ヨダカ 第一話ゴム飴
空中に舞った小さな砂粒が外套にぶつかる音が聞こえた。黒かった袖口は細かい砂が入り、黄色へと変色していた。
誰かがぶつけたのだろうか――。
砂の塊がたまに背中をうった。
第一話 ゴム飴
「あーあ。あやうく死にそうだったよ」
彼はたん瘤みたいなほお袋を膨らませながらそう言った。
「黙れ――」
辺りはとても静かになっていた。先ほどの砂を混ぜた風がなくなったのだろうか。青年の低い声がよく聞こえた。
「ねぇ。ヨダカぁ」
彼は青年に声をかけた。だが青年は何も答えず、彼を背負ったまま歩いていた。
「ねぇ」
「……」
青年は黙ったままだった。彼は少し不満そうに「もう、いいよ」と言い、青年の背中から外套のフードへと移動した。さっきの砂だろうか。フードの中は暗く、ザラザラとしていた。
一体青年は、何処を歩いているのかわからなかった。フードの中にいる彼は外の風景を見るため、バランスをとろうと中でバタバタと足を動かした。そして、彼は、あることに気がついた。バランスをとるための支えがなかったからだ。
彼は青年が木で作られた大きな薬箱をいつも背負っていたことを思い出した。いつもなら彼はそれを使ってバランスをとっていたのだが、今日はそれがなかった。青年はその木箱を背負って、魔女からもらった薬を街中や人通りが多いところで売っていた。しかし、今、青年はワタリガラスに似た黒い色の外套を一枚羽織っているだけだった。
周りから人の声や雑音が一切聞こえなかった。しばらく聞こえたのは青年の足音が反響している音だけだった。彼は仕方なくフードの布を手繰り寄せ、外を見た。外のひんやりとした空気が中に入り込んだ。彼は身を震わせながら、ゆっくりと辺りの様子を見た。何処かの回廊だろうか。床は長方形に形成された石が隙間なく並べられ、アーチ状に開いた壁から光が入り込んでいた。
「ねぇ。ここ何処?」
彼は目の前の黒髪の青年に質問した。
だが、青年は何も答えなかった。
「ねぇ。ヨダカぁ。ヨダカってば‼」
彼は語気を強めた。
青年は少しだるそうに首を後ろへとやった。そして口をゆっくりと開いた。
「カジ…。次に喋ったら焼ガエルにするぞ」
表情はわからなかったが、その声に抑揚がなかった。蛙は不満そうに口を結ぶと、またほお袋を膨らませた。
すると、青年は急に立ち止まった。どうやら行き止まりらしい。蛙は様子を見ようとフードに足をとられながら、青年の肩に移動した。
目の前に壁があった。壁は回廊と内部を繋ぐ場所に塞ぐようにあって、少し不自然に感じられた。その壁は厚さがそれほどなく、床と比べると作り方が雑で、後で作られたように見えた。そして中央に大人一人が出入りできそうな隙間があいていた。しかし中は暗くて様子がわからなかった。そこからだろうか。辺りにはカビとし尿が混ざったような匂いが漂っていた。蛙は思わず咳払いしたが、青年は表情一つ変える事がなかった。青年は壁に釣り下がった木の板を二回叩いた。
「眠る。二つの空の雲。ゴム飴下さいな」
すると突然壁の陰から白い腕が伸びてきた。血管の走り具合からして成人の男性だとわかった。しかし、その手には何もなかった。
「金はあとだ」
青年はいつもより低い声を出した。
「お金を…」
闇の中から弱々しい嗄れた声が聞こえた。
「物を見てからだ。物によっては30出す」
その白い腕がわずかにピクリと、動いた。
青年は静かに目を閉じ、溜め息をついた。
買う場所を間違えた―。青年は聞こえるか聞こえない声で呟いた。
「交渉決裂だ。スラ売りなら、何処にでもいる」
「ま…待ってくれ‼」
男は裏返った声を出した。
白い腕は闇に消えると再び現れた。
「見せてもらう」
青年は渡された茶色の小瓶を見た。そして蓋を開けた。
「病に侵されている」
ヨダカは陰の中の男を見た。そして、その白い腕から、血の気ひくのがわかった。
「こんなもの売ったらわかるだろ…」
「す…っ、スラは貴重なものだ‼なかなか手に入らない‼」
「だから、何だ――」
その瞬間だった。
「っ……」
ヨダカは顔を歪ませながら、頬を抑えた。
「スラが出てこない…?お前は…」
男は暗闇の中で言葉を発した。
「聞いたことがある。…お前、魔女に魂を売ったな‼」
ヨダカは何も声を発さず、男がいる陰に左手を入れ、男の衣服を掴んだ。
「だから何だ」
ヨダカはそのまま男の衣服を強く引っ張った。ドスッと固まった地面に何かを打ち付けるような鈍い音が、壁の内側から聞こえた。
暗闇から男の呻き声が聞こえた。ヨダカはそんな音を気にしないとばかりに首を左後ろへと傾けた。そして、青年は自分の背中上辺りに必死にしがみついてる彼の存在に気がついた。ヨダカは切られた頬を抑えていた右手を離し、蛙の頭を掴んだ。
「カジカ。邪魔だ」
ヨダカは抑揚のない低い声を発すると同時に蛙を投げ、後ろへと下がった。
蛙の柔らかな身体はちょうど男の顔に当たり、奇声をあげた。
「何だコイツ!うぇっ、ぬめぬめしている‼」
男は暗闇から顔を出した。その顔は日に当たらないせいか死人のように白かった。ヨダカは男の身なりを見て自分に近い醜さを感じた。その髪と髭は伸びきり、獣のように大きい目には黒いヤニがべったりとついていた。そして白かったであろう衣服は土埃で茶色く汚れ、男の身体に染み付いたし尿の臭いが鼻をついた。男はすぐにその目を抑えた。
「眩しい…」
男は上半身をくねらせながら、そう言った。ヨダカはゆっくりと男を見るようにして、後退りをした。
「カジ。行くぞ」
ヨダカは気絶している蛙にそう言うと再び左頬を右手で抑え、その場を去った。
ヨダカ 第一話ゴム飴
※次回第二話「魔女の家」6/20(土)投稿予定です。間に合わなかったらご了承ください…。
あと、前書きか後書きに人物紹介、解説を入れて行ければなぁと思っています。