WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(3)
三 少年
今から、五十年前、瀬戸内海のある小島に、少年(目玉じいさん)が住んでいた。その島は周囲約八キロしかなく、少年の足でも、約二時間もあればぐるりと一周できた。島には、千人以上の人が住んでいたが、今では、二百人程度しかいない。それも、七十歳を超えた年寄りばかりだ。保育所は閉鎖され、小学校は休校した。ただし、最近、右目島の方では、芸術祭の開催の効果で、若い人が移住し、小学校は再開したらしいが、左目島では、相変わらず、休校のままだ。
ただし、目玉じいさんが少年の頃は、島も活気があり、子どもたちも多かった。少年は小学六年生で、来春には中学生になる。卒業式は後一週間に迫っていた。
島には中学校がなく、少年を始め、島の子どもたちは中学生になれば、対岸の街の中学校に船で通学した。中には、親戚の家に下宿する者もいた。シケや濃霧で、欠航することが度々あったからだ。だけど、少年は、この島が好きだから、自宅から船に乗って通学したいと思っていた。
少年は島での生活が楽しかった。朝、目覚めると、東の空に昇る赤い太陽を見て、太陽が昇った後からは何が生まれているんだろうかと想像した。それから、朝食を食べ、学校に向かう。授業中でも、教室の窓から外を見て、南の空に高く昇りつつある金色に輝く太陽を見ながら、南の彼方には、どんな世界が広がっているんだろうかと夢想した。
授業が終わり、学校帰りには、西の空を眺め、島々の間に沈むオレンジ色の夕日を見て、海の底にはどんな宝物が隠されているのだろうかと、思いを馳せた。
夜になると、太陽とバトンタッチして昇って来る月や北極星、北斗七星を見つめながら、宇宙のどこかには、地球上の人間や動物、植物と同じような生物がいるはずだと確信していた。
そして、「もう寝なさい」と両親からの声で、ふとんの中に滑り込み、今日一日、思いを巡らせた世界を、もう一度、夢の中では、追体験するのだった。
そんな小学生の生活もあとわずかとなったある日のことだった。少年は「行ってきます」のあいさつとともに、家を出ようとしたら、玄関の階段で足を滑らした。その拍子に目玉が二個飛び出ようとした。
少年は慌てて、まぶたを抑えたが、目玉は目の中にはもうなかった。少年の家は島の高台にあった。島は平地が少ないため、島の人々は傾斜地に家を建てて住んでいた。だんだん畑ならぬ、だんだん家だ。そのため、玄関を一歩出ると、坂道になっている。
少年の目から飛び出た目玉のうち、右目は右方向に転がり、左目は左方向に転が落ちていく。少年は、目が見えない中、右手を右方向に、左手は左方向に伸ばし、目玉を捕まえようとした。しかし、両方の目玉とも、少年の手から逃れるように、坂道を転がり、海へと落ちた。目が見えなくなった少年は、ただ、立ちつくすだけであった。
「慌てても仕方がない。目玉はいつか戻ってくるだろう」
目玉を落とした少年は、逆に目玉が自分を見つけやすいように、今までの記憶を頼りに、坂道を這うようにして、島の一番高い岩山に登って、てっぺんで両足を投げ出して座った。
ここは、少年が島で一番好きな場所だった。岩山からは、島中が見渡せると同時に、瀬戸内海の島々やもうすぐ新しい生活を始める対岸の街を眺めることができたからだ。だが、目玉を落とした少年には、今は何も見えない。
少年は見ようとする代わりに、耳を澄ました。海から離れた場所なのに波の音が聞こえる。白波が立っているのだろうか、ざわついている。
次に、少年は鼻で呼吸した。桜の花の息吹の匂いを感じた。この島は桜の名所としても有名だった。街からこの島を眺めると、青い海に、ピンクの花瓶が浮いているように見えるとニュースで報道していた。でも、島の人には、景色の素晴らしさが近すぎて見えない、近すぎて感じない場所だった。
手で地面を触った。雑草が生えている。そこに一輪の花。少年は、花を手折ると、口に近付けた。ほのかに甘い味がした。ミツバチのように、空を自由に飛んでいる気分になった。
風が吹いてきた。どこか南の方から吹いてきたのか。暖かい。これまでの冬の冷たい風にちじみ込んでいた細胞が手足を伸ばす。少年もひと回り成長する。目玉を無くした少年だが、世界の全てを体感していた。
WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(3)