True will 1

中学のころに書いていた作文があったのでうpします。
暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。

「あたしと組んで下さい!」
「いいやあたしと!」
「わたしとお願いします!」
「くっ……困ったな……」
都内の浦浪高校という武術学校で、これから一年をともにする重要な存在、パートナーを決めるのに、通称優等生の零は困っていた。
浦浪武勇高校。全世界が数百年前に引き起こし、それにより国家の半数が消滅した三回目の世界大戦の後、世界の至る所で無手地と呼ばれる荒地や平野が広がった。
まるで数百年前はゲームで語られていたような世界が、現実になったのだった。
それに伴い、アメリカの莫大な援助を受けて戦争に勝利した日本は、遥か昔西暦で言えば千六百年前後頃と同じく武術を奨励し、またも昔のように壮大となった世界に向けて冒険者などを輩出していく国家に変化を遂げたのだ。
……と、その場に落ちていた生徒手帳を拾って意味も無く〈学校設立にあたって〉の部分を黙読していた彼女もまた、零と同じく通称優等生の分類に入るであろう柚未という少女だった。
彼女もまた、自分にそぐわるパートナーを探していた。ここまで大きい意味があるのか、と無駄に大きい体育館を歩きながら。
現在今日は浦浪高校の入学式の翌日で、先ほどの前述にもあるパートナーを誰かと組んで申請書を提出しなければならない。
ちなみにパートナーを組んだ者とは全寮制の中で寝食を共にする事となるので、しっかりとした見極めが大切だと踏んでいた柚未だったが……
「く、ちょっと待ってくれ!」
「あたしと!」
「いいやあたしと!」
「このわたしと!」
同学年であろう女学生に囲まれている零を発見した柚未は、その見解が的外れなのか困惑するのだった。
顔がよく、かといって興奮する同年代の女学生に囲まれている状況に対して欲は無く。しかし混乱する事は無く、冷静に物事の突破を図っているような零を見て、柚未は零こそ自分の求めていた良きパートナーであると直感する。
大抵のこの年頃の男子は、ちょっとは顔の良い同年代の女子が近寄ってくると、少したじろぎながら行動に移る。
それはその状況が自分にとって嬉しいものだと自覚しているからこその自覚症状に過ぎない。別に、その症状自体を柚未は否定するつもりは無い。悪ではない。悪ではなく、欠点だから。
柚未はただ単に欠点を否定しているだけに過ぎない。あくまで自分が共にする相手を見定めるのにそれが不都合であるという事だけだ。
しばらく少し遠くから零の状況をうかがっていると、零が迫りくる女子どもを振り払って一息ついている姿を見ることが出来た。
チャンスは今だ。
行け、柚未!自分で自分にそう命じて、柚未は零の元へと歩みを進めた。

この学校に、学年という分け方は存在しない。
年齢よりも実力が重要視されるこの時代、何年生だから何年生という分け方は既に昔のものになっている。
各々の実力別で毎年クラス分けがなされ、その実力に見合った単位取得の方法や場合によっては資格まで得られることまである。
しかしそれは言い換えれば、実力があると有望視された者は優遇を受けられ、逆に見放された者たちは、徹底的に冷遇を受けつづけ、何も得られないまま卒業、なんて事もありえるのだ。
実力主義。合理的で何より不正が無いが、その分非情でもある。
学校の中で分けるなら、新入生は最初の一ヶ月間だけ素性不明と言われるクラスで過ごす。そして一ヵ月後、取得した単位数に応じて各クラスに移籍する事となる。
クラス別に表示するとこうなる
絶対聖義 非常に優秀なクラス。全ての仕事を受理可能、総合的に能力が無ければ不可。

流転光明 非常にとは言わないまでも優秀なクラス。およそ八割の仕事を受理可能、ある程度の技能があれば入ることが出来る。零と柚未はここだと言われている。

氷霧奨励 一般的でごく平均的なクラス。大抵の学力とそれなりの力量があれば入ることが出来る。五割の仕事を受けられる。

浮華能艫 俗に言う落ちこぼれ、または技能量はあっても生活態度が悪い生徒などはここにかき集められる。ほぼ全ての仕事に着手不可。

毎年の新入生の割合をとると、絶対聖義は三%程度。流転光明も十%程度とかなり低い。残りのほとんどは氷霧奨励だが、かなりのものと来ると浮華行き。
実力主義は、これだけで一種の差別を生み出す。学校という小さな一つの空間の中でも、これだけ色濃く一昔前の社会のありさまを体現しているのだと知ると、進歩はあったのだろうか。


「この生徒手帳を落としたそこのお前。私のパートナーになれ。」
「ん?」
零が顔を上げると、そこには何やら強気な美少女が立っていた。こちらが座っているからなのかもしれないが、妙に上から目線な気がする。
零は先ほどまでの少女たちとは違った対応をして来る目の前の美少女に、ほんの少しの興味を覚えた。強気なタイプが好きなわけではないが、目の前の美少女には強気なだけに裏づけされた実力があるように思えた零は、
「俺にそうやって話し掛けてきたのはあんたが初めてだよ。」
驚いた表情を前面に押し出して相手の反応をうかがった。強気な対応をされると、どうしてもこっちとしても強気な対応がしたくなるのが人間の性だ。
「だろうな。あれだけ迫られていれば言われずとも分かるさ。」
予想通り。期待していたとおりの反応が返ってきた零は少し心が躍った。というよりも、先ほどの状況を見られていたと考えると、ほんの少し恥ずかしくなる零だが、
見ていたのなら話は早い。
「さっきの女子たち、どう思うよ?……あれはどう見ても正気の沙汰ではなかったがな……。」
「同感だ。あれだけしつこく追いまわされていたら逃げ出したくなるのも分かる。実力主義なこの学校で、足を引っ張るパートナーなど邪魔なだけだからな。」
……この人、言うな……。内心少し戦慄しつつ、それでも気が合うのを確信した零は、
「あんたとは気が合いそうだ。パートナーの件、承諾する。」
細身の刀を携え、どことなく誇りを感じさせる見るからに優等生な彼女の誘いを受ける。実力実力とは言うものの、結局は自分と気が合うかどうかをパートナーの審議基準に定めていたのだから、言う事はない。
目の前の美少女が嬉しがっているのは、口元の綻びで確認できた。零は申請用紙を手に取り、自分の名前を書いて彼女に差し出した。
「零、 というのか……良い名前だ。」
「そういうあんたも柚未って、可愛いじゃないか。」
申請用紙に名前を書き終わったのを確認すると、零が手にとって受付まで持って行こうとする。だが、その手を柚未が止めた。
「何だ?」
「……私が持っていきたい。」
身体をもじもじさせていじらしく呟くその姿に、零は非常な愛嬌を覚えた。やっぱり俺の目は間違ってなかった、そう内心呟きつつ柚未に用紙を差し出す。
用紙を受け取った柚未は機嫌を良くして歩き出す。零も後ろから後を追いながら、良い友達が出来た、と自分でも喜んでいた。

Comical episode Ⅰ 申請してそれから

受付に向かった零と柚未の二人だったが、結果として二人は注目の的になっていた。
世間から見れば非常に格好良く映る男女がパートナーの申請を出す事だけで注目の的となっていたのにもかかわらず、生徒及び教師たちの中で前評判の良かった二人だけに、ロビー中の視線が二人には集まった。
零は何か自分が悪いことをしてしまったのか、と幼い不安を覚えながら冷や汗を流していた。
(何なんだこの異常なまでの視線の量は……!?後ろを向きたいが振り向けない!)
心の中ではこれ以上ないぐらいにテンパリながらも、表情には全く出していない零はさすがといったところだろうか。
また、その三歩ほど先で同じように視線を浴びつづける柚未も、言いようの無い恥ずかしさと息苦しさに冷や汗を流しまくっていた。
(うぅ、恥ずかしい……!なんでそんなに注目を浴びなきゃ!?)
柚未はパートナーについてなどの説明を聞いている余裕が無く、適当に言い訳をつけて零に助けを求めようとする。この状況で零がテンパっていない訳が無いが、零は表情を見ると気付いていなさそうな風なので零を手招きする。
しかしそれが仇となった。零が近づいていった事で二人の関係を匂わせるかの行動に準ずる結果となってしまったのである。
(気にしてばかりもいられない……さっさと説明を聞くのが最善!)
心を集中し、意識を研ぎ澄まし、ほぼ無心で受付嬢の話に没頭する。寮の鍵を手渡してもらい、寮に向かう途中の廊下で、零は大きく息をはく。
「はぁ~…………何とか……終わったな」
「地獄のような時間だった……はぁ……」
どうせ人の噂も七五日で収束する、などと慰めにならない慰めを自分にして、どうにかしてさっきの出来事を忘れようとする零と柚未。必然的に重くなる足取りに、風のざわめきが心にしみる。
とりあえずさっきの事は考えないようにしよう、と心に決めてエレベーターを待つ。非常に現代的なエレベーターは、ほんの少しの挙動と聞き心地の良い効果音と共に扉を開く。
零と柚未はいそいそと個室の中に入り、誰かが来ないうちに四階のボタンを押してエレベーターを進ませる。少しの違和感と共に発進したことを確認してホッとする自分が情けない。
個室の中で沈黙が充満する。だんだん気恥ずかしくなって、零は耐え切れずに沈黙を破る。
「柚未、その……よろしくな。」
気恥ずかしい状況の打開を試みた零だったが、その発言がまたも自分を追い詰めているのに、言ってから気付くのだった。
「ああ。……よろしく頼むよ。」
柚未も緊張して声が震えないように間を空ける。さっきの事を思い出すと、緊張しないわけには行かないのだ。
その後にもう一度沈黙が生まれようとした瞬間、エレベーターが到着の合図を鳴らす。軽く救われたと感じる二人。エレベーターを出て寮の鍵をチェックし、部屋に向かう。
番号を照らし合わせて部屋に入る。無機質な扉を開き、標準的かつ現代的な二人部屋に入る。
部屋の中は明るい雰囲気で、もうちょっと古いかと思っていた零は少し嬉しくなった。特に寮らしい質実剛健さは感じられず、学校らしからぬカジュアルな雰囲気だと感じる。
部屋に踏み込んでとりあえずリビングのソファーに腰掛ける零。柚未はシャワーを浴びに脱衣所に入っていった。
「……今日のやることとしては、上出来か……。」
背を預けられるパートナーを得られた。それだけでも今日の収穫はあっただろう。零はそう考えて、部屋を軽く歩き回ってから眠りについた。

Main episode 1 素性不明の概要

「ん……」
昨日はいつの間にか眠っていたな……零はそう考えながら、自分がベッドで寝ている状況に気付く。まだ寒い朝の寒さから、心地よい毛布が自分を守っている感触を感じ取ったからだ。
枕もとの時計に目をやると、五時五十分を指していた。学校の義務付ける起床時間は原則として六時半なので、結構早起きしたと考えるべきだろう。
早めに起きる事に越した事は無い……今日はゆとりをもって朝食でも作っといてやるか……と、昨日の寝る前に購買部から調達しておいた食材を調理しようと身体を起こす……が。
「重……いぃッ!?」
身体がやけに重い……何か乗っているのか、と首だけ上げてみると、毛布にちょうど隠れるように、自分の胸の上で柚未が寝ていた。
普段の口調や物腰からは想像できない華奢で可憐な寝顔を零は見てしまい、思わずドキッとする。やっぱり女の子なんだな、と再確認する事も出来た。
起こそうか、と試みようとするものの……気持ち良さそうに寝息を立てて眠っている柚未を見ていると、どうもしのびない。
(俺を甘く見るなよ……!)
悪いが、実技試験A評価は伊達じゃないんだ。零は圧倒的な静穏技術と体術によって柚未の体とシーツの間をすり抜け、起こさないで脱出する事に成功したのである。

「……っと。これであとはご飯が炊ければ……」
手軽な朝食を作って柚未が起きるまで待つ。あと五分で起床時間。零はその間、昨日貰ったレシートに書いてある、食材購入ポイントというものを見つめて首を捻っていた。

この高校、浦浪武勇高校は、自炊を奨励している。
この高校にも普通に食堂はあるのだが、あえて食材を購入して寮で調理する事によって本当に微力ながら単位を取得できる。
購買部に顔を出し、食材を購入する際に生徒番号を記録する事によって自炊しているかどうかをチェックするのだ。
食材を購入して自炊すれば、この高校の中のどの店でも利用する事が出来るポイントがたまる他、前述のとおり単位を取得できる。また、学食を利用した際に保有しているポイントの量に応じてトッピングなどのグレードが上がったりする。
だがそれでも自炊をしている生徒は少なく、週三日以上自炊をしている生徒は全体のおよそ二%ほど。そしてその中で男子生徒なのは零だけだ。
学食よりも遥かに安上がりですみ、なおかつ自分好みの味付けに出来る……零は生きるためではなく、自分の満足の為に自炊を身に付けたと言っても良い。

「うー……おはよう……」
「おはよう。朝は苦手みたいだな。」
寝室のドアが開き、眠そうに目を擦る柚未がリビングに現れる。時折、うー……と唸っているその様子から、朝は嫌い。という思いが言葉なしに語られている。
顔を洗ってきて髪も整え、普段通りの状態に戻った柚未は、零の作った料理を見て驚く。
丁度良い温度、そして香りの良い味噌汁。艶がかかった良い水加減で炊かれた米。塩でほんの少しだけ味付けされ、臭みの消えている焼き鮭。
柚未は、零の家庭的な性格に、本当に驚いたように席につく。
「零、 これは全部?」
「当たり前だ。ほんの少しだけ早起きしたからな。作っといた。」
さ、食おうぜ。と言う零に、柚未は礼を言った。本来なら私が……と言おうとする自分は料理が出来ないのを思い出して言うのを止める。
柚未は焼き鮭を一口食べ、おいしい!と言ってばくばくとスピードを一気に上げて食べ尽くした。その喜びように零は少し困惑したが、喜んでもらって悲しいはずが無い。嬉しく思いながら朝ご飯を食べた。

「くはあぁ……っ。教室と言ってもあまり使われる事は無さそうだな。」
零は、新入生はここに集まるように、と言われた教室の席に座って、そんな事を呟いていた。
確かに、この教室が使われる事は非常に少ない。大抵が毎日十五分程度で終わるホームルームのためだけに使われるが、緊急召集などで集められる際は暗黙の了解でクラスごとに教室に集まる。
単位を授業で取得するのではなく、自分で仕事や依頼を受理して達成する事で単位を取得する……浦浪高校の特殊なハイスクールライフが生んだ、一種の穴だ。
そんな教室の窓から、校庭を眺める事が出来た。学校の敷地の約一.五倍と称されるその破格の大きさを誇る校庭は、誰も通ったり利用したりする者が居らずどこか寂しげだ。
「……無用の長物だ、……そう思っているか?」
校庭を眺める零の後ろから、柚未が声をかける。まるで校庭の使用目的を知っているような口調で。
零が小さく「ああ」とだけ答えると、では説明しようか。と待っていたかのように柚未が説明を始める。
この校庭は、本来の遊戯目的を主として作られたわけではない。かといって、授業という概念はこの高校には無い。授業を目的として使用するわけでもなく、ただの広場的な憩いの場でもなく……この校庭は、いつの日か起きるであろう魔物の大量発生時に、学生の大編隊を構成するために作られた校庭だ。
砂利を飛散させないようにするスプリンクラーも無く、かといって芝生でもない……本当にただの砂利の撒かれただけの更地だ。
どこか寂しげに感じたのは、数百年前に実際にここで行ったという戦争に出兵する者たちの編成があったからだろうか。
少し感傷的になっていると、数人の男子新入生が教室に入ってきた。それを皮切りに多くの素性不明の新入生が入ってくる。
それから数十分もすると教室の席は新入生で見事に埋まり、普通の高校よりも少し大きい教室におよそ六十人が集まった。
「さすがに騒がしいな」
「全くだ。騒ぐ気持ちも分からなくは無いが……」
零と柚未がほんの少しだけ煩わしさを感じ始めた頃、教室の前側の扉が勢い良く開け放たれた。
そう、先生のご登場である。
「おーし、お前ら静かにー。騒ぐ気持ちもわかるけど黙っといたほうが身のためだって、な?」
現れた教師は、どことなく軽い感じの教師……だが、動きの隙のなさを感じ取って零は並大抵の強さの教師ではないと知る。
「零、 あの教師……」
「ああ。分かってる。」
ただならざる雰囲気を称えた教師は微笑みを振りまきながら教壇へと躍り立つ。そしてこの学校の基本知識などをずらずらと語り始めた。
(自己紹介は後回し、か……)
特に事前に仕入れていた情報ばかりだったため、およそ三十分ほどかかるという説明は仮眠時間かな、いやいや寝たら怒られるだろ。そんな軽いことを考えながら、零は机に片肘をついて教師の姿を見ていた。

およそ三十分の説明時間が終了し、用済みとなった教室からは既に大半の生徒が流れ出ていっていた。
その中で、自習する者や雑談する者に混じって零と柚未は教室に留まっていた。
零が予想したとおり、事前に予備知識として仕入れたものばかりの説明だったため、三十分の時間は特に集中せずに話を聞き流していた。
それは柚未も同じ。が、最後教師が教室を去るときに言った名前と一言が、二人の脳内を考え込ませる。
「俺の名前は仁夜。流転の担任すっから、機会があったらよろしくな、じゃ解散!」
仁夜という名前を、かつてどこかで聞いた事があった。しかし、相手は見るからに二十代前後。歴史に名を残すような事が成せる歳ではない。だが、どこか聞き覚えのあった名前が、二人の耳には異様なまでの存在感が未だこだましている。
しかも、流転の担任だと言っていた。これが意味する事とは、二人が事前の試験で流転志望だったという事実があるため、再び合う確率は高い。
あの教師と再び会うためには、素性不明であるこの一ヶ月の間に、ある程度の単位を稼ぐ必要がある。
「……行こう、柚未。時間はあったほうがいい。」
「ああ。そうだな、さっさと流転の内定を決めさせてもらおう。」
行く人の流れに乗って、二人は依頼板への歩みを進めていった。

Main episode 2 仕事と単位

一階依頼板の前に差し掛かると、人の混雑はピークに達した。次々と仕事や任務を受理しようとする人で溢れ返って、高校生にもなるのに幼くも小さな混乱が頻発している様は、上から下を見下ろしている者にとっては非常に滑稽に映っているかもしれない。
そんな混雑の中で、やっとの事で任務の受理を終えた零と柚未は、とりあえず目的地の訓練施設に向かうのに外を経由した。
入り口を出て振り返ると、受け付けあたりが新入生だらけでごった返しているのが見て取れた。
入り口に背を向け、駐車場を経由してもう一度学校に入る。訓練施設に入ると、野生の魔物が二人をお出迎えした。
「早速おでまし、か。」
「零、 下がって。」
そう言って刀を抜く柚未。訓練施設の電気を反射して輝く刀身が、柚未の手入れの良さを思わせる。
すると柚未の闘気にでも反応したのだろうか、魔物が三匹ほどこちらに追加でやってきた。
「こうなると、下がるわけにはいかないな。」
零は右手に剣、左手に銃という使いこなすには熟練を必要とする出で立ちで魔物の前に躍り出る。それで実技試験でA評価を貰っているのだから言う事はないのだろうが。
目的地はこの先にある。魔物を斬り捨て進むしか、無い。

難なく魔物を斬り捨てた二人は、装備を納めて先に進む。
すると、新入生の何人かが集まっている小さな部屋のような場所に辿りついた。報酬の単位量と目的地の近さで選んだ新入生たちだろう。
静寂を保っていた空間が静寂を破ると、そこには大きな恐竜のような魔物が。
「君たち新入生には、このダイノスクロスを倒してもらおう!」
見知らぬ教師と思われる男が宣言するように手を振り上げると、恐竜は大きく雄たけびをしてこちらに襲い掛かってくる。
全長四メートルは越すであろう恐竜の姿に逃げる新入生たちだったが、当然の如く零と柚未は残るのだった。
圧倒的な力によって、新入生たちを次々と弾き飛ばし薙ぎ飛ばしていくダイノスクロス。そして結局、小さな部屋のような場所にいるのは零と柚未だけになってしまった。
「なんて早い展開なんだろうな……全く。」
「もう少し見せ場を稼いでも良かったぞ?」
やれやれといった調子で剣と銃を構える零に、刀を抜く柚未。逃げ惑う新入生だけでない事を知った見知らぬ教師は目を見開いて、零と柚未に向かって再三警告するが、二人の元には届かない。零も柚未もその警告には耳を傾けず、ダイノスクロスに武器を構えて睨みつける。
ダイノスクロスも猛獣として本能的に二人の殺意を察知したのか、二人の目の前で一度立ち止まり、大きく雄たけびを放ってから二人に襲い掛かった。
「くっ、力だけはある怪力一辺倒猛獣が!」
爪や尾などの一撃の威力がとても重く、柚未はとても迂闊には攻撃できない。隙はあるといえばあるのだが、もしもろに一撃を受けたら致命傷とはいわないまでも結構な深手を負うことが安易に予想できるからだ。相手の力量が詳しく分かっていない以上、深手を負うのは死への一歩。
「柚未、悪い。そのまま引き付けててくれ!」
爪や尾の攻撃が脅威。一撃が重い。なら、と考えた零の戦法は至ってシンプル。
離れたところから銃で応戦すれば、安全かつ有利に戦いを進められるというわけだ。
ダイノスクロスの弱点を見破られた見知らぬ教師は、二人には聞こえる事のない舌打ちをしかけたが、他の教師から二人が入学前から有望視されていた存在だと知って舌打ちを止めた。

教師側からすれば、有望な生徒はまるで甘い蜜。

実力主義のこの高校であるがための一種の災い。
教師が予想したとおり、勝つために最適な囮作戦は成功し、ダイノスクロスは数十分と待たずに二人に倒された。
「柚未、守りも堅いんだな。」
「攻守揃っての強さだからな。当然だ。」
ダイノスクロスを倒し、見知らぬ教師の下へ向き直る二人。しかし向き直ると教師の姿は既に無く、一枚の紙切れが落ちているだけだった。
再び静寂が訪れた空間で、二人は紙切れを拾って息をはく。全く拍子抜けだな、と言った具合に。
実際にはダイノスクロスは訓練施設の中に生息している中でも最強クラスの猛獣なのだが、二人には当然の如く理解出来るはずもない。そのため、紙切れにかかれていた膨大な単位量と報酬で渡されるお金の量にもびっくりするのだった。

これ以上あの小さな空間に留まる理由も無かった二人は、部屋のような空間から出て訓練施設を後にした。
訓練施設の土のような地面から徐々に学校内のような床に変わるにつれ、零たちを見つめる視線もまた徐々に増えていく。訝しげに見るもの、羨ましげに見るもの、憧れを持って見るもの……またも多者多様の視線を体に受けた二人だったが、疲れきっていたからなのかもしくは当然だと自覚があるからなのか、受付の時よりは全然心が軽い零と柚未だった。
二人が歩いた後の廊下は当然賑わった。戦う姿を見た者が、見ていない者に向かって熱く語る者、また二人に憧れて話し掛けようと試みるが、二人の後ろ姿に圧倒されて諦める者も、場を賑わせる理由となった。
そんな注目の的になっているという事にはあまり意識を向けていない二人。二人で少し雑談しながら受付に向かった。

Comical scene Ⅱ ゆっくりと、確かに

受付で単位取得の作業を済ませた二人は、学校の外に目的がある任務を受付で受けた。
あまりにも最初の任務が拍子抜けだった二人(訓練施設で強い魔物が出るとは思っていなかったのだが)ではあったが、外の任務なら少しは楽しげがあると思い、任務を受理したのだ。
「外の空気は美味しいな。」
「学校内があの調子だからな……当たり前といえば当たり前か。」
二人が外に出て思ったこと、それはやはり不快指数の圧倒的な低さだろう。清涼感溢れる風が吹き抜け、それによって木々がざわめき春の到来を感じさせるように。
日々の喧騒から一歩でも離れてみるとここまで違うのか。やはり喧騒は客観的に見ると、その喧騒に無関係な者ほど滑稽に映ってしまうのは本当らしい。
広い平原を目的地の森に向かって歩み進める二人に、早くも魔物の時間がやってきた。
「っ!」
「ったく、少しは自然に触れさせろって!」
最近の学生は自然愛が足りないんだから、と零は呟いて武器を構える。柚未も刀を構える。
訓練施設で調教されているのとは違う、全くの野生。凶暴性や感受性などをそのままに、戦術性も持っている。
軽く動きに気を付けろとだけ言って、零は魔物の後ろを取る。気付いた魔物が零に攻撃を仕掛けるが、その前に柚未が後ろから斬りつけ、勝敗は決した。
どんな生き物でも、生き物である限り背後からの攻撃には弱い。
「戦術までも求められる……面白いじゃないか、零。」
「今の時代のニーズに合ってて理に適ってるんだろうな、きっと。」
はぁ……とため息をついて武器を納める零に、柚未は問い掛ける。
「戦術といえば、零のその戦術に私は興味があるのだが。」
左右の手で異なる武器を扱える零の感覚は、柚未には到底真似できないものだった。銃で的確に相手を撃ち抜き、すかさず剣で斬りつけてまたも間合いをとる……長年の努力が生み出した結果だといわれればそれまでだが、柚未の興味は止まらない。
「これか?これは……死んだ妹が、死ぬ間際にお兄ちゃんのカッコいい所見たいって言うから……身に付けた。半月でな。」
俯いて語る零の脳裏には、あの日の記憶が駆け巡る……



木漏れ日差す小さな丘の上で―――
「お兄ちゃん!」
「水月!」
小さな兄妹が遊んでいた。少年は活発というよりはどちらかといえば知的冷静で、どことなく怜悧な雰囲気をかもし出し、水月と呼ばれる少女は幼く活発に駆け回っている。
この兄妹が活発でいられたのは、兄が十三歳の時までである。

「あ、あああ……」
「おにぃちゃあぁん……あたし……うぇっ…うえぇぇん……」
兄の放った銃弾が妹の足に直撃し、魔法弾と化していた弾は足を消し飛ばした。正確に言えば流れ弾だが、兄は自分でやってしまった事だと悔やんでも悔やみきれない思いに囚われた。
大急ぎで病院に連れて行き、集中治療室で二十五時間にも及ぶ大手術の後、妹は何とか一命を取り留めることが出来た。
「水月!」
「お兄ちゃん!」
病室で再開を果たした兄妹だったが、兄は自分のしたことに対する自責の念が抑えられず、ベッドの布団に入り込んで妹を抱きしめた。そしてそのまま、
泣いた。誰に聞かれようとも構わない。ただ自分の情けなさを泣いた。
兄が泣き叫ぶ姿を見て、妹は。
「もう泣かないで。お兄ちゃん、あたしは生きてるから。」
穏やかなる慈悲を称えた微笑みを兄に向け、抱き寄せた。兄が驚愕すると、妹は痛みを滲ませた笑顔で兄に応えて見せた。
「お兄ちゃんが泣いたら、あたし、死んじゃうからね!」
兄は冗談だと思っていた。ずっと、これからも、この先も――――。

妹が入院してからおよそ二ヶ月。いつも通り妹との楽しい雑談を終え、病室から出て行くと、苦い表情をした医者が病室から出てきた兄を見つめるのだった。
そして兄は、医者になぜ立っているかを聞く。
「水月ちゃんの命は、もう、長くない……」
兄の表情が、笑いから、呆然、焦燥、不安、疑心、悲涙へとスライドしていく。
二ヶ月前に誓ったはずの泣かないという約束は、とうに風化していた。
廊下だろうが構わず、兄は泣いた。空砲を打ち鳴らすが、状況は好転どころか悪化していく。
空砲と泣き叫ぶ声に驚いた妹は、布団から出て廊下に出る。
「す……いげつ……ごめんな……俺のせ……いなんだ……!」
出てきた妹に兄は縋るように抱きついて、泣きながら妹を抱きしめた。
妹は、兄の思考に一瞬で気付いた。
自分の命が、もう長くないことを知らされたのだろう。
「お兄ちゃん、泣かないで。お願い。……行こ。」
妹は兄と共に病院を出る。妹の行きたい方向に向かう途中、現れた魔物は全て兄が倒す。
緑の丘を越え、平原をずっと歩き、たどり着いたところは、街とはかけ離れた切り立った崖の上。
ザザーン……ほぼ規則的に波が浜を打つ音が聞こえる。澄み渡る蒼い大空でも、燦然と輝く太陽でも、その光を受けて翠緑色に広がる大海原ですら兄の心を全く動かす事は出来ない。
「お兄ちゃん……前に言った事、覚えてるよね?」
崖の上から下を望み見て呆然と悲しみに暮れる兄に向かって、妹はとげのない声で問い掛ける。兄は言葉を出す事無く、首を縦に振る事によって肯定した。
「……じゃあお兄ちゃんが泣いたら、あたしが死んじゃう事もおぼえてるよねっ?」
え……?兄は思わず顔を上げる。妹の言葉の最後が、妙に強い語気と力を持っているように感じたのだ。
顔を上げた兄は、その時に確かに見る。
妹の周りに黒い怨念が渦巻いているのを。
「お兄ちゃん……もう泣かないって約束したのに……あたし……死んじゃうよぉッッッ!」
妹が一際強い怨念を放った瞬間に、周りの空気が兄を吹き飛ばした。兄の体は宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ふゥゥぅッ!お兄ちゃァァァァん!」
最早正気の沙汰ではない事を確認した兄は、過去を拭い去り、妹に銃口を向ける。妹の体は既に闇に寝食され、人の体ではない様にも思えた。
「殺さなきゃ死んじゃうよッッッ!」
語気は強く、力も桁違い。そこには最愛の妹の姿はもうなかった。兄は目を瞑り、妹の姿を思い浮かべる。
笑っている姿。泣いている姿。遊んでいる姿。眠っている姿。そして―――――
血塗れで倒れている姿を。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッ!」
兄は前を見る事無く銃を乱射した。

カチッ……カチッカチッ!
弾切れを示す銃特有の音と共に、兄の混乱した意識は現実に引き戻される。恐る恐る目を開けると、崖の先に血塗れの妹の体が横たわっているだけだった。
「水月!」
「おに……ぃちゃ……うぅッ!」
銃の弾で幾度となく貫かれ、身体中から血を溢れ出させる妹の姿に、先ほど見た狂気と闇の怨念はもう無かった。
代わりに、やけに清々しそうな表情と涙が流れていた。
「すぐっ……すぐ病院に連れて行くからっ……!」
兄が妹を泣きながら担ぎ上げようとすると、妹は諦めの意を示した。
いや、諦めではなかったのかもしれない。今となってはその真意を知るものはいないが。
「お兄ちゃん……もういいの……あたしを……崖から投げて……!」
バカ!何言ってんだよっ……兄は妹を叱ったが、当の妹はとても真剣な面持ちだった。
もし投げてくれないのなら、自分で身を投げるという決意さえ兄の瞳には映っていた。
「う……うぅ……」
泣けない。泣いたら、水月をもっと悲しませる。そこで兄は、一つ閃く。
「くっ……水月、一つ聞くぞ。」
「……なぁに?」
優しく聞き入れる水月に、一抹の兄妹愛だけでない愛しさを感じた零は、水月に最後の質問をする。
「俺に、お願いしたいこと、あるか……?」
零は水月に問い掛ける。兄としての事なんて何もしてやれなかった。兄としての愛情さえも、十分に注いでやれなかった。
そんな妹に、最初で最後のお願いを言ってくれと。
「おにぃちゃんの……お芝居でやったあの姿、天国から見せて……」
お芝居でやったあの姿……零は思い返す。零が十歳の時、テレビでやっていたアニメの主人公のまねをして初めてのお芝居をしたことがあった。
右手に剣を、左手に銃を携えた、青年の姿を真似して。
「ああ……わかった。約束するよ、絶対……」
願いを聞き、水月の体を抱き寄せる零。血が溢れ、衰弱しきった水月の体はぴくん、ぴくん、と震えていた。
意識が朦朧とし始めたのを感じた水月は、零にお願いを返す。
「あたしのお願いも………………聞いてね…………?」
零は涙を必死に堪えて、崖の先まで水月を運んだ。水月は立てない体でも何とか立ち上がり、そのまま死んでしまいそうだった。
「…………ありがと、お兄ちゃん。あたしは、…………死なないよ…………お兄ちゃんが、死ぬときまで…………ずっと…………」
兄は、泣かなかった。泣くわけにはいかなかった。水月の心遣いに、笑顔で応えるために。
「…………ばいばい…………お兄ちゃん…………」
「…………ああ!」
この日、零は崖の木に名を刻んだ。
零 水月 命ある限り 生きつづけることをここに誓う


幾度となく思い出してきて、尚且つ自分の中から決して消え去る事の無い遠い記憶。
零は自分の過去を思い出して、自分がどれだけの思いを背負って生きているかを改めて知る。
今の自分があるのは、紛れも無く妹 水月の支えが合ったからこそだ。泣かないと決めたあの日から、今日まで零は泣いたことはない。
それは零が無感動になろうと努めてきたわけではない。むしろ、零は自分の身の回りで泣くような事が起きないように努めてきたのだ。
「そこまでの思い入れがあったのか……。」
「まぁ、な。悲しんでもいられない。というより、妹は死んだと決まった訳じゃないからな。」
零は今まで、希望を捨てた事は無い。水月が生きている。きっとこの世界のどこかで生きているんだと、死んでもうこの世になんていないなんて考えた事は無い。
その証として、水月が望んだ姿で今まで戦ってきたのだから。

目的地の洞窟に到着した二人は、洞窟の入り口で口論している男女を見かける。口ゲンカのようで、どちらかというと女子のほうが主導権を握っているような気がする。
というか、男子のほうが身長も低く、引っ込み思案なオーラをどことなく感じるのは気のせいではないらしい。
通り過ぎようとした二人は思いがけず男女に呼び止められ、女子のほうが一気に零に詰め寄っていく。
「何だ?俺たちに用か。」
零が詰め寄ってきた女子に言うと、女子はため息をついて零の警戒的な瞳を見上げる。
「同校なんだから、挨拶くらい普通でしょう?あたしは雪奈。こっち来る!」
「あ、はい……僕は、えと……漣、です……」
零と柚未も自己紹介をすると、二人は一礼して去っていった。去る後姿を見送った後、二人は洞窟の中に歩みを進める一方で、先ほどの二人についての見解に話を弾ませていた。
「さっきの二人の話なのだが……男女関係が反転した結果なのだろうか?」
柚未が純粋に疑問を提示すると、純真な疑問に応えつつ二人を庇護する結果となった零が口を開いた。
「まぁ……ああいった男女もいるんだろうよ、きっと。」
世界は広いんだ、とだけ言ってこの話題を終了させる零。柚未の疑問は氷解しきっていなかったが、これ以上話を続けるとあの漣と言った少年に若干悪い気がするので、零が強引に話を終わらせた気持ちがわかった気もする柚未はそれ以上追及しなかった。

洞窟の最深部に向かい、標的を早々に撃退した二人は、学校にすぐに戻った。

学校に戻った二人は、学校内の賑わいが落ち着きを持ったものにある程度鎮静化されていることに若干の笑みを浮かべながら受付で単位取得をした。
単位取得を済ませ、受付で明日の任務の下見でもしようかといったところで、後ろから声がかかった。
「新入生、お前たちは既に話題になっているぞ。零と柚未。」
聞き覚えの無い声色に名前を呼ばれたのを確認した二人は、後ろを振り返る。
聞き覚えが無ければ、見覚えも無い。俗に言う古代の剣、「日本刀」を腰に差した男が、こちらを見ていた。
どことなく誠実そうな反面、異質なの気迫を放っているその男は二人の下へと歩み寄っていく。その威風溢れる男の着ている制服の右腕には、生徒会副会長の文字が誇らしげに飾られた腕章がつけられている。
新入生の中にはこんな男はいなかった。零は男に自己紹介を申し出る。
「その口ぶりからして……新入生ではないですね?名前を教えてくれませんか?」
零が警戒したような口ぶりだったからか、男は目を細めて一歩後ろに退く。
そしてその後、挙動も無く淡々と話し始めた。
「俺の名前は水雨 風雅だ。この高校の生徒会副会長をしている。」
生徒会副会長という肩書きは伊達ではないのだろう。それならこの気迫にも納得がいくか、と零と柚未は納得する。
この高校の生徒会とは、ただの高校の生徒会とは少々違う。
もちろん、生徒の上にたち校則や予算などの計算をやったりするのもそうだが、この高校の設立理由が異質なように、生徒会にはそれ以外の義務もある。
万が一の緊急事態に備え、教師と共に危機を食い止める役割も担っている。簡単に言えば、何者かによって高校が襲われた際に、その者と対峙する役割を担っているといってもいい。
責任と義務と、それに危険が伴う生徒会。その副会長を務めるとあらば、これだけの気迫も納得がいくというものだ。
そして制服の左胸には、絶対聖義クラスに所属しているという証の、翡翠で作られた花模様のバッジ。そのバッジと気迫が、風雅の内面そのものを表しているといっても良い。
「お前たちは、実は教員の中でも有望視されていてな。上からの重圧を忠告しに来た。」
「上からの重圧?」
零が問うと、水雨はゆっくりと話し始める。
「お前たちのような有望な者がいると、大抵それを快く思わない奴がいる。それぐらいは当然の心理だが、優劣で全てが決まるこの高校では、我々生徒会に直に嫌味を言ってくる奴もいるのだ。言ってしまえばでっちあげに過ぎないが、もしもの時はお前たちを潰しにかかるかもしれない。……気を張っておけ。」
それだけ言って話を切る水雨に、今度は柚未が問い掛ける。
「……それをわざわざ言いに来たのか?」
潰す側の人間が意味も無く潰される事を注意深く思え、などと言うのがおかしいと感じた柚未は警戒的に問う。変な疑いを掛けられる事が予想できないほど水雨が愚かではないことを思えばなおさらだ。
だが水雨は語気を変えずに淡々と言い放つ。
「……俺は理不尽が嫌いなだけだ。意味も無い、ただ自分の羨望と妬みだけでのし上がれるというほど甘く思われるわけにはいかないからな。自分の為に腐心して何が悪い?」
それだけ言うと、水雨は何も言わずに去っていった。腕章を翻して歩み行くその姿に、優しさを滲ませて。
水雨が去った後の受付周辺は、妙なほどに静まり返っていた。

Main episode 3 水雨の真意

生徒会副会長、水雨 風雅の忠告によって妙な緊張感を覚えた二人は、任務の下見を数分だけ行って寮に戻った。
水雨とどれだけ話していたのだろうか。任務が終わって帰ってきた時には時間も体力も有り余っていたが、水雨の話を聞いてからというもの何やら心が落ち着かない。
夜ご飯の材料の買い物から帰ってきた零は、料理を作りながら水雨の話を思い返していた。
(重圧、ね……)
目の前のリビングでテレビを見ながらコーヒーをすすっている柚未の姿さえ、どことない不安感を覚えさせる。
ほぼ無意識に料理を終了させ、後はご飯が炊けるだけ……リビングのまったりムードに合流しようかと零がキッチンを出た瞬間に、
ピンポーン
と、滅多に使われない寮部屋のインターホンが鳴った。零が玄関に向かい、戸を開けると少女がたたずんでいた。
「どちらさまで?」
零が問い掛けると、少女はニッコリ笑って、
「水雨 夏羽です。兄と重圧についての話をしたんですよね、零さんと柚未さん。」
兄とお揃いの、絶対聖義のバッジを煌かせて二人の部屋に現れた。

ひとまず自分の分の料理は後にでも作ろうかと思い、作った料理を柚未と夏羽に食べさせる。夏羽は昼から何も食べていないらしく、玄関から上がった時に腹の虫が自己主張したのだった。
料理を食べながら、「重圧」についての話を夏羽は持ちかける。
「表面的なさわり部分は兄から聞いてますよね。重圧の意味についても。」
「ああ。しかし、程度はどのぐらいなのだろうか?」
零が最も気になっていた重度の問題。重度の問題に触れると、夏羽も少し痛ましい表情で話し始める。
「程度といいますと……二方のように教員からも有望視されているなら、最悪の場合退学かもですね……武力行使に走る可能性もあり……。」
退学させられた生徒数は兄が知るだけでも五十人超だとか……夏羽は痛ましく過去を思い出すように話す。
「あ、だからって二方がそういう風になるって決まったわけじゃありませんし!それに……もし重圧を受けてしまったとしても、兄が気にかけてくれているなら、生徒会での発言力もありますし……退学はきっと避けられますよ!」
出来るだけ場を明るくしようと思っているのか、明るく振舞って言う夏羽。実際、そんなに暗い話でもないのだろう。夏羽の言う通り、夏羽の兄の風雅が弁護してくれれば重圧そのものを無効化できるかもしれない。
しかし、良くも悪くも生徒会は極端で単純だ。夏羽の言う通りになる場合もあるならば、逆に恨みを買えば敵になりうる。
だが、よく思うことに悪いことは無い……思い込むのがダメなんだ、と納得して零は夏羽の主張に笑顔で応える。

同刻、生徒会室で会議が終了した。
(予算の件は、円滑に終了したな。)
生徒会室を出て、リフレッシュルームと呼ばれる休憩所のベンチに水雨は腰掛ける。手元の携帯式端末に表示された予算の決定事項の画面を消去し、小さくため息をついて夜空が見える仕様になっている天井を見上げる。
生徒会の会議終了の時間には、他の生徒は寮に戻っている時間なので休憩室内は異様なまでに静かだ。だからこそ、水雨はこの場所が好きだった。
日々の喧騒から離れ、夜空に輝く星を見上げられる、安息の地とでも言おうか。
(仕方ない、夏羽に風呂を沸かしておいてくれとでも頼むか……。)
水雨は、妹とパートナー関係だ。
飛び級でこの高校に入学してきた一歳年下の妹は、パートナーを必ずしも作る必要のない生徒会に務めていた兄のパートナーになると言って聞かなかったため、仕方なく妹とパートナー関係になっている。
今日はいつもより会議が長引いた。別に精神力の限界だとか泣き言を言うつもりなどは毛頭ないのだが、どうも自分の妹は兄に頼られると誇らしげに感じる変な癖があるらしいのでたまには頼ってやる事にする。
携帯端末で自分の部屋へアクセスし、夏羽を呼び出す。しかし、映像には電気がキッチリと消され、戸締りもしっかりとされた留守な空間が広がっていた。
妹が不在の部屋の映像が映された携帯端末を閉じ、肩の力を抜く。
(さて……帰るとするか。)
特にやる事もなく、心も充分落ち着いたところで、水雨は休憩室のベンチを立つ。入り口のほうに歩みを進めると、入り口から見慣れた同僚が入ってくるのを確認した。
長く伸ばした髪を頭の後ろで結って……ポニーテールが似合う凛とした顔つきの女性。胸は大きく育っており、身長も女性の中ではすらりとした長身。出るとこ出た、大人の女性とでも言うのが一般論として正しいだろうか。
その女性の名前は、 夕凪 寝音。
「水雨くん、お疲れかな。」
「夕凪。」
思いがけず出会った同期の二人は、日頃の苦労についてや生徒会などについて話すのだった。
「夕凪、お前は今期の新入生についてどう思う。」
「新入生ね……ま、頑張って欲しいと思う。」
そういうことではなくてだな……とため息をつく水雨を制するように分かってるわよ、と軽く微笑む夕凪。
「新入生と言えば、水雨こそ弁護に必死だと思うけど?」
「…………」
読まれている。だがそれも水雨にとっては不思議ではなかった。夕凪に悟られていても、別にそれが他の者に悟られている、という解釈には必ずしもならないからだ。
同期の同僚以前に、水雨と夕凪は幼馴染であるというのが大きいのだが、それだからこそ話せることというものがあるものだ、と二人も常々感じるところだ。
「……俺は、重圧という理不尽が嫌いなだけだ。」
「ふふっ、意地っ張り。素直に新入生を救いたいって言えないの?」
水雨がこの程度の挑発で苛立つほど馬鹿ではない事を知っている夕凪は、敢えて挑発的に水雨の思考を見通してみせる。
水雨としても分かりきっている。自分が素直になることを恥じているのだと。だが、それを口に出すわけにはいかない。水雨の中のプライドが許さないとでも言おうか。
「……まぁ、そこがあなたの良いところでもあるんだけどね、水雨。」
惑わすように悪戯に微笑んで煙に巻く夕凪に、水雨は認めた上で問い掛ける。
「そう言うお前は、どうなんだ。夕凪。」
「ん。だから、さっき言わなかったっけ?頑張って欲しいって。」
そうとだけ言うと、夕凪は大きく伸びをして休憩室を出て行こうとする。
「……先輩からの熱烈な洗礼に、負けないように、ね。」
とだけ言い添えて。


Comical scene Ⅲ 兄妹の……テレパシー、だっけ?

すっかり重圧の話題も終了した零と柚未の寮部屋の中では、既にフリートークが繰り広げられていた。
飛び級で先輩にあたる夏羽ともしっかりと打ち解け、同い年という条件が有利に働いて、ついでに夏羽の兄の話で盛り上がっている三人の空間はすっかり明るさを取り戻していた。
「お兄ちゃんって、ああ見えて結構おっちょこちょいなんですよ……。」
この一言を聞いた時は、柚未も興味津々、零も思わず身を乗り出してしまった。
「おにいちゃんったら、女の子から初めてラブレター貰った時に対応が分からなくて、あたしに聞いてきて。で、あたしがつき返したら、女の子にあたしがやったのと同じ通りにつき返して!普通につき返しただけなのにレクチャーだと思っちゃったみたいで……。」
天然なところがあるというか抜けているというか……零も柚未も、そして妹の夏羽も。あの気迫を持った男がそこまでの天然であるという事実に腹を抱えて笑い転げる。
そしてその話をまるで聞いていたかのように。
「……こんな所に居たのか。帰るぞ、夏羽。」
「う、あれー……?お兄ちゃん、これってまさかぁ……。」
兄妹のテレパしっ、……ドサッ。
半ば呆れ気味に、手刀を夏羽の首元に放ち夏羽を担ぐ風雅が現れた。
零と柚未に軽く一礼し、悪かった。と一言だけ詫びて玄関を出て行く風雅。どこか哀愁を纏った風雅の背中を、ただただ二人は唖然とするようにしみじみと見つめていた。
「大変なんだな……あの男も。」
「全くだよな……。」
水雨兄妹を見送った二人は、騒ぎ疲れてそのまますぐに眠ってしまった。



素性不明期間終了、これよりクラス分けを開始する。
無情かつ重要な一言が、生徒会会長の口から発せられた。



「……またか……?」
早朝、一抹の不安を覚えながら掛け布団を捲り上げると、零の不安は的中する事となり、思わずため息をついてしまう。
掛け布団の中には、幸せそうに眠っている柚未。しかも、ここ最近の零が抜け出す事に対して対策を練ったのか、背中に腕を回している。
「んふぅ……逃がさないんだからぁ……」
軽く寝言でキャラ崩壊を起こしているが、零は柚未の寝言など気にしない。どうしたらこの状況から抜け出して、朝ご飯を作りにリビングにいけるか。
……さすがに、無理かな。
「柚未ー……起きてくれ……朝だ……」
「……零……?うぅ……すまん……いま、起きる……」
案外普通に起きてくれたな……零はそう思いつつ、朝食を作るべくキッチンに向かう。朝の日光が目につき刺さるように入ってくるが、零は臆する事無く冷蔵庫をあけて調理をはじめた。
「くぅ……ひどいぞ零……」
一方その頃、柚未は眠い目を擦りながら制服に着替え始めていた。
ワイシャツに袖を通し、その上から制服を着る。デザインはシンプルかつ簡素なもので、動きやすさを重視したつくりになっていて柚未としては結構気に入っていた。同年代の女子諸君の受けは悪いようだが。
制服に着替え終わり、冷水で顔を洗って髪を整える。冷水が顔を冷やすと、未だ離れまいと纏わりついていた眠気は綺麗に拭い去られた。
「……うん、上出来だ。」
普段通りの姿に戻った柚未は、意気揚揚とリビングに向かう。零の朝ご飯が楽しみで、テンションが上がらざるを得ない。
時間にして数十分の朝の作業が終わると、リビングのテーブルには朝の食卓が並ぶ。朝の食卓を終了させ、全ての用意が終わったところでいつも起床の合図のチャイムが鳴る、という余裕を持った朝が二人の日常である。
「今日も余裕だな。」
「さぁ、行こうか。」
今日も三十分前に教室に向かう。朝特有の涼やかな爽快感が二人の心を満たす。普段何気なく歩いているだけの廊下でさえ、今は妙なほどに清涼な空間と化しているように感じる。素性不明 そう書かれたプレートが提げられたこの教室に入るのも今日が最後か。そう思うと、少しはこの教室に対しての思い入れが沸いてくるというものか。
他の生徒がくるまでの数十分間の間、いつも零と柚未は二人きりの教室で話をしている。特に他愛もない雑談とはいえ、教室でするからこその話題というものがあるのだから、それがなくなってしまうと少し寂しいか。
(この一ヶ月の間、本当に色んな事があった。)
零は窓際に立って、この一ヶ月にあった事を全て思い返す。
初日に柚未と出会って、パートナーになって。
任務を一緒にこなして、共に拍子抜けして。
朝、柚未の姿に驚いて。
色々な事がありすぎて、こんなんじゃ、まだ、ここからだってのに……自分で分かっていても、一ヶ月のことを考えると心が躍るのを感じる。
「零、思い出に浸るのはまだ早いぞ。」
顔に出ていたのかっ?零はハッとして柚未を見つめるが、柚未は安堵したような笑みを浮かべて首を横に振る。自分だけにしか分からないよ、とでも言いたげに。
零と柚未が笑い合うと、ちょうどチャイムが鳴った。同期の新入生が数十人一気に入り込んできて、一気に教室内が賑やかになる。
クラス分けの結果発表まで、あと十分。

Main episode 4 流転する標

「さーて、お前らの一ヶ月の努力を見て、クラス分けがされた。今から結果発表すっから、黙って喜べよ。」
事前に釘を刺すように、用意周到の一言をクラス全部に放つ流転光明の担任、仁夜。軽そうな印象の裏に、実力に裏づけされた自信が見え隠れする教師だ。
一人一人の机に、所属先のかかれた書類を置いていく。今時というか人間の性からして普通なら一人一人に置いていったりはしない。仁夜なりの流儀というかこだわりでもあるのだろうか。
零は書類を徐に手に取る。封筒のに開けられた透明の窓が中の書類の文を少しだけ覗かせるが、ちょうど結果のところだけは見えなくなっている。なんてあくどい手法だ、零はほんの少しだけ落胆してみせたが、思春期特有の感情に押し流されて、小さな演技すらもため息に変わる。
しばらくして配布が終わり、開けて良いぞーという軽い号令が発せられる。
歓喜やため息、叫びなどが入り混じる教室内で、零と柚未は静かに封筒を開ける。
結果は予想を裏切らなかった。二人の開いた書類には、流転光明の四文字が記されていた。
「「はぁ……」」
焦った。内心焦った。流転光明以外だったら……焦らないと誓った零も、実力が安堵を称えていた柚未も。二人は内心焦った。人間は答えの分からない結果が目の前にあるとここまで焦るものなのだろうか。
しかし何はともあれ、結果は予想通りだったのだ。自分の予め用意しておいた思いのレールに沿って現実が動いているのだ。焦る必要なんてないんだ。そんな思いが二人の意識を駆け巡り、二人から緊張と焦燥の戒めをゆっくりと解いていく。
仁夜が所属引継ぎの仕組みを軽く話した後、新入生は解散となった。しかし、流転光明か絶対聖義の生徒となった者は解散直後に召集を受けた。
「…………」
「……意外と少ないのだな……」
「あ、う……ぼ、僕が流転……?」
「つべこべうっさいわねー。なったもんはなってるのよ!」
「覇気の一つすら感じられないな……」
「拍子抜けなの?」
なんと今期の上流階級生はたったの六人だけだった。
仁夜が苦笑いしているところを見る限り、今期の生徒はどうも出来が悪かったようだ。元より、実力主義に転向したからといって、内向的な子供や積極性に欠ける子供の増加率に歯止めがかかったとはいえないこの世の中、当然といえば当然なのだが。
しかし、それを抜きにしても今期の生徒の出来が悪かったという事実を、仁夜は苦笑しながら言わずとも語る。
だが、今期の上流階級生徒自身の才にはずば抜けたものがあるらしく、それは同じく仁夜が弁解していたが。
平均以下の生徒が退散した後の妙なほどに閑散とした教室の中で、仁夜は上流階級生に流転、または聖義の概要を話した。
表面的には語られない、ほぼ裏のような話を、だ。

「……と、カリキュラムの話はこの程度だ。あんまし氷霧とかと変わりはしない。ここまでは、な。」
上流階級のクラスに属するということは、この高校の特待枠に入っているのも同然だ。そうなれば他とも発言力等も変わってくる、という旨の話をしたところで仁夜は一度話を切る。
そこからは闇の話。というのは秘密裏と言う程に隠すべきものではないが、明らかに国の法律を侵している話なので、という意味だ。
それを理解したという前提で、仁夜は淡々と話す。
「こっからは上流だけに話す話になるんだが……。今、旧西ロシアの辺りで領土争いが起きてるって話は知ってるな?」
旧西ロシア。ロシアは前の戦争で滅んだ国家の一つである。(資源大国であるが為の紛争で自滅にほぼ近い形で)そして国家間でもロシアの豊富な大地を保護しようと、表向きには笑顔を向け合っている日本の首相とヨーロッパの国々の大統領。
しかし所詮はそれも表向き。友好的な姿勢を貫きながらも、現場に軍隊を送らせて領土争いをしているというのが、この戦争だ。
なぜ表向きの情報ではなく国家としても裏の情報を一高校の教師の仁夜が持っているか。
それは、現時点での日本国民の約半数が現在の政権を批判しているから、というのが主な要因だ。
首相としても国民に鉄槌を下す事は出来ない。鉄槌を下せば、裏の偽情報だとシラを切っていた自分の立場が危うくなり、尚且つ現実を知った米国に殺される確率は高い。
かといって、領土争いを止めればヨーロッパとの関係が悪化する。ヨーロッパとの均衡状況が壊れれば自分の正体はいずれにせよ判明してしまう。自分の立場をどうしてでも守りたい首相は今の状態をいつまでも続けている。
そしてそうした矛盾が生む情報漏洩は、首相批判の国民に自然に溶け込んでいった。国民の大半は事実だと確信し、次世代に戦力を育成し戦のスパイラルを断ち切ろうとする。
あわよくば首相の相手となるヨーロッパを倒し、首相の正体も正論的に暴いてしまおうという思惑なのだ。
幸か不幸か、米国はヨーロッパ諸国の態度に苛立ちを露わにしている。その結果、首相を倒す際のバックアップにもなると期待されている。
「……つまりは、お前らにヨーロッパ戦争の強制参加権が与えられたわけだ。」
仁夜の話は壮大かつ冷酷で、衝撃的なものだ。
高校生に生殺の場を強いて、国の起こした戦いに戦わせる。そして自分たちは育成するだけして、老化を言い草に高みの見物。
零は耐え切れなかった。
「ふざけるな!こんな高校生どもを戦争に行かせるってのかよ!国家以前に道徳的に問題があるぞ!」
零の激昂に、仁夜はたしなめるように冷静に諭す。
「その道徳が捻じ曲がってるんだ。その道徳を取り戻すための戦いなんだよ、これは。」
「だったらそんな回りくどいことしなくても!そのまま米国に掛け合ってしまえば良いじゃないか!」
この零の意見にはその場の全員が同意した。わざわざ戦地に赴く事もなく戦いを終わらせられるなら、それで良いじゃないか、と。
ただ、それが出来ないから仁夜は言っているのだ。
「そのまま掛け合おうとした奴らは全員死んだよ……自衛隊の手によってな。」
もう腐ってんだよ!と似合わず激昂する仁夜の咆哮に、その場の全員の心が震える。歓喜でも恐怖でもない、他の何かに。
次の瞬間、零の横に立っていた柚未が手を上げる。
「分かった。乗ろう、その話。」
「ちょ、柚未?」
零は思わずうろたえるが、柚未は挙げた手を下げることもなく、また不敵な笑みを崩す事もしなかった。
そして、零に囁く。
〈一緒にぶっ潰したいとは思わないか?〉
零は、前言撤回、身を翻すように手を挙げる。この腐った水掛け論を、論破ではなくぶっ壊してやりたい、と考えたのだった。
二人が手を挙げた後、結局はその場にいた全員が挙手するのだった。
Comical scene Ⅳ 気苦労はいつか……

「では、これから今期生の班編成会議を行います。」
「うぃ、ふーがくんよろしくぅー。」
六人が旧ロシア領戦争の参加を承諾した知らせを聞いた生徒会は、早速会議を開く。
既存の所属生徒と新入生の実力はほぼ同程度である今期は、異例の訓練期間なしの班決めとなる。
訓練期間と言うのは本来新入生が調整を図るための期間で、所属生徒との戦力差を埋めるために用意される期間なのだが、今期は必要ないとの事。
「……もう少し緊張感を持ってもらえませんか、会長。」
副会長の水雨の注意に聞く耳を持たず、うー……と唸ってツインテールの髪を揺らす小柄な少女。小柄と言っても150cmと結構あるので、小柄と言う比喩が相応しいかと言われれば返答に困るところではあるのだが。
しかし、小柄な体型と言うよりも、子供じみた言動に幼い態度。それらを総合すれば普通に子供条件ばっちりである。
「そんなのどーだって良いよ……風雅くんは変な所神経質なんだから、たまには妹じゃなくてあたしにも構って欲しい……」
「模擬戦の件は後で引き受けますから。模擬戦の時間をしっかりと取るためにも、早く会議を終わらせたいところなんですが。」
んじゃーやろっか……目的を示されるとやる気に火がつく辺り、子供だ。しかしその火の点きが悪い辺り変に大人で性質が悪い。
状況が打開されたと判断した寝音はいそいそと書類を読み上げる。
「流転光明の新入生は、教師からも有望視されている、去月 零、パートナー関係を持った暮闇 柚未。さらに雲降 雪奈、槻浪 漣……の四人です。」
「ん?寝音、一人目と二人目もっかいお願い。」
会長が珍しく体を起こして興味を示した!?寝音、風雅は相次いで驚きに心を奪われ、寝音はつい名前を読み上げる声に気合が入る。
「去月 零と、暮闇 柚未ですっ。」
「うん、ありがとー。」
なんかリアクション薄くなった……寝音が瞳の奥で落ち込むと、風雅は珍しく同情した。
それにしても……と考え込む会長。幼顔で考え込むその姿は愛くるしいの一言に尽きる。
「うーん、どうにかして……あ、そだぁ!班編成って四人だよね?」
「は、はいそうですが……」
「じゃあ風雅と零くんくっつけて動け!会長めーれーだから反論は認めない!じゃぁ他は適当にって事で解散!」
ええー……?こうなった会長は教育委員会が出てきても止まらないので、仕方なく言いなりになって解散する生徒会。
「はぁ……」
水雨は休憩室で、いつもとは違った意味で、今日はいつも以上にため息が重い事を実感する。
このところ、激動の日々だ。ローテーションで入れ替わるロシア最前線の戦いから帰ってきてからと言うもの、会長に抱きつかれたり、新入生騒動だ何だかんだに巻き込まれたり、会長が恥ずかしがって零達に伝言を頼まれたり、本気の会長と模擬戦をやらされるわで疲労困憊だ。
しかも、クラスの階級を超えての班編成など、前代未聞だ。会長の事だから、結局は正当化してしまうに違いない、と後処理の恐ろしさを想って水雨は歯噛みする。
心身ともに疲れきった水雨は、今日も満天の星空を見上げて、心の傷に風景がしみていくのが分かる。
特に、あの会長に振り回されると、精神に多大なダメージが与えられる。会長と話しているとリズムが狂う。腹が立つのではなく、情けなくなってくる。
あの梓会長を見ていると……本当に―――。
「命がいくつあっても、足りないな……」
戦場に赴いた水雨に、梓はずっと現状報告だと言う名目で手紙を送りつづけていた。ウイルスには気をつけろとか、会長命令で帰還させてやろうかとか、いっつも水雨の身を案じていた。
その事で精神が揺らいだと言えば言い訳になるのだが、事実水雨はその事で何度も思い悩んだ。怜悧や沈着と周りから言われていただけに、水雨はその事を表面的に出す事は一度もなかったが。
ふと、満天の星空を見上げる水雨の視界が暗黒に包まれる。手で塞がれたのだろうと気付くには数秒も至らなかった。
そして、こんな事をする該当者は、一人しかいない。
「……会長。」
「気付いたな、風雅!」
気付かないほうがおかしいだろうな、水雨は小さい手の温もりを受けながら心の中で思った。
完全下校時刻は、とうに過ぎている。
休憩室の時計は、夜九時を差していた。
「風雅、パートナー決めたんだよね。」
「まぁ……不本意ですが妹とです。」
水雨の声色がいつもより柔和なのは、生徒会長に対する社交辞令か、それとも梓に対する親近感の表れか。
この場にいる者には、分からない。
「風雅の妹かぁ……しっかり挨拶しなきゃねー。」
「今度生徒会室に連れて行きますよ。」
楽しげに話しているのか、それとも何かを隠して話しているのか……度し難い自分の黒い部分に、水雨は目を向ける事無く話しつづける。
「風雅ぁ、今日の模擬戦、どうだったー?」
今日の模擬戦か……水雨は回想する。生徒会室での会議が終わり、寝音を目付け役として模擬戦を行ったのを。
水雨の武器は基本日本刀だが、会長は基本として大剣を用いる。自らの背丈には似合わぬ、大きな剣だ。
しかし、小柄な体型で素早い動きで敵を撹乱するのが会長の戦い方だ。大剣を持ちながらも自在にそこかしらを闊歩し、素早くも重い一撃を実現する。
そして大剣だけに留まらず、くないや手裏剣を用いた忍術も使いこなす。大剣と忍術を使い分ける事により、会長は無類の強さを発揮しているのだ。
事実、生徒会長である彼女の実力は、全校生徒の中でも屈指、一年前は最強だった。
「会長の強さは、誰もが分かっている事でしょう。」
「……神経質だなー。社交辞令なんて要らないの!」
頬を膨らませる会長に、微笑みで応える水雨。傍から見れば、非常に微笑ましい光景だ。
休憩室の時計を見る。時刻は既に九時三十分を回っていて、推奨就寝時刻にあと一時間でなってしまうのに二人は気付いた。
「……さて、明日は色々と忙しくなりそうですね。」
「うん、しっかり寝なきゃだね。おやすみ、風雅くん。」
休憩室から出て、お互いの寮個室に向かう。幸か不幸かA棟とB棟に分かれていた二人は、逆方向に別れるように歩み進める。
戦争猶予最後の夜が、更けようとしていた――――。

「……これで全員か?」
次の朝、今期の参加者は班編成をした状態で正門前に集合という事になった。
新入生の実力がいくらずば抜けているにせよ、警戒がゆるい事や無知な事から、初回から1シーズン戦わせるのは無理があろうとする生徒会の計らいにより(より正確には夕凪の計らいによって)今シーズンは途中参加となる。
ちなみに、シーズンとは一年を四回に分けたものが1シーズンとなる。そう考えると、1月から3月、4月から6月、7月から9月、10月から12月となる。
今日は5月上旬なので、およそ一ヵ月半ほどの参加となる。
しかし、零たちは相も混乱していた。事情は理解しているのだが、その中に理解できない因子が3名ほど……。
「なんで水雨副会長がいるんですか?」
「全くだ。それに妹と、……これは何だ?」
「これって何だよー!あたしは生徒会ちょ……!」
「隣の者たちにばれたら厄介な事になる。ここは黙秘ですよ、会長。」
「その事についてはお兄ちゃんが後で説明するってさー。」
何とか不可解な因子については説明してもらうと言う事を取り付けた。とりあえずは嘆息して仁夜の説明に聞き入る事にする。
「早速だが、班編成の状態で個室住まいになる。班編成の奴らとは、仲良くやるように。詳しい事情は現地に着いてその都度説明するから、んじゃ出発!」
……前言撤回。聞き入る説明などなかった。若干落胆しつつ、特に急ぐわけでもないが急ぎ足で港まで向かう零だった。

船着場での対応は簡単だった。
小学校の遠足さながらの、あらかじめ料金を既に払ってさっさと通らせる手法なのだが、国の存亡を賭けて戦う正義の学生からも学生料金を取るのかと思うと、零は苦笑せずにいられない。
船は案外豪華で、二等客室にしては広くて使い勝手がいい。だがそれも、布団が四つ+一つという無理やり感マックスな布団の敷き方をしているためか狭く感じてしまうのは気のせいではないだろう。
そして何よりこの部屋が小さく感じる要因は、梓会長の声のでかさが問題だ。遮音壁で外に音が漏れ出す心配はないが、それはこの声の大きさの被害を被っているのはこの部屋にいる者だけという苦笑いしてしまいそうな状況を作り出す事になる。
「まずはみんなの事をよぉく知ろう!」
無い胸を……失礼、つつましい胸を全力で張って誇らしげに部屋の中心で自己紹介をする生徒会長。視点は全員生徒会長に向いているのだが、その目が死んでいるのは不可抗力と言っても恐らく不正解ではない。
「じゃあ零君から!」
「あなたが名前を知っているなら自己紹介をする必要は無いです……」
「うぇっ!?知らないのはあたしだけか!う~……じゃああたしの自己紹介するよ……」
生徒番号 No.32 冴疾 梓 18歳
身長151cm 体重 38kg
特技 忍術
使用武器 大剣、くない、手裏剣
思いっきりテンションが下がった生徒会長は、生徒手帳に貼り付けてある自己データの部分を回させて自己紹介を終えた。
「はい、ありがとうございました。」
零が生徒会長の本性を知らないまま、優しく生徒手帳を会長の下に返して、条件反射で頭を撫でる。
(しまった!ついやってしまった!)
頭を撫でてしまった!しかも先輩の……小さな頭を……
しかし、次の瞬間零の元に降りかかったのは罵倒でもなく叱責でもなく、
「う~……零くん優しい……ぎゅってして……」
抱擁だった。
会長曰く、恋人とは違う兄的な存在だと言われるゆえんである。自分の為に叱責や善行に身を粉にしている恋人が水雨なら、何でも相談できる親友ポジションに落ち着いたと言うのが零の立ち位置だろう。
(……とりあえず、一番の懸念事項は消去したな。)
冷静に嘆息する兄を、妹は疑問符が付きそうな眼差しで見つめていた。

(う……何だろ、この気持ち……)
柚未は、会長と零が仲良くしているのが、自分に対して快くないのだと感じるようになっていた。親しげに、それでいて自然に……あんなに楽しい会話というか他愛の無い会話が、果たして自分と零の間にあっただろうか。
そんな事ばかり考えて、ついつい俯いてしまう。
気分が晴れない。隠そうとしてはいないのだが、隠したくなる。この部屋はなんだか居心地が悪い。そう直感で判断した柚未は、自然を装って部屋の外に出る。
「……すまない、あまりにも外が快晴なのに中にばかりいるのは気が引けてな。甲板にでも出てくる。」
柚未の一言に零は「了解。」と反応し、会長とのじゃれあいを再開する。入り口付近に立っていた水雨には、入り口に振り返った柚未が歯噛みした様子が見て取れた。
程なくして夏羽の部屋を出る。部屋を出た後足音が急激に遠ざかっていくのが耳に入り、水雨は探しに行ったか、と直感する。
(案外……乙女らしい一面もあると言う事か。)
自分で言ってて恥ずかしくなるようなセリフを、水雨はため息混じりに吐いた。

部屋の中では、未だじゃれあいが続いている。
「零くん優しいよねー。どっかの副会長とは違うね、やっぱり。」
嫌味がかった事を悪戯っぽく笑いながら呟く梓に、水雨は睨みで反抗する。睨みなら、いつでも弁明が利くからだ。
意外と怖がりな会長は睨みにすら恐怖を覚える。びくっと体を震わせて零の両腕を目の前で交差させる。
来るなら来い!だとか、挑発っぽいことを言ってみるものの声が震えている。本人はマジ顔なので、可愛らしいと言うか愛嬌がある。
会長の幼すぎる言動に付き合うのを辞めた水雨は、天井のほうを向いて思いに耽ってしまう。弄りがいの無くなった副会長に、会長はため息混じりにやれやれと呟いて視線を零に戻す。兄のような温かさを感じる零をすっかり気に入った様子だ。
「うー……やっぱりこの温かさは何にも変えられないよぉ……」
胸の辺りに顔を押し付けて温かさを感じる辺り、やはり普通ではない。
「梓会長、でしたっけ?」
「ううん、学校以外だから梓って呼んで良いよ。」
むしろ呼んで欲しいオーラを輝く瞳から零に放出する梓。内心ちょっぴり焦りながらも名前で呼ばせる辺り、打ち解けてきたのかなと思いつつ零は名前で呼ぶ事にする。
「梓、何して欲しい?」
「うんとね、……最近寒いから今夜添い寝!」
流石にこの一言には水雨も物思いから引き戻されざるを得なかった。何かリアクションを起こしそうになる自分を必死に抑え、何とかほんの少しだけ体勢を変えるだけに留まった水雨だったが、
「あっれー?なぁに反応したの副会長?」
「……悪かったな、反応して。」
いつの間にか敬語ではなくなっているが、会長はそういうのを気にしない心の広いお方(一部本人による脚色あり)なので、今の水雨のミスは流してやる事にする。

一方甲板では……
「……何なんだ、この割り切れない感情は……?」
一人、陽射しが照る甲板で、海を眺めて呟く一言は、誰の耳にも入る事無く大海原と大空の青に沈んでいった。
ただ、断続的に吹き抜ける潮風と水上を進む船の水切り音だけが、この場で音として響いている。その唯一の音でさえ柚未の心を動かす事はかなわない。
一つ動かせるものがあるとすれば――――。
「……ハァ、ハァ、柚未!」
水雨妹、夏羽が甲板に躍り出た。息を切らしているその姿から、走ってきたのだろうという予想は簡単につく。
普段の余裕ある飄々とした笑みは消え去り、心配の一言が表情に滲み出ている夏羽。柚未は怪訝そうに夏羽を見つめる。
「あの……夏羽?」
「柚未!探したんだよっ!?」
夏羽は柚未が訝しげな顔を向けると、それには反応を示さず抱擁した。心配と焦燥を言葉なしに語る息切れと鼓動が、夏羽の思いを柚未の心に伝えてくる。
「少し……暗くなりすぎていたかもしれない。夏羽、ありがとう。」
「柚未~!……もういきなりいなくなったりしないの!」
夏羽には、柚未の感情が半分理解できていて半分理解できていない。席をはずすと言った意味は理解出来たが、その目的までには分かっていない。
何も分からないまま突っ走る癖が、今回は功を奏したと言うことなのだろうか――――

―――――問いに答えるものは、いない。

Comical scene Ⅴ 夜の船って……なんか……

船でおよそ半日を過ごした零たち一行は、夕食を食べてお風呂の時間帯になっていた。
旅行じゃないんだから、みんなで一緒の時間帯に入る必要は無いだろうと言う水雨の正論を一瞬で棄却し、風呂に向かう一行を先導する生徒会長こと梓。
高校生でほぼ成人と言う体格の者たちの前に、幼いテンションではしゃぐ梓の姿は、まるで家族旅行の子どもの……おっと誰か来たようだ。
「ルンルンルーン♪お風呂だおー!」
「風呂如きで、そんなに機嫌が良くなれる所は羨ましい限りだな。」
皮肉たっぷりの一言を放つ水雨に、うるさーい!と赤面して対抗する梓。
この場にいる全員が「あ、子どもだ。」と思う瞬間であった。
妙なまでに静寂化している渡り廊下を進み、大浴場の入り口に立つ。推奨されている風呂に入る時間帯から一時間以上もずれている為、静寂化しているのが普通であるのだが、この状況はなんだか怖いものだ。
「零くぅん……女湯まで付いてきてよぉ……」
「それは流石に……」
梓の強い(痛いほど強い)執念を何とか振り払い、脱衣場に辿りついた零。さっさと着替えて浴場に入っていってしまった水雨を追うようにして浴場に入る。
「ガラッガラ……」
「推奨時間帯からかなりずれているからな。おかげでゆっくり入れるじゃないか。」
既に湯船の中で心地よさを堪能する水雨の表情は、いつもより柔らかく感じた。やっぱり風呂の気持ちよさは全年齢共通だよな、と心の中で思いながら水雨の横に陣取る。
湯船の中特有の心地よさに思わず息を吐く零。意味も無く天井を見上げると、何だか今までの事がダイジェストのように振り返られた。
始業式の日。素性不明として過ごした一ヶ月。その中での任務。柚未との日常……。たった今までの一ヶ月のことを考えるだけで、心が温かくなっていく。
俺って幸せだな……
何となくクサいセリフを心の中で呟くと、水雨が零に問い掛ける。
「零、 今までの事で感傷に浸るのは良いが、ここから先が本番だと言う事をとりあえず肝
に銘じておけ。」
気を抜くな、という警告に頷いて応えると、水雨はため息をついて湯船に肩を埋める。
そのため息は嘆くようなものではなく、どこか幸せそうなものだったのに、零は気付く事ができなかった。

「うぉ!誰もいなー……い!」
一番に浴場に入った梓は、誰もいない状況に表面では歓喜し、内面では安堵していた。
(良かった……うぅ、頼りない……)
梓は自分の胸に視線を落とし、ため息をつく。足りない、足りな過ぎる。というか、無いという訳ではなくちょっとだけ申し無さそうに膨らんでいるのがもっと情けない。
ちょっとだけ沈んで、湯船の中に入る。温かい湯に体が包まれ、言いようのない快感が体を駆け巡る。やはり息を吐くと言う動作は、抑えようとしても抑えられないと言うのを改めて実感する。
「ふぅ……」
「大きいな……あふぅ……」
ため息を我慢できずに吐く二人を見て若干仲間意識を持つ梓だったが、直後に胸元に意識がいき、前言撤回する。
「貧乳の敵めー!どうしたらそんなに大きくなる……ん……です……か……?」
めったくそにけなしてやろうと思った梓であったが、結局は自分の理想像と重なってしまい、折れてしまうのだった。
首を傾げる豊かな二人に、貧しい梓は涙目になりかける。こんな理不尽があっていいのか。無自覚に格差が出来上がっているこんな社会で良いのか。
密かに体育座りしてため息を零す梓。そのため息に気付くものは、奇しくもいなかった。



露天風呂を堪能すると言って数十分風流な月を眺める水雨を置いて、一足先に風呂を出た零は着替えを済ませた。
脱衣場を出ると、何やら遠くを見つめるようにして立っている梓が、零の視界の端に映った。零が梓の存在を確認したのとほぼ同時、梓は零の元へと歩み寄っていく。
「年上はお好き?」
悪戯な目で誘惑するような素振りを見せる梓の姿に、妖艶さではなく可憐さを覚えるのは正常だろうか、と零は内心苦笑する。
「悪くないですね。」
「んふ。蜜月にしちゃう?」
思いっきり冗談のような口調で、浴衣をはだけさせる梓の姿に色っぽさを一瞬覚えた零は、自分に全力で困惑した。
「……遠慮します。」
「ん。賢明かなー。」
特にいじける様子も無い梓の反応を見るに、本人にとっても皮肉が含まれた言葉だったのだろうか。もっとも、明晰と評判の生徒会長に、自分自身の分析が出来ないはずが無いのだが。
零の分析通り自嘲的なセリフを吐いた直後の梓は、零に牛乳を三本も買ってくれと頼む。飲みきる自信もあり、理由は目が言わずとも語っている。
零が特に何も言わずに三本購入し、三本牛乳を渡すと梓は喜んだ。
「こく……こくっ……こくん……」
牛乳をひたすらに飲む姿が非常に愛らしい。所々にあどけなさが残るその姿に、愛嬌を覚えないものはいないだろう。
ぷはぁ……と清々しく飲みきった梓はどことなく大人っぽく見えた。牛乳瓶を零に差し出して捨ててきてと頼む姿は、先輩オーラがむんむんと出ている……気がする。
「零くぅん……先に戻ってない?」
「えっ?それじゃ……」
「だいじょぶだいじょぶ。どーせみんな帰るからさ。」
意気揚々と胸を高鳴らせながら先導する梓を標に、零は船の中を歩く。
人の気配は無く、明かりも地味に暗くて雰囲気としては余りよくない渡り廊下だが、窓の外からは綺麗な海が一望出来た。
目の前で笑顔を振り撒く梓の姿を見ていると、零の心の中は何だか温かくなった。それと同時に、自分が本当に幸せだと感じる。
幸せだと感じる事が出来る自分は幸せなだけじゃなくて……零はそこから先を考えようとしていたところで、零は梓の呼び声によって現実に引き戻される。
「零くぅーん!なに考え込んでるの?」
「えっ、あ、ああまぁ……色々と。」
うろたえるように隠す零に、梓はそれ以上追及しなかった。
それが一番辛い事を、知っているからだろうか―――

Main episode 5 訪れる真実の刃

個室に戻ってきた梓と零は、自分の布団周りを整理して早々に布団を被った。
布団を被っただけで眠るつもりなど全くないため、とりあえずは明かりを消して暫しの間雑談していた。
しかし、途切れる事無く続いていた雑談は突然現れたアクシデントによって中断する。
いきなり、船体が大きく揺れた。
いや、正確には大きく揺さぶられた、というものだが。
「っ!梓会長!」
「とりあえず武器と服もって廊下に避難!このまま甲板で状況把握しなきゃ!」
会長の明晰ぶりを、零は改めて確認する。突然のアクシデントにも、臆する事無く立ち向かえる。廊下に転がるようにして出ると、揺れが一度止まる。
「即行着替える!性とか今は関係ない!」
「分かってます!」
冷静に割り切って行動する会長のその姿は、零の瞳に眩しく映った。凛々しさと猛々しさを同時に併せ持つ魔性の格好よさは、それこそが強さだと示さんばかりに零の脳裏に焼き付く。
普段着に着替え、武器を携えて廊下を走る二人を、もう一度揺れが襲う。
大地震と言うよりも地面をひっくり返されたようなという表現のほうが似合いそうなその激しい揺れは、零の精神を確実に削っていった。
「くッ!マズい!」
零が体勢を崩し、廊下を転がる。そのまま転がればガラスを突き破って大荒れ状態の海に放り出される事は明確だ。
「零くん!」
咄嗟に会長が腕を伸ばして零を支える。高度な強化術式によって強化された右腕が零の体を捉え、支える。
零を抱き寄せて揺れを凌ぎ、揺れが収まると術式を解除して進む。
「礼はあとで、今は事態の収束!」
会長はまた、眩しい姿を零の脳裏に深く刻んだ。

階段を駆け上がり、やっとのことで甲板に躍り出る。
雨が降っているわけでもないのに水浸し状態となっている甲板は、揺れの規模が相当に大きかった事を物語っている。
「アイツか!」
零が甲板の正面から右側に視点を移すと、これは生き物かと驚愕しかねない大きさを誇る大きすぎる鯨が、船を襲っていた。
「とりあえず黙らせなきゃね、戦うよ零くん!」
「はい!」
かつて無い大きさの鯨に、戦いを挑む二人。運命は、双方の剣が刻む―――。


「もう、立てない……!」
息を肩でする会長の横で、鮮血を滲ませて倒れる零。勝敗が決し、静けさに包まれる甲板で、二人の勝者が休息を取った。
「う……よいしょ……っと……おもぉ……いよ……っと。」
強化術式で自身の筋力を増幅させて、零をおぶって歩く梓。零が遠慮して降りようとすると、梓が声を荒げて叱責した。
「頼っていいの!先輩は頼られてなんぼなんだから!」
叱責というか、一種の褒めでもあったか。

一連の騒動の被害拡大を防いでいた水雨と柚未が、医務室に駆け込む。
傷だらけの梓に、血塗れの零。
どちらも、痛々しいという域を越えていた。そんな二人を、先に駆けつけていた夏羽が治療している。
梓と零が同じベッドの上で治療を受けているのは、梓の強い熱望があったかららしいのだが、疲労のあまり眠ってしまっている零の寝顔を見て微笑んでいる梓の姿は、どことなく大人だった。
「会長。今回の概要については現地到着時に改めて。被害報告はありません。怪我人もいませんでした。」
「ん、上出来。副会長と柚未と夏羽は個室にて休むよーに。零くんの看病は会長がやります。」
必死に人命を守っていた三人を個室に帰させ、静寂で満たされた医務室の鍵を閉める。梓は鍵を閉め、零の元へと歩み寄る。
正直言って、今回の戦いでは零はほとんど役に立たなかった。
変に梓をかばおうとして深手を負い、意味の無い銃撃で鯨を怒らせて更に致命傷を負いかけ、挙句の果てには少し吹っ飛んだ程度の梓の体を受け止めてもいた。
それでも、梓は嬉しかった。
零が全力で戦える姿を見れたこと、自分を守ろうとしてくれたこと。全部が嬉しかった。
「……お兄ちゃんだよ、もう。」
どっちが年上か分かんないや……そう呟いて梓は零に寄り添う。零に抱きついたまま、そのまま眠りについた。
温かい鼓動と寝息が、医務室に平穏をもたらした。



「……会長、開けてください!目的地に着きましたよ!」
水雨は朝から胃が痛かった。昨日の騒動後、そのまま会長が戻ってこなかったのを確認した水雨は医務室に駆けた。
そしたら最悪の事態だ。医務室には合鍵が無く、鍵は中からしか開けられない。おまけに扉に耳を当てていれば、微かにだが寝息が聞こえる。
現地に着いた船は、このままにしていればいずれ日本に帰ってしまう。現地についてから何度も船長に頭を下げ、現地到着から二時間強が経った今も水雨はこうして医務室の前で呼びかけているのだ。
水雨はもう限界だった。手元にある日本刀を見つめ、目の前でひたすらに叩いていた無機質の扉を順に見つめる。
(仕方ない、会長に頭を下げてもらうか……)
日本刀で無機質の扉を叩き斬り、一抹の心残りと会長に対する感心を、一振りと共に斬り捨てた。
(……爽快だ。)
新たな趣味に目覚めそうな感覚に、水雨は悪い笑みを浮かべるだけだった。



「あぁ、はい……弁償の件は……はい……すみませんでした……」
船着場についた直後、船長に頭を下げる生徒会長の姿が最後まで残っているのは、恐らく史上初だった事だろう。
船長に頭を下げた梓は、偶然この場にいない水雨を探し出そうと目を光らせた。
満身創痍であった零の体は、梓が眠りにつくまでに掛けつづけていた治癒術式によってほぼ全快状態にまで回復していたため、滞在の意味は無い。
「はぁ……なぜ俺が道案内なんだろうな……」
唯一、水雨は戦争の経験者だったため人員を割くことないように道案内を任されていた。
道案内など面倒なだけだ、とぼやきながら水雨が零たちの元に戻ってくると、待っていたかのように梓が悪戯……というか氷の微笑みで水雨の元へ駆け寄った。
「水雨ふっくかいちょー。後で会長から予算報告があるから……」
「その件については、私が既に処理しておきました。本校への連絡も既に行ってあります。ご安心を、会長。」
ぐぬぬぬぅ……!と握りこぶしを握る梓を背に、早めに手を打っておいた水雨は安堵の息を漏らす。一度深呼吸をして気持ちを清算した水雨は、呆然としている零達に向かって道案内をするという旨を伝え、歩き出す。
「……柚未?」
零は何やら気持ちが浮かない様子の柚未を見て、心配して声を掛ける。
零が柚未に声をかけると、柚未はすぐにいつものような凛々しい顔を取り繕って零に応じる。不自然さを出さないように、という計らいも、今の零にとっては逆効果にしかならない。
「……ん、ああ。ちょっと異国の自然には感じるところがあってな。幼少の頃に親戚が話していた植物が確かこちらの方に群生したのではないか、と。」
自然に、流れるようにすらすらと発せられるその声には、よどみの一つも感じられない。
よどみも感じられなければ、感情の起伏さえも、である。
「そっか……ごめん、俺の勘違いだった。」
さっき柚未に感じた違和感は、勘違いだったのだろうか。
一抹の不安が、水雨の説明と梓の体温に埋もれていくのを、零は感じていた。

数十分ほど歩いただろうか。海岸から密林を越えて、平原から街に入る。
街と言っても、意味と言うか本質的に見抜けば村だ。戦争のためだけに作られた、国家の一部を切り取ったような村。それが村と言う規模ではなく、いつしか街並みの規模になってしまった。
そのような目的で作られた街であるから、当然普通の街のように商店街などは存在しない。どちらかというと、一昔前の工業地帯を想像して、そこから工場の代わりに駐在所を作ったような、倉庫と学生の駐在所と、小さな店が数店舗あるだけ。
駐在所といっても、軍隊の駐在所のようなまるで要塞と言った場所ではない。言うなれば、およそ数百年前の日本……第三次世界大戦前の日本に数多く存在していた「マンション」という住居を想像すればドンピシャであろう。
マンション仕様の寮と言えば、簡潔か。
「随分古典的だな。」
「しかし、質量的にも建設時間的にも最も適しているのはやはりこれだったようだな。」
人の考えははいくら進化しようと昔の考えが結局は良いのかもな、などと非現実的なことを水雨が言ってみせると、零も何だか現実を冷笑したくなってくる。
意味のない戦争を繰り返して私利私欲を満たそうとする上層部の連中に、手ごまのように操られている下層部の者たちを見て。
滑稽だと、笑い飛ばしたくなってくる。
「さてと。とりあえず報告はしといたから、任務受理のほうは水雨兄妹に任せて。零と柚未とあたしは、部屋で荷物整理~!」
テンションアゲアゲな梓に、零と柚未は引っ張られるようにして連れて行かれた。


Comical scene Ⅵ ……誰?

テンションマックスな梓に荷物整理を強要され、零はまたも梓に拘束されてしまった。
とりあえず外の空気を吸おうと部屋の外に出て深呼吸をすると、柚未は後ろから声を掛けられて振り向く。
「おっすー。久し振りぃー、元気だった?柚未さん。」
「う……お久し振り、です……」
男らしくない男に、殊勝な女。
……?記憶内からこの二人の姿を見つけることが出来なかった柚未は、首を傾げる。
「……すまない。記憶には自信がある方なのだが……数十秒、時間をくれ。」
「……良いわよ……?そんな無理して思い出そうとしなくたって……?」
案外全力で思い悩んでいる柚未に、雪奈と漣は優しく対応した。



荷物整理が思いの外早く終わってしまった(梓にとっては予想通り)部屋の中では、梓と零によるふれあいタイムが始まっていた。
「零くぅん……お話、聞いてよ。」
本気で縋っているのか、それとも妖艶に誘っているのか、単なるお悩み相談なのか。
零には真意を測りかねたが、少なくとも桃色な展開は希望していないのでお話を聞いてあげる事にする。
「あたしね、すっごく大好きな人がいるの。ずっとずっと大好きで、その人の背中ばっかり見て生きてきた。だけどね、ある日その人のほうが下になっちゃてね、あたしの方が見られる立場になっちゃったんだ。」
ほんの少し悲しいような顔で。でもそれを受け入れる享受の表情も見せながら。
「それがずっと悔しくて辛くて、その人に導いて貰いたかった。ずっとわざと頼ってた。その人にとっては辛いのかもしれないけど、あたしは今でもその人に意地を張って想いを伝えられない。いつも逆の事ばかり言っちゃう。恥ずかしいんじゃなくて、言うんじゃなくて言ってもらいたいっていうただの意地。何でなのかな……?素直になりたいのに、なんでなの……?」
最後のほうは泣き出しそうな声色で、零に語っていた。
想いは本物だ。そしてその想いを向けている人物にも合点がいった。零は納得する。
執拗なまでに、その人に対して梓が意固地な態度をとりつづける理由に。
強がりは、人間本能の特徴にして、最も簡易で最も御し難く、そして最も堅牢である。
今まで強がりなんて脆く崩れていくものだと先入観を持っていた零は、この言葉に納得する。
(本当に、好きなんだな。梓は……)
零はそう思うがこそ、安易に返答を繰り出さない。安易な回答は、梓を傷つけるだけなのだから。
だからこそ、零は慎重だ。
「……それでいいんだと思います。きっと梓はそれ程に相手の事を考えているんですから。それに……梓の好意に気付かないほど水雨さんもバカじゃないでしょう。」
水雨の事を考えての発言だったのだが、その発言をストレートに受け付けすぎた梓は顔を猛烈に赤面させる。
「う……!?気付いてた、の!?相手の事……」
「当然でしょう。じゃなかったらこんな事言いませんよ。」
う~~!零くんのバカバカッ!いじわる!女泣かせ!と言い出す梓。零が微笑んで頭を撫でると、梓は「うぇ~~~ん」と泣き出してしまった。
(……次はあなたの番ですよ、水雨さん)
部屋の外で扉に寄りかかっている人影に向かって、零は心の片隅で呟いた。

雪奈、漣、と共に時間を過ごしていた柚未は、任務受理が終わった夏羽と合流した。
絶対聖義のバッジをつけている者と友達関係である事に驚いた二人は、何やら自己嫌悪に陥っているようにも見えるが……
しかし、夏羽の飾らない性格がそんな場の空気を一変させる事は、柚未の想定内であり想定通りだった。
「絶対聖義だとか、流転光明だとか、そんなんどうでも良いじゃん!楽しければ、じゃない?」
というか、核心を言ってしまった夏羽が、場の空気を一変させざるを得なくなってしまったと言うべきか。
それにより一気に全員がフレンドリーになり、他愛のない会話をする方向に目的が変わってしまったのだ。
「夏羽は、あの生徒会副会長を兄としている。」
「「えええっ!?」」
「もう、似てないって言われまくりだけどね……」
苦笑いする夏羽を見つめる、雪奈と漣は驚愕している。副会長と言えば実力だけで風紀委員まがいの事を自分でやってしまっているという生徒会役員の一人。
風紀委員まがいの事とは、校内を巡回している―――というか歩き回っていると偶然悪事に出会ってしまうというものだが……それを検挙しているに過ぎない。
だがしかし、正義感が強いわけでも仕事欲が強いわけでもない水雨の真意は、実際のところ妹である夏羽ですら、計りかねている。
何がそこまで兄を突き動かすのか。未だにその根底には暗雲が立ち込めている。
毎日だるい、疲れた、などとぼやきながら風呂に早々に入り、寮のリビングで必死に生徒会の残った仕事を片づけている。そして、次の日起きると自分より早く起きていて、遅刻しそうになると自分を起こしてくれて――――。
兄の心労の程を考えると、夏羽は背筋が凍りそうになるぐらい、自分のせいだという嫌悪感が強くなる。
「優しくて、強くて……お兄ちゃんには敵わないよ。」
確かに、という感心が三人の心に浮かぶ。数々の心労や悩み事を抱える性格だもんな、と柚未は自分でより深く納得する。
零から聞いた水雨先輩は苦労人だという言葉が、どれだけの信憑性を持ったものだったかを知る柚未だ。



「……気を取り直して、生徒会本部に連絡でも取っておくか……」
水雨は寮の敷地外に出て、制服のポケットからノートパソコン型に展開される連絡端末を取り出す。本校の生徒会と連絡をとるためだ。
本来なら会長が高校からいなくなるなんてことはほぼ無い。ましてや、会長が不在時に代役を務めるべき副会長までもが不在となると、生徒会としては機能不可だ。
だからこうして、頻繁に連絡を取り合うことによって生徒会を機能させているのだ。特に、生徒会長ではなく副会長である水雨に連絡が任されているのは、会長よりも普段の誠実さが勝っているからなのだろう。
「予算の件は支出報告がある。収入報告は今のところは無い。後で支出の大まかな予想が出来たら追伸する。」
スラスラと目の前に用意された問題を解決していく水雨。階級制度を導入している高校であるのにもかかわらず校則違反が多いのは水雨にとっても驚きだが、おかげで自分の実践的な考えが明かりを見ることが出来ているのだから言う事は無い。
むしろ、より複雑な問題に直面して対応に困るよりも、風紀委員だけでは対応しきれないほどに校則違反が頻発してくれているほうが生徒会役員としては気が楽だ。
とりあえずの報告を済ませた水雨は、端末を閉じて小さく息を吐く。無意識に視点が地面に向いているのを感じて、疲れているのかな、と思ったりする。
思わず顔を上げると、護衛目的で作られたのであろう簡単な三重柵の先に、吹き抜けるように広がっている緑の平原が視界に入った。
自分でも理解できない衝動に駆られて、三重柵の外側に出る。涼風が吹きぬける平原と大空が、視界を埋め尽くした。
(………………)
俺は、何を考えているんだ?答えの見つからない自問自答が、意識の中に消えていく。
思えば、よく俺は一人の時間が多い、と考えるようになった。
朝早く起きて一人の早朝を過ごし、夏羽を起こしてクラスに行った後の話し相手は会長の他にはいない。ホームルームが終われば夏羽は単位を稼ぎに行ってしまうし、会長も最近よく単位取得に行ってしまう。
夕凪や上層部や風紀委員から頼み込まれたりして、校内の巡回を任じられればずっと一人。放課後のやたらと長い生徒会会議が終われば、リフレッシュルームに行って孤独を楽しみ、寮の部屋に帰れば予算などの仕事で一人仕事。たまに夏羽が怯えて一緒に寝るが、最近は一人で寝ている。
全部、俺のためであり、俺の望みであり、俺の欠点で、俺の個性だ。
そう納得しているんだ。俺のために一人。俺の望みは俺のために行動する事。俺の欠点は孤独を愉しむこと。俺の個性は孤独を受け入れている事。
だからといって周りに心労をかけている覚えは無い。そして、自分でも一番これが過ごしやすい。
最善のハズ……昔から、ずっと前からそうだった……
水雨の心は小さく揺れる矛盾に、迷っていた。



「てなわけで……夕食タイム!」
すっかり意気揚々といつもの明るさを取り戻した梓が、寮の部屋のど真ん中で高らかに言い放つ。
しかし、この発言をした梓自身は、料理が出来ない。
そしてよく見ると、梓に柚未、夏羽もみんながみんなリビングの真ん中でくつろいでいる。
そう、今、キッチンに立っているのは男性二人。
「全く……家庭的な女の子はいないものか……」
「料理すらも出来ないとはな。どうやら俺たちの周りにいる女子はお血気が盛んなようだ。」
愚痴をこぼす零に、わざと聞こえるように皮肉を言い放つ水雨。普通ならリビングでテレビを見ているべき二人が、台所に立っていた。
ちなみに、柚未は料理経験が無い。夏羽は殺人料理を数多く開発し、兄の手で却下された。そして生徒会長梓は、調理実習で包丁を持たせた際に一度親指を切り落としかけている。
結果、料理が上手な零に、家庭的にならざるを得なかった水雨が料理を担当する事となってしまったのである。
簡単な料理をして二人がリビングの机に並べると、わぁっと歓声が上がった。どうやらこの場にいる女子には非家庭的であるという事と、さらにどうでも良いことにいちいち感動的なところも共通しているらしい。
(喜ばれると……逆に腹が立つ……!)
水雨は全く心中を察して無いように見える無垢な笑顔に腹が立って、窓の外のベランダで外を見つめる。
戦地の町はその存在を誇るかのように、煌々と光を放っている。
それは、日本がどれだけこの拠点を元にして、領地拡大を進めようとしているという強い思いを象徴しているようにも見える。
水雨は改めて思う。所詮は子供など大人の操り道具なのだと。今の日本の社会図を見ると、それが痛いほどに……というかそのように出来ている。
子どもに選挙権を与えず、そして外見や演説の一存だけで決まった議員に社会の手綱を握らせる。
するとどうだ、分かりきっていたように食糧難だと騒ぎ立て、あたかも仕方が無いように外国へ侵攻し、自分だけは貯蔵し腐った金と権力だけで悠々と暮らす。
自分は手を汚せない。だってうわべだけの笑顔が血で汚れたら、公的に血塗れになってしまうから。軽すぎる責任を重く見せつけ、挙句の果てには高齢者が老い先短い自分のために子どもをも侵攻させる。
最後は、自分は安穏な環境でテレビを見て、死亡者を数だけで判断する。
(この感情こそが……何よりの善の判断基準だな。)
物事に対して善悪や正義を振り翳す事を嫌う水雨だが、今ばかりは自分の感情は善だと理解出来るような気がした。
物事に対して、正義は無いんだよ。ただ、あるのは認却だけなんだから。
水雨のポリシーとも言うべき考え方は、五年前に梓から教えられた言葉だ。
正義など、時や場所、人によっても変わってしまう不定のものだ。そんなモノを口実にして裁く事など言語道断なのだと、梓から教えられた。
物事にあるのは良いか悪いか……正義か悪道かではない。世に認められるか、認められないかの違いだけだ。
悪が認められるなら、それが正義だ。善が否定されるなら、それも正義だ。
ただ一つ、変わらないのは、認めるか認められないか。
その正義に対して、違う正義がぶつかれば、それは正義ではない。
ぶつかると言う事は、それは認められていないのだから。
「それだったら、真の正義なんて無いのかもしれないじゃないか!」
水雨がそう声を荒げて傷だらけの梓に言ったのは、梓が瀕死の重体で倒れているところを水雨が助けたあとの事だった。
犯人を咎めないで……と泣きながら水雨に懇願し、前述の言葉を口にした梓に、水雨が言ったのだ。そう言ったら、梓はこう答えた。
「……だったら、真の正義なんてもの……ないのが、本当の正義なんじゃないのかな?」
身体中に包帯を巻かれた状態で、微笑みながら答えた。
この瞬間から、水雨は梓が好きになった。
今も、ずっと。
(……俺は何を考えているんだ?)
街を眺めているのに、何で全く関係のない事を考えているんだ、と水雨は我に帰る。
背後から零の助けを求める声を聞き取って、ため息をつきながら部屋に戻る。
水雨の背から、迷いの二文字が消えていた事を知るのはきっと、空に浮かぶ星と―――。

「全く……結局はまた俺たちか……」
「仕方ないですよ。もう受け入れないと精神が耐えられないと思います。」
結局のところ騒ぎの片づけをさせられている水雨は、リビングの惨状を見ながら面倒そうに呟いた。
柚未は上着を脱ぎかけで眠っていて、夏羽はその柚未に抱きついて眠っている。唯一、眠っていない梓は机に突っ伏していてとても片付けを手伝ってくれそうにはない。
食器洗いが一段落し、眠っている二人を担いで寝室まで持っていくと、梓が水雨に声を掛けた。
「ふくかいちょー。会計の件を報告するのだよー。」
「じゃ、俺は寝ますね。」
零は生徒会の話に関わる必要は無いと感じ、明日が早いと分かっているのだからさっさと寝てしまおう、と寝室に向かった。
リビングでは、恋人同士が恋愛とは逆方向の話をしている。

「―――――とまぁ、こういった具合です。」
「んー、やっぱ任せるー。」
会計の話は数分で終わった。事情を知っているから、というよりは内容そのものが少ない。ほんの少しでも支出なので話す義務があると思ったが、特にそこまで重要では無かったので話す必要も無かったか。
これ以上話す事もないので零を追っかけて自分も寝てしまおうかと席を立つ水雨だったが、それを背後から梓が呼び止めた。
「……風雅くん。賭け、しよっ?」
軽い口調を装った梓の声が震えているのに気付いて、しかしその声にただならぬ気迫が混ざっているのを感じ取った水雨は、賭けに乗った。
「……分かりました。その賭け、乗りましょう。」


Main episode 6 闇夜の刃が交わす想い

梓が提示した賭けとは、単純明快なものだった。
互いに剣を交えて、降参したほうの言う事を何でも聞く……時代を問わず使われる典型的な賭けだ。
水雨は特に望みなど無いので、とりあえず心労を掛けないように努力してもらう、というお願いにも似た望みを賭けることにした。
梓は元々話すことがあって賭けを提示したのだから、賭けの報酬は当然話を聞いてもらう事だ。
「この勝負、俺は負けられない。」
日本刀を構える水雨に、梓は憤慨したように地団駄を踏む。
「そこまでして勝ちたいなら、負けるわけにはいかないなー!」
街の外れの平原で、暗闇の中剣を振るう。
梓と水雨では、元々の力量差がある。だが二人の戦術や使用武器は全く違うため、また双方共に本気で戦った事は無い(そして今も本気ではない)ので、本当の力量差はこの通りなのか、と問われると疑問符が浮かぶ。
(くっ、重い……!)
梓の方が武器の質量的には重いため、水雨は若干力押しされていた。
この程度の暗闇で相手の姿が確認できないほど弱くは無い二人だが、だからこそ闇雲に振っているのではなく純粋な戦いなので、暗闇だからという言い訳が出来ない。
必然的に、水雨は力押しをされているこの状況に、焦りを感じざるを得ない。
(負けられないのッ……!風雅くんには、絶対!)
結果として、力量的にも賭ける想い的にも上だった梓が、勝利を収めた。
「はぁ、はぁ……どうよ、風雅くぅん……!」
途中からある程度本気になり始めていた梓は、息が上がっていた。
対して水雨は、そんな梓の一撃を刀一本で受け止め、立てなくなっていた。
「どれだけ本気なんだ、あんた……」
若干呆れ口調で力を失った右手を差し出し、梓に立ち上がらせてもらう。
街並みが一望出来る平原の丘で、二人は寄りそって話をした。
「どう?最近の生徒会とか。」
「もっと真剣に会議に参加してくれると、助かるんだが。」
半分本気、半分冗談で梓に意見する水雨の声色は、軽い。
「それは無理な相談だって、分かるでしょ?」
「……使う色目が無いんだが。」
「あのねぇ!ちょっとぐらい赤面してくれたって良いじゃない!」
普段より、軽い。その軽さは、親近感と言うのが正しいか。
「そういう梓だって、分かっているんじゃないのか?」
「…………当然だよ。」
「だから俺は梓が好きなんだ、分からないわけ……無いだろう?」
前兆の無い告白に似た水雨の発言に、羞恥心が警鐘を鳴らす。
その警鐘は、合図。
「……ばか。風雅、大好きって……知ってるよ……。」
いきなり、抱きつく。
予想外の展開に、言葉を失う水雨。まさか冗談を本気にする梓ではない、と脳内で今の状況を何度もリセットしようとする。
だが、胸元に埋まる小さな身体が、現実を物語る。
伝わる体温が、想いを、語る。
「………………だいすき。」
小さな口から漏れ出るようにこぼれた想いは、水雨の心に突き刺さって昇華する。
高鳴りを鎮められない自分が、現実と向き合う。
その瞬間、目の前がすべて氷解する。
抱擁が、梓の体を包んだ。



「……子供か。」
呆れたような口調で梓を抱き上げ、平原から街に戻る水雨がそう呟いたのは、夜もすっかり更けきったころの事だった。
学生が主として行動している街だけあって、深夜の賑わいはほぼ無い。ただ、ごく少数の衛兵の姿と、夜間でも威厳を保つ最大の建造物である寮だけが、昼間とほぼ変わらない姿を称えている。
寮の部屋に戻って、梓を零の傍に寝かせると、水雨は眠気が飛んでいってしまった意識を休ませるようにソファーで呆ける。
孤独な時間はあまり良くないと自覚しているが、嫌いではない。むしろ好いている自分に対して軽い嘲笑を浮かべるが、何の得にもならないとも自覚もしている水雨なので、ソファーで呆けながらため息をつく。
(汗を流すとするか……)
纏わりついた汗を流せば、眠気が起こってくるとでも思ったのだろうか。水雨は汗を流すためにシャワーを浴びる。結果としては、逆に眠気が飛んでしまった。
もうお手上げだ、と水雨は生徒会に関する書類を眺める事にした。仕事は嫌いなのだが、なぜだか最近は生徒会の書類を見ていると心が落ち着くのだ。仕事が趣味に変わってしまったのだろうか。
(……っと、夕凪のヤツ……やけに打ち間違いが多いな。)
呆れると言うよりは、訝しげな思いを抱かざるを得ない水雨だ。梓と知り合ったのが五年前なら、夕凪と出会ったのはもっと前。物心がついた頃であるがため、夕凪の性格と技量をもってすれば、こんなに打ち間違いをするはずが無いのだが……
増してや、今ごろの端末の文章校正機能は、一文字入力間違いしただけでエンターキーを押す前に間違いを示す下線が引かれる。さらにはご丁寧に、文章を作り終わって送信する際にはブザーを鳴らして警告までしてくれるのだ。
意図的に?水雨は訝しげに視線を送りつづけると、打ち間違いに規則性を見出す事が出来た。
‐今期の生徒会会計結果の報告及び傾向の考察‐
今期の生徒会では支出が多く見られました。
器物破損やそれに伴って発生する修繕費にど、本来支出の必要性の感じられない箇所での無駄な出費が原因と思われます。
それに対して収入は少なく、全校生徒の大半が任務で直せ単位を取得していない影響かと思われます。
生徒会としては今回の会計報告を通して、全校生徒に任務に対する積極性を求めつつ、風紀を一層取り締まる姿勢をアピールする必要がありそうです。
なお、会計報告に伴って支出の一因になっている現生徒会長にひ、一回目であるという事で厳重注意を呼びかけるにとどめます。

本日 書記 夕凪寝音からの提案
IPMK、インターオブパーソナルメディカルコールと題しまして、内側から自分たちを見つめ直し、徹底的に呼びかけるという提案を、水雨副会長に致します。

最後の提案の題名、どう考えてもこじつけだな……横文字と意味の微妙すぎる関連性に気付いた水雨は、ここでこのアルファベット四文字が何を物語っているかを理解する。
端末のキーボード……意味も無く見つめたその先に、答えはあった。
ほぼ使われる事の無い直接入力という機能がキーボードには存在するが、その機能はローマ字で入力するのではなく、ボタンごとに明記されているひらがなをそのまま入力するといった機能だ。
そして、会計報告で夕凪が打ち間違っていた字を元に直すと、にど=など 直せ=直せつ 
にひ=には になる。
これは、間違った文字だけを繋げると水雨の妹の名前夏羽になる。
それに、直接入力という観点で調べれば、IPMKというアルファベットは、
I=に P=せ M=もK=の となる。
夏羽は、にせもの。という、寝音のメッセージだとするならば。水雨は寝室に駆ける。
寝室の状況は、予想していたものよりも劣悪な状況だった。
「あ、う…………な、んで?」
「ふふふ、潜入作戦は成功ね……」
夏羽に擬態した何者かが、梓を不意打ちして行動不能にした直後だった。
傍にいる零や柚未が攻撃されていないのは、実力に裏づけされた自信があるからか、それともただ単に新入生だと判断していたからか。
いずれにせよ、水雨にとって不利な状況であることに変わりは無い。
(……どうする、梓はおそらく気付いている。この状況で部屋に出れば、状況は打開不可能になるか……?)
寝室のドアの裏で、息を潜めて水雨は状況を待った。偽夏羽の言動や口ぶりから予想するに、まだ水雨自身が近くにいることには気付いていない。
対して梓は気付かないほどヤワな実力者ではない。ましてや最初の数歩などを急いで走ったのだ。気付かれていない事などありえないだろう。
それを判断した上で、水雨は経過を待った。
「さて、浦浪の生徒会長と話が出来るなんてね。何から話してもらいましょうか。」
「く、ぅ…………」
麻痺術式に、捕縛術式……更には物理的にも縄で縛られている。梓を一瞬で助け出す事は難しいだろう。水雨は非情にも、この状況を冷静に判断して可能性を一つ断った。
「今年の新入生は何人ぐらいかしら。」
「……それを知って、何の意味が……?」
梓は挑発的に言って見せたが、挑発的に言う意味など本当は無い。
新入生の人数を知ったところで、その内戦場に来ている者など所詮は数人。高校に所属する新入生の人数など知ったところで、戦場にいる者にとっては何の得にもならない。
「いいから話しなさい!」
「あぐ、うぅぅぅぅぅ!」
麻痺術式の締め上げ、捕縛術式密度上昇。物理的な縄には何の効果は無し……この事から、相手術者はCクラス術者であることが判明。一瞬で絶命する事はない。
水雨は冷静に判断したあと、一気に寝室に駆けた。
一瞬で絶命しないなら、こちらの勝ちだと確信して。
「……憤慨しているところに悪いな。」
僅か一秒も無い刹那の時間に、水雨は悪げも無さそうに呟いた。

一瞬後には、相手術者の姿は木っ端微塵になって消え去っていた。
水雨は意味も無く何度も斬り捨てた。コンマ一秒の間に五十回も斬りつけるなど、防御術式無しのただの生身に対しては明らかにやり過ぎだ。
きっと自分のどこかで、梓に危害を加えた相手の事が許せなかったのだろうか、とため息をつく。
捕縛術式をといて縄を解くと、梓は水雨に抱きついた。
「ありがと、でもやり過ぎはいけないなー。」
「……気をつけます。」
会長と副会長の会話は、もはや生徒会と言う枠など必要としていないほど、抑えられない活気が満ちていた。

結局眠気が飛んでしまった二人は、何かをして朝まで時間を潰す事にした。
眠気を飛ばすと言うよりも集中力を高める術式はあるのに、眠気を増幅させたりする術式はなぜないのか、と梓は憤慨して見せた。
それも、少しでも時間を潰そうと躍起になっているがための行動なのだが。
時刻は深夜一時。とてもじゃないが寮の部屋を出るような真似は出来ない。部屋の中でさえも静かにして過ごさなくてはいけない状況で、外に出る事が敵わないのは理に適っているが退屈だ。
水雨はどうやら時間を潰す手段を見つけたらしく、この寮そのものを統括している生徒に向けての零たちの紹介文を書き始めた。
人望があっても作業はアウト。自然と人を惹きつける梓は、自分から話し掛けるようなタイプでは必然的になく、人見知りはしないが気持ちの表現が苦手。
結論、紹介文を書くような真似はできない。
(……うー。所詮はふーがくんですよーだ。べー!)
超古典的な仕草で水雨に怒りと若干の羨望を表現した梓は、水雨に背を向けてテレビをつける。
あまり面白いものがやっていない事に気付くと、テレビの電源すらも切ってソファーに寝転がる。
天井を見つめても、答えは出てこない。ただただ、空しくなってくる。梓は徐に目を細めて、この状況そのものに対してイライラが湧き上がってくるのを感じていた。
生まれた頃から何かに興味があって、暇な時間なんて無かった。いつもいつも自分に何か還元できないか、努力できないか、そればかり考えて何かしら行動していた。そんな梓にとって、「何もしなくて良い状況」は苦痛以外の何でもない。
最愛の相手は、仕事中。頼れる相手は、眠っている。遊び相手は、この場にはいない。いじりがいのある相手も、また眠っている。
何も出来ない自分に苛立って、意味の無い嗚咽と唸りを漏らす。ソファーの感触にも苛立ってきて、もう自分が自分じゃなくなるような感覚だ。
「……どうしたんですか、もう。」
まるでお母さんのような声色で呆れたようにこちらを見下ろす水雨に、梓は助けを求めざるを得なかった。
「良かったら。」
「う~……ありがと……」
水雨が差し出したオレンジジュースを口に含み、梓は小さく息を吐く。隣では、呆れたように自分を見つめる水雨が、同じく口から息を吐いた。
数秒すると、水雨はソファーに寄りかかって小さく伸びをした。その仕草を見て、梓は水雨に雑談を持ちかける。
「……肩、力抜いてよ。」
助言ではない。懇願だ。たった二人きりの、ましてや両想いの恋人同士なのだ、他人行儀など梓にとっては嫌だった。
真意を測らずとも理解した水雨は、またも小さくため息をついて梓に向き直る。その顔は、呆れと喜びが入り混じった苦笑のような表情だった。
「分かった。無礼講で過ごそうか。」
水雨は肩の力を抜いた。本人にとっても久し振りだった。もしかすると数年ぶりかもしれないな、そんなことを考えながら梓に応じる。
水雨がそう言った後、梓には話題が思い浮かばない。何か話さなきゃ、という焦燥が思考を鈍らせている事は明白だったので、水雨が思わず切り出す。
「……最近、どうだ?色々と環境なども変わったが。」
ナイスだ俺、と一瞬思った水雨。その通り、梓は自然に話し出すことが出来た。
「何か、うんと……色々、良かったと思う。」
想いを伝えられた事を指しているのは、すぐに分かった水雨だったが、あえて意地悪に掘り下げてみる。
「色々……か。具体的には言えないか?」
「えっ?……そんなぁ……う……」
うろたえて俯いてしまう梓に、若干の罪悪感を覚えた水雨は、深く追及しない。
しかし梓は、ここぞとばかりに反撃した。
「風雅くんはどうなのっ。」
若干語気が強くなってしまっているのは、梓の性格の表れだろう。
「俺は……幸せで忙しい。」
「忙しい?」
忙しい。その三文字に託された想いを、梓は測りかねた。幸せなら、忙しさなんて感じない、というのが梓の見解であるせいもあるのだろう。無論、それが人それぞれであると自覚はしているが。
疑問符で返された答えを、水雨はうろたえることもなく真意で応える。
「護るべきものが増えたのは幸せだが……それで忙しくなるな、という真意だ。」
その忙しさを言い訳にするつもりは無いが。と締めて、水雨は背もたれに寄りかかる。真意を伝えた水雨とは対照的に、梓の顔は浮かなかった。
忙しい。先ほどと形は変わったが、梓の心の中にはこの三文字が引き続いて思い残っていた。
自分のことで水雨には迷惑をかけたくない……もちろん、頼ったり恋人同士としての行動は自重するつもりは無いが、心労を掛けたりすることとは話が別だ。それを言い訳にしないと水雨は言うが、言い訳にはしなくても実際にはストレスとして降り積もっていくのが現実だ。
そして何より、梓自身がそれを許さない。許したくないのだ。水雨の為に、自分の為に。
梓は、急に胸の奥が痛くなった。これは泣く合図だと確信すると、水雨に眠気を言い訳にして寝室に駆け込む。
「……ごめんね……ごめんね……っ…………ふうがくぅん…………」
声を全力で押し殺して、決して聞こえないようにすすり泣く。
梓は泣いた。決して誰にも見せられない――――見せたくない涙を流して。



Main episode 7 毎日が終焉

遂に訪れた朝―――水雨は当然の如く徹夜をやり通した。途中で梓が眠ってしまった後、全力で中断されていた紹介文を書き上げた。
しかし、そんな水雨に眠気の二文字は無い。どうやら、極限状態を続けていたら一周回ってハイになってしまったようだ、というのは零の意見。
人体構造などを考えた時には疑問点が残るだろうが、水雨は気にしなかった。
何しろ、初めての戦場任務に寮の統括生徒との面会。眠気なんて気にしてなどいられない。
「さて、統括生徒でしたっけ?」
零が水雨に聞くと、水雨は無言で首を縦に振った。水雨が肯定したのを見て、梓が零の背中から追加説明する。
「この寮の統括生徒は、管理者であると共にここに滞在する寮生を守る義務もあるの。だから、腕は相当の持ち主かもしれないね。名前は、冴為 静香 って言う女の子だよ。」
女の子……これを聞いた瞬間、どこか弱弱しさを感じてしまうのは致し方の無い事だろう。だが、この女子はそんな先入観など本当に吹き飛ばしてしまうよ、というのが梓の考えだった。
名前を知っているなら、当然その他のことも知っている。力量や、家系、人柄に歳など……知れば知るほど、梓の背筋は凍りついた。
力量はと言えば、実際最強の聖剣使いと呼ばれ、王都の剣王決定戦で優勝したのが十二歳。三月の寮を巡った大戦争の折に統括生徒に志願し、敵軍の戦車五十機を一人で撃破し、地面に埋め込まれた地雷も全て回収した。敵軍兵士を捕虜の口実で保護し、全兵を敵軍に引き渡し、両国から上辺だけだが国民勲章を貰った。
人柄は天然で芯が強く、誠実。親に早くから見捨てられてしまった事をずっと悲しんでいる。
そして家系は……殺し屋家業として栄えていた冴鳴家の末裔だが、親から一文字違いの偽苗字を与えられて育っているため、静香自身に自覚は無い。
冴鳴家に殺された者の名に、柚未の両親が入っていることも……。
ただ、それを会う前に知らせる必要は無い。そう考えた梓は、そこで説明を打ち切った。
だが、
「……聞いた事がある気がするな、その名……」
柚未の呟きによって、梓の計らいは瓦解しかける。
「柚未、静かにっ。もう統括室だよ。」
「ん?ああ、すみません。」
柚未が思い出す前に、早く!梓の思いが天に通じたのか、扉はすぐに開いた。
中に広がっていたのは、如何にもと言った感じの広々とした部屋ではなく、所属生の寮部屋と何ら変わらない、小さな部屋だった。

零たちが玄関を開けたのに気付いた冴為は、零たちの目の前に現れて、跪いた。
「本校の生徒会長一行様ですね。わざわざ挨拶に出向かせてしまいまして、誠に申し訳ございません。」
「…………良いのよ!そんなの!挨拶するだけなんだから、ね?」
零と柚未はわずかだが気付いた。なぜ今、梓の返答が遅れたのかを。
梓をターゲットとした気配を殺して歩く術は、梓にしか効果が無い……ハズなのだが、どうやら近くに立っていた水雨にまで効果が及んでいたらしい。少し離れて立っていた零と柚未は、冴為を視認するのが精一杯だ。
そんな二人の思考や全力など露知らず……冴為は四人を部屋に上げて、途中の廊下で零だけに耳打ちした。
「あなただけに話があります。こっちの部屋へ。」
零は不安になりかけたが、冴為と梓がアイコンタクトをとっているのを見て安堵した。冴為に招かれるままに寝室へと手引きされ、冴為と二人きりになってしまった。
一応、零としてもこのシチュエーションに感じるところは、敏感な年頃なので。
(な……なんか良い匂いがする……)
オマケに冴為が寝室の鍵まで閉めてしまったのだから、零は違う意味で緊張し始めた。戻ってきた冴為はほんの少しだけ頬を紅潮させながら、零に話を切り出した。
「あ……あの……零さん……その、私の……」
突如、なにやら口ごもり始めた冴為。明らかに恥ずかしがって体を抱いている仕草は、的確かつ強烈に零の心にもぐりこんだ。
「………………彼氏に……なって下さい…………」
時が、凍てついた。
数秒後、再び動き始めた時の流れを身に感じながら、零はこの状況の整理に躍起になった。誠実で天然な寮統括生に、国民勲章を貰っている人に、最強の聖剣使いと謳われる人に……告白!?
別に断る理由は無い。むしろオーケーしたい。梓とは兄妹関係だし、パートナーの柚未とは恋人と言えるようなものではない。むしろ、柚未とあれからあまりコミュニケーションをとっていない。
「……良いですよ。」
零は若干語尾が上がり気味になるのを堪えながら、冷静を保って応えた。零は自分をたたえたい。自分より遥か上の人に告白されて、平静を保って応えられた事を。
一方、零に告白を認めてもらって安心した冴為は、初対面という認識の零に向けて、零のことを前から知っていたことを明らかにする。
そう、前からずっと好きだったと言う事も。
零には、告白された後の冴為に、どことない安心感と言うか親近感に近いものを感じていた。強い女の人と言う認識が、ただの恋人に変わった、と言うのが一番適切なものに近しいだろうか。
これから戦場にいかなければならない、ということを危うく忘れかけてしまいそうだ。奇しくも同じ事を、二人は思っていた。
そして、ここで早くも冴為のチャームポイントとでも言うべき愛すべき欠点が発動する。
「……では、契りを……」
「契り?何その契約みたいなってちょちょちょちょッッッ!」
突如として衣服を脱がんとし始める冴為を全力で諌める零。どうやら色恋沙汰には無縁だったんだな、という思いが零の脳内でこだまする。告白するに当たって少し勉強したら契りに辿りついただけなんだな、きっと。零はここまで理解出来たことを誇りに思う。
度々暴走しそうになる冴為を諌めまくって、何とか話が落ち着いたのは一時間ほど経った後の事だった。
「時間を掛けてしまってすみません。大事な話だったので、つい……」
「ううん、むしろ良い方向に働いてるから気にしないで!」
梓は本当の事を気遣って言ってしまうクセがある。ましてやそれが無自覚だから、天然な冴為は勘違いを引き起こしたが、それを口に出すほどバカではない。
零は、未だに高鳴る鼓動を抑えきる事が出来ないでいた。

今回の任務は、激化し始めた戦争の負傷者の運び出し及び、戦争の即戦力となること、だ。実際には、負傷者の運び出しは学生でないほうが捗るという見解が大多数のという事があり、学生の出番は医学生ですらない限りほぼ戦場に限定されるといっても良い。
無論、零たちは負傷者などには見学程度にしか関わらず、戦場に駆り出される事になる。
「あと注意して欲しいのは、あたし達は学生だから国からの支援は期待できないってこと。間違って自国の兵器に射殺されても責務は問われないってことだから。気をつけてね。」
梓は一度だが戦場経験がある。生徒会長になる前、生徒会役員だった頃に実力が問われる現地視察に駆り出された。
そこで見たものは、まさに地獄。
兵士と兵器が視界を行き交い、遺骸となった兵士が平然と回収されていく。しかし、梓はそれに悲しみを覚えたのではない。梓が恐怖と悲しみを同時に覚えたのは、
兵士は回収されても、学生は回収されないという現実に、だ。
あらゆる身体能力を上昇させる力、「術式発動装置」が秘密裏に開発された事によって、戦場に駆り出されている者は銃弾一発程度では無傷だ。だがそれは、死ぬ場合の凄惨さがレベルの高いものに限定されたという見方も出来る。
そのレベルの高い殺され方をした学生の死体は、引き千切られたものや、上半身と下半身とが分離したものなどが主流となっていた。中には肩から下が吹き飛んでいるものや、恐らく死体が戦車にでも踏み潰されたのだろう、潰れた脳や眼球のようなものが身体だけを残して頭部に纏わり付いているものまであったのだ。
そしてその殺された学生の中に、梓の幼馴染みのものがあったのを見つけてしまったのだ。奇しくもその死体は、爆撃で木っ端微塵にでもなったのだろう、胸もとの名札と胸肉だけが残っていた。
その後、その場を自軍が既に占領している事を知った梓は、腐食の度合いと占領時刻を照らし合わせて自軍の爆撃で死んだ事を思い知った。
たった一度の戦場経験で壮絶な現実を知った梓は、対策だけは欠かさないように心がけるようにしているのだ。
「概要は話し終わったな。零と柚未には初体験であるから、強制的に違う者と組んでもらう事となった。良いな?」
当然の処置だ。零と柚未は同意する。水雨が同意を確認すると、早速人数割りを開始する。
「体力データと適性を照らし合わせて……と。柚未は俺と、零は冴為さんと組んでくれ。会長は一人で。」
「りょーかいー。」
梓の緊張感の無い返事が水雨の元に返ると、水雨は一度息を吐いて小さく俯く。
その姿を見て、零は水雨に質問する。
「水雨副会長、梓生徒会長が単独で行動する主な理由を教えてください。」
別に心配などしていませんが、と零は付け加える。事実として零は心配などしていない。心配などすればそれこそおこがましいというものだ。梓の力量を知れば、心配するなど愚か、逆に推薦する理由のほうが十二分に浮かんでくる。
「戦場での気掛かりは死に繋がるからな。話しておこう。理由は会長の術式及び戦術が、単独の物に重点を置いている傾向にあるからだ。大剣を持ち歩いての転移など、常人が出来る真似ではないと俺は思う。忍びの心得もまた然り、だ。」
大剣を持っての転移……通常の転移ですら難しいと言われているこの時代で、転移を使いこなしているだけでも既に達人の域だ。転移に対応する術など、零には身についていない。その他にも、梓が単独行動する利点は多くある。零は突き詰めようとしたが、水雨が箇条書きにして送りつけてやろうか、と言ったので退いた。
次に目的の具体的な説明だが……と水雨は端末の画面をその場のものに見せる。
画面には、戦場の簡略な見取り図が描かれていて、そこにコンテナや兵器などのオブジェクトを表示した図である。
水雨は画面右下の部分を指して、ここが入り口だと言う。そして図の上部三分の二ほどをぐるぐると囲み、これが敵軍の砦だ。と冷静に言ってのけた。
そして最後に、画面最上部を指差して水雨は言った。
「俺たちが三つに分かれてこの場所に集結すれば、俺たちの任務は終了だ。単純だろう。」
楽勝だろ、と言わせしめんほどの口調の水雨に対し、零は不安を覚えていた。柚未に視線を送るが、柚未は強い表情を保っていて、どうも焦りや恐ろしさを覚えているようには見えない。
概要の説明は簡易的に終わり、出撃は十二時間後だと言う。寝るにも起きているにも辛い時間だ、と水雨が呟くと、梓が悪かったわね!と応じていた。どうやら時間猶予は対策を練ろう練ろうと先走った梓の計らいだったらしい。
それまでは各自自由時間という事になり、解散した。柚未は水雨と作戦についての話があると言って行ってしまった。冴為はまだ仕事があるから、とあっさり断られた。
結局、零のお相手は暇そうにしていた梓だ。

Comical scene Ⅶ お兄ちゃんって、呼んでいい?

寮部屋に戻った零と梓は、特にやる事も無いので実に無気力な時間を過ごしていた。
そんな二人に話題が生まれたのは、梓が手に持って転がしていたものがきっかけだった。
「今時珍しいですね、賽なんて。」
「んー。最近はぜーんぶ機械だからね。味気ないよ……」
そう梓が転がしていたのは、十二面体の珍しいタイプの、翡翠色のサイコロだった。
最近ではサイコロを転がす場面などほとんど無いな、と零は思う。現代、単純なすごろくですら機械化されている時代で、サイコロを転がして出た目で何かする場面など、最早お目にかかるほうが幸運と言えよう。
梓がほぼ反射的に零の膝の上に座し、また賽を振り始める。穏やかな輝きを放って振られる賽が七の目を出すと、梓は幼げな顔を零に向けて、賽を零に渡す。
小さな手のひらから受け取ったその賽は、滑らかな感触でコロコロと転がり、三を示した。
「サイコロ、好きなんですか?」
零が梓に質問すると、梓はううん、普通だよ。と首を横に振った。まぁ予想通りでもあり何か寂しい返答の良い例だな、とか思いつつ、零はこの賽を手に入れるに当たっての経緯を聞き出す事にした。
どうやって手に入れたんです?零は問う。前述の通り、機械化されていく世の中で、使われなくなったりして役目を終えた文化の産物は、礎となって消えるのがオチだ。
意外と入手は不可能に近いのでは無いかと思った零は、どうやって手に入れたかは単純に興味があったのだ。
「前に風雅くんに、ちょっとしたお願いをしたの。物理防御術式を構成する形は、どうやら五角形の個体が良いって話を聞いたから。あたし術式構成が苦手で、イメージ掴む為に調達してくれって。」
そしたら風雅くんに自分で調達しろって言われちゃったよ。と笑う梓。頼りになるから、という想いが見え隠れしているその笑顔は、どこまでも明るい満面の笑顔だった。
「でもね、ずっとイメージが掴めないあたしは物理防御術式だけ組み立てられなくて……実技試験の一週間前に、もうダメなのかな……って思ってたら、風雅くんが生徒会で、」

〈また面倒な事を言われると思うと、努力せざるを得ないというものです。望みのもの、調達しておきましたよ。〉

「……って言って渡してくれた。しかも丁寧にあたしの好きな緑色で。まぁ、おかげで実技は攻・防・援オール百点だったんだけど……その時のヤツだよ。」
梓は器用に、人差し指の爪の上でくるくると賽を回してみせる。賽を見つめる梓の瞳は、幸福と尊敬の想いで満ちていた。
零が賽を奪って、頭の上に高く掲げる。「あっ!」という驚きの声と共に、梓の視線が零に向かう。零の微笑みを梓が見ると、梓はきゅうぅぅ~と言いそうな勢いで俯いて、零の腰に腕を回した。
「返せ~!年上なんだからね!あたしの方が年上なのっ!」
「ああぁぁぁぁっっっ!返します!返しますからっ!」
尋常でない腕力で大きく揺さぶられた零は、限界を見据えて手を退いた。現状、少し揺さぶられただけで若干吐き気を感じている。
賽を奪い返した梓は、賽をポケットにしまって零に再び抱きつく。何の気兼ねなく抱きついて安心しているその姿は、恋人というよりも妹という感覚に近い。
「零くん……本当にお兄ちゃんみたい……」
零が頭を優しく撫でると、梓は「くぅぅん……♪」と小さく鼻を鳴らして心地よさを表現した。梓の鼓動が伝わってくる。零も言い表せない不思議な幸福感に満ち足りて、梓と抱き合った。
下心の無い、純真な抱擁。
零はいつの間にか眠っていた梓と一緒に布団に入って、八時間ほど仮眠をとることにした。

一方その頃……
そんな事を知るはずも無い水雨は、任務内容の報告と柚未との作戦立て、同時に二つの事に取り掛かろうとしていた。
情報端末で再び先ほどの見取り図のようなものを表示し、同時にそれを高校の端末に送信する事ですぐに決着はついた。
梓とはほぼ対極的な術式を所持している柚未は、単独行動ではなく団体での行動で真価を発揮する、いわゆる黒魔導師のような位置付けである。回復も出来ず、体力もさほど高くないが、盛大な術によって辺りを一掃出来る、そういう特徴があるといえばある。
だがもっとも、柚未自身の身体能力が高いため、単独行動も出来なくは無い。梓が徹底的に単体専用の戦士というなら、柚未は攻援バランスの良い魔法剣士と言った所だろう。
だからこそ、同じ魔法剣士タイプの水雨とは、相性が良い。
柚未はどちらかといえば攻撃重視なら、水雨は適応するかのごとく守備重視だ。まさに攻守揃ったという状況である。
ちなみに、性格にもあまり問題のない二人で、きっと二人がパートナーだったら戦場だけで無く成績表まで無双になっているだろうと思うと言うのは梓である。
「俺たちは西の方角へ迂回しながら敵の数を減らして進む作戦を取ろうと思っているが……近接兵は無視して良い。それよりも少しでも銃を持っている兵を減らして、火薬を少しでも浪費させるんだ。」
「成る程。近接兵などに手を焼けば、その分術力を無駄に消費してしまうからな。」
そういう事だ。水雨は口に出す事無く首を縦に振る事で肯定の意を示す。
柚未や水雨ら魔法剣士タイプの者にとって、術式を発動する力「術力」が枯渇する事は、無力化を意味する。
水雨は術によって防護結界を張り、自らを防護する事によって単身一騎を可能としている。攻めが体術で体力依存なら、守りはほぼ術式で術力依存だ。大抵の人間はみんなそうだが、梓は忍術による転移や変わり身を可能としているなど、突出した特技や身体能力によってその概念を覆している者もいる。
だが水雨は、その概念を覆せるものではない。そんなイレギュラー、彼自身はあまり好いていないからというものもあるだろう。脆い身体を普通に強化して、鍛えぬかれた剣技で敵を倒す。
堅実。その言葉がぴったりの、水雨らしい思考回路が、現在の水雨を魔法剣士タイプに分類させているのだ。
それは柚未であろうと同じ。だからこそ今こうして対策を講じているのだ。
「ふむ……相手はただの一般兵と兵器だけだろう?話ができてよかった。感謝する。」
特に特筆すべき点も見つからない水雨の完璧な戦術を聞いた柚未は水雨に感謝の意を示したが、水雨はそれよりも気になっている事があった。
「別にこの程度、どうだって良いんだが……それより、零はあれで良いのか?」
柚未が零に、本当に小さくだが気があることを覚った水雨は、助言をするような感じで柚未に問い掛ける。
柚未は口篭もった。それは、柚未自身にも迷いが生じている事を痛いほどに思わせる素振りとなる。
「……本当に気が食わなくなったら、私は零を殺してしまうかもしれないな。」
そうとだけ呟いて、柚未は水雨の下を去った。
水雨は、今の言葉が嘘ではない事を、直感的に思った。そして、零の性格についてよくよく考えてみる。
だが、考えれば考えるほど、自分と似たようなところを感じてくるのは気のせいだろうか。
(……気のせいだと納得しておくか。)
水雨は情報端末を片づけながら、自分の弱さを改めて痛感するのだった。

Main episode 8 戦場の空気

各々が過ごしたであろう、約十二時間の猶予が過ぎた時。
零たちは寮前の正門に集合していた。天候はあいにくの雨。梓が髪の様子を気にしながら浮かない表情をしている。
やはり、地面が土や草原と言う事もあり、また環境状態が良いからなのだろうか、日本の雨ほど不快指数は上昇していない。湿気も少なく、カラッとした雨とはこういうものなのかな、と零は自覚する。季節もまだ初夏と言う事もあり、気温の上昇が少ない事もあるのだろう。雨の粒が身体を濡らすとやけに寒く感じる。
「これで全員、揃ったな。」
水雨が点呼を取り、全員揃った事を確認する。全員揃った事を確認すると、街の外れにある大きな端末の前まで、全員を先導した。
大きな端末の場所まで着くと、水雨は端末のスイッチを入れる。日本では見ないほど大きなタイプの端末に零たちが首をかしげていると、冴為が端末についての説明をしてくれた。
「この端末は空間転移端末です。簡単に言えばテレポート装置ですね。起動時に対象物周辺の座標に強力な電磁波を発生させる事で次元を変化させ、入力先の座標に転移させると言った代物です。」
うーん……?梓がギブアップだと言わんばかりに首を傾げる。梓には使用経験があるが理論については全く理解していない。
零も首を傾げたくなりそうになったが、水雨や冴為の嘆息が聞こえてきそうな気がしたので、何とかぐっとこらえて見せた。
そんな零の陰ながらの努力に気付くよしも無く、梓は零に理論の説明をお願いした。梓がわざわざ零に頼む理由は分からなくも無いのだが……零は冷や汗をかきつつ説明してみせる。
「ようは……この中にいる人を違う空間に持っていって、その空間の出口を行き先にする……みたいな?」
我ながら微妙すぎる返答だな……と零は思わざるを得なかったが、梓には理解出来たようで、ありがと!と礼まで言われてしまった。
結構得したかも、とか思いつつ零が立っていると、空間転移が開始する。文明の技術を感じずにはいられないそのスムーズさには、妙な爽快感すら感じてしまいそうだった。
視界が七色に変化した一瞬後には、戦場の端っこの場所に着いていた。
騒乱と罵声とが織り交ざるその空間は、とても快適とは言いがたい空間だった。眼前では既に自国兵士が占領しており、コンテナとコンテナの間から兵器と兵士が見え隠れしている……まるでどこかの軍事スパイさながらの感覚である。
零が戦場を見回していると、梓に背中をどつかれた。小さな叫び声と共に、零の足が二歩ほど先に向かう。
「なに警戒してんの!まだまだ自軍地なんだからさっさと行く!」
所詮は戦場の端っこ。何ももう警戒して足を緩める必要はない。ましてやここは既に自軍の占領地。ビクビクする必要は無いんだと梓が叱咤する。
自軍の占領地は、水雨が展開した地図でも三十%程度。あともう少しも歩けば衝突している場所にぶつかる。
それを証明するかのように、歩みを進めれば進めるほど次第に兵士の数と罵声とが多く大きくなっていく。
徐々に大きくなる罵声に聞き入りながら、零たちは尚も歩みを進める。
すると、コンテナを挟んで遥か遠くで、一際大きな罵声と爆音が響いた。そして次の瞬間、驚きに身を固める零の下に飛んできたのは、
「いてっ!っつぅ……って、腕!?」
学生服の袖が繋がったままの、誰かの右腕だった。直後、大きな叫びと罵声が聞こえたかと思うと、今この瞬間起きた出来事を埋めていくかのように、また喧騒と爆音とが空間を支配していった。
零は、恐怖を覚えた。
今まで死に直面した事なんて、ものの一度も無かったのだ。祖父が死んでしまったときも、悲しくは思ったが恐れまでは覚えなかった。それは、自分に起きるかもしれないという自覚が薄いせいだ。
一瞬でも、一回でも判断を誤れば、死ぬ。
そんな恐ろしい空間に来てしまったんだ、零は噛み締める。今自分が生きている事実を。死ぬつもりなんてこれっぽっちも無いのに。覚悟と思いを胸に、戦場へ、駆ける。
コンテナを二つほど越えた先は、まさに戦場だった。
絵に書いたような戦場、と言えば少々死んでいったものに対して失礼だが、戦場とイメージしたらきっとこういう情景が浮かぶな、という想像をすれば大体は正解だろう。
銃を持った兵士や、人が乗った兵器が視界で行き交って、生死を戦っている。
筆舌に尽くし難いのではなく、それしか言う事が無いと言えばそう、単純だ。
「じゃあ、出口で会おう。」
本当に短すぎる言葉だけを残して、零たちは分かれた。死ぬかもしれないのに。零は思ったが、これからはそういう思いこそ死へと自分を近づけさせるものだと、懸命にこびりつく恐怖を振り払う。
傍らでは、剣にさえ術式を使っている最強と謳われる剣士冴為が、戦場を見つめていた。
悲しむような、それでいて決意を帯びた――――絶対に生き抜くと言う思いを抱いている反面、出来るだけ多くの命を救ってみせるとも決意している強い瞳が、戦場を見据えている。
「さあ、行きましょう。私は長い間戦場を見ていられる人間ではないので……」
冴為が白い光を帯びた剣を構える。零も銃と剣を両手に持ち、臨戦体制に入る。
望まない戦いが、幕を開けた。

戦場をまるで飛ぶ槍の如く駆け抜けながら、零は思っていた。
尋常じゃない、と。
自分が戦場にいる事も、兵器が学生たちや兵士を吹き飛ばしている様子も、自分が銃口を向けられているこの状況も。
だが、それよりも零の思いを奪ったのは、冴為の行動だった。
敵の懐に一瞬でもぐりこみ、剣の柄で首に衝撃を与える。兵士は気絶し、倒れこまんとするその瞬間に銃を奪い去り、これもまた一瞬で断ち切って無力化させる。
零には真似できない。最初の何回かは挑戦しようとしたが、圧倒的に筋肉量や一回で生める推進力が桁違いだ。零のスピードが常人から見て新幹線なら、冴為のスピードは戦闘機にも匹敵するだろう。
それだけの圧倒的差を感じて、零は悔しさを感じずにはいられない。諦めすら浮かんでくる自分が情けなくて、もっともっと悔しくなる。
「くそ……ッ……早すぎる……!」
自分がどんどん惨めになっていくのを感じながら、銃の弾を睡眠弾に変えて乱射する。命中率はほぼ百%だが、一発はずれるだけでも悔しくて仕方が無い。
これが戦場なのか……?自分の無力さを感じずにはいられない零だ。


「ふむ……中々の防御術だ!」
戦場には似合わない、嬉しさを帯びた声色で敵を斬り捨てる少女の名は、柚未。
柚未もまた、零と同じく戦場を駆けていた。しかし、零が悲しみや悔しさという劣情を覚えながら戦っているのに対して、柚未は決定的に違った。
戦いを楽しんでいないと言えば、嘘になる。だが、戦いを楽しみ始めたら最後だと自覚もしている柚未は、水雨の防御術レベルの高さに心を躍らせていたのだった。
日頃のうっぷんを晴らしているからなのか、それとも水雨の身体能力上昇術が要因なのか――――どちらかは本人にも分からないが、柚未はいつもより身体が軽く感じていた。
しかし、身体が軽くなればなるほど、斬り捨た兵士の人数が多くなればなるほど、柚未の心の中には晴らしたはずの憂いがどんどん溜まっていくようだった。
(本当に、良いのかな……これで、本当に――――)
表面的に出す事をやめた、柚未本人の心の内は、表面に現れている感情に反逆するように涙を流していた。

「もう見えなくなったか……後処理は俺がしておくとしよう。」
そんな柚未の後ろで、水雨は後処理に嘆息していた。
嘆くと言ってもそこまで深刻なわけではない。爆発した兵器のかけらを旋風で取り払ったり、斬り捨てられ血塗れになった兵士の死体などを、土壌に影響が出ない程度にかき集めて処分しやすいようにするだけだ。
気乗りしない心中とは対照的に、水雨の手付きは慣れたものだった。梓の補佐をしていれば後処理と名のつくものは全部やらなければならないからだ、と言えば筋が通っていると言わざるを得ないが、水雨には最初から予想できていた事だった。
最近めっきり入学当時の気迫を失っていた柚未が、戦いの話を聞いた瞬間から闘志に燃えていたのだから。
作戦の話をしていたときも、帰り際に苦笑しながらセリフを言っていたあの瞬間も。
いつもいつも、柚未の目は氷のように凍てついて、全く笑っていなかった。
ただ、零と一緒にいるときだけは、その瞳の凍てつきが氷解して、ほんの少しだけだが温かみを持っていた。
水雨には、柚未が戦場で日頃の鬱憤を晴らそうとするのは、目に見えていたものだったのだ。
(人間って言うのは、いつもいつも……、上手く回らないものだ。)
今この状況を生んでいる者も、自分の周りで確執してしまっている者も。
どちらも人間だと言えば、自然は嘲笑うだろうか。
水雨は駆ける。確執を持った者の下へ。


「う、あれー?こっち何にも無いじゃーん!」
一方戦場の東ルートへと向かった梓は、兵士一人すらいないスッカスカな戦場のような場所に、疑問を覚えていた。
水雨から言い渡された言葉を、梓はもう一度脳内でリピートする。
〈東のルートから敵を斬り捨てて行き、拠点となっている場所を潰してください。人と兵器とが群れているような場所ですから、注意を怠らないで下さい。……ま、副会長ごときが会長におこがましいですが。〉
水雨の言ったとおりならば、今ごろ梓は敵の拠点に到着して、敵をドーンして兵器をドッカーンして、大剣と手裏剣で戦場を血水に染めていたはずだったのだが……。
※ 一部本人による脚色と編集が織り込まれています。
梓が今立っているのは、兵士など全くいない、兵器だけが立ち並ぶ軍事倉庫のような場所だ。これは梓にケガなどをしてもらいたくない水雨の計らいあっての事だったのだが、梓にそれが理解出来るはずも無い。
何も喋らず、何も言わずに悠然と並んでいる兵器に怒りを覚えた梓は、髪を振り乱して怒りを叫んだ。
「ふ、ふぅがあぁぁぁぁぁぁ~…………女の子らしくしてたら舐め腐ってえぇぇぇ~!」
大剣が百余りの攻撃術式に埋め尽くされ、梓の周辺に数々の高度強化術式の詠唱文が表示される。
そして詠唱文が消え、一瞬したあとに梓の周辺の地面が大爆発を起こした。
「ふぅがの、バカあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッ!」
直後、敵軍の国家予算の三十%にも及ぶ兵器の九十%が、わずか数分で壊滅的状況に追いやられたのだった。
……ちなみに、数週間後の敵地の新聞に犯人は載らなかった。



「くっ……、ハァッ……ハァッ……」
零が肩で息をしながら戦場の出口に現れたのは、戦場に零たちが入ってから三十分ほどあとの事だった。
三十分の間に死んだ学生の人数は、零が目撃しただけで百人を下らない。ましてやそれよりも遥かに多い兵士の死者など、数えるのが億劫なほどにいるのだろう。
零は改めて、改めてこの現実が嫌いになった。平和や秩序を冒涜し、混沌と争いだけを掲げる現実に。まるでその争いの先に秩序があるように見せかけて、自分の自己満足の為に血を流させるこの現実が、だ。
傍らの剣と銃が血に濡れているこの状況が、零に恐怖と嫌悪感を与える。血なまぐさい匂いが嫌いだ。自分に戦いは似合わない……そうあって欲しいと願う零でもあった。
「……副会長さんたちはまだ来ていないようですね。無事だと願いましょう……」
まるで神のような所業を平然と行いながら、呼吸一つ乱れていない冴為が零の傍らに立ち止まる。どことなく降り注ぐ雨が悲しみを増幅させそうで、無事だと願う心が乱されているのを冴為は感じていた。
空が悲しみ、泣いているような雨を身体に受けながら、冴為と零は残る三人の到着を待った。
ふらふらと倒れこむようにしてコンテナに背を預ける零が空を見上げると、まだ昼過ぎなのにも関わらず夕方のような暗さを放つ曇り空が、零の視界を埋めた。こんな空模様にさえ自分は苛立っているのか、と滑稽に映っているだろう自分の姿を想像して零は苦笑する。
零が曇り空を見つめて恍惚としているところに、全身煤だらけになった梓が抱きついてきたのは、三分ほどあとの事だった。
梓の身体は熱く熱を持っているが、生命の鼓動も同時に早まっていて、この幼い体が先ほどまで全力で稼動していた事を知る。
「風雅のばか……あんなの……ひどぃ……」
梓が何かを呟いた後、零の胸に寄りかかる。梓も、鼓動は早まっているものの、全く息は上がっていない。一度零の下に振り返ると、梓は体の向きを反転させて、零に笑いかける。その笑顔に、ときめきを覚えた零は一瞬だが目線を逸らす。色気ではない。可愛い過ぎる。梓の笑顔は、少し弱くなりかけていた零の心に咲いた一輪の花のようだった。
その直後、梓は倒れこむようにして眠ってしまった。怒りに任せて全力を振るった結果なのだが、その事を知るものはこの場にはいない。
「悪い。到着が遅れたようだ。」
「すまなかった。」
水雨と柚未が戻ってきて、戦場の最北端にはまたメンバーが揃った。
零は、この中で疲労困憊だった者は自分だけだったのか、と悟るや否や、猛烈な劣等感を覚えるのだった。
零たちが最北端に着いた時には、戦場に最初来たときのような爆音などは消え去っていた。兵士や兵器の大多数を破壊し、この場についたのだから道筋までにあった物は全てなくなっている。
結果、この戦場を五人だけで制圧したという事になる。
「とりあえず任務は完了だ。端末を使って戻るとしよう。」
落ち着いた口調で場の空気を動かす水雨の口が開く。その声色からは、当然疲労など微塵も感じられない。敵軍の移動用端末に目線を向け、水雨は操作をしようと端末に向かって歩み寄る。
何気ないような足取りで端末の下まで向かった水雨は、手慣れた手付きで端末のスイッチを入れる。機械的な操作音がそこらへんの空間に響き、誰もが聞き流していた。
しかし、水雨が不意に端末の操作を止めた。そして驚きの表情で零たちの下へ振り返る。
「……すまない。この端末は、ベースコンフィグをいじられると本部に通達する仕組みだったようだ。」
バツが悪そうな口調で謝罪を述べる水雨は、ハッとした表情で自分の背後へ振り返る。
水雨の悪い予感は的中してしまう。前方、遥か北の空から、大きな兵器がこちらに向かってくる。虚空に浮かび、悠然と空を駆けるその機体は、この中で一番の長身水雨の三倍はあるだろう。
その機体は前方に着陸し、慣性の法則で発生した推進力をそのまま零たちに向けて滑るように現れた。初撃はすかさず水雨が張った防御術によって無効化されるが、すぐに体制は立て直され臨戦体制に入る。
「全員、戦え!」
水雨の掛け声によって開始される戦いは、敵軍にとっても貴重な情報源となるものだった。

敵軍の技術力が生んだ代物は、零たちに向かって容赦なく牙をむく。
備え付けられた大型の光線照射銃は、俗に言うビームガンである。高圧電流の塊を撃ち出す銃身は、およそであるが水雨の二倍ほどはあるだろう。
そんな大きな銃身から発射されるビームだというのだから、威力は自ずとついてくる。今の今まで何という古典的な白兵戦ばかりだった、と考えれば、今の時代の戦いといえばこういうものなのかもしれないが。
そして、そのビームから全員を護る術式を展開する水雨は、尋常ではない負荷を受ける。
(ここまでとは想定外だ……防御術式を張り続けられるのは三十分が限界か……?)
しかし、水雨も伊達ではない。防御術式を張りながらも、敵のダメージなどを演算しビームの威力などもキッチリと計算して最適な戦術や妨害術式をかける。
策略を張り巡らす水雨に、零は声をかける。
「敵のダメージ量は!?」
「右翼による威力が三六、左翼は四十。光線が防御術有りで七八だ。……避けたほうが賢明だな。」
了解!と零は銃で狙撃する。水雨の数値化の単位は、並みの大人が片手剣を強化術無しかつ全力で振り下ろした時の倍率である。つまり、一人の並大人が全力で片手剣を振り下ろせばそれが一という事になる。
即ち、ビームの威力が七八というのはそれの七八倍。七十八人分の圧力と威力が上乗せされるという事になる。さらに高圧電流からの筋肉への阻害もあるので避けたほうが賢明だと言ったのだ。
水雨が思考を張り巡らせながら援護する相手の零は、未だ背中に眠る梓を背負ったままだった。
重くは無い。むしろ軽いが、その軽さが零に不安を与える事となる。あまりアクロバティックに動きすぎると、落ちてしまわないか不安になるのだ。
というか、生死を分けた戦いが目の前で起きているのに眠っていられる梓も梓だといえばそうなのかもしれないが。
「零、 絶対に被弾するな!」
柚未が零にそう注意すると、零はああ!と答えてみせた。零が被弾する事は、梓にダメージが繋がる恐れもあるからだ。しかも、兵器の照準は不幸にも零に向いている為、おろす事も叶わない。
「これで……終わりです!」
冴為が聖剣を振りかぶる。零と柚未に向けて全ての砲門の照準が向いていた事が幸運だったのだろう。聖剣の纏う聖気は通常時の五倍ほどの大きさに膨れ上がっていた。
七メートルを越える聖なる刃を持った冴為が、兵器の背後から一刀両断する。
刀身が兵器に触れた瞬間、辺り一帯に迸る閃光が駆け抜けた。切断というよりも爆発に近いその一閃は、全てに終焉を誓わせる程の威力を以って兵器を消し飛ばした。

音すらも消し飛ばしたその一撃が収束したのは、一閃から五分ほど後の事だった。
普通なら、光速の速さで常に直進しつづける物体を一箇所にとどめ、停滞によって発生する推進力と抑止力がぶつかり、驚異的な引力ともはや温度とは言い難い熱さの発生した刀身を振り下ろす。
これが、冴為の剣のメカニズムである。
本来なら、光が留まっているため空気が集まろうとする引力に負けて冴為の方が消し飛んでしまうのだが、冴為は常に身体への強化術式を掛け続けることによってこれを補っている。
そんな努力と力量が生んだ一閃の副作用は、冴為本人には向かない。
零たちのような耐えられない者に向かって真っ先に牙を剥くのだ。しかし、理論や常識すらも超越した一撃の余波から、
「……やったか。」
水雨は全員を護りきった。
戦場初体験であったはずの零たちに降りかかってきた災難の、始まりの一手をはねのけた。

Comical scene Ⅷ 戦地学生の午後

任務終了時刻、午後一時三十分。淡々と水雨が受付でそう報告したのは、任務終了後たった十分後の事だった。
零が柚未と冴為を連れて(より正確には連れて行かれて)昼食を自炊するといったので、生徒会に報告義務がある水雨は寮の入り口で分かれた。
生徒会。当然生徒会が絡んでいるのだから、生徒会会長の梓も水雨と一緒だ。街の中にある喫茶店で、端末を開きながら作業をしている水雨に向かって、梓は嘆息する。
「ほんっとふーがは神経質だね……。報告ぐらい夜で良いじゃん夜で!」
悪態をつく梓の真意は構って欲しいだけなのだが、水雨は端末を操作しながら律儀に理由を述べてみせる。
「本校の生徒会とは時差があるとは言え、報告は早いほうが良いでしょう。第一、生徒会会長ともあろうものが、そんな心構えでは困りますよ。」
叱るような口調の水雨に、梓はう~と不満を露わにする。水雨の言う事はいちいち筋が通っていて、しっかりしていて、キッチリしてる。突っ込みどころも無いし、いじりがいも無い。完璧すぎる、完璧すぎるんだよ……梓はジュースをすすりながら水雨を褒めている事実に本心からため息をつく。
「もうちょっと……女の子の気持ちがわかればなぁ……」
「ん?何ですか、会長。」
一番聞かれたくない呟きだけは聞こえるんだからもう!梓は何でもない!と水雨に応える。そっぽを向いた顔が真っ赤になっているのは、梓が一番分かりきっている事だった。
水雨が端末の操作に戻っているのを確認して、梓はゆっくりと姿勢を戻す。目の前では、怜悧極まりなく冷静な恋人が端末を操作するべくキーボードを叩いている。
淡々と、無表情に画面を見つめるその恋人に苛立ちが募る梓。どうしてもうちょっと視線を上げてくれないかなぁ……水雨の顔を一直線に見つめている顔がまたも赤面している事は、自分も水雨も気付いていないが。
昼下がりの喫茶店は、学生の街だけあって適度に賑わっている。任務に向かうものもいれば、任務をパスしてオフの時間を過ごしている者もいる。授業という概念が存在しないこの場の学生たちに向けて作られた喫茶店は、昼夜を問わずに賑わいを保っている。
目の前の恋人は気付いてくれないし、周りは適度に賑わっている。うるさくはない程度の賑わいなのだ、電話でもしてしまおうか。そんな考えが頭をよぎった梓は、本校で監禁されていたのだろう本物の夏羽に電話をかけることにする。
水雨に教えてもらった電話番号に電話をかけると、夏羽は普通のトーンで電話に応じた。
〈もしもし、水雨 夏羽です。兄は今いませんが……〉
「生徒会長ですぅ。重圧のお味はいかがだった?」
まさか不意にかかってきた電話の相手が生徒会長だとは思わなかったのだろう、電話の先では夏羽が驚いて声を上げた。
落ち着きを取り戻した夏羽に梓が話し掛けると、夏羽は持ち前の明るさと打ち解けやすい性格で即行フレンドリーになった。
〈いつもいつも兄がお世話になってます……。本当に、いつも……〉
兄から生徒会長の名が出る事がさぞ多いのだろう、夏羽は笑いかけながらも苦笑するように梓に応じた。
「うん!お兄ちゃんはいつもいつもお世話してるよ!全く、いつでもどこでも硬すぎちゃってさぁ~、ほんと大変だねー。」
対面の水雨から鋭い視線を感じ取った梓は、直後ひうぅっ!と叫びを上げたが、電話相手の夏羽は気にしていなかった。
その後も水雨についての赤裸々トーク(恥ずかしい話は風雅の手によって棄却されたが)が続けられ、通話時間が三十分を過ぎたところで水雨自身が端末からジャミング電波を流し、話を強引に打ち切った。
会計報告を終えた水雨と梓は、喫茶店から出た。
寮に向かう足取りは、二人とも軽かった。

「……どこまで連れて行くつもりだ、おい……」
零が不安そうに呟くと、二人は顔を見合わせて「内緒だ(です)」と答えた。
零が不安を覚え始めたのは、寮の個室を過ぎた辺りからだ。統括室に行くのかと思いきや、二人の腕の力がどんどん強くなっていくのを感じて零は恐怖すら覚えてしまいそうだった。
そしてその統括室まで過ぎてしまったので、零は遂に不安の一言を発したのだ。
統括室を過ぎ、更に歩み進める二人はエレベーターで地下に向かう。引きずられる零はされるがまま、模擬室という部屋の中に投げ出された。
模擬室という部屋の中には、まるで一対一の状況を匂わせるラインが、真ん中に引かれている。
「さぁ、武器を構えろ、零。」
「な……柚未?」
困惑する零に、柚未は容赦なく刃を向ける。
その刃が小さく、細かく震えていることに零は気付いただろうか。柚未の心の内に、かつて無いほどの迷いと恐怖が渦巻いていたことを。
冴為は、そんな零と柚未の様子を外で中の様子を監視する。逃走はさせない、といった心持で。
非情な刃を向けてくる柚未に、零は応戦する事にした。柚未はきっと本当に俺が嫌いなんじゃない。そうじゃない。と確信したのだ。
その確信は、偶然で、的確だった。
「分かった。でも、賭けをしよう。」
零は、柚未の真意を知るために、敢えて危険な手に打って出る。
「賭け、だと?」
「そう。これからやる模擬戦、俺が勝ったら柚未の胸の内、全部話して貰う。これは冴為さんにも同義だ。何で俺にこんな回りくどい事をしたのか、全部話せよ?」
挑戦的かつ挑発的な零の口調に、何か力を感じた柚未は体が震えそうだった。それは喜びか、それとも恐怖か――――。
「良いだろう。私が勝つからな。」
殊勝な心持を明らかにして、再び刃を零に向ける柚未。強化術式を必要としていない驚異的な身体能力からは、未だ余裕が見て取れる。
術式無しでかかってこようとする姿勢を見た零は、とっておきの弾を銃に詰め、嘗めるなよと呟いてみせた。
冴為の口から発せられる号令を開始の合図とし、二人は相対的に距離を詰めた。

「らあぁぁぁぁッッ!」
零が猛々しい声を張り上げて柚未に食って掛かる。剣が柚未の刀を捉えると、鉄同士が打ち合って壮絶な金きり音を鳴らした。
零は容赦なくゼロ距離で柚未を銃撃する。標的に触れると爆発を引き起こすタイプの弾を撃ち出すと、零と柚未の間で小爆発を起こした。
対応した防御術式を張っていた零に対して、全くの生身状態の柚未は爆発で発生した推進力に負け吹き飛んだ。
床を転がる柚未に追撃を加えんと駆け寄る零に、柚未は不意打ちを敢行する。幼少時から磨いてきた〔居合い〕の心得が発動したのだ。
当然、居合を成功させた柚未の身体に、直接的なダメージは無い。防御術式など必要ない、遠まわしにそう物語る柚未の姿に、居合いを受けた零は戦慄する。
「どうした?全て話させるのではなかったのか?」
挑発を吐く柚未に、零は飛んだ。
「やられろよッッッ!」
直後、双方全力の一撃が、二人の身体に襲い掛かった。



痛い。非常に痛い。
零は白を基調とした病院のような天井を見つめながら、零はそんな事を思っていた。手応えはあった。確かに、この右手に持っている剣は柚未の腹をえぐった。その証明といってはなんだが、剣には赤黒い血が付着している。
しかし、同時に自分の腹も斬られたような感触が零には判断できた。恐らく斬られたであろう腹に手を当ててみれば、鋭い痛みと共に血が手についた。
これを肉斬骨断と言うのかな、零は苦笑する。痛みを我慢して立ち上がると、五歩ほど先で柚未の身体が転がっていた。
腹からは夥しいほどの血を流している。冴為は既にそばに立っているが、柚未自身が助けを拒んでいた。右手を伸ばして。
まだ勝負は終わっていない、と。
「ふぅ……こんなものか?」
治癒術式を使って腹の傷を癒した柚未は、再び立ち上がって零に刃を向ける。
しかしその瞳には、燃え上がるような闘志は無い。
ただ真意を聞かれまいとする、凍てつくような拒みが瞳を成していた。
「…………負けだ。冴為との戦いも棄権する。」
零は柚未の思いを汲んだのか、それとも現実を見たくなかったのか――――。
模擬室から逃げるような足取りでエレベーターに乗り込んだ零は、そのまま寮を出て果てしない平原へと駆けた。
悠久に広がる、平原へと想いを投げて。

寮の個室に戻ってきた水雨は、災難の連続だった。
零たちが留守だとは知らずに梓と寮部屋に入って二人きりの時間を過ごしてしまい、お腹がすいたと喚く梓の面倒をみて、暇だ暇だと騒ぎ立てる梓の雑談の相手をし、挙句の果てに眠いんだぁ……、と言う梓と添い寝をし……災難と不幸がフィーバーしているような状況に陥ってしまった水雨は、母校のリフレッシュルームのような場所は無いか、と徘徊していた。
怜悧な面持ちを保ったまま重い足取りで寮を徘徊するその姿は、他の者にはパトロールと映るのかもしれない。行く人行く人から誠実だと思われて輝くような視線を向けられる水雨の心労は、もう限界に達してしまいそうだった。
やっとのことで見つけた安息の地にして立ち入り禁止エリア、屋上を生徒会権限で開放し、雄大な平原と吹きぬける涼風に心地よさを満たすと、閉じたドアに水雨は寄りかかった。
「全く……気休めにもならん……」
梓と添い寝していた時の事を思い出す水雨だが、苛立ちを覚えるだけなのでさっさと記憶から消去する。寝ていると思わせて仕方なしにキスを強要したり、身体を密着させようと擦り寄ってきたり。梓の姿を思い出すだけで腹が立つ。
何のために俺は寝たんだ、と水雨は嘆息する。ここの所ため息をつく癖がついてしまったかな、と水雨は苦笑するが、苦笑すらもしていられない状況なのだと思うや否や、表情から笑みを消し去る。
任務で感じた事はと聞かれれば、水雨は正直、敵軍の技術力に感嘆していた。あれだけの高威力・性能大型銃器を搭載していながら、飛行性能は何ら従来の戦闘機と遜色が無い。むしろ初速の速さや最高時速だけなら従来を追い抜いてしまっているのではないか、と水雨は心底戦慄する。
だが、水雨にはそれに相当する疑問もあった。あれだけの銃器を搭載しているのだ、総重量も半端ではないはずなのだが、着陸した直後の初撃の威力と地面の被害の少なさ……それらを鑑みると疑問を覚えずにいられない。
普通、総重量に比例して重力のかかる量は増加していく。物理法則の中でも基本中の基本にして鉄則のその力が、あまりにも少なすぎる。およそ十メートルほどの高さから、エンジンによって発生した前方に進む力を利用した不時着なのだ。
さらには総重量一トンを下る事は無いだろう。そんな物体が浮く力なしで地面と擦れ合えば、地面がある程度えぐれるというよりも吹き飛んでしまうのだが……。それこそ地割れなど起きてしまっても普通であろう。
機体は冴為が欠片も残さず吹き飛ばしてしまったので検証のしようが無いが、疑問を覚えたのはその場にいた全員がそうだったはずだ。
いずれにせよ、水雨の悪い予感だけの可能性もある。とりあえず端末のメモ機能に記録をしておいたか、と水雨は回想する。
やりのこしたことが無いと確認し終わった水雨は、またも大きくため息をつく。最近物入りが多くて、と言い訳するわけにはいかないのが現実だと理解しているが、こうなると誰かに相談したくなってくる。
相談相手は?と聞かれると煩悩を生んでいる元、梓に相談するしかないのがオチだと踏んでいる水雨はそんな自分に苦笑する。梓のおかげで悩んでいるというのに、結局心の底から頼る事が出来るのは梓だけなのだから。
しかし、この矛盾を排除したいと水雨は思わない。むしろ幸福感さえ覚えてしまうのは、水雨の感覚がおかしいのだろうか。
そうは思っていても、やはり梓だ。いつからか、梓に悩みを打ち明けて、笑い飛ばしてもらえるのが一番の心の救いとなっている事実に、水雨は虚空を見つめて嘲笑する。
答えなど欲してはいない。
だがしかし、答えを知ったときにまた一つ踏み込む事となる現実との確執。
踏み出すには、答えが必要だ。それを求める心も、もちろんのこと。
だんだん人間味が増してきたか俺も、やらこれも若気の至りかもな、などとも考えたりしてまた自分で自分に苦笑する。
ここの所、疲労と同じくらい幸せなのを自覚した。水雨はまた一つため息をつく。
仕方が無い、梓の相手でもしてやろう。

「ど、どどどこ行ったー!副会長はどこへ行ったんだー!」
切羽詰ったような声色で梓が寮内を徘徊しているのは、いつの間にか自分の前から消失していた、水雨を探すためだという事に他ならない。
生徒たちの目線は訝しいの一言に尽きる。さっき副会長が重い足取りでどこかへ行ったと思えば、今度は会長が切羽詰りながら副会長を探している。
何かあったのだろうか。その場の全員の心理は、ほとんどそれで説明できる。
「仕方ないなぁ……捕捉術式、フィートサーチ!」
梓は大人げも無く術式を展開する。捕捉術式というのは、本来自分の周囲の生存者を確認するためのものだが、梓レベルになれば、一階から術式を展開して上に対象を移動すれば、寮全体がサーチ出来てしまう。
本校での捕捉術式は風紀委員会によって強く取りしまわれていたが、こちらまで適用する必要は無い。しかも理由の後付けは梓の得意分野だ。
サーチ術式を展開すると、まるで見取り図のようにものが半透明になる。全て見えた先に、水雨を発見するのは容易い。
しばらく見上げると、屋上に水雨を発見する事が出来た。
「ふひひ……待ってろぉ……いつものお返ししてやる!」
いつものお返し+αで嫌がらせをしようとする梓の不穏な足音が、水雨に徐々に近づいていった。

模擬室から帰ってきた冴為は、普段の勤務に戻っていた。
統括室に戻り、数多の書類に目を通し全てに何らかの印をつける。
一日五百枚ほど届くその書類の山は、常人離れした情報処理能力と圧倒的な身体稼働率によって削られていく。
そして統括室の隅にあるベッドでは、手負いの柚未が眠っていた。書類の山の処理を終えた冴為が、柚未の下に歩み寄る。
「変に強がるから……ボロボロなのに……」
呆れたような口調で冴為が言うのは、先ほどの零との一戦だ。
防御術式無しで戦うと言い切ってしまい、そこで変に強がってバカ正直に防御術式無しで戦った。零は堅実に強化術式で強化された弾を打ち出した。
するとどうだろうか。弾は防御術式無しの柚未の随所を破壊し、尋常じゃないダメージを与えた。転がっていた時の痛みは耐え難いものだったはずだ。
それでも、雄弁を奮い、無傷を装って零に決断させようとした。
そこまで――――。冴為には、理解できない感情がそこにあったのだろう。
そして……零の嘘は貫き通され、更には全力の一撃が柚未の身体を貫いた。
死にかけながらも強がりをみせつけた柚未に気付く事が出来ず、零は逃げ出した。
零の気持ちも理解出来るし、柚未の気持ちも理解出来る。
何でここまでかみ合わないのか、冴為は不思議であり、悔しくてたまらない。
(何とか……繋ぐ事は出来ないのかな。)
柚未と同じく零を想う冴為は、ただ柚未を撫でる事しか出来ないこの状況にも、悔しくて仕方が無かった。

Main episode 9 もう一人の主人公とヒロイン

梓は屋上への階段を駆け上がっていた。
エレベーターを使おうとしたら、屋上への移動は上位権限者によって限られているだなんだと言うので、全力で階段を駆け上がっていた。
普通の身体能力でも尋常じゃないほどのレベルを誇っている梓は、階段を駆け上がることぐらい造作も無い。
純粋な身体能力で百メートル走を十二秒以下で走り抜けるその体力と筋力は、可憐な外見からは想像できないポテンシャルを秘めている。
しかし、それぐらいの力が無ければ、水雨と一緒にいることはかなわない。常に誠実で怜悧な水雨にくっついているためには、水雨以上に怜悧で誠実で強くなければならない。
全ては水雨に愛してもらうため、水雨が好きだから。それだけで今まで突っ走ってきた。本人からは呆れられ、たまにだが煩わしくさえ思われてしまう。その度深まる傷は、本人には見せられない。だからこそ、零に助けを求めたのだ。
水雨に避けられた時は、死にたくなる。本当に心底、生きることをやめたくなる。水雨が他の人に好意を向けているところをみると、凄く嫉妬深くなる。胸が痛くなる。水雨が楽しんでいるところをみると、奪い去りたくなる。
水雨が悲しんでいるところをみると――――、
(一人じゃないから!)
――――と。
屋上の扉を開け放つ。鍵が掛かっていた気がしたが、ほんの少しの抵抗感触と共にノブが砕ける音がした。屋上特有の突風が梓の体を襲う。煽られそうになって風上を睨むと、壁に寄りかかって眠っている水雨を発見した。
(うー、さっさと起こして稽古の練習してもらわなきゃ!)
稽古の練習、と称してボロボロにしてやろうと悪いことを考えていた梓だったが、そんな彼女の思いは水雨の姿によって崩れ落ちる。
梓は水雨の姿を見て、絶句した。
水雨が、泣いていた。
閉じた瞳から、涙を流していた。悲しげに、うつろな寝言を呟いて。
「俺は…………俺は…………ずっと……」
梓は、心の奥で何かが割れる音がした。今までにためていた何かが、耐え切れなくなった。
(そん……な……風雅……)
梓は水雨を抱き寄せた。小さな身体が、今までに纏った事の無い聖母のような雰囲気を持つ。
温かさを称える梓も、泣いた。
でも、悲しいだけじゃない。
水雨に、近づけた。少しでも、近くに。理解出来た。
「…………ふぅが、…………泣かないで。あたしも……一緒だから……」
涙が、嬉しかった。



Comical scene Ⅸ 夜に想う者

「そんな下らない報告をする為にわざわざ国際電話をしたのか?夕凪。」
〔いやだって、ねぇ?〕
受話器に向かって煩わしそうな口調で応対する水雨は、夕凪から報告された本校で起こっているある問題について苦笑する。
夕凪から報告があった問題の内容というのは、本校から不在状態になった水雨と梓のグラビアが横行していたのだった。
元々ルックス的にも人気が高かった二人は、入学当時からあらゆる生徒から的状態になっていた。零が優等生だと学歴でちやほやされたのなら、水雨は格好の良さが、梓は可愛さが的となった。
その後二人が生徒会に君臨し、グラビアを規制する事により事は一度収束したのだが……二人が不在状態となったため、規制がかかっていた写真が一気に流出してしまった、というのが今回の問題の概要である。
そして水雨は夕凪から送られてきたグラビアを見て絶句する。
水雨はリフレッシュルームで孤独を愉しんでいる姿を見事に収められ、梓は生徒会でぐべ~っとしている姿が収められていた。
更には模造紙並みの大きすぎるポスターまで作られているというのだから、水雨はとうとう堪えていた笑いが呆れとなってこぼれたのだった。
挙句の果てには、学校中の絵師を集めて写真並みのクオリティを誇る絵まで作っていたのだから、人気度はといえば計り知れない。
受話器の向こう側で夕凪の声が若干笑っているのは、恐らくだが面白おかしく思っているのに違い無い。幼馴染の笑いに震える声を耳に受けて、水雨はこめかみを抑えながら言い放つ。
「……十八禁は、規制しろ。」
と。

やたらめったら滅茶苦茶すぎる話題について審議を下した後、夕凪は律儀に本校からの要請が来ていると告げてきた。
それは勿論、前述の問題も含め二人がいないと治安が異常に悪くなってしまうことからの帰還要請なのだが、水雨はあっさりとそれを拒否した。
そして夕凪も、待ってましたと言わんばかりにはいはい、と言って電話を切った。
受話器を置き、一段落ついたところに静寂を破ったのは扉が開く音だった。時刻を見ると深夜の一時。とてもじゃないが来訪者をほいほいとは看過できない。
「誰だ?」
「…………俺、です……」
扉から入ってきていたのは、血生臭い匂いを全身に染み付けた零だった。
なぜに、この時間?水雨の脳内には疑問符が浮かびかけたが、とりあえず時空術式で零の肌の状態を元に戻す。
血生臭い臭気が取り払われた零は、疲労と倦怠に身体を委ねていて、起き上がろうとしない。いや、起き上がれないのか。
重い身体を担ぎ上げて、とりあえずではあるがリビングのソファーに寝かせる。零の様子は、体力が抜けきってしまって動けないような状況か、と水雨は推測する。
そしてその推測を裏付けるかのように、零の筋肉が痙攣し始めた。零の息が一瞬にして上がり、精悍な顔立ちが苦痛に歪む。
「案ずるな、すぐに治る。」
水雨は高位治癒術式を使用し、零の筋肉疲労を極限まで癒す。痙攣が止まり、意識も安定した零はすぐさま眠ってしまった。
治癒術式は理の力は回復できても、身体を動かすエネルギーにはならない。
そう、治癒術式は〔再び立ち上がる〕ために使用するのでは無い。あくまで治癒術式で出来るのは〔再び立ち上がれる〕状況を作り上げるだけだ。
死んでしまった者を蘇生したにせよ、意識が戻らなければ治癒とは言えないように。
零の体力は回復できても、体力を使用するための力は回復できない。治癒術式が生んだ小さな矛盾にさえ、水雨は嘆息する。
零を梓の横に寝かせた後、水雨は寮部屋を出る。今日の夕方の事を思い出すと、とてもじゃないがとどまってはいられなかった。

水雨は、静寂に包まれた寮の中を歩く。
人の生気を感じず、煌々と廊下の電気だけが灯っているその光景には慣れたものだが、どことない威圧感と恐怖感を覚えるのはきっと間違いではないはずだ。
(異常無し。クラス毎の教室管理は行き届いているな)
何を紛らわせようとしているのか自分でも分からないが、特に理由も無く部屋を出ただけだったのに、いつの間にか目的がパトロールにシフトしている。
正当化するがための目的が欲しかったのか、と水雨は自分に嘆息する。
異様なまでに響く足音を耳に入れながら、水雨は部屋を一つ一つ見回る。教室も、特別室も。一つ一つ入念に見回るその姿からは、水雨の几帳面な性格が伺える。
消灯している教室を見回った数が七十を超えた時、水雨は一つの疑問点に気付く。
(寮を主として作られた建造物に、教室を作る必要など……?)
水雨は思う。これは何の為の建物だ?と。ただ単に寮として機能するだけなら、教室など作る必要は無い。ましてや授業も行わず、どうでも良さげなことには資金を割かない完全合理主義の日本なら尚の事。
(どこかに、無いか?歪みは……)
水雨の思考は、歪みを発見する事で持論の理由付けをするがためのものだった。
教室に入る。少し重い扉を横に滑らせると、一昔前のような教室が姿をあらわした。タイルで埋められた床、並ぶ机と椅子。前後に黒板があるスタイルが、水雨にこの教室の必要性を更に低下させる。
何者かが、隠れていないか―――杞憂であると祈りつつ、水雨は静寂の中をロッカー、掃除用具入れの順に開けていく。
後ろのロッカー、用具入れ。前の用具入れに、教卓。いずれも静かで、水雨の思惑は外れた。
だが、そこでふと、水雨は教室に疑問を覚えた。
普通……この際ならば一昔前のものだが、ここまで一昔前の教室を再現しているのなら、本来掃除用具入れは前後にあるだろうか。
言い換えれば、一教室の中に掃除用具入れが二つも存在することとなる。掃除用具入れの中を見るあたり、用具に不足は無い。
(何者かによる幻影術……しかし、ここまで高度な……?)
水雨が用具入れを傷つけると、同様に傷付く。
これが、どれだけ用具入れ一つにも精巧な技術が使われているかを証明する。水雨は幻影術を破る際に梓を呼んでおくか困ったが、梓の言葉がフラッシュバックした瞬間、水雨は破る決断をした。
心の底では、助けや援助がきてくれることを祈りつつ。
「全てを導く真実の標、ここに示さん!」
幻影術を解除したところのそこは、教室と呼ぶには相応しくなかった。
人知を遥かに超えた魔方陣が、そこには刻まれていた。
(何だ、これは!これほどの大きさを持った魔方陣など……)
本来、魔方陣という方陣を書く技術は、人間には無い。
だが、技術力の塊である術式の方陣を、人間は魔方陣と呼んだのだ。魔法ではなく、術式を代用して。
もちろん、術の魔方陣には色々な役割がある。効果範囲を広げたり、威力を増加させたり、消費術力を増やして術を応用したり。しかし、便利な魔方陣には乱用できないような制約も付加されている。
例えば、水雨が直径一メートルの魔方陣を書くとしよう。効果としては、魔方陣の中に居る者の全ての腕力を二倍にする。するとどうだろう、その魔方陣に必要な術力、そして器用さ。全てを合わせると、水雨は魔方陣を書くのに十八時間はかかるだろう。
直径一メートル程度でそれほどの時間。魔方陣は次第に表舞台から姿を消していった。
だが、いま水雨の眼前に展開されている魔方陣を見ると直径約五十メートルはあろう。更に、方角に言葉、呪詛などを織り交ぜて描かれたとても精巧な魔方陣だ。
しかし、水雨はそこに恐れを覚えたのではない。
魔方陣に書き込まれた呪文とでも言うべき言葉に、戦慄を覚えたのだった。
Kill for all this fate
全ては破滅へ この場の運命を以って――――。
魔方陣に描かれた言葉は、必ずその魔方陣によって実行される。それが魔方陣のメカニズムだ。
しかし、描かれた文字の意味が壮大になればなるほど、魔方陣の構築はより困難になる。規模もそれに消費する術力も、比例して大きくなっていくからなのだ。
ならば、この英文に込められた意味を実行する魔方陣が、ここに完成しているという事は。
つまりは、この魔方陣が詠唱を完了した時、全ては破滅に堕ちるという事になる。
だがしかし、これだけでは水雨の中に生まれた数多の疑問は氷解しない。これだけ壮大な意味を持った魔方陣など、神話ですら確認されていない。魔方陣に描かれた六の角をもつ星の真意すら理解できない今の人間に、まずもって出来る芸当ではない。
さらに、人間がこの魔方陣を作り上げたと仮定するなら、この魔方陣に相当する術式を作らなければならない。術を基本として構築される魔方陣が、基本となる術よりも大きい力を持つ事はまず不可能だ。
魔方陣は術の力を増幅させるための言わばブースターだと理屈では証明できても、術よりも優位な魔方陣を形成する技術や精神力は、人間には無い。
(……そうだ。落ち着け。現代性の欠片も無い古代の原理に怯える必要は無い。冷静に問題の解決を急げ。)
水雨は一度大きく深呼吸をし、もう一度前を見据える。闇属性術式の魔方陣の展開によって紫色に変色した教室の先を、見据える。
紫色に変色した教室は、どこまでも広がっているようにも見えた。窓の外には気味悪く変色した空間がとぐろを巻いて存在し、気味が悪い。
無限に続くような錯覚を放つ教室の奥に、水雨は小さい人影を見た。まるで幻のように頼りない存在感の影は、距離を縮める事によって相対的に存在を誇大していく。
人影は近づき、どんどん近づき、水雨の目の前五メートルほどまで迫った。水雨が刀を抜こうとする瞬間に、人影は歩みを止めた。
人影は少しずつ正体を明かし、少女の姿を体現する。
しかし。その姿は最早かろうじて少女と判断できるほど凄惨な姿だった。
薄手の青い配色が成された服は血肉に染まり、赤黒く変色し。
何かで撃ち抜かれたかのような傷から赤黒い血を噴出しながら。
自身の血で錆び付いたのだろう剣を提げて。
「…………………!」
「くッ!?」
水雨に向かって襲い掛かった。少女の力は凄まじく、水雨に一撃を放っただけで辺りに突風が生まれた。
想像以上過ぎる衝撃と突風を身に受けて、水雨は大きく吹き飛んだ。教室の入り口の壁に時速百二十キロで衝突するが、的確かつ堅固な防御術式でダメージを軽減する。
背後からのダメージを受けて、水雨は息を大きく吐かされた。久し振りすぎる感覚と共に咳が出る。
もう一度立ち上がると、少女は普通に走るようにして水雨に向かっていった。
しかし、攻撃は実行されなかった。

刹那に、現れたのだ。

その場を駆け抜ける瞬風と共に。銃の弾と剣の一閃が少女の姿を薙ぎ払い、水雨から遠ざかる。
「……大丈夫ですか、副会長さん。」
零が、水雨の前に立っていた。

Main episode 10 甦る記憶

突如として現れた正体不明の少女は、零の一撃によって大きく吹き飛ばされた。
その場で立つ水雨に向かって、零は言った。
「寮部屋で会長が待っています。この寮から生徒全員を退避させられる権限を持つ人は、あなたしかいないんです、水雨さん。」
視線を少女に戻し、零は続けた。
「この場は繋ぎます。とりあえず、寮の中からみんなを救ってください!」
水雨は迷った。
先ほど分析した魔方陣の言葉が本当なら、この寮から生徒を退避させた程度では損害の回避にはならない。
既にワンシーズンが終わりそうというこの状況で、すぐに屋外退避が出来る生徒はそう多くないだろう。ワンシーズンで一つの任務が妥当で、二つ以上完遂すれば大したものだ、と言われているこの時代の風潮もあり、追い込みがかかり始めているこの状況で生徒全員退避など無謀の極みだ。
利点は無い。が、生徒の安全は保障できない。生徒の安全が最優先の生徒会にとって、梓としても苦渋の決断だろうというのは水雨には理解出来た。
目の前に立っている零の自信を見ていると、水雨は無謀が希望にも思えてきた。錯覚だろうな、とは思いつつ生徒全員退避の道を選ぶ事に決定した水雨は、すぐに戻るという前提を以って教室を零に託した。
思いを、無下にする訳にはいかない。過ちを繰り返さないために。
水雨が教室から出て行ったのを確認した零は、立ち直った少女に向かって言葉を発する。
「……お前なんだろ、水月?」
かつて昔幼い頃に零の中で死んだ、兄の声色で。

消し飛んだ足。幾多の銃弾で撃ち抜かれた胸元。溢れ出るほどの黒い怨念。そして、
兄に酷似した、艶がかかった黒に茶の入り交ざった髪色。
全てが、零にあの日の記憶を思い起こさせる。
崖の上から妹を投げた、幼いあの日のことを。
「なぁ、返事をしてくれよ。水月なんだろっ?」
はやる気持ちを全力で抑えた零の語気は、強く震えた。感動と悲哀が織り交ざった、悲劇の声色となって。
その時、少女の姿が大きく変わる。黒い怨念が更に強さを増したかと思うと、肌の色が血色良く、血肉も全てが拭い去られて。
そこに居たのは、零に似た一人の少女、水月その人だった。
「お兄ちゃん、なんだよね?お兄ちゃん……」
「水月……水月っ!」
零はもう、どうでも良かった。
何よりも誰よりも可愛くて仕方が無かった、妹をただ抱きしめたかった。再会の抱擁は温かさが伝わってきた。心臓の鼓動も。しっかりと伝わってくる。
泣き出しそうになる気持ちを何とか抑えこみ、零は妹の顔をもう一度見つめる。
あどけなく、深い安穏を称えるかのような微笑み。自分よりも少しだけ身長が小さくて、自分を見上げる澄んだ瞳。大きな瞳で、自分よりも二周りほど小さい顔。
零は水月と抱き締めあった。再会を喜んで。嬉しくて。ただ嬉しくて。
そして同時に零は我に返る。ふっと冷静になり、魔方陣のことを水月に聞かなければならないと思った。
「……水月、聞いてくれ。この魔方陣は、お前が書いたのか?」
兄は、妹に問う。
世界を破滅に追いやろうとする、その引き鉄を作り出したのは、お前か、と。
「うん……。そうだよ、お兄ちゃん。」
水月は肯定した。
その瞬間、零の中の何かが崩れ去った。
兄としての何かだろうか、違う。零は、悲しくて仕方が無かった。
世界を破滅に追いやろうとしている存在が、最愛の妹ならば。
必ず殺さなければならない。冷静に判断す出来ることすら悲しいのに、せっかくもう一度出会えたのに。零はこの運命というか凶運を恨んだ。
「……どうして?」
同時に、零の口からついて出たのは、疑問だった。現実を受け入れたくない。
そんな思いが具現化したのだろう。零は自覚してまたも悲しくなるが、表情には出さない。
そして水月は、淡々と現実を語ってみせる。
「あたしは……命と引き換えに死の神と契約したの。命を助けて欲しかったら、この世に存在する理由として……世界を滅ぼせ、って。」
水月の口調がそこまで深刻でないのは、未だ突拍子の無い現実を受け入れまいとしているのか、それこそが自分の存在理由だと自負しているからなのか。
いずれにせよ、もう一度兄と、零と会うために死の神に力を貸したことは嘘ではないのだが。
しかし、当の兄、零は水月の言っている意味を理解しようとはしなかった。
死の神?何だよそれ。
命と引き換え?意味が分からない。
存在理由?そんなの決まっている。
世界を滅ぼせ?バカじゃないのか。
全てが全て、零にはバカバカしく、苛立ちの原因となった。
零の表情が絶望に恍惚としているのを見て、水月は一度時間を置くことにした。
「お兄ちゃん、そんな顔をしないで……?また、会いに行くから。ね?」
水月の暖かい一言が、零の心を更に抉った。
水月が、消えていく。徐々に零の視界から消え去っていく。
「早くここからお兄ちゃんは逃げて!魔方陣が起動したらお兄ちゃんが死んじゃう!」
水月はそうとだけ言い残して、零の前から姿を消した。
零は、気を失った。



「早く!さっさと寮から出て!」
梓は叫んでいた。寮の正面入り口、目の前では恐怖と葛藤に塗れた学生たちが急ぎ足で出口に向かって走り抜ける。
梓は、魔方陣の存在に二番目に気付いた。水雨が幻影術式を破った事で梓のサーチ術式に引っかかったのである。
右腕の腕章に誇りと焦燥を抱きながら、今は現状の解決が先だと声を張り上げる。焦りを感じていない生徒を見て僅かに煩わしさを覚えるのは、おそらく避難させる側の人間にしか理解できない感情なのだろう。
「生徒会長!私で最後ですね?」
全ての生徒の集団が出口を通り抜けた後、柚未と共に小走りで現れた冴為は、梓に問い掛ける。が、梓の返答は肯定ではなく否定だった。
「ううん、零くんがまだ。自力で出てくるって風雅が言ってた。」
そう言う梓の表情はとても苦渋を嘗めているような苦い表情だった。
冴為がなぜ助けに行かない!と言う前に、梓の視線の先にその理由はあった。
かつてない防御術式と攻撃術式、さらに異常なまでの闘気を剥き出しにした水雨が立ちふさがっていたからだ。
身体中から抑えきれていない術力が漏れ出し、それによって発生した突風が気迫と共に他者を寄せ付けない。来た道を戻るものを、容赦なく殺しかねないほどの尋常じゃない攻撃的な瞳。
「この先に行きたければ……俺を殺せ!」
零から承った命は一つ。
誰も近づけないでくれ。口に出す事は無かったが、本当に口に出した言葉よりも伝わってきた。
そしてもう一つ。特に、絶対に、
柚未だけは近づけないでくれ、と。
だが、世界の運命とは思惑通りに進まないものだ。唯一駆け抜けようとした者は、
「通してもらう!」
柚未だった。

「ぐっ……か、はぁッ……」
闇の術気が漏れ出し、零の身体、意識を蝕む。蝕みの速度の上昇は、詠唱の完了が近いことを意味している。
零の焦燥はどんどん強くなっていた。徐々にだが、高ぶっていた意識は冷静に落ち込み、その分死への恐怖が心の色を塗り替えていった。それすらも闇魔法の蝕みだといえるなら、ほんの少しの気休めにはなるだろうか。
魔方陣の紋章が高速で回転している。周りの文字は既に早すぎて遅く見えるほどに。そんな術者にとっては日常茶飯事的な光景が、確実に零の希望を削っていく。
(……死ぬな、俺……)
希望をもう求めはしない。絶望を享受しよう。
零の考えが闇色に切り替わった瞬間、零の目の前に最も遠いはずの人物が現れた。
「零!ここにいたか!」
身をかがめて零の下に走り寄ってくる人物は、柚未だった。
駆け寄る柚未の瞳は泣き出しそうに潤んでいたが、それを感じさせない強さも同時に持ちあわせていた。視界が揺らぐ。急に担ぎ上げられた事による体重や重心の揺らぎが、零の頭には痛みとなって伝わる。
魔方陣が展開された教室から走り抜ける。闇色の瘴気から抜け出して短い解放感を味わうが、瞬間的に精神が状況判断を行い、零の思考は状況を感じ察するために始動する。
(柚、未か……?何でここに……?)
「……助けに来ては悪いのか?」
柚未が拗ねるように零の心を見透かして零に問い掛ける。声色には、妬みや怒りなど無くただあどけない、幼いような声色。
零が好きでしょうがない、一人の女の子としての。
「………………悪くない。」
零がまた意識を失ったのは、数十秒後のことだった。

Comical scene Ⅸ-Ⅱ おかえりの始まり

「ん……?」
零が目を覚ますと、視線の先には茶色みがかかった無機質とは言い難い天井が広がっていた。
零が布団の中で寝かされているのか、と気付き身を起こすと、布団の上に乗っていたのであろう梓が零に抱きついた。
「零くぅん!良かったよ~~~!死んじゃったかと思った!」
梓がさっそく零の身体に抱きついて歓喜を露わにしている辺り、零は自分が長い間眠りから覚めていなかったことを悟る。
カレンダーを眺めるや否や、日にちを確認する前に水雨が零に時間を教える。
「あれから一日だ。柚未は恥ずかしいと言い訳をして……このザマだ。」
水雨の視線の先には、恥ずかしいといいながらも看病をやめられなかった柚未が眠っていた。掛け布団に頭を預けて、苦手分野の治癒術式を頑張って使ったままの手の形を固まらせたまま。
零が柚未に起きたら礼を言わなくちゃ、と呟くより先に、胸元の梓が零に愚痴をこぼし始めた。
「静香ったら、零くんに告白したんだって!?聖剣使いのくせに悪女なのね……」
梓のこの一言を始まりに、愚痴と真実とが入り交ざった解説は始まった。

水雨と梓の話によれば、魔方陣は発動してしまったのだという。
柚未が気絶した零を連れて出てきたとき、魔方陣は詠唱を完了し、数分間の発動準備に取り掛かったのだという。
水雨の分析によれば、魔方陣は世界中を範囲とした闇の波動術で、波動に触れた者や物の存在をも歴史から消し去るという終焉術だった。
しかし、冴為の全身全霊をかけた〔聖力で構築されたシェル〕で寮全体を覆うという荒業で世界は破滅しなかったが、冴為自身が異常な負荷を伴い、即行で病院送りになったのだ。
今回の事は国の中でも最上級の国家機密となり、大規模な忘却術式によって寮に在籍していた大半の生徒の記憶からは抹消された。
覚えている者は、零たちと冴為の五人だけで、口外は厳禁だという話になったらしい。国の面目を護るためだという真実を知っている梓は、口外してみようかと冗談を言い放ったところ、水雨とケンカにまで発展し、水雨が梓の心をズタズタに引き裂き(より正確には暴言を言い放ち続けた)梓が水雨に泣きついて事は収束したのだという。
何はともあれ無傷で生還できたのだから運が良かったよ、と梓が零の胸に抱きついて、今に至る。
しかし、冴為は内部的に多大なダメージを受けたとは言え、零も条件は同じ。なのに対応が違う所に、国の陰謀を感じるのは零だけでは無いだろう。まぁ変に病院送りにされて楽しい日常を奪われるのも嫌な零でもあるのだが。
現在は日本に向かっている途中で、あと三十分もすれば日本の横浜港に着くのだという。
「さーて、あと三十分……二対一で模擬戦でもしよーか!」
模擬戦大好きな梓は、零と水雨二人に一人で相手をすると模擬室に意気揚々と駆けていった。
柚未をおぶって、零も部屋を出る。
(やっぱ、こっちの方が好きだな。)
久し振りな日常に、微笑みをこぼしながら。



Comical scene Ⅹ 日常の無秩序

あーうー暇だよー!そんな梓の気だるさマックスな声が響くのは、相も変わらず生徒会室である。
日当たりはまずまず、会長席の後ろには大きな窓があり、端末を開く際のスクリーンとしても利用したり、ホワイトボードを置いたりする場合にも使用する。黒板が元々あったのだが、伝代のニーズには合わないという事で数十年前に取り払われたのだという。
教室よりも二まわりほど小さい部屋の中は、今日もいつもと変わらず副会長と会長の口論が響いていた。
戦場の一件があってから少しの間は沈静化したものの、互いの弱いところを認識してしまったからか口論は激しさを増していた。
そして最近は以前よりも勢いを増し、取っ組み合いにこそならないものの模擬戦パターンが多くなっているというのは役員の中でもっぱらの噂である。
実質的には、口論の間にも責務を果たすための会話も含まれているため、咎める事は特に誰もしない。まぁ咎めたところで止まるわけでもなく、むしろ咎められるような勇気あるものは一人も居ないというのが現状だ。
そんな口論の間に、ふと梓からこぼれた言葉があった。
「もういい!学園祭やろう!」
何がもういい!なのか分からないまま、全校生徒の集会で可決されたのはつい昨日のことである。

「何が今日は非番です、よぉ……ふざけるのも大概にしてよ……」
水雨に模擬戦を断られ、生徒会室での会議を終了した梓の足取りは重かった。
特に会議という会議でもなく、ただ単に会計報告と学園祭のプログラム決めで終了した生徒会だったため、時刻は午後四時ごろ。
水雨のようにリフレッシュルームで黄昏てみようかな、などと考えてみたりもしたが、リフレッシュルームにこの時間帯で行ったら、色々な生徒に声をかけられてしまって黄昏どころではなくなることが見えていた梓は行かなかった。
生徒会権限で上位端末を起動し、零と柚未の動向をチェックする。任務中という表示と帰校予想時間を交互に見たあと、梓はため息をついた。
梓は孤独が大嫌いだった。一人で居る事がまずいやなのだ。別に自己嫌悪に陥ったりする事は無いのだが、元々一人に慣れていない。そして常に人の温かさに触れていたい。一人で過ごさなければならないときは過ごすとしても、それ以外のときは必ず誰かと一緒に居ようと思う。
そこで梓の思考のうちで見事に白羽の矢が立ったのが、
「夕凪ちゃーん!」
「何ですか、梓ちゃん?」
水雨の恥ずかしい過去をいかにも知ってそうな、夕凪 寝音だった。

生徒会室の外には、入室禁止の看板が掛けられている。本来なら一般生徒の入室を禁止する意味合いで掛けられるハズのものなのだが、今回は違う意味合いで掛けられていた。
雑談の邪魔をさせられないように、である。私事に生徒会権限を濫用する生徒会長は、未だ支持率は百%以外になったことが無い。
そんな人気者の生徒会長は、副会長の過去を探っている。
「夕凪ちゃん、風雅の恥ずかしい過去とか、知らない?」
絶対に知っている。確信を持って梓は身を乗り出して夕凪に問い掛ける。
夕凪は、水雨と同じく生徒会活動中とは違ったフレンドリーな口調で話す。
「んー……何から話せば良いのかな?」
悪戯に大人の色気を振りまきながら、微笑みを浮かべる夕凪に、梓は歓喜した。

「…………この予感は、果たして杞憂か……?」
生徒会室からかけ離れた場所――――寮部屋の中で水雨が悪寒を覚えたのは言うまでも無い事だった。

梓は何から話せば良いのかな?と言った夕凪に対して、最もストレートに攻められる事柄を聞き出そうとした。
ズバリ苦手なもの、である。
「風雅の苦手なものとか、知らない!?」
夕凪は答える。
「水雨くんは、ああ見えて意外と……いかがわしいものが苦手なのよ。」
本当!?梓は目を輝かせて夕凪の答えに心を躍らせた。夕凪は本当よ、と答えてみせた。
紛れも無い、真実だ。


「暑いよー水雨ぇ。クーラーもってこーい。」
「そんなに物理法則とエネルギーの理屈を超越したいなら、他を当たってくれ。」
もう淡白だなぁ!と突っ込みを入れるのは先日十二歳になったばかりの夕凪 寝音 である。
いつの時代になってもランドセルというものは変わらないのだな、と水雨は歳不相応な事を呟いているが、理屈や理論があまり得意ではない夕凪はそんな水雨を見て嘆息した。
アメリカの多大なる支援と、発達し尽くしたと言ってもいい圧倒的なエネルギー供給技術により、東京を改造しようという通称〔大都市解体森林増設計画〕が実行され始めて約五年。
数百年前に大都市として機能していた日本の心臓の面影は、もはや三分の二が森林に姿を変えていた。
そこまで世界が流動しようとも、小学生が背負うもの「ランドセル」は流れ去らないのだと考えれば、理解出来るだろうか。
そんなどうでもいい事を話しながら帰路についていた二人は、もう既に十年以上の長い付き合いだ。一緒に風呂に入ったこともあれば、旅行も一緒に行ったこともある。
それでも、恋愛感情は芽生えない。ここまで仲良しなのはなぜか、と聞かれれば天命だと答える水雨は面白い奴だと夕凪は思う。
互いに面白みがあるから一緒にいる、それだけの関係の二人は、究極の幼馴染である。
だから、互いの家に泊まることなどもはや日常茶飯事。
「今日水雨の家泊まるー。」
「許可はとってから来い。歓迎する。」
こんな感じである。

「いやー、やっぱ風呂ってすばらしいものだと思わない?理屈抜きにしてもさ。」
そう雄弁を振るう夕凪はどこか得意げに水雨に髪を結ってもらっている。長い付き合いの水雨は、風呂上りの夕凪の髪を結う事がほぼ、泊まった時は日課になっていた。
「理屈で説明して欲しいというなら話してやるが?」
そんなものは所詮屁理屈に過ぎんがな、と自虐するように呟く水雨に向かって、屁理屈だって理屈だよ、と言い返す夕凪。
この世は理屈で動いている、と言っても良いこの時代に、屁理屈という言葉はあってないようなものだ。水雨は理屈屋ではないが、実力を発揮する必要が無いのなら大抵は理でどうにかなるという所から身についた性質だ。
当然、分かりきっている夕凪も水雨も、何も言わない。

「ちょいまち。作文もうちょいで終わるから。待って。」
電気を消そうとする水雨の顔は、どことなく不満げだ。時刻は深夜一時。生活リズムに気を遣うようなタイプではない水雨でも、さすがに眠気を感じているのだ。
対して夕凪は、最後の宿題夏休みの作文に手を焼いていた。夕凪は作文が苦手だった。今でこそ作文はトップレベルの力量だが、この頃作文は大の苦手だった。
四百文字の原稿用紙二枚半程度の作文に、十二歳にもなって四時間もかかるなど……水雨は嘆息するが、夕凪はうるさいなぁ!と言って作文の最後の行を書き終える。
「ほら、さっさと布団に入れ。」
「はいはい。入りますよ。」
と言って夕凪が入ったのは、水雨が普段寝ているベッドの中だった。掛け布団にもぐりこんで笑いをこぼしている辺り、完全に確信犯なのは確認できた。
「うふふじゃない。さっさと出ろ。」
「一緒に寝ようぜ、久し振りに。」
手招きをして誘ってくる夕凪に向かってため息をつき、水雨は床に敷いてある布団に潜り込んだ。こういう時は相手にしないのが人間一番こたえるんだ。水雨らしい戦術で夕凪を回避しようとしたが。
「バックアタック!」
「な……ッ!?」
夕凪は水雨に後ろから抱きついた。
水雨の背中には幸せな感触が押し付けられているが、水雨は発情するような男ではない。素早く身体の向きを返して夕凪に向き直り、連続チョップをかます。
「い・い・か・げ・ん・に・し・ろ!」
「あうあうあうあうあうあうあうあうっ。」
水雨にじゃれ付いているのが楽しくてたまらない夕凪は、懲りずに水雨に対してまたも攻撃を開始する。
「正面突破ぁ!」
今度は正面から抱きついた。容赦のない抱擁は水雨の予想を遥かに凌駕し、夕凪は虚を突かれたじろいでいる水雨の唇まで奪った。
「ん……!ぐむ……ぐぅッ!」
突然のキスと抱擁で困惑した水雨は夕凪を振りほどこうと必死になったが、しっかりと関節を抱きしめられていて力が思うように入らない。
数十秒後、キスからは解放された水雨は夕凪の頭を再度チョップした。
「調子に乗るな!」
「あう。ごめんってば~。」
明るく笑う夕凪の顔を見ていると、怒りを削がれる。水雨はその思いを何度も心の中でリピートしながら夕凪の頭を撫でた。
今となっては梓の頭を撫でるように、優しく。
「全く……眠気が覚めてしまった……。」
水雨は怒りではなく呆れながらため息をついて仰向けに暗い天井を見上げた。傍らでは同じく天井を見上げる夕凪が、水雨の右腕に腕を絡ませている。
「……水雨。」
「何だ?」
問い掛けられた水雨は聞く。
「さっきのキスされたときの気持ち……理屈で証明できる?」
挑戦的な声色の反面、純真に素直に感想を聞きたい少女の心で夕凪は問い掛けた。
すると、水雨は水雨らしくない返答を夕凪に返した。
「…………難しいな。」
水雨の声色は、悔しそうではなかった。逆に、嬉しそうに弾んでいるようだった。
「ああいうのは、苦手?」
夕凪は興味本位で聞いてみた。今まで苦手なものなど無い、と公言していた水雨だっただけに。
「…………かもしれないな。だが、嫌いではないよ。」
夕凪は嬉しかった。一人の少女として。水雨をまた少し理解出来た喜びが抑えきれなくて、衝動的に水雨に抱きついた。
水雨もまた、夕凪を受け容れた。


「……とまぁ、こんな感じなのだけど。」
夕凪の過去話を聞いた後、梓は叫んだ。
「く、く、くぅ~~~~~~~!悔しいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
歯軋りと悔しさを滲ませた、恋する乙女の咆哮だった。



夕凪との雑談会を終了した梓は、自分の寮部屋に戻る。
その足取りはやはり重く、視線も俯いていていつものような勢いはどこにも感じられない。時刻は午後六時過ぎと言った所で、未だ食堂に向かう学生などで廊下は賑わいが感じられたが、今日の梓はそんな気分ではなかった。
いつも右に曲がって食堂に入るのをやめ、真っ直ぐ進んで寮に戻る。今日は食堂出前にしよう……梓はそんな心持ちだった。
寮の部屋に戻り、入り口の扉を開ける。ただいま。返答の無い返事を虚ろにして、洗面所を経由して一つしかないベッドにダイブする。
梓にはパートナーがいない。
この高校において、パートナーがいないのは特定の人物である以外は許される事ではない。梓はパートナーなど要らなかった。パートナーなど、足を引っ張る以外の何でもないのだから。
無論、その考え方を梓は嫌っている。たとえ足を引っ張ったとしても、それでも絆をもてる相手をパートナーというのだから、それはおかしい。
けれど、梓はパートナーを欲する事は無かった。それは、水雨以外のパートナーを持つ事は、絶対に嫌だったからだ。
高校生と中学生。一年だけ離れ離れになった。それでもし梓が他の誰かのパートナーになってしまったら?水雨は梓に目を向けることはなくなるだろう。梓はそれを恐れたのだ。水雨に嫌われたくない。その一心でパートナーを放棄した。
そして、今から一年前に降りかかった《ある出来事》により、梓は水雨ともパートナー関係を結ぶ事を諦めた。
そんな一人の梓は、一人だからこそ明るく振舞おうと決めていた。誰も隣に並んでくれない、孤高という孤独を抱えているからこそ、自分が寂しくならないように。せめて、自分を想ってくれている水雨に恩返しのつもりで。
でも、今はそうじゃない。
(……寂しい。辛い、悲しい、苦しい、冷たい、痛い――――)
数多の負の感情が、梓の心を覆い尽くす。全ては、水雨に対する叫び。
伝わらない、叫び。そして、
伝えたい――――――叫び。
「ふ……うがぁ……こっち向いてよぉ……ねぇ……構ってよ……奪ってよ……お願い……」
梓は、泣いていた。枕に顔を押し付けて。布団を被って。涙を流して。
胸が張り裂けそうなぐらい痛む。水雨の近くにいるとき、水雨と話しているとき、
水雨が、誰かと接している時―――――。
嫉妬が嫌い。そんな一感情に惑わされて、事を考えちゃいけない。感情に揺らされる事を極端に嫌っているはずの梓が、自分が――――、
嫉妬に、揺らいでいる。
水雨に、揺らいでいる。
水雨が、
風雅が欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい―――――――。
抑えきれない、制御できない、自分の闇。
水雨を、奪いたい。たとえ、周りの全てを滅ぼしてでも。
歪んでいる。歪みすぎている。歪んだ愛だと分かりきっているからこそ、自分の想いが梓を苦しめる。
水雨が欲しいと願うほど、自分を殺したいと願わなければならない。
そうでもしないと、理性を保てない。
「あ、ああ―――――あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!」
か細く、幼く、弱い。
梓の咆哮が、部屋に響いた。



数分後、悲しみがほんの少しだけ和らいだ梓は、水雨にやっておいて貰えると助かるんだ、と言われて渡された書類の処理を行っていた。
普段から毎回、水雨には書類を渡されるが、それを一回も処理した事は無い。全て無理だよ!の一言で返している。勿論、水雨もそれを予測して書類を渡しているため、本当にやってもらえると助かるのだ。
梓は、慣れない手付きで書類処理がプログラミングされたアプリケーションを起動し、端末を操作する。書類の処理など、ここ一年ほどやっていない。前生徒会では副会長として会長補佐を務めていたが、前会長は書類の処理など八割方自分で全部終わらせてしまっていた。
だからこそ、なのかもしれないが……梓は書類処理が苦手だ。
だが、慣れない事を終わらせるにはあまり時間がかからなかった。書類を水雨の端末に送信し、一息つく。
そういえば、と梓はふと気付く。この端末で書類データを送る事が出来るのなら、この端末で水雨と会話する事は可能ではないか、と。
しかし、梓は水雨に会いたい。むしろ、会わずに端末を通しての会話など、自分を無理に苦しめるだけだ。
どうしよ……と梓が嘆息していると、端末の画面に動きがあった。書類処理の画面から切り替わり、メッセージ受信ボックスという名前のウィンドウが新たに開く。
受信されたメッセージを開く。そこには水雨からのメッセージが書いてあった。
〔珍しいな。というより、初めてだな。書類を送ってくれるなんて。何かあったのか?〕
梓は、意を決する。
会いたい。遊んで。構って。頭を優しく撫でてくれるだけでも良いの。想いが溢れ出す。端末の文字入力キーを打つ指が震える。
〔風雅、会いたいの。会長としてではなくて、恋人として。……ダメかな?〕
恐る恐る送信をし、梓は返信が来ないだろうな。と悲しい予想をしていた。
しかしその予想は数秒後に裏切られる。
〔……分かった。今からそっちに向かう。待っていろ。〕
水雨に、想いが届いたのだ。



午後七時半を時計が指している頃、梓はまるでお見合いでもあるかのように緊張していた。部屋に一つしかないテーブルに生まれて初めてお茶を用意し、椅子の上に正座をして水雨を待っていた。
期待と動揺とが入り混じった感情に襲われている梓は、目を見開いて頬を紅潮させながら息を上げてしまっていた。
水雨に会いたい。そう願ったのは誰でもない、このあたし自身のはずなのに―――。梓は状況に対する焦りだけで無く、自分に対する動揺も抱えていた。
がしかし。時間は容赦なく訪れる。いつも通り接すればいい。生徒会室でやっているように、いつも通り――――。
呼び鈴が鳴る。インターホンとも言うその機械が鳴動した時、梓の肩がびくっと震えた。
「……開いてるよ、入ってー。」
虚飾で塗り固めたつもりの笑顔を表に、梓は水雨を玄関まで迎えに行った。

梓ののん気な声が扉の奥から聞こえた。水雨がドアノブを捻ると、抵抗的な感触は無くドアが開く。
玄関を入ると、カチンコチンの動きと冷や汗を滲ませた挙動不審な梓が右腕に抱きついてきた。
「み、みなっ……あめ副会長!書類はっ、お気に……め、召したかなっ!?」
もはやわざとやっているようにも見えてくるその態度に、水雨は梓にチョップをかまして応じた。柔らかな感触と共にうぷっ、という一言が響き、梓に普段通りの傍若無人さを取り戻させる。
虚ろな瞳にいつものような攻撃的な炎が燃え、反抗的な視線が水雨の蒼い瞳を睨みつける。
「も~~~~~!ちょっと礼儀正しくしようとしたら調子に乗って!」
「嘘をつくな。完全にテンパっていたじゃないか。」
諭すような口調の水雨に、梓は普段通りの勢いを取り戻させてくれた事に内心感謝する。
……が、口から発せられる言葉は全て敵意ある言葉で。
「ふんだ!風雅の事だからどうせあたしをいじめようと思って……」
「……そうか。なら心配は要らないな。帰るとしよう……」
あー、待って待って!帰んないで!まだちょっとしか話してない!
「いじめるような後輩は要らないだろう?俺にもやるべき事があるしな。」
……そうやってまたいじめるんだ。
「ああ。いじめがいが今日も明日も旺盛だからな。」
うぅ……ひどいやぁ……今日も明日も風雅は意地悪…
「仕方が無いだろう。」
開き直るなんて……怒るからね!
「なら、怒ってみろ。」
う~~~……怒らせる気ないんでしょ……
「まあな。怒らせると色々と面倒だからな。」
よーく分かってるじゃない!撫でてあげよっか?
「……撫でて欲しいんだろ?」
く……その手には乗らな―――――きゃうっ!?
「素直じゃないな……今日も明日も、明後日も……」
水雨が梓を抱き寄せると、梓の身体がびくっと震えた。
梓はもう、抑えきれなかったのだ。自分の闇を、自分の欲望を、自分の想いを。
水雨の背中に腕を回し、これでもかと言わんばかりに全力で抱きつく。水雨は動じない。防御術式を冷静に組み立て、身体中をコーティングした上で梓に話し掛ける。
「寂しかったのか……?」
「……うん、ずっと、今も、昨日も、ずっと前から……もうダメなの!お預けはイヤ!待つのはイヤ!もう我慢は出来ないの!」
涙を流しながら、梓は水雨に嘆願した。時を追うごとに増す想い、それに比例するようにして上昇していく力。既に鉄の塊すらも握りつぶしてしまうような威力になっている腕に、梓は更に力を込める。
「もう限界なのよ!」
梓が全力で水雨を抱き寄せた時、水雨は防御術式を解いた。
シュウ……という無力感に満ちた音と共に防御術式が解かれる。水雨を覆っていた透明な壁のようなものが空気に溶け、梓の腕が水雨の身体にもぐりこみ始める。
「梓。」
「――――――うっ?」
水雨が梓を抱き上げ、今度は梓を水雨が抱き寄せる。
「そんなに寂しいのなら、正直に……素直に、俺を導いてくれ。」
たとえ迷ったとしても、恐怖に身体が震えたとしても、強大な壁に歩みを止めてしまったとしても。
俺が使われ、助けてやる。だから、梓は俺を使う主になってくれ。俺を誰より愛し、また誰よりも気にかけてくれる梓、お前が。
水雨が吐露した真の想い、梓には何よりも強く伝わった。水雨の透き通るような、澄み切った碧眼が茶色に戻っていく。梓の瞳も、燃え盛るような炎を象徴する灼眼が茶色に落ち着きを取り戻していく。
しかし、梓の言葉を待たずして、水雨は即行で眠ってしまった。術力の使い過ぎ、でだ。
「……風雅ったら……もうっ!」
再び憤りを募らせた梓は、眠る水雨の頭を一度叩き、そっとベッドの中に寝かせた。



「はぁッ!てやッ!」
一方その頃、零と柚未は梓がサーチをかけた通り学校の外にて単位取得の最中だった。
任務内容は魔物討伐の次にメジャーな材料採集だ。柚未が採集をし、零が周りに寄ってくる魔物を倒す役目だった。
ちょっとした仲違いから回復した二人は、戦場に向かう前よりも絆を深めていた。互いの事を信頼し始めたという点でもそうだが、二人の時間を大切にするようになったというのが一番正しいだろう。
材料の採集が終わった柚未は零に声を掛け、帰路につく。近くの町から鉄道にて学校の近くまで運んでもらう。
鉄道に乗り込み、一息つく二人。直後二人は視線を向け合い、噴きだす。
二人はパートナーだ。しかし、それを超越した「何か」が二人の中には出来つつあった。
それが好意ではなく恋愛感情だと気付くのは、ほんの少しだけ柚未の方が早い気もするが。
柚未が零の隣に座り、肩を寄せる。車両の中に自分たち以外の客がいないことを敏感に察知した柚未は、零に甘えていい?の合図を送っているのだ。
それに気付いた零が間もなく頷く。零の許可を受け大義名分を得た柚未は、普段寮の部屋の中でするように口調と態度を一変させた。
「零、 抱っこして。」
「あ、ああ良いよ……」
未だあんまり慣れていない零はたじろぎながら柚未を膝の上に乗せて甘えさせるが、戦場に行っていたときずっと梓を乗せていたからかやけに違和感があるのは否めない。
改めて柚未を見つめると、自分が自分でなくなってしまうような感覚に襲われる。
凛々しさを口ほどに語る整った顔立ち、女の子にしてはやけに芯の通った声色に信念、またそれを支え、見劣りさせない力量と度量。
全てが全て、自分と釣り合っていない。何だか哀しいな、零は嘲笑する。
「……どうかしたの、零。」
「いや……特に何も。」
また嘘ついてるの?と全てを見透かしそうな魔性の瞳を向けてくる柚未に、零はほんの少しの恐れを抱かざるを得ない。しかし、それが柚未なのだ。互いにそれは痛いほど理解しているつもりではあるのだが。
んー……浮気なんてしたら殺されるな、きっと。改めて自覚して背筋が凍る零。その様を見て微笑を称える柚未。
どちらの思惑も外れ、交差していく。それでも伝わっているのだから、二人は理屈では証明できない。
密かにそんな関係を、梓が水雨に望んでいる事も世界の誰もが気付かない。


Comical scene Ⅹ-Ⅱ 学園祭

さっさと起きろ!慣れない男の声が零の意識を目覚めさせたのは、七月も中旬の頃だった。
深緑がざわめき、暑い気候が急かすように顔を出し、地球の自転が狂った事によって一ヶ月前に終了した梅雨の終わりを祝うかのように。
激動の三日間が幕を開ける―――――。

「う……誰ですか……?」
「俺だ、水雨だ。浦波高校生徒二期生生徒会所属生徒会副会長兼絶対聖義二期生優秀生徒二年連続表彰生 水雨 風雅 だ。」
朝っぱらから旧中国語のような自慢にも似た自己紹介を浴びせられ、零の精神はもう一度眠りにつこうとする。処理しきる事が出来ない負荷に精神が耐えかねたのだろう、再び眠りにつこうとする零。
そんな零を受け止めて起こし、軽い雷術式を身体に流して水雨は嘆息する。雷術式を身に受けた零はビクンと身体を震わせ苦悶を露わにする。
「朝から痛いな!」
「そうか?夏羽は喜ぶのだが……」
妹の特殊な性癖に全く気付いていない兄のとぼけ面を視界に入れ、零はため息をつく。
今日なぜ水雨が自分を起こしに来ているのか。心当たりは充分にあった。確か今日は学園祭の日。生徒会長の一存で発足し、ちっこい上級生からの莫大な資金援助によって盛大な開催が約束された(という信憑性の高すぎる噂が流れている)、この高校の歴史上初となる学園祭の開催日である。
零は徐に枕もとの時計に目線を向ける。時刻は午前四時半。アホか。
まぁ水雨の性格なら予想はしていたが。零は自分で掛けておいた三十分後に鳴るはずだった目覚ましを消して布団から出る。水雨に用意された朝食を口に運び、水雨から学園祭のプログラムについての話を受ける。
運動会でもないのに開会式があり(祭りじゃないのか)、しかも二日連続で行うというのだから零はそのあたりからぐったりし始めた。今までのツケだとか会長は騒いでいるらしいが、それに感じる心労は、水雨も感じているようだった。
一日目は従来のように自由に屋台やステージの上で特定の者たちが技を披露したりとふつうっぽそうだが、二日目のプログラムを聞き始めた瞬間、零の背筋が凍る。
二日目のプログラムがまるで、運動会や体育祭のような疲労困憊なものだったからだ。生徒の事情を省みずに行動する会長の性格が今回ばかりは良く働いたようだ。
現状、学校内で一番大きな権力を持っているのは、生徒会長こと夜丘 梓 なのだ。理事長はいるにはいるが首を横に振る姿は人命がかかった時ぐらいで、基本的にはしっかり働けばお咎めなし。校長も同じくである。
プログラムの確認を終え、水雨とともにまだ静寂に包まれている校舎内を歩く。傍らを歩く水雨もどことなくお疲れ気味で、体力的にというよりも精神的に、の方だろうと仮定して零は切なさを覚える。
水雨と共に校庭まで歩みを進める。広大な敷地にただの更地、入学当初から何の目的にも使われない哀愁が漂っていた校庭が、一変していた。
校庭中央奥には大きなステージ。そしてそこから枠を沿うように並べられた尋常じゃないほどの屋台。
その全てを、校庭の中で動いている五つの人影が用意していたのだと思うと、ぞっとするのは零だけではないだろう。
「おーい!さっさと手伝えやコラァ!」
遥か遠く――――ステージの上からなぜか教師の立場であるはずなのに学園祭の屋台設置を手伝っている流転光明の担任、仁夜がマイクを全開にしてこちらに叫んでくる。
近所迷惑だな、と思いつつ長すぎる距離を駆け抜けようとすると、零は今の時代ならではのシュールな光景に何度も遭遇した。
「うわっぷ!危ないよ雪奈!」
「うるさいなぁ漣!しっかり持ってなさいよね!」
どこぞの流転の生徒、漣と雪奈が高いアルバイト料と単位を求めてアルバイトをしている姿を見ることが出来た。漣が持っている莫大な量の食料を、雪奈が中規模の凍結術式を展開して冷凍している姿だ。小さな吹雪と氷解が肉を凍らせている光景は、既にここ数十年では見慣れた光景と化している。
術式が普及する前は大変だったんだろうな……零は感心を新たにする。
次に見た光景は、ちっちゃな幼女――――ではなく梓が屋台をそのまま担ぎ上げて運んでいる姿だ。自分の体格と比べて三倍以上の物を片腕に一個ずつ担ぎ上げて歩いている姿は非日常だと言わざるを得ない。
「これどこ置く?ん……あ、そっちね。はいはーい。」
まるでそれが正常であるかの如く屋台を持ち上げたまま目の前を走り抜けるその姿に、零が言いようの無い恐怖を感じたというのは言うまでも無いだろう。
柚未の下まで零が歩いていくと、先ほどの梓が居たので突っ込んでやる事にした。
「そんな腕力アピールしてたら、逆に男は引いちゃいますよ?」
「何だとっ、うるさい!零くんはリアル塊○の刑に処す!風雅!」
梓がそう言い放つと、水雨が零の背後に現れる。
「悪く思うな、不本意だ。」
そう短く詫びるように言った水雨は、梓の持っている屋台に何らかのコーティングをした。丸く薄い膜のようなものが梓の持つ屋台にコーティングされた時、梓が満面の笑みで屋台を零の下へ投げた。
「とりゃー!ゲームスタートッ!」
「ちょ、うわ!」
咄嗟に転がるようにして避けた零は、屋台が飛んでいった背後に視線を向けて唖然とする。
屋台は他の屋台を巻き込み、どんどん転がるようにして大きさを増していく。雪だるま方式で膨れ上がったその屋台の塊は、校舎に向かって猛スピードで転がっていき、校庭と校舎の階段に激突して大破した。
背後に空虚が出来た零は恐る恐る前方に視線を戻す。そこには満面の笑顔を向ける梓が立っていた。
「ねぇ、お分かりになられました?」
梓はらしくない優雅な口調に怒りを滲ませて、気迫を込めて言い放った。今回ばかりはあたしも真剣なんだよ!という思いが言葉なしに語られている。
「はい……すみませんでした……」
触れてはいけなかったんだ、そうだったんだ……零は心の奥から懺悔し、梓に人生初の土下座を披露した。
背後で水雨が後始末として時空術式を使用する。屋台の塊がもう一度形を成し、シーンを巻き戻すように屋台が梓の片腕に吸い込まれていく。
ヒュンヒュンヒュン……ガカンッ!凄まじい音と共に梓の腕に屋台が吸い込まれた瞬間、零の耳に梓の口から仕方ないなぁ……、という一言が発せられた。
その後、零はシュールさに全く突っ込みを入れなくなった。

午前九時 学園祭開始
盛大な会には付き物の発砲音にて開催の火蓋が落とされた学園祭は、予想外なほどの賑わいを見せた。
全校生徒の九十三%が学園祭に出席し、学生たちによる学生のための学園祭が開催されたからである。
なぜそこまで賑わいを見せられたかというと、そこには生徒会の技量が大きいだろう。周辺に対する騒音対策は水雨が巨大な遮音術式によって解消し、クラス違いが原因のケンカなどは支持率百%の生徒会長、梓の活躍によって一件も起きなかった。
そこに幸運な事に、冴為が零にたいして莫大な資金援助を行ったのが重なり、破格の値段で屋台の食べ物を提供する事が出来たのだ。
その情報が外に出回り、周辺の街や小学校、中学校からも来場者が殺到し、入場制限までもが掛けられてしまった。
特に生徒会による《賞金百万円争奪合戦!浦浪生徒会と真剣勝負!》のコーナーでは、教職員までもがこぞって参加していた。モラルなんてそっちのけである。
結局最高記録は柚未による残り二人で、その他の者は一人目の夕凪にあっさりと敗北した。
そんな無理ゲーとでも比喩されるべきコーナーで最大の盛り上がりを見せている学園祭の真っ只中、零は校舎内のリフレッシュルームで一息ついていた。
普通なら校舎内に人が居てもおかしくない状況だが、外が異常な賑わいを見せているため全く校舎内には人が居ない。疲弊しきった精神を休ませるには最適な場所といえよう。
零自身、《術式講座、生徒会公認去月くんの優しいレクチャー》のコーナーで数百人の中高生にレクチャーをしていた疲れが、尋常では無かったのだ。
明日の学園祭運動の部では民間人は来ないとは言え、身体も心ももつ気がしない零はリフレッシュルームの一角から校庭を見つめてため息をつく。
今は《会長VS副会長!浦浪最強決定戦!》の真っ最中である外は、水雨と梓による一騎討ちに屋台を放棄して見入る学生たちと民間人でスタジアムさながらの熱気である。
いやもう出る気しないな……零は脱力し、ベンチに座り込む。観葉植物が、零の心をほんの少しだけ癒しているような気もする。
観葉植物を眺めていると、植物の下に植物の名前ともう一つ。木賊家公認と書いてある。
……どういう事なのかな。精神が極限状態にまで疲弊しきった零は、どうでもいいことに関心を持ち始めるのだった。

一方その頃、ステージではとても熱いとは言いがたい戦いが繰り広げられていた。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ!」
まるでコントローラーを連打するかのごとく怒涛の連続攻撃を見せる梓に、
「塵も積もれば山となる……倒れるのは梓、お前だ!」
もう会長副会長の階級差など超越しているような言葉と共に梓の攻撃を無効化する水雨。
戦局がここまで膠着しているのにもかかわらず、観客は未だ見入る事をやめない。むしろ次の一手を予想する者や、膠着するこの状況を観察して物にしようとするものまで出てきた。
完全に引き際を失った二人は、どうやってこの状況を打開するかの相談を小声でしていた。
「どうする?このままではエンドレスだ。」
「分かってる。大団円で終わらせるのはどう?」
「却下だ。企画名を見ろ。」
「じゃああたしの勝ちで終わらせるね。」
「了解」
次の瞬間、水雨の刀に不自然な力が入る。梓は見逃さずそこを攻撃、刀を弾き飛ばした。
……がしかし、
「早い!」
梓の反応速度は刀から水雨の手が離れていないほど早かった。梓は最低限の力で水雨の刀を弾き飛ばそうとしてしまったがために、態勢を崩してしまう。
「危ない!」
水雨がそう叫んだ次の瞬間には、水雨は梓を抱き寄せていた。数瞬後に自分めがけて飛んでくる大剣を両手で受け止め、続いて弾き飛ばされた刀も片手で掴んで、鞘にしまいながら。
水雨のパフォーマンスにみんなが感嘆の拍手を送ると、水雨と梓はとても恥ずかしくなった。
「ねぇ、さっさと下ろして欲しいよぉ……」
梓が猛烈に赤面しながら水雨に嘆願すると、水雨は即行でステージの下手に向かって走り抜けた。
ステージの下手までを一気に駆け抜けて、未だ拍手の鳴り止まないステージ表が柚未のアナウンスと共に徐々に落ち着きを取り戻していくと、水雨は抑えきれなかったため息を遂に漏らした。
水雨がため息をつくと、見るからに不機嫌そうな梓が水雨に向かっていちゃもんをつけ始めた。
「何なのよ、いきなり抱き寄せるって!しかも人前で!そんなに辱めたいのあたしを!」
ガーガーうるさい梓のいちゃもんは開始三秒で聞き流したが、先ほど感じた説明しようの無い感じた事の無い〔激情〕を、水雨は気に留めていた。
それを証明するのに一番のヒントが、皮肉にも梓のいちゃもんに含まれている事を知らずに。



PM0:00 昼食及び休憩及び午前の部終了の合図

三つもの目的を持った時刻になった時、外からの観客は七割以下に減少していた。
昼食の時間まで中で過ごされたら学生の昼食が間に合わない、という目的での入場制限が掛かったためだが、その制限を制限として受け止めている者は、学生の中でもごく少数である。
そんな学生たちの中でも、ごく少数に位置する者たち……零、柚未、水雨、梓、夕凪の五人は誰もが踏み込む事の出来ない聖地(彼ら談)、生徒会室でひっそりと昼食を取っていた。
彼らが各々の弁当を頬張る中、五人の間では舞台裏の会話がなされていた。
なぜ舞台裏の話をしているかと言われれば、事の発端は梓の一言である。
「明日のプログラム、考えてなかった……」
ハッとした表情で言っている反面、声色に緊張感が感じられないのは梓の性格が表れている、と言うにとどめておく方が賢明だろう。
というわけで、今この五人は昼食を頬張りながら明日の事を考えている。
「全校女子生徒による零くんと風雅の争奪戦!」
「却下だ。」
「却下ですね。」
「却下を却下。審議を続行する。」
「「何だと(だって)!?」」
「一生徒と副会長の一存では私の一存のほうが権限は上。故に優越の権利は私にあるの!」
軽く一つのプログラムが決まってしまった。梓の一存は本来誰の一存よりも強いのだが、普段の会議では全く発言しないので基本的には水雨に決定権があるのだが……
権力差には勝てないよ、柚未と夕凪が沈む二人をなだめる。正式種目にはきっとならないだろうから、安心して。という意味も込められているのだ。
だが、零には一つ聞きたいことがあった。梓はプログラム関連の話で一人盛り上がりしてしまっているので、水雨に零は聞いてみる事にした。
「水雨さん、聞きたい事があるんですが……」
「何だ、言ってみろ。」
普段通りの声色で応対してもらう事が出来て安心した零は、木賊家について尋ねた。
すると、水雨は木賊だと!?と驚愕を露わにした。
「木賊家だと……?既に滅亡しているはずだ……、梓、明日より大切な事を見つけたぞ。」
あのー、そこまで重大……?一観葉植物如きになぜ!?零は問い掛けたい衝動に駆られたが、水雨と梓、夕凪の顔色がやけに深刻なのを見て問い掛けるのは自重する。
零が心底わなわなしていると、柚未が零に会長さんが呼んでる。と言った。梓のほうに視線を向けると手招きをしていた。
零と柚未が走り寄ると、梓が身体を震わせながら話、聞いて……。と言ってきたので聞く事にする。
梓の口から綴られたのは、一年前の生徒会のお話――――。


Main episode 11 生徒会長[木賊 龍馬]

午後三時四十分
学校内でチャイムが鳴り響く。一般生徒任務終了目安時刻としてのチャイムだが、生徒会にとってこれは会議開始の合図となる。
浦浪高校 生徒会室 室内では雑談の声に端末の操作音、色々なものが響く中で生徒会長が号令をかける。
「さーて、お前ら席につけ。会議の時間だぜー。」
どことなく気だるそうな声色で号令をかける生徒会長の名は、木賊 龍馬という大柄な男子生徒。
支持率は常に百パーセント、性格は明るく活発かつ子煩悩で空気の読める男で友達も多い。学校周辺に住んでいる子どもたちからも絶大な人気を誇っており、校内一番の人気者はといえば彼が該当するだろうというほどの生徒会長適任者だ。
当然、成績も優秀、仲間意識も高く生徒会役員からも慕われている。
「おっし、会議始めるからな。……って夜丘、もうちょいしっかり会議に臨んでくんない?」
夜丘という少女――――――副会長の腕章をつけた梓を叱る木賊の声色は、どことなく笑いが混じっていて、周りに慣れたものだと悟らせるものがあった。
一方、叱られた側の梓は水雨の事を考えていて上の空だっただけ。今も変わらないぞ、と口を挟むのは水雨。
「会長~……恋人の事考えてただけです……はぁうぅ……風雅ぁ……」
「青春だなぁ……良いな、それ。よしっ、今日の議題は青春についてにしよう!」
あの……会計報告は?と夕凪が問い掛けると、たまには力ぬこーぜ、疲れちまうだろ?と返す会長こと木賊。
その姿からは、自分の中に必ず存在する、闇の部分を全く感じられない。
しかし、本人には一つ触れたくない過去があった。それは家系である。
彼の苗字……「木賊」は、緑を象徴する言葉として名高いが、その他にこの日本には「山吹」「紅」「氷雨」という色を象徴する苗字がある。
その苗字には、日本が財力と権力でもみ消した黒い歴史が関係していたのだ。
およそ三百年ほど前…西暦にして二千二百年の頃、地球温暖化進行停止に伴い世界各国は冷戦状態に陥った。
日本は米国との条約により、軍事大国アメリカとの結びつきを強め勝利はほぼ確定していたが、日本という国の位置関係から中国などの国が総力を挙げて日本に侵攻した場合、日本の安全を保障しきれない、という事から、日本は密かに、敷地を取らず尚且つ調教が可能で低コスト、すぐに用意できるなどの条件を満たした兵器を生み出すのに腐心した。
そして目を向けたのが、人間である。
三百年前には既に術式の開発は試験段階まで進んでいたのだが、その頃はあまりにも消費する術力が高く、また生命力から精製する技術も進歩していなかった事から、被験体としても国から奨励され、警察も黙認した、という人権侵害の見て見ぬふりが横行したのである。
端的に言えば、ある日突然一家揃って国に拘束され、実験体にされた……というのが事実である。
その際に付けられた名前―――――というより記号の名残が、苗字として残っているのである。
慈悲を象徴し、防御・回復術式を司った一家は 木賊と、

栄誉を象徴し、雷系術式を司った一家は 山吹と、

闘争を象徴し、炎系術式を司った一家は 紅と、

平静を象徴し、冷気系術式を司った一家は 氷雨と。

四つの一家は普通の人間とは隔離され、血縁関係を持ったものは第一子だけを隔離し、国の温室の中で才あるもの達として育て上げられたのだった。
生まれながらにして術が使え、行使する事の出来る一家。反乱は起こせないような状況下で育てられた一家は、来る第三次世界大戦で戦場へ投入され、その圧倒的術をもって中国、ロシア、モンゴルの大国三つを消滅させたのだった。
その際に死んだ者たちの怨念を纏った一家は、その怨念と闇をとむらうために惨殺された。殺した者を殺す事で、殺された者の怨念を無効化しようと考えたのだろう。四つの家は皆殺しにされ、四家の者たちに眠る術力を世界最大の海溝、マリアナ海溝に怨念と共に沈めることで闇を封印したのだった。
聞いてみればリアリティの無い話だが、これが現実にあった話だと言ってみれば、日本古来から伝わる神話も、全て現実味溢れるものだと思えてくるのは、恐らく零や柚未だけではないだろう。

その一家の近しい親戚が、生徒会長、木賊 龍馬だと言う事だ。
「青春というのはだな、そもそも思春期の中に存在する最も楽しい時期だと俺は―――」
自分の仮説を雄大に熱く語る龍馬の姿には、どことない安心感というか優しさが滲んでいる。
それが、前生徒会庶務現生徒会会計 夕凪 寝音の初恋だった。
生徒会会議時間の一時間強を見事に青春の話で潰し、青春の語源についてまで解明した木賊は、副会長以外を全員帰して職務についていた。
副会長を残したのには、訳があった。副会長を残したところで職務が早く終わるなど毛頭思っていない木賊なのだから、尚の事。
「夜丘、話があるんだが良いか?」
「あーい。」
机に突っ伏したまま気だるそうに返事を返す副会長こと梓は、木賊の話に耳を傾ける準備が整っていた。
「俺と模擬戦しようか。いや、しろ。」
「えっ?そんな……出来ませんよ……」
既に勝算が無いと悟っていた梓は、木賊の命令を受け流すように軽く拒否する。相手は生まれつきの術者で、自分よりも年上。どうあがいたって勝てる確率が低いのは目に見えているからだ。
だが、梓のそんな判断を無視するかのごとく、圧倒的腕力であずさを模擬室まで引きずっていく木賊だった。

模擬室に着いた梓は、もうイヤだよ……という思いを滲ませながら愛用の武器、大剣を取り出している最中だった。
梓は、生徒会の中でも副会長という地位についている現実、学園内では最強だ。一度重圧が特定の生徒に向けられ、それが二期三期生の中で起きていた派閥争いの矛先にもなり……ようは、武闘派二期三期生の八十%が一人の学生に向かって、大規模な多対一になったことがあった。
その時、梓は当時生徒会で実行中だった会議を放棄してその戦いに駆けつけ、同級生の二期生、さらに上級生である三期生までも一人で相手に、なんと勝利を収めたのである。
まさに一騎当千、勝利というよりは鎮圧だったが、その働きは教職員の目にもとまった。校則である校内術式発動禁止を破る事無く、純粋に身体能力だけで戦いに打ち勝ったというのだから教職員は梓を優遇した。
しかし、その裏には木賊の回復術があった。木賊の術は術式でも、ましてや魔術でもない、生まれ持ったものは魔道と称される。ということから、梓に無理やり正当化させ、梓はほぼ無傷で一騎当千を収められたのである。
木賊と戦うのは初めてだったが、充分梓には分かっていた。木賊の身体能力は恐らく、自分の身体能力の二倍はあるだろう。
勝算の無い戦いほど憂鬱なものは無い……と嘆息する梓に、木賊は声をかける。
「おい、もうちょい気楽にな!修行のつもりで来い!」
修行のつもり、ねぇ……そんなつもりでいけたら随分楽だろう―――――。梓の心持ちは重かった。

模擬戦が始まる。梓は大剣を構えて飛んだ。木賊に勝利とはいかないまでも、一撃くらいは食らわせて一泡吹かせてやろうと。
梓は木賊の目の前まで迫り、大剣を振り下ろす。普通の物なら鋼塊すらも粉々に砕く一撃を目の前に、木賊は笑って呟いた。
「……軽いな、梓。」
直後、梓は大剣を勢いに任せて振り下ろした。しかし、梓は予め予想していた方向とは全く違う方向へと吹き飛ばされる。
剣は弾き飛ばされ、およそ300kmを越える速さで模擬室の奥まで吹き飛ばされた。防御術式が間に合わなかった梓は、衝撃をたった五cmの防御術式だけで真に受け、嗚咽を漏らした。
「あがぅっ!…………いぁッ!あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!」
あまりの痛みに言葉のような言葉を発する事の出来ない梓は、無様に近くをのた打ち回って絶命した。
しかし、木賊の蘇生魔道と回復魔道によって、梓は生還する。再び立ち上がった梓に向かって、木賊は何で負けたか分かるか、と問い掛ける。
分からないといえば、絶対に不正解なんだろうな……張り詰めた空気の中、梓はそう思考して自分を嘲りながらも、切々と答えた。
「分かりません……」
と。
するとどうだろうか、木賊は声を荒げるような真似はせず、梓を優しくだが叱責した。
「お前は……何も考えず、そうして相手の命を奪ってきたのか?ただ倒さなければ自分が殺されるからと、何の目的も無く数多の命を絶命に追いやったのか?」
そうじゃないだろ?と木賊は言う。しかし、梓には意味が分からなかった。
殺さなければ、殺される。だから目の前の相手を倒す。自分が死んだら困るから、相手を殺す。自分が死んでも困る人がいるだろうから、空虚と予想の混じった使命感に駆られて、殺す。
それじゃダメなのか。殺す相手をいちいち思いやれと、そこまで言うのはただの偽善者。それは前に木賊が言っていたこと。なんで?なんで?なんで?
そう考えている間に、模擬室の中では既に小一時間が過ぎていた。そばではウンザリしたような木賊が床に座り込んで梓を見つめていた。
「…………答えは見つからないか?」
「…………はい。」
梓が落胆したように漏らすと、木賊は微笑んで梓の頭を撫でた。
「答えは、きっとアイツが持ってるだろうなぁー。まぁ、誰とは言わないがな。」
自分で探すもんだろ、答えってのは。そういって木賊は笑って見せるが、梓は全く笑う事が出来なかった。
木賊はきっと、何かを言いたげだ。それを我慢して、自分に答えを見つけさせたいんだ。梓は無自覚にそう納得していた。確かに、答えって言うのは人が一人一人考えて見つけるものだ。
だから正義は人によって違うんだ、と言い放てば梓は木賊を一泡吹かせることが出来ただろうか。
梓は木賊と別れ、静かに教室まで歩いていった。
必ず残っているであろう、一人の後輩に助けを求めて。

梓が歩いていった教室は、自分が所属しているクラス「絶対聖義」の教室だ。
この教室の利用価値は、ほぼ無いに等しい。だが、強制的に出撃命令が下った場合ここでクラスごとのミーティングが行われる。
つまり、それ以外の目的は用意されていない。
言ってしまえば用無しの教室は、不思議にもある程度の賑わいを保っている。成績優秀な少年少女たちが、自分たち好みの話題に花を咲かせている。
いかにも彼が嫌いそうな雰囲気の中でも、彼はそこにいた。
「……風雅、ちょっと来てー。」
さすがにクラス全員の前で本名を叫び、関係を匂わせるようなことをするのは恥ずかしいし避けたい。梓は小声で水雨を呼び寄せ、いつにもましてやる気が無さそうな様子で歩いてくる水雨の腕を引き自分の寮部屋へと誘う。
水雨を連れ去る事はここ最近の、梓の日課と化していた。
部屋へと連れて行かれた水雨は、もう抵抗する事は諦めていた。
ほんの少しだけ赤味がかかった前髪をかきあげて、水雨は梓に問い掛ける。
「何だ?また悩み相談か?」
澄んだ碧眼にうっすらと浮かび上がる二文字の瞳が、梓を真っ直ぐに見つめた。しかし、澄んだ瞳は憤りを感じさせない。ただ真剣に、梓の瞳が揺らいでいる理由を探ろうとしている。
梓が切々と語りだすのは、木賊に言われた事だった。

「何の目的も無く数多の命を絶命へと追いやったのか……」
水雨は梓の話を聞いた後、どうしたものかと考えていた。
水雨自身は、魔物討伐などの任務に出る際、他の魔物を殺す事を良しとしない。任務を早く終わらせて日常に戻りたい、というのが一番大きいのだが、いちいち水雨は殺す事が嫌いだ。
目の前のものを殺した後の、言いようの無い一瞬のやるせなさ。
のた打ち回って絶命した魔物を見たときの、あの空虚。
血生臭い匂い、見返りの無さ、どこをとっても水雨は大嫌いだった。
任務の魔物を捕らえたとしても、水雨の場合は必ず殺さない。絶対に極限まで弱らせてから捕らえ、どんな危険な魔物でも依頼主に始末させる。
それは望んだものが殺せ、という圧倒的な正論と同時に、死に直面する事を極端に嫌う水雨の、丁度いい逃げ道となった。
全てから逃げた水雨に、解答権は無い。
しかし、水雨は言った。
「――――なら、この俺が暴走した時に、ためらい無く殺せるのか?」
通称世界一意地悪な男、水雨 風雅のためらい無い一言。
梓はあまりのショックに泣き出すのだった。
ショックは、驚きではない。大きすぎる、強大すぎる悲しみと怒り。
「風雅のバカ!バカバカバカ!死んじゃえばいいんだ!」
梓はあまりのショックからか理性を失い、水雨を押し倒しひたすら何度も後頭部を床に打ちつけた。
梓の本能的な攻撃は水雨から着実に力を奪っていった。水雨の意識が断絶しかける直前まで差し迫った時、梓はキッチンへと走っていった。
理由は、何よりも明確だった。
「やめろ、梓!一番大事にしなきゃいけないものだろうが!」
水雨は全力で立ち上がり、意識を術式で回復させ、キッチンへと駆けていった。
キッチンの奥では刃が擦れる音が聞こえた。その音が水雨の足を加速させる。キッチンへ入り込むと、包丁の刃を自分に向けている梓が立っていた。
瞳は涙を流し、口元は苦痛にゆがみ、包丁を構える両腕は震えている。
それでも、梓は両腕を引いた。
「うああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!」
幼い叫びと共に、キッチンに鮮血が零れ落ちた。

「―――――――う、ううぅぅぅぅ………」
惨状と化したキッチンで、一番最初に言葉を発したのは梓だった。
キッチンには鮮血が飛び散っている。当たり前だ。人体に包丁を突き立てれば当然の状況である。
「………?」
包丁を持つ両腕には、手ごたえがある。なのに、自分の体に痛みは無い。ついに状況判断能力が壊れ始めたのか、と梓は思ったが、すぐに状況判断は働いた。
水雨が、居たのだ。
両腕の包丁は、水雨の胸元に突き刺さっていたのだ。
状況判断が終わった梓は、またもショックを受けた。
今度は、自分への怒りを以って。
「あ、ああぁぁ……ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!」
水雨の身体が崩れ落ちる。まだ意識はあるが、大きな声を発する事が出来ない。水雨は必死に伝わる事を願って、梓の身体を抱き寄せた。
「……極端すぎるよ、お前……すぐに怒ってすぐに死んで……何の目的も無く殺しつづけてきたのは………………自分なんじゃ、無いか?」
泣いてばかりの梓だったが、こくっこくっ、と肯定しているのだけは首の動きで伝わっている。そんな梓の身体をもう一度抱きしめ、水雨は力強く言い放つ。
「俺は、…………死ぬつもりは、無い!」
水雨から溢れ出る異常なまでの血量、口からもとめどなく流れ出る鮮血、全てが梓の意識をパニックへ陥らせた。
ただ、梓は感じていた。
もし、死ぬのなら水雨と一緒がいい。と――――――。

無気力に、それでいてこの状況を悲しみながら――――――、水雨は保健室の白い天井を見上げていた。
結果的には、水雨は死ななかった。
梓が通報したのは凄く遅かったが、水雨自身が自分に掛けていた真空術式が身体を腐敗させなかった。結果、水雨は自分の死を自分の実力で回避したといえよう。
しかし、その状況をすぐには呑みこめない彼女は、水雨の看病を買って出る。
……結局は自分の幸福が狙いなのだが。
「はーいふうがぁ、あーんしてっ。」
「……怪我人をおちょくって随分と楽しそうだな。」
喜色満面、恐ろしいほどの猫なで声で水雨に接する梓の態度は、心の底から嬉しそうに見える。事実、梓は現在最高に嬉しかった。
生徒会の仕事は大事を取って休む事が出来、水雨と一日中触れ合う事が出来る。これ以上嬉しい事はない。
「こらっ、ふうがぁ!動いちゃだめ!」
体温計を水雨の脇に挟みながら、胸元の梓は水雨を叱る。
が、水雨はもうウンザリだと言った調子でゆっくりと首を振る。だが、梓の看病はまだまだ続いた。
「ふうがぁ、傷はしっかり暖めなきゃダメなんだって?何で教えてくれなかったの!」
水雨は首を横に振った。確かに医者にはそういわれたが、梓に言ったら何をしでかすか分からない。
しかし、気付いた梓は一瞬で行動に移る。
「動いちゃダメだよ、ふうが……。」
胸もとの傷に抱きついて、暖め始めるのだった。
「調子に乗るな!」
「あ、いたいなぁっ!うぅ……」
結局は、水雨自身に拒絶されるのがオチだと分かっていても。

水雨の復帰は、医者が言った通りすぐだった。
水雨が自分に高度治癒術式をかけつづけていたこと、さらに梓も治癒術式をかけることによって半永久的に治癒術式がかかっていた事もあり、人間にとって致命傷となるほどの傷は全治一日で完治した。
よって次の朝、二人は保健室から自分の寮室に戻った。
水雨の傷は完治し、また安穏が戻ったというのにもかかわらず梓の足取りは、いつにもまして重かった。
朝っぱらから任務には行かず、ただ同じところを何十分もかけて歩き回る。恋人を失った空虚感と何か良く分からない劣情とが、梓の足取りを重くさせていた。
周りの生徒が梓に向かって挨拶など何かしらの行動をする中、梓はその全てを無気力な頷きだけで返していた。
(何で、何であんな簡単な事に、あたしは気付けなかったんだろ……)
梓の脳内は猛烈な自己嫌悪で埋まっていた。水雨に傷を負わせてしまった事も勿論そうだが、特に普段から劣等感を覚える事無く生活していた梓にとって、今回感じた劣情は大げさなまでに心の弱い部分を抉っていたのだ。
そんな梓を見て一瞬で駆けつけてきたのは、
「おーい、おい?聞こえてるか、俺だよ龍馬!」
奇しくも、いや必然か。梓の心が抉られる要因となった木賊だった。
木賊に保護され生徒会室へと向かった梓は、生徒会室で木賊に全てを話した。
答えを得た事、それに伴って代償が発生した事、そしてその代償の原因は自分のせいである事、それで自分はこの状態である事……全てを話し尽くした。
そして全てを聞いた木賊は、梓にもう一度提案する。
「答えも得たんだ、いっちょやるか?」
模擬戦闘を、もう一度しようと。



模擬室に着いた梓は、病院のような真っ白い天井を目にしながら思った。
ここから、スタートなんだ、と。
何も描かれていない、と梓は心のどこかで思ったのだろう。ここから自分で描くんだ、と。
今思えば、木賊は全く意味の無い事を言っていたとも、梓は理解出来た。何も考えずに何かを殺せるほど、人間は強くも堅牢ではない。
全ては、自分と水雨を引き合わせて、あくまで自分に答えを見つけさせるためだったのだと。
そう梓が納得したところで、木賊が梓に声を掛けた。
「おーい、そろそろやるぞー。」
梓の視線の先では木賊が翡翠色のオーラを纏った剣を掲げて、梓に向けている。
しかし、その瞳はどこか優しさを帯びていて、前に模擬戦をやったときとは明らかに帯びるものが違った。
梓も大剣を構える。前に戦った時とは全く違う、中段に構えて。
木賊のほうからは、その構えが梓に芯が通っているような気を起こさせるのは偶然だろうか―――――――。
刹那、大きすぎる轟音が、模擬室に響いた。



Main episode 12 学生戦争

梓が答えを得て――――――。
木賊は寮室に戻って考え込んでいた。時刻は午後六時半と木賊にはまだまだ早い時間だったが、パートナーの冴為が夕食を作っている為、木賊は書斎にこもって一人考え事をしていた。
木賊は見てしまったのだ。梓をひたすらに護る、水雨の姿を。
梓は人当たりの良さに、基本的には誠実な人柄、みんなに分け隔てなく接するなど、同期にとどまらない人気者だ。
だが、人気者は人気の無いものに恨まれるのが普通。あまりの生活態度の悪さに浮華行きとなった者たちには凄まじいほどに恨まれていたのだ。
かつて、重圧から一人の生徒を梓が救った事があった。しかし、重圧は本校生徒や優秀性とに恨みたっぷりな浮華の者たちにとって、唯一のリベンジチャンスタイムなのだ。
重圧に乗じて功を立てれば、浮華から脱出が出来る―――――。そう考えるものたちの希望を、梓が一人で打ち砕いたのだ。
そんなもの希望でも何でもないだろう、というのが木賊の意見だったが、現に行動を起こされても手を下す事が出来ない。増してや、生徒会長ともなれば、他の生徒に観察されていてもおかしくないのだ。
そこで梓の身の危険をいち早く察知し、誰よりも護っているのが水雨だったのだ。
もはや血の気しかないとまで比喩される浮華の生徒は、有り余る技量を駆使してあらゆる方法で梓を殺そうとしていた。
スナイパーによる狙撃、ボウガンによる射殺、インビジによる透明化暗殺、術式を無効化する魔剣を作り出すものまでいた。
その全てを察知し、全てに警告し徐々に減らしていたのが水雨だったのだ。
それを夕凪に知らされた木賊は、水雨と話がしたかったのだが……。
だが、水雨が執拗に全ての攻撃を阻止し続けたからか、浮華の者たちが他校から戦力を集めているという噂が、木賊の耳に届いたのだ。
危険な状況だと思う反面、犯罪になるという秩序の鎖が、木賊を縛っていた。全校に警告も出来なければ、噂が本当ならば戦争クラスになりかねない。
木賊は焦燥を抱えながら、書斎で思いつめていた。
(噂によれば、決行は明日の午後6時半……とても俺一人じゃ捌ききれないぞ……)
木賊が上層部に連絡をとったところ、もし決行されるのなら国でも鎮圧に数十時間かかるというのだ、状況を収束させるためには気付いたものがやるしかない。
ただ、それだけ大きな戦争クラスの内乱が起きているのだと他国に知れれば、学生などが大量に死んでしまったところに、本物の軍隊が送られてきてしまうだろう。
木賊は、一人で、尚且つ1500を超える学生の大軍勢を、数分のうちに鎮圧しなければならなくなったのだ。
最悪の場合死も覚悟しなければならないこの状況を、木賊はどうすべきか考えていた。
(……大丈夫だ、みんな死なせはしないからな!)
この命に代えても、浦浪高校を護り抜く。
浦波高校史上最大の生徒会長といわれる由縁の、大きすぎる考えだった。

「水雨くーん♪遊ぼー!」
恐ろしいほどの猫なで声で水雨の下へと現れた梓は、水雨の右腕に身体をくっつけながらそうおねだりしていた。
普通の男子生徒なら悶絶しかねないほどの可愛さを水雨に放っている梓だが、水雨にはどうやら無効のようで、水雨は慣れたように梓をあしらう。
「遊んでいるような余裕は無い。そして俺は帰って勉強がしたいんだが。」
いつものように断られる梓の誘いだが、この程度でへこたれるような梓ではない。不屈という名のスキルで、水雨に追撃を開始する。
「嫌だなぁー……水雨くんと一緒にいたいのにぃ……くっついていこっかなー。」
「……頼む、それだけは勘弁してくれないか。」
しっかりとした物理の法則理論に、梓の宇宙語が混ざったらどうにかなってしまいそうだ、と危惧した水雨は勉強を捨てた。
やったー♪と純真な梓の笑顔を見る事が出来た水雨は、呆れと謎の感情が混ざったため息を吐いた。梓の笑顔に払った対価が一回の勉強なら、安い買い物だったかな。
水雨は一度寮部屋に戻り、私服に着替えながら時計を見る。時刻は午後五時五十五分。帰寮時間を九時と設定しておよそ三時間。たまには目いっぱい遊んでやるか、と水雨は市街部に向かう準備を整えた。
愛用の刀を護身用として携え、外に出る。
「水雨くーん!行こー♪」
心躍らせている様子の梓と手を繋ぎ、ほんの少しだけ口元を綻ばせて水雨は思った。
(不吉を予感しないで遊べるのは、最後か……?)
それがただ単に、自分が予感したくないだけだという事に気付かないまま。

市街部までは結構距離がある。平野部とは違って道の整備はされているものの、ほぼ平野と変わりないところをおよそ十分前後歩く必要があるのだ。
空間転移端末を使っての移動でも良かったのだが、梓が水雨と一緒に歩いて行きたいという要望を挙げたので、水雨は従った。
吹き抜ける風は東風だ。昔は東風が吹くと市街地の悪い空気が流れてくるというので忌み嫌われていたが、技術が進歩するにつれ悪い空気は流れなくなった。
しかし、水雨はほんの少しだけ気掛かりがあった。今月は十月、そろそろ偏西風のシーズンであるという事を。
確かテレビでも偏西風が吹き始めたと報道されていた気がする水雨、感じた事を顔に出さない事は得意のはずだが……。
「水雨くん、何か考えてる?」
梓にはあっさりと見破られてしまうのだった。
「いや、風の向きがおかしいと思って……」
風の向き?梓は訝しげな視線を水雨に送ったが、直後納得したように水雨をもう一度見上げた。
二人の疑問は、やがて風切りの刃によって確信にスライドする。
「!」
風がうねりを持って飛んできているのに気付いた水雨は、防御術式を張って刃を受け止めた。
術式同士が衝突した時に響く独特の音に気がついた梓は、護身用に持ってきていたくないを構える。水雨も刀を納刀したまま低く構え、風切りの刃が飛んできた方向を睨む。
風切りの刃……カマイタチは自然風によっても発生するが、こんなに緩やかな風が吹いている中でカマイタチが発生する事は無いだろう。
増してや、術式同士が衝突しているというのなら、自然風ではない。敵意を持った一撃だと言う事が理解出来る。
風切りの刃が飛んでくることは無かったが、梓はそれよりも早く確信を持った。
視えたのだ。透明化術式で透明化されている学生の軍勢が。
〈水雨くん、ちょっとごめんね。〉
「ん、ああ……?」
梓は水雨に抱きつき、忍術転移を使用した。音並みの速さで来た道を戻り、梓と水雨はもう一度浦波高校の東出口に降り立つ。
殺気立った学生の集団を見つけた、というのを梓が水雨に報告すると、水雨は思い当たったように顔をしかめた。
(噂だが……木賊会長が動いているあの噂が、本当だとするならば……!?)
水雨も、風の噂ではあったが、学生戦争の話は聞いていたのだ。決行時刻と、梓が抽象的にだが見た人数は不自然なほど合致している。
そしてその水雨の疑いを決定付ける理由が、目の前を駆け抜けた。
切羽詰った表情の木賊が、目の前の東出口を駆け抜けていったのだ。
「……梓、おでかけは中止だ。俺の部屋で遊ぼう。」
水雨は、決意した。梓を戦場に近づけてはならないと。そして同時に、夕凪も戦場に近づけてはならないと。
水雨はいち早く梓を自分の部屋で待機させ、夕凪を校舎内で探し回った。
「どこだ、どこにいる?夕凪!」
水雨は最悪の事態を避けるために東出口に駆けた。時刻は六時二七分。腕時計の針が進む度に焦燥が倍に膨れ上がる。
東出口に水雨が着くと、後ろから夕凪が駆け抜けていくのを感じた。
「……!?待てッ、夕凪!」
全力で夕凪の腕を掴み、走り抜ける。一瞬で逆側の南出口にたどり着き、近くにある寮の入り口のオートロックを通過する。
オートロックの扉が閉まって、水雨が一瞬の安堵に息を吐くと、静寂が訪れた。そしてしばらくすると、夕凪のすすり泣く声が寮のホールに響いた。
夕凪の泣く理由は、一つ。木賊を、会計として、後輩として、恋人として―――――止める事が出来なかった自分に対しての悔しさだろう。
水雨が夕凪に手を差し伸べると、夕凪は水雨の手を
叩き払った。
直後、夕凪は水雨に縋り、泣き叫んだ。
「何でっ!何でよ風雅!分かってたんでしょっ、全部!梓ちゃんつれてって助けてよ!」
ねぇ風雅!と水雨の身体を揺さぶる夕凪を、水雨は止める事ができなかった。
分かっていた。全部、分かっていた。梓に協力を仰げば、誰も殺されたり死んだりすること無く救えるのではないかとも思った。何度も思った。
だけど、水雨はしなかった。
「夜丘も寝音も、二人とも救ってやれるのはお前だけだろ?」
奇しくも梓も夕凪も、どちらも一人だった時に水雨が木賊に言われた言葉が、止めさせた。
初対面だったのに、バカみたいに信頼しきった笑顔で。水雨に木賊は言っていた。
「二人を、しっかり止めてくれ。」
水雨は夕凪の首元に手刀をしたかと思えば、すぐさま部屋に駆けていた。部屋の中では、武器を構えて出て行こうとする梓が立っていた。

水雨は玄関に夕凪を寝かせ、大剣を持って出て行こうとする梓の前に立ちはだかった。
敵としてではなく、梓を死なせはしないという思いを持った恋人として、だ。
「お前、分かっているんだろうな?」
憤りを声色に滲ませて、水雨は梓に言い放つ。
「当然だよ。なに、邪魔するの?」
梓は、水雨の殺してでも行かせない、という意志を感じ取ったのか、声色を敵意持ったものに変えた。
梓も、水雨も、互いに通さなければならない想いを持っているのだ。
「通すわけには行かない。俺は、まだお前を失うわけにはいかない!」
水雨の瞳が碧眼に色変わりする。水雨は死んででも梓を通すわけには行かなかった。
「水雨くん、気遣いは嬉しいけど……容赦しないから。邪魔するなら、殺す。」
梓も本気であるが故、非情な言葉を投げかける。梓は、夕凪の気持ちも、水雨の真意も分かっているからこそ、絶対に負けられないのだった。
二人は戦う。互いの想いを、願いをかなえるために。
だが、水雨は梓を何としても死なせるわけにはいかなかった。

汝 散リ逝ク定メ 凍テツキシ楔 ソレヲ疎メ

梓、すまない―――――――。
刹那、幾千にも及ぶ氷を纏った剣閃が梓を貫き、斬り裂いた。
「水雨、くん……?」
梓は期待を裏切られたかのような奥義の一撃を受け、鮮血を撒いて倒れこんだ。
直後、水雨に斬られた箇所が凍てつき、全身を言い表しようの無い痛みが梓を襲った。
「があぅッ!あァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッ!」
梓の絶叫が響き渡る。水雨は泣き出しそうになったが、目を背けて刀を納めた。

梓の絶叫が山を越えたところになって、水雨は泣きながら梓を治療した。
「あずさ!あずさ、あずさ!死なないでくれ、お願いだ死なないで、死なないで!」
自分の出来る限りの全力を尽くした兆速高度治癒術式を掛けつづけながら、水雨は泣いていた。虚ろに瞳を開いて血を噴出しつづける梓の顔に、涙をこぼして。
涙はとめどなく溢れてくる。けれど梓の元気は戻らない。水雨は魔道に治癒術式は意味をなさないと分かっていても、
梓を失いたくなかった。



梓がもし死んでしまったら、自分もきっと自殺するだろう。最近は毎日会いに来てくれる梓の表情を見るのが楽しみになっていたのに。
水雨くん、なにしてるの? 水雨くーん!遊ぼうよー!
水雨くんに勉強教えてもらえたらなー。 水雨くん、今日遊ぼうよ!
おかえり!水雨くん! 水雨くん、無理しちゃダメだよ?
ねぇ水雨くん、ベッドインしちゃう? 水雨くん……ありがと。
水雨くん!ぎゅーっとして! 水雨くんって、ロリコン?
水雨くん、こっちこっち! 水雨くん…………っ、何でもないよーだ!

水雨くん…………だいすき。
今までの思い出とか、色んなものがどんどん出てきて。後に悔やむ事なんて、出来なくて。
ただ、失いたくなくて。
梓を失ったら、生きる希望を見失ってしまいそうだ。
いつの間にか忌み嫌っていた相手が、一番大切になっていたなんて――――――。

「絶対に、死なせないからな!」
水雨の想いは――――――――――――届いた。
「う…………水雨、くん……」
こぼし続けていた涙を、流さないでと止める小さな手。あどけなくも強さを持った瞳。純真で純粋な意思。透き通った声色。
全てが、水雨を安堵させた。
水雨の右腕につけられた腕時計が、午後八時を差した。
奇しくも同時に、雨が上がった。
学生戦争収束の時と、同時に――――。



梓をおぶって、水雨は雨上がりの東出口へと向かった。
意識を回復させたらきっと錯乱してしまうであろう夕凪は部屋に残し、戦乱の声が聞こえないのを確認して東出口を開け放つ。
するとそこには、

二千人を超える学生の山の上に座ったまま、絶命した木賊の姿があった。

「そんなぁ……会長ーーーーーーー!」
梓の叫びも空しく、木賊は帰らぬ人となった。
ただ、木賊の掲げた右手から零れ落ちたものがあった。水雨は駆けより、それを受け止める。
それは、小さいペンダントだった。写真が入っているタイプの、小さな首掛け型。
中の写真は、見なかった。水雨はそのままズボンのポケットにペンダントを突っ込み、その場を去る。
優しく雄大な男の、壮絶で悲しい最期を見届けて。

自分の寮部屋に戻った水雨は、目を覚ましていた夕凪に無言でぺンダントを差し出した。
「う……わたし、に……?」
泣きつかれてしまった様子の夕凪に、水雨は何も言わずにペンダントを渡す。直後、写真を見たのであろう夕凪は、もう一度静かに泣いた。

木賊と夕凪の二人で撮った、最初で最後の笑顔が入っていた。


零は、驚愕した。
話自体にも、増してやそこまでの大事になったのにもかかわらずその事実を完全に抹消した国にも、そしてその完全なる隠蔽に気付いた自分自身にも。
そこで、話は一旦終わりを迎える。それが隠蔽工作の余波だというなら、誰もが納得するだろうか。
学園祭の二日目は、中止にはならなかった。ただ、規模は当初予定していたものとは大きく縮小されたものになった。
それが護るために払う対価だといえるのなら、零はきっと不服だろう。



Comical scene XI 猶予という日常

零は、考えていた。
学校校舎内の一角、リフレッシュルームの片隅で、外をぼんやりと眺めながら。
学園祭が終了し、再び無味乾燥な更地と化した校庭を見ていると、どこか考え込みたくなるのは分からない気もしないのだが、零は今そういう思考回路で考え込んでいるのではない。
零は、いま自分が置かれている状況について、一旦考えてみる事にしたのだった。
柚未は零が一人で考えたいのだと悟り、梓を誘って任務に出かけた。学園祭終了後の三日間は生徒安息期間となり、全生徒が自由になるのだった。
生徒会も活動を休止し、水雨は水雨でやる事があると言っていたので、零の周りの人物は現在、近くにはいない。
だがそれは零にとっても好都合だった。この状況を受け容れている柚未に、この状況に幸せすら感じている水雨と梓。増してやその幸せを見つめることに腐心している夕凪など、この状況に対して悪い印象を持っている者は零以外には居ない。
零はその状況には嘆息しないが、今の国としての外交姿勢などを見ていると頭が痛くなってくる。
(いつからだろう……ここまで考え込むようになったのは。)
零はこの状況こそが、自分の人格にまで影響を及ぼしている事を悟った。始めは生き抜くため、という目的だけで満足していたのに。いつからかちゃんとした芯の通った目的が無いと生きていけなくなってしまった。
零は密かに思う。昔の自分が今の自分を見たら、鼻で笑って銃を向けてくるのではないかと。
想いを感じ、そして揺らぎ、鈍り……ハッキリ言って、この数ヶ月で得たものといえば生き抜くことに対して言えばマイナスなモノばかりだ。
けれど、失ったものがあるなら、対価として得たものもある。愛する心、護りたい願い、笑う余裕……全てが今の状況にはそぐわなくても、人間味には溢れているだろう。
それが嬉しいのかは、零のみぞ知る事なのだが。
零は一度息を吐く。ただ、自分の小さな手が、華奢な手が、自分の心を象徴しているように見えた。
日常にも疑問をもち始めて、だんだん自分で自分の首を絞めているような―――――。
「……悩むのは、やめだな。帰ってきた柚未に何かしてやれる事を―――――」
零は顔を上げる。自分の寮部屋へと戻るために。
希望へと、戻るために。



リフレッシュルームを、零が出て数十分。
一日の中で、ここに必ず現れる男が今日もやってきた。
「……毎回不思議に思うほど人気が無いな。」
リフレッシュルームのすばらしさを体現するこの男、水雨 風雅は寂しさを感じる反面まだこのリフレッシュルームが穴場であることに幸せも感じていた。
普段とは違い、外もまだ明るい内にリフレッシュルームに入ったのは水雨としても初めてだったが、こんなリフレッシュルームも悪くないとも思う今日この頃である。
しかし、水雨がリフレッシュルームに来たのは、この空間のすばらしさを延々と語るためにきたのではない。
今日の夜予定されている梓とのデートのため、水雨は外出許可証にサインするのともう一つ、何の気掛かりもなくデートに向かうためにやれる事はやっておこうと思ったのだ。
かすかに聞こえる程度の音楽が流れるこの部屋の中で、端末を指だけで操作しながら水雨は考える。
この前の戦場で柚未が見せた、もはや潜在能力とは言い難いほどの圧倒的な力。
時間は戦場最後の、零を救出すると柚未が言い始めた頃に遡る―――


「柚未だけは、絶対に近づけないで下さい。」
零にそう釘をさされていた水雨は、零を助けてくると言い出した柚未を、行かせるわけにはいかなかった。
しかし、当然の如くそんな水雨の突破を図った柚未は、水雨に向かって襲い掛かった――――――筈だった。
「絶対、通さん!」
水雨がこちらまで飛んできた柚未の刀を軽くいなし、がら空きになった柚未の背後からこう頭部を叩き――――。
そこで、水雨の視界は暗転した。

「風雅……ッ!?」
梓は、見た。
水雨を打ち倒し、尚且つ意識朦朧とする水雨に向かって固まった帰り血を吐いている、柚未の姿を。
柚未の姿は異形だった。身体中をどす黒いオーラが包み、普段とは打って変わった狂気を纏い、強い語気を狂いに塗りつぶす。
「なぁ、どう思う?どう思うよ、なぁッ!」
柚未は狂気を纏った声色で水雨を掴み上げ、不気味な高笑いを上げながら水雨の振るえる身体を所構わずいじりまわした。
「ん?どうした、声なんて上げちゃってさぁ!大本命の目の前だよ、目の前!」
耳を甘く噛み、首筋に舌を這わせ……欲望の黒に塗れた行動を柚未はとった。
当然、近くにいた梓が黙っていられるわけが無い。梓はすぐに止めにかかった。大剣を構えて飛び上がり、かつて無い叫び声を上げながら。
「風雅を放せェー!」
だがしかし、柚未は梓の一撃を軽くかわし、大剣を器用に手で捻じ曲げて梓の腕を絡ませた。
「あぐ……ッッ!」
「ん、自分から来てくれるなんて?気が利くじゃん大剣幼女!」
柚未は苦しむ梓に更なる苦しみを与えようと、水雨にしたような事をもう一度してみせる。
梓は相対する二つの感情に支配され、全身の筋肉が弛緩していくような感覚を感じた。
「う……ぁうん……ひあ……ぁ……っ……」
頬を上気させ、涙を浮かべ熱い息を吐く梓に、柚未は何かを感じたらしくゾクゾクと身体をくねらせた。
しかし、抵抗する力もなく成すがまま状態の梓に、満足こそしたが飽きたらしい柚未は水雨の下に梓を置き、零の下へ走っていった。

以上が、水雨と梓が身をもって体感した、柚未の闇の部分である。


水雨は、端末を操作しながら、あの時の柚未が引き起こした二重人格症状の原因を、冷静に考えていた。
一度梓と一緒に考えたのが、零と引き離そうとした場合の拒絶症状じゃないかという結論になった。だとするならば、零がもし人道を逸れた場合、柚未がそれを実現してしまうかもしれない。
いずれにせよ、柚未の性格には本人に非は無い問題があるな……と水雨は嘆息しかける。しかしながら、水雨にはもう一つ必ずクリアしなければならない課題があった。
国直属の、極秘秘密任務。一般には決して公開されない、国単位の極秘任務に、水雨は出撃命令が下っていた。
本来なら梓と二人で行く任務だったが、事態が事態であるのに更に、これは危険な極秘任務だ。水雨が梓に行かせたいはずが無かった。
「さて……、行くか。」
「どこに?風雅。」
背後から梓の声がした。身体をびくっと震わせ、水雨は振り返る。
すると、声の主の梓がやはり、さっきまで端末が置いてあった机に座っていた。
表情は、今にも泣き出しそうな、無理やり作っている微笑みで。水雨が梓に嘘をつくと、大抵この表情になる。水雨自身嘘が得意のハズなんだがな……嘆息する。
「嘘はやめてって、言ってるよね。たとえそれがどんなに良い嘘だったとしても。」
こうなった梓は、もう手におえない。水雨は素直に自白した。

「国直属の極秘任務?もう……また死にに行くの?」
梓はもう呆れかけていた。毎度の嘘つき水雨の無謀さに。いつの間にやら立場が逆転している気がするな、というのは水雨の心の声だ。
任務内容は、東西南の防衛ラインを既に敵国に突破された占領地を、奪い返せというもの。この占領地が突破されれば世界の均衡が崩れる可能性があり、第四次世界大戦を引き起こす引き金となる可能性があるとまで言われたのだ。
梓も水雨も、世界大戦については何も危惧していない。だが、国直属の任務書には、予想戦力の欄に恐ろしい兵器の数が記されていた。
敵兵 三万
強化兵 三千
遠隔射撃型アーマー 二百八十
援護射撃 七十
ここから先も続いていくのだが、もう前半だけでこの任務の危険度は分かる。とても一人で遂行できるような任務ではない。
普通の任務なら、ほとんど四人任務の危険度なのだが、極秘であるがために戦場投入できる学生は全校合わせて十人だというのだ。
しかし、こんな無茶振りをされるという事は、決まっている。梓は水雨にため息をつくように言った。
「……重圧、だね。」
「……ああ。どうにかしなければな。」
国からの極秘任務は断る事が出来ない、さらに水雨と梓という実力者を排除する事によって、重圧の発動を阻止させられないようにする。
全ては、零と柚未を潰すためだろう。
流転光明の生徒でありながら絶対聖義並みの働きをし、あわよくば生徒会と共に遠征、生還。更に生徒会のお目付け役としても活躍してしまっている二人に、反感の眼差しは多かった。
しかし、今までは全て二人の同級生が零と柚未の敵を排除してくれていた。重圧消滅単位を稼ぐため、と言ってしまえばそれはそうだが、その二人が居ないとなるとこちらとしては何か策を練らなければならないというのが、生徒会役員と会長としての心境だ。
「とりあえず、報告はしなきゃね。」
「目付け役は……夕凪にでも頼むか。」
水雨は簡単に端末を操作し、メッセージを作成する。
やがて二人の下へとメッセージが送信されたのを確認すると、端末の電源を落として二人は歩き出した。互いの未来を、護るために。

True will 1

True will 1

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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