告白 ~短編集~
嘘
「好き」
先輩はそう言って、私のおでこにキスをする。少しくすぐったくて笑ってしまうが、
「私もです、先輩」
と、返す。
私は一つ年上の先輩と付き合っている。告白したのは私だ。特に先輩が気になっていたわけではない。告白する前は、少し接点があって、私はたまたま先輩の名前を知っていた。それくらいの関係だった。
先輩の顔が、すごくかっこいいとは思わなかったし、性格がすごくいいとも思わなかった。
付き合った理由は簡単。“ノリ”だ。先輩は知らないだろうが、私はグループでゲームをしていた。「負けた子が好きな人に告白する」というもので、好きな人のいない私はてきとうに先輩の名前を出した。そして、負けたのだ。
先輩に返事をもらったのは、私が告白してから二日後だった。あの時先輩は、「好き」という言葉を使わなかった。代わりにこういったのだ。
「こんな俺でいいなら、付き合ってもいいよ」
柔らかい返事だな、と思いつつ、たしか私は
「もちろん、お願いします」
と言ったはずだ。先輩がもし「オーケー」の返事をくれたら付き合うつもりだった。私は女友達と一緒にいるのが大っ嫌いだ。特に今年のグループは嫌いなのだ。しょうもない女子グループといるよりマシだし、キスぐらい拒めばいい。そう考えたときは自分の性格の悪さに笑ったが、そもそも「オーケー」と言ってくれる確率は低かったのだ。私は先輩の名前しか知らなかったし、先輩に至っては私の顔しか知らなかった。付き合ってすぐ、名前を聞かれたのだ。
付き合ってから、先輩のことを日に日に知るようになっていった。例えば、先輩がものすごく優しいこと。付き合う前の接点は少なくなくかったから付き合ってもなかなか会えないんだろうな、と思っていたら、毎日会うようになった。ちゃんといろんな時間を重くない程度に合わせてくれて。用がある日は「用がある」といえばすぐに引いてくれた。
今もこうやって、放課後に時間をつくってくれている。好きでもない女のために、だ。
多分先輩にはもうひとり彼女がいる。先輩と同い年で、私よりもずっと可愛い人だ。時々、校内で一緒にいるのを見かけたが、大体大人数で、だからただの友達だと思っていた。ところがこの前友達とショッピングモールに行ったとき、先輩とその人が二人きりでいるのを見た。
学校で、無意識のうちに先輩を探すことがあった。キョロキョロとしては、グループの子に、「何探してるの?」と尋ねられる。そうやって探してしまったときに先輩がもうひとりの彼女の近くにいると、なんとも言えない気持ちになる。
もしかして、先輩が付き合ってくれているのは先輩の『優しさ』なのかもしれない、と思うようになった。フッてしまうのが可哀想で、好きでもないのに私と付き合ってくれてるんじゃないか、と。先輩と一緒にいるときはそんなことはあまり考えないが、先輩と離れるとそう思うようになっていた。だから、先輩の「もう帰ろうか」という言葉が嫌いだった。
けれど、日はどんどん傾いていく。
「そろそろ帰ろうか」
先輩は言った。
「はい」
私の顔は自分の思いと裏腹に微笑む。
「じゃあ、また」
先輩の言葉に私はペコリと頭を下げる。
先輩と私の家は反対側だ。送ってもらうのはずいぶん前に断った。だから家までは一人だ。
先輩の彼女の顔が頭に浮かぶ。自分も先輩の彼女にはずだが、今ではすっかり取られた気分だ。否、もともと、私のものでもなかったのかもしれない。
夜を知らせるような少しヒンヤリとした風が頬を撫でた。その風は涙腺を緩ませ、涙がこぼれそうになる。ダメだ、私。家までは、すぐなのだから。私は我慢するように唾を飲み込んだ。
毎日の涙なんて、問題じゃなかった。そんなものより、女子同士の感情の読み合いの方が辛くつまらない。そんなことをするくらいなら、裏の涙を隠してでも先輩と一緒にいるほうがずっと楽しい。
ずっと楽しいのに、事件は起きた。
私は同じグループの子をあまり信用していない。だから先輩のことを実は好きではないだなんて言っていない、カホを除いては。カホにだけは、なんでも話す。カホは私のことを見て、ちゃんと考えてくれる。それに口が堅い。だからカホは信用できる。そんなカホと二人で購買に行った時だ。
「最近、先輩とどうなの?」
と、カホが聞くので、
「まあまあ」
と答えた。
「先輩のこと、好きになれないの?」
「・・・好きって何かがわかんない」
私がそう言ってカホを見ると、大きく口を開け、わざとらしく驚いていた。
「・・・カホ?」
「かっわいー。そうか、初恋まだなのかー」
カホはウンウンと腕を組んで頷く。
「ってか、好きじゃない人と付き合うのってどんな感じ?」
私は「さあ?」と首をかしげる。
「そんなことより、『好き』っていうのがどんな感情なのかを知りたい」
私はそう言ったとき、私たちの真後ろを歩く人が視界の隅に入った。
「えー、そんなの・・・」
真後ろを歩いていた人が駆けていった。カホは何か言っているが、よく聞こえない。というか集中できない。
私は立ち止まって後ろを見た。先輩が、廊下の向こう側へ走っていく。
「どうしたの?急に立ち止まって」
「先輩・・・に聞かれたかも」
迂闊だった。なんであんな話を廊下でしたんだろう。
先輩がいたのはすぐ後ろだった。多分あの声量だったら聞かれているだろうし・・・。なんで気付かなかったんだろ。
「ごめん・・・」
「カホが謝る必要ないよ」
私が気を配らなかっただけ。責めるのは、カホじゃない。カホじゃないんだ。
・・・なら、誰?
勝手に聞いてた先輩?告白させたグループの子?
私は首を振る。
違う。責められるのは、私だ。この気持ちに、ちゃんとケリをつけなきゃ。
昼休み、先輩に全部を伝えに行こう。
そう思って呼び出したはいいものの、何から言えば・・・?
「あの・・・先輩」
私は消えそうな声で言った。
「どうしたの?」
先輩は優しく応えてくれる。いっそこの優しさに甘んじて、何も言わずに何もなかったことにしたい。そんな誘惑が頭を巡る。
違う。私はこの優しい人に、本当のことを伝えに来たんだ。
「今日のあの話、聞いてましたよね?」
先輩は静かに頷く。
「ごめんなさい。私、本当は先輩のこと、好きじゃなかったんです」
私はもう一度、「ごめんなさい」と頭を下げる。先輩は、どんな顔してるんだろ。
私がそう思っていると、先輩は私の頭の上にポン、と手をのせた。
「顔、上げて」
私はゆっくり顔をあげる。
「そんな泣きそうな顔しないで。・・・知ってたから」
「え?」
「だから、知ってたよ」
「いつから・・・ですか?」
「最初から」
「告白した時から、ですか?」
「うん」
先輩は、目を細めた。優しくて、でも泣きそうな笑顔。
「俺、本当は断ろうと思った。思ったけど、君を前にしたら、それもできなくなった。断るには随分もったいないと思ってしまった」
私は口を開けて、先輩の言っていることをただただ聞くことしかできなかった。
「だからごめんね。俺も本当は最初は好きじゃなかった。でも、付き合ってすぐ好きになっちゃったんだ。自分の悩みを必死に隠して、笑って、相手のためにって思ってる君が、すごく好きになった。だから、結構頑張ったんだけどな・・・」
先輩の声が、だんだん小さくなっていく。
「ダメだったんだろうね」
最後は、独り言のように呟いた。
胸がギュってなるような顔でこっちを見てくる。私は、先輩に、こんな表情をさせてしまう。
「先輩、私、好きとかそういうのよくわかんないです。でも、別れるのは嫌です。・・・わがままかもしれませんけど」
「俺のためなんて考えなくても・・・」
「違います。センパイと一緒にいたいんです。・・・ずっと」
友達といたくないんじゃない。先輩と一緒に話して、笑って、そんな時間がいい。
ふと、先輩の彼女の顔がよぎった。
「でも、先輩はいやですか?こんな私とじゃ」
先輩は首を振った。
「そんなことないよ」
「じゃあ、先輩の隣によくいる女の人は誰なんですか?」
「・・・?友達だと思うよ。・・・誰のこと言ってるかはわかんないけど」
「前に、先輩とショッピングモールにいた人です」
なるべく、口調が強くならないように言う。
「・・・ああ、それなら・・・」
先輩はポケットから小さな袋を取り出す。
「これ、少し早いけど、誕生日プレゼント」
「え・・・?」
私はもらった袋をジッと見つめる。ピンク色の、可愛い袋。
「何がいいかわからなくて。女友達についてきてもらったんだ」
「開けてもいいいですか?」
「もちろん」
私は袋の柄が剥げないようにゆっくりとテープをはがし、中身を取り出した。ハートのモチーフのネックレスだった。
「今日、もし『別れよう』って言われたら、これだけ渡すつもりだった」
「可愛い・・・すごく嬉しいです。・・・あれ?」
私の頬には、涙が伝っていた。
私は涙を一生懸命拭うが、次々に溢れてきて、止まらない。
急に、先輩にふわりと抱きしめられた。
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかった」
先輩の胸から声が直接伝わってくる。
「ありがとうございます」
私は抱かれたまま言った。
「大好きだよ」
「私も先輩のこと、大好きです」
そして私たちは初めて、唇を重ねた。
片想い
「好き」
亜希は自分の部屋のベッドに仰向けになって呟いた。すぐ隣の家にいる、海斗に向けて。
が、こんな小さな声では届くはずもない。届いたところで、また勘違いされるのがオチだ。
「大っ嫌い」
亜希はさっきより大きな声で言った。
亜希通う中学校は周りの学校に比べて生徒数が少ない。まるで余った場所に無理やり学校を建てたように、亜希たちの学校の校区だけが極端に狭い。
近くのほかの中学校は大体三つぐらいの小学校が合体するのだが、亜希たちは違う。ひとつの小学校から、中学校までずっと一緒だ。
だからみんな仲がいい。仲がいいといえばよく聞こえるが、厳密には、仲良くしないと失敗は続く。一度ハブられてしまえば転校する他解決策はない。嫌がらせが発展していく一方だ。
亜希たちの一つ上の学年が荒れていて、もう三人ほど転校していると聞く。それに比べれば随分と平和だ。
亜希は一人で学校に行く。帰りは海斗と一緒だが、海斗は家を出るのが極端に遅い。 一緒に行きたいとは思うが寂しいとは思わない。家から学校まではすぐだし、むしろぼーっと出来て楽だ。
今夏初めての台風が過ぎた空を見る。真っ青だった。
亜希たちのクラスに、転校生が来た。
クラスのザワつきは、凄まじい。もちろん五月中旬という時期に来る、というのも不思議だが、みんな基本そんなこと気にしない。
気になるのは、顔。その転校生は、何とも言えない美女であった。
担任が自己紹介を促す。
「はじめまして、雪原 叶愛です。父の仕事の都合できました。よろしくお願いします」
叶愛の口から出た声は透き通るようだった。黒く胸のあたりまで伸びたツヤのあるまっすぐな髪が印象的で、まるで顔の小ささや白さを際立たせているようだった。どちらかというとカワイイ系だが、中学生とは思えないキレイ系のオーラも持っている。
担任は叶愛の席を指定する。海斗の隣。
亜希は胸の中に湧いた不安を無視して担任からの連絡を聞いた。
「あーちゃん、帰ろ」
海斗が亜希に声をかけた。
「ん、ちょっと待って。これだけ」
最後の授業でどうしても解けなかった問題が解けそうなのだ。
「あーちゃんマジメ~」
亜希は海斗の言葉を無視してノートに文字を並べていく。
「よしッ!じゃあ帰るか」
ノートをパタリと閉じ、立ち上がる。
「おっけ。じゃあ、校門前で」
海斗は先に教室を出ていった。海斗は自転車通学だ。こんなに家が近いというのに。校則でも指定の駐輪場に停めることを条件に許可が出ている。海斗はその自転車置き場まで、先に自転車を取りに行ったのだ。
亜希もすぐに教室を出た。
海斗と話しながら帰っていると、道路の反対側に叶愛の姿を見つけた。
「あ、雪原さん」
「ホントだ」
「今日雪原さんと、何か話した?」
「いいや。あーちゃんは?」
私は首を振る。
「なんだよ~。同じ女子でしょ?」
「それを言ったら海斗だって席となりじゃん」
「ウッ・・・」
海斗は目線を向こうに向けた。
「おい、目を合わせなさい、海斗クン」
亜希は自分より背の高い海斗を覗きこんだ。海斗は目を逸らしたままだった。
初日は「話していない」と言った海斗だったが、席が隣なこともあり、次第に話すようになっていった。
が、さすがに天使だ(亜希はあまりに可愛い叶愛を心の中でそう呼んでいる)、ほかの男子ともよく話す。
亜希たちにとって転校生は宇宙人だ。
九年間過ごす、という覚悟にも似たものの中に入ってくるのだ。しかも中学での転入となると、他の子と六年間の時差がある。子供の六年というのは短く重い。
そんな宇宙人の叶愛が男子からの人気を集めている。快く思う女子は少ないだろう。
叶愛はまだどこのグループにも入っていない。いつも独りだ。・・・そんなことを考える亜希も基本一人だが。
「なあ、あーちゃん」
今日の授業も残り一時間となったとき、海斗が亜希に声をかけた。
「何?」
「雪原さんの家って、 俺たちと同じ方向なんだって」
「ふうん」
亜希はそこまで聞けば何が言いたいのかわかる。つまり、「雪原さんと帰りたい」のだ。
でも、なんとなくわからないフリをしてみた。
アイツ
「好き」
俺がアイツと始めて話したときのアイツの最初の一言だ。
「…なんです、先輩のことが。よければ、付き合ってもらえませんか?」
アイツは、そう言った。
俺は、信じられなかった。今でも少し不思議だ。学校一モテるアイツが、俺のことを好きだなんて。
綺麗な黒髪だと思った。背は低いが、目は大きく、中に宿る光は真っ直ぐだ。なるほど、これはモテる。そう思った。
ただ、そんな急に告白されても信用できないというか、俺はあの時まだアイツをよく知らなかったので、友達から、ということにした。
アイツとは友達のはずなのに距離が近い。
「弁当一緒に食べませんか」
とか、
「一緒に帰りませんか」
とか。
犬みたいで、結構かわいいな、と思った。そうして、頭を何と無く撫でてしまう。アイツもそれは嬉しいようで、ニッコリと笑顔になる。その顔が、好きだ。
ある日、アイツにどうして俺が好きなのか、尋ねてみた。
「先輩、覚えてないんですか?」
なんて答えになってないようなことを言う。俺は
「覚えてない」
というと、アイツは驚いて、言った。
「止めてくれたんですよ、死のうとしているところを」
アイツはそう言って思い出すように語った。
アイツが屋上から下を覗いた時、俺が止めたのだそうだ。
確かに、そんな記憶はある。が、こんな整った顔だっただろうか。
「あの時は必死で、顔なんてよく見てなかったんだよ」
俺がそういうとアイツは、
「そういう先輩も好きです。他人のために一生懸命な姿みて、惚れたんですから」
と言ってまた俺の好きな笑顔になった。
俺はといえばアイツとダラダラと友達を続けていた。最近仲がいいと学校中で噂になっているらしいが、だからと言って恋人になる気もなかった。俺はアイツの優しさに甘えているだけなのかも知れない。アイツはきっとこのままの関係を続けても何も言わないだろう。
後輩の優しさに甘えるなんて、最低な男だな。
俺はそう思いながらも、打開策は考えなかった。考えたら、自分の感情を受け入れることになるから。
結局、怖かった。今までの自分と違う感情に気付くのが。だから、アイツの優しさに甘えて、ただダラダラと隣にいる。
それに気が付いたのは、事件が起こってからだった。
その日も、一緒に昼メシを食べるんだろーなー、なんて考えていると、一件のメールが入った。アイツからだ。
「すいません
今日お昼一緒に食べれません」
俺は、珍しさに首を傾げながら、まあそんなこともあるか、と思い、それほど重要視していなかった。
しかし、放課後も会えないと言われた。2日間。
俺は避けられているのかと不安になった。不安は抑えていられない性分だ。俺はアイツの教室に行った。
アイツは、俺の顔を見るなり、後ろを向いてしまった。アイツの周りは人は多い。表情の確認はできずに、アイツの後ろ姿まで男や女を掻き分けて行った。
「オイ」
「なんですか、先輩」
「こっち見ろよ。なんで避けてるんだよ」
俺はアイツの肩を持ってクイ、と引っ張る。
「わ、ちょ、先輩」
こちらを向いたアイツの目には、痣ができていた。
「…もう、関わってもらわなくていいですよ。ガッカリしたでしょ、こんな顔になって」
「そんなわけないだろ。なんでそんなことになってんだよ」
アイツは驚いたような顔をした。
「ちょっと来い」
俺はアイツの腕を引っ張ってきた。
「先輩、授業、始まっちゃいます」
「いいじゃねえか。…逃げんなよ」
「…」
「…なんで、そんなことになった?誰に殴られたんだ?」
アイツは俯いている。
「答えてくれよ。なんで俺のこと避けてるんだよ?」
「先輩と一緒に居るのがキモイって言われたんです」
俺は耳を疑った。
「どういうことだよ?」
「先輩だって、わかってるでしょ?男同士で付き合うなんて、バカバカしいって思ってるでしょ?」
アイツは涙声だ。
そう、アイツも俺も男。だから、俺は自分の感情を認められなかった。でも。
「誰がそんなこと言う権限があるんだよ」
俺はアイツを抱きしめた。
「先輩…?」
「お前は俺にちゃんと言ってくれたのに、俺はずっと伝えてなかった。俺も、お前のこと、好きだよ」
アイツの頭を撫でる。気持ちのいい細めの髪の毛に指がもぐる。
アイツの顔を見ると、泣きながら笑っていた。俺の大好きなあの笑顔だった。
夢
「好き。」
そういったのは、美幸だ。もう、五ヶ月以上も前の記憶だが。
美幸とは、四ヶ月ほど前に別れた。切り出したのは美咲だ。そういえば告白してきたのも美咲だった。
「私たち、別れるべきなのよ。きっと。」
その言葉に驚いた。理由を聞いても美幸は答えなかった。ただただ、
「別れるべきなの。」
を、繰り返すだけだった。美幸の荷物は知らないあいだにまとまっていて、アパートの部屋を出る前に
「私は好きだった、あなたのこと。」
そう、言い残した。
それからの僕はまるで僕ではなかった。飲まない酒に入り浸り、仕事には集中できずカバーしてもらってばかり。最初は「珍しいね。」といい、心配してくれた上司や同僚も一ヶ月もすると「引きずるな」と怒り、白い目を僕に向けるようになった。
毎日のように美幸の夢を見た。合コンに行った日や帰りが遅い日は夢の中で美幸に怒られた。夢の中では落ち込んだが、目が覚めると現実であって欲しかったと願った。晴れた日にはピクニックに行く夢だって見た。美幸は本当に幸せそうだった。目を覚ますのが辛かった。朝が、嫌いになった。
アパートの前に着くと、部屋の中に美幸がいるように長いながら階段を上った。けれどもいつも空っぽの部屋に毎日ため息をついた。
三ヶ月もすれば、美幸のいない生活には慣れた。慣れはしたが、物足りない感じは抜けなかった。アパートの部屋は日々色を失っていくようで、生活に関わるもの一つ一つが無機質になっていく。美幸のいない事実が、どうしても受け入れられなかった。
新しい彼女を作ろうとは思った。誘われた合コンはほとんど必ず出席したが、ダメだった。すぐに美幸と重ねてしまう。
美幸はものすごく綺麗なわけではなかった。知的で、でも気取ってなくて。真っ直ぐツヤツヤな黒髪が上品さを強調していた。それから美幸は少し天然で、それを指摘すると照れたように笑う。その笑顔が可愛かった。
僕は、美幸と結婚するとばかり思っていた。ふとした瞬間に未来は崩れる。それを忘れて自惚れ、現実に甘え、美幸をつなぎとめておく努力を惜しんでしまったのかもしれない。もったいない、と、今になって思う。
しかし、美幸が僕のどこを不満に思ったのかがわからなかった。美幸はちゃんと不満を言うタイプだったと思うし、僕だって悪いところは直そうと努力した。お互いの我慢は多少仕方ないよね、と言い合った日もあったし、僕だって我慢するところは我慢していたのだ。そう思っていたら今度は腹立たしくなっていく。
悔しいとか、腹立たしいとか、いろいろ混ざった感情たちは平気で僕を掻き乱していく。それは頬を伝う温かな水となり、けれどもそれだけでは事足りないのか僕を息苦しくさせた。
美幸とよくデートに行った駅前のショッピングモールに行こう。そう思ったのは、今朝、顔を洗っている時だった。会社には適当に理由をつけて、休んだ。着ていたスーツを脱ぎ、普段着に着替えた。
美幸にあったら、なにを言おう。
そんなことを考えながら支度した。
美幸とよく行った店を回ってみたが、美幸はいなかった。それどころか美幸とよく行っていた店がよくわからない雑貨屋になっていて、ショックだった。まるで、僕の世界から美幸が消えていくような。それを見せられているようで辛かった。
そろそろ帰ろうかと思ったときふと僕は、美幸とよく待ち合わせをした時計台に行こうという気になった。時計台はこのショッピングモールと道路を挟んで向かい側、駅の目の前にある。
それで・・・、あれ?
僕は、どうしたんだっけ。
というか、僕は今、何をしているんだ?
あの時僕は、時計台に向かった。そしたら、・・・、美幸に似た人を見つけたんだ。近くにあるカフェのドリンクを持ってそこに座っていた彼女は立ち上がって帰ろうとしていて・・・。
そうか。僕は、慌ててそちらに駆け出したんだ。
信号が赤なのにも気付かずに。
キキー、というブレーキ音が響いて、僕の体は頭と別人になったように動かなくなった。周りの人がこっちを見ようと首を動かしているのもなんとなくわかった。
ああ、死ぬんだ。
そう思って、そしたらドン、って鈍い音がして。それからよくわからなくなった。朦朧とする意識の中で、さっき見つけた彼女を探す。彼女は、美幸じゃなかった。
それで・・・。
きっと僕はあのあと気を失ったのだろうか。それとも、もうあの世に来てしまっているのだろうか。
あの世にいるのなら、あの世っていうのは想像してたよりずっと暗い。花なんてないし、川もない。人もいないし、自分の体すら見えない。
どこなんだ、ここは。
自分が生きていたら、という思いがそう思わせる。ここから抜ければ、また生きられるかもしれないのに。
僕は精神を集中させるべく、目を閉じた。・・・といっても、閉じる目の感覚もないのだが。
「・・・さん、・・・さん」
小さな遠くからの声が、聞こえた。懐かしい、僕が求めた声。
僕は声のする方へ向かった。
向かった、という表現は正しいのかわからない。なぜなら今の僕は自分の体を感じていない。
けれども、少しずつ、声が近づくのがわかった。
やがて光が見え、それはゆっくりと僕の体を包んでいった。
目の前に、真っ白な壁があった。きっと天井だ。体には布団が触れているのが感じられる。ピッピっという機械音に薬っぽい匂い。
僕はどうやら、病室にいる。
ゆっくりと、右側を見た。手の握られている感触のする方。そこには、美幸が座っていた。
美幸は僕が起きたのを見てか、大きく目を開けている。
「起き・・・たの?」
僕はできる限り精一杯微笑む。
「お、かえり」
僕はかすれた声でそういった。
噛み合ってないな、と思ったけれど、口が思うように動かない。
美幸はそんな僕を見てあわあわと口を動かし、眼に涙を溜めている。
「どうして、ここに?」
僕は聞いた。
すると、美幸は俯いてこう言った。
「あなたのこと、好きって言ったでしょ」
「うん。でも・・・」
「あなたのお姉さんから連絡があったの。あなたが寝言で、私の名前を読んでるって。
すごく嬉しかったけど、すごく怖かった。あなたが死んでしまったら・・・、って」
「ごめん」
「・・・謝ることないわ。戻って来てくれたじゃない」
「美幸、僕たち、やり直せないかな?」
美幸の目から、ずっと溜まっていた涙がこぼれた。
「どうして、私たちが別れたか、わかる?」
美幸の目からはずっと涙が流れている。
「ごめん、わからない」
「あなた、私に『好き』って言わなかった」
たしかに、そうかもしれない。
「私、あなたのこと好きよ。でも、あなたは私にそうは言ってくれなかった。
あなたは私に優しかった。けれど怖かった。あなたは私を好きなわけではないのかもしれないって、考えれば考えるほど・・・」
「ごめん・・・、好き」
僕の手を握っている美幸の手に力がこもる。
「遅くなってごめんね。気づかなくってごめん。でも、僕はずっと美幸のこと、好きだった。今も・・・、いや、今は、愛してる。失って初めて、かけがえのない、っていう意味を知った。もう一度、やり直してください」
美幸はゆっくり頷いた。
「私も、ちゃんとあなたに言うようにする。大事なことも、そうじゃないこともね。だから・・・、こんな私だけど、よろしくお願いします」
そう言って美幸は微笑んだ。
告白 ~短編集~
最後の、「夢」なのですが、ヒロインの名前を当初「美咲」にしようと思っていたので、どこかミスってるかもしれないです。
すいません。
書いてるうちに愛着が沸いてきて、ああもっと幸せにしてあげたいのに~、と思いつつキーボードを打っていました。
みなさんの恋が、告白が、素敵なものでありますように。