おいしい豚まん屋さん

おいしい豚まん屋さん

 自宅から歩いて1分ほどのところに、おいしい豚まん屋さんがある。
 寒い休日だった。午前中、久しぶりに娘、妻と一緒に公園に行った。その帰り。「豚まん食べたいねぇ」。妻の一言で、その豚まん屋に寄ることになった。
 マンションの1階にある小さな店。目立たないが、「豚まん」と書かれた赤いのぼりが目印だ。
 2歳になる娘は道すがら、大はしゃぎだった。母親と手をつなぎ、「豚まん、豚まん」と2人で繰り返していた。
 店の前に着いた。2人の男性が、すでに並んでいた。その時、店の中から、女性の元気な声が響いた。
「あと17個ね-」
 ぼくは、妻と顔を見合わせた。これはまずい。もしかして・・・。
 1番前に並んでいた男性が、注文した。
「10個ちょうだい」
「あいよ」
 豚まんの入った袋を、手にとって「ありがと」と言って、去っていった。
 あと7つ。緊張感が走る。しかし、娘は何も分かっていない。
「豚まん、豚まん」
 1人で連呼している。その時だった。
「7つちょうだい」
 言葉にならなかった。ぼくはたまらず、店の中で慌ただしく動く女性に聞いた。
「冷凍とかでもないですか」
「あぁ、ごめんね。全部なくなりましたぁ」
「そうですか」
 その場を離れるしかなかった。娘は事情を把握していなかった。「豚まんはぁ?」と聞く娘に、妻は「もう売り切れちゃったんだって」と答えた。明らかに、不機嫌だった。
 仕方なく、自宅に戻ることにした。3人で歩いていると、後ろからスタスタと大きな足音が近づいてきた。横を追い越していくときだった。勢いのあるダミ声が聞こえてきた。
「残念やったなぁ。もっとはよ来なぁ」
 さっき、前に並んでいた男性だった。白髪でジャージ姿。右手には、豚まんが入った袋が、しっかり握られていた。
「人気ですもんねぇ。あのお店」
 ぼくは、できる限りの作り笑いを浮かべ、答えた。チラッと見えた妻の顔は怒っていた。
「いやぁ、もともと作る数が少ないんよ、あそこは。おばちゃん1人でやってはるからな。ほな」
 その男性は、颯爽と歩いていった。
「信じられへんわ」
 後ろ姿を見ながら、妻はつぶやいた。同感だった。自分が、あの男性の立場だったら、どうしていただろう。残りあと7つ。うしろには、豚まんを楽しみに待つ、小さな子どもがいる。2つ。せめて、1つでも残すという選択肢は、彼になかったのだろうか。人間性を疑わざるをえなかった。
 たかが、豚まん1つかもしれない。明日、早めに行けば、買えるだろう。しかし、ぼくの心にはもやもやが残った。おそらく、妻もそうだろう。このもやもやを、簡単にぬぐい去ることはできなかった。

おいしい豚まん屋さん

おいしい豚まん屋さん

悲しいお話です。聞いてやってください。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-16

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