ぼくはリスのぬいぐるみだ(改)
ぼくは、彼女のほっぺが大好きだ。マシュマロのように柔らかいんだ。きつく抱きしめられても、幸せな気分になる。くりっとした大きな目で見つめられると、いつも吸い込まれそうになった。
ぼくはリスのぬいぐるみだ。彼女からは「デデ」と呼ばれている。双子で、ぼくは鼻が赤いほう。赤くないほうが、お兄ちゃんだ。
ぼくが、彼女のおうちに初めて来たのは、十一月だった。彼女の誕生日プレゼントとして、お兄ちゃんと一緒にやってきた。
彼女の名前は、もも。一歳の誕生日だった。ももちゃんは、ぼくのことをすぐに気に入ってくれた。ほかのぬいぐるみより、ぼくを一番に抱っこしてくれた。お兄ちゃんよりも、だ。
翌年のはじめ、ぼくは、ももちゃん家族と一緒に、三泊四日のグアム旅行に行くことになった。ほかのぬいぐるみたちは、留守番だ。ぼくだけ選ばれるなんて、鼻高々だった。
海には「汚れるから」と連れて行ってもらえなかったけど、ホテルの部屋からの眺めは最高だった。
最終日。ぼくはももちゃんのママに、かばんに入れてもらい、バスで空港に向かった。その途中に、事件は起きた。
「あっという間だったねぇ」
ママがそう言った瞬間、強いブレーキがかかった。その拍子に、ぼくの体はふわっと浮き上がり、かばんの外へ飛び出してしまったのだ。
「あらまぁ」
ママは、慌ててぼくと一緒に落ちた絵本を拾い上げた。しかし、ぼくは気づいてもらえなかった。
バスは、空港に到着し、ももちゃんの家族は、「サンキュー」と言って、バスを降りていった。ぼくはもちろん、ぬいぐるみだから、声を上げることもできない。運転手が、陽気に歌を口ずさみながら、忘れ物をチェックする。見つけてもらうことを期待したが、ダメだった。
その日の夜は、真っ暗なバスの中で過ごした。目を閉じてから、ももちゃんのことを思い出していた。ぼくがその家にやってきた時は、まだ、よちよち歩きだった。それがみるみるうちに成長し、ぼくを片手で抱っこしながら、小走りするほどになった。
ただ、困ることもあった。いきなりポイッと放り投げられる時だ。いつもはやさしいママも、厳しい口調でしかってくれた。
「デデが『痛い痛い』って言ってるでしょ」
その通り、本当に痛かった。それでも、ももちゃんのことが大好きだった。だって、ぼくのことを一番に、ギュッと抱っこしてくれるから。
ぼくはしばらく、バスの中で過ごした。座席の下から、人の足だけを見ていた。みんな楽しそうだった。夜は車庫に戻り、真っ暗な中で過ごした。目を開けても、閉じても、同じぐらいの暗闇だった。
そんな日々をくり返しているうち、あれこれ考える気がなくなってきた。
どれぐらい、時がたったのだろうか。ももちゃんとの思い出も、なんだかぼんやりとしてきた。あれは現実だったのか。マシュマロのようなほっぺも、くりっとした大きな目も、どんどん記憶から遠のいていく。ああ、ぼくは、ただの「ぬいぐるみ」になってしまうのだろうか。
その時だった。ふわっと体が浮き上がり、明るい世界が目の前に飛び込んできた。
「かわいいぬいぐるみだぁ」
ぼくは、初対面の男の子にじっと見つめられ、少し恥ずかしくなった。
「だめよ、きたない」
その母親は、ぼくを男の子から引き離した。すると、男の子は、大声で泣きわめいた。
「きれいにふいたら、いいんじゃないの」
のんきそうな父親は、そう言うと、ぼくについたほこりをはたき、息子に差し出した。ぼくは自分を汚い物のように扱われ、腹が立った。
ぼくは、ぼくは・・・。
ん?だれかにとてもかわいがってもらった気がするのに、名前が出てこない。
ぼくは結局、一緒に飛行機に乗せてもらい、初めての町に来た。いまだに残る、ふんわりと柔らかい感触は、少し気になるけど、まぁいいや。だって、この男の子が、ぼくのことを一番に、ギュッとだっこしてくれるから。
あれから一年が過ぎた。
「デデ、一緒に行くよー」
二歳になり、言葉を覚え始めたもも。リスのぬいぐるみをだっこして、くつを自分で履こうとしている。日曜日。パパ、ママと公園に出かけるところだ。
「だいぶ汚れてきたなぁ、この二代目も」
パパがもらすと、ももはパパを見て「にだいめ?」と不思議そうな顔をしている。ママが慌てて、人差し指を口に当てて「シーッ」とする。
「この子、よくわかってるから」
「ごめんごめん。さぁ、もも。公園に行こうか」
なんとかはぐらかして、家を出た。パパもママも、「初代」のことが気になったが、口にはしなかった。どこかで、だれかに愛されていてほしい。その願いは、一緒だった。
ぼくはリスのぬいぐるみだ(改)