これから正義の話をする。
『これから正義の話をする』
これから正義の話をしようか。正義、とは何か。正義とはなんたるか。そんな話で、時間を浪費するのも人生という物だ。生き急いでも得にはならない。
さて正義とは何か。俺が持つ答えは簡単だ。俺が正義だと思ったものが正義。それだけだ。
堅苦しい定義とか、そんなもんじゃ正義は語れない。視点を少しでも変えてみれば、ガチガチに固められた正義は正義じゃなくなるんだから。だったら最初から、これくらいぼんやりとしていたほうが、案外うまくいくものだよ。
私の目の前で、女の子を足蹴にする青年は、白い歯を見せながらそう言った。くすみの無いローファーの踵で、女子生徒の背中をぐりぐりと踏みつける。私は地面に尻餅をついたまま、その光景を眺めることしか出来ない。
「たとえば、この光景を第三者が見ることになったら。その視点から見ると俺は悪だ。多分な。でも君から見ると、俺は正義だろ? 違ったら悪いな。この子らからすると、俺は悪。でも俺から見れば、俺は正義。ほらこれで、二対二だ。多数決でも負けはしないぜ」
得意げな笑顔を茫然と見上げるしか、私には出来ない。反応の無い私を心配してか、彼は女子生徒から足をのけ、私を覗き込んできた。特徴的な垂れ目と目が合う。
「もしかして、俺余計なことしたか?」
誇らしげだった表情が、見る見るうちに後悔を表すそれに代わっていく。眉が下がり、目を伏せた。私はやっとそこで、慌てて首を振った。
「いや、助かったよ。ありがとう」
「そうか? なら良かった!」
昼休み終了を告げるチャイムが高らかに鳴り響いた。私たちは示し合わせたように黙り、何もないのに音の行方を捜すように空を仰いだ。ち、と彼は小さく舌を打った。
「こいつらが起きる前に移動するか。お前、次サボると単位ヤバかったりするか?」
首を振った。私は近年まれにみる真面目な学生だ。一般的な高校生よりもずっと。まあそんな日々も、今日で終了となるようだ。
ひょいひょいと歩く彼の後ろについていく。彼は慣れたように校舎と校舎の隙間に体を滑らせた。ついていくと、中庭とも呼べない程の狭い空間に出た。四方を校舎に囲まれている。よほどの物好きでなければ、ここを覗き込む人などいないだろう。
彼はごろりとコンクリートの上に寝転がった。私は彼の足もとに腰を下ろす。膝が土で汚れていた。手で払ってみると、血は出ていないようで安心した。
私は真面目な高校生だ。それはもう、教師からも苦笑いを頂くほどに。真面目な私は、適度に息抜きをすることも出来ず、息を抜く他人を許すことも出来ず、先ほどのような結果を生み出してしまったのだ。彼が助けに来てくれなければ、今頃はこの場所では無く、あの薄暗い場所で蹲っていた事だろう。
「君、有名人だぜ。名前は……まあ、いいや。とにかく、二年生に絵にかいたような真面目な奴がいるって」
その言葉に、私は笑いを零した。絵にかいたような。確かに、真面目な人間を描こうと絵描きが筆を取れば、私のような人型が描けることだろう。
「良い事じゃねえの? 君は、自分でそれが正義だって思ったから、そうなったんだろ?」
「そんな壮大な志は持ってないが……もちろん、正しいと思ったから、こうしている」
「じゃあ何も間違っちゃいねえよ」
「ああ。そう思ってる」
言うと、彼は腹筋の力を利用して起き上がった。じとりと睨みつけられて、私はバツが悪くなる。彼は呆れたようにため息を吐いて、後頭部をかいた。
「それ、自分に言い聞かせてるだけだろ。本心じゃねえって顔してるぜ」
「……驚いた。君はなんでも分かるんだね」
心の裏まで見透かされているようだ。彼はまあな、と不満気に呟いた。
間違っているとは思ってない。むしろ正しいことだと誇りに思う気持ちさえある。だけど世の中は、真面目なだけではうまく渡れない。真面目な人間が損をして、要領のいい不良が得をするように出来ているのだ。それに、真面目すぎると、友人も出来ない。
「ま、世の中ってのは、そういうものだからよお。でも、だからって、自分の信念を曲げるのだけはあっちゃいけねえよ」
「君は……度々壮大な言葉を使うな」
「間違ってるか?」
「間違ってるというか……言い過ぎだ。信念なんて」
ただの頑固なこだわりで、性質で。信念だなんて壮大で雄大で、素晴らしい物とは違う。
彼は悪戯っぽく笑って、かっこよければいい、と言った。彼のその言葉が眩しくて、私は目を細めた。
「君は……いいな。なんだか、とてもいい」
「そうか? それは嬉しい。俺は、自分の事を『いい』と思っているが、他人からそう思われたことは、あまりない」
「世渡りは下手そうだ」
「そう、じゃないな。そこは間違いだ」
破裂音のように、私は笑った。授業をサボって人と笑うことが、私にも可能なのだと分かった。よく笑うな、と彼は私を不思議そうに見た。そんなことは初めて言われたが、私は無意味に得意げな顔をして、そうだろう、と鼻を鳴らした。
私が笑っていられれば、それでいいか。なんだか肩の荷物が降りた気分だ。それを拾い上げるのは、まだまだ先でいいだろう。いや、むしろもうそこに捨てたままで構わないのかもしれない。譲れないものだけを抱えていれば、それで。
「君の、名前を教えてくれないか」
聞くと、彼は目を丸くして、二度瞬いた。
「それは、俺と、未来を見たいということか」
壮大過ぎるよ。私はそう思いながらも、しっかりと彼の言葉に頷いた。
END
これから正義の話をする。
正義感の強い少年と、お堅い少女のなれそめ。
シリーズ物とは関係ありません。今のところ。
気に入っている。