僕らのワールド・アイライン 4話

ボトムズ

※他作品・創作キャラクターとのクロスオーバー表現有。
※クロスオーバーしているキャラクターの出演は事前に許可を得ています。

「ケーキを買ってくるわ」
少女はそう言って、家から飛び出してきたばかりだった。
テレビのグルメ番組で、レポーターが人気の苺のショートケーキをワンホール丸ごと、下品な顔で美味しそうに頬張る姿を見て、気まぐれに興味が沸いた、ただそれだけだ。
甘いものは得意でないけれど、あれだけ口元に沢山生クリームをつけて、美味しそうにむしゃぶりついていたのだから、試してみる価値はある。
「苺のショートケーキ、ひとつください。そっちの丸いほうを」
少女の目的はみずみずしい苺がぐるりと並んだ、ワンホールのショートケーキのみ。
ついでに買ったモンブランは、兄への手土産だ。
そうして、自分の顔くらいはある大きな真っ白いケーキを包んだ、真っ白い箱を手に提げて、少女が意気揚々と帰る途中のこと。
昼下がりの公園では、春休みを元気いっぱいに過ごす子供の声が響いている。この時間帯ならいつも見られる風景だ。
砂場で城や泥団子をつくり、ブランコをどれだけ高くこげるか競ったり、ジャングルジムのてっぺんをとりあう。
今日は主婦の姿も多く見られるように思う。散歩日和の、春の陽気が続いているからだろうか。
少女はその穏やかな風景に一瞬紛れ込んで、そして少しだけ足早に去る。今日もそのつもりだった。
その小さな足が立ち止まったのは、いつも通りが金切り声で粉々に砕けた音を聞いたからに他ならない。
子供のつんざく悲鳴が空を裂いた直後、子供のみならず、付き添いの主婦や老人までもが、血相を変えて我先に公園の出入り口に殺到した。
運悪く出入り口の一つの前で立ち止まった少女は、咄嗟にケーキを抱え込んで、押し寄せる人波の中で足を踏ん張るだけで精一杯。
それも一瞬のうちに過ぎ去って、後は不気味なほど静かな公園と、呆然とした少女が取り残された。
何事が起きたのだろうと好奇心を起こし、真っ先に視界に飛び込んできたものは、ジャングルジムの上であぐらをかいている少年と、その真下で奇妙な出で立ちをした幼い子どもが、怪物と向かい合う姿。
その瞬間に、少女は運命的にも、目を奪われた。


晴天を衝く青白い炎の柱。
少年の視線は、その元にあたる、正太郎へと視線が向けられていた。
正太郎はひとたび変身すると、髪は長く真っ白に染まり、服も白装束へ様変わりする。
顔と腕には、真っ赤な炎の紋様が蛇のように浮かび上がっていく。だが今度は新たに、金色の手甲と腹当てを身にまとっている。
「あれ、前と格好が違う」
ぐっぱと拳を開けて、閉じて、動作確認。厳つい見た目の割に、防具から重みは感じない。
かといって、プラスチックのような軽さでもなく、元々体の一部であるかのような安定感がある。力も体力もない正太郎のために誂えたかのようだ。
「お前の闘争心に点火器が応えたんだな」
「トウソウシン?」
「こやつには絶対負けたくない、とにかく戦いたいと思う感情のことだ」
視線を感じる。前方の怪物犬から、後方から自分を見つめる少年から。
もし今、この溢れて止まらない、突っ走るような感情が闘争心だとするならば、それは自分からうまれたものではないと正太郎は感じていた。
そう、今まさにこの滾りの矛先にいる、あの少年から戦意の炎が飛び火し、燃え盛っている、そう確信めいた何かを覚えた。
「それで、正太郎。勝算はあるのか」
シンはジャングルジムの天辺から目を逸らさない。
不敵な笑みをたたえるこの少年が、何か指一本でも不審な動きをしやしないかと、射殺さんばかりに睨む。
一方で大柄な少年は、敵対心を剥き出しにした幽霊など気にも留めず、興味の対象は正太郎にのみ注がれている。
怪物と正太郎は間合いを詰めることなく、じりじりと牛歩の歩みで円を描く。怪物も正太郎の全身から溢れ出す炎の気を察知してか、警戒している様子だ。
「素手で捕えるには無理があるぞ。策はあるんだろうな」
「……い、今それを考えてるの!」
呆れた奴だ、この無策者め。シンの顔が渋く歪む。だが、他方では期待もしていた。
正太郎が、自身の武器をどう扱うか。その技量次第で、今後の二人の運命は変わる。
「案外、事はそう難しくないかもしれんぞ、正太郎」
捕まえるとのたまったからには、何か捕縛するための道具が必要だ。
犬を繋ぎとめるには何を使えばいいのだろう。順当に考えるならば、首輪とリードだ。
しかし正太郎は、当然だがどちらも持ちあわせていない。せめて縄さえあれば、話は別だが。
……炎は型に囚われず、故に無限なり。この火炎が燃やすは物だけに非ず……その点火器は元々、物質世界に限らず、怪異、神羅万象に通用する炎だ……
ふと、シンの言葉が蘇る。
「火は形に囚われない……僕次第で、炎は変わるってこと?」
試す価値はある。今、彼の手元にあるのは、刃先の無い鞘のみ。
以前、真矢や黒い粘液の群れを相手に立ち回った時、正太郎は切り開く刃物を無意識のうちにイメージしていた。それを、変える。
正太郎の脳裏に浮かんだのは、悪魔と化した叔父が操る、銀の鎖。どんなおぞましく巨大な怪物をも一瞬で縛り上げる、確固不抜の枷を描く。
正太郎のビジョンを象るかのように、鞘が炎を噴いた。うねる炎は生き物のようにのたくり、巨大な燃え盛る鎖へと姿を変える。
使い方な狙いを定め、ヤアッと気張った声を張り上げて、重みの増した右手を振りかぶる。鋭く空を切り、鎖は獲物を捕らえる蛙の舌の如く怪物へ迫る。
怪物犬の判断は、正太郎の右手より一瞬だけ速かった。炎の鎖をすり抜け、後足で地を蹴り鹿のように跳ね、間合いを一気に詰める。
咄嗟に正太郎は、前方へ転がった。獣が作りだした影の中に飛び込むように、正太郎はゴロゴロと前転し、怪物の腹の下を潜り抜ける。まさに間一髪、正太郎が立っていた場所を怪物の牙がガチン、と抉り取り、籠った生暖かい息が獣の口から漏れ出た。
ほぼ同時に、空中を彷徨っていた鎖は正太郎が転げたことで引き戻され、結果、顔面に容赦なく打ちつけられる。
「あイテッ!」
「……馬鹿もんッ、お遊戯会じゃないんだぞ」
「わ、分かってるよ。……うわああ、こっち来んな!」
朱色の蚯蚓腫れが、正太郎の顔にぷっくりと浮かんだ。
犬はギヌロと正太郎を睨みつけ、バウワウ吼え散らしながら正太郎の尻を追いまわし、正太郎はどうにか鎖を振り回して遠ざけるのがやっとだ。
「正太郎、顎だ、顎を狙え」
「無理だよ、そもそもこいつ、どこが顎なんだ?キャアッ、危ない!」
正太郎が四苦八苦する様を、ジャングルジムの少年はヒーヒー笑い転げながら見物していた。どこからか取り出した菓子まで食い散らかし、野球観戦の気分だ。
すると、いつのまにやら、同じくジャングルジムの鉄柵に腰掛けた芙美が、つまならい紙芝居でも見るような目で見降ろしている。
先程の少女らしいきらきらした瞳が、まるで嘘のように、墨を滲ませたような底知れない黒色をたたえている。
「天道、この騒ぎをどう収めるつもり?あんなに小さい子に扱える代物じゃないでしょう」
芙美が顎で指す先で、怪物犬と正太郎はいたちごっこを続けている。
あわやその顎に捕まる直前、シンのアシストでどうにか毒牙から辛くも逃れているにすぎない。
だが、少年――天道は――目尻についた涙と口元の食べこぼしを拭い、したり顔で芙美を横目に見やり、唇を歪ませた。
「逆だ、芙美。こんな雑魚も倒せないなんて、それこそ大山正太郎じゃねえよ」
「そりゃまた随分と……自信満々ですこと」
「なにせ、俺だからな」
丁度その時、炎の鎖がまたも大きく振るわれた。春の陽射しを受けた火の粉はいくつもの色の輝きを撒き散らし、砕かれた虹のようだった。
「やった!」
正太郎の掛け声が木霊した直後、けたたましい金属音と衝撃がジャングルジムを揺らした。うわんうわんとジャングルジムの骨組みの中を激しい振動が連動し、危うく二人共が転げ落ちるところであった。
何事かと天道が視線を送ると、怪物犬が狂ったように円を描いて走り回り、その背中には正太郎がかじりついている。
犬の上顎に絡みついた鎖が肉の焼ける音を立て、犬はこれまでに聞いたこともないような鳴き声をあげ、悶えていた。
「止まれ、止まれってば!」
鎖で捕えられたはいいものの、純粋な腕力では犬に勝てなかったのだ。
数秒の踏ん張り合いも虚しく、引っ張られた反動で犬の背中に奇跡的に飛び移り、しかし止めることはかなわず。
シンも加勢しているが、風に巻かれる白旗のように振り回されていた。
だらりと長い舌から青黒い体液が分離しかけた油のように垂れ、地面が異臭を放った。獣はもう一度、ジャングルジムに勢いよく体をぶつけ、天道の体もぽうん、と宙に放り出される。
「あっ」
天道の巨体も見事、怪物犬の背中に落下し、正太郎のすぐ後ろに尻が乗っかった。犬は乗客が増えたことに気にも留めず、毛を総逆立てた。
獣の喉から飛び出す鳴き声は多様で、シンバルの側面を床に叩きつけたような不快音が公園一帯を震わせる。
怪物犬は前後左右も構わぬ勢いで走り出し、猪突猛進する先には、ケーキの入った白い箱を抱えた幼い少女が、公園の入り口でぽつねんと突っ立っていた。
「あ、危ない!」
しかし少女は身じろぎ一つ出来ず、髪の間から覗く大きな紫の瞳が丸く見開かれた。あわや衝突する直前、正太郎が死にもの狂いで右手の鎖を繰ると、怪物犬の鼻先が僅かに下を向いて、少女の体を毬のように掬い上げた。
すると天道も、反射的に腕を伸ばし、跳ね上げられた少女の体を、丸太のような両手でキャッチする。
「あ、ありがとう」
今の状況にどう反応してよかったものか混乱しているのか、少女は感謝の言葉を口にした。
「犬に撥ねられたってのに、呑気だな」
天道は呆れたが、正太郎はそれどころではなかった。
犬の走る勢いは止まることを知らず、子供三人を乗せて道行く人々にも構わず、がむしゃらに駆ける。
「誰か……こいつを止めてぇー!」
一人、公園に取り残された芙美は、この展開を予想できず、ぽかんと呆けて見送るしかなかった。
まさか犬に浚われるとは、誰が想像できただろう。芙美は少し考え込むように足をばたつかせると、天道が落とした駄菓子を拾い上げ、丸い菓子を自分の影に向かって五つほど投げ入れた。
すると、駄菓子はトプンと影に飲み込まれ、不愉快な咀嚼する音が泡立った。やがて激しく血肉や骨をむさぶるような音に変わり、泥のような物体が五つ、正太郎達を連れ去った獣よりもやや小ぶりだが、似たような見てくれの怪物たちに変わった。
「追いなさい。他の人間を殺しちゃだめよ」
怪物たちは唸り、その身に似あわぬ静かで風のような足取りで、芙美の言葉に従うべく駆け去った。
芙美の長い黒髪が、怪物たちが起こしたそよ風の余韻で吹き上がり、頬を撫でる。

「吸血鬼か。この日本でそんなフレーズを聞くことになるとはなア」
奥垣内は真っ赤に色づく苺のジュレをスプーンでつつきながら、今しがた読んだ事実を咀嚼する。フルーツゼリーのように、ツルリと受け入れ難い内容ではあった。
二十余年前、日本、イギリス、アメリカの三国で、計七千名を超える犠牲者を出した、未曽有の無差別テロが引き起こされた。当時は、ある巨大宗教団体の連続テロ行為であるとされ、主格犯と思われる人物は死亡したと発表された。色んな憶測が飛び交ったが、ついぞ本当のことを知る者はごく一部だ、と聞かされている。
しかし、その裏では、一人の吸血鬼が暗躍していた。「宵闇の女王」と呼ばれたその女ヴァンパイアは、同胞の吸血鬼数十名を伴い、国を相手に戦争を仕掛けたのだ。……と、その書類には書かれている。
「世では陰謀論が収まったと思ったら、今度は妖怪大戦争ときたか。正直、相手がお前さんでも、ちょっと信じられないくらいだな」
「だろうね。あの頃は本当に……長い時を生きている僕ですら信じられないほど、怖ろしい時代だった。むしろ、今までよく世間にこの事実が漏れなかったなって、思ってるくらいさ」
事件については、奥垣内も知っていた。むしろ、この日本において知らない人間はいないだろう。二十年以上経った今でこそ、徐々に風化していっているが、かのノストラダムスの大予言と時期が重なったこともあり、誰もが忘れられない暗黒時代であったと記憶している。
「「宵闇の女王」は確かに倒した。直接、手を下したのは僕ではなかったけれど……その瞬間は今でもはっきりと覚えているよ」
公太郎はそっと目を伏せる。
「ヘエ。機会がありゃ、その武勇伝を聞かせてほしいくらいだな」
「茶化さないでくれ。死体こそ無いけど、彼女の消滅は確認した。けれど今回の殺人事件は――彼女が獲物を捕食する時の手口と――まるっきり同じだ。可能性があるとするなら、彼女の復活か、でなければ彼女と同じ存在が今この日本にいる……ってことになる。グズグズしていると、もっと犠牲者が……」
奥垣内はジュレを完食すると、立ち上がってカウンターに向かい、灰皿を手に戻ってきた。
禁煙、と公太郎が口に出すより早く、煙草とライターを出し、火を点ける。
「そこまで言うなら、俺も可能性の一つとして打診しておく。けどな、あくまで俺たちは警察だ。魔術師サンたちには魔術師のやり方ってもんがあるだろうが、……俺たちはもっと別の方面から調査をしてアプローチする。俺は、アンタの手先じゃない。話はそれで終いだ」
二人の間で、緊張が凍りつく。
公太郎は顔を顰めていたが、肩に入っていた力を抜き、「そうだね」と深く溜息をついた。
「すまない。どうも、二十年経った今でも、この話になると頭に血がのぼっちゃって……」
奥垣内は何も答えず、ゆるゆると煙を吐きだす。公太郎は手元の珈琲を一口すすり、苦い、と零した。
「それと、この席は禁煙だよ」
「灰皿があるだろ。今は喫煙席だ」

軽やかにベルが鳴る。公太郎は珈琲に砂糖を五つほど放り込んだところで手を止め、顔を上げた。
風が強いね、と店内に入った客の一人がごちた。奥垣内が窓の外、通りの街路樹に目をやる。
丁度その時、店の小型テレビが天気予報を流し始める。ここ連日は晴れが続き、今日は風も穏やかだろうと報じられた。うっそだー、と若い女学生たちがきゃあきゃあ笑ってニュースキャスターを囃し立てた。
「俺は先に出るぞ」腕時計を見やり、奥垣内はいくばかの金を置くと席を立った。「あまり長居すると、相方が煩いんでな」
まさに噂をすれば影というもので、奥垣内のスマートフォンが着信を告げる。表示される名前は、彼の同僚のもの。「俺だ。どうした」
機を図ったように、公太郎のスマートフォンも小刻みに揺れる。仕事中でなければ、あまり見たくない名前が液晶画面に映っている。
「やあ博士。何か分かりましたか」
「いやね、例の調査についてもだけど、今現在進行形で」七条冬雪の音声が一瞬、雑音に疎外された。「異常な霊力を観測したんでね。観測値から察するに、実体化した怪異と思われるんだが」
奇しくもその直後、肌の下を極小の針が隙間なく突き抜けるような悪寒が、二人を襲った。
小型テレビの映像が揺れ、電子腕時計が一瞬動きを止め、エアコンが自動的に温風を切った。
店長が不思議そうにもう一度エアコンを点けるその横をすり抜け、奥垣内と公太郎は足早に会計をすませ店を飛び出した。
通常、怪異や幽霊と呼ばれるものたちは、電子機器は勿論、生命体、特に人間の出す脳波や体を動かす際に細胞から放出される微小のエネルギーを必要とする。
よく幽霊や超常現象の類が、生で見るだけでなく機械メディアに映されるのは、それらのエネルギーを吸収し、極小の埃や粒子などを大量に身にまとって実体化するからである。
分かりやすく言い換えれば、何らかのきっかけで生じた意思だけの存在が、強力な静電気を発生させ、砂や水などの周囲の物体で外殻を形成するのである。
加えて、現象は物質世界に知覚・認知されなければ直接、干渉することはできない法則が存在する。
故に、物質世界に認知されることなく、一度に大量のエネルギーを吸収し、短時間で実体化する場合、大量のエネルギーが必要となるので、そのような個体はとても稀だ。だがなぜ、そのような現象が当たり前のように発生するかについては、現在は割愛する。
ともあれ、七条はそれらのメカニズムを踏まえた上で、衛星通信により世界中の怪奇現象や零障、つまりはありとあらゆる怪異をリアルタイムで観測するシステムを作りだしたのだ。
余談だが、公太郎のスマートフォンには七条が勝手に専用のGPSを搭載し、衛星通信でいつでも彼の現在地を捕捉している。
「目標は現在西通りを時速四十キロほどで通過中。そのまま北上すれば、あと五分もしないうちに接触するヨ」
「了解。奥垣内くん、大丈夫かい」
「は、走るのは、苦手なんだよ。おじさんだからな」
奥垣内は早くも息を切らし始めている。体力が資本の刑事がその体たらくで大丈夫なのか、と不安が過るが、彼に合わせてペースを落とす余裕はない。
それに、七条博士のナビゲートが正しければ、彼らの目的地は、件の「吸血殺人事件」が発生したあの公園だ。
殺人現場ということもあり、人払いをかけてあるが、あの場には何もしらない警官たちも複数いる。果たして、公太郎が予想する敵だとして、否、もしそうでないとしても、どれだけ人目を引かずに対処できるかが鍵となる。
公園に続く道を曲がった時、二人は男女の悲鳴が入り混じった喧噪を聞いた。公太郎の目には、向かいから猛然と公園へ突進する巨大な影が見える。
四足だが、おおよそ知っている動物とはどれもシルエットが合わない。辛うじて頭が鰐に似ていることぐらいだ。
「あれか」
奥垣内も、予想外の巨大さに目を見張っている。それも当然で、どう小さく見積もっても体高だけで成人男性の平均を超えていた。
「間に合え!」
巨大怪物は頭部を振り乱し、焼け焦げるような臭いと強酸臭を撒き散らして突進してくる。
公太郎はスーツの上着を脱ぎ、右腕だけを捲った。
彼の右手にはブレスレットが揺れ、中では鮮やかな橙色と藍色の水がタプンと、混じり合う。
「自浄事縛、銀の鎖!」
空中に振るわれた右腕は、鱗と刺に覆われた異形となり、幾重もの銀色の鎖が飛び出した。
直後、公太郎達を覆い隠すように灰色の煙が取り巻き、周囲の視界を覆った。
「フー、危機一髪」
煙の中心で、奥垣内は苦笑と煙を吐き出す。
四方八方に伸びた鎖は、一瞬にして怪物を捕え、網目の狭いネットの役割を果たす。
「ぐ、うおおッ!」
見た目以上に勝る巨大怪物の剛力は、今にも鎖を引き千切らんと暴れ狂う。咄嗟に腰を低くして拮抗するが、まるで十頭の馬と綱引きをしているかのような張力が腕にかかる。
公太郎は一瞬、鎖を離し真正面からの持久戦を覚悟した。
「おじさん!」
その時、聞きなれた声が鎖の檻の中から聞こえた。
「正太郎くん!君なのかい?」
驚愕から一瞬だけ鎖の力が緩み、危うく怪物がすり抜けようとする。だが更に、青い炎の鎖が加勢するように怪物を雁字搦めに縛り上げた。
鎖の隙間からひょっこりと顔を出したのは、果たして正太郎であった。肩にしっかりと、旗のように巻きついて目を回すシンの姿、それに見知らぬ子供が二人もいる。
「危ないから降りてきなさい!僕が片づけるから……」
「いいや、おじさん。僕がやります」
金属をこすり合わせるような、全ての生活音を掻き消すほどの不協和音が響き渡る。その音には警官たちや奥垣内も顔を顰め、耳を覆うほどだ。
「おい、まさかこれが吸血鬼とは言わないよな」
奥垣内は絶叫交じりに公太郎へ呼びかける。この混乱を長引かせてはいけない。早急に捕縛することが優先事項だ。
すると、奥垣内も怪物の上に子供がいるのを見つけてぎょっとした。
「どういうこった。何で子供なんかがそこにいる?」
「おじさん、こいつは僕が捕まえますから、手を出さないで」
「お願いだから、二人とも同時に喋るのやめてくれ……うわあ!」
その時、一陣の強風がその場に吹き荒れ、轟々と木や人や建物の窓ガラスを揺らした。煙も掻き消され、公太郎は風に煽られたことで尻餅をついた。その結果、鎖の緩みから怪物はどうにかもがき出て、オオオ、と唸りながら園内へと足を踏み入れていく。
「しまった……追うぞ!」
奥垣内は慌てふためいて怪物を追う。公太郎は荒い息をどうにか整え、ふと足元を見やる。
辺りには夥しい、黴を思わせる体液らしきものが飛び散っていた。それらはブルブルと蠢くと、形を失い消滅していく。
あの怪物は弱っている、公太郎は確信した。あの異形がどのような経緯であのように暴走していたか定かではないが、正太郎が関わっている今、彼の身が一番案じられた。

公園内は警官が出払っていたため、無人だ。犬は先程より二回りほども小さくなり、誰の目から見ても弱りはてていた。
「うわっ」
「きゃあ」
「おっと」
獣が身震いすると、更にその体は小さく萎びて、子供たちを乗せることすらかなわない程に縮んでしまった。
正太郎はよろけながら落ち、少年は少女を抱えて受け身を取った。
「最初より、だいぶ縮んだね」
「おそらく、お前の炎で力を大幅に削ったな。今ならば捕えらえることも容易なはずだ」
目を回しながらも、シンは的確に敵の状態を分析している。
だが、その間に割って入る影があった。大きな体が仁王立ちし、傷のはいった左目が正太郎を見下ろす。
「ルールを」少年の唇が動く。「忘れたわけじゃねえよな、大山正太郎。このゲームは、あくまで俺とお前の競争なんだぜ」
「正太郎、構うことはない。この化け物を野放しにするようないかれを相手にしている暇は」
ない、とシンが言いかけた矢先、炎の刃がその鼻先へと斬りこまれた。だが相手は眉一つ動かさず、たったの半歩後退し、針一本分ほどもない寸先で見切った。
「僕が勝つ」
「やってみろ」
逞しい足が勢いよく振るわれ、手元を蹴飛ばされた。下からの攻撃を予測できなかった正太郎は、一瞬遅れて手に痛みと痺れを覚え、だが鞘を離すことなくのけ反った。
その間にも、弱った獣が逃げる隙を与えず、その足が地面につくよりも先に、左目に呼応するように黄金の炎が辺りを走り、炎の柵を築く。
「終わりか?」
正太郎は戦意に燃え盛る目を向け、咆哮と共に肉薄する。足一本だけでいなされた屈辱が正太郎を突き動かす。しかし何度刃を奮っても、対峙する男の目は涼やかだ。
彼は武器を振るうどころか、少し体を揺らす、たったそれだけの動作で華麗に避けてみせる。彼が見せる余裕が、更に正太郎を苛立たせた。
怒りが増す程に正太郎の攻撃は単調になり、虚しく空を切るだけ。程なく、先に正太郎の体力が尽き、燃える刃もナイフほどの長さにまで短くなってしまっていた。
これまでに長時間、炎を扱うことがなかった正太郎の体力そして精神力は、早くも限界を迎えていた。
膝が体を支えきれず、正太郎はよろめいて膝をついた。
「情けないな。それでも男かよ」
嘲笑う声が再び正太郎の怒りに油を注ぐ。しかし、体の方がもう闘志についていけないことは明白。天道も正太郎の限界を察していた。
不良よろしくしゃがみこんで、正太郎と目線を合わせる。
「存外弱いな、お前。そんなんでお前の親父に辿り着けると思ってるのか?」
疲労で翳っていた正太郎の目に光が戻った。
「なんで……知っているんだ?僕のことだけじゃない、父さんのことだって」
「ああ、知ってるさ」
天道は興味を誘うように笑ってみせる。
「お前の親父がしでかしたことも、何を企んでるのかも、全部知ってるぜ。俺は」
突として、天道の頬に熱が走る。小刀になって尚、熱量を取り戻した刃先が、天道の顔にヒタリと当てられていた。
「教えろ。全部だ」
だが天道は肩を竦め、笑みを崩さないままであった。
「そりゃ無理だ。お前、弱いもん」
その時、頭上で大きな影がぐんぐんと伸びていくのを、正太郎は見た。植物の成長をスピード再生で見ているようだ。ただし、それは植物ではなく、互いに食らいあう鰐のようなおぞましい顎たちだ。
今の今まで萎んでいた怪物犬が、同じような出で立ちの怪物犬たちと互いを貪り合い、成長している。
ボタボタと獣たちの顎から滴り落ちる腐肉が、嫌な臭いと音を立て、地面に染みをつくった。
これはまずい、と天道は察した。最早、天道たちの手に負えないほどの荒ぶる力を感じた。
何重もの目が新たな獲物として、転がったまま蹲っている少女を見た。
「やべっ……」
異形の柱が黒ずんだ巨大で鋭利な針を象り、少女に降り下ろす。天道は頬が切れるのも構わず、右腕を振りあげた。
周辺を奔っていた黄金の炎が統率のとれた生物のように宙で舞い、巨大な針を焼き尽くす。
少女は己の身に起きた危機に気づいていなかったのか、呑気そうに顔を上げた。
「お前、あっち行ってろ。巻き込まれるぞ」
天道が鬱陶しそうに手を振ると、少女は素直に頷いて駆け出した。
一連を見ていた正太郎は驚いて、天道と少女を交互に見る。
「……なんであの子を助けたの?」
「だって、あの子は関係ないじゃんよ」
当然のように、天道は簡潔に答えた。
「うおっ、なんじゃこりゃ」
新たな闖入者の声に振り返ると、公太郎と奥垣内が呆然として、喰らい合う異形を見上げていた。
公太郎はそれを一度、目にしたことがあった。震える拳を固く握り、からからに乾いた唇を舐めた。
「余計なことしやがって」
天道は舌打ち、巨大な黒い柱を見上げた。それらは喰らい合いを突如として終わらせると、襞のような裂け目から、無数の小さな歯と舌がのぞき、それは掠れた声で口をきいた。
「戻っておいで、天道。お遊びはおしまいよ」
厳しい母のような口ぶりだ。天道は、あからさまに不満そうな表情を浮かべる。しかし、柱に向かって一歩踏み出した天道を見て、公太郎は面食らった顔をし、その手を掴んだ。
「待ちなさい、……君は、そいつが何だか分かっているのか?」
信じ難いといわんばかりの公太郎に対し、天道の目はとても冷ややかだった。そしてあまりに容易く、その手を振りほどき、やはり陰に向かって歩み寄る。
柱に隙間なく浮かんだ黒い瞳が、一様に公太郎を睨めつけた。ひとつひとつが、憤怒や嘲り、悲しみ、歓喜、高揚、落胆の色を浮かべ、襞が蠢く。
「久しぶりね、アブラハム。つかの間の平和の味はどうだったかしら?」
ぞっとするような猫撫で声に、その場にいる全員の肌が粟立つ。ただおぞましいだけではない、声に彼女自身の持つ圧倒的な力が、重く全身に纏わりついた。
「やはりお前か、吸血鬼フレミリカ」
吸血鬼。夜の闇にひそみ、生き血を啜る怪物が、眼前に悠然と聳え立ち、硫黄の臭いを放ち、青緑色の血肉を滴らせる、この異形の塊だというのか。正太郎はただ、言葉を失っていた。
意外にも、若干顔を青くさせつつも、奥垣内が冷静に呼びかけた。
「吸血鬼とやら。すると、最近起こしてる吸血事件の犯人はお前か?」
「いやねえ。私があんな下品な吸血をするわけがないでしょう。そこの天道のお遊びにちょっと付き合ってるだけ」
目玉は一斉にケラケラと少女じみた声で笑った。大量の獅子舞いが一度に首を振ったら、丁度こんな音が出るだろう。
「でも、犯人なら知っているわよ」
「本当か?」
奥垣内は相手が異形であるにも関わらず、その言葉に食いついた。だが吸血鬼はぬらぬらとした舌を縦横無尽に動かし、小馬鹿にしたような目玉を向けた。
「でも教えないわ。私を犯人扱いしようとしたでしょう。頑張って貴方たちの力で探しなさいな」
柱は言いたい放題いってのけると、何の前触れもなく天道をひとくちで飲みこんだ。
闇に飲まれる刹那、天道は正太郎を見ていた。
「会いに来い。知りたいならな」
天道がそう呟いていたのを、正太郎は確かに見た。

「ケーキを買ってくるわ」
少女はそう言って、家から飛び出してきたばかりだった。
再放送で流れたテレビのグルメ番組で、レポーターが人気の苺のショートケーキをワンホール丸ごと、下品な顔で美味しそうに頬張る姿を見て、またも気まぐれに興味が沸いた、ただそれだけだ。
甘いものは得意でないけれど、あれだけ口元に沢山生クリームをつけて、美味しそうにむしゃぶりついていたのだから、試してみる価値はある。
「苺のショートケーキ、ひとつください。そっちの丸いほうを」
少女の目的はみずみずしい苺がぐるりと並んだ、ワンホールのショートケーキのみ。
ついでに買ったモンブランは、兄への手土産だ。
そうして、自分の顔くらいはある大きな真っ白いケーキを包んだ、真っ白い箱を手に提げて、少女が意気揚々と帰る途中のこと。
夕方の公園では、互いにまた明日を言い合って去っていく子供の声が響いている。この時間帯ならいつも見られる風景だ。
砂場の城や泥団子は捨て置かれ、ブランコが少し侘しく佇み、ジャングルジムの天辺には誰もいない。
今は誰もいない。昼間に騒ぎがあったから、誰も近づかないのだろう。
少女はその穏やかな風景に一瞬紛れ込んで、そして少しだけ足早に去る。今日もそのつもりだった。
「あら?」
どうやら、少女の見間違いであったようだ。ジャングルジムの天辺に、男が一人、つまらなさそうに座り込んでいる。
膝元に置かれた白い箱には、覚えがある。いま少女が持っている箱と同じ大きさと色だからだ。
「ねえ、貴方、昼間のお兄さんでしょ?」
少女が呼びかけると、男はのっそりと顔を上げた。左目の傷、金色の瞳。男は目を細めると、少し黙り込んで、あ、と声をあげた。
「お前、昼間のガキか」
「そうよ。さっきは助けてくれて、ありがとう」
少女はぺこりと頭を下げた。男は片手に箱を抱えたまま、ジャングルジムから飛び降りると、ひしゃげた白い箱を差し出した。
「悪いな。お前のケーキ、さっきやりあった時に潰れちまったみたいでさ」
蓋を開けると、確かにワンホールのショートケーキは、とことん落ち込んでいるみたいに潰れてしまい、所々に砂もくっついていた。あらら、と少女は眉尻を下げて、苦笑いを浮かべる。
「捨てるしかないね。いいよ、もう新しいのを買ったし、気にしてないもん」
「でもさ、勿体ないだろ。これ、どうにか食えないかなって思ってさ」
そう言うと、男はケーキに顔を思いきり沈めた。目を丸くする少女の前で、男はもちゃもちゃと咀嚼音を鳴らし、ケーキを飲み下す。
「うん。旨いな。イケる」
男はにっかり笑った。頬についた大きな生クリームが、間抜けにもずり落ちていく。
少女はぽかんと口を開けて、なかなか上手く閉じられず、そのまま新しく買ったばかりのケーキの蓋を開けると、同じく顔を突っ込んだ。
今度は男が目を皿のように丸くして少女を見ていると、少女も男を真似て大きな可愛らしい咀嚼音を鳴らし、ごっくんとケーキを飲み下した。
「うん。美味しい」
二人は暫く、言葉もないままにまじまじと互いを見つめあうと、爆ぜるように笑い転げた。
大きな虫食い穴の開いたケーキを、それぞれ互いの顔にぶつけて、意味もなくげらげら笑い通した。
頬の筋肉が痛くなって涙も出るほどに笑い疲れて、少女は起き上がり男を輝く瞳で見た。
「ねえ、友達になりましょう。私、汐っていうの」
男も目尻を拭いて、紫の瞳を見返した。
「俺は天道。よろしくな」

大山家の食卓は、とても静かだった。公太郎も正太郎も、厳しい顔で足を組む飛鳥を刺激しないようにと、極力体を縮めこませて、足を揃えている。
「私は怒っています。理由は分かっていますね」
組んだ足をきっちり戻し、飛鳥は眉間の皺をより深めた。現在、時刻は夜の八時過ぎ。二人が帰ってきたのはその三十分前ほど。
たった一人、七条博士は神妙な空気を一切気にすることなく、晩御飯のオムライスに舌鼓を打っている。
やがて、リビングに飛鳥の静かな説教が始まった。やれ時間通りに帰ってこない、スーツを破く、連絡もなしに子供を夜遅くまで連れ回す、またおかしな事に首を突っ込む、傷はこさえる、帰ってきてからの一言目が腹減ったですって、待たせたことを謝りもしない、親の自覚があるのか、外出を制限させましょうか、もう付き合っていられない、エトセトラ、エトセトラ。
疲れきった二人が、ようやくご飯にありつき、ベッドに入ることを許されたのは、満月が南の空高くに昇る頃であった。

靴墨で磨かれたような夜の闇を、命短い街灯が照らす。
点滅する光の下で、痩せこけた男が一人、道を歩く。アスファルトの冷気があたりを冷やす。
公園のフェンスが落とす影が、男に菱模様を落とした。
男のほかに人の気配はない。遠くでサイレンが聞こえている。急がなくては、と男は足を急がせた。
彼の口元には、赤黒い血な血が滴っている。
ダラリと下げた右腕に掴まれた、古い布きれのようにずたぼろになった人間のなれの果てが、ズルズルと引きずられて夜の闇に消えた。

僕らのワールド・アイライン 4話

クロスオーバー出演(敬称略)

くまべ氏宅(@HALki318)
奥垣内えん
真神汐
フユキ氏宅(@fyuki_28g)
七条冬雪

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僕らのワールド・アイライン 4話

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-17

CC BY
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