に難しい。そんなもの、30人いる学生に一人ずつ計算問題を作らせ、問題と答えだけで誰がこの問題を作ったのか、と問い掛けているのと同じなのだから。筆跡のような他に痕跡などが残っていればまだ特定の成功確率は上がるものの、上がった所で微々たる物であれ、ましてや今回の場合、物的証拠は無い。
つまり、犯人の特定は出来ない。水雨の確実性に欠ける一種の答えの無意味さが、そこにあるのだ。
しかしながら、現在の世界では技術力の進歩などにより異能の力という類は科学の代物であると証明されてきている。数百年前にオカルトと言われていた神の力などが科学だと証明された今、不可解という分類に該当する力は、
(水月……なのか?)
闇の力、すなわち水月の持つ力以外有り得る事は無い。零も水雨も、その事に気付かないまま議論が進んでいく。
考え込んでみたものの、さっぱり見当がつかない水雨は思考を放棄した。
「仕方が無い。概要については政府、または上層部の返答を待つとしよう。考え込んだところで見当がつかなければ時間の無駄だ。」
水雨と同じく全然見当がつかない零が頷き、人だかり騒動の話は終焉を迎えた。
話の区切りも良くなったところで、零、柚未、涼香の三人は生徒会に別れを告げ、生徒会室を出るのだった。

涼香にとって、昼下がりはまた眠くなる時間帯だ。生徒会室を出て眠気が徐々に襲ってきている様子の彼女を見て、零は涼香を連れて寮部屋に帰ることを提案する。
しかし、今シーズンの単位取得が滞っている事実にも同時に直面した零は、柚未に単位取得を頼み、眠たそうな涼香を連れて寮へと帰るのだった。
零と涼香が雑談しながら寮の敷地内に入ったところで、零に背後から声がかかった。
「零くん、忘れ物!」
黒いコートを持った梓が、零の背後に立っていた。
「すみません、ありがとうございます。」
「ありがとうございますー。」
コートを受け取り頭を下げる零と傍らの涼香に、良いの良いの!と梓は両手を振るが、梓は零の寮部屋についていくことをお礼とする事に成功し、久し振りに零に甘えようと試みるのだった。
高校一年生にしては高級感を感じずにはいられない浦浪高校の寮、1206号室。サムターン防止機能付きの三重鍵によって、徹底的に侵入を拒むその扉が開くと、入り口に相応な高級感を纏った玄関が三人を迎え入れる。
涼香を自分のあぐらの上に座らせ、梓を対面に座らせた零は、コーヒー二杯とオレンジジュースを机の上に差し出して梓に向き直った。
向かい側に座る梓の表情はどこか寂しげで、憂いを帯びたあどけなさが魔性の可憐さをかもし出しているが、零はその憂いが、何であるかも把握しているつもりだ。
「……どうしたんですか、浮かない表情で。」
零の言葉の後に、どうしたの?と同じく尋ねる涼香に、梓は重々しくも口を開き彼についての話を開始する。
「風雅がね、あたしのこと……信頼してくれないの。」
信頼してくれない、というのは恐らく無いだろう。零は思ったが、梓の一言を否定するような事はしなかった。確かに、優しく言い出すよりも冷たく突き放すことによって相手を護りたがる性質にある水雨の事だ、勘違いされていても不思議ではない。零は内心苦笑混じりで話に切り込む。
「そんな事はありませんよ。信頼しているからこそ、余計な心配を掛けたくないと思っている水雨さんなりの気遣いでしょう。」
何よりも誰よりも、その事を理解しているはずな梓なのだろうが、梓はどうにも水雨と似て心配性なところがある。水雨が心配だから守りを固めるという徹底的ディフェンス精神を持っているのなら、梓の場合は心配だから相手を徹底的に攻撃するオフェンス精神の考え方を持っているのだろう。
正反対なようで、根本では一緒。違うようで同じであるから惹かれあう。ある意味、愛し合うべきして愛し合っているという二人だ、と言ってしまえばそうだが。
「でもね、風雅はさ、お前がいないほうが気楽だよ。って微笑んでくるの……邪魔なのかな、あたし……」
梓が寂しそうに視線を落とす様子を見て、零は非常にもどかしくなった。大いなる誤解というのはまさにこのことか、と思うほどに梓の心配性は深刻だった。普段から何に関しても正直な分、他人の嘘は見破れず、また嘘もついたことが無い梓ならではの悩みだとも言えよう。言うなれば、嘘に向き合わないのではなく、嘘に向き合えないのだとも言えるか。
しかも、水雨の嘘はなぜかつじつま合わせまで計算されていて超一流だが、梓に関しての嘘は極端に下手だ。まるで反抗期の少年のごとく、無自覚に梓の手のひらで踊ってしまっている。
水雨も梓も、互いに互いの前では子供に成り下がってしまう。だが、梓のように真っ直ぐな子供は相手に不快感こそ与えないものだが、水雨のような変に大人びた子供は警戒され、誤解を招き、貧乏くじを引く事が多い。梓は表面的には子供でも、思考のレベル一つ取れば、強者であるが為の闇に触れてしまった事もあり、部分的には水雨よりも大人なところがある。
梓としては水雨に頼られたいのではなく、水雨を助けたい一心であるのに対し、水雨は梓を護りたがる。互いの優しさが衝突しかけて擦れ合ってしまっているのだ。
簡単なようで複雑だぞこれは、と零は頭を抱えかけるが、迷う梓の拠り所となるべく、口を開く。
「梓が、水雨さんを助けたいなら、水雨さんともっと親密になるべきではないのかな?今以上、それこそ恋人同士であるのなら、デートももっと頻繁に行くとか、互いに過ごす時間を増やしてみるべきだと思うんだ。もちろん、それには色々な努力が必要だけど、梓はそれぐらいの努力は朝飯前だよね。」
梓は、水雨のためなら何でも出来る心構えだ。術式で慣用句の実現も不可能ではない今なら、たとえ火の中水の中だろうと、水雨に助けが必要なら梓は飛び込んでいくだろう。それこそ、水雨のためなら死ぬ事も恐れないほどに。
そこまでほれ込んでいる相手に、尽くせない事などあるわけが無いだろう。零は矛盾を目ざとく発見し、そこをここぞとばかりに突いたのだ。
梓自身が水雨の事をデートに誘えば、水雨は表面上では嫌がっても拒否はしないだろう。むしろ内心きっと喜んでいるだろうと、零は恋人でもないのに確信をもって見せる。
水雨自身は幾多の選択肢があっても、梓には水雨しか選択肢が無い。だったら、自分から行くしかないのだろう。零は二人の関係について深く考えてみると、水雨が梓に対してアタックをしなくても済む理由が少しずつ見えてきたような気がした。
「そんなの……風雅に迷惑じゃない……?」
心配がいまいち抜けきらない梓は、水雨が自分のために優しい嘘をついてくれているのではないか、とまたも心配に心配を重ねるが、零は迷う事無く先ほどの考えを梓に薦めていく。
「……それでも、梓自身は水雨さんが好きなんでしょ?」
水雨が好きなのはそうだよぅ!と言わんばかりに、梓は勢いよく首を縦に振って肯定した。だとするのなら。零は待ってましたと言わないのが不思議なくらいに用意された笑みを浮かべて、梓の心配を自らの確信で相殺していく。
「だとするのなら、水雨さんに好かれるようにどんどんアタックしていくべきじゃないかな?水雨さんの性格を考えれば、水雨さん自身がきっと梓に好意を示す行動を起こしてくれるとは考えにくいだろうし、自分の思いを心配から確信に変えるには丁度良いんじゃないかな?」
零の言葉は、揺らいでいる梓の心の弱い部分に狂い無く突き刺さり、水雨に対する愛情の種火となって昇華した。
梓の表情から氷のような凍てつきが消え、いつもの燃え盛る炎のようなエネルギーが戻っていく。心配に震えつづけていた小さな身体は、自信という熱情を帯びていき震えを止め暑く燃えたぎるような激情に熱を持っていった。
答えを得た梓は立ち上がり、腕を大きく天井へと掲げて言い放った。
「……あたし自身が……答え。ありがと、零くん。」
いつもより大きい自信を持っているような気がしないではいられない、梓の威風堂々な背中が、答えを持って部屋を出て行く。
数秒後、お邪魔しましたー♪という弾んだ声色と共に、無機質なドアが閉まる音が響くと、自分の傍らで涼香が寝息を立てて眠っているのに零は気付くのだった。
「……っとと、布団に寝かせてあげなきゃ。」
あ、でも何か男のまま寝かせるのは気が引けるな……零は悩んだ挙句、柚未がいない間ママにでもなろうかな。と思い当たったのだった。
……まぁ結局は自己満足だったのだけれど。

ぽんッ!小麦粉のような煙が零の周りに立ち上る。それが性転換術式発動時の変化挙動と知らない者が見れば、零の様子は危険なのではないかと錯覚する者も多いだろう。
性転換術式を会得している者は、世界の中でもごく僅か。しかも、自分の趣味のためというレベルで会得できるようなものではなく、努力だけで無く才能まで要求されるため世界でもスパイなどある程度の危険が伴う人物ぐらいしか会得している者はいない。
「う……やっぱりちっちゃいよねぇ?」
自分の背の小ささをコンプレックスにする人の、その理由がわかった気がする零は、洗面所でムダに可愛い自分の顔を見て睨みをきかせる。
自分とのにらめっこを早々に切り上げた零は、くぅ……くぅ……と幼い寝息を立てている涼香のそばに添い寝する。目の前で大きな瞳を瞑り、幼い胸を上下させて眠っているその姿を見ていると、本当に心の底から喜びを感じてしまうのは零だけではないだろう。
(……抱きしめたくなっちゃうよ)
零は起こしてはならない、とすんでのところで踏みとどまるが、涼香の寝姿は思わず抱き寄せてしまいたくなるほどの魔性の可愛さを持っていた。ぷにぷにしていそうなほっぺた、あどけなく少しだけ開いた口、ほんの少しだけ頬にかかった髪……全てが素晴らしい要素で揃っていたのだ。
涼香を見つめていると、まるで幼少の頃の水月を思い出すようだ。幼くて儚くて、でも自分より活発で、何より子供。護らなくちゃと思う反面、羨ましがる一面もあるという……不思議だが、幼さと大人さが両方存在しているあの感覚を、零はいま鮮明に思い返した。
8月中旬という夏も真っ盛りの中、零と涼香は抱き合って就寝しているのだった。



Main episode 18 理不尽な理


「もう……仕方ないんだから……」
単位取得から戻ってきた柚未は、寝室で心地よさそうに眠っている零と涼香の姿を見て嘆息した。本来なら、この場で叩き起こしても正義の味方となれそうなシチュエーションなのだが、あどけない表情で眠っている二人の顔を見つめるたび、柚未の怒りに対する気力は殺がれていった。
仕方なく怒りを消化し、寝室を出る。洗面所に行って手を洗っていると、ふと自分の表情が鏡に映る形で目に入った。
頬は紅潮し、瞳はどこか潤んでいる。悔しさにまみれたその顔は、柚未の意識内で半ば眠るようして封印されていた嫉妬が、誰が見ても分かるぐらいまでにおしだされていた。
(恥ずかしいかも……。うぅー……)
零を涼香に取られて嫉妬しているのか。自分で悟った途端に一気に恥ずかしくなって、柚未は思わず顔を洗った。冷たい水が顔の表面から流れ落ちると共に、ある程度の焦熱は消え去ったものの――――。未だ消える事のない嫉妬の炎は、蛇口からひねり出される水など雀の涙といわんばかりに火力を強めていた。
どうしようもない。柚未は自嘲気味に鏡を見つめる。髪を解いて心が安らいでいるのか、鏡の先にいる少女の瞳はどこか優しげだ。しかし、優しげな印象の大きさに比例して大きくなっているもうひとつの感情―――――憂いの大きさも悟ることとなった。
(なんでだろう……今日はなぜか、悲しいかも―――――)
鏡の先の少女が泣き出しそうになっていることを確認した柚未は、早々に洗面所から立ち去った。これ以上自分を見つめるなど、苦しいだけだと思ったのだ。それは現実に対する逃げだと分かっていても、今日だけはその万能な正論が気分にそぐわない。
(正論、か……)
正論だとか理論だとか考えてみると、真っ先にあの男の顔が思い浮かぶ。生徒会副会長、水雨 風雅の顔が。人格的、性格的になら水雨は好きな柚未だが、どうもあの男の考え方だけは性に合わない。合理的かつ利便性の高い考え方を持っていて尊敬はするものの、人間性に欠けるという超大超絶な欠点も持ち合わせているからだ。
もちろん、その中でも人間性を失わないのが水雨だし、むしろその隣には人間性の塊と言っても良い会長、夜丘 梓がいる。釣り合いのバランスを鑑みれば、水雨の考え方は水雨に対してこれ以上なくそぐっているのであろうが――――。
(この言い表せない空虚って言うか、なんて言うか。水雨副会長の理屈が聞きたくなるなー)
あんなに不愉快な理論定義の塊ですら、たまには聞きたくなるものなんだ……。柚未は唐突に起き上がり、生徒会副会長の端末に向けてメッセージを送信した。水雨のことだ、どうせこの時間帯にはリフレッシュルームで端末を操作しているに違いない。慣れないキーボードを操作しながら、現在地を教えてもらう旨のメッセージを作成し、送信する。
(これでどうだっ)
まるで、おばあちゃんが携帯端末でメールを送信し終わった後の達成感みたいなものを感じている柚未だが、余韻に浸れる時間はそう長くは無かった。万年端末男 水雨 風雅の手にかかれば、2行程度のメッセージなど1分と経たずに返信が来る。
リフレッシュルームにいるぞ、と返信が来たのを確認し、柚未は予想が的中して軽くガッツポーズを決める。同期の生徒から 閃姫 とまで称される暮闇 柚未の、数少ないデレシーンは3秒程度で終了し、代わりに寮に戻ってくる前と同じ顔立ちに戻った柚未は、髪を結びなおして玄関に向かう。
(話でも聞きに行くとするか)
外舞台に出ると性格が一変する柚未は、脳内意識での喋り方まで変わる完璧主義だ。

(柚未から、か……初めてだな)
リフレッシュルームで淡々と端末を操作しつづける青年、水雨 風雅は、相も変わらず静寂を保っているリフレッシュルーム内で、自らの指がキーボードを打っている音が響いているのを感じていた。
午後7時過ぎ。未だ部屋の外の廊下では数十人の生徒が雑談などをしたりして時を過ごしているが、水雨が現在在室しているリフレッシュルームには誰一人として入室してくる気配が無い。
それは、浦浪高校の生徒の大半がリフレッシュルームを使用することに対して、若干のためらいというか抵抗を持っているからだ。男女共学かつパートナー制を導入している浦浪高校では、数年前の生徒調査の結果なぜか亭主関白が多いことが判明した。その傾向は今も変わらずで、5月下旬に梓が興味本位で行った生徒調査でも、やはり亭主関白が多いことが結果として現れていたのだ。
そのせいなのかは分からないが、午後6時30分を過ぎると、廊下やその他の施設にいる女子生徒が激減し、相対的に男子生徒が激増するという傾向にある。また、リフレッシュルームにはアロマが一時期焚かれており、現在もその名残としてリラックス効果のある芳香性のある花が置かれる決まりとなっている。
そのおかげで、リフレッシュルームを利用する男子生徒の人数が激減し、さらには七不思議の一つとしてリフレッシュルームに悪霊がとりついているという噂まで流れるようになり、結果合理主義である水雨や、その他一部の生徒しか使わなくなってしまったというのだ。
(全く。非合理というのはつくづく理解に苦しむな……)
端末を操作する指を休め、ふとリフレッシュルームの存在定義について考えてみた水雨は、自分が合理主義者であることを改めて実感する。合理主義者であることに何の引け目も感じていない水雨だが、一つ感じる欠点といえば、非合理に対しての価値観があまりに劣等性を持ったものになってしまうところか。
こうして生きているとつくづく、話し合いで解決しよう!なんて言葉の無謀さと難易度の高さを噛み締めるよ。夕凪から好評だった、水雨の至言の1つである。
「水雨副会長、夜分遅くにすみません。」
後ろから声を掛けられ、水雨は振り返る。すると、凛々しい表情でいつも以上に控えめな柚未が立っていた。
「なに、夜に端末をいじくっている先輩如きにすまないなんて考える必要は無いさ。こうして話すのは初めてなんだ、気楽に行こうじゃないか。」
理屈抜きで理屈屋な男、水雨は立ち上がる。

「何だ、やけに弱気だな。何かあったのか?」
軽く微笑みながら対面に座する水雨に、一瞬で心を見抜かれた柚未は軽く驚く。相手の観察技術においては、もはや専門家の領域なんじゃないかな――――。夏羽の呟きが、今になって胸の奥で現実味を帯びてくるのがわかった。
目の前で真剣に話を聞いてくれる水雨に対して、こんな単純かつ小さすぎる悩みを打ち明けるには、数秒の葛藤がある柚未だったが―――――こんな悩み、零はおろか同性になんて相談できない事だ、と自らを鼓舞して口を開く。
「それが……。ただの、嫉妬なのだが……」
凛々しい雰囲気に、高貴さと猛々しさを併せ持つような口調で。誇り高き声色で発せられる一つの悩みは、嫉妬だった。普通の人間なら、そんなもの小さな事だと切り捨てるかもしれない。しかしながら、目の前にいる精悍な青年は、良くも悪くも普通じゃない事を自負している人間だ。
だからこそ、水雨は答える。
「ただの……?――――違うな、それは大事だ。」
何が小事だ。ただの、などというスケールの問題ではないぞ。と、真剣味をさらに帯びる水雨に、柚未は少なからず信頼感を覚えた。嫉妬というそのものの構造やメカニズム自体は単純でも、それをどうにかする方法は単純ではなく複雑なはずだ。増してや、その方法がわかっていて、それでも尚踏み出せないことを理解していながらもこうして相談してしまう―――――。柚未の心象を一瞬で把握した水雨は、柚未が抱いている嫉妬に対する情報の収集を始める。
「強気な柚未がそこまで言うという事は、だ。それは自分に対して自信が無いということの現れだとも言えるのは理解出来るか?」
「ああ……痛感している。」
だろうな、でなければ辻褄が合わない。と水雨も共感する。嫉妬心の塊のような恋人を持っているのだ、理解できて当然さ。水雨の瞳は、口ほどに語る。
「自信が無い、つまりは、何かに劣等感を感じているな?大方見当はつくさ。」
そう。その通りだ。柚未は改めて感心する。まだ概要を話してすらいないのに、もう核心にたどり着いてしまった。あまり口に出したくない悩みのことを、自分で手繰って見つけ出してくれる。話したくない類の悩みだという事も既に悟られている現実に、柚未は水雨に感謝を覚える。
「それで……柚未自身は、どうしたいんだ?」
そして最後の最後、お膳立てまでしっかりして、相手にバトンを引き渡す。良いとこ取りをさせてくれる。完璧だ。カウンセリングの英雄になれるんじゃないか。柚未は内心躍りながら、唯一かつ最終核心の水雨の問いかけに答える。
「……二人っきりで、過ごしたい。」
一人の恋する少女の言葉。水雨は、確かに受け取った。と瞳で語り、強く頷く。同時に、柚未の悩みが理想の結論を出すという形で消滅した事も悟った。水雨は立ち上がり、端末の前の椅子へと座りなおすと、柚未に背を向けて小さく言い放った。
「助力は、必要ならばするが――――出来れば一人で解決して来い。その方がきっと、スッキリするはずだ。」
良い報告、期待している。と最後に呟き、再び端末を操作し始める水雨の後ろ姿を見て、柚未は、頼もしさを覚えた。同時に、水雨に梓が惚れた理由も、悟ることが出来た。
(相談して、良かった――――)
思い通りで、期待通り。にして、一番望む結末への第一歩。柚未は小さくお礼を言い、軽い足取りで寮部屋へと向かった。
帰ったら、涼香と遊んで、零と話して――――、みんなで寝よう。なんて考えながら。



Comical scene Ⅹix 慈衣の日常

「はふぅ……大変だったー。」
慈衣が自分の寮部屋へと戻ってきたのは、夜も更け始めの午後9時過ぎ。良い子は寝かしつけられる時間帯に、不健康にも慈衣は端末を起動した。どこぞの副会長ならばまだしも、それとは全く違う純真な少女が端末を起動するところは、見たくても見れなくて出来れば見たく無い光景だ。
とりあえず洗面所で軽く手洗いうがいをして来た慈衣は、二人用の寮部屋を一人で使っていることに対して寂しさを覚えた。いつもは全く苦にならないおなじみの光景が、今日は一段と空虚感を帯びたものに感じるのだ。
(何でなんだろうね、蒼空――――)
徐にダイニングテーブルに座り込んだ慈衣の右手には、一枚の写真が握られていた。若干日に焼けていて、すすけてしまっている一枚の写真。その写真には、笑顔の慈衣と、斜に構えながら作り笑いを浮かべている一人の青年の姿があった。
青年の名は、蒼空(ソラ)。梓と同じ大剣使いの、無口で意地っ張りな青年だった。
蒼空と慈衣が出会ったのは、およそ10年前――――。
小学校の休み時間に、たった一人だけ校舎内から校庭を眺めている少年を、慈衣が見つけたところだった。
「ん?蒼空くん……だよね?」
図書室の一角、窓際の位置から、何か遠くを望むように校庭を眺める一人の少年の姿がどこか不思議で、慈衣は思わず声をかけた。声を掛けられた少年は、徐にこちらへと振り向いて、淡々とした口調で答える。
「―――――そうだけど。」
淡々とした声色が纏っていた、一種の凛々しさ。大人びた少年――――蒼空の姿に魅入られてしまった幼き日の慈衣は、自分が蒼空に会いたがっている事にも気付かないまま、毎日休み時間に蒼空を探した。
そして段々、蒼空にも慈衣との仲間意識が芽生えた。出会って2週間で二人は仲良くなり、この頃滅多に人と話すことをしないと言われていた蒼空の、唯一の雑談相手となった。
「蒼空、これあげる!」
「ん……、チョコ?」
バレンタインにはチョコを。
「蒼空、……はい。」
「え……ありがとう。」
誕生日にはプレゼントを。
「蒼空……読んで、これ。」
「――――慈衣……」
またある日には、ラブレターを。
こうして、慈衣と蒼空の絆は強まり、中学校を卒業してからも、二人の絆は揺るがなかった。蒼空の剣士志望に慈衣も乗り、二人は優秀成績を収めて筆記、実技試験共に通過。
晴れて絶対聖義の章を授かるまでになったのだ。
「蒼空、やったね!」
「ああ……ありがとう。」
「えっ?なに?」
「何でもないさっ!行こう、慈衣。」
明るい未来の先には、もちろん―――――。慈衣も蒼空も、その先にある永久の幸せを予感していた。

しかしながら―――――
「くッ!?」
「蒼空!」
実力を見誤ったのは蒼空だった。単位欲しさに二期生向けの任務を受け、任務対象を撃破後に帰還する道中、凶暴化した狼に囲まれたのだった。術力を使い果たし、体力的に余裕も無く、体力回復ボトルもあと1びんしかない―――――。そんなベタベタな死亡フラグが、二人には立とうとしていた。
「蒼空、これ飲んで!」
狼に蹴散らされ、もはや大剣を掴む腕力すら失っていた蒼空に、慈衣は涙をこぼしながら回復ビンを差し出した。しかし、蒼空はこれを拒否したばかりか、そのビンを握り締めて慈衣に飲ませたのだった。
「慈衣……、それはお前のだ。俺のは、もうない―――――」
「蒼空……?」
なけなしの体力を振り絞り、全精力を使って蒼空は最後の術式を自分に掛ける。同時に、各パートナーに1つだけ配布される緊急脱出用カードを起動、慈衣に使った。
「蒼空っ!?何よ、それ――――」
「理由は、聞かないで……くれ。恥ずかしくて、たまらない……ッ」
思わず倒れる蒼空に、慈衣は短い叫びを上げる。慈衣は蒼空が最後に使った術式が、戦闘意欲自己集中型術式だと知るや否や、蒼空の思惑をも同時に悟ることとなった。
緊急脱出用カードの起動準備が始まり、慈衣の身体が光に包まれる。粒子化を始める自分の身体に、慈衣は怒りを覚えながら目の前の蒼空に腕を伸ばした。
「蒼空!待ってよ、おかしいよ、こんなの!蒼空らしくない!こんなの蒼空じゃない!」
「慈衣、頼むから……笑ってくれ。死ぬ前に、見る、恋人の……最後の顔が、泣き顔なのは寂しい……」
えっ……?何言ってるの、蒼空?と、自分の中では薄々感付き始めていた最悪の事態に、声が震える慈衣。目の前でもう一度立ち上がる蒼空の姿に、慈衣は勇猛さも猛々しさも感じなかった。
そこにあるのは、もう間に合わない――――。という絶望と空虚感だけ。
「そろそろ……飛ぶぜ。お願いだ、慈衣、笑ってくれよ……」
「やだッ!そんなの認めない!逃げるなんて、死ぬなんて、許さない!」
慈衣は、泣いていた。涙が溢れている。喉が痛むほどに叫んでいる。その全ての感覚が麻痺するほどに、現実を理解しようとしない自分がいる―――――。この場の全てが敵のような気すらしてきて、慈衣は猛烈な吐き気に襲われ始めていた。
そして、その全てがなぜ引き起こされているのか。それは――――、
目の前の状況が限りなく絶望的で、目の前にいる最愛の人と永遠の別れをする事が目に見えてしまっているからだ。
「良いや、もう――――慈衣、ごめん」
「えっ、んぐ――――」
蒼空は、頬に伝う涙を噛み締めながら、慈衣の唇を奪った。長年の感謝、思い、全てをこの一瞬に残すと決めて。あと数秒すれば、目の前にいる一番大好きな少女が消えてしまう。その前に、そして死ぬ前に、その少女の感触を脳裏に、心に、刻んでおきたかったのだ。
たとえもう会えないとしても。
永遠の別れを強要されようとも。
また思い出せるように。思い出してもらえるように。
想いは、途切れない。たとえ、もう二度と会えない未来でも―――――。
「さ、てと――――――」
唇を話して数瞬後、慈衣の身体が一際強く輝いた。転移の合図だ。白き光が放つ合図が、ここまで無情なものだったなんて―――――。心のどこかでそんな事を思いながら、慈衣は確かに聞いた。
――――ありがとう、慈衣。

自分は笑っていたのか。
笑えていたのか。
笑ってしまっていたのか。
泣いていたのか。
涙を流していたのか。
苦しんでいたのか。
嘆いていたのか。
逃げていたのか。
空虚感が残る。絶望が拭い去られる。満たされていた心が乾く。乾きすら奪われる。
痛い、苦しい、悲しい、寂しい。
全ての負の感情が襲い掛かってきたあとの現実を、慈衣は記憶から消去した。

たった一つの形見である、胸のペンダントを握り締めながら。

「あれれ……寝ちゃったのかぁ、あたし……」
いつの間にか机に突っ伏したまま眠りについていた慈衣は、机に接していた自分の右頬が痛みを発している事に気付く。おお、痛い。何だか良くわかんないけど感動してるよあたしは。なんて無感動な感動詞を脳内に浮かべるものの、先ほどまで考えていたものの爪痕と思われる空虚感を、どうにも拭い去る事が出来ない。
う~?そもそも何を考えていたんだっけ?自分で考えている事が既に訳分からなくなっている現実に、慈衣は久しい感覚を覚えた。しかしながら、その感覚すら分かるのは久しいという事だけで、どういう感覚なのかと問われるとさっぱり見当がつかないのだが。
しかしふと、指で自分の頬をなぞった慈衣は1つだけ理解する事が出来た。頬を伝う、冷たくて熱い雫。
(あたしは――――悲しかったの?)
どれだけ拭いても、どんなに分からなくても、溢れ出る涙は止まらない。そして、慈衣はやっと気付く。目の前の机にひっそりと、裏返しで置かれ写真を見て。
皮肉にも、その写真に写っている自分の顔は、満面の笑顔だった。



Main episode 19 甦る傷跡

「はいはーい。んじゃ、頑張ってらっしゃい。」
「すみません、お世話になります。」
夕凪の気の抜けた声が廊下に響く。生徒会室の扉が半開きになり、その中に向けて零が一礼をした。何で入らないのかな、なんて周辺のものたちは思うに違いないが、コンピューターの連日稼動により空気の汚染度がもはや尋常じゃない生徒会室に、換気も不十分な状態のまま踏み込むことを、零は恐れているのだった。
今日は久し振りに柚未と零が二人で任務に出向くという予定があったので、急遽涼香の預かり手を夕凪に引き受けてもらったのだ。
最近は、上層部から送られてくる書類の処理を、夕凪が8割強ほど引き受けている。それは水雨の負担を軽くしなければならなくなったためだが、1日だけでも尋常じゃない情報量の為、毎日夕凪は処理に半日強を費やしている。
単位取得は水雨と梓の協力の下、取得手順だけを踏んで最低限分だけ取得。処理が終わったあとは身体が鈍らないように、しっかりと休息をとってから梓や水雨と手合わせをするのだ。
一応、慈衣も書類処理の援助はしているものの、書類処理が得意技と化している夕凪にとって、慈衣の処理スピードは雀の涙。仕方なく慈衣も単位取得側に回り、それが無い時は校内巡回などを請け負っている。
(ま、おかげで端末打つスピードが水雨より速くなったし。自慢できるよぉ、これは。)
浦波高校随一の端末男という異名を持つ水雨に、スピードで劣らなくなったのは約半年ほど前の事。戦闘力でも互角レベルな為、夕凪はキーボード打ちのスピードを密かに誇りにしているのだった。

すーすー眠る涼香を抱き寄せて、膝の上で寝かせると夕凪は端末を起動する。同時にスイッチを入れられた5つの端末が一斉に起動音を鳴らすが、夕凪はそれを遮音術式で遮音した。
(なにが最先端の端末よ。人間の処理速度の限界に追い着けてないじゃない、情けない。)
夕凪の眼前に置かれている端末は、全て最新型のものだ。端末のタイプやスペックが日進月歩状態のこの世界にとって、最新型の端末というものは非常に性能が良くなければならないはずだ、というのが夕凪の考察だ。
しかしながら、目の前の端末は夕凪の処理スピードよりもはるかに劣っている。
なぜなら、いくら夕凪自身が自己加速術式によって、指の駆動速度や、目線の転換速度、視野の拡大などの恩恵を被っているにしても、脳の回転速度までは変えることが出来ないからだ。
(あー頭痛い。脳内で計算ドリル解きながら端末操作ができるなんて、あたしも大したもんだわー、うん。)
本来術式というものは、脳内で術の構築式を展開し、それの解を導き出し、さらに原子の精霊と契約することによって発動する。
単発の攻撃術式や、薄い膜を張ったり、硬い原子の鎧などを纏って防御力を高める術式なら、構築式の解を導き出すのは発動時だけで済む。効果時間が切れてしまえば、契約を続ける意味がなくなるからだ。
しかしながら、自己加速術式は他の術式とはわけが違う。
自己加速術式を使用するに当たっては、自分自身の駆動速度を上げるために使われる。その為、時空の精霊と契約し、そのために構築式の解を導き出すわけだが――――それでは、普通の術式と何ら変わりは無い。
だが、自己加速術式には、他の術式と違って効果時間がある。詠唱して発動、で終わりではない。詠唱して発動、更にその効果を継続させるタイプの術式だ。
その為、効果時間を作り出すには、解を導き出した直後にまた違う解を導き出す、という作業が必要となるのだ。
(本当に古臭い風習よね。契約に対価なんて求めてたらやっていけないっての、この世界。)
その為、脳の回転速度は必然的に上がらない。早くなった分、余分に問題を解かされているのと一緒なのだから。むしろ問題を解く手が鈍れば、そっちのほうが遅延を出す理由となる。
つまり、本当の恩恵を被るためには、解を導き出す構築式を何よりも早く導き出し、それと同時に駆動速度の上昇した指や目から入ってくる情報で行動を行わなければならないのだ。
(これやると本当に訳わかんないわ。視野の拡大、視聴覚の鋭敏化、心拍数の上昇、神経駆動速度上昇……偽の恩恵は全部、一昔前に国が血眼になって撲滅してた覚醒剤とかと何ら変わりない。笑えてくるわね。)
副作用が無い覚醒剤なら公認してもいいのかね、なんて夕凪は皮肉を言い放ちたくなった。副作用のない覚醒剤など、なまじ使用者にダメージが入らないため人間性を極端に失いそうなものだが。
どうせ上層部の連中もヤク中ばっかりなんだろうねぇ、夕凪はいない共感者に共感を求める。今日はいつもより集中できているのはなんでかなぁ、ついに処理中というポップアップを表示させた1台目の端末に、数瞬ながら夕凪は意識を離した。
処理しては増えていく文書アイコンに、若干イライラし始める夕凪だが、いつものことである。何かちょっとあのアイコン笑ってない?なんて思い始めるのも、いつものことだ。
(―――――はぁ、あたしも何か刺激欲しいなー。)
一度水雨を寝取ってみようかなぁ、いやいやリアルに殺されるだろ梓に。自問自答の一人芸は日常茶飯事で、どんどん芸達者になっていく自分が何となく不安な今日この頃である。

夕凪が雑念を振りまきながら端末を叩いている頃、慈衣は健康的かつ利発的に校内巡回を行っていた。廊下で出会う他の生徒たちにも声をかけ、元気よく返してもらう――――。
ひとまず、清々しい校内巡回を終えた慈衣は、単位任務受付前のベンチで一息ついていた。さっき自動販売機で買ったお茶を一口含み、ごくん、と飲み干して小さく息を吐く。
「今日も異常はありませんね。先輩方も優しいし……良い学校。」
慈衣の抱いた感想は、やはり清々しいものに他ならなかった。クラス分けの中では落ちこぼれというグレードがあるにしても、影響力や行使力の強い術式を、みんな秩序を守って所有している。校内で悪用する者など誰一人おらず、みんな思い思いの幸福に花を咲かせている――――。
なんて素晴らしい共用空間なんだろう……慈衣は、見落としがちな現実に嬉しいため息をつく。
「楽しいな、高校生活。努力して進学したかいがあったよ、本当―――。」
「そっか。何よりだよ。」
うわわぁっ!?慈衣は突如として現れた梓に、驚愕のあまりベンチから飛び起きる。数センチほどしかない距離感のまま、肯定された――――?珍妙かつ奇妙で、何とも楽しい現実に慈衣は困惑する。
「校内巡回、お疲れ様。ちょうど今、帰ってきたとこなんだ。風雅もそろそろ来るよ。」
「はい―――、ありがとうございます、会長。」
いやいや会長だなんていわれると、何だか、昼飯おごりたくなっちゃうよー!嬉しそうな梓に、慈衣は頭を撫でる。なんて光景だ、である。後輩に頭を撫でられて嬉しがる先輩、恐るべしである。
しばらく慈衣と梓が雑談していると、端末を閉じた水雨が歩み寄ってきた。梓と同じく、校内巡回お疲れ。と微笑んで声をかけると、そのまま受付で単位取得をしに行った。
「……やっぱりカッコいいですよね、水雨先輩。」
「でしょでしょ!?もうダメだよねあのヘタレ系男子!あーもうっ!」
冗談ニュアンスで笑顔を振り撒く梓の表情は、もう水雨にべたぼれです、と言わなくても伝わるようなデレッデレの表情だった。目は輝き、肌は潤い、何より饒舌。活力が漲りまくっている梓に、慈衣は若干引いた。

「はふぅ……幸せぇ……」
昼ご飯を食べ終わって眠気が満ちる頃、梓は食堂から生徒会室までの道のりを水雨におぶってもらっていた。対格差と幼げな梓のリアクションから、水雨からは保護者オーラが望まずとも放出されている。
しかしながら、そんな保護者水雨は、慈衣との雑談を始めていた。
「慈衣は真面目だな。自分から進んで校内巡回など……校内見取り図を見てから心が折れないなんて、大したものだ。」
「いえいえ!そんなの全然ですよ!」
いやいや、大したものではないか。と感心する水雨の脳内には、入学当初に配布される浦波高校紹介パンフレットの見取り図が想像されていた。
浦波高校の紹介パンフレットは、それはそれは普通のパンフレットと何ら変わらない三つ折りのものだが、書いてある内容の割り当て順が既におかしいのだ。普通、パンフレットには、その施設の存在理念や目的、それにサービス内容などが書かれ、最終的に小さな施設の見取り図が書かれるのが主流だろうが、浦波高校のパンフレットは、そんなヤワなものでは無い。
まず、学校の教育方針。これは普通。次に、教育目標。これも普通。その後に簡単な歴史に、クラスのグレードなどが記されている。これで半面の3分の2。
しかし、その他にかかれている情報は、全て施設の見取り図。言わば、地図だ。
例えるなら、某夢の世界並みなスケールの敷地面積を誇る1階、ほぼ雑談所として不動の人気を誇る教室が並ぶ2階、模擬室へ向かう専用エレベーターや生徒会室など、色々と面倒な鍵つきで深部まである部屋が並ぶ3階、そして無駄に広大で入り組んだ屋上。
さらには、模擬室に始まり、一部の生徒が愛用しているであろう施設が充実している地下1階。尋常じゃないラインナップである。ただの学校の見取り図なのに、ここまで有意義でカラフルなパンフレットを見たことがあろうか、というレベルである。
一種の魔力を持っているパンフレットを手にし、校内巡回をやらされてきた水雨にとって、慈衣の利発的かつ清々しい校内巡回は、劣等感と切なさが織り交じった、哀愁漂う賛同を贈りたいことこの上ないものだったのだ。
「謙遜はよせ。ただの褒めなんだ、そうと言ってくれ。」
「……分かりましたっ。お褒め頂いて光栄です、副会長。」
何だとこのっ、と非常に楽しげな雑談を展開し始める水雨の様子に、背中の梓は苛立ちを覚えた。恋敵の慈衣とそんなに楽しそうにして……梓は嫉妬深く水雨の背中をにらみ、小さな手で水雨の背中をつねった。
それもかなり強く、ねじって伸ばして、全力で。
「ぐあぁっ!?梓、やめてくれ!」
「ごめぇん……ちょっと手が滑ってさぁ……」
手がどのように滑れば、俺の背中をつねる要因となるのだろうか……?水雨は首をかしげながら、痛みを発する背中に鎮痛術式をかけた。大丈夫ですか?と気に掛ける慈衣の対応に、水雨はまた柔らかに応える。
(もう!どうすればこの雑談を阻止できるの!?)
守りが堅い、というよりは難攻不落な恋人と恋敵に、不屈をモットーとしている梓の精神は危うく折れかけるのだった。

「ただいまー、寝音。」
「はいはーい。」
今日も元気に端末をいじっているなぁ、と水雨が夕凪に呟くと、そっくりそのままお返しするよ親愛なる皮肉屋さん♪と夕凪が返した。まるでケンカでもしているのではないか、と錯覚する慈衣は、いつものことだから。と呆れた口調で補足してくれる梓が、いつになく大人に見えた。
とりあえずどうするー?と机に突っ伏しかける梓の視界右端に、零と柚未の一人娘、涼香の姿が入ると、梓の姿勢は途端に回復した。おおおおおっ!?と大げさな驚愕を示した梓は、素晴らしく可愛い寝顔で眠っている涼香の元へと近寄り、夕凪の胸元から抱き上げた。
「わあぁ……!可愛いー!」
そうやってあやしているお前もよっぽど可愛いけどな。水雨は、どこかキザな皮肉を吐きかけてすぐに口を塞ぐ。幸いにも、水雨が危うく吐きかけた皮肉の内容を知るものは、生徒会室の中には一人として存在しなかった。
「良い子に寝てるよ……実年齢的にはもうだっこされる歳じゃないだろうけど可愛い!」
確かに、涼香の年齢は10歳に満たない程度の年齢の為(実年齢などの個人情報は国によって抹消されている為、およそ6、7歳前後と思われる)、抱っこされて眠るにしてはほんの少し幼い気もする。
しかしながら同時に、世治の四聖家の末裔には、何らかの形で常人とは違う成長や容姿を持つという、一種の副作用のようなものが働いているという研究結果がある。
それは、人体に未開発状態の術式を無理やり組み込んだ為に発生した、人体に影響を及ぼす拒絶反応の言わば名残である。ちなみに、水雨に発生している副作用は、ホルモンバランスがほんの少し狂っているという副作用で、どこか細身で儚げな中性的な容姿を持っている。
だとするなら、ほんの少し成長が遅れているような気がする涼香にも、納得がいくのではないだろうか。むしろ、ここまで幼い身体に膨大な知識量と魔力を留めているのだ、錯乱しないほうが奇跡といえるだろう。
「ああ……いつまでも抱っこしてたい……ほっぺたぷにぷにしたい……はうぅん……」
というか、目の前で無邪気に笑っている生徒会長の幼さを見てからというもの、たった数年ごときの幼さではもはや普通なのではないか?とすら錯覚してしまう水雨はきっと正常だろう。
(涼香……なんて所に置き去りにされてしまったのだろうな……)
安全で危険な場所、と言うのに相応しい生徒会室に、預けられた涼香。あやされ遊ばれ、逆に疲れてしまいそうで、それを傍観する水雨には、涼香が若干不憫にも思えてくるのだった。
まぁこれも末裔の天命だろう。と、水雨は夕凪の助力を開始するのだった。



Comical scene XX 疼く傷跡

「んじゃ、今日の会議は終わりぃ。お疲れ様、みんな。」
梓の気だるい号令が響き、今日の生徒会の会議は終了した。面々がゆっくりと生徒会室を出て行く中、いつも最後に電気などを消す梓が、ふと気付いた。
仮眠エリアで眠っている、涼香の姿がそこにあったのだ。
(そういえば、零くんも柚未も迎えに来なかったね……)
とりあえず、梓は涼香をおぶって外に出た。電気を消し、鍵を閉める。ガチャリ、というお決まりの効果音が響くのを確認した梓は、ゆっくりと携帯端末を開き、零に連絡を取った。既に時刻は夜の9時を回っている為、二人がこの学校に帰ってきていないことは一目するまでも無く瞭然だったのだが。
形式的な意味の連絡は、コール3回目で繋がる。
〈もしもし、零です!梓、お願いするんだけど―――――〉
「あーだいじょぶ。もうそのつもりだから。帰ってくるのはいつぐらいになりそう?」
えっと……明日の夕方には。と、早々と応える零に、うん、オッケー。と軽く返す。ほんの少し笑い話を交わして通話を切ると、言い表しようのない沈黙がこの空間を支配していることに梓は気付いた。
生徒会しか、もういないんだ―――――。そんな当たり前の沈黙すら、梓に使命感を生ませる材料となる。ふと、小さく振り返れば、幼い寝息が自分の背で立っているのに気付く。涼香の鼓動に、体温が伝わってくる。当たり前の事がどうにも嬉しくて、梓は思わず笑顔になった。
(よし、帰ろうっと。)
今日はどうにも足取りが軽いなぁ、なんて自分の中で思いながら、梓は沈黙の廊下を歩み進んだ。

「ただいまー。」
電気が全くついていない、生気ゼロの部屋に向かって、梓はただいまを言う。応えてくれる相手がいないことは分かっていても、パートナーにするなら水雨だけだ、と決めたあの日から梓は、帰る先に誰もいなくても、ただいまを言うようにしている。
そしてかれこれ3年ちょい。未だに根を張る自分の恋は、いつになったら花が咲くのやら。蕾のままくすぶる思いは、きっと水雨も同じなのだろうと今日も願う。
涼香をベッドに寝かせ、梓は洗面所へと向かう。手洗いうがいをいつも通りした後、鏡の前の自分が妙に嬉しそうなのを見て、動きを止める。口角が上がり、自分の赤い眼もいきいきとして―――――。
そうだ、ふと梓は気付く。カラコン入れっぱなしじゃん。一時期から、水雨の蒼い眼に対抗意識を燃やしていた梓は、大好きな赤のカラーコンタクトをよく眼に入れていた。と言っても、生まれつきの碧眼が持つ深みに梓は敗北し、今ではカラコンを趣味で入れるようにしている。たまに怒った時に眼が赤くなるが、それは術式の副作用だというのが少し悲しい。
カラーコンタクトを外し、茶色に戻った自分の眼を見て、梓はまた気付く。そう言えば1年程前、梓は水雨に殺されかけた事があった。ちょうど木賊事件の折だったかな。たしか木賊を助けに行こうとした自分を止めるのに、水雨が本気になったときのことか。梓は、今でもあの時の水雨の表情を忘れない。
(充血してるのに澄んだ空色の瞳、優しさも怒りも全て失った無感情な眼差し――――)
梓は思い出すと、途端に背筋が寒くなり、身体が震えた。思わず肩を抱き、自分自身の熱で身体を温め直す。8月も下旬のこの季節に、寒さを感じる理由など怖さ以外の何も無い。
そう考えると、梓はあの時の水雨の、実力を思い出す。
一瞬で意識が断絶して、気がついたら自分の身体は傷だらけで。目を覚ましたら、泣きながら自分を治療している水雨がいた。
何も覚えていない、と言いたい。
けれど、身体はしっかりと覚えている。
死への恐怖とともに、伝わってきた。何よりも鋭い、水雨の剣閃。
怖かった。
(ダメ、これ以上は。考えちゃ、ダメ―――――)
考えちゃいけないの。これ以上はダメ。だって、怖いから―――――。梓は、ハッキリと感じていた。この瞬間、あの時を思い出して、思い出すだけで、自分の身体が、恐ろしさを甦らせる。
致し方ない形でこそあるものの、結果的には、水雨につけられた深すぎる傷跡。表面的にしか癒えていない傷跡をなぞりながら、長い間意識下から消えうせていた痛みを感じる。
「ダメだよ、こんなの。ご飯食べようかな……」
購買部で買い置きしておいた食べ物を、電子レンジに入れる。ピッピッ、といういつの時代も変わらない音を響かせて作動する電子レンジにすら、梓はなぜか寂しさを覚えた。
一人でいるのがどうにも嫌になって、梓は寝室へと向かう。規則的な寝息を立てている涼香の姿を目に入れると、言い表しようの無い喜びと安堵感を梓は感じた。
「仕方が無いんだよね、風雅――――」
ベッドの片隅に座り込み、梓は溢れる安堵感の中で、小さく呟いた。



Main episode 20 その女、卒業生につき

時を少し遡り――――、昼過ぎほど。
太陽が照りつける戦場の中を、零は駆けていた。
「はっ!せいっ!たぁっ!」
剣を振り、銃を撃ち、ひたすらに戦場を駆ける。血に塗れた地面を見るのはもう慣れたものだが、同い年――――もしくは1、2歳年上の学生から、人を殺めて喝采を受けるのだけには、どうにもまだ慣れない零である。
戦場の先を行き、道を切り開く。その後に、他の学生たちが戦っている最中戦場を抜け出し、マガジンに弾を装填する。
もはや日常となりつつあるこの行動に、零は一抹の悲しみを覚えずにはいられない。
(コンテナに背を預ける事にすら、もう緊張を感じないのか……)
初めて戦場に来た頃など、幾多に積み上げられた無数のコンテナにすら恐怖感を覚えていた。あのコンテナの先で、学生たちの断末魔と兵器の起動音が交錯している。そう考えるだけで、約3ヶ月ほど前の自分は心が震えていた。
しかし、零はその恐怖自体には、嫌悪感を抱いてはいなかった。むしろ、自分が正常な感覚を持っているんだ、という1つの安心材料にすらしていた。
だが、戦場に行く回数が増えて、経験が積まれていくにつれて、その恐怖という感覚は次第に薄れていった。術式程度で自分を銃弾から守れるのかな、なんて恐怖すら、もはや感じない。目の前の兵士を殺す事だけに意識をつぎ込めば、銃弾の一発や二発、意識すら出来ない事を零は悟ってしまった。
(けど今は、そういう時じゃないよね……今は、戦う事が正解なんだ。)
零はそう考えた後、自分の今の決意が誤っている事に気付く。正解など求めていない。あるのは、自分の未来を求める事だけだ。殺されてしまったら、全てが終わる。だったらその前に殺さなければならない。割り切った感情や思考が嫌いな零でも、そう言った考えを持つようになったのは成長といえるだろう。
いや、これは成長なのか。そこで迷う零は、未だ正常だ。
正常であって、成長ではないのか。成長する事は、正常ではないのか。
「答えはきっと、未来にあるハズだ――――!」
そう言い聞かせながら、零はまた戦場へと躍り出る。

「私を囲むか……面白い。」
一方、零とは逆方向の南側を切り開いていた柚未は、ざっと数百人ほどの兵士から、銃を構えられていた。
死へのリスクが高い兵器を、零が相手をするというのが今回の作戦のメインテーマだったが、こうも数で押し迫られると、兵士すら兵器のように見えてくるのは錯覚ではないハズだ。
駐屯所を潰していく、というのが今回の柚未の行動目標だが、駐屯所ともなると兵士の人数が必然的に多くなる為、零の侵攻ルートとは正反対―――――つまりは、術式攻撃型の学生が大量に配置されていたのだ。
結論、柚未は始めの数百人を、一人で相手にしなければならないという事になる。
(人海戦術か……無難だが、その程度の戦術では私を殺す事は出来ないという事を教えてやる)
単純に数で押し切る事がどれだけ不用意かを、柚未は目の前の兵士に示す事にした。
手始めというにはスケールが大きすぎる気もするが、柚未は数百の兵士の中心で突風術式を展開した。術式詠唱の動作に柚未が入った瞬間、数百の兵士が一斉に柚未に向かって銃弾を放つ―――――が。
「その程度なら――――死ぬぞ?」
銃弾を全て刀で弾き返した柚未は、突風術式の詠唱を完了する。小さい挙動とともに突風が形成され、柚未を中心として4つの竜巻が四方に浮かび上がる。風速にしておよそ40メートル超、そんな超突風が一瞬にして巻き上がり、数百の兵士は大きく空に吹き飛んだ。
兵士たちの間抜けた叫びが場の空気を支配する中、柚未はもう一度刀を抜く。小さく笑い、兵士たちの確定的となった死の運命をあざ笑うかのようにして。
そして柚未は、間抜けた兵士たちに向けて、全力で刀を振るった。正に、一閃と言い表すのが正しいであろうその一閃は、隠れていた学生の瞳には目映る事すらなかっただろう。
音速並みの一閃を振った後、柚未は刀を収めて姿を消した。
―――――まぁ姿を消したといっても、大半の人間にはそう映るという一般的な形容の仕方をしただけで、事実を言えば目に映る事の無い速度で近くのコンテナに飛び乗っただけだが。
(面白いものが見れるぞ、同校の学生たち。)
未だ眼下の茂みに身を潜める者たちへ一言言い放った後、柚未は観衆たちと同じく空を見上げた。
未だ宙を舞っている兵士達が落ちていく。そんな滑稽な時間が過ぎていくのだろう、と誰もが思ったことだろう。
しかしながら―――――
ズバァン!と現実離れした大きな斬撃音が、次の瞬間戦場に響いた。その音の正体を探そうとするならば、まずは宙を見上げる事だろう。
宙を舞っていたはずの兵士の身体が、腹辺りから真っ二つに、全員が全員斬り離されていた。
「ふ……他愛も無い。」
柚未は、コンテナから大きく跳ぶ。駐屯所を破壊する、という任務内容自体を達成した柚未の、目的は1つ。
零が待つ、戦場の最終地点へと向かうのだ。

「やっぱりさ、こっちの方が良いよな。」
零は呟く。学生たちで賑わう拠点の廊下を、柚未と共に歩み進めながら。まるで先ほどまで戦場で、それも先陣を切っていた者とは思えないような出で立ちで。日本古来の浴衣を着込んだその姿は、本校一部の女子生徒や男子生徒にはたまらないレアな零と柚未の姿だろう。
しかしながら、零の呟きは柚未にとっても同感だった。柚未にとっても、戦場で戦う事はあまり好きではなかった。必要であるならば、戦う事も辞さない――――。一応、柚未の主義ではあるものの、その考えをもたなければこの時代を生き抜く事は困難を極めるからであって、別に柚未の本心ではない。
そんな世知辛いこのご時世を理解している二人が向かっているのは、大浴場だった。
浦波高校に似た構造をしているこの拠点ではあるが、明らかに浦波高校には無い施設をこの拠点は取り入れている。どちらかというと、こっちの拠点はレジャー性が強いため、食堂に変わってフードコートが用意されているのがその一例だ。
レジャー性が強いせいか、どちらかというと娯楽的な賑わいを持っている廊下を通り抜け、零と柚未は大浴場へと向かう。

大浴場へと着くと、日本人にとっては非常に馴染み深いといえるであろう、「男」「女」と2つののれんにでかでかと書かれた入り口に辿りついた。受付に生徒番号と氏名を言って入る、という昔ながらの制度を取り入れている。
さて。零と柚未が受付に向かうと、受付ではなにやらいざこざが起きているようだった。揉め事でもあったのか、1人の女性が受付の従業員に向かって文句を言っている。受付の女性は風貌的には学生らしからぬ感じだが、なぜか雰囲気が幼い気もした。
まぁそれは、いざこざを起こしながらも一つ一つの仕草が妙に幼いことが関係しているのだろう、と零は考える。
とりあえず零と柚未的にはさっさと風呂に入りたいので、いざこざの最中ではあるが受付に向かう事にした。受付へと歩みを進めると、いざこざの内容が口論と共に伝わってきた。
「だーかーら!なんであたしはお風呂に入れないのよ!」
「ですから、浦波高校在籍の生徒様でございませんと……」
「あたしは元生徒よ!卒業生!だかられっきとした浦波高校所属じゃない!」
なにやら支離滅裂だな……。零はため息をつきそうになるが、もしため息なんてついたら怒りの刃がこっちに向きかねない。零は出来るだけ肩を丸くして、従業員にこっそり自分と柚未の生徒手帳を見せた。
従業員が女性の怒りを受けながら小さく会釈したのを感じると、零はそそくさと受付を去ろうとした。
が、零の懸念していた事――――何と、女性がこちらに矛先をチェンジしてきたのだ。
「ねーぇ!あんた何?何で綺麗にスパッと横入りしてるわけ?あーもう清々しいくらいに非常識で怒れないじゃない!」
いやでもあんた怒ってるじゃん。零は言いたいのをぐっとこらえ、こっちに向いた女性に軽く頭を下げる。そしてそのまますっと足早に去ろうとした――――
――――しかし、零は女性が掲げている生徒手帳が目に入った瞬間、去ろうとする足を止めた。
生徒手帳に書かれていた名前は、水雨 湊。
奇しくも、我らが生徒会副会長、水雨 風雅と同じ苗字だったのである。それを悟った零は、柚未を先に行かせて女性に声をかけた。
「口論中、すみません――――あんた、もしかして水雨副会長のお姉さん?」
零が質問すると、女性―――――湊は、しかめっ面を柔らかな微笑みの表情に変えて、答えた。
「うん、そうだよ。にしても、よく分かったねー?」
言動と声色が妙に幼い割には、変に微笑みが弟と似ていて大人びていた。

「っと、すみません。お待たせしました。」
風呂を出てからお話しようよ、という湊の提案により、零はさっさと風呂に入って出てくる必要があったのだが――――零は昔から長風呂な癖があり、1回の入浴に最低30分は掛けないと気がすまない性質なのだった。
「謝ってくれて、ありがと。怒ってないから心配しないで?」
満面の笑みを浮かべるのではなく、代わりに大人びた微笑みを浮かべる所、やっぱり水雨の姉といったところか。水雨の口調をそのまま優しくしたような口ぶりに、零は苦笑の混じった笑顔を浮かべた。
〈こちらこそ、悪かったな。怒ってなどいない、心配はいらないさ。〉
比べれば比べるほど弟とリンクしている湊の口調に、零は思い出し笑いを浮かべてしまう。弟もこれぐらい素直で優しかったらいいのに。梓が会ったらどんな顔をするだろうか。色々なことを考えすぎて笑ってしまいそうな零に、湊は大丈夫?と声をかける。零はハッとして表情を普通に戻すが、思い出し笑いの余韻は消えなかった。
大浴場のフロント端に位置する、マッサージチェアと自動販売機のゾーンで、湊と零は話をした。
「そだ、風雅は相変わらず理屈こねてる?」
「はい。絶好調ですよ。」
そっかー。風雅らしいや……。湊の表情が緩むのを確認した零は、弟の事が大好きなんだなぁ、と感じた。どこか遠くを見るような湊の表情は、甘いも辛いも経験した大人の女性のものだった。
「だったら梓ちゃんも大変だねぇ……愛想尽かされないか、お姉ちゃんちょっと心配かな。ちょっとは素直になりなさい、って言っといて。」
「……失礼ですが、あの性格、治ると思いますか?」
ううん。絶対治んないよ、あれは。と言ってのける目の前の姉、湊。思わず零はため息をついた。零がため息をついている様子を見て、湊は優しく微笑んで、零に言った。
「風雅のこと、心配してくれてる?」
「副会長に……心配の必要は。いいや、梓会長に相談されるんですよ。風雅に嫌われちゃったのかな……って。」
零がそう言うと、湊の表情はどこか悲しげなものになった。確かに、弟が何年も思ってくれていて、増してや関係自体も親しい恋人に、憂いを感じさせている状況を聞かされたら。姉の湊としては、梓が不憫で仕方ないのだ。梓ちゃん、何かかわいそうだね。と零に笑いかける湊だが、零には分かった。湊も凄く心配しているのだな、と。
「風雅、夏休みに帰ってこないのかな……。お姉ちゃん寂しがってましたよ、って言っといてね。」
零が承知いたしました。と応えると、湊は「よろしい!」と冗談混じりで答えた。もうすっかり意気投合だ、なんて零が考えていると、柚未が女湯ののれんから出てくるのが目に入った。
「柚未、こっちこっち。」
「ん?あ、ああ……?」
怪訝そうな表情で近づいてきた柚未だったが、湊と話した途端に意気投合し、結局部屋まで一緒に帰ることになるのだった。



Comical scene XXI 幼馴染談義

水雨は、リフレッシュルームにいた。
普段通り、かつ何の変哲も無くもはや日常の一部と化している言わば恒例のようなこの出来事について、一抹すらも興味を覚えるものはいないだろう。
そんな徒然とした状況下で、水雨は徒然と考え込む事にする。
そう言えば、今日はこの部屋で端末を操作していない。端末の存在定義こそが俺の存在意義だ、と冗談の勢いで言ってのけるほどの端末男、水雨にとって、リフレッシュルームで端末を操作しない日など、忙しくなりつつあった最近ではあり得ない事だった。
端末を操作しないという事は、忙しくない――――即ち、それは水雨の周りが穏やかで、平和である証なのか。
それとも、それはただの偶然で、午前中に夕凪と二人でいつも以上に文書処理を行ったが為に生まれたイレギュラーなのか。
答えを求める事自体、野暮なのかもしれない。
いやしかし、野暮な事を考えていられるという事は、少なくとも状況は緊迫していないという証明だといえるだろう。つまり、水雨の周辺は穏やかである、という考察は、合っていないにせよあながち外れていないのだ。
だとするならば、水雨の周りが穏やかだから、水雨は端末を操作していないのか。
そうじゃないだろう、とは言わなくとも。そうではないんじゃないか?と水雨は言えるだろう。
というか、そもそも。なぜ端末を操作していないという小さなどうでも良いとてつもなく無駄で日常で蛇足な事柄について、こうして10行以上も語って考えているのだろうか。
そのこと自体は、有意義で非日常でごく稀な体験であろうが。水雨は嘲る。
俺は何をやっているのだ、と。リフレッシュルームの一角で、俺が手を握り締めて考え込んでいる絵面で10行以上も浪費しているじゃないか。この浪費はとてつもなく無駄で、無意味で、何よりもどうでも良くて幸せである事だけは確実だが。
水雨がこうしてどうでも良い時間を浪費していると、その時間を有意義なものにすべく現れた一種の救世主のような彼女が、リフレッシュルームに入室してきた。
「水雨ぇ。相変わらず辛気臭いね、自称うつ病?」
「自称というには少々重過ぎるが……心配は無用だ。俺には周りをうつ病にさせる自信があるからな。」
うっわ何それマジで迷惑以外の何物でもないよね。夕凪はいつも通りというには些か過剰な反応をしてみせる。しかしながら、これも彼女なりの愛情表現の一種だというのも、忘れないで欲しい夕凪である。
まぁ、いつも通りお節介で素直じゃない彼女の出現が、ほんの少しだけ嬉しかった水雨でもあるが。
水雨という親しい幼馴染の前でだけベールを脱ぐ、夕凪という名と肩書きを持つ少女は、水雨の右隣約10センチの位置にゆっくりと座り、小さくため息をついた。
普段なら、ため息をつくという感情を晒す動作よりも、自分をあざ笑う、半ば自虐的な感情を隠す動作をとりたがる彼女にとって、ため息をつくといった形で自分の感情をさらしだすという行為は、水雨にとって過剰なまでに心を開いている証拠といっても良い。
「辛気臭いのは苦手なんだ。俺まで辛気臭くなるからな。」
「それは一種の逃げだよ、水雨。そうして現実から逃げたがるのもまた君らしいといえばらしいけれど、今は傷心状態かつ満身創痍でガードブレイクなあたしの狂言を聞いてくれてもお釣りはくるよ?」
そこまで状態異常に罹ったらさすがにエスケープするのが俺の流儀なんだが、というセリフが水雨の脳内に浮かぶものの、水雨はそのセリフを口に出すような真似はしなかった。曲がりなりにも十数年来の付き合いである彼女が、増してや人に弱みを晒す事を良しとしない彼女が、こうして弱みを晒すほどに信頼を寄せてくれているのだ。さすがの水雨も、苦手分野に手を出してみようといった気になった。
話してみろ。小さく水雨が言うと、夕凪はいつもと打って変わった声色で話し始めた。
「水雨は、さ。単刀直入に、今の自分ってどう思う?」
「……簡潔に述べるとするなら、なるべくしてなった、という感じだな。」
水雨は、簡潔に述べるとするなら。と前振りはしたものの、正直言ってそれ以外に言い表せるような自信も、これといってあるわけではなかった。
述べるとする―――――即ち、言ってみるとするなら、という表し方は、この場合正しくないのかもしれない。いや、正しくないのだ。
なぜなら水雨は、こう言うしか出来なかったのだから。
「なるべくしてなった、かぁ……。つまりそれは、予めこうなる事を想定した上で、こういった今という現実に立ち会っている、と考えていいのね?」
「――――ああ。一応、言い訳をするなら、自分自身を測る事ほど無謀で不相応なことは無いといっても、良いだろうと思うが。」
無謀って、どういうこと?夕凪が水雨に問い掛けると、水雨はすかさず答えた。
「なら、問い返す事になるが。夕凪、お前は鏡に向かって問い掛けて、答えを得られるのか?」
水雨の例えは、もっともな事だった。鏡に向けて問い掛けたところで、結局は問いかけしか返ってこない。自分に疑問を抱いて定規を掲げたところで、自分には疑問しか返ってこないのと同じように。
だとするなら、と夕凪はもう1つ問いを水雨に掲げる。
「だったら、鏡に向けて問い掛けても、答えは絶対に得られないの?」
「――――それは、その問いを掲げたお前が知っている筈だ、夕凪。」
第一だ、そんな問いを掲げるなら、自分自身が鏡から答えが返ってくると信じているからなのだろう?と続ける水雨に、夕凪は何も言えなかった。確かにそうだ。返ってこない、と納得しているのなら、これ以上鏡についての議論を続ける筋合いもないというものだ。
そんな夕凪を見て、水雨は納得するように論を続ける。
「無論、答えを得る事は出来るだろう。得られないわけじゃない。とてつもなく難しいだろうが、な。」
たとえそれが幻聴だったにせよ、それが自分の声だったにせよ。得た答え自体は、自分が求めていたものに変わりないのだから。
水雨の言っていることはもっともで、そして何より普通だった。
「だけどさ、水雨。それで答えを得たとして、その答えが正解だとは限らないじゃない?」
水雨が普通の答えを切り出すのなら、その対となる夕凪もまた然り。夕凪自身も、純朴で普通な疑問を返してみせる。
夕凪が言っているのは、もはや人間が生きるにあたって至極当然の事柄だった。自分の考えこそが正解だと信じて、人生という道を歩み進める――――その危険度を、人間は幾度と無く痛感してきたはずなのだから。
だとするなら、と水雨も切り返す。
「だとするなら、夕凪。お前は正解という1つの価値観にとらわれるのを承知の上で、その正解という不定形なるものを掴み取ろうとしているのか?」
水雨が言うと、夕凪は黙った。未だ納得しきれていない様子の夕凪に、水雨は更に続ける。
「これは既に個人の領域だが、俺の考えをお前に伝えるとするなら、正解は絶対ではないという事を言っておこう。」
正解なんて、正義なんて、どこにも無いんだ―――――。かつて水雨も、1人の少女から教えられた身である。正解なんて求めても、きっと見つからない。たとえ見つかったとしても、〈正解だから〉って納得できるほど、人間っていうのは出来ていないんだよ。
水雨は納得した。こんな理こそが全てというような男が、初めて感情論で納得した。納得なんて、信じていなかった。
だけど、俺は納得した――――。
強さを持ってしまったが故に、世界の闇を知ってしまった幼い大人の、至言の1つだから。
「……正解は、間違い?」
最後、と前振って夕凪は問い掛けた。そう言うなら、正解は間違いなのか?と。
水雨は――――、口を開く。
「正解が間違いかという質問は、野暮だ。しかしながら、物事において正解は無いのが現状だ。1つ言いたい。解が全ての数学なんかで、自分の人生を測られてたまるかという事だ。」
正解なんかに縛られて生きていては、見えるものも見えなくなってしまう。有るべきものも無くなってしまうことがあるからな。水雨は言ってのけた。かつて、同じ考えをもち、今まさに同じ間違いをしようとしている夕凪に向けて。
「言っておくが、正解は無くても不正解はある。不正解と間違いは違うからな。それだけ覚えておけ。」
水雨の完璧すぎる論議に、夕凪は何かを言う事はなかった。納得の嵐だ。納得できない者は申し出てもお釣りが来る。そう確信できるほどの論議だった。
腹が立つほど完璧で不完全な副会長に背を向ける1人の少女は、リフレッシュルームを退室する際に言い残していった。
「……今度、2人で何か食べに行こうね。」
出来るだけ音を立てずに―――――。そう言い残して去った少女の背中に向けて、水雨は返した。
「――――願っても無い話だな。」
水雨は、小さく息を吐いた。



Main episode 21 帰郷の必要性

「あのバカが……寂しがるほど幼いわけでは無いだろう……」
零の報告に、水雨は頭が痛かった。昼下がりの生徒会室には、浦波高校の話題性をほぼ独占している張本人たち、つまりはオールスターが、集結していた。
言わずと知れた生徒会長、梓に、学園祭で人気再沸騰中の副会長、水雨。水雨の妹として普通にアイドルの、夏羽。
脅威の文書処理能力で噂は生徒のみならず上層部に届く勢いの夕凪、期待の新人として注目を浴びまくっている慈衣。
そしてもはや今年度最高の話題性を誇る少年、零に、そのパートナーとして全校の90%がファンである柚未。隠し子としてマスコットキャラクターの依頼が来ている涼香。
昼過ぎからなぜ生徒会室に、こんなにも高校オールスターが揃ってしまったのかと言うと、上層部から生徒会に言い渡された強制夏季休業なるものが発端だった。

「ふうが、こんなん来てたんだけどさ……良く分かんなくて。」
「ん?見せてみろ。」
梓が朝に来たら投函口に入っていたという一枚の紙には、上層部からの連絡という仰々しい題目が銘打って書かれていた。しかしながら、そんなに重大な報告ならいくらなんでも梓にだって分かるし、増してや封筒に入ってすらいない連絡など、決してウェイトの大きい物でないことは瞭然だった。
でも一応は上層部からの連絡なので、読んで見ることにするが。水雨が紙を開くと、そこには「強制夏季休業」のお知らせと書いてあった。
強制夏季休業というのは、その名の通り。夏季休業期間中であるにもかかわらず、休業をとっていない生徒に向けての上層部からの計らいなのだが、水雨には少し理解に苦しむものといえた。
現状から言って、浦波高校の評判は前年度から上昇している。しかしながらそれは、新入生の零と柚未、さらにはそれに便乗した梓の偶然から生まれたものであり、それを差し引くとするなら今年度の浦波高校の戦力的な数値は、前年度を大きく下回ることになるだろう。
増してや夏季休業とは言え、他の生徒たちも帰郷している時期。そんな時期に、圧倒的戦力を誇っている浦波高校の言わば英雄を、悪く言えば排除してしまってもいいのだろうか。
とは言うものの、個人的にはまとまった休みが欲しかった水雨は、軽く微笑む程度に抑えたのだが――――。昼前に任務報告にやってきた零から、姉の話を聞いた途端、水雨は気が気ではなくなったのだ。

というわけで、数行前に状況は戻る。
「ふうが、ふうがのお家ってデカいの?」
「いや、小さい。だが、別荘なら――――小さくは無い。」
水雨がため息をつきながら話す別荘というのは、風雅の姉こと湊が購入し、改築をしまくっている建造物の事だ。やはり世治の四聖家の末裔、単純な戦闘力だけでは常人を軽く凌駕する。実の姉である湊も、それの例外であるわけが無かった。
一応、この浦波高校に所属していた当時は女の英雄と呼ばれていたくらいだ。梓と同じく大剣使いだが、慈衣のように自分で生成して戦うタイプの戦士だった為、湊はかなりの戦闘力を誇っていた。
その湊が卒業し、現在では傭兵をやっていると弟も噂で聞いたが、その任務遂行能力の高さから、毎回毎回金を巻き上げ、弟の通帳におすそ分けなんてしてみたりもしている(1つの口座の限界額まで到達してしまったらしい)。
その金持ち湊の改築である。性格上、妥協を嫌う姉だからこそ、行くのも楽しみではあるが同時に怖い。1人で1区とか借りていたらどうしよう。オーシャンビューとか言って砂浜全体に沿うようにして建っていたらどうしよう。
恥ずかしさマックスの水雨に、梓は察さず言った。
「みんなで行こうよ、ふうがの別荘。」
奇しくも、いつもはありえないほどの速さで電話をかけ、さっさと手回しをしながら。

True will 2

True will 2

1の続きです。 暇つぶしにでも読んでいただければ冥利に尽きます。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted