菜の国

菜の国

《目次》

第一章 真の神祭の姫
(一)千八百年前の人霊さん
(二)神祭と金印
(三)志賀島神社急襲
(四)偽の神祭の姫

第二章 邪馬台国
(一)邪馬台国誕生
(二)一大卒長官
(三)技術大国
(四)阿曇族と珥族の海人達

d第三章 倭国大乱
(一)奴国滅亡
(二)鳶の目、その一
(三)鳶の目、その二
(四)二つ目の金印
(五)九鬼と卑弥呼

第四章 大和国
(一)山門国の誕生
(二)出雲国攻撃

第五章 菜の国
(一)糸島半島
(二)筑紫平野
(三)ニライカナイ

《あとがき》

《参考資料》

※登場人物の説明と用語解説は毎頁ごとの最後に記載します。

第一章 真の神祭の姫

(一)千八百年前の人霊さん

秋も深まり、あたりはそろそろ盛りを過ぎかかったモミジや楓の紅葉ばかりだったが、それでも、美しく青空に映える朝だった。
ここ犬山神社(※1)の境内は、物音一つしなくて、空気が凜と張りつめていた。
乾いた空気を引き裂くように、突如、「パン・パン・パン」と拍手(※2)が響き渡った。
「天地根元」(※3)と高らかに声がして、少し間を置いて、「パン ・パン・パン」と、また同じ様に拍手が響いた。
次には、「天地大元」(※4) 又、少し間を置いて同じ様に「パン・パン・パン」と三拍手、次に「宇宙大元」(※5)又、間を置いて三拍手が鳴り渡った。
平成9年11月10日のことだった。真(まこと)の神の存在を信じる神業人達(※6)、10人は壊れかけた拝殿の古ぼけた筵(むしろ)の上に座 って、人霊(※7)で「ヤチヂ」(※ア)と名乗る婆さんの話を静かに固唾をのんで聴いていた。
この神人10人の内で、ヤチヂ婆さんの声が聴こえたり姿が見えたりするのは、たった一人、24才になる女性だけだったが、彼女が取り継ぐという形で、この婆さんの言葉を皆に伝えていた。
ある者は、その話を一生懸命に手帳に書き取り、又、ある者はテープに録音したり、写真に撮ったりしていた。

「私は、あなた方の時間で言うと、今から約千八百年前に、人として生きていた者です。
私は見ての通りと言っても、チキ(※イ)!あなたにしか見えないかもしれませんが、白い貫頭衣(※8)に、赤い細帯をした姿です。髮は藁(わら)で束ねただけで、それも半分以上は白髪まじりです。
私が国替(※9)になった時の60才の姿のままです。この服装は、皆には判らないでしょうが、生口(※10)、つまり奴隷の姿です。あの頃は、一目で奴隷と分かるように、こんな着物を着せられていたのです。
私は大神の大命を受けて、この世に生宮(※11)、つまり人間として、肉体をもたせていただいて生まれたのは、九州北部の糸島半島(※12)北西部の芥屋(けや)という貧しい村でした。
神縁深い芥屋大門(※13)という聖地が近くの海岸に、大きな岩山となってそびえ立つその麓でした。
姉の名はフク(※ウ)と言って、伊都国(※14)の祭事を執り行う真の神祭の姫(※15)でした。
以前は、斯馬国(※16)という国名で伊都国とは別の国でしたが、隣国だった伊都国がこの聖地と領土を欲しがって、武力をもって 乗つ取ってしまい、伊都国に含まれてしまいました。
神祭の姫フク姉もやむを得ず、今は伊都国の神祭の姫となってしまいました。」
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(登場人物の説明)
※ア)ヤチヂ…………千八百年前の老婆の人霊さん、伊都国の神祭の姫フクの妹、本当はやんごとなき大神様の妻神様、
※イ)チキ…………大昔の真の神祭の姫の名前
※ウ)フク…………伊都国の真の神祭の姫でヤチヂの姉

《用語解説》
※1)犬山神社(いぬやまじんじゃ)…………鳥取県智頭郡用瀬町にある神社の名前〔かむなから神業報告書より〕
※2)拍手(かしわで)…………手をうちならすこと、はくしゅと同義〔広辞苑より〕
※3)天地根元(てんちこんげん)…………かむなから神業での一番目の祝詞(のりと)〔かむなから神業報告書より〕
※4)天地大元(てんちたいげん)…………かむなから神業での二番目の祝詞〔かむなから神業報告書より〕
※5)宇宙大元(うちゅうたいげん)…………かむなから神業での三番目の祝詞〔かむなから神業報告書より〕
※6)神業人(しんぎょうじん)…………ここでは神祭をして廻る人のこと〔かむなから神業報告書より〕
※7)人霊(じんれい)…………死んだ人の霊〔かむなから神業報告書より〕
※8)貫頭衣(かんとうい)…………衣服の原始的な形の一種、一枚の布に頭を通す穴を開けただけの袖のないもの〔広辞苑より〕
※9)国替(くにがえ)…………死ぬこと、神界では魂が肉体から離れて人の世界から他の世界に行くので、国を替えると表現する〔かむなから神業報告書より〕
※10)生口(せいこう)…………奴隷のこと〔倭の女王国を推理するより〕
※11)生宮(いきみや)…………人間のこと、神が宿る肉体〔かむなから神業報告書より〕
※12)糸島半島(いとしまはんとう)…………福岡市西部の西区と糸島市にわたってある半島のこと〔マックマップルより〕
※13)芥屋大門(けやのおおと)…………糸島半島の北西端にある洞窟、高さ64mの柱状節理の玄武岩で出来た岩にある洞窟〔マックマップルより〕
※14)伊都国(いとこく)…………弥生時代に福岡県糸島市にあった小国〔広辞苑より〕
※15)神祭の姫(しんさいのひめ)…………巫女(みこ)と同義、神に仕え神事、祈祷を行い、又は神意を伺い神託を告げる者〔広辞苑より〕
※16)斯馬国(しまこく)…………弥生時代に福岡県糸島市にあった小国、伊都国の北にあった〔倭の女王国を推理するより〕
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ヤチヂ婆さんの話は続いた。

「霊力(※17)が強かったフク姉は、伊都国だけでなく、近隣諸族のほとんどの神事も委されていました。
フク姉の下には妹の私と、私と同い歳の伊都国国王タカミムスビ(※エ)の娘ヒミ(※オ)とが共に助祭神(※18)として仕えていました。
フク姉の次の祭神の姫の座を二人で争っていたのです。」

「もしや、ヒミとは卑弥呼(※19)のことではあるませんか?」

と実直そうな中年の神人が訪ねた。

「そう……後では、そんな名で呼ばれていましたね。」

「では、ヤチヂ様は卑弥呼をご存知なにですね。?」

と又、彼が尋ねた。

「知っているどころではありません。ある時は、伴に神に仕え、神祭の姫と呼ばれるようになる為に、互いに霊力を研き合いました。
そして、私は、ある事件で覚えの無い罪を着せられて、奴隷の身分まで落とされて、邪馬台国(※20)に連れていかれ、重労働をさせられ、ヒミのお蔭で兵士の目を盗んで逃げ出しました。それは卑弥呼が失踪する前のことでした。そして、この村まで逃げて来て、村人に捕らえられましたが、この村の長が匿ってくれていたのに、卑弥呼を捜しに来た兵士に見つかり、その場で斬り殺されてしまいました。
私は大神から命じられた使命を果たすことが出来ず、神界に戻ることも叶わず、貴方がたに逢える日を首を長くして待っておりました」

「卑弥呼が失踪したとは、どういうことですか?」

「卑弥呼の死は誰も見ていません。ある争乱の夜に四人の助祭神や侍女達と伴に、忽然と姿を消してしまったのです。」

「では、墓は?」

「ありません。争乱があって、墓を造る人手も富も時間もありませんでした。
倭国(※21)の民には、墓は邪馬台国々内に造ったと、一大卒(※22)だったツキヨミ(※カ)が嘘の話を流したのです。最初は必死になって卑弥呼を捜しましたが、発見出来ずに困ったツキヨミは卑弥呼が急死したことにして、自分が邪馬台国の王になろうとしたのですが、倭国内の各地で争乱が起こり、最後には、仕方なく、霊力の強かった壱与(※23)を、神祭の姫にして、そのまま女王に立てて、どうにか倭国内を治めたのです。
私は、あなた達を待っている長い間、この犬山神社から、あの忌まわしい北斗八星を見せられて、怖いと怯えながら震えていました。」

「北斗八星?……北斗七星ではないのですか?」

「いいえ、あなた達には見えないかもしれませんが、四番目の星、
鉈(なた)の要に当たる所には、その星の奥に、こちらからは見えませんが、もう一星あるのです。それで八星が本当なのです。」

「北斗七星、いや八星は鉈ですか?柄杓(ひしゃく)ではないのですか?」

神人の一人が 尋ねた。
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《登場人物の説明》

※エ)タカミムスビ…………伊都国王
※オ)ヒミ…………伊都国王タカミムスビの娘、後の偽の神祭の姫、邪馬台国女王となった卑弥呼の幼名
※カ)ツキヨミ…………伊都国王の二男、ヒミの弟で邪馬台国の統率者
後の三代目の伊都国王、二代目の一大卒長官

(用語解説)

※17)霊力(れいりょく)…………不思議な力、精神の力〔広辞苑より〕
※18)助祭神(じょさいしん)…………神祭の姫を補佐する巫女のこと〔かむなから神業報告書より〕
※19)卑弥呼(ひみこ)…………二世紀半ば頃の邪馬台国の女王〔広辞苑より〕
※20)邪馬台国(やまたいこく)…………二世紀半ばから三世紀前半の頃、
倭国連合を支配していた最も強大な国、女王卑弥呼が支配していた〔広辞苑より〕
※21)倭国(わこく)…………漢代以来、中国から日本を言った総称、邪馬台国の食国〔広辞苑より〕
※22)一大卒(いちだいそつ)…………弥生時代、倭国内諸国を検察した役所のこと〔倭の女王国を推理するより〕
※23)い壱与(いちよ)…………邪馬台国の卑弥呼の次の女王で巫女でもあった〔倭の女王国を推理するより〕
※24)北斗七星(ほくとひちせい)…………北天の大熊座にある七ツ星〔広辞苑より〕
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「偽神達が生宮には柄杓と嘘を教えましたが、本当は鉈の型出しです。私の出生の神界で言うと四番目、天地大元界の人祖(※25)達の首を斬った鉈なのです。この話をすると長くなるので、今は止めておきますが、少しずつ神業の過程で明かされて行くでしょう。いずれにしても、私をはじめ、人祖達はあの北斗八星の鉈を、何処に居ても、いつも見せられて、又、斬るぞ!と脅されているようで、充分な神としての働きが出来ないのです。」

「ヤチヂ様は当然、邪馬台国のあった場所をご存知ですね!」

と中年の神人が尋ねた。

「勿論、知っています。ここから、そんなに遠くではありませんよ。私が歩いて逃げてこれたのですから。」

先程の中年の神人が手帳に簡単な日本地図を関西から以南だけ書いて差し出した。
ゆっくりと、チキと呼ばれた取り継ぎ役の女性はヤチヂ様の手となって、その地図の、ある場所を指差した。

「この場所は、今は、まだ、知られていないから、安心ですが、世に知られると、すぐに暴かれてしまう。皆も知らぬことにしておいて下さい。卑弥呼は偽の神祭の姫だったのです。大神が認めた神祭の姫ではありませんでした。大神に背いた偽神達の取り継ぎを行い、人心を乱したのだから、邪馬台国は、大神によって隠されたのです。
邪馬台国の本当の姿が、この世に現れると、又、偽神達が蠢きだすので困るのです。」

「真の神祭の姫となるはずだったヤチヂ様の人生はどんなだったのですか?」

「私が生宮、つまり人間であった60年間は、実に波乱万丈でした。この話は一日では終わらない、奴国や伊都国等の倭国連合と邪馬台国に関わる話となるので聴きたければ、機会を見つけて、少しずつ話してやることにしましょう、…………ああ、そうですね、この神人の中に、一人だけ、この話を聴くのに一番ふさわしい神縁の深い者がいます。その神人の夢枕にでも立って話すことにでもしましょうか……。なあ~、奴国(※26)の末裔(※27)よ!」

「エーッ!奴国…………?あの『漢委奴国王』(※28)の金印にある奴国ですか?」

「そうです。九州博多の奴国、…………つまり五島殿!五島朱鳥殿(※キ)!あなたです。貴方が奴国の末裔で、一番『聖骨』(※29)に近い者ですよ。」

「私?私ですか? 私の夢枕に立って…………これから教えて下さるのですか?」

五島はとても驚いた。しばらく何も言えずにいた。神人達はザワついていた。又、ヤチヂ様の声がした。

「貴方達神人に、一つ教えておきましょう。神に対する挨拶は、もう皆さんは知っていますから良いのですが、人霊に対する挨拶は別に有ります。それを教えておきましょう。
いいですか、始めに二礼三拍手一礼(※30)は同じですが、その後に次の言葉を言ってあげて下さい。それだけでいいですから。

『風よ、日よ、空よ、山よ、大地よ、海よ、めぐり会わせてくれたことを感謝します』

とね、この後は何もいりません。拍手も礼もいりません。覚えておいて下さい。今日はこれまで、又、次回に」
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《登場人物の説明》

※キ)五島朱鳥(ごとうあすか)…………神人達の一人、奴国の末裔でヤチヂ様から話を聴く役(主人公の一人)

(用語解説)

※25)人祖(じんそ)…………人の祖先、ここでは人を造った神様のことを言う。第四番目の神界の長神様〔かむなから神業報告書より〕
※26)奴国(なこく)…………弥生時代、福岡市(博多)にあった小国、漢より金印を与えられた国〔広辞苑より〕
※27)末裔(まつえい)…………血筋名籍を伝える何代か後の人、子孫〔広辞苑より〕
※28)漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)…………福岡市の志賀島から出土した金印に彫られた文字、後漢の光武帝が奴国王に与えたとされる〔広辞苑より〕
※29)聖骨(せいこつ)…………王となりうる候補者としての資格を有する者、主としては母系家族で言うが、ここでは正しい血筋の意味として使った〔倭の女王国を推理するより〕
※30)二礼三拍手一礼(にれいさんはくしゅいちれい)…………かむなから神業での真の神への挨拶の方法〔かむなから神業報告書より〕
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(二)神祭と金印

五島は鳥取神業から、昨夜遅く帰ってきた。今朝は、慣例となっている神業報告を、五島が自宅に祀っている二つの宮に一対の灯りを点けて、報告を始めた。
まず、守護之宮(※31)に二礼三拍手一礼し、神業の成果を告げた。
次に、人祖之宮(※32)に二礼三拍手一礼して報告しようとしたとたん、頭の中にフッと声が聴こえてきた。

「これからは、いつも手もとに何か書き取るものを置いておきなさい。聴こえてきたことを必ず書き留めること、神様は二度と同じことはおっしゃらないから…………いいですね。
あなたは犬山神社でヤチヂ様から指名されたのですから、ヤチヂ様の話を正確に記録して、神人のみんなに伝えなければなりませんよ!
あなたはまだ知らないかもしれませんが、ヤチヂ様は、ただの年老いた婆さんの人霊さんではありません。神界では、とんでもない、やんごとなき御方の妻神様で、人霊界にヘグレ(※33)られたお姿なのです。宜しいですか?私は家祖代表です。」

五島は腰を抜かさんばかりに驚いた。今までに五百回を越える神祭りの現場に立ち会ってきたが、これまでに一度として、神様の声はもちろんのこと、人霊さんからの声も聴いたことはなかった。
自分には霊感がないものと半分以上諦めていた。何時も取り継ぎ役の、チキとヤチヂ様に呼ばれた女性が、声も聴こえ、姿も見えることに少し羨ましく思っていたのでした。声は聴こえるというよりも、頭の中、心の中に自然と浮かび上がってくるという感じであった。

翌朝、まだ布団の中に入っている時、突然、通信が始まった。五島は慌てて寝床の中に腹ばいになり、枕元に用意していたノートとボールペンを引き寄せた。
「ヤチヂです。宜しいですか?」
「ハイ、けっこうです。用意しました。」
「私の生まれ育ったところは、前にも話しましたが、それは静かな美しい村でした。玄海灘の荒波を受けて、山の岩には、海に面して大きな洞穴が出来ていました。フク姉はいつも私達を伴って、芥屋大門と呼ばれる洞窟に、舟で海から入り、その中で、北に向かって真の神々に対して祭事を行い、神合わせ(※34)をしていました。祭りの時、供える物はとても質素な物で、全て私達の村で作ったり、畑で取れたものばかりでした。水と一対の灯り、塩と米にお酒、根、葉、実といった野菜類だけで、大事な祭りとフク姉が思った時は、五種類か八種類の豆を用意して供えました。確かに小豆と大豆だけは毎回、豆を供える時は必ず入れていましたね。
真ん中にフク姉が莚の上に座り、左側に私、右側にヒミが座って、祭事の先達(※35)はいつも私が努めました。
本当は、そのことが、ヒミは快く思っていなかった様です。」
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《用語解説》

※31)守護之宮(しゅごのみや)…………かむなからで地球管理神代表の地乃世界之大神と日本国の大国魂の末代日乃王天之大神。各家庭の御守護の神とそれぞれの夫婦神を祀る宮のこと〔かむなから神業報告書より〕
※32)人祖之宮(じんそのみや)…………神や人を創った人祖之神や各家庭の源流と家祖や水子等を祀る宮〔かむなから神業報告書より〕
※33)ヘグレ…………ここでは神が姿等を変えて下層の神界にまぎれこむことを言う〔かむなから神業報告書より〕
※34)神合わせ(かみあわせ)…………神と交信を持つ為、瞑想すること〔かむなから神業報告書より〕
※35)先達(せんだつ)…………ここでは祭り等を先導する役のこと〔かむなから神業報告書より〕
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「この頃の国々の状況は、伊都国王は、隣国の奴国をいつか機会があれば、乗っ取ろうと考えていました。伊都国王タカミムスビ(※ク)は、何度もフク姉を使って、神意伺いをさせ、自国に有利な神託(※36)を得ようとしましたが、都合の良い神託は降りず、いつも機嫌悪くしていました。
タカミムスビ王の長男でヒミの兄でもあるウシ(※ケ)は、父王の気持ちを知っていて、色々と計画を立てて、隙あらば、いつか、何らかの口実を作って、フク姉を失脚させて、妹のヒミを新しい神祭の姫にすることを企てていました。その為には当然、私、ヤチヂも邪魔者だったのです。
私とフク姉の両親は、父は伊都国に滅ぼされた、斯馬国の王の弟で、母は博多湾の入口にある志賀島の阿曇族(※37)の娘でした。
志賀島は奴国領で、志賀海神社という祠があり、海の守り神である綿津見之大神(※38)を祀る、大事な聖地でした。
奴国では、毎年正月の十五日に、この志賀海神社で近隣の部族達を集めて、守り神である綿津見之大神に奉げる舞能をする祭事を執り行っていたのでした。
この時ばかりは、奴国の王族は勿論のこと、伊都国をはじめ、近隣全ての部族が招待され、参列するのが慣わしとなっていました。
祭事を執り行うのは、フク姉と決まっていて、私もヒミも、その補佐の為、参列しました。
奴国王タイフ(※コ)は誇らしげに、祖父王が手に入れた、この国しか持っていない、大帝国漢に認められた証である『漢委奴国王』と刻まれた金印を神前に奉納する儀式を慣習として行うことを、王族伴々楽しんでいました。奴国が、このあたりでは、一番の国であり、代表する国であると誇示することが出来たのです。
そこに参列していて、いつも悔しい思いをしていたのは、伊都国の王族達でした。何時の日にか、必ず、あの金印を奪ってこの慣わしを止めさせてみせると常に思っていました。
しかし、伊都国としては、自国が正面に立って……、事を起こすことは近隣諸国の反感を受ける可能性がある為、実行に移すことが出来ず、他の部族をそそのかして事を起こさせて、漁夫の利を得ようと企てていました。
この頃の伊都国は千余戸程で人口も、男性、子供、老人、女性を合わせても、三千人余りの小国でしたが、兵士の数は多い方で、外国との交易の窓口として、その手間賃等を得ている国でした。
一方奴国は、南北に広い領土を有し、二万余戸あり、人口も六万人を越す大国でしたが、多くの民は農業と製造業に従事し、その割からすると兵士の数は多くなく、タイフ王は武力よりも富の力を信じる王でした。
奴国の位置から見て伊都国と反対隣の右側にある不彌国(※39)も千余戸程で三千人余りの人口でした。この部族は人口の三割に当たる男達が兵士で、戦いによっての略奪で部族の生計をたてているような、とても危険な一族でした。この地域の争いにはいつも彼等が加わっていたのでした。今日はここまでにしておきましょう。」

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《登場人物の説明》

※ク)タカミムスビ…………伊都国国王
※ケ)ウシ…………伊都国国王の長男、二代目伊都国国王で初代一大卒長官
※コ)タイフ…………奴国国王


(用語解説)

※36)神託(しんたく)…………神のお告げ、託宣〔広辞苑より〕
※37)阿曇族(あずみぞく)…………中国長江下流域から出てきた海人族で、弥生時代は奴国の海運の全てを任されていた部族〔倭の女王国を推理するより〕
※38)綿津見之大神(わたつみのおおかみ)…………海を守る阿曇族の海人達の氏神〔海の神々より〕
※39)不彌国(ふやこく)…………弥生時代、福岡県福津市近辺にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
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翌朝でした。

「目が覚めましたか?ヤチヂです。 始めていいですか?」
五島は布団の中で目をこすってボールペンを握った。

「玄海灘に面した博多湾を守る兵士のように正面の海の中にある志賀島の一月は、いつも北西の風が強く、この綿津見之大神への祭りの日も、やはり風が強くて、寒い日でした。
時折、小雪も舞っていましたが、積る程ではありませんでした。この時代の、私達神祭の姫の姿は、白い絹の長めの貫頭衣に幅広の紫の長帯をして、下まで届く程にたらしていて、別の白い絹衣を頭からたらし、その衣を頭に錦糸の紐で結んでいました。それでも、とても寒さを感じる日でした。当時の奴国は、このあたりの海を治める阿曇族と、とても友好な関係で、一つ海を隔てた一大国(※40)とも親交が深く、反対に伊都国は、一大国よりも、もっと北に海を一つ越えたところにある対馬国(※41)の部族の和珥族(※42)と友好関係にありました。
伊都国の王子ウシは密かに、奴国の東隣にある不彌国の長や和珥族達と、ある計画を企て、奴国を襲撃して金印を奪おうと思っていたのです。ウシは志賀海神社の祭事の日の夜が全員酒に酔っているから好機だと伝え、その夜中に奇襲することを話し合いました。
対馬国の和珥族は、舟で北から上陸して攻め、不彌国は東南の海の中道から攻め上がり、挟み撃ちにする作戦で、伊都国は祭りに参加しているので、襲撃が起きたら、その隙を突いて金印を奪うという計画を立てたのでした。

志賀海神社の境内では、恒例である男舞が行われていました。
舞うのは奴国王の二男クカミ(※サ)が毎年努めていたのですが、その舞は、それは凛々しい動きと、美男で気品のある立ち姿はとても優雅なものでした。女性達はみんな見とれ、男達も嫉妬混じりのため息をもらしていました。
「ヤンヤ、ヤンヤ」の喝采を浴びて、舞が終ると、いよいよ祭りの最後の儀式が始められようとしていました。
祭壇の最前列には、中央に神祭の姫であるフク姉が座り、左右に私とヒミが並んで座り、その後には、真ん中に奴国王タイフ(※シ)が、その両隣にはずらりと息子達と親族が並び、その後方に伊都国王タカミムスビと、その子や親族、その他の部族と続いて居並んで祭事を見守っていました。

この頃は、まだ国としてのまとまりがなく、部族ごとの集合体みたいなもので、各部族はそれぞれ独特な容姿をしていました。ある部族は、獣の皮や鳥の羽根で飾り、鹿の角などを頭に付けたり、全身にベンガラ(※43)や炭で模様を描いたり、顔や体に刺青を入れたりして、一見して、どこの部族であるか判るようにしていました。
この祭事の主催者であり、金印の所有者である奴国は、米等の穀物や、ガラス玉や勾玉、青銅器等の製作が盛んで、この富みをもとに、少しずつ領土や勢力を拡大していました。
今日この祭りに参列していないのは、近隣では、対馬国と不彌国だけでした。明らかに奴国に反感を抱いていたのです。」

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《登場人物の説明》

※サ)クカミ…………奴国王の二男、ヒミの恋人
※シ)タイフ…………奴国国王


(用語解説)

※40)一大国(いちだいこく)…………弥生時代長崎県壱岐の島にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
※41)対馬国(ついまこく)…………弥生時代長崎県対馬にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
※42)和珥族(わにぞく)…………紀元2世紀初頭、渤海と黄海の部族で王氏を中心として生まれた海人族〔倭の女王国を推理するより〕
※43)ベンガラ…………帯黄赤色の顔料、成分は酸化鉄、紅殻〔広辞苑より〕
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「ずらりと居並ぶ諸部族の長達を前にして、奴国王タイフは上機嫌でした。
この祭りに参加すると、必ず帰りに手土産が渡されました。それは、当時、富みの象徴とされていた銅鏡(※44)や、銅戈(※45)、銅矛(※46)等でした。又、ガラス玉等の装飾品や絹衣等もありました。部族の中で、これ等を多く持つことが権力の象徴となっていました。

五島には、気付かないままに、ヤチヂ様の声と伴に、映像が見えていました。
夕陽が西の玄界島の左端に沈み始めた頃、この日の祭りは終りました。境内とその周りには、明々と松明(たいまつ)が焚かれ、沢山の酒や、山海の珍味が出され、あちらこちらで直会(※47)が始まりました。各部族はそれぞれの各地域の特産品を神々への供え物として持参して来ていたので、とても豊かな直会の宴となっていました。
時がたつにつれて、いたる所で、唄や踊りが始まり、ついには警護の兵士達までもが加わり、宴は続きました。これはウシが企んで、兵士達に酒を振る舞っていたのでした。北斗八星が妖しい瞬きをする頃には、皆んな酔いつぶれて寝込んでいました。
やがて、志賀海神社は、静寂の闇に包まれました。
その頃、北の海から、数隻の小舟に乗った多数の兵士が、島の北にある舞能ノ浜に近づいていました。いつもこの近くの赤瀬の岩で夜を過ごしている、四、五羽の海鵜(うみう)が

「キ、キ、キー!!」

と驚きの鳴き声をあげて、バタバタバタと飛び立って行きました。
すぐ近くの赤瀬の上の、島の斜面の隠れ小屋で一組の男女が寝入っていました。ヒミとクカミが密会の最中だったのです。
クカミは18才、ヒミはまだ13才でした。海鵜の鳴き声と飛び立つ羽音に気付いたクカミは海の方を見ました。
海岸に一つ、二つと灯りがつくのが見えました。目を凝らして見ていると、多数の武装した兵士が、舟から降りてくるのが見えました。
すぐにクカミは奇襲と気付きました。

「ヒミ !起きなさい!大変だ!」

と、クカミは急いでヒミをお越しました。

「どうしたんですか?」

ヒミは寝ぼけ顔で起き上がりました。

「和珥族の奇襲みたいです。早く皆に知らせなければ」

と、説明もそこそこにクカミはヒミの手を取ると、暗闇の中を志賀海神社へと走り出しました。

この頃の志賀海神社は、今の島の南東部ではなく、北部の山の上にありました。勝馬という所です。
志賀海神社に駆け込んだクカミとヒミは、皆を起こして回りました。クカミは父王タイフと兄カノウザキ(※ス)、弟のイワレ(※セ)を起こして事の次第を話しました。ヒミは、フク姉と私達女性を起こして回りました。

「イワレ!皆の者を起こせ!」

と、タイフ王は命令すると、クカミに言いました。

「クカミ!そなたは姫達を連れて、西の海岸に降り、阿曇の舟で能古島へ避難しろ!」

と、命じ、最後にカノウザキに言いました。

「そなたは、すぐ神殿に行き、金印を守って逃げなさい。」

「父上はいかがなさるんですか? 私と一緒にすぐ逃げて下さい。」
と、カノウザキが頼みましたが、タイフ王は耳をかさずに、

「私は奴国王だ!私のことは心配するな、イワレとここで戦う」

と言うと、剣を引き抜き、起きた兵士を連れて、イワレと伴に神殿の北へ向かいました。

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《登場人物の説明》

※ス)カノウザキ…………奴国王の長男、二代目奴国国王
※セ)イワレ…………奴国王の三男、大和国を建国する王、後の神武天皇


(用語解説)

※44)銅鏡(どうきょう)…………弥生時代、銅で造った円形の鏡のこと〔古代九州より〕
※45)銅戈(どうか)…………弥生時代、槍先をオノのようにして使った銅製武器〔古代九州より〕
※46)銅矛(どうほこ)…………弥生時代、銅で造った矛で、武器以外に、祭器としても造られた〔古代九州より〕
※47)直会(なおらい)…………神事が終わった後、神酒や供え物をおろしていただく酒宴〔広辞苑より〕

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クカミはフク姉とヒミと私達女性を連れて、西に向かい山を下りました。すぐ浜辺で待機していた阿曇族の舟へ乗り込みました。
その頃、カノウザキは神殿で金印を袋に入れ、懐にしまうと、やはり西へ向かいました。
途中でウシが後を追って来ていることに気が付きました。とっさに岩陰に身を潜めて、ウシを遣り過ごすと、南へ逃げました。
カノウザキは逃げる途中で、このあたりで一番大きな松ノ木の北側の根元に金印を袋から取りだし、別の持っていた布切れに包んで埋めました。そして金印を入れていた袋には、そこに落ちていた小石を入れて、懐にしまい、南西の今の弘漁港の方へと山を下ったのです。

戦いは奇襲を受けたこともあって、多くの犠牲者を出しましたが、明け方には奴国軍の勝利に終り、対馬国の和珥軍は全滅しました。
奇襲を受けた時刻は、丁度、満潮時に当たり、しかも大潮だったこともあり、南東側の海の中道と志賀島との間は陸続きなってなくて、舟が無くては渡れない状態になっていたのです。三国間の密約で、大きな勘違いがあったのです。和珥族は対馬の海しか知らず、又、不彌国や伊都国は、陸のことしか知らなかった為に、対馬と志賀島との間に経度(※48)の差があり、潮の満ち引きに大きな時間の差があることに誰も気付かなかったのでした。
この頃は博多湾内も外海も奴国領で 、奴国兵と阿曇族の舟がいっぱいで、不彌国は舟を出すことすら出来ませんでした。だから不彌国兵は、一人も戦いに加わることが出来なかったのです。
結局、奇襲作戦は失敗に終りましたが、この事件は奴国にとって大きな損害を与えることになりました。
祭事に招待していた諸部族達の中にも多くの犠牲者が出て、奴国に対して倍賞を要求する部族も出てきたりしました。
それだけでなく、奴国王のタイフが、戦闘中に流れ矢に当たり、深手を負ってしまい、生死の境をさ迷うことになっていました。
映像が消えてヤチヂ様の声がしました。

「ではまた次回を楽しみにしておいて下さい。」

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《用語解説》

※48)経度(けいど)…………地球上の位置を表す座標、子午線を基点として、東西それぞれに百八十度に測定る、東経西経〔広辞苑より〕

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(四)偽の神祭の姫

「起きましたか? 始めますよ!」
今度はいきなり映像が始まりました。時々ヤチヂ様の説明も入りました。

奴国の王タイフは、志賀海神社の戦いから七日後にこの世を去りました。長男のカノウザキが跡を継ぎ、死去した父王の墓を造るように、三男のイワレに命じました。
場所は奴国の筑紫平野の中南部にある小高い丘と決めて、 そこに埋葬しました。
二男のクカミには志賀島から那の津方面の北部の警護に当たらせました。
カノウザキ新王は、フク姉に極秘に会い、金印の隠し場所を教えていました。金印は神に捧げるもの、神祭の姫に預けるのが一番安全だとカノウザキ王は考えたのでした。
金印の在りかを知ったフク姉は密かに私に命じました。

「ヤチヂ、貴女は私の跡を継ぐ者だから、金印を掘り出して、自分で思う所に隠し直しなさい。このことは誰にも知られてはなりません、いいですか! ヒミにも絶対に話してはいけません。貴女が、神祭の姫として、皆んなに認められるまでは、どんなことがあっても金印を隠し続けなさい。私はこの先、あまり長くこの世に残れないと神様から神託が下っています。でずから、もうすぐ、貴女が志賀海神社の祭礼を取り行わなければならなくなるでしょう。金印がなければ、祭礼は成り立ちません。成り立らなければこの倭国に大乱が起こりますし、奴国も滅亡することになるでしょう。」

「 つまり、後に発見された、あの志賀島南岸のあの場所に、私が金印を隠したのです。千六百年後に阿曇族の末裔の甚兵衛(※49)が偶然にも掘り出すことになるとは判らなかったのです。」

と、ヤチヂ様の説明が入りました。

「神にも間違いはあります。完全な神などおりません。」

伊都国にも世代の交代がありました。伊都国王タカミムスビは鹿狩りの途中に川原川の上流で落馬して、大腿骨を骨折し、三日三晩、高熱を出して、あっけなく亡くなりました。
瑞梅寺川と雷山川に挟まれた伊都平野の真ん中に墓を造り遺体を埋葬し、長男のウシが王位を継いだのでず。
このウシという男は、性格が荒く、策士で凶暴で冷酷な人間でした。以前から、いつか奴国を自分のものにしようと機会を伺っていました。
前から、密かに凶暴な部隊を養成していました。牛の角を頭につけさせて、恐ろしい姿をさせた兵士達を時々、脊振山を迂回させて、奴国の西南側の村々に奇襲をかけては村人を皆殺しにするという非道を繰り返していました。
奴国の南隣の鬼奴国(※50)や姐奴国(※51)の村々を荒らし、奴国の仕業に見せ掛けたりしたこともありました。
人々はこの一団のことを『ウシどん』と言って、恐れおののきました。襲われた村人は全員、首を切られて、一ケ所に積み上げられたりして、村人を恐がらせるという悪行をしていました。
ヤチヂ様の説明が入ってきた。

「神界でも、『赤目牛』(※52)集団と言われて嫌われる悪神がいました。赤目牛は荒吐族(※53)をはじめ、多くの日本原住民を苦しめ、その血を青い血に替えました。これが生宮の世にそのまま反映されて型出しとなったのが『ウシどん』だったのです。今でも牛頸(うしくび)という地名が筑紫平野の南西部に残っているでしょう。あそこが村人の首を積み上げた場所の跡なのです。また『ウシどん』という巨人伝説が話しの形を変えて、筑紫地方に今も語り継がれていますね、それも、このことです。」

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《用語解説》

※49)甚兵士衛(じんべい)………… 天明4年(1784)2月23日、福岡市志賀島の叶崎の田で金印を堀当てた百姓の名前、本当は彼の小作の秀治、喜平の二人が発見したという説もある〔金印偽造事件より〕
※50)鬼奴国(きなこく)…………弥生時代、佐賀県吉野ケ里地区にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
※51)姐奴国(せなこく)…………弥生時代、佐賀県三根町地区にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
※52)赤目牛(あかめうし)…………大昔、津軽地方の荒吐一族を攻めて、右脳を差し出すか、あるいは全滅を選ぶかと脅し、右脳を取って青い血を入れた悪神の一団、南米大陸より来襲した〔かむなから神業報告書より〕
※53)荒吐族(あらはばきぞく)…………東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)に出てくる津軽地方の一族、特異な神を信じる部族〔日本超古代史の謎より〕
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「ある夏の初め、梅雨の終りを告げる雷が南の山で鳴りました。その翌日は良く晴れていました。朝フク姉は私を呼んで言いました。」

ヤチヂ様の説明が入った映像に変わりました。

「ヤチヂ、今朝のお告げを書き取っておきましたので、これを今からウシ王様に届けて下さい。」

と、木簡(※54)を衣に包んで渡されました。

「ハイ、主祭神様、すぐお届けします。」

私は木簡の包みを胸に抱いて、私達が住居としていた芥屋大門に渡る船着き場の近くの床高式建屋(※55)を出ました。
目の前の桟橋で、二、三人の男の子達が魚釣りをしていました。
竹竿に細めの絹糸を結び、小動物の骨を結んで作った、少し太めの針を付け、烏賊(いか)の切り身を餌さにして投げ込んでいました。竿が曲がって何か丸い魚を釣り上げたのを目にした私は、

「何が釣れましたか?」

と、子供達に声をかけました。

「駄目なんだ!こんな食べられない魚しか釣れないんだ」

と、口をとがらせて、今釣れた、薄黄色に黒い斑点のある、まんまるにふくれあがった魚をポイッと近くの岩の上に投げ捨てました。
その途端に上空で輪を描いていた鳶(とんび)が、急降下して魚を取りに降りて来ました。近くにいた烏(からす)も負けずに飛んで来ましたが、鳶も烏も寸前で反転して飛び去っていきました。この魚が食べられない事を鳥でも知っていたのでした。

私は昼が過ぎた頃に、木簡をウシ王に届けて、やっと戻って来ました。ふと、あの魚が気になって、岩の上を探して見ましたが、見当たりませんでした。子供達に聞いてみました。

「さっきの魚は海に戻してやったの?」

「ウ、ウウン!知らないおじさんが持って行ったよ・・ ・・」

私は鳥も食べない魚をどうしたのか?と、少し不審に思いましたが、急に空腹を覚えて、家の方へ帰ろうとした時、家から、二、三人の使用人が、慌てふためいて飛び出して来ました。
私の姿を見つけると、急いで駆け寄って来ました。

「ヤチヂ様!大変です!」

「どうかしましたか?」

「主祭神様とヒミ様が倒れられました。」

「何があったのですか?」

私は急いで家に入りながら問いかけました。

「昼食を食べられてから様子がおかしくなり、倒れられたのです。」

中に入ると フク姉は倒れていて、ヒミは食べたものを全部戻してむせっていました。私は気を失っているフク姉を抱き起こして、体をゆすって気を付かせようとしました。
やっと、フク姉は目をあけて、小さい声で、

「早く胆礬(※56)をヒミに・・・私は・・・もう・・駄目です・・
ヒミを・・・・土に埋めて・・・や・つ・て・・・・・」

と、言い残して私の胸の中で息を引き取りました。」

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《用語解説》

※54)木簡(もっかん)…………木札に文字を書き記したもの、横に並べて紐でしばり文書にしたりした〔広辞苑より〕
※55)高床式建屋(たかとこしきたてや)…………木柱を建てて床を地上から高くに造った建屋で、倉庫等、水害から守る為の構造を持った建屋、住居と離れた所に建てて、火事からも守った〔邪馬台国紀行より〕
※56)胆礬(たんばん)…………硫酸銅からなる鉱物、漢方薬として毒消しとしてもちいた〔広辞苑より〕
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「話を聞いて、伊都国の役人や薬医(※57)達が、駆けつけて来ました。薬医に私はフク姉が言い残したことを伝えました。薬医はヒミに青色の粉薬を飲ませると、役人達に命じて畑に穴を掘らせて、ヒミを首まで埋めて、一昼夜、そのままにしておきました。私はフク姉のそばに居たかったのですが、ヒミの苦しむ様を見て、ずっとヒミに付き添って汗を拭いてやったりして、看病しました。ヒミはどうにか一命をとりとめました。原因究明が役人達の手で行われ、その結果、昼食の中に、何か毒が入っていて、その中毒が原因であると判明しました。
10人程いた下働きの使用人達が調べられ、料理場から河豚(ふぐ)の皮が見つかり、それを調理したとして一人の和珥族出身の男が、子供達の証言等で捕まりました。
拷問にかけられたその男は、拾った河豚の毒をフク姉とヒミの昼食に入れたことを認め、フク姉の方に多く毒を入れたことまで白状しました。
その上、ヤチヂに命じられてのことと、有らぬ嘘までつきました。私はすぐに捕らえられて投獄されました。
私は命じた覚えがないし、姉を殺すようなことはしないと抵抗しましたが、私一人だけ問題の昼食を食べていなかったと判り、どんなに弁解しても聞き入れてもらえませんでした。
ウシ王が、仕組んだ事だったのですから、弁解は通用しませんでした。
こうしてウシ王は妹を神祭の姫とする為に、真の神祭の姫であった、フク姉を毒殺し、その罪を妹の私ヤチヂにきせるという企みに、成功したのでした。
私は罪を白状しなかった為に、拷問にかけられ、尖った木材の上に正座している両足に大きな石を乗せられました。
それでも認めなかった為、両足が折れて歩くことが出来ない体になり、そのまま投獄され、死罪を言い渡されてしまいました。
それから二年ぐらい過ぎた頃、やっと、杖をついて歩けるようになったら、突然、船に乗せられて、邪馬台国へ連れて行かれ、奴隷として働かされることになりました。
ヒミが私の霊能力を知っていて、その力を自分も利用したいと考え、ウシ王に頼んで私を死罪から救ってくれたのでした。
ウシ王は、ヒミを次の神祭の姫とすることを諸部族へ公知しましたが、神託を得ていないとして誰も認めませんでした。ウシ王はそのことを無視してヒミを神祭の姫として祭事をさせました。
こうしてヒミは偽の神祭の姫となって行ったのです。この時ヒミは、まだ14才でした。
本当の神託は、以前、フク姉によって、私が真の神祭の姫となることが決められていたのですが、このことはウシ王は知らず、ヒミは知っていましたが、ウシ王に本当の事が言えず、神祭の姫となることを拒否できなかったのです。」

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《用語解説》

※57)薬医(やくい)…………医者のこと、古い言葉〔広辞苑より〕
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「ヒミはフク姉の真似をして芥屋大門で祭事を行いましたが、本当の神託を受けることが出来ず、全て、曲津神(※58)、つまり偽神の神託しか出て来ませんでした。変てこなお告げばかりでそれを聞いた諸部族の長達は疑心暗鬼に陥り、そのこと等から諸部族間で小競り合いがあり、争い事が絶え間なく起こり、今にも大戦争が起こりそうになっていたのでした。
ウシ王は、各部族に伝令を送り、部族会議を開くことを伝えましたが、どの部族も集まろうとはしませんでした。
そんなある日のこと、突然、ある龍神(※59)が尻尾(しっぽ)を大きく振ったのでした。
ああ、この表現では判らないでしょう。つまり大地震が起こったのです。今で言うと、震度七以上でした。
村々の建物はほとんど倒れ、その後、大津波が何度も玄海灘に面した海岸に押し寄せ、多くの家や舟、人々を海に引きずり込みました。それは恐ろしいことでした。
ウシ王はカノウザキ王に頼み込んで、各部族の被害を奴国の富みで救済してもらうことにしました。
これは神の神託だとカノウザキ王をはじめ各部族達に嘘をついたのでした。
このことがあって、やっと部族会議を開くことが出来ました。今度は全部族から代表者が参加しました。ウシ王が立ち上がり口を開きました。

「各部族の長達よ!今回の奴国からの食料等の援助は、ヒミが受けた神託をカノウザキ王が聞き入れてくれたから出来たことだ。これから先も皆で助け合っていくように神託が降りている。皆で集まって一つの集団となって、お互い争いをなくして、神の意志に従って行こうではないか。どうだろう?」

「わし等は賛成だ!それはいいことだ!」

と、小部族の長達は口々に言いました。二、三の大きな部族は、お互いに様子を見合っていました。
一つの大きな国となるとすると、いったい誰が、その国の長、つまり国王となるのか? それによって大きく部族間の力関係が変わってくるからでした。
しばらくの間、沈黙が続きました。小部族から、

「王は奴国のカノウザキ王殿がふさわしい」

と意見が出されました。多くの部族から賛成と声が上がりました。カノウザキ王は、

「皆で大きな国を創ることはいいことと思うが、私はその王になれる器ではない」

と固辞しました。カノウザキ王は温和な男で、野望を持たず、神のお告げを信じる男でした。
ウシ王は、そのカノウザキ王の言葉を聞いて安心しました。カノウザキ王が大王となると、自分の出る場所がなくなると思っていたからでした。
会議は誰が大王になるかということで、各部族の利害が交叉して紛糾しました。最後にウシ王が言いました。

「また神の神託を受けて決めることとしよう。」

結局、神託を待って、再度会議を開くことになりました。
今日はこここまでにしておきます。」

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《用語解説》

※58)曲津神(まがつかみ)…………災害、 凶事 、汚穢(おわい)の神〔広辞苑より〕
※59)龍神(りゅうじん)…………唯一神根元様から数えて五番目の龍体神界(地球管理神界)の神の姿が龍体をしていることから、こう言う〔かむなから神業報告書より〕
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第二章 邪馬台国

(一)邪馬台国の誕生

ヤチヂ様からの通信がなくなって、もう10日にもなる。五島は少し焦っていた。何かヤチヂ様に対して、無礼なことをしたのではないか?怒らせてしまったのではないかと、内心怖がっていた。
思い悩んだ末に、自宅の人祖之宮に向かって、以前にヤチヂ様から教わった挨拶をやってみることにした。
二礼三拍手一礼して、

「風よ、日よ、空よ、山よ、大地よ、海よ、めぐりあわせてくれたことを感謝いたします。」

すると、すぐ声が響いて来た。

「朱鳥殿、それは失礼に当たりますよ!今の挨拶は、人霊に対する事です。この宮には私達家祖以外は、神様しかおられません、やり直してください。いいですね、貴方はヤチヂ様とお話がしたいのでしょう?ヤチヂ様は人霊姿でおられますが、本当は神様ですから、、、家祖代表」

五島はあわてて、二本の蝋燭を立てて火をつけた。
二礼三拍手一礼して、失礼を詫びて、ヤチヂ様への取り継ぎを御願いして、二礼三拍手一礼してしばらく待った。

「五島殿、ヤチヂです。貴方が毎朝眠そうでしたので貴方の気持ちが、しっかりと、私の話に向かえるまで、ちょっと待っていました。どもまで話しましたか? あっ、そうでした。部族会議からですね。」

ヤチヂ様の説明と同時に映像が始まりました。映像が始まりました。

神の神託が降りるはずもない事を知っているヒミはウシ王の作っ
た偽の神託を皆に告げました。

『ここに集まる部族達は全て倭国連合国の一員となること、その上位国、邪馬台国を創って、別の場所に建国し、倭国連合は、その食国(※60)として配下に入るものとする。各部族長はそのまま各領地を治め、この倭国連合の統治は神の神託によってなされ、邪馬台国の出先機関として、一大卒を置き、そこが執行することとする。邪馬台国には神託を受ける神祭の姫を置き、女王国とする。一大卒の設置場所や長官の任命は神託によって決めるものとする。』


この神託には誰も異論を出さず、そのかわりに 、新しい質問が出て来た。

「新しい国、邪馬台国は何処に創るのですか?」

「その国の兵士や住民はどうするのですか?」

と。
ヒミは答に困りましたが、

「新しい国の場所は、金印を奉納しないと 神様が教えてくださらない、カノウザキ王様、どうか金印を奉納して下さい。」

と、そつなく答えた。

「私は今は、金印をもっておりません。この間のここでの戦の後、フク主祭神殿に預けました。ヒミ殿は、フク主祭神様から受け取っておられないのですか?」

と、カノウザキ王は答え、結局、金印を探してから、このことは改めて神託を受けることとなりました。

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《用語解説》

※60)食国(おすくに)…………天皇の治める国のこと〔広辞苑より〕
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牢獄 にいた私はとてもひどく責められて、金印を隠しているのではないかと疑われ、出さないと、又、拷問するぞと脅かされました。
私は知らないと決して自白しませんでした。
とうとう諦めたウシ王とヒミは、又、偽の神託を作り出しました。
偽の神祭の姫には必ず、偽神が入り込んで偽の神託を出します。
この時は姫ではなくウシ王に取り付いて悪知恵をつけていたのです。お告げは、

『まず各部族から、各自がもっている今の兵士の半数を、生口も半数を邪馬台国へ差し出すこと、また、各部族民で新しい国、邪馬台国へ移りたい平民は誰でも参加していい、その場合は各部族長は、邪魔しないこと、それから、毎年、各部族で採れる食料や生産品の収益の半分を供出することとし、その取りまとめ役の一大卒は伊都国に置き、伊都国の王が長官を兼ねることとする。外国との交易も全て、この伊都国を窓口とする。又、一大卒長官の許可なくては何人といえども邪馬台国への入国を禁止するものとする。』

と、ヒミが皆に報告しました。
異議を申し立てる者は誰もおりませんでしたが、ただ一人、奴国王の三男イワレだけは、兄王や兄のクカミに

「これでは、伊都国王ウシの天下となって、奴国はいずれ滅亡する」

と、一生懸命に訴えましたが、二人は争うことを嫌って、イワレの言うことを聞こうとはしませんでした。

しばらくして、まだこのあたりに菜の花が咲きだす前に、ヒミから卑弥呼と名を改めて女王となった為の神祭の姫のもとに集められた兵士や平民、奴隷達を引き連れて、卑弥呼の補佐を命じられた、ウシ王とヒミの弟である、ツキヨミと一緒に偽神の導きに従って大移動をして行きました。

邪馬台国の場所は、魏志倭人伝(※61)で伝えられているのですが、皆があの書を読んでも、たどりつけないのは、書いた陳寿(※62)本人が、邪馬台国まで実際には行っていないからです。
当時は外国人だけでなく倭国人ですら誰も一大卒長官の許可がなくては邪馬台国には入れなかったのです。
陳寿は伊都国まで行ったかも知れませんが、彼はその先の行程を、行ったことがあるという者から聞き取って書いたのです。だから、話の聞き方次第で色々と変わってしまったのです。
あの頃は、一つの国から次の国へ行くのに、山があれば山を迂回して、河川あれば、浅瀬を探して上がり下がりしたために、国を出た方向と次国の所在地の方位が違ったりしていました。また、その頃は、部族間の言葉もまだ統一されてなく、聞くのにも、中国、韓国、倭国と少なくとも三ヶ国以上の通訳が必要だったりして間違いが多かったはずです。それに陳寿に話をした者が本当に邪馬台国に行ったことがあったのかは、はなはだ疑問が多いのです。陳寿は卑弥呼のことを、

「鬼道(※63)を事(こと)とし能(よ)く衆(しゅう)を惑(まど)わす」

と書いていますが、偽神達が真の神達のことを生宮に、怖い恐い鬼だと偽って教えたので、神とt通信する技(わざ)を鬼道と言ったのです。

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《用語解説》

※61)魏志倭人伝(ぎしわじんでん)…………中国魏の史書、日本古代に関する最古の史料、陳寿書〔広辞苑より〕
※62)陳寿(ちんじゅ)…………紀元三世紀の魏の時代に魏志倭人伝を書いたとされる人物〔倭の女王国を推理するより〕
※63)鬼道(きどう)…………神界で大戦争があり、真の神々が、殆ど世に落ち、地に落ちた時から、生き残った悪神が、人間に真の神を怖い鬼だと嘘をついて騙した為、神との通信をすることをこういった〔かむなから神業報告書より〕
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(二)一大卒長官

「これからは、のう、五島殿、私の言葉から聞き取りするのではなく、あなた自身、時に応じて、その当時に時を遡って、実際の現場に出て見てもらおうと思いますが、どうですか?」

「エーッ!そんな事が出来るのですか?」

「神の私に出来ないことはありません。万能とまでは言いませんが、そのくらいの事は可能です。
私は時期が来れば…………この話しを、あなたに話し終えた時が、実はその時なのですが、人霊の姿を終えて、私の愛しい、赤座布団に座っておられる夫神のもとに帰ることになっているのです。
その神界は天地根元界、つまり万物の出来はじめのビッグバン(※65)が起こった時に無数の個が発生する、その個の素(もと) の一つとなる霊成型を創った神界なのです。
いつもあなた達神人が神業現場の接界(※66)で会っている神々は、龍体神界の神々と天地大元界の人祖之神々が多いはずですね。

恐れ多くも唯一無二(ゆいつむに)の大神様、絶対根元之大神(ぜったいこんげんのおおかみ)様が、気の遠くなるような、永い永い
間、

『唯一絶対』『無始無終』『全智全能』『完全無欠』

であらせられたのを自分で 破られて、『個の発生』を願われて、ちょっと動かれたことから、一番目と二番目、つまり初動、次動の動きと同時に歪(ゆがみ)が出来て、この初動、次動の絶対蔭根元界(ぜったいかげこんげんかい)から、絶対根元界、つまり、三動、四動、五動に移行してビッグバンが起こり、個の発生が顕現(けんげん)したのです。
これがこの世の創生でした。ちょっと難しかったですか?
なかなかに、神々の世は、四次元、五次元の世界ですから説明しにくいのですが、個の発生と同時に二つの相反する物を生み出すこととなりました。
『陰陽』『凸凹』とか、『善悪』等も全てそうです。
このことは後になって、ある時、あなた方の神業の途上で、生宮に対して、根元様が

『詫びて、詫びて、詫に徹(てつ)する』

と詫びられたでしょう。一度発生したものは、一方向に、それぞれの個の持つ性質のままに無数に別れていってしまったのです。
根元様の願いは

『珠玉(しゅぎょく)なる愛球(あいきゅう)チダマ』

つまり、地球に根元様の『虚(きょ)、実(じつ)』の働きを包含(ほうがん)した生宮が、

『歓喜(かんき)、弥栄(やえい)、清浄(せいじょう)』

と、その対局にある、

『悲哀(ひあい)、衰弱(すいじゃく)、不浄(ふじょう)』

とを偕伴(かいばん)して神々と生宮が『魂、物』として同化することなのです。また難解だったですネ?

つまり、生宮とは、『神が宿る肉体』ということです。

根元様から発生した神界で、相反する二つの派閥が、お互いに争いを起こし、その争いが、そのままに、その次の神界へと反映されて、降りて行き、人間の世界にまで降りて来て、神の写し世みたいに、この世に悪いことや争いが起こるのです。」

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《用語解説》

※65)ビッグバン…………宇宙のはじめに起こったと言われる大爆発、大爆発による高温高密度の状態から膨張して今日の宇宙が出来たとされる〔広辞苑より〕
※66)接界(せつかい)…………神様と人間が祭事などで接する所〔かむなから神業報告書より〕
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「始め根元様は生宮に魄(※67)という慾心のもとをお与えにならなかった、ところが、生宮は神々から守られたエデンの園に慣れきって、何の努力もしなく向上心を無くしてしまったのです。
これではいけない思われた根元様は、生宮と神とを結んでいた『天の糸』を切断されたのです。
そして、魄をお与えになったのですが、その慾心を曲津神が利用し、強くなりすぎた慾心が弱肉体強食優勝劣負(※68)を加速させてしまいました。
今は根元様は、ある大神に命じられて、その魄の微調整に当たらせておられますが、『天の糸切断』以来、人間は生宮ではなくなり、ただの肉体を持った動物と同じになってしまったのです。
今、あなた方神人はその糸を取り戻し、根元様の願いに、少しでも近づく為に苦しい神業をしているのでしょう。
このことはこれくらいにして、良いですか?これからは、あなたがその時代に行って、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて書き取りなさい。
それでは私はしばらくの間、出て来ませんよ、では。」


五島は昼の暖かい日差しを受けて、自宅の縁側で横になってうたた寝をしていた。
遠くから馬の蹄の音が近づいて来た。
気が付くと大きな河の土手の上で横になっていたのでした。
起き上がってみると、土手のすぐ下の道を一頭の馬が、小さな鎧と兜をつけて小槍を持った兵士を乗せて、目の前を走り抜けて行った。
良く見ると、近くの土手で老人が笊(ざる)を片手に、土筆(つくし)ん坊を、手にいっぱいに摘んでいるのに気が付いた。
五島は驚かれるのではないかと、おそるおそる近づいて行って声をかけてみた。

「あの-もし、ちょっと伺いたいのですが宜しいですか?」

「何んごとねー?」

老人は驚きもしないで振り返って五島の方を見た。

「さっきの兵士は、どこの国の兵士で、どこに行っているのですか?」

「知らんとねぇ? 倭国、いや伊都国兵たい。一大卒様から卑弥呼女王様への伝令たい。」

「いつもここを通るのですか?」

「あんたここん者とちがうちゃね!四、五日おきに走っとるったい。」

「どんな道順で行っているか知っていますか? どの国を通るのか?」

「ああ、伊都国を出て、ここ奴国を通り不彌国へ行っとるったい、その先はエーッと、、、、知らんたい! その後のことは聞いたことないもん、とにかく邪馬台国に行くったい。」

五島はこんな時代から博多弁を使っていたのかと思い、可笑しくて、クスッと笑った。
そして今の伝令を追ってみようと思った。そのとたん、五島は知らない国へ来ていた。誰かが小さな声で五島にささやいた。

「不彌国のはずれですよ。」

五島は瞬間移動をしていたのでした。
遠くから、あの兵士の乗った馬が走ってくる蹄の音が聞こえて来た。兵士はこの不彌国の村外れにある一軒の竪穴住居(※69)の前まで来ると馬を止めて降りた。
馬の手綱を横の木の枝に結ぶと、その小屋の中へ入っていった。
五島は外から小屋を見ているだけで、中の様子が手に取るように見えた。兵士は兜と鎧を脱ぎ捨てると、角の瓶(かめ)の水で、手足や顔を洗い、ドサッとゴザの上に座って、まだ若い女性の小間使いに何か言っていた。良く聞いてみると、

「ああ、馬に乗るのも疲れるワイ!寝る前に酒と飯をくれ!」

「ハイ、すぐお持ちします。」

と、小間使いは、酒や飯等の器の乗った板を差し出した。
兵士は器に4、5杯の酒をついで飲み干し、飯を一気にかきこむと、すぐに横になって寝入ってしまった。

五島は小間使いが出てくるのを待って、直接聞いてみた。

「すまないが、あの兵士は、いつもここに泊まるのかい?
いつまでここで寝ているの?」

と。

「はい、いつもです。ここに泊まって明日の朝には帰られます。」

「帰るの?ここから先には行かないのかい?」

「はい、もと来た道を戻られます。」

五島は驚いた。この伝令は偽者だったのだ。

「では、邪馬台国は、この先、どこら辺にあるのか知らないかい?」

「私は知りません。女王国には行ってはいけないことになっていますから、誰も知りませんよ。女王国に行くには一大卒長官様の許しがないと行くことが出来ません。」

「食糧や荷物等は、ここを通って送っているのではないのかい?」

「いいえ、ずーっと前に、女王様が大勢の人達とここを通って行かれてからは、一度も何も通って行ったことはありませんよ。」

ご五島は考えていた。
邪馬台国の場所は卑弥呼とウシ王が決めたはず。どこに建国したかは秘密にすることで倭国民に対して、神秘性と権力の集中を強めていたのだ。こうして一大卒長官ウシは倭国を自分の意のままに治めようとしていたのだった。

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《用語解説》

※67)魄(はく)…………たましい、この世にとどまるという陰の霊魂〔広辞苑より〕
※68)弱肉強食優勝劣負(じゃくにくきょうしょくゆうしょうれっぱい)…………弱い者が強い者の餌食となる意、弱者の上に強者が栄えること〔広辞苑より〕
※69)竪穴住居(たてあなじゅうきょ)…………地面を掘って床とし、その上に屋根をかけた半地下住居、縄文、弥生、古墳時代に多く造られた住居のこと〔広辞苑より〕
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(三)技術大国

五島は神人の仲間に入ってからも、趣味の魚釣りは止められなか った。皆からは、神人のくせに殺生(※70)をしてはいけないと苦言を言われていたものの、釣った魚は全て無駄にはせず、美味しく料理して食べているのだから、神様だって許してくれると密かに思っていた。
今朝は午前4時前に起きて、車を走らせて、一人で糸島半島東端にある唐泊(からどまり)の港に来ていた。
今の五島の懐具合では一番安上がりと思える釣行であった。
なにしろ、自宅から車で、早朝だと、一時間もかからない距離にあって、餌は小麦粉にカレー粉や味噌を少し入れて混ぜたダンゴでよく、撒き餌(まきえ)も麦粒を水でふやかし、糠(ぬか)を少し混ぜたもので良か ったし、竿やリールは昔から持っていたし、仕掛や浮(うき)を自分なりに工夫して手作りするのも楽しかった。
掬い網(すくいあみ)と生かし網や、クーラー等、重たい荷物を運ぶ、手押しの二輪車が必要だったが、それだけあれば、唐泊港の左側の長い堤防のテトラポットの中にある釣りポイントまで早目に行って場所取りするのに、とても楽であった。
このポイントで五島は過去に何度も大漁をした経験があった。
空が白み始める頃から、撒き餌を打ち出し、完全に陽が登る頃になって、撒き餌に集まりはじめたバリ(※71)、ところによってはアイゴという魚を釣り始めるのでした。
この魚は大きいのは30センチ近くにもなり、引くのが強くて、掛かるとすぐテトラポットの下に逃げ込もうとするのを、上手く浮かせて掬い網で取り込むのが楽しく、魚の口が小さい為に釣り針に合わせるのには技術と熟練を必要とした。
この魚は、背鰭(せびれ)や頭に毒針を持っていて、これに刺されると、とても痛く腫れ上がるので用心しなくてはならないし、魚臭がひどく、死んで時間がたつと、身にアンモニア臭が回り、食べられなくなるので、帰るまで生かし網に入れておく等、とてもややこしい魚ではあったが、上手く新鮮に持ち帰ると、生でアライ(※72)にしたり、魚の皮のぬめりをとってぶつ切りにして味噌汁に入れると、とても美味しい魚ではあった。
この日も朝5時から、午前中だけで10枚ほどのバリを釣り上げていた。
いつも午前中だけの釣行にしていたので、撒き餌で汚した釣り座のテトラポットをバケツで海水をすくって洗い、魚をクーラーの氷の中にしまい、散らかしていた道具を拾い集めて、一息入れようと冷やしておいたジュースを一気に飲み干した。

遠くの海上に目をやった瞬間、身体が大きくゆれるのを感じた。
いつの 間にか船に乗っていたのである。
一本マストには荒い太い糸で編まれた大きな帆が張られて、風をいっぱいに、受けていた。
船には多くの荷物と、全身に刺青をした男達が大勢乗っていた。
その内の何人かが船を操っていた。
五島を乗せている船は、みるみる内に、今、自分が魚釣りをしていた港から遠ざかっていった。
身体にあたってくる風や波しぶきはとても涼しく、気持ちが良かった。
船は北西の風を斜め後から受けて、東に玄海灘を渡っていた。

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《用語解説》

※70)殺生(せっしょう)…………生き物を殺すこと〔広辞苑より〕
※71)バリ…………別名藍子(あいご)ともいう、アイゴ科の、海産の硬骨魚、背鰭等に毒針を持つ、美味しい魚〔広辞苑より〕
※72)アライ…………魚の生身を冷水や氷で洗い縮ませた刺身〔広辞苑より〕
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右側に能古島(※73)が、左沖に玄海島(※74)、前方に志賀島が見えていた。
明らかにこの船は阿曇族のものであった。
能古島を通り過ぎると、真っ直ぐ志賀島へ向かって行った。
目の前には弘(ひろ)の漁村が見えた。弘の村には20軒程の高床式創庫群があり、那の津の奴国の創庫からここまで荷物を運んできたのであろう小型の舟が数隻泊められていて、島の中腹には、竪穴住居らしき建物が数10軒見えていた。
船が港に着くと、人々がまた荷物を積み込み 始めた。
そして、四人のまだ幼い少女達が、真っ白い服装のまま船に乗り込んで来た。
港では、その少女達を見送りに来た親達であろうか、一生懸命に手を振っていた。
中には涙を流している中年の女性達もいた。
五島は、横で荷物を整理していた青年に思い切って尋ねてみた。

「あの少女達はどこに行くのかね?」

「ああ、女王国へ行くんだ。女王様に仕える新しい助祭神達だよ。」

と、こともなげに、この青年は答えて、小さな荷物を角の方へ放り投げた。
三人の阿曇族の老人が渡しを上がって来て、大声で一人の船頭に話しかけた。

「われわれを藍の島(※75)迄乗せて行ってくれや!」

「わしは大島じゃ、宗像大島(※76)までじゃ!」

と、その内の一人は言った。

「ちょっと待ってくれや、役人様に尋ねてみるから!」

と、小さな鎧を身に着けた、一目で伊都国兵と判る、ちょと年とった兵士の元へ走って行って、何か話していたが、船頭はすぐに老人達の所へ戻って来て言った。

「藍の島と大島迄だったら、いいそうだよ。その先に行くことはならんとおっしゃっている。長官の許可がいることだからと、判ったかい。」

「ああ、良く判っているよ、じゃあ、頼むよ。」

と言って船に乗り込んで来た。五島は、この阿曇族の船が、邪馬台国の生活物質や食糧を運んでいるんだと思った。
それだけではなかった。一大卒の長官と卑弥呼女王との伝令も、この船を使っているのだと判った。
五島は、又、船頭に話しかけた。

「船は毎日出ているのかい?」

「いいや、毎日ではないよ。10日に一回ぐらいだけれど、多い時は一度に五隻位出ることもあるさ。特に秋の新しい米が出来る頃は荷物が多いんだ。」

「そんなに多いのかい? 女王国に運んでいるのだろう?女王国は何人ぐらいいるんだい? 兵士とか生口、民などは?」

「シッ!声が大きいよ。役人に聞かれると、まずいことになるよ。あまり女王国のことは話してはいけないんだからさ。あんた新顔だね。奴国人かい?」

「ああ、まあね、すまないね、ちょっとだけ教えてくれよ。」

五島は咄嗟に嘘をついた。

「兵士は一万人、生口は千人くらいと住民は三千人ぐらいと聞いているよ。」


気が付いた時には、五島は帰りの車を運転していた。我に返った
五島は、いつもだと海岸沿いに南下して今宿方面に帰るのだが、今日は、それをやめて、なんとなく遠回りをすることにした。

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《用語解説》

※73)能古島(のこのしま)…………博多湾の中央、志賀島と糸島半島の間にある島〔マックマップルより〕
※74)玄海島(げんかいじま)…………博多湾の入口沖、玄海灘にある島〔マックマップルより〕
※75)藍の島(あいのしま)…………相の島とも書く、玄海灘の福岡県古賀市神宮町沖にあり、江戸時代の朝鮮通信使の接待所が置かれた島〔マックマップル及び福岡、宗像糸島の歴史より〕
※76)宗像大島(むなかたおおしま)…………筑前大島とも言う、福岡県宗像市神湊(こうのみなと)沖にあり、宗像大社の中津宮がある島〔マックマップル及び福岡、宗像、糸島の歴史より〕
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少し魚のことが気になったが、十分に氷水の中に入れているので、少しぐらい時間がかかっても大丈夫と考えた。

今津から右に曲がって田尻を経由して志登(しど)の支石墓群跡にある駐車場に入って車を止めた。ドアを開けて外に出て深呼吸をした途端、五島は又、時間を遡っていた。

そして胸をドンと何かでつつかれた。

「おい! 長官様がお通りだ、そこの道端に座っていろ!」

と兵士に槍尻でつつかれたのだった。
鎧兜を着け、槍と剣を持った20人程の兵士が並んで歩いて来た。
その後に五頭の馬に乗った男達がつづき、真中の馬上の金色の鎧兜を着込み、熊の毛皮を上から着飾った男は、明らかに大将と判る様相をしていた。
五島はこの髭を生やした、厳(いか)つい男が一大卒長官のウシ王だと気がついた。
馬の後ろからは30名程の弓矢を持った兵士が続いて来た。
当時はこの近くまで船越湾から入江が入り込んでいて、たくさんの小舟が乗り入れていた。

「長官様、和珥族の長がやって来ました。」

と、前に居た兵士がウシ王のところに駆け寄って伝えた。
ウシ王は馬を止めて降りると、和珥族の男達を手招きして呼んだ。

「何か用かね? 長殿!」

「長官様に報告に来ました。また阿曇の船が私共、対馬の横の海を通って狗邪韓国(※77)から、帰るところを捕らえました。雇ったのは奴国王だと白状しましたので、そのことをお知らせしにやって来ました。」

と、和珥族の長は訴えた。

「分かった! よくやってくれた。後で褒美(ほうび)をとらそう。カノウザキめ! あれだけ伊都国以外から、外国へ船を出すなと、女王の厳命があるのに破るとは・・・けしからん奴だ。」

と、ウシ王は怒りをあらわにした。

五島の前を牛馬や奴隷達が荷物を押したり曳いたり、肩に担いだりして次から次へと、泊(とまり)の船着き場へとやって来ていた。
それぞれの荷物には「>゜)))彡」と、象形文字(※78)の魚の形に似た文字が大きく書かれている板が付けられていた。
五島は以前読んだ本のことを思い出した。確か、あのような字は、トヨクニ文字と史跡書の中に書いてあったこと、神代文字の一種であったと思い出していたが、何と読むかは判らなかった。
その字が書かれた板の付けられた荷物が圧倒的に多かった。中味は一目で穀物類と判る物や、青銅器が横からはみ出して見える物、五島も知っている有柄式磨製石剣(※79)が無造作に縄で束ねられたりもしていた。
壺形土器にはガラス玉やガラス管に糸を通して輪にした飾り物が入れられたりしていた。
五島は考えた。今迄自分が史蹟本から得ている限りの知識では、この荷物は伊都国で出来たものではなく、奴国製品ではないかと思えた。
だとすると、あの判読不明の文字は、奴国の「ナ」という意味ではないかと考えられた。
ただ、鉄製品は見当たらなかった。

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《用語解説》

※77)狗邪韓国(くやかんこく)…………朝鮮半島、洛東江支流の南岸に位置した国、紀元230~250年は倭国の一ヶ国であった〔倭の女王国を推理するより〕
※78)象形文字(しょうけいもじ)…………物の形を 抽象化し、文字化したもの、エジプト文字、漢字など、象形文字。〔広辞苑より〕
※79)有柄式磨整石剣(ゆうへいしきませいせつけん)…………朝鮮半島で銅剣を模倣して石を磨いて造られた、弥生時代は奴国の今山でも造られてた〔古代九州より〕
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気が付くと駐車していた自分の車の中にいた、久しぶりにヤチヂ様の声が聴こえて来た。

「五島殿が思った通りです。今の商品はほとんどが奴国で造ったものです。
この頃の奴国は、それは大変な技術大国でした。
銅戈、銅鏃(※80)、銅鏡、銅鐸(※81)、銅矛、銅鋤先(※82)等の銅製品を造る為の工房群、ガラス製品や勾玉(※83)を造ることや、衣類の生産等も、組織的労働集団を組んでいました。
この頃から奴国は『だんどり』の良さと、技術等の『すりあわせ』といったことをすでに行っていたのです。
弥生のこの時代から、日本はすでに日本人が誇る技術に対する素晴らしい智恵を持っていたのでした。
それ等の商品は、女王の命令で一大卒の管理のもとで、全て伊都国の泊を経由して舟越湾から交易品として、船積みされていました。
その船賃や、邪馬台国名義で商品に課した租税を使って伊都国は、軍事力の増強をしていったのです。
奴国の富みは近隣諸部族の羨望の的でした。
この頃の奴国はタイフ王亡き後、長男のカノウザキが王位を継ぎ、二男のクカミは奴国の北方向の志賀島をを中心に阿曇族と手を結んで護りを固めていました。
クカミは本来、やさしい性格の持ち主で争いごとを嫌い、平和を愛し、学問好きで技術者肌の人間でした。
それに比べて、三男のイワレは、南の護りを固める役で、勇敢で、頭が良く、用心深くもあり、策を労するのが上手で、人としても人情味があり、親兄弟を大事にする義理堅い好青年でした。

ある時、クカミが、一大卒の目を盗んで、阿曇族の船で、狗邪韓国へ渡り、蔚山(※84)の鉱山から鉄鉱石を大量に持ち帰ることに成功し、イワレと協力して、奴国南部の須玖(すく)の工房で、クカミが狗邪韓国で習得した技術で、鉄器の製造に成功しました。
この事は、しばらくの間、奴国内で極秘にされて、密かに大量の鉄の武器類が造られました。
蔚山からの鉄鉱石は阿曇族が密かに、とても苦労して、対馬の和珥族に見つからない様に奴国へ運んだのです。
五島殿が先程、伊都国で見たのは、偶然にも和珥族に見つけられた捕まった時のことでした。
しかし、あの時は和珥族はまだ鉄のことを知らずに、阿曇族は変な石を船に積んでいるなというぐらいにしか思っていなかったのです。
イワレはこの頃にはすでに、奴国の南隣国の鬼奴国の姫、チル(※ソ)を妻にもらっていました。
クカミとイワレはカノウザキ王の許可を得て、奴国は勿論のこと、鬼奴国全体の武器を鉄器に入れ替えてしまっていました。
一部は阿曇族の手にも渡りました。
ある時、鉄器製造の仕事に加わっていた村人を『ウシどん』が襲い、村人全滅を怖れた村の長から鉄器の秘密がもれることになり、やがて一大卒の耳に入り、カノウザキ王は一大卒長官ウシ王から追求されて、倭国の一員として、やむをえず、鉄器を倭国内、及び邪馬台国に渡すことになったのです。
この鉄器製造がやがて、奴国滅亡と大和朝廷の誕生へと歴史を変えて行くこととなるのです。
それではまた会いましょう。」

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《登場人物の説明》

※ソ)チル…………鬼奴国王の長女、イワレの妻、日の神の巫女。

《用語解説》

※80)銅鏃(どうぞく)…………青銅製の矢じり、主として弥生時代に使用された〔古代九州より〕
※81)銅鐸(どうたく)…………弥生時代の青銅器の一つ、釣鐘を偏平にした形をしている西日本で制作され祭器として用いた〔広辞苑より〕
※銅鋤先(どうすきさき)…………鋤の先端が青銅器、弥生時代に使われた〔広辞苑より〕
※勾玉(まがたま)…………古代の装身用の玉。ヒスイ、メノウ、碧玉、水晶等で造られた、縄文時代から古墳時代に至る〔広辞苑より〕
※蔚山(うるさん)…………韓国慶尚南道の都市、弥生時代ここの鉄鉱石を用いて、奴国が鉄器を造った〔広辞苑より〕
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(四) 阿曇族と和珥族の海人達

クカミは阿曇族と親しくて、鉄器を始め、奴国で出来る色々な製品や食糧を与えて便宜を計ってきました。
阿曇族は海産物を始め、遠方からの宝石の原石や蔚山の鉄鉱石等を奴国にもたらしました。
この二つの部族の結びつきはとても深く、伴に信仰する神が綿津見之大神ということもあり、とても永い間、交友関係を続けていたのです。
海での阿曇族の勢力範囲は、西は糸島半島の途中までで、別の海人族である和珥族と敵対し、東は本州の山口から隠岐の島を含む、山陰地方や瀬戸内海は全てで、紀伊半島一円まで広がりつつありました。
それに対して伊都国は一方では、奴国の縁を利用し阿曇族を使っていながら、又片一方では、和珥族の海人を使って交易をするといった二元外交をしていました。
和珥族は中国の勃海(ぼっかい)や黄海(こうかい)から出て来た部族が中心となって起こった海人族で、阿曇族が治めていた対馬国の南端の豆酘(つつ)に上陸し、勝手に村を作り、最後には対馬から阿曇族を追い出し、その後、一大国にも勢力を広げようとしていたのでした。
阿曇族は必死に抵抗して、どうにか一大国は死守していましたが、その西、糸島半島の船越湾をはじめ、佐賀、長崎の玄海灘から生月島、五島列島から南西諸島にいたる東支那海は、すでにこの和珥族の勢力範囲になっていたのです。
和珥族の信仰する神は、中国大陸から発生した媽祖(※84)神でしたから、そのことでも、阿曇族と相容れなかったのです。
当時はこの二つの海人達が、分かれて大海を支配し合っていたのです。
伊都国王ウシは新しく建国した邪馬台国の近くの海は阿曇族の支配下にあり、卑弥呼のたっての希望でもあった為、一大卒と邪馬台国との書簡のやりとりや連絡事項は、この阿曇族の船を使っていました。

女王国を神秘的にし、権力を一大卒に集中させる為、陸上を走る伝令まで仕組んで、倭国民の目をそらし、倭国民と、女王国の国民との接触を禁止したのでした。
連絡は邪馬台国の食国である倭国連合からの上納品を運ぶ船を利用していたのでした。
この連絡内容はクカミに筒抜けでした。
船は何日も走るので、ほとんどの伝令使達は酒と船酔いで寝て過ごしていた為、阿曇族の船頭によって、大事な木簡は全て写し取られて、クカミのもとに届けられていたのでした。
勿論、カノウザキ王にもクカミから、そのつど情報が伝えられていました。
又、クカミは、この船で邪馬台国内のお目付け役であるツキヨミの目を盗んで邪馬台国へ入り、密かに卑弥呼との逢瀬を幾度となく繰り返していました。

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《用語解説》

※84)媽祖(まそ)…………中国南部の沿海地域を中心に民間で信仰された女性神、航海安全や安産の神、元妃、天上聖母とも言われる〔広辞苑より〕
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イワレは鬼奴国の王の娘を妻としていました。この鬼奴国という国は、ずっと昔、中国徐州を出航した除市(※85)の率いる耳族(※86)の一部が、この地に住み着いて創った国で、この部族の他の者達は、全国に散って住み着き、遠く東には、富士山の麓まで行った一団もおりました。
この国の王には、息子が無く、娘ばかりでしたので、長女のチルを嫁としたイワレのことがとても気に入り、カノウザキ王にイワレを養子にしたいと申し出ていた程でした。
この 奴国の南部地区は、鬼奴国だけでなく、姐奴国、不呼国(※87)、鬼国(※88)等とも接し、都支国(※89)とも東南部で接していましたが、この都支国は、前王タイフの弟が治めていて親族関係にありました。
イワレは、鬼奴国を鉄器で武装させ、その他のこの地区の国々とも、この鉄器や奴国の物資の取引で友好な関係を結び、すでにこの一帯を支配下に置くようになっていました。

「フッ」と五島はわれに返った。自宅のいつも清書する時に使っている机に向かって座っていた。急いで今、頭の中に見えた状況や話を書き留めていきました。
以前の船の中でも、伊都国の泊でも、今の時も、確かに、千八百年前の時代にワープしていたのですが、自分の回りには色々のその時の人々が居て、皆の中に入ったり、隣に座ったりして話しかけていたのですが、誰一人として、五島を変に思ったり、変な目で見たりする者はいませんでした。
自然に自分達の仲間の一人として接していたのが、不思議でした。

五島は、今年で、すでに68才になっていました。
20年程前迄は、まあまあの生活を送っていました。
小さいながらも、父親が残した遺産を元手に、不動産管理の会社を経営し、社長と呼ばれていました。
ある時、耳よりな情報を得て、福岡から上京して、新会社を設立し、希望に燃えていました。
その会社の事業内容は、五島自身の理想に合っていたのですが、少し荷が重過ぎました。
人工衛星の通信技術を使って行うもので、使用する筈の、肝心な衛星の打ち上げが、事故や故障続きで、予定よりも三年も遅れてしまい、その間、会社を維持していく資金が底をつき、投資してきた何億という金は、人件費とソフト開発費に消え、気が付いた時には、清算しても一銭も残らない状態になっていたのでした。
悩んでいた時に出会ったのが、この神々でした。
まだ未熟者だった五島は、この神々に、今の窮地を救ってほしいと願っていたのでしたが、神人と神業行動を伴にしている内に気付きました。
神に対する考え方、神観を180度転換しなければならないことを知りました。

その当時、五島は、

「神様は人間を幸せにしてくれる」

ものと思っていました。
でも、事実はその反対でした。
神が創った生宮、つまり人間には、それぞれに全ての人に、神縁のある別々の神様が付いていて、その神々が、その神界で行って来たことを、そのまま神縁のある人間に型出しするという事が判ってきました。
唯一神であった、絶対根元之大御神様から二つに分かれ出て、各々の神から、又、分裂して出来た八百万(やおよろず)の神々が、それぞれに続いて来て、他の神々がどんな状態か知らないままに良しも悪しも、どちらも神様から分かれた一部として発展分裂していって、各々自神が正しいと考えて行ったことが人間に型出しされてしまうのですから、戦争、人殺し、盗み、妬(ねた)み、いじめ、嫉妬等々、悪い事も、又良い事も全て、そのままに写し出されるのです。
そのことを絶対根元之大御神様は悔いられて、詫びられたのでした。

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《用語解説》

※85)除市(じょふつ)…………除福(じょふく)とも言う、秦の始皇帝の命で東海の三神山に不死の仙薬を求めたという伝説上の人物、日本に渡来して全国に民を広げた〔広辞苑より〕
※86)耳族(みみぞく)…………中国の徐州や青州から渡来した人々で西日本を中心として各地に展開し、新天地を開拓した、除市の一派〔倭の女王国を推理するより〕
※87)不呼国(ふここく)…………弥生時代、佐賀県鳥栖市津原町一帯にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
※88)鬼国(きこく)…………弥生時代、佐賀県基山町にあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
※89)都支国(つきこく)…………弥生時代、福岡県筑紫野市、太宰府市、大野城市に渡ってあった小国〔倭の女王国を推理するより〕
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今、神人達が神業と称して各地へ行って、この神業を指導される日本国の大国魂(※90)であらせられる末代日乃王天之大神(※91)様の御指導通り、各地で祭を行い、肉体を持った生宮が、神々の為に先に型出しをしなければ、神々の罪を解消出来ないという、根元様が決められた、根元神規(※92)に基づいて、全てを根元様の御仕組み通り、元に戻す為に、行動しているのでした。
つまり人間の方が、今は神様を助けるという、まったく逆の事をしていたのです。
だから、今の段階では、人がいくら神様に助けてほしいと願っても神様自体が、根元神規に触れて、拘束されたり、封鎖され閉じ込められたりしていて、自由に動けないでいるのですから、まったく無理な話でした。
今は、神様は人を助けたくとも出来ないのです。各生宮には
それぞれに先祖がいます。
その先祖様達は、生きていた時は、この神々の真実を知らなかった為に、偽神達の指導が真実と思い込んでしまい、偽神は、全ての神が動けないことを良いことに、先祖様達を思うように使って、根元様を始め、多くの真の神々を呪うことや、封じ込める行動をさせてきたのです。
例えば鬼伝説は、地球管理神の代表である地乃世界之大神様(以前の名は地乃世界之親神達と言われていた)(※93)を鬼と称して嘘の話を流し、皆を恐れさせて、親神様を封じ込める行動を毎年させてきました。
〆縄(※94)を張らせたり、「煎り豆に花咲くまで、鬼は外」と煎り豆を投げつけさせたり、神社に鳥居(※94)を造って囲ったりです。鳥居は牢獄の門であり、〆縄は罪人を縛る縄だったのです。
煎り豆には絶対に花が咲かないから、永久に出て来るなと親神様に
呪いをかけているのです。
まだまだ色々ありますが、人間に対しては、偽神の言うことを聞かなければ首吊りの刑にするぞとネクタイを首に巻かせて脅していたのですが、今では、その意味さえも忘れ去られてしまっています。
神様と生宮との絆であった神線(※95)を切られてから、生宮が神社は
に行って神様に意思を伝えようと思って、手を合わせても絶対に真の神には伝わらない様に、偽神は嘘の挨拶の仕方を教えて真の神に会えない様な封じ手を教えたのです。神界では偶数は封鎖なのです。
二礼二拍手一礼とか、二礼四拍手一礼等、神社によって 違いはありますが、本当の神様に対する儀礼は、二礼三拍手一礼が正しいのです。
神教の先人が書いた本の中には、三拍手の由来を(一)現界、(二)人霊界(※96)、(三)神界へと通じると書かれたものがありますが、今まで、五島達神人が神業してきた中で、証された所では、三つ目の拍手で、世乃元之神全体へ通じるということが、判ってきています。
このように、人間であった御先祖様達は、偽神に騙されてとは言え、神々に対して色々と失礼なことをし、その上、生きていた間に人として罪深いことをたくさん行って来ているので、先祖様達は、国替になって、つまり死んでみて、肉体から離れた御霊となってはじめて、自分の魂がとても穢(よご)れていることに気付くのです。
この穢れた魂では、神様に受け入れてもらえなくて、御霊となっても人が生まれ替わり、死に替わりの為に、その死後一時的に集まる場所として世乃元之神の仕組みとして創られた人霊界(※97)に入られず、入れないその穢れた魂達が集まって創った幽界(※98)という所に入ることになるのです。
幽界とは、本来存在しない世界です。
暗く、うっとうしい幽界から 抜け出したいと家祖様達が思っても、根元神規によって、肉体をもった生宮が先に動いて、色々な体現や祭事の型出しをしない限り、魂の穢れは消えないのですから、抜け出せません。
ですから、多くの御霊は神様に願い出て、再び生宮に生まれ替わって魂の穢れを綺麗にしたいと望むのです。

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《用語解説》

※90)大国魂(おおくにみたま)…………神界で決められた国(九二)を護り人々を指導する担当神、日本国は末代日乃王天之大神(まつだいひのおおあめのおおかみ)様が担当神〔かむなから神業報告書より〕
※91)末代日乃王天之大神…………神界で決められた日本国の大国魂神、龍体神界地系の長神である地乃世界之大神の次男神、末代プログラムの実行指導神〔かむなから神業報告書より〕
※92)根元神規(こんげんしんき)…………神界で唯一無二の根元様が決めた神界の法規〔かむなから神業報告書より〕
※93)地乃世界之大神(ちのせかいのおおかみ)…………龍体神界、地球管理神の地系の長神で唯一無二の根元様がこの神界に降りられた一形態、丑艮(うしとら)の金神(こんじん)のこと〔かむなから神業報告書より〕
※94)〆縄(しめなわ)…………神前、又は神事の場に不浄なものの侵入を禁じる印しとして張る縄のこと〔広辞苑より〕
※95)鳥居(とりい)…………神社の参道入口に建てて神域を示す一種の門のこと〔広辞苑より〕
※96)神線(しんせん)…………大昔、人が生まれた最初の頃は、神と人との間に見えないが意思疎通が出来る様に繋がっていた線のこと〔かむなから神業報告書より〕
※97)人霊界(じんれいかい)…………死んだ人の霊が集まる寄り所として神様が創った世界〔かむなから神業報告書より〕
※98)幽界(ゆうかい)…………人間の強い慾心で魂がとても穢れて、死後、人霊界にその穢れが貯まり過ぎて、処理できなくなって、やむなく出来たのが幽界で、本来は存在しない世界〔かむなから神業報告書より〕
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ここの生まれ替わりを神様が許可する数が多ければ多いほど、人口爆発が起こったりするのです。御霊は全て、再度生宮として生まれ出る前に、神様から、今度の一生について説明を受けて、そのことを納得し、了承して生まれてくるのですが、何と生まれ出ると同時に、その一生の内容だけでなく、魂の穢れ落としすら全て忘れ、前世、前々世等の記憶も全て消されて生まれ出るのです。
事前に一生の内容を知ったまま生まれてくると、生きて行けないこともあるので、しかたがないことではあります。
生まれ替わりを許されない御霊は、肉体を持った、子孫の一人に頼ろうとします。
そんな事とは全然知らないその子孫に対して、その御霊の意思が通じるはずもないのに、一生懸命に

「早く真の神様の存在に気付いてくれ」とか、

「早く私の魂の穢れを落としてくれ」と色々伝えようとします。

五島達神人は、このことを「気付け」と言います。
気付けのあり方は色々です。
だいたい悪いこととして発生します。
御霊が苦しければ苦しい程、気付けは強い形として現れます。
ほとんど子孫にとっては困ることばかりです。
自分の子孫なのだから、護ってくれるという人間の常識は通用しません。
人間と御霊とは価値観が違うのです。
先祖の御霊達は自分達の魂が浄められて、人祖之宮の家祖として、神化人霊(※98)となり、神名札の一員になって神様のお仕事を手伝えるようになることこそが、子孫や家系を護れるものだと思っているのですから、自分達が以前人間として生きていた頃のことは忘れ去っているとしか思えません。
ここまで先祖の御霊が色々と気付けしても、どの子孫にも、家祖さんの意志は通じないのですから、どうにもなりません。
神人達も例外ではありません。
先祖の御霊は、神人が真の神を知っていると気付くと、色々と「気付け」をしてきます。
神人には各家祖だけでなく、知らない御霊や神様まで救済を求めてきます。
神様が見えたりする霊感の強い神人は、それはびどいものです。
道を歩くだけで色んな地縛霊(※99)や動物霊等が足にまとわりついて来たりするので無視しないと先に進めないと聞きました。
ですから、神人は、体のどこかが悪くなったり、家族にもめ事が起きたり、失敗したり、人に騙されたり、悪いことばかり起こってきます。
まるで、これでもかこれでもかと神を信じる心を試されているみたいです。
それで我慢が出来ず、去って行った仲間も多くいます。
それでも今、 残っている神人は、数は少ないのですが、本当の神と出会えて、話を聴き肌で感じて、神々の存在を知り、神界の歴史というか物語に興味を持ち、神々と接界で接続することで、なぜか自然と思わず魂が震えて涙が出てくる様な感動を覚えてしまうと、神々と会える喜びが忘れられなくなってしまうのです。

「神人よ、皆の方から、離れない限り 我々神の方から皆の手を離すことは決してない」

と神様は言います。また、

「神人の神業は、肥溜め(※100)で、一粒の真珠(しんじゅ)を探すが
ごときものであると覚悟しなさい」

と、ここまで言われても、今、残っている神人は、神業を止めようとは、思わないのです。
五島も、又、そうでした。
今では、妻も三人の子供も離れて行ってしまって、寄り付こうと もしないのです。
会社は倒産し、自宅や持っていた資産は全部売り払い、預金も、二年前に98才で国替えになった母の入院費用等で使い果たし、今は老人一人きりの年金生活をしていて、体はストレスや高血圧で軽い脳梗塞(※101)になり、働くこともままならず、年金も生活保護法の最低保障額とあまり変わらない程度の額でしか無く、借家生活の為、余裕が全く出ないギリギリの生活をしていたのです。
しかし、五島は「自分は本当の神に会えたのだ」という喜びと誇りをいつも心に持って生きていたのでした。
脳梗塞で倒れても、何一つ体の不自由になるような後遺症も残らなかったことこそ、神様の持つ最後の慈悲である

「一厘(※102)の救い」

をいただいたと感謝していたのでした。

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《用語解説》

※98)神化人霊(しんかじんれい)…………魂の穢れがとれて、神様の世界で仕事の手伝いが出来る程になった人霊のこと〔かむなから神業報告書より〕
※99)地縛霊(じばくれい)…………因縁のある土地や物に縛られて、そこに留まっている霊〔かむなから神業報告書より〕
※100)肥溜め(こえだめ)…………肥料にする糞尿を溜めておく所〔広辞苑より〕
※101)脳梗塞(のうこうそく)…………脳血栓又は脳塞栓の結界、脳血管の一部が閉塞し、その支配域の脳実質が壊死、軟化に陥る疾患〔広辞苑より〕
※102)一厘(いちりん)…………数又は単位の名称、きわめてわずかなこと〔広辞苑より〕
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第三章 倭国大乱

(一)奴国滅亡

孤独な老人の生活は単純なものであった。
全てに面倒くさくなるもので、何でも簡略化してしまう。
食料品や必需品等の買い出しは毎日出掛けるのが億劫(おっくう)で、年金支給日か、その翌日で一度に大量に買い入れて、食品は大多数のものを冷凍してしまう。
一日の生活も同様なももので、風呂等は、三日に一度しか入らない。
本当は毎日入りたいと思っていても、安アパートでは、風呂の追い焚きが出来ないし、節約を考えて、五島はそうしていた。
血圧も高かった為、昼のうちに入浴することが多かった。

今日も五島は昼の2時頃に湯船に浸かっていた。
いつもの習慣で、湯の中で目をつぶって、見晴らしの良い温泉に来ているつもりで、景色を夢想していた。
今日は彼は、熊本阿蘇山のカルデラ内が良く見える外輪山の中腹にある自分の別荘の露天風呂に入っているつもりでいた。

カルデラ内の広大な草原には大勢の人達が狩りをしていた。
馬に乗った二十人ぐらいの弓矢を持った人達と、その前に百人ぐらいの勢子(※103)が獲物を追い詰めていた。
数匹の犬も見えた。
二十人の一人は明らかにイワレであった。
その横に、全身を毛皮で作った服を着た、顔も体つきも太い、熊野族(※104)の特徴を持った青年がいた。
まわりの人達の彼への対応を見ていると、この青年がこの部族の長だと判った。
ここは狗奴国(※105)の南のはずれに当たり、この長はこの国の王ヒクミ(※タ)だった。
イワレの横にはチルが馬に乗って寄り添い、ヒクミの横にもチルに似た若い女性がやはり馬に乗って並んでいた。
名をヨロズ(※チ)と言って、ヒクミの妻でチルのすぐ下の妹であった。
チルもヨロズも霊感があって、"日の神"の巫女でもあった。
この狗奴国は、熊野族と耳族が半数づつ混ざって暮らしていたのだった。
ヒクミ王は勢子達が追いつめた立派な角を持った鹿をめがけて「ヒュー」と弓矢を放った。
矢は鹿に当たったが、良く刺さらず、半分垂れ下がっていた。
続いてイワレが弓矢を放った。
イワレの矢は、しっかりと半分近く鹿の胸に刺さり、鹿はもんどり打って倒れた。

「素晴らしい! 義兄上、その矢の鏃は何で出来ているのですか?」

とヒクミ王はイワレに尋ねた。
興味深そうな目で見ていた。

「これが鉄という鉱物で造った鏃ですよ。今では、奴国も鬼奴国も全ての武器は、この鉄で造っていますよ。」

と言って、イワレは一本の矢を引き抜いて、ヒクミ王に手渡した。

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《登場人物の説明》

※タ)ヒクミ…………狗奴国々王、イワレと伴に東征し、大和国建国に協力する、熊野族、
※チ)ヨロズ…………ヒクミの妻、チルの妹、日の神の巫女

《用語解説》

※103)勢子(せこ)…………狩場などで鳥獣を駆り立てる人夫〔広辞苑より〕
※104)熊野族(くまのぞく)…………オロチ族より発生した、熊襲(くまそ)とも言う〔倭の女王国を推理するより〕
※105)狗奴国(くなこく)…………弥生時代、熊本県の菊池川流域に耳族と熊野族が協同で造った小国〔倭の女王国を推理するより〕
※106)巫女(みこ)…………神祭の姫と同義、神に仕えて神楽や祈祷を行い神意を伺い神託を受ける役〔広辞苑より〕

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ヒクミ王は矢を受け取ると、腰に差していた銅製の小刀を引き抜き、その小刀の先で鏃を削ってみた。
しかし、削れるどころか、逆に小刀の先が壊れてしまった。

「イワレ義兄上殿、この武器を我々にも、ぜひ分けてくれませんか? 今は北の投馬国(※107)と争いが絶えず、この武器が手に入ると、心強く戦えるのですが。」

ヒクミ王が頼んだ。

投馬国の王クコチ(※ツ)が鬼奴国のヨロズを見初(みそ)めて、鬼奴国王に嫁にと望みましたが、断られて、ヨロズが隣国の狗奴国王で熊野族のヒクミに嫁いだことを根に持って鬼奴国と狗奴国を目の仇として何かと争い事を起こしていたのでした。

鬼奴国はクコチ王が、親兄弟を殺して投馬国王になったという前歴を嫌っていたのでした。血も涙もない男に娘はやれないと思ったのでした。

「チルお姉様、どうかお願いします。お姉様からもイワレお義兄様に頼んで下さい。」

とヨロズがチルに両手を合わせて願った。

「分かりました。我王に頼んでこの武器をお分け出きる様にしましょう。この国の馬との交換だったら、王も喜ぶと思います。
それから、二、三頼みたい事があるのですが。」

「何でしょうか?何でもおっしゃって下さい。」

「両国で協力して投馬国を北と南から攻めて、クコチ王を追い出しませんか?
投馬国の国民は皆耳族ですから良いのですが、あのクコチ王だけは、悪い奴です。
私達も色々と邪魔ばかりされて困っています。
それから、私達は将来、協力して、東へ遠征して新しい国を造りませんか?すでに、耳族の一部の民は、ずっと遠くまであちらこちらに行って新しい国造りをしていると聞いています。
この世で一番大きな国造りに協力してくれませんか?"日の大神"からの神託も、すでにチル達巫女に。そう伝えて来ています。
それから、あの偉大な阿蘇山に住んでいる山の民、山窩(※108)の長を紹介して下さい。我奴国は、海人の阿曇族とは兄のクカミが配下においていまして、海の情報は集まるのですが、陸の連絡網と情報を持っている山窩達とも仲良くしたいのです。」

「分かりました。投馬国のクコチ王は協力して追い出しましょう。それに東征のことは我国民と話し合ってみます。私個人としては大変興味を持っています。山窩の長は今夜の宴会に呼びましょう。それで宜しいですか?」

イワレとチルは鬼奴国から有明海を船で南下して狗奴国を訪れたのでした。

イワレは鬼奴国に戻ると
事の次第をすぐに奴国のカノウザキ王に伝え、了承を受けて鉄器を狗奴国へ送りました。
すぐに投馬国を北から奴国連合軍が南から狗奴国軍が同時に攻め込みました。
初めは大変苦戦しましたが、武器の違いは次第に戦果に現れて、十日後にはイワレとヒクミ王は勝利の雄叫(おたけ)びを挙げていました。

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[登場人物の説明]

※ツ)クコチ-------投馬国王、耳族、


[用語解説]

※107)投馬国(づまこく)-------弥生時代、福岡県久留米市や八女市にあった小国[倭の女王国を推理するより]
※108)山窩(さんが)---------縄文時代から海の民が舟の木材を山に求めて山の民となり山岳ネットワークを形成した人達[超古代人の謎と不思議より]

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投馬国のクコチ王は命からがら有明海の対岸の巴利国(※109)に逃げ延びたのでした。
この後、クコチ王は二度と投馬国に戻ることは有りませんでした。
この投馬国との戦いの十日間は、奴国にとって大変な災難をもたらすこととなったのでした。
クカミもイワレもカノウザキ王も、倭国連合の一員ということで、何かあれば、一大卒である伊都国王のウシが護ってくれると思っていたのですが、大きな誤算でした。
その時、クカミは阿曇族の船で、狗奴韓国の蔚山に鉄鉱石を買い付けに行っている最中で、イワレは投馬国と戦をしていました。

まさか同じ倭国連合の不彌国が攻撃してくるとは考えもしていなかったのです。
しかも一大卒のウシ長官が奴国を護るふりをして、この機に奴国の主な村を占領してしまったのでした。
護りの薄かった奴国王カノウザキの居城だった比恵村に、不彌国軍が攻め込んで、あっけなくカノウザキ王は戦死し、奴国は不彌国と伊都国に乗っ取られてしまいました。
この事実は倭国連合内の他の国々には知らされず、奴国はこの二国によって統治され、名前だけ残されたのでした。
不彌国軍は那珂川と御笠川にはさまれた稲作畑と貯蔵庫を占領し、伊都国軍は那の津と南部の須久や岡本地区の武器製造工房や装飾品の生産工房群を占拠していました。
明らかに両国は話し合って占領地を分け合っていたのでした。

その為、クカミは奴国に帰国出来ず、阿曇族に匿われて宗像大島に隠れ住むこととなったのでした。
イワレは投馬国を滅ぼした後、すぐに奴国に引き返して、不彌国と戦おうとしたのですが、兄王カノウザキが戦死し、クカミ兄とも連絡がとれず、不彌国だけでなく伊都国軍も入り込んで来ていることを知り、ここで戦いを始めると倭国連合全体と戦うことになるかも知れず、泣く泣く我慢して、鬼奴国にとどまり、狗奴国王ヒクミと約束した東征をする為の準備に取りかかることにしたのです。
まずイワレは鬼奴国の吉野ヶ里地区に巨大な二重の環濠を持つ集落を急いで造り、鬼奴国王と民をその中に入れ、戦いに強い国造りをしました。
この国は三番目の娘が後で治めることになりますが、その為、女王国と言われて、卑弥呼が治めた邪馬台国と間違われることになりました。
戦に負けた投馬国は、イワレが戦に参加した国々に領地を分け与えて消滅してしまいました。
イワレはヒクミと相談しながら準備を進め、クカミとも連絡が取れたことで、耳族、阿曇族、山窩の豊富な情報を得て、東征の進路や目的地を決め、山窩の長が選んでくれた五十人の男達を阿曇族の船で先行させて、各寄港地で食料や必要な物資の調達の準備をさせました。

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[用語解説]

※109)巴利国(はりこく)----------弥生時代、長崎県の島原半島にあった小国[倭の女王国を推理するより]

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最終目的地を難波(なにわ)の地と定め、クカミ兄にも一緒に新しい国を造ろうと誘いましたが、クカミは協力は約束すると言うだけでした。
イワレ達はチルによって"日の大神"から決めてもらった吉日を出発日としました。
イワレは、鬼奴国王に許しを得て、自分の配下の奴国兵と鬼奴国をはじめ、まわりの国々からも参加者を募りました。

この東征には狗奴国王ヒクミと国民の8割約千八百人ほどと鬼奴国民五百と奴国民千四百人、姐奴国、不呼国、鬼国等から二百人ほどと。道案内を買って出た、阿蘇山系の山窩から五十人が参加して先駆けする為に下山し、総勢四千人弱の民が筑後の今の瀬高町山門(せたかちょうやまと)に集合しました。
この内兵士と言えるのは二千五十百人程で、残りは女子供達でした
比較的若い者が多く、老人はやはり生まれ親しんだ土地を離れがたく、残る者が多かったのでした。
このことは、長い旅を思うと、イワレ達にとっては好都合ではありましたが年老いた肉親を残して行く者達の気持ちを思うと、心苦しい面もありました。
しかし、ここ山門から北東に歩いて宇佐迄、7日近く、その後、クカミが連れて来る予定の船に乗って目的地の難波迄、一ケ月以上の行程を考えると、仕方がないことではありました。
全員、老人達を残して行くという淋しさはあっても、新天地で新しい自分達の国を造るという希望に燃えていて元気は良かったのです。
荷物は各自が持てるだけの量とし、奴国のガラス玉や鉄器、鬼奴国の布地等は食料との交換分とし、少し多めに、狗奴国は馬百頭あまりを連れて行くこととなりました。

山門の地で皆で"日の大神"に旅の安全と建国の無事を祈願して旅立ったのでした。
はじめは徒歩で7日かかると予定していましたが、皆の気持ちが急いでいたのか、一日早く6日間で宇佐に到着していました。
先駆けの山窩の根回しが良く、道中の各村からは何の邪魔も入らずに済んだのでした。
クカミとの約束より一日早く、打ち合わせた待ち合わせ場所に到着した一行は、この宇佐で陣を張り、クカミの連れて来る阿曇族の船団を待ちました。
イワレは兵士に命じて、夜には海岸に多くの篝火(かがりび)を焚かせておきました。
遠くからでもクカミ達が船を着ける場所が分かり易い様にしておいたのです。

クカミは大小百隻以上の船を各地の阿曇族の長達に頼んで集め、宗像大島を出て、一度遠賀川の河口の芦屋にある岡の湊(おかのみなと)の小さな祠(ほこら)に立ち寄り、綿津見之大神に海の旅の安全を願って祭をし、出航しました。
急流の関門海峡は百隻の船が一度には通れず、潮見をしながら3日係りで通りぬけて宇佐に向かって行きました。
予定より半日遅れて宇佐の周防灘(しおうなだ)沖に着くと、駅舘川(えきだてがわ)の河口の両岸には明々と篝火が焚かれていて、すぐにイワレの陣営が目に入りました。
次々と船が到着し。明け方には、海岸は百隻の船で埋められていました。
それは壮観な眺めでした。
クカミの阿曇族に対しての影響力を見せつけるものでした。

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それを目にした東征民達は、歓声を上げました。
クカミとイワレは、固い抱擁を交わしていました。
翌朝から、人々は各船に別れて乗り込みました。
とても統制のとれた行動でした。
その日の内に瀬戸内海を東へと向かって船出して行きました。
長い百隻を超える船団は
あちらこちらの入り江に寄って、先駆けの山窩達が集めた食糧を積み込みながら東へと進んで行きました。
小豆島を過ぎた頃、赤穂御崎の上から、百人程の騎馬兵達が船団の様子を伺っていましたが船団の大きなさに恐れをなして、すぐに姿を消して行ってしまいました。
吉備の土着民で、このあたりでは力を持った集団でした。吉備津彦の一族でした。

三十日位かかって、船団はやっと大阪湾の西岸に着きました。
長い砂浜があり、そこは森の宮の西海岸でした。
イワレはとても気に入って、この地に上陸することに決めました。
耳族や山窩、阿曇族達から得た情報通り建国にはいい土地でした。
全員無事上陸が終わり、イワレはクカミと向き合い、礼を言うと同時に、ぜひ一緒に建国しようと誘いましたが、クカミは協力は惜しまないが今は阿曇族を離れることは出来ないと断りました。
その上、今迄の卑弥呼との仲をイワレに話しました。
いつか必ず、邪馬台国からも一大卒長官からも彼女を引き離して、自分の妻にすると伝えました。
又、イワレはクカミに、不彌国と伊都国に対する怨みは、この国ができたら、必ず晴らすから、自分の代で出来なくとも、代々そのことは忘れない様に伝えておくと約束しました。
こうして阿曇の船団とクカミは役目を終え、去って行きまました。
森の宮に陣を張ったイワレ軍は、ある夜、陣営の一部が夜襲を受けました。
犯人は、この近くの土着民蝦夷(※110)達でした。
しかし強いイワレ軍はすぐに蝦夷の長を捕らえました。
イワレの前に連れて来られた蝦夷の長を山窩の通訳で尋問すると、自分達が追い出されると思い、必死の抗議の戦だったと分かり、自分達と一緒に新国家を建設することに協力するという約束をさせ、罪を許し仲間に入れることにしました
この蝦夷の長の名はナガスネ(※テ)といいました。
イワレは難波というこの地に、山門(やまと)という国を建てることを皆と誓ったのでした。ここの国がやがて大和(やまと)と字を変えることになるのです。

ずいぶん長い間、五島は湯船に浸かっていたように思ったのだが、気が付くと、別に湯当たりもしていなくて、変わったことはなかった。
今、見聞きしたことは、忘れない内に、早く書き留めなければならないと思い、急いで風呂場を出たのでした。

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[登場人物の説明]

※テ)ナガスネ---------難波の土着民、蝦夷の長、


[用語解説]

※110)蝦夷(えみし)---------中国南部の揚州や越州等東シナ海沿岸の夷族が縄文時代、日本に入り各地に住み着いた部族[倭の女王国を推理するより]

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(二)鳶(とんび)の目、その一、

五島は久し振りに散策に出掛けてみた。このところ、自分に起こっていることが不思議でならなかった。
ここ筑紫平野の中で、今から千八百年程前に、実際に起こっていたことだと思うと、どこか高い所から一望してみたかった。

バスに乗って、福岡市の南区と城南区の間にある油山市民の森を目指した。
登山口に一番近い油山団地口のバス停で降りた。
徒歩で登るつもりであったが、近くの商店の兄ちゃんに尋ねてみたら、かなり急な坂道で私の足では無理だろうと笑われた。
安い年金生活での、苦しいやりくりの中では少し痛いと思いながら、タクシーに手を上げ、どうにか中央展望台まで登り着いた。
ここからだと福岡市内一円はだいたい見えたが、糸島側は木立に遮(さえぎ)られて見えなかった。
空を見上げると、どこまでも深い青空で雲一つなかった。
唄ではないが、「ピーヒヨロロ」と啼いて、一羽の鳶が輪を描いた。
あの鳶になれたら、きっと、もっとよく筑紫平野や糸島半島も綺麗に見えるだろうと五島は思った。
彼は何度か空を飛んだことを思い出した。夢の中でのことだった。両手を広げて走って、ここだと思うところで足を蹴ると、フアツと身体が浮き上がり、風に乗れて体重移動と広げた手の調節で思う方向へ曲がれたし、楽しく飛べた。
ただ降りる時が難しかった。
着地の瞬間が衝撃があるようで、恐る恐る降りていた。
いうも降りると同時に目が覚めた。

突然、ヤチヂ様の声がした。

「五島殿、久しぶりですね。私にはあなたが思っていることが手に取る様に良く分かるんです。
一つあなたの願いをかなえてあげましょうか?今から!あなたに鳶が見ている風景を見せてあげましょう。
但し、紀元百九十一年と、その三十五年後の紀元二百二十六年の春の筑紫平野と糸島半島の風景です。」

「本当に見せてもらえるのですか?」

「そこに居ていいですよ、あなたを鳶に変えてあげます。」

「エッ!鳶になって空を飛ぶのですか?」

「そうです。今、あの空を飛んでいる鳶になって、上から各地に行って見るのです。」

「そんなことが出来るのですか?」

「私に任せておきなさい。あなたは何回も夢の中で飛ぶ練習をしたことがあるはずですから、大丈夫ですね。
いいですか、今から行きますよ。」

五島は気が付いた時には、すでに空を飛んでいた。
下を見ると、緑と黄色の斑尾(まだら)模様の絨毯(じゅうたん)が一面に広がっていた。
今は菜の花の季節であった。
この風景は、五島の頭の奥深くに眠っていた遠い記憶を呼び起こした。
五島がまだ小学校低学年の頃、約60年以上も前のことである。
この季節になると毎年、母の趣味(後では本職になったのだが)で習っていた、裏千家の集まりの茶会が、福岡市西区の愛宕神社のある山の南斜面にあった、母の親友が経営していた料理旅館の「愛宕山荘」で催されていたが、いつも母に連れられて、美味しいお菓子に誘惑されてついて行って、その高台にあった愛宕山荘の庭から観ていた遠望と全く同じであることを思い出していた。
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「まずは、私が生まれ育った糸島半島の方を周りますよ。」

スーッと体が風に乗って左の西方向へ飛んでいった。
この感覚はいつも夢で感じていたのと同じだった。
不思議に安定感があった。
右下に飯盛山が見えて来た。
その手前、東斜面の山麓に南北に長く竪穴住居群が50軒位見えて、墓地と思われる大きな石が30ケ所位置いてあるのが見えた。

ここは確か、奴国と伊都国との間に位置し、かなり苦労した部族達がいたに違いないと五島は思った。
奴国に属して、確か今山(※111)で有柄式磨製石剣を造っていた部族の村だった。
今の様子はとても平和に見え、畑仕事に皆精を出していた。

左手南側に雷山から続く王丸山が見え。飯盛山との境が少し低くなって峠が出来ていたが、獣道(けものみち)と思える一筋の道がこの峠を東西に通っていた。
今の日向峠(ひゅうがとうげ)と思われた。
ここの峠を越えると目の前が開け、伊都平野が見渡せた。
まだ畑や田んぼとして、開拓された所は少なく、端梅寺川と雷山川とにはさまれた平野だけが、ほんの少し水耕地として開かれていた。
左手南奥には雷山と、それに続く山系が見えていた。
雷山の北側斜面の入り組んだ場所に百人程の奴隷と思える半裸の男達が、大きな石を積み上げていた。
その横の広場では、牛の角のついた兜と短い鎧をつけて30人程の兵士達が一生懸命戦闘訓練をしていた。
五島には、これが"ウシどん"だとすぐ判った。
ここから彼等はウシ王の命令を受けて、雷山を越えて三瀬峠に出て、背振山を左右に迂回して、奴国の西の村や、鬼奴国、姐奴国の村々を荒らしていたと思われた。
彼等はここを砦にしようとしていたのでした。
ずっと後世になって、ここに山城が造られて、今日、城の土台だけ残っていて、雷山神籠石(※112)と言われている所でした。

ここから今度は北西に向かった。
しばらく飛ぶと、前方に海から右方向、つまり東陸上に、船越湾の中程、加布里の近くから入江として川が入り込んで博多湾まで続き、陸を二つに分けているように見えた。
ここで糸島半島は以前は斯馬国と伊都国に分かれていた。
この川には、小舟がたくさん浮かんでいた。
小舟は数枚の板で造られていて、阿曇族が使っている一本丸太をくりぬいた舟と違っていて、舟を操っている人も、刺青を見ても明らかに阿曇族とは違っていた。
これが和珥族の海人かと五島は思った。

船越湾の西海上には唐津半島方面から、こちらに向かって来る大きな帆を持った船が数隻見えた。
季節から考えて、もうそろそろ北西の風も弱まる頃で、この船が、大陸からの最後ではないかと思った。
川の一番奥には、高床式木造建屋が30軒位並んでいて、その中に伊都国王の館もあるだろうが、大半は倉庫に違いないと思った。
ここが伊都国の交易の拠点であり、この当時のこの国最大の村でもあった。
今の泊とか志登、浦志、潤という地名のあたりではあった。

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[用語解説]

※111)今山(いまやま)--------福岡市西区横浜にある小山、弥生時代ここで奴国民が有効柄磨製石剣を造っていた[古代九州より
※112)雷山神籠石(らいざんこうごいし)-------標高百から二百メートルの各地の山に70cm位の方形の切り石を積み上げ並べてあり、水門や山城の基石の跡、その一つが糸島の雷山中腹にある[福岡県歴史散歩より]

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目の前に小富士と呼ばれる可也山が見えて来た。
本当に富士山に良く似た山で、海上からはこの山を目標に舵をとって進んで来るのが一番分かりやすい進路であった。
可也山を右に見て進むと、その先に立石山と芥屋大門がある巨大な岩山が現れてきた。
可也山の裾野、芥屋大門との間に20数軒程の竪穴住居の村が現れ、横の畑には今が盛りとばかりに菜の花が咲き乱れていた。

一人の小さな愛らしい女の子が、両手いっぱいに摘んだ菜の花を持って歩いていた。
何匹かの紋白蝶が、女の子の持った菜の花に止まろうと周りを飛び回っていた。
女の子は楽しそうに笑っていた。

「五島殿、見えますか?あの子が私なのですよ。」

と、ヤチヂ様の声がした。

「エッ!ヤチヂ様の子供の頃ですか?」

「そうです。この頃は本当に平和で楽しいことばかりでした。さあ、もっと先へ行ってみましょう。でも、ここのカラスは意地が悪いから気をつけてね。」

そのまま北西に向かって海上に出て、右に旋回し、芥屋大門の穴の中へ入っていった。
二、三羽のカラスが後を追ってきたが、大門の中までは入って来なかった。
洞窟の中では、二本の松明(たいまつ)が明々と焚かれていて、一人のまだ年若い乙女が藁ムシロの上に、北を向いて正座して、懸命に神様との交信を試みていた。
まだ幼い感じで行動には未熟さも残るようでしたが、必死に願っていることは良く判りました。
フクの幼い頃の姿に違いないと五島は思った。
洞窟を出てから北東へ向かった。
野北を左にして、糸島半島の上を飛んで行くと、正面の海上に志賀島が見えて来た。
その手前、糸島半島の北東の角に多くの小舟が集まる港らしきものが見えて、別に、右手前には50軒位の竪穴住居と10軒位の木造の高床式倉庫が建っていた。
その上を通り越して進むと左に玄海島、右に能古島が見えて、正面には志賀島が、今日は引き潮で、海の中道と陸続きの姿を見せていた。
志賀島の北岸上空を通る頃、島の北の中腹に木で造られた少し大きな祠と広い境内が見えた。
境内には、まだ山桜が少し青葉の間に咲き残っているのが判った。
志賀海神社であった。
この頃は、ここ島の北の勝馬の地にあったのだった。
島の周りでは、多くの丸木舟で独特の刺青をした阿曇族の海人達が、魚を釣ったり、潜って銛(もり)で突いたり、貝を採ったりしていた。

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五島は一組の男女に目を遣った。
仲良く二人で潜ったり、泳いだり、じゃれ合ったりし、又、舟に上がって休んだりしていた。まだ二人共若かった。

「ホラ!あれがクカミとヒミですよ。見えますか?五島殿!まだクカミは18才、ヒミはなんと13才ですよ。ここだけ、ちょっと10年程、時代をずらしてみました。
皆、若い頃は美しいですね。」

二人が楽しく逢瀬を楽しんでいた場所は、あの金印の出土場所の真下の海岸だった。
志賀島の上を飛んで南東へ下って博多湾の海上に出ると、目の先に白い砂浜が見えてきた。

この当時の福岡市は博多湾の内部に二ケ所の内海があり、ずっと奥迄入り込んでいて、今の住吉神社や櫛田(くしだ)神社も海岸の近くにあり、那珂川をはじめ
御笠川や宇美川、須恵川等が山から運んで来た砂で那の津の反対側には長い大きな息浜(おきはま)と言う砂丘に近い浜が東西に半島みたいに出来ていた。
奴国の人々はその息浜の西岸に、多くの木造の高床式倉庫群を造り、ここを食糧や物資の貯蔵庫として護っていたのだ。
ここがクカミが統治していた那の津だった。
そのまま東南に進むと菜の花の絨毯が待っていた。
とても広い田畑が開かれていて、その間には道が造られ、何本かの水路も那珂川と御笠川とのあったのに通してあり、中央に二つある内海へと通じ、物資を那の津へ舟で運ぶことが出来るように造られているのが良く判った。
道も立派な高床式居住群の並ぶ比恵村からと雀居等から板付を中心にした大集落に通じていた。
多分奴国王はこの比恵村のどこかに居城を持っていたのだろう。
この黄色の絨毯の上をすべる様に進んで行くと茶色の丘陵が見えて来た。
二、三ケ所の前方後円墳だろうと思えるものが見えた。
五島は右側、西の方、丘の斜面に穴を掘ったところで、大量の木材が積まれていて穴の中で火を焚いている人達が気になった。
それはおそらく鋳造工房だろうと思えた。
この国は働く人は多く見かけられたが、その割合からすると、兵士達の数が少ないように思えた。
ここから西に進路をとり、油山へ向かった。
ふと、気が付くと五島は、もとの油山の展望台に立っていた。

「どうでしたか?これがまだ、平和だった紀元百十一年頃の春の奴国と伊都国の様子ですよ。上から見れば、一目瞭然とは、このことだという様に良く判るでしょう。」

五島は近くのベンチに腰を落とすように座り込んだ。

「五島殿、次を見に行く前に少し休みましょうか・・・・」

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(三)鳶の目、その二、

「一息ついたら、次に行きますよ!さあ、今度は、三十五年後の紀元二百二十六年の春の二国の様子です。」

今回の鳶は油山展望台から、山を越えて、南へ、背振り山の東側を通って、佐賀平野に向かった。
遠くに有明海が春霞の中にかすかに見えて来たころ、真下に大きな村が現れた。
巨大な環濠が二重に並んで掘られていて、多くの竪穴住宅や、高床式倉庫群と要所要所に高見櫓が建てられていて、その内外で多くの人々が野良仕事に汗を流していた。
ここから少し東南へ行くと、イワレが大軍を率いて投馬国と戦っていた。
激戦だったようで大勢の死傷者が出ていたが、明らかにイワレ軍が優勢に見えた。
その上から、くるりと反転して北西に向かった。
筑紫平野に入ると、すぐ、小高い丘に方形墳が見えて来た。
色鮮やかな布切れや旗らしきものが立てられ、埴輪(はにわ)が墓の周りにぐるりと並べてあった。

「あれは奴国王だったタイフの墓です。イワレが造ったものです。あなたの体の中にも彼等と同じ血が流れています。あなtたの先祖をたどって遡ると、奴国人だったことが判ります。」

と、ヤチヂ様の声が聞こえた。
しばらく北西に飛ぶと、田畑や道、水路等は、前の時より少し荒れた所が多く見られ、菜の花畑がとても少なくなっていた。
あの立派だった比恵村の奴国王の居城跡は焼き払われていて、すぐ近くに、別の小屋が建てられていて、兵士が多くの奴隷達を使って何かをさせていた。
またしばらく北西に進むと、那の津が見えて来た。那の津の倉庫群は壊されていなかった。
ただ周りにいる人達は奴国兵の服装はしていたが伊都国の兵士達であった。
博多湾内に入ると浮かんでいる舟は全て寄木造りの筏舟(いかだふね)で刺青を見ても
その模様から和珥族と判る者達が。我が者顔に漁をしていた。
志賀島の上空からは志賀海神社の半分壊れかけた祠が見え、鳥居は倒れていた。
島の周りの阿曇族の集落は、ほとんどなくなっていて、阿曇族の姿は一人も見当たらなかった。

「彼等は、今は、藍之島や宗像大島の方へ移ってしまたのです。地震や津波で村はなくなり、奴国が不彌国や伊都国に乗っ取られた後、和珥族の力が強くなり入り込んで来たからです。」

志賀島から、南西へ海を渡ると唐泊の港には、多くの小舟が見えたが、やはり全て筏舟であった
対馬から南下して来たのだろう、かなりの和珥族の数だった。
糸島半島の最北端をぐるりと左周りに飛んで芥屋大門近くに来ると、岩の一部が崩れて落下し、大門の洞穴の入り口が小さくなっているのが見えた。
ヤチヂ様の生まれ育った村は、すでに無くなっていて、小石が一ケ乗せられた墓が多く造られていた。
少し南下し、可也山を過ぎると船越湾が見えて来た。
多数の帆を持った、大型船が泊まっていて、その大型船と東の入江の奥に建ち並んでいる倉庫群との間を、たくさんの筏舟が往き来して、荷物を運んでいるのが見えた。
三十五年前より繁栄しているのが、一目瞭然であった。
その上空を通過して、どんどん東南へ進むと、雷山川に沿った糸島平野は、以前とは違い、田畑が少なくなっていて
あの美しかった菜の花畑の絨毯は茶褐色と変わっていて!多くの兵士達が戦闘の訓練をしていた。
平野の中程には、大きな立派な正方形の墳丘墓が造られていた。

「あれはタカミムスビ王の墓です。もうすぐウシ王もあの近くに自分の墓を持っことになるでしょう。」

ヤチヂ様が教えてくれた。

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雷山の手前迄来たら、前の"ウシどん"の村は消えて、跡形も無くなっていた。
東に向きを変えて、元の油山の展望台を目指して飛んだ。
気が付くと展望台のベンチの上に座っていた。
やがてヤチヂ様の声が聞こえてきました。

「時がたてば全て変わっていく、多くの姫神達が、せっせと真心を込めて創った、美しい花々や風景といった自然も、破壊されたり、古ぼけたりして姿を変えていく。
神と生宮とでは多少時間の長さが違うが、神も人もそれぞれ、死を迎えるし、新たに生まれ替わる。
我々神とて人と同じなのです。ずっと同じ神ではおられないのです。
やはり代替わりをするのです。
名前も、そのお役もまったく同じなれど、ある時間がたてば、代替わりをするのです。
あなた達がいつも祭事の現場にいて接界(※113)で会っている龍体神界(※114)の神々は、今は、すでに、ほとんどの神が第三世代なのです。
中には、ハライド(※115)の神のお役を持つスサナル之大神(※116)などは、すでに第四世代の神に替わっている。
五島殿が第七回北海道神業に参加して、平成7年5月5日に大雪山系のトムラウシ望岳展望台で先達として、トムラウシ山に神座されたスサナル之大神に対して祭事をした折に、御自神から「我はハライドの王、スサナルの四代目」と名乗られたのを覚えているでしょう。
神の場合は、代替わりをしても、質も役目も全く代わらないけれど、人の場合は同じということはない、代が替わり人が替われば必ず思いも考え方も、その人が持って生まれた役目も替わる。
それは、その生宮それぞれに付いているミタマ親神(※117)と指導神(※118)が違う為にしかたがないことです。
これは根元神規で決められたことですから。
話は少し変わりますが、面白いことを教えましょうか?
生まれ替わって、この世に生を受けて、ほとんどの生宮は子として生まれ、両親や兄弟姉妹を持ち、友を得て、恋をして結婚し、夫婦になり子供を持って一生を終える、この一生の間に関係があったり、接したりする相手は、必ず、前世、あるいは前々世に、やはり関係があったり接触したりして、お互いに魂を曇らすことをし合った相手であると言います。
夫婦の場合は、もしかすると殺し合った相手だったかもしれません。
お互いに相手に対して悪いことをして、自分の魂を穢しているのですから
それで、お互いにこの世で魂磨き(※119)をし合って、穢れを落としなさいといった神の思いやりなのですが、記憶を消されて生まれてくるのですから、穢れを落とすどころか、又お互いに悪いことをし合って、より以上に魂を穢すことが多いのです。
生宮だけでなく、神にも穢れは発生します。
龍体神界では神規を犯したり、根元様の怒りにふれたりすると、龍体に色が発生するのです。
黒とか青、赤といった色が濃い程、罪深いと言われています。
赤龍とか青龍とか黒龍です。
龍体が一番堕(お)ちた底は黒と言われています。
もっとひどくなると今度は形が変わります。
龍体ではなく蛇に変えられてしまいます。
蛇の姿をした神もいるのです。
この神達は自分の力では元に戻れません。
全て、元に戻る為には、肉体を持った生宮が介在いないと出来ないのです。
根元様の怒りや、神規を犯したという罪を解く為には、その神と神縁のある生宮、つまり人間に救霊(※120)するのです。
救霊、つまり気付けを受けた生宮が、ちゃんとそのことを理解し、正しい解消方法の儀式というか、祭事や形出しが出来ればいいのですが、ほとんどの生宮は、神線を根元様から切られていますから、本当のことを理解出来ず、ただ生宮は、傷つけられるままに苦しい思いをするだけです。
この続きは又の機会に話すこととして、いかがでしたか?今日は?たまにはこんな息抜きもいいものでしょう。ではまた。」

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[用語解説]

※113)接界(せつかい)-----神様と人間が祭事等で接する所[かむなから神業報告書より]
※114)龍体神界(りゅうたいしんかい)--------唯一無二の根元様から数えて、五番目の神界、神の姿が龍体をしている、地球管理神[かむなから神業報告書より]
※115)ハライド--------祓えに同義、災厄、汚穢(おわい)、罪障等を除き去るために行う神事[広辞苑より]
※116)スサナル之大神(すさなるのおおかみ)-------龍体神界地系の神、ハライド担当神[かむなから神業報告書より]
※117)ミタマ親神(みたまおやがみ)-------人が生まれ出る時、各々各人の仙骨に入り、その人の一生に影響を与え、呼吸を管理してこの世に生かさせる神[かむなから神業報告書より]
※118)指導神(しどうしん)--------人が生まれ出る時、その人の時々の場面で指導する為に付かれる神々のこと[かむなから神業報告書より]
※119)魂磨き(みたまみがき)--------人として生きている間に、その人の魂に付いた穢れを消す為の行為を言う[かむなから神業報告書より]
※120)救霊(きゅうれい)--------霊が救いを求めて来て、これを救うことをいう[かむなから神業報告書より]

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(四)二つ目の金印

一人暮らしの寂しい境遇であっても、五島は、正月だけは人並みに折り目正しい生活で過ごしたいと思い、例年通り、年越し蕎麦を食べ、三ケ日は御屠蘇(おとそ)に博多雑煮、鯑(かずのこ)、ゴマメ、黒豆の甘煮、紅白鱠(こうはくなます)等を作って食べながら、何処にも出かけずに、自宅の宮に参るだけで、家でテレビを楽しんだ。
しかし、正月の飾りである、門松(※121)や〆縄、お鏡飾り(※122)等は、飾らず
自宅にある神棚には、水、酒、塩と、餅は一ケだけ供え、花の代わりに松の枝を活けていた。
五島としては出来るだけ偽神の嘘の教えを避けるように考えてのことだった。
神業で知り得た知識では、これ等の習慣は全て、親神様を封じ込める為の呪であることだったからです。

今年は特に異常気象で、今迄あまり降ることがなかったこの地方に、大変な量の雪をもたらして、正月七日間はとても寒かった。
でも、新年を迎えてみると、時の過ぎるのはとても早かった。
アッという間に2月中旬を迎えていた。

五島はいつも偶数月の15日に支給される年金を首を長くして待っていた。
大宰府の九州国立博物館で「ふたつの勢力、女王国はここからはじまった」と副題が付けられた「邪馬台国、九州と近畿」という展覧会が元旦から催されていた。
何しろ、正月から人並みの贅沢をしてしまった為、資金がなく、唯一の収入源である次の年金支給日を待っていたのだった。
展覧会終了日は2月20日だったので、どうにか間に合うことではあったが、彼の今出来る資金調達は、この年金から節約して生活し、捻出するしか方法がなかった。
年金からのやりくりと言っても、生活にどうしても必要な、水道光熱費や、食費、家賃、通信費、医療費といった出費の中で、削れるのは食費ぐらいしかなかった。
預金は一銭もなかったから、自分より年上の親族が、ざっと数えても15人ぐらいいたし、何時、その中から国替えが出ても不思議なことではない状態であったから、その時はすぐ3万円程は香典料が必要となるし、どうしたものかと、このところずっと心を痛めていた。
所によっては三角の付き合い(※123)というのがあると聞いたが、朱鳥は五島家の当主としてのプライドもあって、それも許されなかった。

五島は最近、政治に不満を持っていた、久方ぶりに与党が代わり、少しは政治のあり方が変わるかと思っていたが、より悪くなってきたような気がしている。
議員は全員一、二年間、最低収入の国民が生活している境遇を、経験しないと正式の議員と認めない、という法律でも作るべきだと思っていた。
そうでないと本当の国民の為の政治は出来ないのではないかと考える様になっていた。
国政だけでなく、地方の政治にも不満があった。
市民が何かの法律で決まっていることを行政府に願い事をする時に、全て自己申告制が基本となっていることである。
このことは法律で決まったことでも、各市民にその知識がなく、その法を知りえないならば、法の利益にありつけないとう、とても不公平なやり方だと憤慨していた。
以前、まだ母が生きていた時のこと、その母が脳梗塞で倒れて、半身不随となり、寝たきりになった時、自宅療養は五島一人では、とても面倒を見切れず、入院が必要ということになったが、入院費や治療費に困った時、母の担当の医師がとても親切な人で、彼が教えてくれたことで、とても助かったことがあった。
母の場合は、市の区役所に医師の診断書をもって申請すれば、市の補助が出ることを知った。
五島も医療費控除ぐらいのことは知ってはいたが、そんなものではなく、申請すると、何と、要介護で最高の「5」、身障者階級でも最高の「一級」を得ることが出来て、とても費用だけではなく病院や療養所に入るのに便宜を計ってもらえた。
勿論、申請は自分一人で全て行った。
市も確かにこのことは公告をしているが、区役所の掲示板に貼り出し、官公報に書いてもあったが、誰も気を付けている者はいないはずだ。
このことはちゃんと、どこかの部署が指導する担当者を置いて市民に公平な便宜を計るべきであって、申請がなければそれだけ面倒なことが無く、丸儲けとしか考えていないようだった。
母が国替えした時も、そうであった。
死去の届け出るに丸一日かかった。
区役所と年金機構等、何ケ所にも申請を出さなくてはならず、なぜ一ケ所で全て済むようにしていないのか、不思議であった。
今、問題になっている年金取得詐欺等、縱分けの役所構造にも問題があるような気した。

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[用語解説]

※121)門松(かどまつ)-------新年に歳神を迎えるよりしろとして家々の門口に立てて飾る松[広辞苑より]
※122)お鏡飾り(おかがみかざり)--------正月の飾り餅[広辞苑より]
※123)三角の付き合い(さんかくのつきあい)--------正常な義理の付き合いが出来ないこと、
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やっと15日が来て、翌16日の水曜日に五島は、バスと西鉄急行電車を乗り継いで大宰府駅降り立った。
普通の日なのに、天神様の出店が並ぶ参道は人出が多かった。
天神様と言っても人霊様だが、この神社はすでに岩之大神様(※124)が御神座されているのではないかと五島は感じていた。
五島は拝殿に向かって、二礼三拍手一礼してから、これから満開を迎えるであろう梅林の間をぬけて、博物館へと向かった。
今この時にも、梅の花を美しく咲かそうと女神様が御苦労なさっているだろうと感謝した。
今にも咲きそうになっている一輪の梅の花を見上げて、この花はどんな女神様が担当しておられるのだろうかと考えた。
御神名を聴けたらいいなと思った。

「あなたも良く知っている若姫君之大神(※125)ですよ。」

とヤチヂ様が教えてくれた。
五島は今日は、なんとなく主展示場の二階を通りすぎて、常設展示場のある三階へと向かった。
薄暗い中を途中迄見て回って、ふと、目に留まったのは、小さな印鑑が色々と並べてあるガラスで出来た展示場であった。
「漢委奴国王」の金印を探していた。
レプリカが飾ってあった。
五月は本物は福岡市博物館に置いてあることを知っていた。
そう言えば、もう一つの金印があったはずだが、まだ発見されていないな、と思った瞬間であった。

五島の 目の前にあの伊都国々王で一大卒長官のウシが立っていて、何か考え事をしていた。
持っているムチを振りながら、独り言を言っていた。

「どうしても金印が必要だ! 卑弥呼も金印がなければ話にならない。 卑弥呼に良いお告げが降りなければ、倭国民を団結させられない。 くやしーい! 昔、奴国王がやっていたように神々に金印を奉納して、各部族長を参列させて、卑弥呼に神祭の姫として神託を皆の目の前で受けさせないと、わしも卑弥呼も奴らから尊敬されない。 尊敬されないと、皆がついて来ない。」
ウシ王は卑弥呼に命令書を送った。

「何んとしても金印を探し出したい。ある場所を神から聴き出せ!」

と。
しかし、卑弥呼は、神から聴き出す能力を持っていなかった。
困った卑弥呼はヤチヂ様を探して連れて来るように命じた。
やがてヤチヂ様は卑弥呼の前に連れて来られた。
白い貫頭衣に赤い細帯をしたヤチヂ様の姿は、泥に汚れ髪はみだれ、手足にはひび割れが出来ていた。

今迄、過酷な労働をさせられていたことが、その様子だけで良く判りました。
ヤチヂ様のその姿を目にした卑弥呼は、とても可哀想に思い、召使い達に命じて、顔や体を洗わせ、髪を整えさせて、手足の手当をさせました。
本当は卑弥呼は気持ちの優しい、友達思いの女性だったのですが、神祭の姫で女王という立場と、一大卒長官のウシ兄の手前、それ以上のことをヤチヂ様にしてやることが出来ず、衣装だけは取り替えさせましたが、やはり生口姿の新しい白の貫頭衣と赤の細帯のままでした。

「ヤチヂ殿、苦労をしておられるようですね。可哀想に、私はあなたを助けたいと思っているのですが、兄の手前、理由もなく助けることは出来ません。 兄がほしがっている金印の在りかを、本当にヤチヂ殿は知らないのですか?」

「何度も同じことを・・・知っていれば私のこの足は折れずにすんだはずです。」

「そうですか・・・それでは私は貴女の霊能力を知っています。私神様にたずねても答えが出ません。貴女が私の代わりに神に金印の在りかを尋ねてくれませんか? それが出来たら、兄王に貴女の身分を元にもどす様に頼むことが出来ますから。」

卑弥呼はヤチヂ様の手をとって必死な思いで頼んだ。

「分かりました。私でよければ神様に聴いてみましょう。でも分かるかどうか、分かりませんが、それでも宜しいですか?」

「分かりました。よかった、とにかくやってみて下さい。」

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《用語解説》

※124)岩之大神(いわのおおかみ)…………龍体神界岩系の長神で、神界を始め人間界での出来事を全て記録される神〔かむながら神業報告書より〕
※125)若姫君之大神(わかひめぎみのおおかみ)……………龍体神界上義系の長、上義姫之大神の別名〔かむながら神業報告書より〕

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ヤチヂ様は神殿に向かって座りましたが、その時、違和感を感じて、向きを少し左寄りに変えて、神合わせをはじめました。
神様の居場所が、卑弥呼には判らず、ヤチヂ様にはすぐに判ったのでした。
ヤチヂ様が神託を始めました。

「金印は奴国と共にあり。綿津見之大神が守っている。奴国が消えた今、金印の力も消えたことと同じ、新しい金印を待て、新しい漢の後国から海を渡って船でやって来るであろう。」

卑弥呼は思いました。
ヤチヂは奴国が今は傀儡(かいらい)の奴国となっていることは知らないはずでしたから、このお告げは本当の神託だと確信しました。
実はこの神託は半分は本当の神のお告げで、半分はヤチヂ様の思いつきで言った嘘でした。
卑弥呼はこの神託を兄王ウシに伝えると共に、ヤチヂ様の許しを懇願しましたが、ウシ王はヤチヂを許すとは言いませんでした。
しかたなく卑弥呼は弟のツキヨミの目を盗んで、ヤチヂ様が邪馬台国から逃げ出すために、手助けする様に召し使い達に指示しました。
そうでなければ、足が悪く、ひ弱なヤチヂ様が、ー万人もの堅固な守りの中、逃げ出すことは難しかったでしょう。
中国では、今は漢に替わって、大国となっていたのは魏(※126)であることは、ウシ王の耳にはすでに入っていました。
ウシ王は倭国の全部族長達に命令を出し、魏に朝貢(※127)する為の貢ぎ物として、男の生口4人、女の生口6人と班布(※128)二匹二丈を出させて、邪馬台国にいた弟のツキヨミを呼び戻し、朝貢使(※129)として魏に行かせました。
魏王は、はるばる遠い国から、わざわざ使者として貢物まで持って来てくれ、大いなる貢献に値すると喜び、「親魏倭王(※130)という金印を持たせてくれ、ツキヨミは、胸を張って二つ目の金印をウシ王のもとに持ち帰ったのでした。」
このことは、倭国民に広く知られ、一大卒長官ウシ王と卑弥呼女王はますます力を持つこととなっ他のですが、卑弥呼は志賀海神社で祭事を行うことを嫌いました。
自分が偽の神祭の姫であることを知っていたので、昔から信仰していた綿津見之大神に対して畏敬の念を持っていて、この神の前で祭事をすることが出来なかったのでした。
しかし、ウシ王は、その事を逆手にとつて、倭国民に対し、自分に都合の良い偽の神託を作りあげて、卑弥呼女王が邪馬台国の神殿で金印を奉納し、正式に受けた神託として、発表していきました。
こうして、傀儡が治める奴国を抱き込んだまま、一大卒長官としてウシ王は、邪馬台国とその女王を最大限に利用して、倭国をまとめ治めていったのでした。
本当の奴国王の三男イワレは、今では近畿地区で大和を国として成立させる為に、一緒に東征した 狗奴国王ヒクミや、この地区にいた蝦夷の長ナガスネ等と、山窩や阿曇族等の力を借りて勢力を広げつつありました。

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《用語解説》

※126)魏(ぎ)……………中国の国名、戦国七雄の一、後に秦に滅ぼされる〔広辞苑より〕
※127)朝貢(ちょうけん)…………王に貢物を持って参上すること
※128)班布(はんぷ)……………文様を染めた班色の布〔広辞苑より〕
※129)朝貢使(ちょうけんし)……………王に貢物を持って参上する役目の者〔広辞苑より〕
※130)親魏倭王(しんぎわおう)……………中国魏より卑弥呼に贈られた金印に彫られた文〔倭の女王国を推理するより〕

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一方、二男のクカミは、すっかり阿曇族の中に溶け込んでいました。
奴国人の誇りの為、身体に、本当の刺青はしませんでしたが、灰墨で模様を描いていて、その他のことは全て、阿曇族の慣習のままの生活していました。
普段は静かに象形文字で書き物をすることが多かったのですが、時折、卑弥呼のいる邪馬台国の神殿に秘かに通っていました。
二つ目の金印を手に入れて三年目の梅雨の終わる日、ウシ王は馬上で、被っていた兜に雷が落ちて、急死してしまいました。
あの雷山の麓でのことでした。
ウシ王の子供達はまだ幼かった為に、邪馬台国にいた弟のツキヨミが、急きょ伊都国に戻り、王位を継いで兄王の葬儀をすまと共に、卑弥呼女王の神託として、一大卒長官も努めることとなりました。
しかし突然、大きな役目を負うことになったツキヨミは、姉であり女王である卑弥呼を上手に使いきれず、兄のウシ王がしていた様に、偽の神託を強行することが出来ず、しだいに倭国内に不満と不安が広がり始めました。
その事を卑弥呼も心配していました。
卑弥呼も自分自身、祭事をすることに自信を失っていて、女王としてツキヨミを助けきれずに、悩んでいました。

ある日、秘かに忍んで来ていたクカミに、その事を相談しました。

「クカミ様、我等はもうこれ以上、女王として神祭の姫として、やって行く自信がなくなりました。出来れば、この国を出て、こんな生活から逃げ出したいのです。あなたと二人で楽園で生活したいのです。どうしたらいいでしょうか?」

しばらく考えていたクカミが答えました。
やさしく卑弥呼の手をとって、

「ヒミ! まず、あなたの代わりになる者を探しなさい。 そして、その者に後を譲るようにするのです。その者を探してから後のことを考えましょう。 いいですね。」

卑弥呼ツキヨミに依頼しました。
い伊都国内から、霊感の強い女の子を探すよう、もし、居なければ倭国内に広げて探すようにと。
ツキヨミは苦労して、やっと不彌国々王の末の娘が、霊感の強いことを突き止め、h不彌国々王に頼んで自分の養女にもらい受け、邪馬台国に送りました。
まだ11才のこの娘を、卑弥呼は自分の五人目の助祭神として受け入れました。
この娘が後の女王となる壱与(※131)でした。
この娘の霊力は、以前から卑弥呼の元にいる四人の助祭神達よりもはるかに強いことは、卑弥呼にもすぐに判りました。
卑弥呼は自分の跡継ぎとしての祭事の儀式作法を、この娘に教えていきました。

五島は、展示場内の休憩場の長椅子の上で正気に戻りました。

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《用語解説》

※131)壱与(いちよ)……………邪馬台国の卑弥呼の後の第二代の神祭姫であった女王の名〔倭の女王を推理するより〕

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(五)九鬼と卑弥呼

五島はフラフラと常設展示場を出て、土産物や展示に関係した書籍類販売しているワゴン売店をぼんやりと眺めながら通り過ぎた。
突き当たりの大きな博物館の壁として造られている巨大な窓ガラスの前に並べてある休憩用の長椅子に腰をおろした。
しばらくそこで休んでいたが、とても疲れを感じた。
最初の頃は珍しさと責任感で無我夢中で弥生時代へ時を遡っていたが、慣れてくると、後でとても疲れを感じるようになっていた。

「あと少しのことです。我慢して下さい。 魂飛ばし(※132)をしているのですから疲れるのは仕方がありませんが、それは身体の疲れではなく、心の疲れですから、気持ちさえしっかり持っていれば大丈夫ですよ。」

と、ヤチヂ様が教えてくれた。
五島は手に持っていた特別展示場への入場券を見た。
そこには大きな字で「邪馬台国」と記されていた。
それが目に入ったとたんに又、五島は弥生時代にワープしていた。

真夏の夕暮れで、海岸は夕凪で静かだった。
一隻の丸木舟が、沖に泊められていた大きな帆を持った船から、波一つない海を渡って海岸に近づいて来ていた。
浅瀬に近づくと、一人の男が海岸に降り立った。
彼は一目で阿曇族だと判る刺青を全身に入れていた。
一度海水に全身を浸すと、両手で体を洗ってから砂浜に上がって来た。
松明を持った侍女の横から、もう一人の侍女が出て来て、布切れで、その男の体を拭き取りはじめた。
しばらくすると男の刺青がきれいに消えていた。
クカミの白い体が現れた。
今日はこの邪馬台国には、ツキヨミはいなかった。
ウシ王の急死後、王を継ぐ為に伊都国に帰っていて、亡くなったウシ王の葬儀や埋葬に追われていたのだった。
卑弥呼は伊都国には帰らず、邪馬台国に祭場で、ウシ王の葬祭を行っていた。
卑弥呼は女王であり、いくら兄とはいえ、女王国の出先機関の長だったのだから、卑弥呼が伊都国に帰らなかったことを、誰も不思議には思わなかった。
クカミは松明を持った侍女に導かれて、しばらく松林を歩いた。
そこには一台の籠が用意されていた。
一万もの兵士の目にふれない様に、クカミはこうして籠のまま邪馬台国の奥深くの神殿に運ばれていった。
神殿には、助祭神達と数名の侍女達以外は、男性ではツキヨミ以外は、立ち入り禁止であったため、クカミが来たことは、神殿以外の者は誰も気がつかなかった。
その時、クカミは58才、卑弥呼は53才になってはいたが、二人きりになると、長い抱擁と熱い口付けを交わし合い、卑弥呼は、その時だけは、女王でも神祭の姫でもなく、ただの一人の恋をする女性になっていた。
年をとっていても二人は仲は許されないで自由な行動が出来なかった為、より以上に愛は深まっていた。
クカミは神殿にある卑弥呼の寝室で横になっていた。

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《用語解説》

※132)魂飛ばし(みたまとばし)……………人が魂を想念の中で時や距離を越えて肉体を離れて移動させること〔かむながら神業報告書より〕

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クカミは横に寝ている卑弥呼に言った。

「弟のイワレは、私とヒミの仲のことを知っている。 私が話しておいた。 彼はこの邪馬台国と、伊都国や不彌国を父の仇と思っている。 今は近畿で国造りに懸命になっているようだが、いずれ、この邪馬台国に攻め込んで来るだろう。
山窩からの情報だと、イワレは鉄造りの材料を探していたようだが、この邪馬台国の南の地に、鉄鉱石があることを知ったらしく、その内に必ず、その領土を狙って攻め込んでくると思う。 その時は、先に私に事前に知らせが来ることになっているので、その折りは私はここに来て、ヒミ、そなたを連れて逃げようと思っているのだが、いいね!」

「嬉しい!必ず、そうして下さい。戦の最中だと、逃げても誰も気がつかないと思います。 嬉しい、やっと望みが叶うのですね。」

「よし決めた、約束する! ヒミも今の内から、少しずつ逃げる用意をしておきなさい。
二人で楽園に行って楽しく暮らそう。」

「ハイ!」

二人は硬く約束を交わした。
クカミがこの神殿におられる時間は長くても二日間ぐらいだった。
阿曇族の船が荷物を降ろしてしまえば、引き返さなくてはならないのだ。
ツキヨミがいる時は、とても警備が厳しく、クカミは何度も籠ではなくて、箱の中に荷物に混ざって運ばれたこともあった。
だいたい毎月、一回から二回はクカミはこの邪馬台国に来ていた。
この事を知っていたのは、阿曇族の一部と卑弥呼の神殿にいる助祭神の姫達や、侍女の数人だけでした。
イワレは邪馬台国の所在地をクカミからだけでなく、各地の情報網を持っていた阿曇族や山窩達から聞いて知っていた。

「なあ!五島殿」

突然、また、ヤチヂ様からの通信が入って来た。

「人が愛し合うことは決して悪いことではありません。何歳(いくつ)になっても愛というものは若い頃の気持ちと変わりはありません。
神々も愛し合い、結婚もし、媾合(※133)することもあるのです。
根元様がそう決められたのです。そのことによって、物が出来る、生まれるのです。
根元様が歪まれた時と同じなのです。
ただ、生宮には男女二人の間に、二人の子供として両方の遺伝子が混ざって子が生まれますが、神の場合は少し違うのです。龍体神界では夫神、妻神にそれぞれ別固の子神が生まれるのです。神界では同じ龍体神の神であっても、派閥があって、派閥というよりも流れというか同族というか、少し分かれていて、それぞれの流れに沿った子神が出来て、混ざり合うことはないのです。詳しいことはまた別の機会にということにしておきましょう。
神にも愛とか好きとかの感情があるのです。勿論 、嫉妬、やっかみ、略奪、不倫、強姦等々、今、人間界で起こっていることは、全て、神の世界で起こったことなのです。
そのことが全て、生宮の世界に映し出されるのです。今回は1800年前にも、こんなロマンがあったということを知ってほしかったのです。
それから五島殿、魂飛ばしはとても良い魂浄め(※134)になることを知っていましたか? 魂飛ばしは修験者達がやっている様な苦行を一とするならば十位の効果があるのです。苦行は肉体を痛めます。鍛練には良いかもしれませんが、魂浄めにはあまりききめがありません。魂飛ばしは心だけの鍛練ですから、効果が上がります。根元様は生宮の肉体を痛めることや傷つけたりすることは望んでおられません。苦痛を覚える量に比べて、魂が浄められる割合はとても少ないのです。これも偽神達が生宮を騙したことの一つなのです。」

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《用語解説》

※133)媾合(こうごう)………………神界の性交のこと〔かむながら神業報告書より〕
※134)魂浄め(みたまきよめ)………………魂みがきと同じ様な意味を持つ、魂の穢れを落とし浄めること〔かむながら神業報告書より〕

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第四章大和国(やまとこく)


(一)山門国(やまとこく)の誕生

イワレは奴国兵と鬼奴国兵、一緒に東征したヒクミの狗奴国兵と近畿にいた蝦夷のナガスネの兵を加えると、七千人程の戦士を動かせる様になっていました。
山窩や阿曇族達が各地で、この国はいずれ大国となるだろう、という噂を流して回っていたのでした。
その為、各地の色んな小さな部族は、イワレに主従を願い出て来て、労せずして兵士の数や領土が増えていったのでした。
いつの間にか兵士だけでも、一万五千人を越えていました。平民や奴隷をふくめるとなんと、三万人にもなろうとしていたのです。
イワレは難波に宮殿を建てて、山門という名を大和国と改め、やっと国としての成立をみようとしていたのでしたが、いくつかの問題が起こっていました。一つは狗奴国のヒクミが、前に住んでいた阿蘇や菊地地方によく似た山々を持つ熊野地方を狗奴国民の領地として認めてほしいと申し出て来たのです。
他の部族もそれぞれに領地を要求して来ました。
又、近畿という場所に国を移した為に、狗邪韓国の蔚山から、とても遠くなり、鉄鉱石を運ぶのに手間と時間がかかり、鉄器の生産が困難になっていたのでした。

狗奴国のヒクミは、山窩から、ある情報を得て、イワレに申し出たのでした。

「イワレ王殿、我々は熊野に入りたいと思っています、他の部族との兼ね合いもあるでしょうから、一つ手柄を立てて見せましょう。
その手柄に対する恩賞ということにすれば誰も文句を言わないでしょう。
実は山窩からの情報によると、邪馬台国の南部に砂鉄が採れる土地があることが判りました。我々がその土地を邪馬台国から奪って見せましょう。首尾よくいった時には、熊野を我々の領土とすることをお許し下さい。」

イワレはヒクミのこの申し出に対してこう答えました。

「いいでしょう。但し、砂鉄からの鉄の製法は少しばかり違うかも知れないので、その製法を探すことを、忘れないようにしてほしい。」

「判りました。実はその製法を吉備にいる部族が知っていると聞いています。彼等は、とてもよく切れる鉄剣を砂鉄で造って持っていて、とても強い精鋭部隊と聞いています。彼等を部下にして邪馬台国を攻めてみせます。彼等は山窩と仲が良いので、上手く交渉できるでしょう。」

吉備の部族は、ヒクミとの交渉に応じて、砂鉄の採れる領土の支配をこの部族に任せるという条件で承知した。
この部族はイワレ達が瀬戸内海を東征して行った時に、岡山の赤穂御崎で馬に乗って見ていた者達だったのです。
だからイワレ達の数の多さを知っていて、本当は恐れていたのでした。

邪馬台国攻めの総大将は、狗奴国々王ヒクミで、攻撃の先鋒は吉備の精鋭達でした。
この攻撃は、阿曇族の情報によって、伊都国のウシ王が急死して、邪馬台国の兵の統率者ツキヨミが伊都国へ帰って留守している時に行われました。

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戦いはあっけなくヒクミ軍の勝利に終わりました。
しかし、ヒクミ軍は邪馬台国の南部の、ほんの一部、砂鉄の採れる地域のみを占領して終わり、邪馬台国を滅亡までには追い込みませんでした。
ヒクミとしては自分達が熊野を領土に出来て、イワレの大和国に砂鉄が入るようになれば良かったのです。
それ以上の犠牲者を出すことを嫌ったのでした。
一応この戦は終結しましたが、邪馬台国内では、大騒動が起きていました。
この争乱の最中に神殿から、卑弥呼女王と四人の助祭神、それに侍女10人程が忽然と姿を消したのでした。
この日の夕方、阿曇族の船団が確かに荷物を運んできていましたが、その船団が出航したことは判っていました。
禁を犯して兵士達が神殿の隅々まで入って探しましたが、卑弥呼達は見つからなかったのです。
この争乱と卑弥呼の失踪のことは、すぐにツキヨミに知らされました。
ツキヨミは今は伊都国々王であり、一大卒長官としての大役を担っていて、倭国を離れることが出来ませんでした。
しかたがなく、前兄王ウシの子である、まだ若いタカギ(※ト)に、五名の有力な部下をつけて、邪馬台国に送ったのでした。
邪馬台国に入ったタカギ達は、卑弥呼の行方を探し回りました。
勿論、阿曇族にも捜索の手を伸ばしましたが、半年たっても判らないままでした。
結局、困ったツキヨミ王は、倭国民に卑弥呼が急死したと、嘘の話を告げ、葬儀は邪馬台国で、タカギに命じて、一人だけ残っていた助祭神壱与の手によって簡単に行わさせました。
墓は実際には造らず、倭国民には、大きな墓を邪馬台国内に造って埋葬したと嘘をついたのでした。
先の争乱で、領土の一部を失いはしたが、なんとか、女王国として倭国民に対して面目は保っていたのです。
しかし神託を受ける者がいないことは、倭国内に争いを起こさせる原因となりつつあったのでした。
困ったツキヨミは、壱与を新しい神祭の姫として祭事を行わせて、神託を出させました。
壱与はまだ13才でしたが、倭国民を説き伏せて、女王として奉ることに成功したのでした。
このことでツキヨミは、倭国内を治めることが出来たのでした。
大和の国の建国を成し得たイワレは、やはり邪馬台国を滅亡させることを望んでいましたし、出雲の国の良からぬ動きが気になっていました。

ここまでは五島が、太宰府から帰りの西鉄急行電車に乗車して、二日市駅で、福岡行普通各駅停車に乗り換えて、安心し、下車予定の高宮駅に着く迄の間、魂飛ばしで見ていた内容でした。

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《登場人物の説明》

※ト)タカギ………………ウシの長男、邪馬台国女王壱与の下で兵士の統率役となる。

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(二) 出雲国攻撃

老人になると、必ずと言っていい程、夜中にトイレにいく為に目が覚める。
五島も例外ではなく夜中に必ず一、二回は目を覚ます。
でも彼の年齢から考えると、回数が少ないほうであった。
今夜は二時頃尿意を感じて目が覚めた。冬の寒さは身に応える。
でも尿意に勝てず、起き出してガウンを羽織り便所に立った。
急いで戻り、まだ温かさの残る寝床に潜り込んだ。
普段はすぐ睡魔が襲って来るのだが、今夜は違った。
なぜか目が冴えて眠れない。何度も床の中で寝返りを打った。
明日は、月に一度の循環器内科の診察日だった。血圧を抑え心臓の不整脈を正す薬をもらう為に、バスに一時間揺られて、午前中の内に着くように病院に行かなければならなかった。
そのことを思えば思う程、よけいに目が冴えて眠れなかった。
眠れなくとも体を休めておけば大丈夫と思い、目を閉じてみた。

イワレとヒクミが相談していました。

「ヒクミ殿、実はクカミ兄より依頼が来ました。それであなたに協力してほしいのです」

と言って、木簡をヒクミに差し出しました。
ヒクミはそれを受け取ると、開いて読み始めました。
木簡には象形文字でこう書かれていました。

「出雲地区に和珥族が国を建てていて、このままだと対馬国と出雲国にはさまれて、動きを脅かされることになり、困っている。今度は君達の力を阿曇族に貸してほしい。お願いする。クカミ。」

ヒクミは少し考えていたが、

「実はこのことはすでに知っていました。我妻ヨロズのもとに、同じ耳族のある一族が開いた領土を和珥族に取られたとの知らせが来ていました。今後のことを考えると、出雲地区に和珥族の拠点をつくらせていることは、阿曇族との同盟上からも許すことは出来ないことです。」

「そうですか、あなたもそう思いますか。 私もそう思っていました。 それでは攻撃して、出雲地区から和珥族を追い出すことにしましょう。 協力して下さい。」

「分かりました。私から吉備一族にも伝えて協力させます。」

と、ヒクミは吉備の精鋭達を使うことを申し出ました。
和珥族は、不彌国や伊都国と同盟関係にあり、出雲を足掛かりにして、阿曇族のこの地区の海上支配を破る計画をしていたのでした。

大和国の出雲国攻撃は、先鋒の吉備一族の働きがめざましく、海人族の和珥族は騎馬戦にたけた吉備一族の敵としては弱すぎました。
阿曇族もこの攻撃に呼応して海上封鎖をし、対馬の和珥族や、不彌国の援軍送りを阻止し、伊都国も阿曇族を、倭国から邪馬台国への物質運搬に使っている関係で、和珥族に味方も出来ず、孤立した出雲国は大和国の手に落ち、この地にいた和珥族は、全滅してしまいました。

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イワレは、この強大になった大和国の王となりましたが、まだ、東征前の誓いである、北部九州統一は出来ずにいました。
ただ、クカミと阿曇族の力を借りて、南韓国の洛東江支流の南江に位置する狗邪韓国の蔚山で、製鉄させて、鉄鉱石ではなく、鉄の塊として阿曇族に運ばせて、吉備の造る玉鋼(たまはがね)と合わせて強靭な武器の製産に成功していました。

出雲国との戦いの翌年、イワレは病死しました。
結局、イワレは自分の手では父王達の怨みを晴らすことは出来ず、後日、5世紀の初頭になって、不彌国を取り込んで出来た磐井(いわい)が、大和朝廷の朝鮮出兵に際し、反旗をひるがえし、争乱となった「筑紫君磐井の乱」(※135)で大和朝廷の命を承けた物部氏によって戦に負けて消滅し、この時、伊都国の末裔で、邪馬台国の守備隊司令官の伊都之尾羽張(いとのおばねばり)の子孫である羽白熊鷲(はしろくまわし)が、雷山の神籠石の近くで討伐され、伊都国も一緒に滅亡したのでした。
イワレの正しい本名は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)と言って、神武天皇(じんむてんのう)と名乗られるのは、奈良時代に編纂された、日本書紀によって初代天皇とされた時からでした。
イワレの死後、妻のチルは長男オオクニ(※ナ)の王位継承を見届けると、九州征服と、義兄クカミのその後の調査を、と言う夫の意志を遺言として伝えると、イワレの後を追うように、この世を去ったのでした。

大和国の王となったオオクニは、東方諸国の平定と護りをヒクミに任せ、自分は前王からの遺言を実行すべく動きました。
まず、伯父のクカミの行方を捜しました。
阿曇族の伝(つて)をたどって、やっと宗像大島迄、たどり着き、ここの部族長と面談しました。

「族長殿、私はオオクニと言って大和国の王ですが、父王の遺言で伯父のクカミ様を捜しに来ました。こちらにおられると聞いて来たのですが、どうかクカミ伯父に会わせてくれませんか?」

と頼みました。

「よくぞ、こんな遠く迄、王様がわざわざおこし下さいまして恐縮しております。確かにクカミ様はこちらにおられました。 この阿曇族のなかに紛れておいででしたクカミ様を私共は、みんな親以上に慕っておりましたが、あるとき、クカミ様は、卑弥呼女王様と14人の助祭神様や侍女達を連れてこられ、この島の中津宮に館を建てられまして、三年間程暮らしておられましたが、どうしても南の国にあるという楽園に行くのだとおっしゃって、私共が用意した船と船頭達と一緒に、夏の終わりに出航なされました。まず沖ノ島に向かわれたことは判っておりますが、その後のことは判りかねます。」

族長は、丁寧に事の次第を話しました。

「沖ノ島には何の為に行ったのですか?」

「私共阿曇族は、志賀海神社の綿津見之大神様をお祀りして来ましたが、和珥族に乗っ取られてからは、沖ノ島に神座されていると伝えられて来た綿津見之大神様の親神様と言われているイザナギ、イザナミの二つ神様を信仰して、毎年祭りをしております。だから我々は遠くに船出する時はまず、沖ノ島に寄って祭りをして航海の安全を祈ってから出掛けることにしていますので、必ず寄ったと思っています。」

「良く判りました。それでは私達を沖ノ島まで連れて行ってくださいませんか?」

「いいですとも、御案内させましょう。」

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《登場人物の説明》

※ナ)オオクニ………………イワレとチルの長男、大和国の二代目王。

《用語解説》

※135)筑紫君磐井の乱………………6世紀前半、継体天皇の時代に筑紫国造磐井が北九州に起こした反乱、大和朝廷の朝鮮経営の失敗によって、負担の大きくなった北九州地方の部族の不満を代表したものと見られ、新羅と通謀したともいう。物部氏らによって平定。福岡県八女市の岩戸古墳は磐井の墓と伝える。〔広辞苑より〕

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オオクニ達は阿曇族の若者達の案内で沖ノ島に渡った。
島の山中で祭事の跡を見つけたものの、クカミ達の姿はありませんでした。
オオクニは、クカミ伯父達は南の島へ旅立ったと確信し、これ以上の捜索を断念しました。
帰りがけ、船に乗る前に、砂浜と山の岩との間に菜の花が群れになって鮮やかな黄色の花を咲かせているのを 見つけました。
オオクニはそれが、クカミ達がここに寄ったという確かな印だと思い、そっと手を合わせました。
この後、オオクニ王は、大和から、毎年使者を沖ノ島と宗像大島の中津宮に送り、祭事を行い、この祭事の慣例は、ずっと後まで、大和朝廷に引き継がれていきました。
もう一つの遺言、九州征服は、後日のこととなり、オオクニの代では果たすことが出来ませんでした。

五島は寝ているのか起きているのか判らないままに夢を見ている気がしていました。
突然ヤチヂ様の声がして頭がはっきりしてきました。

「神界でも戦がありました。龍体神界の神界戦争は熾烈(しれつ)を極めました。 根元様の裁可で地乃世界之親神(※136)様が、地球神界の長として君臨しておられましたが、神界一の美男美女に横恋慕する神が現れ、神界の秩序が乱れて、地乃世界之親神様に対抗し、地球神界を我が物にしようと思う神々がでて、覇権を争って、地球の陣取り合戦を行い、激戦となって、ほとんどの龍体神界の神々が傷つき倒れ、封じ込められたりしました。 最後には反対派が勝利し、親神様を生宮にはこれが鬼だと偽って、北海道の北東に追い込み隠遁(いんとん)させてしまったのです。
これが丑艮の金神(※137)と言って、鬼門(※138)と称して、この方向を反対派の神によって嘘を教えられた人間達が忌み嫌うこととなったのです。
このことが根元様の怒りにふれて、全ての神々が、神規によって封じられたり、地に落ち、世に落とされてしまい、本来の神としての資格や力を無くして、役目が出来なくなってしまったのです。
だから、長い間、神々は、働きたくとも働けず、動くことすら出来なかったのです。
肉体をもった人間つまり生宮が神々よりも先に、第一歩を印さなければ、又、型出しをしなければ、神々だけでは、根元様から許してもらえないという神規により、元の完全な神様には戻れなかったのです。
遠い昔、神の至れり尽くせりの保護のもとで、何の努力もしなくなった無気力な生宮を見られて根元様は、生宮と神との間を繋いでいた神線を切られて、その代わりに魄を与えられたのですが、今度は魄、つまり慾心が強くなり過ぎて、弱肉強食優勝劣敗になってしまいました。神線を根元仕組みとして切られた為に、神々が願いが、なかなか生宮に伝わらなかったのです。
しかし、その根元仕組みに乗じた偽神達も見過ごしていたことがありました。全ての神線は切られたと思っていたのですが、これが、『一厘の救い』とでも言うのでしょうか? 今にも切れそうな、細い一本の糸が残っていたのでした。
ほんの一筋の神線をたどって、神人達の集団を見つけ出し、根元様の御心を汲み取った、この日本国の大国魂としてのお役をお持ちの末代日乃王天之大神(まつだいひのおおあめのおおかみ)殿が作った神々の救済計画、つまり末代プログラムの通り、実行へ移され始めたのです。
貴方達神人は末代殿の指導を受けて、神々が封鎖されたり、落とされたりしている実際の現場に行って、復活出来るように神規通りの祭事や、体現や型出しとか浄めをし、生宮が一柱、一柱の神々を救出していっているのでしょう。
八百万(※139)の神々がいるだから、その祭事等の回数も多くなるのですが、少しずつ神々が復活してくると、その神々も神業に加わり、神々を救出する力が強くなり、復活の速度が早く出来るようになって来ています。
五島殿はもう知っていると思いますが、祭事には決められた神規があります、神人の参加数も、どの神人なのかも限定されています。各神人は、どんなに祭事に参加したいと思っても、末代プログラムに加えられてない神人は参加できないのです。又、反対に、たとえば神業参加の為の旅費が不足していて参加が無理だと思える時などに、神様がこの神人の参加が必要と思った時は、眷族神(※140)や家祖達が働いて、労せずして神人の元に必要資金ギリギリではありますが、資金が集まってくることになります。
五島殿!眠そうですね、あなたが朝起きなければならない時間迄、まだ、三時間程ありますから、大丈夫、一休み出来ますよ、ではゆっくり休んでください。お休みなさい。」

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《用語解説》

※136)地乃世界之親神(ちのせかいのおやがみ)…………………龍体神界、地球管理神の地系の長神で唯一無二の根元様がこの神界に降りられた一形態、丑艮(うしとら)の金神(こんじん)のこと〔かむなから神業報告書より〕
※137)丑艮の金神(うしとらのこんじん)…………………地乃世界之親神様のこと、北海道沖東北海底に隠遁された後、偽神によって鬼と称されたお姿のこと〔かむなから神業報告書より〕
※138)鬼門(きもん)…………………鬼が出入りするといって万事に忌み嫌う方角で丑艮、つまり東北方向のこと〔広辞苑より〕
※139)八百万(やおよろず)…………………数がきわめて多いこと〔広辞苑より〕
※140)眷族神(けんぞくしん)…………………一族、親族、身内、従者、ある神に付き添う神〔広辞苑より〕

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第五章 菜の花

(一)糸島半島

五島はバスから地下鉄に乗り継いで、地下鉄から続いている筑肥線で波多江駅まで来て下車した。
小さな手提げ鞄を肩から掛けて歩き始めた。
曽根の近くにある平原遺跡(※141)までハイキングするつもりで駅から南下し、瑞梅寺川沿いに、のんびりと歩いていた。
4月の中旬過ぎの日曜日であった。
しばらく歩くと、そのあたり至る所に、畑はもちろんのこと、川端の土手等も、真っ黄色に染まっていた。
菜の花が、今は盛りと咲いていた。
土手の上に腰を下ろして、五島はしばらく雲一つ無い、真っ碧な空と菜の花の黄色をかわるがわる眺めて、そのコントラストを楽しんでいた。
家族と思える一行が目の前を通り過ぎていった。夫婦と男の子と女の子の4人連れで、いかにも春の休日を楽しんでいる様子で、あちらこちらで写真を撮って楽しそうであった。
小学校の高学年になるであろうと思える少年が一番後で、菜の花にとまっている揚羽蝶(あげはちょう)を追いかけいた。

「お兄ちゃん! 早く・・・」

とい妹が呼んでいる。
五島はその様子を眺めていてあることを思い出した。
神人の中で神読役(※142)を唯一人続けているリーダー的存在の彼が書いた神報の番外編での話しだった。
彼は五島と同い年であったが、この神人の集団では先輩であり、彼の神読の的確さと神がかり的な判断をいつも尊敬の念で見ていて、兄的存在の一人であった。
その彼が神の存在を確信したのは、彼のその神報番外編によると、菜の花畑だったと書いていたことを思い出していた。

「五島殿! どんな心地ですか? 姫神達の真心を込めて作った作品の中にいることは気持ちの良いものでしょう。」

とヤチヂ様から声がかかった。

「本当に気持ちがいいです。花も美しいし、空も碧く高くて・・・」

「その菜の花は、今では花を摘んで、おひたしや味噌汁にして食べているようですが、
昔は全部この実を摘んで、潰して油を採っていたのですよ。菜種油(※143)です。
江戸時代に、生宮が、櫨樹(※144)から蝋燭(ろうそく)を作ることを発見し、使い出すまで、神祭の姫の祭事の時はもちろんのこと、各自の家の中でもその油に灯を点して使っていたのですよ。」

「ところで一つ、お尋ねしてよろしいですか?」

五島はヤチヂ様に聞いてみた。

「何ですか? 私が話せることであれば、何なりとどうぞ。」

「クカミと卑弥呼は、あの後どうなりましたか? お教え下さい。」

「クカミと卑弥呼! そうでしたね。
まだ詳しく話していませんでしたね。
丁度、狗奴国軍が邪馬台国の領土に攻め込んだ時には、クカミは卑弥呼と神殿の奥に二人でいました。
クカミはイワレからの知らせで今夜、狗奴の軍が急襲をかけてくることを知っていたのです。
クカミはそのことを卑弥呼に知らせ、戦の隙を突いていつでも逃げ出せる準備をしていました。
伴に連れて行くのは、子供の頃から手元に置いていた4人の助祭神と、 10人の侍女達でした。
クカミと卑弥呼は、荷物に隠れて運ばれ、クカミの帰りを待っていた阿曇族の船に乗り込んで、宗像大島へと逃げ延びたのでした。
クカミ達一行は、宗像大島の中津宮に館を建ててクカミと卑弥呼は衣装を変え、偽名を使って、三年間程ここで暮らしました。
邪馬台国や伊都国の役人達が捜しにやって来ましたが、阿曇族は誰もそのことを教えず、隠し通しました。」

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《用語解説》

※141)平原遺跡(ひらはらいせき)…………………福岡県糸島市曽根にある弥生時代の王墓と言われている遺跡〔福岡県の歴史散歩より〕
※142)神読役(しんどくやく)…………………サニワと同義、神慮を審察する人〔広辞苑より〕
※143)菜種油(なたねあぶら)…………………菜種から搾った油、食用、灯火用、工業用 に用いる〔広辞苑より〕
※144)櫨樹(はぜのき)…………………ウルシ科の落葉高木、実から木蝋をとる〔広辞苑より〕

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「二つ目の金印はどうなったのですか?」

「五島殿、良い質問ですね。
貴方も、すっかりこの話に引き込まれましたね。
二つ目の金印は勿論、逃げる時に卑弥呼が、大事に懐に入れて行きました。
あれを邪馬台国に残して行くと、又、別の偽の神祭の姫が現れて、それを利用する偽神が神託を行うことになると考えたからです。
卑弥呼自身は、自分が偽の神祭の姫だったことを知っていたから、ずっと悩んでいました。
真の神祭の姫だったフク姉の毒殺を兄のウシ王が指示したことや、フク姉の跡継ぎと決
まっていた私を罪人にして、兄の力によって自分が代わりの神祭の姫にさせられたこと等
を、とても後悔していました。
本当の卑弥呼は心優しい、とても素直で、クカミを心の底から真剣に愛する女性だったのです。
クカミと出会わなかったら、おそらく卑弥呼は、この歳まで生きていなかったでしょう。
早くに死を選んでいたはずです。
二人が宗像大島に逃げ込んだ時には、クカミは61才、卑弥呼は59才にもなっていました。この歳になってまでも、二人の愛は本当の幸せを求め合っていたのです。」

「神祭の姫には、女性であれば誰でもなれるのですか?」

「女性で無くても男性でも可能性はありますが、男性の場合は非常に難しいですね。
でも今、あなた方神人達が苦労して進めている末代プログラムが完成すれば、神線が繋がって誰でも神祭の姫と同じ様になれますよ。
でも今はまだ、ある女性に限られますね。」

「ある限られた女性とは?」

「生宮は女性でも男性でも誰もが、生まれ出る時、体の中の仙骨に魂親(みたまおや)となる神が入ります。
それと同時に、人それぞれに異なった神々が指導神として数柱の神が付くことになっています。
人間がよく言う守護霊(※145)とかとは違います。
神なのです。
この神々は守護等はしません。
魂親神は、その神の持つ特質や役目をその受け持つた生宮に現します。
そしてこの世に生かす役目をします。
一呼吸一呼吸ごとに呼吸をすることの手助けをされるのです。
指導神は、時、その時々において、どう行動するか、入れ代わり立ち代わりして指導するのです。
多い場合には、一人の生き宮に何十柱もの指導神が付くこともあります。
それも男性だから男神、女性だから女神とは決まっていないのです。
反対の場合もあります。
また、神にはその一神の中でも第一からずっと第十迄分かれていて、第一が古い昔の神で、第十になるほど現代に近い性質を有しています。
この様な色んな神の組み合わせで一人の生宮はこの世に生かされているのですから、全く同じ生宮としての存在は、無いことになります。

話は元に戻りますが、神祭の姫になれる可能性は、魂親神が、世乃元之神あれば、全て神通可能ですが、主として二柱の神が有力です。
一神は言上姫之大神(※146)、もう一神は上義姫之大神(※147)を魂親に持つ女性です。
でもその他の神を魂親に持つ女性でも、神業を積んで、真の神祭りの姫とする必要があると世乃元之神が考えた場合は、その二神以外の魂親神であっても神祭の姫として使うことがあります。
言上姫之大神を魂親に持つ神祭の姫の場合は要注意です。神の名前が示す通り、聴こえてくる色んな言葉を全て聴いて言葉として上げる、言葉として出す、通訳を何でもするのです。
誰の言葉であってもです。
偽神も、人霊も、動物霊も全てです。
それで神読するサニワ(※148)役が重要となります。
どの言葉が本当の神の言葉か、ちゃんと選別しなければならないのです。
神読と神通(※149)が一セットで、初めて、本当の神託を得ることが出来るのです。
勿論、神読師つまりサニワ師の質も大事なこととなります。
神々の言葉とは、とても難しいことが多く、一言が何通りにも解釈出来ることが多いのです。
多くの宗教団体が有りますが、ほとんどが、ある一部の神と波長があって、少し通信が出来る女性がいて、その廻りに自己利益誘導主義者(※150)達が慾心だけで集まって来て団体を作っているものが多いのですが、それでも、良い神読師が付いていれば、別ですが、ほとんどと言って良い程、多くの団体には、本当の神読師はいなくて、神託を自分達に都合の良い方へ誘導しようとします。
そんな宗教団体は必ず時が 経てば、偽神に取って代わられて、破滅することになります。」

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《用語解説》

※146)言上姫之大神(ことじょうひめのおおかみ)…………………龍体神界の地系の女神〔かむなから神業報告書より〕
※147)上義姫之大神(じょうぎひめのおおかみ)…………………龍体神界の上義系長神で末代日乃王天之大神の妻神〔かむなから神業報告書より〕
※148)サニワ…………………神読と同義〔かむなから神業報告書より〕
※149)神通(しんつう)………………神の言葉を伝えること〔かむなから神業報告書より〕
※150)自己利益誘導主義者(じこりえきゆうどうしゅぎしゃ)………………自分の利益になることに誘導することを考え、教団に近づく者のこと〔かむなから神業報告書より〕

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「神の言葉を神読、サニワすることは難しいことです。
ある宗教団体では、こんなことがありました。
教団員の息子が、ある日、漁に出て遭難しました。
捜索隊が出て捜したのですが見つかりません、10日以上過ぎても発見出来ず、捜索を打ちきるかどうかということになり困った家族は、教祖に伺いをたてました。
すると、神託が降りました。
『死んでおらん』と一言だけでした。
これを聴いた家族は大喜びして、私財を投げ売って、自費で捜索を続けましたが、結局見つかりませんでした。
家族はこの神託を自分達の都合の良い希望に合ったことに解釈したのでしたが、
『もう死んでしまって、この世にはいない』とも解釈出来たのです。
この様に神の言葉は解釈次第では、どの様にでも変わるので、しっかりした神読師が、長い鍛錬を積んで、何度も取り継ぎを検証して解釈しなければ、ちょっとでも気を弛めると、すぐ偽神達が入り込んで来ます。
ある神が、あなた達神人に、以前、言ったことを覚えていますか?
『取り継ぎ役は8人、サニワは1人』と、この様に取り継ぎ役は何人も現れますが、本当のサニワ師は数少ないのです。
代が代わって神読師が国替えになると、後を継ぐ者次第では、偽神や動物霊達の餌食となってしまいます。
動物霊と言って軽く見ていると大変なことになります。
金毛九尾(※150)と言って恐ろしい化け物等もいました。
またある動物霊等は神のふりをして、人間に、自分の好物を沢山供えさせる為に、その人間の望むことを叶えてやろうとします。
人間が金を欲しがれば、ドサッと与えます。
本当は、その人間の子供や孫達三代が、一生かかって得る金を、その人に一度にまとめて与えているのです。
だからその人は大金持ちにはなります。
喜んでその動物霊の好む物をいっぱい供えますが、子や孫達の人生は目に余る事となります。
神祭の姫を含めて、霊感のある生宮が、神からの取り継ぎをする方法は、色々有りますが、その生宮の質とか波長とかが、神通する相手の神の違い等によっても変わります。
その相手が動物霊や、人霊だったり偽神だったり、真の神であってもその神の属する神界の違いによっても異なりがあります。
通信を受けた生宮の表現の仕方も異なります。
聴こえた声を、声として出す者、字にして書く者、字が見えて読む者、その字を書く者、数字の羅列が見える者、光とか色しか見えない者、姿や風景が見える者、中には生宮の動きを利用して通信を送る者が憑依(※151)して表に出てくる等々、多岐に渡ります。
その他に自動書記(※152)と言って、気を失ったり眠ったりしたまま勝手に手が動いて、字を書くものがありますが、この場合は右手で書く場合は、真の神の通信でないことが多いということは、もう五島殿経験上から知っているでしょう。
また、取り継ぎ役は、神託を終えると、全て何を取り継いだのかを忘れてしまうのが本当で、もし、その中身を知っているとすれば、その神託は疑う必要があります。
神託として出たのではなく取り継ぎ役の知識や考えとして出た場合があるからです。
それから神は、二度同じ事を言わないことになっていますから、取り継ぎに出た言葉は必ず記録しておく必要があります。
今日の取り継ぎで出た神託と関係のあることが、何年も経って、突然出てくる事項に関係することもあります。
全体の流れを良く見ておく必要があります。
そうすれば流れに関係無い事柄が見えてきたりします。
その時は、後日に関係することか、偽神達の言葉かが判ってきます。
この間、犬山神社であなた方神人と出会う迄は、姉のフクを除くと誰一人として、本当の神祭の姫は、この世に現れて来ませんでした。
あの時、私が、思わず『チキ』と呼んだことを覚えていますか?
『チキ』とは、ずっと、ずっと昔、根元様によって神線を全部切られた後も、たった一人、その神線を守っていて、ついに、赤目牛霊団によって、北海道のルベシベ川迄、追い詰められて殺された最後の神祭の姫の名前です。
私はあの時、あの取り継ぎ役の娘にチキの面影を見て、思わず呼んでしまったのです。
今日は本当に良い天気ですね。
五島殿、ここの素晴らしい空気をいっぱい味わって行って下さいね。」

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《用語解説》

※150)金毛九尾(きんもうきゅうび)………………九つの尾をもった金色のキツネの化け物〔かむなから神業報告書より〕
※151)憑依(ひょうい)…………………よりすがること、よりどころとすること、霊等がのりうつること〔広辞苑より〕
※152)自動書記(じどうしょき)…………………フロイトの潜在意識説明に基づいて筆の赴くに任せる書記法〔広辞苑より〕

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(二) 筑紫平野

五島は糸島へ行った3日後、今度はバスを乗り継いで南区の南の外れ、須玖小学校前のバス停で降りた。
ここの東側にある春日市の岡本地区の奴国岡本遺跡を見てまわってから、近くの奴国歴史公園に入って行った。
五島が予想した通り、ヤチヂ様から声がかかってきた。
やはり五島の気持ちは、ヤチヂ様には完全に見透かされていることが判った。

「私を待っていたのでしょう。この辺りはあまり菜の花は残っていませんね。
あの頃はここも美しかったのですよ。
黄色と緑色の絨毯でこの丘からの眺めは、それは素晴らしいものでした。
だからカノウザキ王が父王の墓をここに造らせたのです。」

「ヤチヂ様、私がこの奴国の末裔とのことでしたが、どんな繋がりがあるのですか?
お教えてくださいませんか?」

「そうですね。あなたは奴国王の血の流れとして一番正しい聖骨から産まれた生宮です。」

「聖骨?」

「聖骨とは、本家とでも言いましょうか、血統で言うと一番正しい血筋の女性のことをいいます。
あなたの国替えになられた母君が、その聖骨に当たっていました。
奴国王タイフから、三男イワレと続く系統で、長い間、大和の国、つまり関西に住み付いていたのですが、紀元1592年に豊臣秀吉が朝鮮出兵をした時、その兵隊の荷物や食糧を運ぶのに多くの商人や庶民達が、難波から博多に移りました。
本陣は唐津の名護屋城(※153)でしたが、博多の街はその当時、この辺りで一番の商業都市でしたから、秀吉軍の後陣の食糧補給基地となっていました。
あなたの先祖は、その商人達に混ざって博多入りし、筥崎宮(※154)の前に店をかまえ、米穀問屋を営みましたが、秀吉軍が引き上げた後は、この地に残り、綿や衣類等の商いをするようになりました。
その後、やはり、奴国民の末裔で、篠栗町の若杉山の麓に不彌国民に変装して紛れ込み細々と隠れ住んでいた農家の娘を縁があって妻に迎え入れ、薄まっていた血筋がふたたび濃くなり、今では一番の末裔となっています。
お盆の迎え灯として必ず昔から、玄関に下げていた大提灯に書かれてある家紋の裏側に『綿』と大きく書かれていたことを貴方は知っているでしょう。
あれは綿を商いしていた名残りです。」

五島は思い出した。
五島家なのに『綿』と何の関係があるのかと疑問に思ったことがあった。
天正時代、今から400年以上も前から、ずっと、代々、何度かは作り替えたであろう提灯に、『綿』の字を入れ続けてきていたとは、これも家祖が仕組んで来たことかと五島は感心していた。

「でも、あなたの先祖の中には神に背いた者達もいました。それは『青い血』を受け入れることで命乞いするか?と選択を強要されて、右脳を差し出して青い血を受け入れて赤目牛霊団の軍門に下って真の神の信頼を裏切ったという事件の型出しを、あなた方奴国の一部の民が行ったのです。
例の『ウシどん』の襲撃を受けた部族の長が、奴国の新しい情報、鉄器製造の秘密を話すことで、村人が皆殺しにあうことから助けるために荒吐(アラハバキ)と同じ事をし、赤目牛霊団の形出しをしているウシどん達に屈したのです。
こうした形出しと同時に『青い血』を偽神によって入れられたことが、長い時間をかけて、代々、日本国民に広がって行ったのです。
昨年の1111、つまり11月11日に五島殿、貴方の自宅で『家祖懺悔祭』(※155)という祭りをやりましたね。
あれで家祖の救済がかなって、あの青い血のタテカエとなり、家祖達は今は全ての魂の穢れが消えて喜んでいましたが、貴方は何とも不に落ちないという顔をして、祭りの先達を努めていましたね。
無理もありません。
今迄、事情を知らなかったのですから、あの祭事は、大変重要なことだったのですよ。
あれから青い血に関する神タテカエが早まったのですからね。」

「その真の神に背いた村民達との関係は、同じ奴国民というだけですか?」

「その村の長の娘が、タイフ王の妻だと言えば判るかな?
いいよいよ終わりに近づきましたね。
今日は、ここまでにしておきます。」

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《用語解説》

※153)名護屋城(なごやじょう)…………………佐賀県北部東松浦半島鎮西町にある中世松浦党の本拠地、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、この地に本陣を置いた〔広辞苑より〕
※154) 筥崎宮(はこざきぐう)…………………福岡市東区箱崎にある元官幣大社、応神天皇を主神とし、筑前国一の宮、筥崎八幡宮〔広辞苑より〕
※155)家祖懺悔祭(かそざんげさい)…………………家祖が神規に触れる罪を犯したことについて懺悔し、詫びて赦しを乞う祭事〔かむなから神業報告書より〕

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(三) ニライカナイ

一応この話は終わったと五島は思った。
他の神人達に話の内容を知らせる為、報告書の清書にかかった。
食事の時間も忘れて書き続けていった。
やっと終わる頃になって、まだ終わってないという気がしてきた。
どうにかしてもう一度、ヤチヂ様に話を聴きたいと思った。
志賀島か、芥屋大門に行けば、あるいは会える可能性があるかも知れないが、最後に奴国歴史公園で話を聴いてから、もう三ヶ月は過ぎていた。
五島は考えたあげく、思いきって自宅の人祖之宮に灯を付けて、二礼三拍手一礼して訊いてみた。

「五島家の人祖之宮においでの神々様にお尋ねします。
こちらに来られていた、人霊のヤチヂ様は、 もう神界にお戻りになられましたか?」

すぐに返事が返ってきた。

「家祖代表です。ヤチヂ様はすでにお帰りになられました。貴方に全てをお話になられたから、安心してお戻りになられました。
『一人でいいから、神の神実を知ってくれる生宮がおれば、それで良い』という根元神規の通り、ヤチヂ様は、貴方に伝えたので、お役を終えられたと確信され、神界のやんごとなき上位神であられる、赤座布団にお座りの夫神様のおそばに戻られました。」

「それではもうお話を聴くことは出来ませんね 、もう少し知りたいことがあったのですが。」

「まだ何かあるのですか? 貴方がどうしてもと言うならば、こちらにおわします人祖之神様に御願いして問いあわせていただくことが出来るかもしれません。
訊いてみてあげましょう。
何が聴きたいのですか?」

「お願いいたします。
クカミと卑弥呼は逃亡後、宗像大島に隠れ住んでいた後、どうなりましたか?
楽園へ行く為に沖ノ島へ向かったとは聴いていたのですが、その後はどうなりましたか?
また、二つ目の金印の行方は?
今はどこにありますか?
結末迄、聴いておりませんでした。
この報告書を読んだ神人も皆、そう思うと思います。」

「判りました。それではそなたも手伝って下さい。」

「何をすればいいのですか?」

「のり(※156)」

「分かりました。
のりは根元のり三つ全てですか?
神呼吸(※157)は何回にしますか? 」

「各一回」

「分かりました。それでは三全根元のり各一回、神呼吸各一回でよろしいでしょうか?」

「そのように・・・」

五島は少し間を置いて、いつも神前では胡座(あぐら)をかいて座っていたが、久しぶりに正座になって静かに瞑想して 二礼三拍手一礼して発声した。

「天地〰根元〰(てんちこんげん)」

その後に神呼吸として一回長く深呼吸をした。
また、二礼三拍手一礼して、

「天地〰大元〰(てんちたいげん)」

その後に神呼吸一回、二礼三拍手一礼して最後の発声をした。

「宇宙〰大元〰(うちゅうたいげん)」

神呼吸一回、終わりの〆として二礼三拍手一礼して静かに待った。
一対の灯りとしてつけてある蝋燭の左側の炎がゆらゆらと揺れた。

「家祖です。ヤチヂ様は次の様に伝えてくれとのことです。よく聴きなさい。」

「ハイ。」

と返事して、五島は急いで手帳を開いて待った。

「宗像大島の阿曇族にまぎれ込んで、暮らしていたクカミ達は、三年後の夏の終わりに、部族長に頼んで、数人の船頭と、船を一隻貰い受け、船出しました。
島を出る前に、クカミは族長に頼んで、長い間、苦労して大量に書き留めた木簡の束を、大和のイワレ王に届けるように言い残して行きました。
大量の木簡の束を積んだ船は、部族長の命令で大和国を目指しましたが、丁度、大和国軍が出雲国攻撃を始めた時に当り、瀬戸内海 の航行が止められていて通れず、四国の外、太平洋側を回ることになりました。慣れない航路で、船は座礁し、難破してしまいました。
船が壊れて流れ着いたのは、紀伊半島の潮岬(しおのみさき)だったのです。
この頃、熊野は、狗奴国のヒクミ王の領地となっていましたが、ヒクミ王は出雲国攻めの最中で不在でした。
狗奴国がこの熊野地区を領地にしたことは、昔からこの地区に土着していた山窩の一部族が、ヒクミ王に対して快く思っていなく 、このクカミの木簡は、彼等の手によって山奥深く隠匿されてしまい、大和国王イワレの手には渡りませんでした。
後世になって奈良時代の藤原不比等(※158)に発見されて、象形文字から漢字に書き換えられ、クカミが書き残した以外の事を色々と書き加えられて、九鬼文書(※159)として熊野別当宗家の九鬼家と名乗る家に代々伝わって来たのでした。」

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《用語解説》

※156)のり…………………祝詞(のりと)と同義、祭事の儀式に唱えて祝福する言葉〔広辞苑より〕
※157)神呼吸(かみこきゅう)…………………深呼吸のこと、神と人とが一体になる為に行う〔かむなから神業報告書より〕
※158)藤原不比等(ふじわらふひと)…………………奈良時代の貴族、律令制度の確立に務め、藤原氏の隆盛の基礎を作った人物〔広辞苑より〕
※159)九鬼文書(くかみもんじょ)…………………熊野別当宗家である九鬼家に伝わる文書、超古代から古代にかけては神代文字で記され、奈良時代藤原不比等が漢字に書き改めたと言われている〔日本超古代文明のすべてより〕

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「クカミ達は、宗像大島を出て、当時の慣わし通り、遠い船出の前には必ず寄る沖ノ島に渡り、島の山の中腹にある巨岩の上で、卑弥呼をはじめ四人の助祭神達によって祭事が行われました。
山を降りて来た時、クカミは自分達の足跡として残す為に、砂浜と山の岩との間に持って来ていた袋の中から、二十粒程の菜の花の種を蒔いて行きました。
大和国王オオクニが発見した菜の花は、この種が潮風や、冬の北西の寒い風にも負けないで生き残って、代替わりした菜の花だったのです。
クカミ達の船は、南の海の彼方に夢や希望に溢れた理想郷で、神の国であると言われているユートピアの、ニライカナイ(※160)を目指して南下しました。
この季節は南から強い低気圧の渦が発達して、よく北上してくる頃であったと聞いています。

二つ目の金印は、沖ノ島を捜せば、あるいは見つかるかもしれませんが、無ければ卑弥呼が持ったまま行ったかもしれません。
その後の彼等のことは海の守り神である綿津見之大神か竜宮乙姫之大神(※161)の眷族神(けんぞくしん)に訊くか、地乃世界之親神様の眷族と言われている鯨達がよく集まるタヒチ諸島のルルトウ島(※162)かライアテア島(※163)の神に聞けば、あるいは菜の花の一杯咲いている所を知っているかも知れませんが、このまま訊かずに終わる方が、ロマンある謎の邪馬台国と、謎の神祭の姫で女王であった卑弥呼としては、一番ふさわしいと思うが、どう考えますか?五島殿に訊いてみて下さい、とのことでした。
それから最後に、

『五島殿は良い魂磨きをしてきましたね、五分線(※164)を超えるのも近いことでしょう。』

とおっしゃっていらっしゃいました。以上です。」
それは大母神之大神(※165)様として、本当の位置に神座されたヤチヂ様の最後の慈愛に満ちた優しいお言葉でした。

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《用語解説》

※160)ニライカナイ…………………奄美、沖縄地方で、海の彼方にあると信じられている楽土、そこから年ごとに神が訪れ、豊穣をもたらすと考えられている〔広辞苑より〕
※161)竜宮乙姫之大神(りゅうぐうおとひめ)…………………龍体神界日系の女神、海の守り神といわれる〔かむなから神業報告書より〕
※162)ルルトウ島…………………タヒチ諸島にある島、神の使いの鯨が集まってくると言われている。
※163)ライアテア島…………………タヒチ諸島にある島、楽園発祥の地、古代ポリネシア世界の中心地
※164)五分線(ごぶせん)…………………魂と物の比率は魂50%以上、物50%以下になると、人に与えられた視界限定で見えなくなる、物の比率が50%以上の時に見える、自然霊や、妖精は魂の比率が50%を超えているから見えない、接界五分線とはこのことの比喩、つまり生宮の神向き想念をこのことにたとえて言っていること〔かむなから神業報告書より〕
※165)大母神之大神(だいぼしんのおおかみ)…………………唯一無二の根元様から数えて四番目の神界、人祖神界の長神人祖之神様の妻神様のこと〔かむなから神業報告書より〕

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《参考資料》

・広辞苑(第五版) (株)岩波書店
・福岡、宗像、糸島の歴史 (株)郷土出版社
・古地図の中の福岡、博多 (有)海鳥社
・福岡の不思議事典 (株)新人物往来社
・福岡の歴史散歩 (株)山川出版社
・マックマップル⑦九州沖縄道路地図 昭文社
・別冊 太陽 古代九州 (株)平凡社
・発掘された日本列島2006 朝日新聞社
・倭の女王国を推理する (有)海鳥社
・九州古代王朝の謎 (有)海鳥社
・海の神々九州 国立博物館
・日本古代文明のすべて (株)日本文芸社
・かむなから神業報告書 みかど研究所
・かむなから今 みかど研究所
・邪馬台国はどこか 朝日新聞出版サービス
・邪馬台国紀行 (有)海鳥社
・古代海人の謎 (有)海鳥社
・金印偽造事件 (株)幻冬舎
・日本超古代史の謎 (株)日本文芸社
・超古代人の謎と不思議 (株)日東書院
・日本超古代宗教の謎 (株)日本文芸社
・原色日本野草図鑑 (株)保有社

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菜の国

《あとがき》

ここ数年来、温めてきた課題でしたが、思い切って小説として文章にして書き下ろしました。
史実を重視して、出来る限り、その事実に添える様に工夫したフイクションです。
地名や、国名は本当にある場所を拝借し、人名は本名の人もあり、全く作りものだったりということにしました。
邪馬台国の所在地の論争に関しては、参考にさせていただいた文献は、九州説の方が多かったのですが、私は、九州説も近畿説もどちらも取らないことにしました。
あくまでも私の考えた推論で、はっきりとは設定せずに、m謎のままとしました。
また神業関係は、参考にさせていただいた「かむなから神業報告書」は、とても格調高い素晴らしい文章と、的確な内容で書かれていますが、神実を理解する為には、かなりの神様についての知識と経験が必用であり、普通の人には難し過ぎると思われましたので、誰にでも判る様に噛み砕いて書きました。
どうしても皆さんに知って欲しいと思うことが多かったのです。
書き終えて再読してみますと自分の文才の無さには恥じ入るばかりでしたが、これで、少しでも、世間の常識と言われていることでも、本当は非常識で、間違いだらけということが多いと言うことを理解してもらえたら幸いだと思っています。
最後に、この小説を書くに当り、御協力を頂いた多くの方々に感謝を申し上げます。

h平成24年6月6日、擱筆 。 惟 古一

菜の国

私は素人の小説家です。 この度、処女作を書き上げました。 卑弥呼や邪馬台国、金印や奴国、伊都国等々が出てきます。 歴史の史実に基づく古代ロマンスフィクションです。 これを皆さんに、読んで頂きたいと思っています。 私の誕生日である今日4月17日から、出来るだけ、毎日連載していければと思っていますので、ご期待下さい。 主人公の五島朱鳥(ごとうあすか)が活躍する連続読物にできれば良いと考えています。

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一章 真の神祭の姫
  2. 第二章 邪馬台国
  3. 第三章 倭国大乱
  4. 第四章大和国(やまとこく)
  5. 第五章 菜の花