レゼイロ 3部 3話

水色

うんこで笑えるくらいがちょうどいい。

君らが思うほど面白く無くない。

サンの話



1

 ローレライの話を昔、聞いた事がある。
 だからボクも百舌鳥が隠している本当に純粋なものがあると疑うくらいは許されてもいいと思う。彼女にだって生活があり、今までの歴史がある。
 どこかで色んな人と出会い、別れ、話し、成長してきたはずだ。
 人はみな、そうだ。
 一掃されても何も影響が無い有象無象にも痕跡がある。駅のホームで項垂れるサラリーマンも、何処かではヒーローかもしれない。くちゃくちゃ喋る女の子の集団も、何処かでは悪の枢軸を成す秘密結社の一員かもしれない。
 かもしれない観点は重要だ。断言は、不義理だ。
「でさ、立ち食いソバがあるわけよ。やっぱソバは立って食うもんだ。ワビサビ」
「お前さ、電車でくらい黙ろうよ」
 百舌鳥を見ているとそう思う。ここにいる百舌鳥は百舌鳥ではなくて、もしかするとボクの恋人かもしれないし、クラスで話しかけてくる野球部の彼かもしれない。まったく関係の無い赤の他人かもしれない。
 でも現実、ボクと電車に乗っているのは小うるさい会話をまだやめない百舌鳥であるし、行く先は百舌鳥おすすめの映画を上映している映画館なわけだ。
「電車で黙ってるなら歩いて向かうわ。別に大きな声でもねぇし」
「……分かったよ、ボクの負けだ。興味が無いから黙れ」
 たまの日曜日。昨日は土曜日で授業は午前で終わり。午後からのんびりと部屋の掃除でもして溜まっていたドラマのビデオでも消費しようかと思っていたのだが、帰り道で呼び止められたのがきっかけ。


2

「先輩、明日、試合があるんですよ」
「へぇ」
 生返事も当たり前。ボクはこの少女の部活にはあまり関心を持っていない。ボク自身、あまりスポーツが得意ではないし、ワールドカップだろうとオールスター試合だろうと見ない。
 少女はもう部活練習に入るのだろうか。ユニフォームに着替えていて、白地に青のラインが光るひどく健康的なファッションに身を包んでいた。
 かたやボクは真っ黒の学生服。五つの金色ボタンがアクセントにはなっているが、まぁ、どちらにしろひどく健康的ではあるか。
 果たして彼女は何をしていただろうか。ユニフォームから見て外の競技ではないだろう。バドミントンか、セパタクロウか。もしくは卓球かダンスか。
「試合は十時からなんですけど、出番はお昼過ぎてからなんで」
「ふうん」
「先輩がぁ、来てくれるならぁ、勝てる気がぁ、するんですけどぉ」
 まさか。ボクにそんな超能力は無い。
 勝つのは君の日々重ねてきた努力か、もしくは生まれ持った才能であるべきで、何の関わりの無いボクの声姿一つで勝敗が決するならスポーツとして間違っている。
 と、まぁ韜晦はよそう。口実は口実にしかならない。言い訳は言い訳にしかならず、良い訳が無いのだから。
「明日は、何も無いよ」
「ほんとですか!? なら九隅(くすみ)総合体育館の運動グラウンドです! あ、関係者とか応援の人は正面から入ると抜けるの面倒なんで、近くまで来たら携帯に連絡ください!」
「わかった」
 やった、と彼女は手を叩いて跳ね上がるのだ。体を動かす為だろう、後方でくくられた髪の毛が追随して何度か跳ねる。
 さて、では今日は帰って掃除でもして最近趣味の小鉢作りでもしてのんびりとするか、とボクが校門に向かって歩き始めた時だった。
 肩を叩かれ、振り向くとそこにはカッターナイフの刃があった。
「     ぅすぉっ!」
「お、惜しい惜しい。もうちょっとで真昼のサスペンス、現代少女の悲劇がーってニュースがバタバタ専門家ベシャクシャの未解決事件が始まったのに」
 キチキチキチ、とヤバそうな音を立ててカッターナイフは元の鞘に収まった。しかも幅の広いやつ。こいつ、マジで頭がイカれてる。
「百舌鳥、それでもし刺さってたらどうなってたか分かってんのか、って分かってるんだな」
「そ、分かっててもやっちゃう」
 そんな世間なんて何処吹く風。百舌鳥にとっちゃどうでも良い事なのだ。
 カッターナイフが頬に刺さっているのが面白いんじゃない。そんなサイコパスな考えを持っているのがかっこいいんじゃない。
 頬にカッターナイフを刺されたことがあるという面白体験をボクにプレゼントしてあげたい、そんな知り合いが自分にいる事に優越感を覚えるのだ。こいつは。
 だからタチが悪い。あくまで善意なのだから。
「で、なんだ。ボクを二口男にでも進化させにきたのか」
「いんや。超面白い映画やってんの、今。でさ、一人で見飽きたからお前を誘おうと思って。喜先が好きそうな奴だし」
「どんな」
「えとね、銃がばーんってなって人がワーキャーして、汗だくで埃まみれのおっさんが美女と超ディープキスすんの。んで、死んだ奴が友達で、犯人はクリストファー」
「とにかく、騒がしい奴な。全米一位の」
「それ。もう三回も見ちゃったよ。パンフもあんよ」
 出してきたのは何処からどう見ても硝煙の匂いがしないものだったし、出演しているのは日本人だったが、まぁいい。
「お前がそんなに繰り返し見るってのは相当、面白いんだろうな。もしくは相当つまんないかのどっちかだ。別にいいよ、今日は暇だし付き合ってやる」
「それがそうもいかんのよ。イカンガーなわけ。今日はほれ、本家が来るし」
 本家。
 百舌鳥の家は分家ではない。本家も本家、本元だ。百舌鳥が本家と呼ぶのは父とされている人物が過去に作ったもう一人の娘、つまり百舌鳥の腹違いの姉。
 ほぼ全ての財産を前妻に持っていかれ、二人目の奥さんには子供が出来ず、三人目の奥さんは自分の弟と不倫していて、何処かで作った何処かの誰かとの子。それが百舌鳥だ。
 まぁなんとも数奇な出自ではあるが、本家は本家。名ばかりのものではあるとしても。
「出迎えっちゅうのか挨拶っちゅうのか。ま、おじいちゃんも来るし」
 百舌鳥の祖父はつまり、本家の最高位にいる人物なわけで。割れた本家を統括する厳格な人物ではあるが、何故か百舌鳥には甘く、会うたびにそこそこの小銭と半端では無い溺愛をこの出来あいの子供に注ぐという。百舌鳥からの言なのでどこまでか真実かは分からないが、良くある話だろう。
「じゃあ、いつ」
「明日っしょ。明日しかないっしょ。驕るぜぇ。潤沢の予定だからな」
 驕りなら悪くはない。暇で何も予定の無い日曜日も悪くはないが、ならばこの馬鹿に付き合って映画の一つでも腹に入れるのは人生経験上無駄ではなかろう。
「乗った。なら明日、映画館集合でいいか?」
「いや、いやいや。どうせなら一緒に行くだろ、このアンポンタン。九隅西駅に十時集合で。遅れんなよ。遅れたら家の外壁にうんこ投げつけるからな」
 善処しよう。誰だって糞尿まみれの家に住みたくはない。
 ならば九時に駅に行くのもやぶさかではない。恐らくはつまらないであろう映画でも見て久しぶりに行く街に酔いしれるとしよう。
 そういえばもうそろそろ冬用の服を買わなければいけない。成長期に差し掛かっているのだろう、去年の服はもう小さい。これも明日、街の古着屋か量販店でそろえるとしよう。

 そしてきっちり一時間前の八時に到着していた百舌鳥を待ち、ボクらは電車へと乗り込んでいた。田舎、よりは住宅街として呼称したい我が町を抜け、四駅ほどで繁華街になる。
 その四駅分の往路、ボクは様々な話を百舌鳥とした。中身も何も無い会話を繰り返した。たかが十一分、されど十一分。本家のご令嬢は相も変わらず気品溢れる素敵なお方だそうで、スウェットのまま居間に乗り込んだ百舌鳥は大目玉を食らったらしい。
 まぁ色鮮やかな和服と灰色のダボダボ部屋着の相対はこいつとその周囲の世界対比を表現するには申し分無いものではあるが、時と場所。羽目を外しすぎるのは良くなかったようだ。
「ところで百舌鳥は映画って終わった後に感想を言い合うタイプ?」
「いにゃ。そもそも人と見に行く機会がねぇ」
「あ、なーる」
 とかいういつもの会話だってこうして休みの日にわざわざ二人で出かけていると特別に感じる     わけでもなく、ボクらはいつもと同じようにいつもと変わらずダベダベして電車を降りた。目的の駅で降りる客は多い。それだけ繁華街として無二のものなんだろう。
 さらに都心へと向かう電車、また他の路線とが絡み合ってるせいで多少の煩雑さはあるものの、地元と言えば地元。迷う事も無く駅の外へ。
 右手には居酒屋街、左手には風俗街となかなか未成年には刺激の強い誘惑を払いのけて、一路ボクらは駅に隣接する映画館へと歩く。
 百舌鳥の歩みは速い。道の真ん中を堂々と歩く。が、前から人が来れば避けるため、必然的に普通に歩くボクと同じスピードとなる。そんなに苦労して歩くなら歩道側ではなくフェンス側を歩けば良いのに。
「あんまりここまで来ないから新鮮だ。ほら、ヒトってこんなに多い。うっとーし」
「その中の二人だって事も自覚しよう。今や増やすのに躍起になってんだから」
 百舌鳥はいつものスカジャンに短パン。ボクは少しタイトめなジャケットに七分丈のズボンを履いていた。お世辞にもオシャレには縁遠い二人だが、まぁそこまでおかしくもない。
 ショッピングモールには服屋やランジェリーショップ、カップル御用達のスイーツ専門店。それに付随してぬいぐるみ屋や小物雑貨、アクセサリー。色とりどりの街の色。
「女の下着ってどうしてああも高いかね。わたしいっつもボクサーだしどうでもいいけど」
「ボクサーはちょっとなぁ。トランクスの方が楽だ。え、百舌鳥はボクサーなの?」
「そうそう。上だってスポブラだしよ。んなもん見えもしねぇとこに金かける意味が分からん」
「いや、それは、ちょっと。幻想っちゅうのか期待っちゅうのか。いや、百舌鳥に何を期待してんのかって話にもなるんだけど」
「お前の彼女だって普段はそんなもんよ。お前ん家に行く時くらいだぞ、上下セットの下着なんかよ。それに腋毛だって腹毛だって脛毛なんかもほれ」
「見せんな、そんなもん。……お前、せめて靴下は同じの履けって」
「片一方だけ無くなる現代都市伝説の哀れな被害者なわけよ」
 そうこうしていると映画館へ。館前には休日を謳歌しようとカップルや老夫婦、家族連れに外国人。多種多様、数多一本釣りなごった返し。
「あれ、百舌鳥。どこ行くんだ」
「どこって。あっこ」
 指差したのは黒壁スクエアの関連チェーン、というよりは大元にあたるデパート。その名も三日月スカーレット。都市部だからだろう、黒壁よりは狭い敷地にはなっているが、その分階数が異常に多い。
 ほぼテーマパークの名を欲しいままにしている三日月スカーレットではあるが、ボクらの目的は映画なはずだ。目の前にご立派な映画館があるっていうのにわざわざ建物内に同じものを作らないだろう。
「スカーレットで上映してんの?」
「上映? 何を訳の分からんことを。今日は三日月スカーレットでゲームセンター入るの。んで甘いもの食べて、ちょっと壊れかけだからベッドの視察して、昼過ぎからこの広場で開催されるアイドルのコンサート見るの」
「……。あ、そう」
 なんだ嘘か。まぁ、いい。今日はこいつに付き合うつもりだったし、そもそも映画もそこまで見る気も無い。映画が買い物に変わっただけだ。
 しかし自分が不甲斐ない。もっと早くに気付いていれば新しい嘘を引き出さずに済んだものを。自分の観察眼の無さに呆れかえる。
「ぼーっとしてんなよ。もうそろそろ開店時間だ。遊ぶぞぉ」
「ふうむ。百舌鳥、入る前にほら、あそこにあるアイスクリーム屋によろう。寒い朝のアイスも乙なもんだぞ」
「やだよ。お前、女は体冷やしちゃいけないんだぞ」
「分かった分かった。あそこでアイス買って池の周りで食べよう。あのベンチ、確か暖気付きの奴だし、そんなに寒くないって」
 渋々ながらついてくる百舌鳥を引っ張り、屋台で暇そうにしていた女性店員に声をかける。
「すいません、ボクはチョコミントとペパーミントのダブル。で、百舌鳥。どうする」
「チョコとチョコ。あ、やっぱこっちのチョコアイスにチョコクリーム練ってあるやつ」
「ありがとうございまーす。こちら新製品のパチパチマシュマロホイップです。ご試食どうぞ」
 無事にアイスを入手し、ベンチへと座る。じんわりとお尻のあたりが温かい。日中の地表熱を利用している事までは知っているが、詳しいシステムは知らない。
 ボクらは日々、いくつかのシステムを無視して生きている。テレビの電源を押して番組を視聴するまでにいったいいくらのシステムが存在するのかすら、ボクらは知らない。歩いている地面だって、吸う空気だって、乗ってきた電車にだってこのアイスにだって。
 もちろん、一つ一つを理解しなければいけないなんていう無茶は言えない。が、存在は知っているべきだ。自分がどこにいるのかを知る重要な支点になるのだから。
「チョコあめぇー。これすげくね? チョコにチョコ。しかもドロドロの奴と固形の奴とアイスの奴。くっそあめぇー。うめー」
「満足してくれたようで良かったよ」
 実は前から気になっていた店だったとは言わない。前回は例の後輩と一緒だったが、何時の間にか過ぎた時間に後悔していたものだ。
 それも百舌鳥の魅力か? 百舌鳥との時間はひどく長い。ひどく贅沢だ。まるで日がな一日寝転がっていた日曜の昼のような、ずっと公園のブランコに座って町を眺めているような、そんな贅沢な時間が流れる。
 急かされない。それは百舌鳥の持つ美徳の一つと言えるだろうか。
「うし、食ったし行くぞ! さぁ行くぞ」
「まぁまぁもうちょっと座っていこう。まだ開店して間もないし、ゲーセンは逃げないよ」
 これを機会に百舌鳥へと質問を投げかける。
「百舌鳥って好きな人いるの?」
「は? 少なくともお前じゃねぇよ。きもちわる」
「違うわ。単純に気になっただけだよ。お前が好きな奴ってどんな奴かなぁって」
「別に。好きなタイプなんて無いねぇ。あ、一個だけ条件ある」
「なになに。聞かせろよ」
 百舌鳥は二ヒヒ、と笑ってこう言った。

「わたしを好きになれる奴」

 それがまさに最高のジョークだと言わんばかりに腹を押さえ、ベンチを叩いて笑うのだ。
 百舌鳥は愛されないのだろう。家族愛以外に受け入れられない拒絶。もちろんそれだけでも十二分に素晴らしい人生ではあるが、百舌鳥の求める答えじゃない。
 血を利用しなければ愛してすらもらえない。
 中途半端に愛を知っているからこそ、真実に愛を欲すのはこいつの持つ癖か。生き様か。
「覚悟が無いよ、覚悟が。ブス好きってマジでブス好きな奴いねぇし、馬鹿好きってそいつと一緒にいる奴がいねぇ。わたしより周りの方がよっぽど嘘吐きなのに、みんな見たい方を見て行きたくない方へ行く。わざわざ遠回りして、なんて無意味な不幸」
 お、出た出た。叩けば綻ぶ不良品さながらの打出の小槌。
「自分の決定に命かけてないわけよ。初志貫徹が大事だね、人間」
「じゃあお前の目には人間がいないなぁ。じゃあさ、もしお前に恋人なんつーもんが出来たら、どうなると思う?」
「恐らく人間じゃなくなるね。『あ行』しか喋らないよ。わたし以外にわたしの事が好きな奴がいんなら、もうそれで十全。それくらいじゃなきゃ軽くて怖いわ」
 なんという劇的な極論。そぐわない。現代にそぐわないったら無い。
「だったらボクなんかは良くないわけだ。彼女がいるのにお前と遊び行ったり二人でデートしたり。もしやボクも人間じゃないかもしれんね」
「んー」
 考え込む百舌鳥。
「どうした?」
「……いや、なんでもない。そろそろ行こうや」
 百舌鳥は何を言いたかったかをボクは知っている。だけどそれが今、必要でないから百舌鳥は黙った。
 そういう所で気がきく。無駄に空気を読む。
 読みすぎて、目立つ。だから判明する。百舌鳥の底が見える。中途半端に人間を貶める本性が露呈し、結局はこいつがそこいらにいるただのヒネた女子高生だと悟らせる。
 なんて無意味な不幸。
「そうだな。ところでゲーセンよりも本屋にしないか? 最近、料理に凝っててさ」
「他人の作ったもんで満足してんなよ。時化たアホだなぁ」
 だからボクらは本屋に行くんだ。百舌鳥は百舌鳥、ボクはボクだから。
 それぞれがそれぞれに、ばらばらに。


3

 本屋にて数冊の料理本を吟味し、冬物の服も買ってブース外に出ればそこは別世界だった。
「今日のアイドルってそんな人気あんの?」
「まぁテレビ出立てってとこかな。知ってる人は知ってる」
 そんな数じゃない。本屋から見下ろせる階下に敷き詰められた人間と言う名の人間。それぞれが同じ色の服をまとい、まるでカラーギャングさながらに集団で蠢いている。
「あれの中に入るの?」
「いんや。これが性別女の辛いところなわけ。馬鹿騒ぎが一緒に出来ない。男と女の友情がなんとやら。まぁ、楽しみ方はいっぱいあるからいいんだけど」
 三日月スカーレットの外、アイスを食べた噴水周りにはもっと人がいるのだろう。ステージがどこにあるのかは分からないが、それこそ遠巻きに眺めるしかボクには手立てが無い。
 始まるまでまだ二時間はあるっていうのに、彼らの情熱とは素晴らしいものだ。
 夢中になれるっていうのは素晴らしい事なのだから。そんな頑張る君達へエールくらいは送れる。ボクには無いから。
 いっそボクもアイドルオタクとやらになってみようか。いや、そうではない。なるのではなく、なっているからこそのオタク達なのだ。
「お、なんだなんだ。騒いでるぞ」
「本当だ。百舌鳥、様子見に行こうか」
 エスカレーターに乗り、降りていく。集団の視線の先にはプラカードを持った少し恐面のおじさんが、メガホンで叫んでいた。
「申し訳ありませんが、今日の夢見☆ミルユメーズのコンサートは中止となりました!」
 集団からは溜息と怒号が入り混じった声を投げかけられている。つまり、今日のアイドルのライブが中止になったと。
 原因は聞き取れなかったが、飛行機か何かのトラブルでこちらに到着できないそうだ。
「んだよー。せっかく見に来たのに」
「もしかして今日のメインイベントだった?」
「あたぼうよぉ。こりゃあマイったなぁ。どうする? 喜先くらいになると号泣もんでしょ」
 いや、ボクそのアイドル知らないし。中止になって可哀想だな、くらいだよ。誰も悪くないもんな。まぁ、そういう事もある。
「なら映画でも見ようか」
 ちょうど、アイスを食べている時にパンフレットを入手していた。しんみりとしたラブストーリーだか快活なコメディなのかが分からない洋画。
「しょうがねぇなぁ。これじゃあまるでデートだ」
 まるででもなんでもない。最初からそうだよ。
 三日月スカーレットを出て目の前の映画館へ。案の定、噴水周りにいた集団(どうやらまさに特設ステージがそこにあるらしい)が抗議の声を上げている。
 ボクらは人もまばらな映画館に入り、さらに過疎化の進んだ一室へと進んだ。人気が無い室内では、やけにポップコーンをかじる音が耳につく。
 映画は至極、面白かった。馬鹿で何も考えずに見れて、単純で笑える。お涙頂戴もうまくて満足だ。
「くっそつまんねぇ映画だったな」
「え」
 百舌鳥には不評だったらしい。面白かったけどなぁ。二組のカップルがアウトバーンをオープンでピンクのキャデラックに乗ってパトカーとカーチェイスする辺りは鳥肌ものだった。
 さて、時間ももう昼に差し掛かる。ぶらぶらと歩き、百舌鳥と他愛無い会話に勤しんだ。同時に昼御飯を食べられる場所を捜す。
「クソみたいに肉が食いたい」
 そして訪れたのはチェーンのうどん屋。安くて早くて美味しい。陽が照るとまだまだ汗ばむ気温だ。ジャケットを脱いで腰に巻く。
 何も無い。何も生まれない時間が過ぎ去っていく。うどんは冷たくしてもらい、喉越しを味わいはするものの、明日にはもう忘れている事だろう。葱の匂いも、卵のまろやかさも、搾ったスダチの清涼感も。明日になれば「昨日、何を食べたかな」と思い返す材料にしかならない。
 反芻は罪か。いや、罰か。
 百舌鳥がトイレに立ち、何気無く携帯電話を覗いた。
 着信が百件に迫ろうとしていた。
「……     ?」
 無言で操作。ボタンを押すだけで本体画面が上下に開くタイプで、ボクは気に入っていた。
 全て同じ人間からである。メールも着ていた。開いて中身を確認し、一通ずつ丁寧に削除していく。やがて指が疲れた頃、百舌鳥が戻ってきた。
「何? なんか連絡?」
「いや、時間はまだなはずなんだけど、酷く急かされている」
 近くに行けば連絡をする、と答えたのはまずかった。さもボクが行きそうに聞こえるものらしい。いや、とぼけるのはやめよう。わざとだ。わざとそう答えた。
 しかしまだちょうど正午。グラウンドまではここから十五分もかかるまい。何をそこまで急いでいるのだろうか。
 それもメールから分かっている。試合のお昼休憩が正午から一時まで。弁当を食べて休憩するのにボクが必要なのだろう。励ましになるか? 慰めになるか? このボクが。
「じゃあ百舌鳥、店を出よう。で、ちょっと付き合ってほしい」
「ん? どこに?」
 つまらないところ、とはとてもじゃないが言えなかった。
 さて、百舌鳥の言葉を鵜呑みにしてはいけない。今日、ボクの財布は割りと軽くなっている。比べて百舌鳥はずいぶんと重たそうだ。
 バイトでもするか。それとも小遣いでもねだるか。そのどちらかの選択を強いられる。
「百舌鳥がアイドル好きとは思わなかった」
「何で? アイドル可愛いじゃん。というかカワイイからアイドルなのか」
 驚きだ。百舌鳥にも何かを愛でるという博愛精神があったらしい。一方、ボクにはあまり無い。ドラマを見て女優を綺麗だと思ったり、グラビア写真に胸を躍らせる事はあっても、何か線引きがある。
 どうせ関われやしない。一方通行のコミュニケーションだ。いや、それもあるが、もっと大きなものがある。それは彼、彼女達がこちらを知らない事。
「ボクの事、知らないでしょ。当然だけどさ。でもボクはボクでここにいるし、テレビに出てる人よりも自分のがやっぱり大切なんだよ。だからなんていうのか」
「舐められてる感じがする?」
「いや、そう言っちゃうと御幣があるけど。命の価値って平等じゃないんだなぁって」
 じゃあ誰が価値を決めているのか。それもまたボクなわけだ。
 二律背反に襲われながらも歩き続け、やがて市街地に差し掛かる。人は少なくなり、住民が増える。散歩、ジョギング、買い物帰り。それぞれの表情がそこにあり、ボクは少し安心した。
「将来、どんな家に住みたい?」
「家? 喜先、お前もう自分の家とか考えてんの?」
「……? あぁ、そうか。お前にはひときわ立派なもんがあるもんな」
「まぁ、最初の人の財産になってるらしいから最早、抵当に近いけどね。でも考えるよ。一人暮らしして、質素なワンルームに住んだりとか」
「はぁ、やっぱり金持ちは質素に憧れるのか。ボクは逆に一軒家だな。今住んでる家も悪くないけど、日本人は入洛に柱でしょ」
 まぁ、ほぼ本山の寺かよ、とでも言いたくなるこいつの家を知ってるから偉そうには言わないけども。
 やがて道が広くなり、それに反比例して人が少なくなる。二車線で行き交える道路に、車はおろか人もいない。だが、中心にあるその敷地からは熱気が漂っている。
 九隅総合体育館。馬鹿でかい敷地に馬鹿みたいな設備を搭載したこの県内でも有数のスポーツ施設。どこかの球団がキャンプに使ったりだとか、何か国際的な試合をしたりだとかで話題は絶えないものの、地元民からすればただのでかい公園みたいなものだ。
「あ? なんたって喜先、こんなとこに用があんの?」
 入場門の前に立ち、不審がった百舌鳥が問う。
「ほら、あれ。あの、試合だよ」
 口ごもり、携帯電話を取り出す。リダイヤルで発信したボクの電波は、一つのコールも待たずに応答された。
『先輩、何してるんですか!?』
「……近くに来たけど」
 す、す、す、すぐ行きます! と電話は切れた。何処かとも言っていないのに、何かに脅されでもしているんだろうか。
「はっはぁーん。なーる。彼女さんの試合か。     ていうか試合か! なんでお前、わたしと呑気に映画見てんだこのオタンコナス!」
「いや、だって昼過ぎからだって言うし、行くかどうかちゃんと答えてないし」
 お、百舌鳥の唖然とした顔は初めてだ。写真に残しておきたいが、カメラも無ければ携帯電話にもついていない。惜しい事をしているな。現在進行形で惜しい。
 奇妙な事に、百舌鳥はそういう常識道徳にうるさい。こちらとしては人の恋愛に口出すな、と言いたいところだが、いかんせん大体間違っているのはボクだ。しかも自覚してわざとやっているから始末に負えない。
「いいか、喜先。お前はとりあえずもっと恋人を大事にするべきだ。そもそも行かないなら昨日の段階で断れ。はっきりしてないならわたしより彼女優先しろ」
「ごもっともで」
「うやぁ、どうする。どうすんだ、わたし。ていうかお前。ここに彼女来たら、わたし殺されるんじゃねぇの? さっさと隠れる!」
 来た道を引き返し、走り去ろうと百舌鳥が振り返った。
 
 だからそこにいた外国人と目が合った。

「……えぇ」
 そして二度目も中々に薄いリアクションだった。ボクも驚きより先に疑問が出てきてしまって、二の句が継げない。
 前回と何も変わらない。いや、服装が変わった。バドガールからホットパンツになっている。艶かしい太もも、健康的な膝、潰れたビーチサンダル。オレンジ色の袖をまくったティーシャツが眩しい。だが表情は相変わらず不機嫌そうだった。
「ちょっと想定してないな。これ、どうする? 喜先、任せた」
「いや、前もそうだったけど危なくないと思うよ」
 なのでボクは近付き、漏れ出ている声をさらに聞こうと耳を澄ませる。やはり英語だ。聞き覚えのある単語と、巻き舌のネイティブ感に誤魔化されているが、現代の高校生を舐めるでない。リスニングに文体は得意分野である。
「百舌鳥、キャンアイってなんだっけ。あとメイビー」
「いや、知らんよ。英語なんか教科書開いた事すらねぇもん」
 少し笑いそうになって堪えようとした時、やはり明確に「豆乳メロン」だけが聞き取れた。顔を上げれば既に消えており、跡形も無い。
「英和辞典持ち歩こう。次の機会に備えよう」
「いや、さすがに三回は無いっしょ。ていうかこんな秋晴れの昼間に出る幽霊って何よ。わたしの知ってる幽霊じゃない」
 お前は他に幽霊の知り合いでもいるのか。だとしたらもっとはっきり喋れって言っとけ。
「でもま、録音も出来ただろうし帰って訳するよ」
 手に握られたのは携帯電話。ふと思い出し、ボイスメモ機能をオンにしておいたのだ。
「うぉ、やるなぁ。悪い男だなぁ」
「いやいや周到と言ってくれたまえ。それになんかここまで来たら気になるし」
 確認再生を押す。
『……     ど危なくないと思うよ』
「お、録れてる」
 はずだったのだが。肝心の彼女(彼女? 彼女だろう)の音声はまったく入っておらず、ボクと百舌鳥の声だけは鮮明に録音されていた。
 風の音も無く、ノイズも少ない。なぜか幽霊の声だけが抜け落ちているのだ。
「幻覚、なわけないしなぁ。二人揃って同じもの見るわけないし」
「答え合わせしよう。あの姉ちゃん、今日はオレンジのシャツにホットパンツだった」
「合ってる。ボクもそれだ。やっぱり幻覚じゃない。だったら本当に幽霊だ。幽霊の声って録音できないのか。これは本格的に英語の勉強しないとな」
 聞き取れた単語だけ家で翻訳するとして、今はもう打つ手が無い。
 有耶無耶になってしまったが、百舌鳥がやたらと恐れる人がこっちに向かって来ていると思われるので、やんわりと百舌鳥を促す。
「で、どうする?」
「今日はもう帰る。後は試合見るなりそのまま何かに雪崩れ込むなり好きにしなさい」
「余計なお世話だ」
「ならもう一生会わないようにでもしろ。お前みたいなのが彼氏なら彼女も大変だ」
 生返事をして一人、門を見上げて佇む。ゆうに三階建ては越える高さだ。搬送車も入れるようにしてあるのだろう。
 しばし待つ。が、姿はおろか連絡も無い。ただ待つのも何なので先ほどの和訳に勤しむ事とする。頭の中だけで会話を再生し、日本語訳をあてはめていく。だが断片的なせいもあってか文脈が読み取れない。
 そしてどれくらい経っただろうか。背中を何かに預けたいと思うくらいには待っている。
 だから     そんなボクもおかしいと思う。さすがに長過ぎる。あの子の脚力ならこの広い敷地を二周はしている事だろう。気付かないわけがない。
 再度、連絡をとってみる。発信音は数度鳴り、そのまま留守番電話へと変わった。
「……? なんだ?」
 見回す。当然、何も無い。誰もいない。何も聞こえない。     聞こえない?
 それはおかしい。ここまで響くくらいには場内から声援が飛んでいたはずだ。それが今や無言。静か過ぎるのだ。
「入って、みるか」
 門をくぐり、建物へと向かう。警備員らしき人物もおらず、簡単に通常入り口へと辿り付いた。応援に来た父兄の車が駐車場いっぱいに詰まっており、そこからも人数の多さが伺える。
 ロビーには誰もいない。恐らく対戦表だろう、ホワイトボードに紙が貼り付けられたのが並んでいる。これだけでも凄まじい人数がここにはいるらしいのだが。
 壁にかかった時計で時間を確認するともう一時に近い。試合開始寸前だからみんな静かなのだろうか。選手含め場内へと入っているのだろうか。
 進む、進む。父兄応援席と書かれた指示に従い、やがて階段を登って久しぶりの陽光に当たった。手で少し遮るように歩き、見渡す。

 誰もいないのだ。

「……んん?」
 誰もいないとはどういう事だ。車もある。さっきまで声も聞こえていた。

 何かがおかしい。

 引き返す。気持ち、歩みも速くなっている。来た道を戻って外へ。何も変わってはいない。車はそのまま。太陽もそのまま。吹き抜ける風も、街並みも。
 だからこそ異様だ。人通りが少ない。それはいい。不自然じゃない。日常の一部分だけが非日常になってしまったかのような感覚。自分の居場所がここじゃない、いるべきではないと告げている。ズレ、歪み、取り残し。おこぼれ、迷走、動悸に置いてけぼり。キッドナップミュージックが頭でウーファを鳴らしている。
「百舌鳥」
 最後に会った人間に縋る。電話を鳴らし、いつもは感謝するシステムにすら気を回せず、一瞬が永遠になったこの現状で、握り締めた手の痛みも忘れて。
 だが不意に不安は消えた。
『あ? 今日は帰るって言ったろバーカ』
 深く不覚だ。百舌鳥の声に安心する時が来るだなんて。
「百舌鳥、あぁ百舌鳥! ちょっと急いで戻って来い。いや、来てくれ」
『なになに、どしたん。喜先、すげー焦ってない?』
「焦ってるも何も焦ってる! ちょっと様子がおかしい、おかしい。まだ近くにいるだろ!?」
『近くも何も目の前におりますがな』
 顔を上げる。
 百舌鳥だ。
「お、お、お! 喜先、なんかすげー焦ってんの? 珍しい! やっぱ普段、格好つけてニヒル気取ってる馬鹿が動揺する様は見物だねぇ!」
 変わらない。そこには変わらない百舌鳥がいた。
「いや、帰るって言ったけどちょっとこの辺、ぶらぶらしてたわけよ。で、飽きて駅の方向かってたら電話あったわけ」
「良かった、良かった百舌鳥。聞いてくれ、何かがおかしい。人がいないんだ」
「まぁ居すぎるよりはいいんじゃね。この辺、ほんと何も無いな。さっき猫が道の真ん中で寝てたくらいだから」
「そうじゃなくて! 一人もいないんだよ! 中に人が!」
「はぁ? いっぱい車あんじゃん。お前彼女待ってんじゃん。会えないから寂しくて泣いちゃってんのか? そんな弱味が君に? そうかい、爽快!」
 一呼吸おいて、百舌鳥は指差した。
「てか、いんじゃん」
 何時の間にか肩で息をしていたボクは、その方向を見る。
「先輩、遅いです! ギリです! 魔王じゃないですよ!」
 見知った顔だ。ボクの知っている顔。多少、いつもより怒ってはいるものの、何度も見た顔だ。知っている、知っている。
「     ……どうも。……さ、先輩! 行きましょ!」
「どもどーも。安心しなよ、もう帰るから。いや、帰るかなー? このまま彼氏引き連れて飯でも行っちゃおうかなー? どうせ頭の中お花畑な物語描いてんだろうけど所詮は肉塊に過ぎんよ、後輩。あんま夢見てんなよ、バーカ」
 と、痛烈な言葉を残し、百舌鳥はスキップで駅の方向へと去っていった。
 残されたのは二人。一人と、一人。一人ではない。
「先輩、またあの人と一緒にいたんですか?」
 答える気も無い。安心が大きく心を占めていて、余裕が無い。今はこの心地よさに身をたゆたわせ、自分がしっかりとここにいる事を認識していたい。
「あたし、先輩の事は信じてます。というか、あの人を信じてません。でも寂しいのは寂しいんです。あの人に使う分、ほんのちょっとでいいんです。あたしを見てください」
 そう言われても。ボクは百舌鳥を見ている意識なんて無い。君と百舌鳥を対等に扱っているつもりだ。もちろん、クラスにいるお喋りな野球部も、母親も、百舌鳥のお姉さんも、対等に。
 対等でも満足しないなら、ボクの範疇じゃない。
「     いけない、試合、始まっちゃう! こっちです。同じ学校の人なら関係者入り口から入れますから!」
 手を引かれて向かった裏口。装飾の華美も無いシンプルな金属製の扉だった。
 開けるとそこには廊下が続いており、試合前だからだろう、血気盛んな女子高生が大挙して今か今かと時を待っている。
「あたし、控え室に行きます。出番は二試合目なんで。このまま真っ直ぐいけば関係者の応援席に出ますから、応援お願いしますね!」
 にっこりと太陽を思わせる笑顔を弾けさせ、彼女は部屋へと入っていった。
 指示通り歩く。真っ直ぐ、真っ直ぐ。リノリウムを叩く靴の音も、電灯が奏でる低い作動音も、今は聞こえない。何故なら     。
 両開きの扉の向こうには無数の人、人、人。そこまで狭くはない(国際関係の試合もあるのだから当然だ)観客席は七割ほど埋まっており、それぞれが賑やかしく声を発しているから。
 喧騒が木霊している。音と光、緑と茶色。人に人。
「喜先さん、こっちですよ」
 声をかけてくれたのは女の子だ。何処かで見た顔か? ボクの記憶には無い。
「やだ。ごめんなさい。彼氏さんですよね? テニス部のマネージャーです。応援席、こっちですから」
「あぁ、うん。ありがとう」
 ははぁ、彼女はテニス部だったか。ボクの予想通りだ。
 教諭やクラスの友人であろう女子生徒、果ては家族に囲まれて、ボクは静かにコートを見つめていた。見てはいるが、観てはいなかった。
 頭の中では静が蠢いている。
 疑問と戸惑いに押しつぶされるのに耐えるのが精一杯だ。
 彼女は試合に負けた。
 ボクは挨拶もせずに帰路についた。

レゼイロ 3部 3話

バリバリ最強。

レゼイロ 3部 3話

サラバイ。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-17

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