わたしのあおぞら

珠浦和也

はじめに

この文章を書くことは、僕にとってとても興味深いものである。きっと、これから語る話は僕にしてみれば「忘れたいもの」でもあり、また「記憶にとどめておきたいもの」でもあるからだろう。
今現在、今日という日は二度とやってこない。「今」という瞬間を認識できるほど、人間は完璧に意識をコントロールすることはほとんどと言っていいほど不可能なのではないか。「今、この瞬間」という事実を脳が認識している間にも、現実に起きている事象と脳の認識速度とのタイムラグは必ず発生する。きっと、僕たち人間はこの「タイムラグ」に悩まされているんじゃないか、と近頃は思うようになってきた。
今ここで僕が今まで経験したこと、所謂「自叙伝」のようなものを執筆しようと思ったのには訳がある。いや、正確に言うと「理由はない」になるのだが、とりあえずここではそれについては書かないことにする。たぶん、書こうと思ったのはほぼ無意識に思っただけだろうから。

とりあえず、過去の物語を記すにあたり、僕の今現在の状況を記録しておこうと思う。
僕は神奈川県東部に住む、30歳無職の男だ。「30歳で無職はかなり痛い人間だ」という社会的エゴの意見は無視しつつ、これが今の僕の事実だ。働いていないのも事実、そして30年の人生を送ってきたのも嘘ではない。「30歳で無職になったのはね、実はわけがありまして…」などと言い訳したい気持ちが今ふつふつとわいているけれど、それは無視することにする。
30歳。無職。趣味はバス釣りとレザークラフト、あとはカメラやギターやアクアリウム…今までたくさんのものに手を出してきたが、たぶん今挙げたものたちが僕にとっての本当の趣味と言えるのかもしれない。もしかしたら、あと10秒後には「あ、なんとなくボクシングがやりたくなってきた」などと思い浮かぶかもしれないけれど(可能性はかなり低い)、自分の未来を正確に予測などできるはずもないのだから、先のことに関しては考えないようにしよう。(10秒経ったが、ボクシングのことは今までのように関心がないままだ)。

先ほども書いたが、僕は神奈川県で生まれた。わりとメジャーな観光スポットの近くでもあり、そしてまた自然が豊富な環境でもある場所だ。前までは「こんなアクセスしにくい環境なんか嫌いだ」なんて思っていたが、最近ではその認識が変わりつつある。自分の感覚がどんどん変わってきていることが興味深いしワクワクするし、そして恐怖もある。詳しくは後述しようと思う。

1985年から30年という月日が流れたが、僕の意識や思考、感覚は近頃はどんどん変化していっているようだ。これがどういうことなのかは、きっと僕にしかわからない。だって、この世界は僕が創り出しているものなのだから。たぶん。

-1985-

生まれた瞬間の意識を、成長してから記憶している人は存在するのだろうか。いや、ただ何となく思っただけだ。
僕は神奈川県の東部にある、それなりに街が栄えている場所で産声をあげた。生まれたときの体重はほぼ平均値だったようで、ほぼ滞りなく「自意識」が生まれるほどまで成長した。人の自意識が生まれるのが3歳ぐらいという噂を聞いたことがあるが、それは本当なのだろうか。確かに、僕の記憶は幼稚園の年少組の頃ぐらいからだ。もしかしたら本当のことなのかもしれない。
なので、「生まれた」という事実から「最初の記憶」までの空白の期間は全く記すことができない。だって、覚えてないのだから。もしかしたら僕が2歳の頃には空中浮遊ができていたかもしれないけど、両親によって「このことは世間様には絶対秘密よ」なんてふうに封印された事実があるかもしれない。でも、残念なことに僕にはその頃の記憶は全くない。とても残念だ。よって、0〜3歳くらいまでのことは何も書けない。なので、まずは「僕が僕である」という自覚が生まれ、そして今も尚記憶として残っている「人生で一番最初のこと」から話そうと思う。

今もハッキリと覚えている。僕は地元の幼稚園に通っている幼稚園児で、年少組の「花組」に属していた。最初の記憶となっているシーンは、「遊び道具のお片づけ」の時間だ。僕はなぜか掃除するのが嫌いで、道路側に面した倉庫の裏で同級生とサボっていた。一緒にいた同級生のふとし君はどうやらその行為に罪悪感を抱いたようで、「僕は掃除してくるよ」みたいなことを言ってその場から立ち去った。僕は倉庫の裏で一人きりになり、とても寂しい気持ちになったことを今でも生々しく思い出せる。思えば、僕の「一人、孤独が怖い」という感覚はその頃から確かに存在していたのだと実感できる。もしかしたら、この記憶に対して僕が勝手に後付けして「あのときは寂しかった」と感じているだけなのかもしれないけれど。この出来事があって以来、僕の性格に「寂しがり屋であり、孤独感に弱い」というステータスが追加された。もし自分の人生が自由に選べるのだとしたら、僕は真っ先にこれらを排除するだろう(現在ではほとんど感じないまでになったが)。

幼稚園の年少から年長組、そして小学校に入学するまで、僕は無意識にこの「孤独への恐怖感」と戦っていた。初対面の同級生たちにはことあるごとに「友達になろうよ」などと声をかけ、仲間を増やそうと必死だった。しかし、僕と親しくなった人達はなぜか離れて行く。それはクラス変えだったり、転校だったり。どこのクラスの生徒でいようが、僕にはこの「親密になった人は必ず離れる」という固定観念が頭から離れずにいることになり、表面上の付き合いだけの友人はいるが、心のどこかでは「孤独感」を感じていた。

孤独の中の幸せ

僕の内面は、成長するごとに複雑化していく。それはどの人にも共通してることだと思うけれど、やはり自分のことは「特別」だと感じるのが人間の性。
僕の幼少期をこうして文章にすると、どうしてもネガティブな面が出がちになる。それは、僕が満足のいく学校生活を送れなかったという証拠。僕自身、ほんの少し、本当にほんの少しだけれど「悲劇のヒーロー」的な考え方があるので、ここでは僕の家族生活のことに関して記そうと思う。

僕の家族は、両親の祖父母、兄、弟、そして僕という構成だ。今では猫もいるが、猫について話してしまうと本が165冊くらいは書けてしまうので、ここでは省略しようと思う。
僕は中流階級の一般家庭に生まれた。強気な兄、優しい弟の真ん中には「自由な僕」がいた。母親の実家が中国地方にあるので、夏休みになると必ず母の帰省に着いて行った。父親は仕事が忙しかったようで、ほとんど旅行にも行った記憶がない。なので、今思うとこれが家族旅行になっていたのだと思う。
母方の祖父母はいつも暖かい笑顔で僕らを受け入れてくれた。今でもこのことを思い出すと心がとても心地よく、その反面寂しい気持ちになる(母方の祖母は現在では亡くなってしまっているため)。
毎年の家族旅行、父方、母方ともに優しい祖父母、それなりに不自由ない生活を送ることができ、家庭環境はとても素晴らしかったと思う。学校が終わると孤独感は薄れていったので、多分僕の人生の「不幸感」は学校生活の中でのみのことだったと思う。

わたしのあおぞら

わたしのあおぞら

うつ病で会社を退職し、人生に希望が見いだせなくなった「僕」。 そんな中、「僕」は「経験と知識」にすがり、自己改革を目指して奮闘する。 あるとき、「僕」はとあるものと出会い、それは彼の人生観を急変させることになる。 30歳・無職の男の価値観や認識を激変させたものとは…? うつ病完治によって、記憶と認識の変化を実感した「僕」が語るエッセイ。自叙伝。

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更新日
登録日
2015-05-16

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  1. はじめに
  2. -1985-
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